第九十一話 一夜の物語
今、僕は暗くなった夜の港街を一人で歩いていた。
代官の屋敷に通じる住宅地区はひっそりとしている。家々の明かりもまばらで外を歩いている住民もほとんどいない。港街特有の潮の香りが鼻をくすぐる。薄闇の中、波が打ち寄せる音と街の石畳を歩く僕の足音が心地よいリズムを奏でていた。
一人で歩いているということは、いつも一緒にいるヨヨさんはここにはいないということだ。彼女にはひとつ用事を頼んである。そんなに時間はかからないと言っていたのであとで合流できるだろう。
またインプもリバシールに着いてから、ちょっとしたことを命じているのでここにはいない。今を思えば、悪魔が海で泳げるか試してからでも良かったと軽く後悔している。
もちろん侯爵様と代官には外出許可をもらっている。
お嬢様はすでに夢の中だ。今頃は夢の中でお魚さんたちと遊んでいることだろう。
僕が向かっているのはこの先にある商業地区だ。
今日の夕食の際、代官があるお酒を出した。
無色透明のそのお酒はこの街に住むドワーフから手に入れたものだそうだ。魔王国にドワーフが住んでいたことに驚いたものの、僕はその酒が持つ独特の香りに覚えがあった。
少し開けた場所で歩みを止める。
どうやらこの辺りから商業地区に入るようだ。特に門のようなものがあるわけではないが、足音響く静かな住宅地区と異なり、同じように夜の帳が降りたはずの商業地区は夜を楽しむ魔族たちで賑わっていた。
だが、さすがにこの時間になると僕のような子供が一人で歩いているのは珍しいのだろう。普段着の僕とすれ違った連中が訝しげな目を向けてくる。
商業地区の中心にある広場まで来ると、そこは多くの魔族で賑わっていた。待ち合わせなのかそわそわした様子で立っている若い男、誰かを探すようにポニーテールを揺らす小走りの中年女性、近くにあるお洒落な店から出てくる落ち着いた雰囲気の老夫婦、腕を組み、寄り添いながら楽しそうに笑い一組の若い男女の姿などがあった。
まぁ、若い男の顔が魚だったとか、老夫婦の身長差が一メートルを超えてるのは、ここが魔族の国だからとしか言いようがない。
魔族は高位の魔族になるほど人族と容姿が似てくる。だが、中にはメイドとして侯爵様に仕えるラミア族のラミさんや森で知り合ったシュリーカー族のように、姿を変えることができる種族も存在している。
魔族は自分の魔種族を隠す。
それは己の弱点を隠すためでもある。そういった意味では、魔族たちは見た目だけでは決して判断できない種族だ。もちろんミノタウロス族のミノスさんや河童族のソーサさんみたいに隠そうとしても隠せない種族が多いのも事実ではある。
改めて商業地区の賑わいに目を向ける。
商業地区にある店はこの時間になっても明かりが消えることがない。その多くが酒場や大人の雰囲気あふれる店で、夜こそが彼らの稼ぎ時となるからだ。港街というと朝早く漁に出かける漁師たちの街というイメージだが、普通の魚をとる漁師がいないこの街では関係なさそうだ。
多くの魔族たちが夜のひとときを楽しんでいる。
夜、出歩くことができるということは、街の治安が良いということにほかならない。街の衛兵たちが夜も巡回していることがこの街の治安に一役買っているのだろう。
僕は広場から少し離れた場所にある一軒の酒場の前で立ち止まる。
(ここで間違いない……な)
入り口に掲げられた看板を見て、店の名前を確認する。
この店は宿屋と酒場がひとつになっていた。酒場と宿屋を兼業している店は大きい街など、人と物流の要となる場所、もしくは街道沿いの村に多い。ここに来るまでに同じような店が何軒もあったが、どこもそれなりに混んでいた。
店の外観は潮風のせいなのか、どことなくくたびれた印象だ。だが中から聞こえてくるのはその印象を吹き飛ばすほどの賑やかさだった。
目の前にあるこの店の名前は『リヴァイアサンのヒレ』という。
よしきた!
酒、ヒレときたら『ヒレ酒』である。
この店はヒレ酒を出すに違いない。
と、ここまで盛り上げておいて言うのもなんだが、勝手に妄想しているだけで本当にあるとは思っていない。ヒレ酒や骨酒は味覚に優れた種族だけの特権なのだから味オンチの魔族がわかるわけがない。
頭の中で店の名前をいじったあと店内を覗く。
十歳の僕が普通に店に入っても追い出されるだろうなぁ、と思いながら聞こえてくる話し声にしばし耳を傾けた。
――おう! 飲め、飲め。
――うちのかみさん、酒飲むなっていうんだよ
――ぶはは。うちもかかぁがうるさくてなぁ
――ぐえっへっへっ
――ちくしょー!
――◯◯さん、◯◯さん好きなんですぅ
――おーおー! 残念だったな
――はえぇよ!
(やれやれ、どこの酒場もこんなものか)
このまま立っていても仕方ない。
僕は店内へと足を進める。
酒場へと足を踏み入れると、さっきまでの喧騒がピタリと止み、店内の客が一斉に僕を見る。
軽く見回すと酒場はほぼ満席で、ほとんどの客はすでに『できあがった』状態だ。ワインをジョッキで飲んでいる連中が多いが、中にはカウンターでグラスに入った透明な液体を静かに飲む魔族もいる。
どうやらあの透明な液体こそ、ドワーフの酒のようだ。酒場の中にもうっすらとその香りが漂っている。
もののついでにつまみと思われる料理を見ると、干したリヴァイアサンやワイバーンとおぼしき干し肉が見えた。つまみなのか保存食なのか普段の食事なのか区別がつかない。どうでもいいことだが、ワイバーンの干し肉を食べている客の比率は約八割と非常に高い。
もう一度言うが、この店の名は『リヴァイアサンのヒレ』である。
つまみとはいえワイバーンに負けている。
リヴァイアサンの立場がない。
ほかにも色鮮やかな植物の炒めものや、いかにも毒持ってますという色をしたキノコの串焼きが見えた。実に魔族らしい色合いのつまみだ。凝視していると目がチカチカして、胃がムカムカしてくる。僕にとっては確実に即死コースのつまみだ。つまみなのにつまめないものばかりだった。
そんな酒場の様子を見ていた僕に投げかけられるのは酔っぱらいたちの笑い声と罵声である。
「ぶはは。おいおい。ここはガキが来る場所じゃねぇぞ」
「坊やは帰ってママのミルクでも吸ってな」
「「かーえーれー、かーえーれー」」
まるで台本があるかのようなお馴染みのセリフに感動すら覚える。全世界モブキャラ専用セリフ大全集・酒場編に書かれているに違いない。それをしっかりと暗記して本番に備えるとは、なかなかできることではない。モブの鏡である。最後の帰れコールの男たち数人はセリフを覚えきれなかった三流モブたちだろう。
そんな連中に対し、ワザと相手をバカにするように鼻で笑う。肩をすくめ、やれやれと首を左右に振りながら同時にやるのが効果的だ。何が効果的なのか、その結果を見るためにも、酔っ払いたちを無視してカウンターへと足を進める。
「ふざけんな、このガキ!」
その結果がこれだ。
一人の男が怒鳴り声を上げた。
その声に僕を煽っていた連中の声も小さくなる。
僕の態度がお気に召さなかったのだろう。
彼の『煽り耐性』はずいぶんと低い位置にあるらしい。
効果的な『煽り』によって、一人の男を釣ることができた。
さすがは港街。魚も釣れるし、酔っ払いも釣れる。
声の主を探すとこちらを殺気の混じった目で睨む男がいた。
その男はオーク族だ。オーク族は中位魔族に分類されている魔種族のひとつで、強靭な肉体を持っている。緑色の肌で下から生えた太い牙が特徴だ。
男は大きな口を開け、その牙を剥き出しにしながら僕を威嚇している。
オーク族の男は手に持っていた酒を一気に流し込むと、持ってるジョッキをテーブルに叩きつけながら立ち上がった。緑の肌が赤くなるほど酔っているようだ。立った瞬間ふらついていることから、かなりの量を飲んだらしい。
「おい! ガキ! 大人を無視するとは、いい度胸してんじゃねぇか! 痛い目見ねえとわからねぇか?」
「おい! 大人! 子供相手に怒鳴るとは、いい性格してんじゃねぇか! 痛い目で見られていることがわからねぇか?」
即座に言い返した僕の言葉に、酒場は更なる静寂に包まれた。
だがそれも一瞬のこと。
酒場にいた酔っ払いどもが一斉に笑い出し、立ち上がった男に嘲笑めいた言葉が投げかけられる。子供にバカにされている、子供ってどっちだっけ? 帰ってかみさんに慰めてもらえよ、などなどだ。
いやぁ、煽る、煽る。
それらの声に突っかかってきた酔っぱらいの顔は今まで以上に赤くなった。周りの酔っ払い連中を睨みつけているが、その足はふらふらだ。
「っざけやがってぇ」
顔の赤いオーク族の男は、足をもつれさせながら千鳥足でこちらに近づこうとしている。だが、千鳥がこの場にいたら、「こんなにひどくありません」と真面目な顔で抗議してくるはずだ。それはそうだろう。なんといっても千鳥はこのオーク族の男のように平らな床で何度もつまずくことはないし、動きも軽やかなのだ。
周りの量産型酔っぱらい連中は、「やっちまえ!」、「バカにされたままでいいのか」と更に男を煽っていた。もはや酒場は混沌と化している。混沌にさせているのは周りの酔っ払いであり、混沌の元凶は酔っ払ったオーク族の男である。
決して僕のせいじゃない。鼻で笑って無視しただけだ。
本当だよ?
魔族だろうとなかろうと種族に関係なく酔っぱらいの行動は似たようなものだ。それに加え、絡まれると面倒くさいと感じるのも種族に関係ない共通した思いだろう。
酔っ払いは進んでないように見えて徐々に僕へと近づいている。
三歩進んで二歩下がって半歩進むくらいの速さだろうか。
たまに横方向へ足を出すので進んでないのかもしれない。
だが、せっかく釣れた獲物だ。
目的のためにも、『鴨ネギ』として大切に調理したい。
そう言えば、以前、白の賢者様がこの世界にネギはあるが味噌はないと――ヨヨさん経由で――教えてくれた。
だが、大豆は見つけてあるので味噌が欲しければ作ればいい。白の賢者様からもらった前世の知識と技能の中にも味噌の作り方などの知識と技術があった。いつか『発酵やろ? ええチーム』を結成して、良い味噌を作りたい。もちろん女性も参加可能だ。
オーク族の男はすでに残り二歩の位置にまで近づいている。
僕は『執事井戸』を展開。
その瞬間、『執事井戸』によって生み出された水が男の頭に降りかかる。
「ふぇうぉっ!?」
まともに水を被った男はどこから出したのか面白い声を上げた。
何が起きたのかわからないのだろう。呆然とした顔の酔っ払いは足を止め、首だけを動かして酒場の天井を見上げていた。
水をかぶったことでかなり酔いが覚めたようだ。肌の色も赤から緑に戻りつつある。さすがは毒に強い魔族だけのことはある。
しばらくして男は首を何度も左右に振りながら顔にかかった水を飛ばしはじめる。その水しぶきが飛んできたであろう客が嫌そうな顔をオークの男に向けた。
ほかの客は突然起きた水難に何事かとざわついている。
男の足が止まったのを確認した僕は、すぐさま執事魔法『執事のおとぎ話』を酒場全体に展開。
この『執事のおとぎ話』は、催眠術や暗示をかける執事魔法だ。
対象は個人または場所。もちろん抵抗されれば意味はない。
本来はお嬢様の寝付きが悪いとき、「ご本を読んで」と言われ、より心地良くお眠りいただけるよう作った魔法だった。
しかし、緊急でもない限り、おやすみ直前のお嬢様の部屋に男である僕が入れるはずもない。更によくよく考えて見ればお嬢様に催眠術をかけるなど不敬極まりない行為だ。もちろん即刻、記憶の奥底にしまっておいた。
当時、お嬢様は生まれたばかり。
いつかお役に立てるだろうと勢いだけで作った執事魔法だった。
まさに黒歴史魔法とも呼べる魔法である。
ただ、この魔法。
不思議なことに作ったというより自然と頭に浮かんできた魔法だった。
無意識だったものを意識するようになった感覚、もしくは思い出すように浮かんできた魔法なのだ。
この感覚について最近、思うことがある。
当時は知らなかったが僕はフォメット族だ。
フォメット族は魔族を操る能力を持つ魔種族。
そのことを知った今だからこそ思う。
魔族を操る能力を持った魔族だからこそ、催眠術や暗示をかける魔法が自然と浮かんできたのだろう、と。
いずれにせよ、お蔵入りした執事魔法だ。
この魔法のことは誰にも言っていない。
僕にその気がなくても、相手を操るような魔法を持っていると知れれば、いい顔はされないだろう。お嬢様はもちろんのこと、侯爵様御夫妻やほかの使用人たちには言えないし、絶対に使わない。万が一、使ったとしても精神異常耐性の高い侯爵様御一家ら高位魔族には効かないだろう。
誰も知らない、誰にも言えない黒歴史。
そう! この魔法の誕生は真・黒歴史とも呼べる幼き執事が暴走した結果なのだ。
……でもまあ、ほかの魔族連中には遠慮無く使うし、事実、今日初めて使った。
いざというときのためにも、実験しておきたい。
皆が何事かと騒いでいる隙を狙い展開した『執事のおとぎ話』の中、ずぶ濡れの男と酒場の客に聞こえるように声を出す。その声に声色を変える『執事ボイス』を乗せ、自分の声をやや低く、かすれた声に変えておいた。もちろん以前の実験みたいに全力で使うことはない。
どんな声なのかというと、「やだなー、怖いなー」の一言で人々を恐怖に陥れる死者の使いが持つ声、と言えばわかりやすいだろうか。
「ねえ、おじさんたち。さっき女の人が街を歩いていたけど心当たりはないかい?」
「はぁ? 女の人だぁ?」
そう言ったのは、店の奥に座っている魔族の男。
「うん。その女の人は誰かを探しているようだった」
「誰かって誰だよ!」
これを叫んだのはさっきとは別の男だ。
「さぁ、誰だろう。この中に知り合いがいるかもね」
突拍子もない話にも関わらず、酒場の連中は僕の話を聞かずにはいられない。
『執事のおとぎ話』の効果によって僕の話に惹きつけられているからだ。
「でもね、その人すごく怒っていたんだ」
「だからさっきからなんなんだっ!」
水も滴るダメオークが立ったまま睨み返してくる。
その視線に対し、まばたきをせず、目を見開いて受け止めてやると、男は怯えるように一歩下がった。
「ところで、こんな話知ってるかな?」
「ど、どんな話だ」
暗示をかける『執事のおとぎ話』と声を変える『執事ボイス』の効果で、心臓を掴まれたように顔を青くしたオークの男が震える声で聞き返す。僕の前に立つ男の震える声が周りに広がり、静かになった酒場が少し肌寒く感じるのは気のせいではないはずだ。
「ある国に『酒は飲んでも飲まれるな』って言葉があるんだよ」
「そ、それがどうかしたか」
「なぜそんな言葉が生まれたと思う?」
「そ、そんなのし、しらねえよ……」
男の声は震えたままだ。
男を尻目に軽く周りを確認すると酒場の連中は僕の話に集中している。
連中は酒で酔ってるせいか少し視線がおぼつかない。
「ある日のことさ。酒癖の悪い男が奥さんに殺されるという事件があった。なんでも酒浸りの旦那に愛想を尽かした奥さんが、『そんなに好きならたっぷり飲むがいいさ!』と旦那を酒樽に閉じ込めた。数日後、奥さんは何かに取り憑かれたように旦那を漬けた酒で酒盛りをし始めたそうだ。つまみ片手に毎日毎日飲み明かしていたらしい。しかも旦那の飲み仲間にもその酒とつまみを振る舞ったそうだよ。そこから生まれたのが、『酒は飲んでも飲まれるな』って言葉さ。酒に漬けられ、奥さんや友人に飲まれないように、って意味なんだろうね。結局、奥さんの自白によってこの件は解決したんだけど、結局、旦那の死体は見つからなかった。ただ、その酒はほんのり赤く、樽の内側には引っ掻いたような傷が無数にあったそうだよ。まあ、ちょっとした昔の事件さ」
一通り喋ったあと僕は酒場にいる連中を見回し、にやぁっと笑う。
誰が鳴らしたか、ごくりとつばを飲む音が酒場に響いた。
周りの様子を見ると、『執事のおとぎ話』に抵抗できた酔っ払いはいないようだ。
「樽に閉じ込められた旦那はどこにいったんだろうね…………」
「…おい、やめろ」
気がついた男がいるようだ。
その顔は真っ青になっている。
「あぁ、そういうことさ」男を見ながら僕はうなずく。
「なんだよ! 旦那はどうした! 何があったんだよ!」
何も気がついてなさそうな男が声を荒げる。
「わからないかい? ほら、酒と一緒に振る舞われたものがあったでしょ」
「……え」
「ま、まさか……つ、つまみって」
酒場のあちこちでガタタッとイスを引きずる音が聞こえた。
より一層、静まり返る酒場。
温かいはずの室内は雪山の山頂のような寒さが支配していた。
そんな静寂に耐え切れないかのように一人の男が口を開く。
「お、おまえの嫁さん。怒ると怖いよな」
「おい、やめろ! お前のところもだろ!」
数人の男たちを皮切りに途端に騒がしくなる酒場。
「やべぇよ。今日で三日連続だ」
「……俺なんか、もう八日連続、ここに来てる」
「そういや、うちのかーちゃん。この前、樽買ってたな。リヴァイアサンの塩漬け用の樽だと思っていたけど。……ま、まさかな」
「う、うちも今日買ってくるって言ってた」
「まさか、誰かを探している女ってうちのかみさん……じゃないよな」
ただ騒がしいだけで言葉そのものに熱気はなかった。声を出さないと耐えられない。そんな空虚な会話が続く。そんな空気の中、酒とつまみに手を出すものは誰もいない。
今はちょうどリヴァイアサンの塩漬けを作る時期だ。
街の外でも大量のリヴァイアサンが干してあったのを僕は見ている。
酔っ払いたちの家でも塩漬け用の樽を用意し始めた頃合いらしい。
相手が酔っていることとほんの少しの偶然が重なり、僕の『作り話』は思っていた以上に効き目があった。僕にとってはいい感じに、ここの連中にとっては悪い方向に暗示がかかっている。
僕は、「女の人が探している」という話と、「旦那を殺した奥さんの話」をしただけだ。それを奥さんが探してると思うのは彼らの勘違いと暗示のせい。それにも関わらずここにいる連中の顔色は悪かった。
それにしても奥さんをないがしろにして酒を飲みに来てる魔族が多すぎじゃないだろうか。もっと奥さんを大事にしてあげてほしいものだ。
侯爵様も代官も奥様に頭が上がらないようだったけど、そこは貴族も平民も変わらないみたいだ。
水をかぶったままの元・酔っぱらいのオークも青い顔のまま呆然と立ちすくんでいる。その足は若干震えていた。
――と、そこへ。
「あんたっ! ここにいたのかい!」
「ひっ」
突然の声に、目の前の男が悲鳴を上げる。
酒場の男たちも一斉にその声の主に目を向けた。
僕が振り返るとそこには胸の前で両手を組み、酒場の入り口に立ちふさがるポニーテールの女性がいた。よく見ると若干肌の色が緑っぽく、小さな牙がちらりと見える。この女の人もオーク族だ。その目はきつく、僕の前に立っている元・酔っぱらいのオーク男を睨んでいた。
(あれ? この女の人。さっき商業地区にある広場にいた女性じゃないか?)
誰かを探していたようだけど、目の前で立ちすくんでいる男の知り合いのようだ。
いや、さっき『あんた』って呼んでいた。
ということは、まさかこの人が旦那さんか。
デマカセ言ったのに本当に奥さんが探していたようだ。
酔っていれば多少は強気に出られただろう元・酔っぱらいの旦那さん。しかし、水をかぶった今、すっかり酔いも覚めている。女の人が探しているという作り話がまさかの現実になったもんだから、青かった顔色もいまやすっかり土気色だ。足の震えは先ほどの比ではない。
「あんた! また飲んだくれて。リヴァイアサンを塩漬けする手伝いはどうなってるんだい! 約束したじゃないか!」
「ち、違うんだ、かあちゃん」
「何が違うってんだい! ふざけるんじゃないよ! 毎晩、毎晩飲み歩いて!」
「ま、待ってくれ! お、俺は……」
「言い訳は聞かないよ! そんなに酒が好きなら頭から樽に突っ込んでやろうかね!」
その言葉に旦那さんが、「「「「ひぃっ」」」」と声をあげた。
いや、旦那さんだけじゃなかった。ほかの旦那さんたちもだ。そしてその悲鳴を合図に、酒場にいた客全員が立ち上がる。その顔はまさに必死の形相だ。男たちはまるで何かに強いられるように酒の代金を置き、我先にと酒場から逃げるように慌てて出て行った。
奥さんは、「な、なんだい、まったく」と酒場から出て行った男たちを見送り、ほっと息を吐いた。入り口前に立つ奥さんも酒場にいる酔っ払いたちが一斉に自分の方へ向かってきたため、内心は怖かったのだと思う。実際は、誰もオーク族の奥さんとは目を合わせなかったし、むしろオーク奥さんからしっかり距離をとっていた。それはまるで奥さんの周りに見えない障壁があるかのように感じられた。これを奥様バリアと名付けよう。オーク様バリアという名前もありだ。
それにしてもこの『執事のおとぎ話』、少し効きすぎのような気がする。
いくら奥さんが怖いからと言っても、さすがにパニックを起こせるような効き目はない。酒を飲んで酔っ払っていたとしても不自然だ。これも自分がフォメット族であることが関係しているのだろうか。
まあ、それはいい。
問題は一人残された旦那さんだ。逃げ遅れたとも言うし、逃げられなかったとも言う。旦那さんは悲鳴を上げたあと、固まったまま動かない。
ピシッと直立したまま、いや、ギチッって感じのほうがふさわしい。
さすがに可哀想だし、事を大きくしても面倒だ。
ここはひとつ助けてあげよう。
「お姉さん、お姉さん。そのおじさんは僕をここに案内してくれただけさ。僕が酒場に連れてきちゃったようなものだよ」
「ん? なんだい坊や。それにこんなおばちゃんに向かってお姉さんだなんて、やだよ、もう」
太い腕を鞭のように振り回しながら頬を赤くして照れるおばちゃんと、その鞭が当たらないよう祈るような目で奥様を見る青い顔した旦那さん。その顔色は実に対照的だ。
「うちのが案内しただって?」
「うん。そうなんだ」
「あんたっ! 本当かい」
「お、おう。ぼ、ぼ、ぼ、坊主の言う通りだぜ、ぜ」
旦那、狼狽えすぎである。
それはまるで浮気現場の証拠を突きつけられた男のようだ。
「ふーん。ならそういうことにしとくかね」
旦那さんは女性のスキを見て、「ありがとよ、坊主」な雰囲気で手を合わせている。
「ところであんた! なんで濡れてるんだい?」
「お、おぅ。それはだなぁ……あれだ……その」
「僕が転んで、水をかぶりそうになったときに助けてくれたんだ」
「へぇ。坊やがかぶらなくてよかったねぇ」
奥さんはハンカチを取り出し、「いいとこあるじゃないか」と旦那さんを拭き始めた。実に優しい奥さんである。腕は太いけど。ちょっぴりのぞく牙も怖いけど。
「ところでなんだってキミみたいな子が酒場なんかに?」
「お父さんに頼まれたお酒を買いに来たんだよ」
「偉いねぇ。でもお父さんに飲み過ぎないように言っておくんだよ」
女性は濡れた旦那さんを一瞥したあと僕に向かって笑う。
「そうじゃないと、うちの亭主みたいに酒浸りになっちゃうからね」
形だけの笑顔である。
その声は笑っていない。
もちろんその目も笑っていない。
そして今の言葉は僕にではなく、旦那に言っているようにしか聞こえない。
奥さん族、恐るべし。
「おじさん、僕のせいで服濡らしちゃってごめんね。あと案内してくれてありがとう」
「とんでもなんくるありませんからです、お坊ちゃん様くんどの」
奥さんはしどろもどろになった旦那さんの態度に首をひねる。
僕の配慮も台無しになりそうな錯乱ぶりだ。
その後、僕に別れを告げた二人は酒場から出て行った。旦那の頭を軽く叩きながら笑う奥さんと何度も頭を下げながらも苦笑する旦那の姿に、男女の縮図を見た気がした。
さてと……。
店の奥より感じるこの殺気。
振り返れば、その殺気の主は腕を組みながら僕を睨んでいた。
「おう! 坊主! 覚悟は出来てるんだろうなっ」
声の主は酒場の店主だろう。年齢はまだ四百歳後半、人族換算で四十代後半といったところか。ガタイのいい魔族の男は殺気立った目で腕をまくっている。額から二本の角が生えていることから店主は鬼族のようだ。頭の毛は短く刈られている。
鬼族は中位から高位魔族まで幅広く分布している魔種族のひとつだ。腕っ節が強い中位鬼族と腕っ節に加え魔法を操ることができる高位鬼族がいたはずだ。
「ここの店主さんかな。どうしてそんなに怒っているのさ」
「坊主! うちの店の客を追い返し、営業妨害しておいて、どうして怒っているのか? だとっ」
おやおや。手がプルプル震えている。
顔も真っ赤を通り越して赤黒い。こめかみに浮かぶ血管が見事な怒り模様を描いている。
「やだなぁ。僕はお酒を買いに来ただけだよ」
「舐めたこと言ってんじゃねぇぞ、坊主」
「本当だよ。売ってるんでしょ、ドワーフのお酒を」
ドワーフのお酒と口にした途端、店主が言葉につまった。
「……坊主、何を言ってるかわからねぇな」
わざわざとぼけてくれるあたり、ここに来てよかったと思う。
もし僕の考えが間違っていたら時間の無駄になるところだった。
「ねえ、マスター。子供だからって誤魔化せるとでも思ってるの」
カウンターの上に置きっぱなしになっている透明なお酒を手に取り、匂いを嗅ぐ。そのお酒をマスターに見せながら話を続ける。
「さっきまで店にいたおじさんたちが飲んでいたこのお酒だけど、ドワーフのお酒だよね。どうやら人気らしいじゃない」
見た目は無色透明だが匂いは間違いなく代官邸の夕食で嗅いだものと全く同じだった。ただ若干、香りが薄い気がする。
「ガキになにがわかる。それはただの水だ」
「面白いことを言うね。水からこんな甘くて芳醇な香りがするわけないし、酒精も感じる。どう考えてもお酒だよ」
僕がそう言い切ったところに店に誰かが入ってきた。
「坊主。それがどんな酒なのかわかるのか」
地から響くような太い声に振り返ると、そこには一人の男が立っていた。身長は僕と同じくらいだが、ずんぐりとした体型で全体的に筋肉質。目は鋭く、腹付近まで伸びる長い髭が印象的だ。眉は太く、髪とヒゲと同様、ややくすんだ茶色で、その顔は日に焼けたようにやや赤い。
「ドワーフさんですか」
僕のつぶやきに、ドワーフと呼ばれた男の眉がぴくりと動く。
店主の殺気はこのドワーフが入ってきてからすっかり消えていた。ただ、どことなく焦っているような感じがする。
ドワーフは僕と店主のそばまでやってくるとイスに座り、僕が持つ酒をあごで指した。
「わしがドワーフだとわかるのか」
「もちろんですよ」
なんといってもイメージ通りのドワーフっぽさだ。
斧を持っていなくても兜をかぶっていなくても、ヒゲと体型だけで判断がつく。
「そうそう、このお酒のことでしたね。酒精も強いし、強い酒を愛する者にはたまらない一品です。それにとても良い香りがします。その香りは少々癖がありますが、甘みがあり、芳醇。僕はお酒を飲むことはできませんが、香りを嗅ぐだけでも単純な味ではなく深みのある味だとわかります。……味が理解できれば、その美味しさに納得することでしょうね。味のわからない普通の魔族には無理でしょうけど」
味という言葉にドワーフの眉がぴくりぴくりと二度動いた。
ドワーフが値踏みするような目を僕に向けてくる。
「……坊主。魔族だよな?」
「ええ。魔族ですよ」
「しかも子供だ」
「十歳ですね」
「それなのに酒がわかるのか。いや、酒の『味』がわかるのか」
「良い物は年齢に限らずわかるものですよ」
僕は片目をつぶり、笑みを向ける。
その仕草が面白かったのだろうか。
ドワーフは大きな声で笑い出した。
「どわっはっは。味のわかる魔族か! しかも酒も飲めない子供が酒の価値を語りやがる。わしはドワーフのギルム」
「僕はアルク。ただのアルク」
差し出された太い手を僕は握り返す。
その手はゴツゴツしていたが、柔らかかった。
「おう! アルク。この透明な酒はわしが作ったものだ。それにまだまだ完璧とまでは言えない。今はオニキスの店で試験的に売ってもらっているが、アルクが大人になり、満足のできる酒が完成したら一樽進呈しよう」
オニキスとは隣にいる店主だろう。ドワーフの目が彼に向けられていたから間違いない。
(ギルムさんが作り、この店で売っていた、か。やっぱりね)
「おい、ばっ――」
「――へえ。ギルムさんが作ったんだ」と僕は目を細める。
「なんだったら作っているところを見せてやってもいいぞ」
「お、おい! 待て、ギルム!」
「なんじゃい、オニキス。うるさいぞ! わしが作ってる酒くらい見せてもいいだろうが」
「いや、そうなんだが、そうじゃなくてだな」
オニキスと呼ばれた酒場の店主の顔には大量の汗が流れていた。
まるで何かまずいことを僕に聞かれて焦っているかのようだ。
確かにまずいことを言ってるんだけどギルムさんは気がついてない。あからさまに動揺している店主にギルムさんは訝しげな顔を向けていた。
そんな彼に話しかける。
「ギルムさん。実は魔王国ではお酒を許可無く個人で作ることは法で禁止されているんですよ」
「……な、なんじゃと? いつからだ」
驚いた顔をしながらギルムさんはオニキスを睨みつけた。
「もう千年以上前からですね」と僕。
「ま、まて、ギルム。あ、あの酒はドワーフの国から輸入しているものだよな。な?」
話の内容からギルムさんはこの法律について知らなかったようだ。逆に、オニキスの焦り具合からして彼は違法だとわかっていたのだろう。
今はドワーフの酒を輸入していたことにすりかえようとしている。僕が目の前にいるにも関わらず、だ。
「オニキス。あの酒はわしが作った物だ。それにアルクを目の前にして誤魔化そうとしても無理がある」
「ギルム! こいつはガキだ! 誰もガキのたわごとなんぞ信用しねぇよ。輸入したってことにしておけば問題ない」
「わしらドワーフは自分の作った物に誇りを持っている。お前はアルクをガキと呼ぶが、わしは自分の酒を信用しているし、その酒を評価してくれたアルクを信用する。嘘の片棒を担ぐのは御免だ。わしはこのまま自首するぞ」
「おい、やめろ! 衛兵にバレなきゃ問題ない! 輸入した酒なら問題ないんだ」
自首しようと潔いギルムさんに比べ、酒場の店主は往生際が悪い。ドワーフというのは頑固者だというイメージがあったが、実直を旨とする種族なのかもしれない。
そのギルムさんを必死になって止めようとしているオニキスだが彼も同罪だ。密造酒を売っていたとなればオニキス本人も罪を免れることはできない。だからこそ必死になるのだろう。
「あー、それは無理かも」
そんな店主に軽く声をかける。
店主は僕の顔を見て、「えっ?」と声を漏らした。
「僕にはちょっとしたツテがあってね。ここリバシールにおける数年分の積み荷のリストを確認したんだ。だけどドワーフ産のお酒なんてなかった。リストにないってことは輸入されていないってことさ。個人でこっそり持ってきたとしても、酒場で出すには無理がある。それにこの街の代官セルム=マーレ氏に渡した分の酒はどこから出てきたのかな。輸入したと言い張るオニキスさんは証明できるかい? なんならドワーフの国に聞くようセルム代官に伝えようか? それともギルムさんがたまたま故郷の酒を持っていたことにするつもり?」
今日の夕食でドワーフの酒の匂いに覚えのあった僕は、代官に許可を得て、この港で取引された積み荷のリストを確認しておいた。その結果、この街にドワーフの酒は持ち込まれていなかった。その代わり、違う物が大量にドワーフの国から輸入されていた。その物を取引していたのはこの『リヴァイアサンのヒレ』だ。
では代官が手に入れたドワーフのお酒はどこのものか。
リストを確認した上で僕が考えたのは、密造酒もしくは密輸だ。だが『リヴァイアサンのヒレ』が大量に仕入れていた物を見て、密輸ではなく密造酒だと考えた。
もちろん個人で所持していたことも考えたが、酒場で提供されていたし、運良く今日会うことのできたギルムさんが素直に話してくれたため、密造酒であることは確定している。もし今日ギルムさんに会っていなくても、明日にでも街に住むドワーフに会いにいくつもりだった。
もはや酒場の店主が個人で持っていたと騒いだところで言い訳もできない。
この店に来たことは時間の無駄にならなかったようだ。
「な、なんでお前みたいなガキが積み荷のリストなんて調べられるんだ!」
「ちょっとしたツテがあるって言ったよね?」
酒場の店主オニキスは僕の言葉に黙り込んでしまった。
「アルク。わしは今から衛兵のところに行く。知らなかったとはいえ犯罪なんだろ?」
「ギルムさん、少し話をしましょう。ちょっと待って――「アルクん、おまたせ」――もらえますか」
僕の言葉を遮るように、ここ『リヴァイアサンのヒレ』に飛び込んできたのはヨヨさんだ。
姿を隠すことなく飛び込んできた妖精の姿に、酒場の店主オニキスが目を大きく見開いている。妖精だとわかっていないだろうが、飛んできた彼女に驚いているようだ。ギルムさんは立ち止まり、ヨヨさんを見て、「ほう」と声を上げた。
「ヨヨさん、申し訳ありませんでした。お手数かけてしまって」
「いいのよ。美味しいお菓子の材料が手に入るんでしょ?」
「ええ、まぁ」
食欲という名の欲望を隠さないヨヨさんに思わず苦笑する。
甘いもので釣れてしまう妖精族の将来が心配だ。釣り糸の先に高級角砂糖を結んでおけば確実に釣れることだろう。
ヨヨさんは、『妖精族のポーチ』から一枚の紙を取り出し、僕に手渡してくる。受け取った紙に書かれた内容を確認したあと、ギルムさんにひとつの提案をする。
「ギルムさん。お願いがあるんですが」
「なんだ?」
「ギルムさんが作ってるお酒の原料とドワーフの国から輸入した食材を分けてもらうことってできますか? もちろんそれ相応の対価は払います」
「なに!?」
僕が言った『お酒の原料』という言葉にギルムさんが反応する。
「実はその原料に興味があるんですよ。今はこの店を経由して仕入れているみたいですけどね。もちろんドワーフの国にあるほかの食材にも興味があります」
「それは、アルクが味を理解する魔族だから、か?」
「ええ。ギルムさんも魔王国で苦労してるでしょ? 食べる物に。もしドワーフの食材を取引させてくれるなら、こちらからもギルムさんが食べられる食材を用意します」
「ふむ……確かに悪い話ではなさそうだな」
「そういえばギルムさんの一族って『ラム酒』作ってません?」
「な、なんだと? なぜ秘伝の酒を――いや、妖精と一緒なら知っていても不思議ではないか」
「あ、やっぱり。ヨヨさんの姿を見ても驚いてなかったし、妖精の存在を知っているのって同じ種族でも限られた地域や氏族だけみたいなんですよね」
妖精族はエルフのニーナさんの故郷グリバルトと交流があった。しかし妖精とエルフの取引が続いているのはそのグリバルト以外ないという。ドワーフ族との取引も同じようなものだろう。そう考えると魔王国一国との取引は、妖精族にとってかなり大きな取引先だ。
「ヨヨ殿とおっしゃるのか。名前は知らなかったが故郷で見た覚えがある」
ギルムさんはヨヨさんに笑顔を見せた。
笑うとどことなく愛嬌のあるその顔には、妖精に対する感謝の念が込められていた。なんといってもラム酒の原料である廃糖蜜を売ってくれる大切な相手だ。砂糖の製法がわからない以上、廃糖蜜は妖精族から仕入れるしかない。妖精族を怒らすと一方的に手に入らなくなる関係だ。そりゃあ、感謝もするだろう。
「あら。ということは私のお客さんでもあるのね。長のガルムさんらバタータス一族にはこちらもお世話になっているわ」
「ガルムはわしの兄だな」
まさかの繋がりである。
命の水をくれた一族の族長さんの弟さんがギルムさんとは思いもつかなかった。
これも巡りあわせだろうか。
「世の中は狭いですね」と僕は笑う。
「まったくじゃな」その言葉にギルムさんは笑みを浮かべた。
「ところで、ギルムさんが作るお酒の原料は秘密だったりします?」
「秘密ではあるが、その様子だとわかっているのだろ?」
「ええ、まぁ、なんとなく」と苦笑交じりに返事をする。
「なら別にかまわんよ。それと、アルクならほかにも酒になる原料を知っておるだろ」
ギルムさんがニヤリと笑う。
わかっておるな? とその目が語っていた。
「はいはい。わかりました。ほかにお酒になるようなものをお教えしますよ」
僕が苦笑しながら答えるとギルムさんは、嬉しそうな顔で笑った。
やはりドワーフはお酒があれば幸せのようだ。
「あとギルムさんにもう一つ提案があります。まずはこれ」
そういって先ほどヨヨさんから渡された紙をギルムさんに見せた。
その紙には、『酒造許可証』と書かれている。
許可証を見たギルムさんの目が今まで以上に開かれた。うなだれていた酒場の店主オニキスも僕が持つ許可証を見て驚いている。
「こ、これは!」
「ええ。魔王国内でお酒を作ってもいいという酒造許可証です。もともと自分たちでお酒を作ろうと思っていたんですよ。でもこの街の積み荷のリストを見て、きっと密造酒を作っているんだろうなぁと考えました。そこで急遽申請してもらったんですよ」
「なぜ、そこまでする?」
「なぜと言われても、ギルムさんのお酒を気に入ってくれた方がいますし、酒の原料やドワーフの食材が欲しかったから、でしょうかね。捕まったらせっかくの美味しいお酒が手に入らなくなりそうでしたし」
僕はそうギルムさんに向かって微笑んだ。
侯爵様や代官が気に入ったお酒だ。それにお酒はうちらの隊商『妖精の祝祭』の売りにもなる。味がわからなくても香りのいい酒は魔族にも売れるはずだ。
「これをギルムさんにお渡しします。その代わりにウスイの街に来ていただき、お酒を作っていただきたい。と同時に、作ってるお酒の原料とドワーフの食材を育てる術を我々魔族にお教えいただきたいのです。わざわざ輸入しなくてもギルムさんは魔王国内でお酒の原料が手に入るし、私たちもドワーフの食材を手に入れることができる。ああ、もちろん原料を作る畑やお酒を作る場所はこちらで用意しますよ」
「な、なんと!」驚くギルムさん。
「なんでこんなガキが許可書を……しかも土地もだと」とオニキスがつぶやいた。
ギルムさんは悩むような様子で答えた。
「……だがわしは許可無く酒を作った罪を償うべきだと思う」
「あ、その点はご心配なく。お二人次第ですが大きな罪にはならないと思いますよ。特に反省しているギルムさんは軽い罰で済むでしょう」
「二人?」
ギルムさんの疑問に僕は酒場の店主を見ながら答えた。
「もちろん、そこのオニキスさんですよ。ギルムさんはオニキスさんの酒場にお酒を卸していますよね」
ギルムさんは、「うむ」と返事をしながらうなずいた。
「密造酒だと知っていたのに売っていたことも罪ですが、オニキスさんはギルムさんのお酒に水を加えて売ってますよね?」
「薄めてじゃと?」
僕の声とギルムさんに睨まれたオニキスがビクッと震える。
そんな彼の顔を見ながら、僕は祝福の意味を込めて一言声をかけた。
「きっと、たぁぁくさん儲かったんでしょうねぇぇ」
ここで出されている酒の匂いを嗅いだとき、香りが薄いことに気がついた。代官邸で嗅いだお酒はもっと芳醇で甘い香りが強かったのだ。
仮に、一リットルの酒を一ゴールドで仕入れ、水を加えて二リットルにして売れば、仕入れ値自体は半分だ。一杯当たりの価格を薄める前の酒と同価格で売れば、当然儲けは二倍となる。
酒を薄めて出していると聞いたギルムさんの目が怖い。
オニキスの体の震えも止まらない。
「どうせ魔族は味なんてわからないですし、薄め過ぎは論外ですがギルムさんの作っているお酒は水で割ってたり、お湯で割ってたりしても美味しいお酒ですからそれ自体は問題ありません」
「「なんだと!?」」
オニキスの驚いた声は、薄めた酒を出すことを咎めない僕の言葉に対してだろうか。かたやギルムさんの驚いた声は、水やお湯で割るという飲み方への驚きだろう。酒はなんでもストレートで飲めばいいというものではないのだが、ドワーフは基本ストレートなのかもしれない。
あれ? お酒の飲み方を教えるだけでドワーフと仲良くなれそうな気がしてきた。
「ところでオニキスさんのお店では帳簿をきちんとつけてますかぁ?」
「もももちちちろろろんんんだとみょ」
お、おう。
ギルムさんもヨヨさんも呆れたような顔でオニキスを見る。
あれは確実に脱税してますわ。
見事に脱税してますわ。
商売を手掛ける店は儲けの中から税金を納めている。
ギルムさんの酒を仕入れ、水で薄める。それを普通の値段で売れば、水で薄めた分だけ儲けが出る。そしてその分の儲けを隠し、税金を少なく納めているはずだ。その分は裏帳簿で管理していてもおかしくない。王都から『ないない』されたフトックとやってることは変わらないのだ。
「あ、申し遅れました。私、ミストファング侯爵様のもとで執事をしているアルクと申します。ギルムさんのお酒を気に入ってくれたのも侯爵様です」
オニキスさんに直接名乗っていないことを思い出し、自己紹介をする。今更ではあるがはっきりさせておかないと何をしでかすかわからない。フトックのように逃げ出されても手間だ。
「だ、断罪の霧侯爵様の執事!? 通商貿易局の局長!? お、終わった。俺、もう終わった」
崩れるように膝をつくオニキス。
通商貿易局局長が治める領地の港街で積み荷のリストが杜撰なわけがない。輸入品など、きっちり一品一品管理されているのだ。
それにしても『断罪の霧侯爵』の二つ名がここでも知られている。ちょくちょく聞く侯爵様のこの名前。ウスイの街に着いたらご本人かセイバスさんに聞かなければ。
「まあ、今日はこれくらいにして明日またお二人とお迎えにあがります。今日は店じまいしてゆっくり反省していてくださいね。ギルムさん、お返事は明日で結構です。あと、オニキスさんは逃げないでくださいよ。まあ、逃げてもいいですが、僕、子供なんで鬼ごっこが得意なんですよ。あ、この場合、鬼族のオニキスさんが鬼じゃなくて追いかける僕が鬼なんですけどね」
僕の忠告に膝をつくオニキスは、がっくりと床に両手を置き、力なくうなずいた。
場をなごませるため面白いと思って言ったのに、どうも追い打ちをかけただけのようだ。
そんな彼を見ながらヨヨさんに、完成したギルムさんのお酒に『鬼殺し』という銘はどうかと小さな声で相談したら、「鬼かっ! アルクんの追い込みがハンパないわ」と呆れた顔で返された。
お酒が原因で罰を受けることになった鬼族にぴったりな名前だと思ったのに……。
そのとき、とある昔話が頭に浮かんだ。
物語の登場人物は、コボルトのグレイと火の精霊フェニックスの大神官様。猿系の知り合いは残念ながらいなかった。今のところ団子が作れそうにないので、ドーナツかパンで代用しよう。
ソウルイーターを握りしめ、いざゆかん、鬼ヶ島的な昔話である。
オニキスには反省の意味を込めて、この話を聞かせてもいいかもしれない。物語の結末は、大神官様の一撃による島ごと消滅エンドが確定済みだ。僕とグレイがいなくても終わってしまうのは確実である。
その後、ギルムさんと元気のないオニキスさんを残し、僕とヨヨさんは『リヴァイアサンのヒレ』を出る。
鬼退治は終わったが、残念ながら宝は明日に持ち越しとなった。
僕たちは波の音を聞きながら帰路についた。
めでたし、めでたし?




