第九十二話 ほふほふ、はふはふ
次の日の朝。
ギルムさんとオニキスさんを迎えに代官の屋敷を出ると、すでに二人は代官邸の前で待っていた。鬼族の彼は逃亡せず、男を見せた。残念ながら第一回鬼ごっこ大会は中止になったが、これなら彼の更生も可能だろう。
神妙な顔つきの二人を屋敷の中に案内し、侯爵様と代官の待つ部屋へと連れて行く。本来であれば、違反や犯罪の対応に代官や侯爵様が出ることはないのだが、今回はこちらにも思惑があったためこういう形になった。
そして話し合いの結果、二人に対する刑が確定した。
まず、ギルムさんは罰金刑となった。
しかし、その金額はわずかなものだ。
それに加え、ギルムさんに酒を作り、管理する杜氏として正式に侯爵領で雇うことを打診。ギルムさんの一族が侯爵様お気に入りの『命の水』を作っていたことなどが採用打診の大きな要因となった。
刑の軽さとその後の厚遇に驚いていたギルムさんはこちらの申し出を快諾。祖国の兄を超える酒を作ってみせると今から張り切っている。
ギルムさんにはお酒の原料及びドワーフの食材を教えてもらい、ウスイの街にてそれら食材を育てる術も教えてもらう予定だ。
約束だった『酒造許可証』を渡すと、彼は、「これで堂々とお酒を作ることができる」と満面の笑みを浮かべ、ごつい手を差し出してきた。僕はその手を握り返し、「よろしく」と笑みを返す。
「そうだアルク。ウスイの街にほかのドワーフを呼んでもいいだろうか。酒を作るにしろ、食材を育てるにしろ、本格的にやろうとすると一人では手が足りん。新しい酒を作ると言えば喜んで出てくるはずだ」
お伺いを立てるため侯爵様に目を向けると、侯爵様は僕の目を見て軽くうなずかれた。ギルムさんの申し出を受けてもいいという合図だ。
「はい、ぜひ呼んでください。できれば鍛冶が得意な方も紹介してほしいです。作物を育てるのに道具が必要になりますし」
「どわっはっは。ドワーフで鍛冶が苦手なヤツを探すほうが難しいな」
ギルムさんは白い歯を見せながら大声で笑った。
「確かにそうですね。ではお願いします、ギルムさん」
「アルク。わしのことはギルムでいい」
「さん付けは癖みたいなもんだから気にしないでよ」
「そうか。なら好きに呼んでくれたらいい。あともう一つお願いがあるのだが――」
ギルムさんのもう一つの願いとは、引っ越しの相談だった。
今、彼が借りている倉庫には、作りかけの酒や原料、それに酒作りに欠かせない道具などがあるという。それらをウスイの街に引っ越す際、一緒に持って行きたいそうだ。この件に関しては、このあと一緒にギルムさん宅に行くことを約束した。
次に、オニキスさんだ。
結果から言えば、彼は密造酒の販売に加え、脱税の罪が確定した。
ただし、今回は代官と侯爵様による情状酌量によって脱税した分と罰金を納めることで許されることになった。店もまっとうに商売するならそのまま営業してもいいそうだ。通常であれば強制労働と営業許可剥奪が加わることを考えれば、大幅な減刑である。
今回、大幅な減刑になったのは、こちらに思惑があったからだけでなく、オニキス本人が深く反省していること、脱税額が大きくなかったこと、裏帳簿及び脱税した分の金を持参していたことが減刑の判断材料となった。
罰金は即日支払われたが、結局、脱税して儲けた分より損をしたことだろう。世の中、悪いことはできないものだ。
代官が反省した理由をオニキスさんに問うと、彼は怯えた様子で昨日見た夢を語った。
その夢では、黒い両刃の短剣を持った暗殺者が、炎をまとったちびっ子と凶暴そうな毛むくじゃらの男を引き連れて店の中で大暴れしたらしい。しかもその暗殺者の後ろには、顔のない影のようなものが付き従っており、胸をどんどんと叩いて、「ウホウホ」と叫びながら暴れる仲間たちを鼓舞していたそうだ。
最後には炎をまとったちびっ子が口から炎を吐き出し、一瞬のうちに大切な店を灰に変えたという。
このままでは殺されると思った結果が、今日の反省につながったそうだ。
オニキスが見た夢は昨晩、僕が想像した作り話に良く似ている。
だが、あれは僕の空想にすぎない。直接口に出したわけじゃないし、オニキスに話してもいない。あれは僕の脳内で浮かべた想像にすぎないのだ。
すぎないのだが……。
(そういえば『執事のおとぎ話』解除していなかったような……)
まさかと思うが、僕が頭のなかで思い浮かべた話が『執事のおとぎ話』に影響を与えたのだろうか。仮に直接聞かせなくても暗示にかけることができるなら、『執事のおとぎ話』はかなり強力な精神系執事魔法だ。あのとき酒場にいた酔っ払いやオニキスの状況を考えると、酔っ払っていたり、心が折れかかっていたりするなど、精神的に不安定なときほど効果が高いと推測できる。一緒にいたギルムさんとヨヨさんが影響を受けていないのは最初から酒場にいなかったからだろう。
いずれにせよ、思ってもみなかったところで『執事のおとぎ話』の効果がわかってしまった。間違いなく危ない執事魔法である。
そんな『執事のおとぎ話』の意図しない実験に協力してくれたオニキスさんに、あるお願いをした。これこそがこちらの思惑でもある。
「ん? 毒のない食材? を使った料理をうちの店で出す、ですか?」
全ての食材をすぐに変えるのは無理なので、徐々に切り替えてもらい、最終的には全て毒のない食材で作った料理に変えてもらう。その対価として『正式に作ることができるようになったドワーフの酒』をオニキスさんの店だけに独占で卸すことを約束した。
これは侯爵様や代官にも許可を得ている話だ。
この街ではオニキスさんの店でしか飲めない酒だとつぶやいたら涙を流して喜ばれた。
それは侯爵様や代官に対し、絶対なる忠誠を誓ったほどだ。その勢いに侯爵様も代官も引いていたが、話を持ちかけた僕も正直引いていた。
鬼族ちょろい。オニチョロである。
そんな彼に毒のない食材の一例として魚を紹介する。
毒のない食材の話をしたとき、「毒のない食材ってなんだ?」などと首をひねっていたからだ。
そこで釣ったアジを直火で丸焼きにして食べさせたところ、熱々のつまみに感動していた。冷たい酒との温度差がたまらない、と言うのだ。もはや味うんぬんの話ではない。
熱ければいいのか! という僕の抗議は、「はい?」という実に味気ない反応でスルーされた。これも全てアジの味がわからない魔族が全て悪い。
魚は目の前が海ということもあり、手に入りやすい。
それに代官の協力のおかげで、ここリバシールでは普通の魚をとる漁師を増やすことが決まっているため安定した供給が可能だ。毒のない食材を取り入れることは、代官も乗り気な事業なので切り替えは順調に進むはずだ。
まずはオニキスさんには酒のつまみとして魚の丸焼きを出してもらう。熱いつまみは、それを流し込むための酒も売れることだろう。味とは関係なしに。
漁港に関わらず、酒場で食べられていたつまみの八割がワイバーンの干し肉では味気ない。港街らしく魚が名物になれば幸いだ。
それに毒のない魚を出す店として噂が広まれば魔族以外の種族も来てくれるようになるだろう。『リヴァイアサンのヒレ』という店名にふさわしく、リヴァイアサンの塩焼きを出してもいい。別に毒があるわけじゃないのだから。
またレイゴストさんの弟子でもある代官宅の料理長に、料理相談を受けられるようにしておいた。これは今後増えるだろうこの街に来る他種族の方に楽しんでもらえるような料理を出すためだ。
魔王国の中で数少ない港街のひとつリバシールは、今後、侯爵領と他種族たちとの玄関及び交流の場としたい。今は食料事情もあって多種族交流が希薄な魔王国だが、毒のない美味しい料理が食べられるなら、確実にこのリバシールや侯爵領に他種族が集まるはずだ。しかも王都まで馬車で一週間。他種族の商人にとっても、これほど『美味しい』街はない。魔王国への玄関、王都に繋がる港街として更なる発展が見込まれる。
当然、他種族の商人が持ち込んだ商品の中には食材もあるだろう。魔王国内では通常、毒のない食材がほとんど売っていない。そうなれば毒のない食材を求める他種族たちを客とした商人も増えるだろう。もしかしたら魔族以外の種族による毒のない食事が楽しめる店がこの街にできる可能性だってある。
自分で言っておいてなんだが、『毒のない食事が楽しめる店』というのもおかしな話ではある。魔族以外の種族からすれば、普通の店なのだ。魔王国でしか通じない魔族ギャグとしてメモしておこう。
まあ、どのみち他種族の方たちが来てくれないと意味はない。
僕たちが毒のない食材を安定して供給し、オニキスさんの店が毒のない料理を提供できるようになってから、王都の商業ギルド長にこの店の噂を他種族に広めてもらうようお願いするつもりだが、もう少し先の話になるだろう。
将来の構想を説明すると、オニキスさんは僕の手を握って喜んでいた。罪を犯した自分に新しいチャンスを与えてくれたことが嬉しかったそうだ。毒のことはさっぱり理解できなかったようだが、毒のない食材に切り替えるという、こちらのお願いは快く引き受けてくれることになった。平民には縁がないはずの領内事業計画を理解できる頭があるのに、なぜ毒のことが理解できないのか。なんともやるせない話である。
代官の屋敷を出たオニキスさんに、あとから店に行くことを約束し、しばし別れる。別れる際、僕たちが行くまでにリヴァイアサンの脂を用意するようお願いしておいた。
オニキスさんを見送ったあと、僕とヨヨさんは約束通り、ギルムさんと一緒に彼の倉庫へと向かった。
その倉庫の前までやってきた。
思っていたよりもずいぶんと大きい倉庫だ。話を聞くと酒を作るための器具や原料だけでなく、ギルムさん本人もここに住んでいるそうだ。
中に入ると、酒独特の匂いが鼻につく。
その中にギルムさんが作る例のお酒の甘い香りも混ざっていた。
換気もしっかりされているので、僕が倒れるほどではない。まあ、もし換気がされていなかったら倒れていたかもしれないけど。
そんなことを思いながら倉庫内部に目を向ける。
そこには貯蔵用らしい『かめ』が見えた。命の水が入っていた物よりもずいぶんと大きい。それに中型の蒸留器、それに麹を作るための隔離された部屋が用意されている。個人でやる分には十分立派な施設だ。
ほかにもたくさんの木箱が積まれているのが見えた。おそらくは酒の原料なのだろう。
この設備を見て僕は確信した。
ギルムさんが作っているのは、間違いなく『焼酎』だ。
「ちゃんと麹作り専用の部屋も用意したんですね」
その言葉にギルムさんはニヤリと口元を歪めた。
「やれやれ。麹まで知ってるとはやっぱりアルクは変な魔族だな」
「アルクんが変なのは魔族だからじゃなくて、アルクんだからよ」
「そんな僕に協力してくれるお二人も『変』仲間ですね」
「どわっはっは。違いない」
「えー、私は普通なのに」
ヨヨさんが拗ねているが、間違いなく彼女も仲間だ。
「この香りからするとお酒に使っているのは、『サツマイモ』ですか」
ギルムさんが口元に笑みを浮かべ、見せてくれたのは――
うん、サツマイモだ。
ただし皮の色は赤ではなく、白か淡黄色に近い。
「それにしてもアルクは食材の名前を人族と同じように呼ぶのだな」
「といいますと?」
「昔、ドワーフはサツマイモのことを違う名前で呼んでおった。人族に『サツマイモ』だと名付けられるまではな」
「ちなみになんと?」
「食える石だ」
「食える石?」
まあ、確かにイモ類は地下で育つし、見た目も石と言われれば石に見える……かな?
そういえば白の賢者様は、「この世界にある食材のほとんどはキミと同じ国から来た人がつけた」と言っていた。ということは、『食える石』のように、この世界に住む種族独自の名前が付いている可能性があるわけだ。
しかし、その名付けにも問題がある。
それは僕と同じ転生者が名付けをした場合だ。
食材の名前は、住んでる場所によって名前が異なる場合がある。例えば『とうもろこし』は、地域によって『とうきび』だったり、『もろこし』だったりする。
それに転生者次第では、食材にちゃんとした名前を付けていない可能性だってあるのだ。
転生者が『タマネギ』のことを『ミスター』と名前をつけていたら、この世界では『タマネギ』のことを『ミスター』と呼ばないと通じない。タマネギなら目の前にあるじゃないかと言っても、これはミスターですと返されるのだ。そんな『OFUZAKE』はないと思いたいが、絶対にないとは言い切れない。
妖精族のヨヨさんに至っては、キノコのことをイスや船扱いしていた。もはや食べ物の名前ですらないのだ。
イス・船=キノコだなんてヨヨさんと一緒じゃなかったら絶対にわからなかったはずだ。
そう考えると、直接その場所に行って、自分の目で見て、実際に食べないと食材かどうか確かめようがないということになる。
名前だけでは、食材かどうかもわからないからだ。
「もともと食材探しの旅に出るつもりだったし仕方ないか」
僕は小さな声でつぶやいた。
魔王国内だけでなく、ほかの種族が住む土地にも直接行かないと食材を探すのは難しいかもしれない。エルフのニーナさんやドワーフのギルムさんのように他種族の方と知り合いになれば、食材のことを聞いたり、情報交換ができる。だが自分の目で確かめたほうが確実なのだ。
お嬢様のためなら旅くらい苦ではないが、長旅になるとお嬢様のお世話ができない。会えないし、お話しすることもできないのだ。
うーん、行かなくてはならないのだけど気が重い。
「アルクん。ぼーっとしてるけど大丈夫?」
「うぇーい、っと」
気が重くなったせいか返事も重い。
「何を悩んでいるのよ」
「食材を探す旅に出ると、お嬢様に会えなくなるな、と」
「はあ? 執事ゲートでさくっと帰ってこればいいじゃない」
「……ヨヨさん、貴方は天才か」
ヨヨさんの言うとおりだ。
僕にはセイバスさん直伝の『執事魔法』がある。
毎日は無理だとしても、定期的に帰ればいいのだ。
気が重くなりすぎたせいで、頭が回っていなかったようだ。
「そういえばヨヨさんたち妖精族は、砂糖とか花蜜の名前ってどうやって名付けたんですか」
「ん? かなり昔の話だけど、ある人族が『教えて』くれたそうよ。花蜜も、『蜂は関係ないから花蜜がいいね』とかなんとか。加工した砂糖がわかりやすいよう名前を教えてくれたのも同じ人ね」
「はい?」
まさか妖精族に伝わる花蜜と砂糖類の名付け親が人族だったとは。
その人族って間違いなく僕と同じ転生者だろう。
こんな身近なところに転生者の痕跡があったとは……。
もしかして氷砂糖などの製法を妖精族に教えたのもその人じゃないか。
僕は声を落としてからヨヨさんに確認する。
「その人も僕と同じ転生者だったんですかね?」
「そこまではわからないわ」
「いろいろな砂糖の作り方はその人から?」
「いえ、それは違うわ。妖精族の知恵と努力の結晶よ」
どうやら各砂糖の製法自体はもともと妖精族が作り出した物だったようだ。それを区別するために転生者が種類ごとに名前を付けたってことらしい。確かに砂糖にしろ、氷砂糖にしろ、もともと結晶なのでそのままでは区別しにくい。
「あー、なるほど。妖精族の知恵と努力の結晶ですか。結晶だけに?」
その言葉にヨヨさんは、今までにない冷たい目で僕を睨む。
あー、なんか前にもこんな目をしたヨヨさんを見たことがある。
「アルクん。前も言ったけどそれは妖精に対する宣戦布告かしら。砂糖の純化や氷砂糖の結晶化は秘伝中の秘伝と言ったはず。妖精族は砂糖のためなら死すら恐れないわ。甘く見ないことね」
砂糖なのに甘くないとか、なにそれ怖い。
死を恐れないとか妖精の本気が怖すぎる。
砂糖の代わりに地獄を創られてはたまらない。
ヨヨさんの目が怖いので僕は素直に謝っておく。
「ごめんなさい」
「よろしい。ならばクリームだ」
「……クリーム?」
「プリンもつけて!」
以前、クレープに使った生クリームがお気に召したようだ。
しっかり謝罪の品を要求されたことだし、お詫びの気持ちを込めて生クリームたっぷりのパウンドケーキとプリンを作って納めよう。ついでにカスタードクリームもつけておくことにする。
パウンドケーキの材料は――小麦粉、卵、砂糖、バター。
うん、揃ってるな。
生クリームの材料はすぐに用意できるので大丈夫、と。カスタードクリーム用にバニラビーンズとかバニラエッセンスがあるといいんだけど、持ってないのでないまま作ろう。
侯爵様たちには、ラム酒を混ぜて大人用のパウンドケーキを用意しようと思う。ラム酒の香りが味のわからない侯爵様たちの鼻を満足させてくれるはずだ。
しかし、離乳食の食材じゃなくてお菓子の材料ばかり揃っていく。
このままではお嬢様が太ってしまいそうだ。
「ところでギルムさん、このお酒の名前は焼酎ですか」
「いや、まだ名前はつけておらん。だが『ショーチュー』か。なかなかいい名前だな。完成したらその名前もらってもいいか」
「もちろんです(僕が付けた名前じゃないけど)。あと、使う原料によって名前を変えたほうがいいですね。ギルムさんのお酒はサツマイモを使っているので芋焼酎。ほかにも麦、米などで焼酎が作れます。まだ見たことがないですが、栗やそばも焼酎の原料になります」
「……酒の作れる原料を教えろと言うたが、そんなにあるのか」
「これは焼酎だけの話で、ほかにもたくさん原料にできるものがありますよ。リュウゼツラン、リンゴ、トウモロコシなどもお酒になりますね。麦や米など、焼酎と同じ原料を使っても製法によって違うお酒にもなります。あー、花蜜もお酒にできますね……ってどうしました、ギルムさん」
ギルムさんがうつむきながら震えている。
覗きこむと口元がにやけている。にやけまくっている。にやけまくっていやがる。
(……なんかイヤな予感がッ――!)
距離を取ろうと思ったのだが、少しばかり遅かった。
「ぐえぇぇ」
野太いギルムさんに抱きつかれた。
太い腕が背中にまわってベアハッグ状態に、いわゆる鯖折りである。
「背ーぼーねーがー折ーれーるー」
それだけではない。
なんと、頬ずり付きだ!
「ひゃー」変な声が出た。
ヒ、ヒゲが当たる! え? 何? ヒゲがふさふさ? ふさふさでくすぐったいっ。なにこの柔らかなヒゲ! 手入れがいいの? コンディショナーとか使ってるの? いやぁ、ふさふさ怖いぃ。しかもなんか酒臭い! あっ、ダメだ。今、背骨がギシっていった! 折れるっ、背骨が悲鳴をあげてる。
両手でギルムさんの顔を押しのけようとするが、その力が半端ない。ギルムさんの顔の形がひどいことになっているのだが引き剥がすことができない。子供とはいえ僕も魔族の端くれ。決して負けるわけではないが、腕力に酒力が加わったドワーフの力は執事の力を持ってしても太刀打ちできそうにない。
「ヨヨさん! 笑ってないでギルムさん止めて!」
必死な声で助けを求めるも、ヨヨさんは絶賛爆笑中だ。
お腹を押さえ、器用に空中でごろごろと転がっている。「ほひゅ、ほひゅ」と苦しそうにしているので助けは期待できない。
「ギルムさん! 離れてくれないとお酒の製法を忘れそうです」
もふっとしたヒゲに声を荒げる。
その一言で正気に戻ったのか、ギルムさんは抱きつくのを止め、僕の服をパンパンと払って整えた。そして後ろに一歩下がったあと、何食わぬ顔でこう言った。
「いかがなされたかな、アルク様」
「しれっとないことに!? しかも敬語!? 様付けで!」
「どわっはっは。何をおっしゃるのか。お会いしたときからこの話し方ですぞ」
「ですぞじゃない! もとの口調に戻してくれないのなら、お酒の話はなしですぞ!」
「……仕方ないのぅ」
砂糖で戦争を起こそうとする妖精に、酒の話で正気を失うドワーフ。この世界の種族にまともな種族はいないのか!
「わかってくださればいいんですよ。ところでここにはサツマイモ以外の食材はないんですか?」
「あとは……そうだのぅ」
先ほど芋焼酎用に見せてくれたサツマイモは、焼酎用なのか白っぽいものだった。それは黄金千貫に良く似ていた。
しばらくしてギルムさんが集めてきたのは、箱いっぱいのIMO、いも、芋、イモ。まさにイモの見本市だ。
これにはさすがの僕も驚いた。あるところにはあるもんだ。
「こ、これはすごいですね」
「これが我々、ドワーフが主食として食べているイモだな。人族が種類ごとに名前を付けてくれなかったら全部、味の違う『食える石』という名前だった」
さすがに全部『食える石』ではいい加減すぎる。
イモの名前は僕が知っている名前と同じ名前が付けられていた。
ナイス、転生者。
箱からはみ出るほど山となった中には、先ほどの黄金千貫だけでなく、紅さつま、紅あずま、安納芋らにそっくりな各種『サツマイモ』に加え、里芋などのタロイモ類、キャッサバ、そして何より欲しかった『ジャガイモ』の姿があった。
「ようこそジャガイーモ! いもいもほくほく、もいもいくほくほ!」
喜びのあまり、ジャガイモを手にとって踊る僕をギルムさんとヨヨさんが暖かい目で見ている。
ジャガイモやサツマイモは、お嬢様の離乳食にも適した素晴らしい食材だ。そしてその利用方法は幅広い。前から欲しかった食材が手に入ったこの感動をぜひ二人にも教えてあげたい。
「……ヨ、ヨヨ殿。アルクは、だ、大丈夫か」
「大丈夫、心配ないわ。アレで普通だから」
おろおろするギルムさんと冷静なヨヨさんの言葉に暖かみはない。
この喜びがわからないとは、残念な二人である。
「アルクん。これが新しいお菓子の材料になるの?」
「サツマイモは甘いですよー。じっくりと加熱することによって、それはもうねっとりとした濃厚な甘さが広がります」
「「へー」」
……ヨヨさんだけでなくギルムさんも感心したような声を出す。
ギルムさん、イモが主食だって言いましたよね?
気力を振り絞り、ギルムさんに普段の食べ方を聞く。
「ほとんどが蒸かして食べるな。鍛冶場の熱を利用するんだ。あとは焼いて食べるくらいだろうか。味付けは塩だな」
なるほど鍛冶場の熱を利用するのか。
それは実に合理的だ。
それにしてもイモが主食とは地中に住んでいるドワーフらしい。
イモもドワーフも地面の中だし、見た目も……少しだけ似ているかもしれない。いや、さすがに失礼か。
「もしよかったら少しわけてもらってもいいですか? オニキスさんに新しいつまみを教えておきたいんで」
「つまみ!? おー、いいぞ、いいぞ! 全部もっていけ! どうせ引っ越すからな」
その後、ドワーフの国から輸入する分の食材を決めておく。サツマイモを数種類と里芋、キャッサバ、ジャガイモを数種類でいいだろう。種類はともかく量に関しては隊商のリーダーであるヨヨさんに丸投げした。とりあえずはウスイの街で消費する分があればいい。
仕入れ価格は、ヨヨさんがギルムさんの一族、バタータス一族と知り合いだったため、かなりお値打ちに仕入れることができた。今後はギルムさんの一族と『妖精の祝祭』の間で直接やり取りするよう紹介状も書いてもらった。
ウスイの街で育てるための各種種芋は、ギルムさんが持っていたため、これを全て買い取って植えることにした。種芋の殺菌に関しては命の水同様、種芋に祝福が与えられており、問題ないという。祝福の万能感がものすごい。
またギルムさんの引っ越しだが、明日、侯爵様らに同行するつもりだと言う。改めてここにある荷物をどう運ぶか相談された。
そこで、生活用品や家具類のほか、焼酎を寝かしてあるかめや蒸留器、それに各種イモの入った木箱を次々と『執事ボックス』にしまってみせた。どんどん消えていく荷物に、ギルムさんの目が点になっていたが、そのうち僕の執事っぷりに慣れてくれるはずだ。
ヨヨさんが、「執事の仕事って引っ越し屋さん?」と首をひねっていたが、たぶん柔軟体操かなにかだろう。
ただひとつ問題があった。
それは麹部屋だ。これはさすがに僕の『執事ボックス』には入らなかった。ギルムさんに相談した結果、麹だけギルムさんが持っていくということになった。
綺麗さっぱり片付いた倉庫を見ながら、ベッドだけ出しましょうかと話すと今日は宿屋に泊まるという。リバシール最後の夜を酔いつぶれるまで楽しむそうだ。酔いつぶれるという言葉がドワーフにもあったことに驚きながら、僕たちはオニキスさんの店へと向かった。
酒場に顔を見せると、オニキスさんが笑顔で迎えてくれた。
『執事のおとぎ話』はすでに消えていたので一安心だ。
ギルムさんがさっそく手持ちの酒を出してコップに注いでいたがこれは仕方ない。ドワーフだし。
今回、店に来た理由は、魚の塩焼きのほかにもうひとつ、ジャガイモを使ったツマミを教えるためだ。
「ギルムさん、飲んでるとこ申し訳ないんですが、酒のつまみを作るのでジャガイモを蒸かして――」
「よし、任されよ!」
僕の言葉を途中で遮ったギルムさんは、その体に似合わないスピードで勝手に厨房へと走っていった。厨房に彼の姿が消えたとき、オニキスさんが、「え?」と言ってようやく気がつくほどの素早さである。つまみに対する反応が早い。
さてジャガイモはギルムさんに任せて、僕たちも厨房に向かう。
まず行うのは脂の検証だ。
まず、オニキスさんに用意してもらったリヴァイアサンの脂を鍋に入れる。この脂がオリーブオイルの代わりになればいいのだが、どこまで使えるかが問題だった。オリーブオイルもそんなに量があるわけではないのだ。
熱が加わり徐々に油が溶け出してくる。鼻を近づけて匂いを嗅ぐが不思議なことに生臭さはない。透明度も高く濁りも一切なかった。どうやらリヴァイアサンから取れた油はかなり上質な油のようだ。
これは嬉しい発見だった。
しかもリヴァイアサンはでかいだけあって、脂をたくさん取ることができるし、なにより安い。その値段は平民でも余裕で買えるほどだ。平民たちが気軽に使えるのであれば、油を使った料理、例えば揚げ物料理などは流行ることだろう。
「アルクさん、こんなにいっぱいの脂をどうするんですか?」
油がたまった鍋を覗き込みながら尋ねてくるオニキスさんに、「よく見ててね」と伝えた僕は、少量の小麦粉を水に溶いた衣を油の中にいれて油の温度を確かめる。衣は油の中へと沈んだことから、百六十度以下だと判断。
次に洗ったジャガイモをクシ型に切り、油の中に投入する。手順をオニキスさんに説明しながら、揚げる時間とジャガイモを出すタイミングを説明。いい色に揚げ上がったらフォークを刺して硬さを確認したあと油をきる。続いて火を強くし油の温度を上げてから二度揚げ。最後に塩をふって出来上がりだ。
まず一品目は、『フライドポテト』。
「ほい。出来上がったぞ」
いいタイミングでギルムさんが蒸かしたジャガイモを皿に入れて持ってきてくれた。僕は蒸かされて熱々のジャガイモに、縦横と十文字にナイフを入れ、そこにミノスさん特製バターを一塊乗せる。じっくりとバターが溶けだしたところに軽く塩をふれば『ジャガバター』の完成だ。
一品目のフライドポテトに続き、これもまた酒のつまみに最適な一品となる。
更に三品目として魚フライを作ってみせた。
衣を付けて魚を揚げるだけの簡単な揚げ物料理だ。
残念なことに味付けは塩だけ。マヨネーズは作れるが、店で提供できるほどの酢がないため断念した。優先するのはあくまで侯爵家であり、お嬢様である。酢が手に入ったら教えてあげればいいだろう。ウスターソースや醤油もいいのだが、こちらも残念ながら持っていない。
さっそくギルムさんとオニキスさんに味見をしてもらう。
「うおぉぉ! これはうまい! 酒にピッタリだ」
「うおぉぉ! これは熱い! 酒にピッタリだ」
二人とも喜んでくれたようだ。喜んでくれたのはいいが、やはり魔族の味覚は死んでいた。ギルムさんはともかくオニキスさんの感想は味とはまったく関係ないのだ。二人とも酒のつまみにピッタリと同じことを言ってるはずなのに、オニキスさんの感想は作り手としてはなんとも残念な気持ちになる。
ここで一句。
「作り手の心をへし折る魔族かな」
「なにをいまさら。魔族だし仕方ないわよ、アルクん」
「……お嬢様だけが僕の癒やしです」
仕方ないのはわかっているが、はっきり言われると余計に心が折れそうになるというものだ。
オニキスさんとギルムさんはすっかり酒盛りモードに入っているため、彼らを置いて退店することにした。二人に声をかけ、僕たちは酒場の外に出る。
退店間際、念のためにもう一度『執事のおとぎ話』の効果が残ってないか確認しておく。彼らが油で揚げられる悪夢を見ないように。
店を出たあと、やってきたのはレインウォーター川の河口付近。
太陽が真上を超えていることから、とうに昼を過ぎているだろう。
マングローブ化している砂場に足を踏み入れ、食材探しに勤しむ。水が綺麗なおかげで嫌な臭いはほとんどない。
河口付近は鳥の餌場になっているようだ。
足の長い水鳥がそのくちばしを水の中に突っ込んでは、捕まえた魚を丸呑みにしていた。鳥以外にも、浅瀬には小さなカニやハゼのような魚の姿もあった。
浅瀬を軽く掘ってやると、シジミらしき貝がたくさん出てきたので採取しておく。
さらに釣りを試してみると昨日と同じスズキのほか、丸々と太ったウナギを数匹釣り上げることができた。この辺りに住む魚は、釣りに慣れていないせいかほとんど警戒心がないようだ。おかげで昨日に引き続き、入れ食い状態だった。
ただ残念なことにウナギは小骨も多いし、お嬢様の離乳食には向いていない。離乳食を卒業されてから調理することにして、〆てから『執事ボックス』に保存しておく。醤油を発見もしくは作ることができたら蒲焼きを作ろう。
頭の中でたっぷりと脂の乗った『うな重』を思い浮かべていると、風にのって楽しげな歓声が聞こえてきた。
距離があるせいで小さな声だったが、その声は間違いなくお嬢様の声だ。
声を頼りに進むと開けた場所があり、河口付近にちょっとした砂浜が広がっていた。風によって作り出された波が幾度なく砂浜へと打ち寄せ、砂浜特有の波音を生み出している。
その波打ち際に立つのはティリアお嬢様だ。
白いノースリーブのブラウスにフリフリのキュロットスカート姿が実にお似合いである。そのお姿はまるで砂浜の女神のようだ。いや、女神に違いない。
砂浜には侯爵様御夫妻の姿も見える。奥様に日傘を差し出している侯爵様とその侯爵様に寄り添う奥様はいつも仲睦まじい。もちろんセイバスさんとお嬢様専属侍女のイーラさんの姿もあった。
お嬢様は波と戯れておられるようだ。
裸足のお嬢様は、波が引くと同時にその波を追いかけるように海へと近づく。そして打ち寄せる波が近づいてくると、「きゃあ~♪」と歓声を上げ、波の届かない場所へとお逃げになられる。その波が引くと、また水が引いた砂浜と海ぎりぎりの位置まで戻られ、打ち寄せる波に歓声を上げるのだった。
実に無邪気で可愛らしいお姿である。
そのお顔はとても楽しげで満面の笑顔だ。
まさに波打ち際の天使である。
ふと気が付くと波打ち際の天使――ティリアお嬢様がこちらに向かって嬉しそうにぶんぶんと手を振っておられた。僕らもお嬢様に手を振り返し、白い砂浜へと向かった。
「アルクんも波と遊ぶのー!」
僕はそのお誘いを喜んでお受けすることにした。
むしろ断るとかありえない。
お嬢様は楽しそうに波との追いかけっこを楽しんでおられた。一度大きな波がやってきて、お嬢様の手足を濡らしていたが、それもまた嬉しかったようで一際大きな歓声が上がった。
幾度となく波との追いかけっこを楽しんだあと、お嬢様の小さな鼻についた水滴をハンカチで拭く。『執事井戸』で水を作り、お嬢様の可愛らしい足と手を洗っていると侯爵様と奥様がこちらにおみえになった。
「ティリアもアルクと一緒だといつも以上に元気になるな」
「アルクちゃんはお兄ちゃんみたいよね~。イーラお姉ちゃんもいるし」
侯爵様と奥様の言葉に思わず顔が熱くなる。
お嬢様の手足を拭いているイーラさんの顔も真っ赤に染まっている。
「ところで、アルク。いい食材は見つかったか?」
「はい。ギルム氏よりお嬢様の離乳食に最適な食材をわけてもらいました。ウスイの街での生産やドワーフの国からの輸入もヨヨさんにお願いしてあります」
「ほう! 早いな。もう見つけたか」
「恐らく魔王国にはまだ見つけていない食材がたくさんありそうです。例えば……」
砂浜を『執事食器棚』を使って浅く穴を掘る。すると出てきたのは、様々な貝だった。誰も採らないためかその数は多い。
採れた貝は、アサリ、ハマグリだ。
「この貝も……貝と呼ばれるものも食べることができます」
「そんなあっさりと見つかるものなのか」
「……前世の記憶に食材のある場所や育つ環境などの記憶も残っておりますので」
「……そうか。これからもティリアのため、よろしく頼むぞ。……ただ、アルクよ。前世の記憶のせいで辛いことはないか」
「いえ、まったくございません。侯爵家に仕えられる僕は幸せ者です。お嬢様のためにも全力で食材を見つけ出してみせます」
「わかった」
「でも無理はしちゃだめよ~」
侯爵様と奥様は僕の言葉に微笑むと、改めて侯爵様から、「頼む」とおっしゃられた。僕は侯爵様の言葉に深くお辞儀をして感謝を伝える。セイバスさんやイーラさんも満足気な顔で口元に笑みを浮かべていた。
ただお嬢様はそんな僕たちの様子を不思議そうな顔で見ていた。
「アルクん。どーしたの?」
こてんと首をかしげるお嬢様に視線に合わせるため、その場でしゃがむ。
お嬢様には、僕が前世の記憶を持っていることを話していない。まだ話す時期ではないと侯爵様たちも言ってくれた。もう少し大人になられてから話せばいいだろう。
「お嬢様のためにいっぱい美味しい食材を探してきますね、と約束をしていたんですよ」
「美味しいのがいっぱいなの!?」
「たくさん探してきますからね、お嬢様」
「わーい! アルクん、大好き!」
「お、お嬢様!?」
お嬢様に抱きつかれた。
軽い挨拶程度のハグとはいえ、お嬢様のぬくもりと花畑のような甘い香りが鼻をくすぐる。頬を撫でるふわふわの赤毛も柔らかく心地よい。
どこぞかのヒゲ酒樽の感触はこれで綺麗にリセットされた。ついでに記憶からも追い出しておこう。酒樽に詰めて不幸のボトルメールとして海にポイだ。
また、お嬢様の大好きという言葉は絶大な破壊力だった。
僕の忠誠心メーターの針は振り切れたままだ。いつも振り切れているがメーターから煙がでているに違いない。今なら大神官様ですら倒せる気がする。……やらないけど。
心を落ち着かせた僕はいつものように冷静な声で、「おおおおおまかせくだしゃひ」と言葉を返す。完璧だ。完璧な返答だった。お嬢様に動揺したところなど見せては執事失格である。
奥様が、「あらあら~」と楽しげな声を上げておられるが、隣に並ぶ侯爵様の目が笑っていない。専属侍女イーラさんの目も怖い。彼女の目からは殺気すら感じられた。うん、あまり刺激しないようにしよう。
その後、砂浜で貝拾いをしばし楽しむ。
お嬢様はピンクの小さな貝がらを三つ拾い、「宝物なのー」と大事そうに持っていた。そのうちの二つは、妹のように可愛がっているシュリーとお姉ちゃんと慕うヒミカさんに渡すそうだ。
心優しいお嬢様に癒やされつつ、僕たちは代官邸へと戻るべく砂浜を後にした。
この日の夕食。
手に入れたジャガイモを使って作ったのはポテトクリームコロッケだ。お嬢様は大層気に入ってくれたようで、なんとおかわりまでしてくださった。これにはレイゴストさんを始め、代官邸の料理長も大喜びだ。
また侯爵様や代官親子には、お酒のつまみとしてフライドポテトやジャガバターをお出しした。侯爵様方は熱いポテトをほふほふしながら冷たい酒を流し込むのがたまらないとおっしゃっていた。
さて、そのジャガバターだがお嬢様から熱い視線を送られている。
とろりと溶ける黄金色のバターとジャガイモから立ち昇る湯気がお嬢様の心を掴んで離さない。じっとジャガバターとにらめっこをしている。
お嬢様の姿を見て、ふと、あの日のことを思い出す。
それは奥様の飲むスープをお嬢様が飲んで大泣きされた日のことだ。そのとき起こった騒動によって僕は死にかけ、白の賢者様に会った。そしてお嬢様のために毒のない食材を探すことになった。
あれからあまり日も経っていないのだが、美味しそうに料理を楽しんでおられるお嬢様の笑顔を見ていると、もう昔のことのように思える。
お嬢様のその様子に気がついた侯爵様は、冷ましたジャガバターをスプーンですくい、『あーん』と言いながらお嬢様に差し出した。『あーん』と大きく口を開けたお嬢様が、ぱくっとジャガバターを口にする。
ジャガバターを口にした瞬間、お嬢様の顔が輝かんばかりの笑顔になった。少し熱かったのか、「はふぅ」と可愛く息を吐く。
「美味しいのー! とぉさま、大好きなのー」
その言葉に侯爵様も嬉しそうだ。
それはいいのだが、なぜか侯爵様は僕にドヤ顔を向けていた。よく意味がわからなかったが、とりあえず笑みを返し、うなずいておく。奥様が、「大人気ない」と苦笑しておられたがその理由もわからなかった。
侯爵様が満足気だったので良しとしよう。
今日の料理には使っていないが砂浜で採取したアサリ、ハマグリ、シジミは身も厚く味も濃厚だった。砂抜きをしっかりやれば、嫌な食感もない。
また、心配した貝毒もなかった。毒物発見器の僕が食べて大丈夫なのだから間違いない。自ら毒物発見器と名乗ったことのほうが、僕の心を蝕んでいるくらいなのだ。もちろん試食時には毒無効の指輪は外して試している。
ただ貝類も離乳食向きではない。今のお嬢様には弾力のある貝の身が固く食べづらいはずだ。
そのため貝類は侯爵様のおつまみにすることにした。今度、リバシールに来たときには海の中も調べてみたいと思う。これだけ貝類が豊富なら、アワビやサザエなどもあるだろう。今回は探してないが、ワカメやコンブもあるかもしれない。次にこの街に来る日が楽しみだ。
食事も終わり、残すはデザートのみ。
デザートには、ヨヨさんご依頼の生クリームとカスタードクリームたっぷりのパウンドケーキ。更に妖精族に最強と言わしめたプリンをつけた。パウンドケーキはラム酒入りとラム酒なしの二種類を用意。ラム酒が入ったものは侯爵様御夫妻と代官親子に、ラム酒なしはお嬢様とヨヨさん用だ。
生クリームとカスタードクリームがたっぷり乗ったパウンドケーキに、お嬢様は目を輝かせながら頬張り、ヨヨさんはプリン最強と何度もおかわりをしてくる。そんな二人の様子を見ていると、自然と笑みがこぼれる。お嬢様の勢いがすごくてパウンドケーキも少々皿からこぼれているが、それはご愛嬌だ。
大人用に作ったパウンドケーキから香るラム酒は侯爵様だけでなく奥様も魅了した。奥様から、「このお菓子も香りが素敵ね。大人気間違いなしよ~」とお墨付きをいただくことができたのだ。これも隊商やほかの貴族たちに売ることにしよう。
奥様の言葉からもわかるように、魔族の国に料理を広めるためには、『香り』が重要になるだろう。そうなるとドリアードのリリアルさんが育てているハーブの存在が欠かせない。彼女からハーブ園への招待状をいただいているので、ぜひ協力を仰ぎたいところだ。
和気あいあいとした時間は、あっという間に過ぎていく。
明日は侯爵様のお屋敷のあるウスイの街へと出発だ。
さて、次の日の朝。
青空が広がり、雲ひとつない快晴となった。
出発にふさわしい素晴らしい一日となりそうだ。
見送りには、代官のセルムさんとその息子であるライオットさんと料理長をはじめとする代官邸で働く使用人たち。この使用人たちもお嬢様の可愛らしさに目覚めていた。代官よりも厳選した魚をお嬢様に送ると何人もの使用人が約束している。これには代官も苦笑いだ。ここの使用人たちも味はわからないはずなのに、何を厳選して送るつもりなのだろうか。あえて追求しなかったが少し心配になる。
また『リヴァイアサンのヒレ』のオニキスさんの姿があった。彼は今後のリバシールの発展に欠かせない人物となるだろう。
そんな代官たちに見送られながら、僕たちは街を出てウスイの街へと向かう。お嬢様は馬車の窓から顔を出して代官たちに手を振っていた。それに答えるように代官たちも手を振り返していたが、それは姿が見えなくなるまで続いたのだった。
僕は馬車の操作を学ぶべくセイバスさんと一緒だが、ドワーフのギルムさんは後ろに続く使用人たちが乗る馬車に同乗している。酒盛りをしていないか心配だが、たぶん大丈夫だろう。……大丈夫だと思いたい。
ウスイの街に続く街道は整備されており、馬車で移動しても振動はあまりない。セイバスさんの『執事ゲート』を使えば街まであっという間なのだが、今回はお嬢様が外の景色を見たいとおっしゃられたため、お昼までは街道沿いを進むことになっている。その間、僕も馬車の操作を学べるわけだ。
馬車を走らせること数時間。
最初ははしゃいでいたお嬢様だが、どうやらお疲れになったようで今はぐっすりと『おねむタイム』に入られていた。お嬢様の相手をしていたヨヨさんも一緒に眠ってしまったらしい。
お嬢様もお休みになられたことだし、お昼も近い。そろそろ執事ゲートでウスイの街に移動しようということになり、セイバスさんは馬車を街道の脇に寄せる。
ちょうどそのときだった。
セイバスさんが、「ワイバーンですな」と声を上げた。
空を見上げるセイバスさんの目を追ってみるが、ワイバーンの姿はない。だが、しばらくすると青空の中、小さな影がこちらへと向かってくるのが見えた。それも一つではない。数にして6つ。徐々に近づいてくるそれは、紛れもなくワイバーンだった。
セイバスさんの索敵能力の凄さに感動していると、馬車から侯爵様と奥様が降りてこられた。
「ほう。ワイバーンか。ちょうどいい。肉質を確認しておくか」
「あら~。こんなところでワイバーンなんて珍しいわね」
「旦那様、奥様。馬車の中にお戻りください。私は反対でございます」
セイバスさんが困った顔で言う。
まるでお二人が今から何をしようとしているのかわかっているような口ぶりだ。
「セイバス。いいではないか。それにワイバーンの肉質を確認することは通商貿易局としても大切な仕事だぞ」
セイバスさんにその意味を聞くと、どうやらワイバーンの干し肉は輸出品として龍族と取引しているらしい。だからこそ通商貿易局の仕事だと侯爵様が言ったのだ。
「それは局長の仕事ではございません」
ばっさりと否定するセイバスさんだったが、侯爵様が引く様子はない。セイバスさんは諦めたように、ご武運をと言って馬車の警護にまわる。
「だ、大丈夫なのでしょうか」
「問題ありません。アルクくんは侯爵様と奥様のお力を見るのは初めてでしたね。せっかくなので見ておくといいですよ」
あっさり引き下がったセイバスさんが、ため息交じりに問題ないと答える。どうやらセイバスさんの反応からこれまでも同じことが何回かあったようだ。
セイバスさんは大丈夫と言うが、本当にお守りしなくてもいいのだろうか。
その間にもどんどん近づいてくるワイバーンの群れ。
侯爵様と奥様はまるでパーティの主役席に向かうかのように馬車から離れる。侯爵様が奥様をエスコートするその姿は、今からワイバーンと戦うとは思えないほどの落ち着きようだ。
遅れて、戦斧を持ったギルムさんとレイゴストさんが馬車を守るように立ちふさがる。どうやらギルムさんも戦闘経験が豊富なようだ。ワイバーンを恐れるような素振りはない。それよりも貴族である侯爵御夫妻を前に立たせていることに驚いていた。
馬車を引いていた六本足のスレイプニルもワイバーンを見上げているが、怯えた様子は全くない。さすがは侯爵家の馬車を引くだけのことはある。同じ魔物であるためか肝も座っているようだ。
(肝か……)
スレイプニルの肝はうまいのかなと思った途端、四頭のスレイプニルが一斉に僕を見た。その目は完全に怯えている。王都を出る前と同じ反応だった。彼らにとってはワイバーンよりも僕の食欲のほうが恐ろしいようだ。
彼らを落ち着かせるため、彼らの首筋をそっと撫でてやる。手を置いた瞬間こそ、ビクッとしたがあとは大人しいものだ。誤解はとれたに違いない。撫でてる間ずっと震えていたのはワイバーンを目にしたときの武者震いか何かだろう。
そしてこの日、僕は侯爵御夫妻の力を初めて見ることになった。
今回登場したパウンドケーキは、針ミシン様のアイデアを使わせて頂きました。
針ミシン様、ありがとうございます。




