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第八十二話 お嬢様と魔法

「で、目処めどはついたの?」

「目処といいますか……必要ないかなぁと思い始めてます」

「はい? しなくていいの?」

「実は僕の魔力がかなり上がっているんですよ。恐らくお嬢様のために集めた毒のない食材に含まれる良質な魔力が影響しているのだと思います。恐らくは侯爵様御一家やほかの使用人たちも同じでしょう」

「へぇ。食べ物でそんなに変わるものなの?」

「今のところ毒のある食材と比べると、毒のない食材は魔力が多く、質も高いものが多いんです。例えば、ジュロウさんたちシュリーカー族が育てている毒のないキノコは、毒キノコより魔力の量も質も高いですね」


 シュリーカー族が栽培しているキノコは、前世ではおなじみのマツタケやしめじ、まいたけ、トリュフなどだ。


「そうなの?」

「ええ。一部の毒キノコを除いて、シュリーカー族のキノコのほうが量、質ともに上です」


 ヨヨさんは目を輝かせながら、「ほへー。すごいのね」と感心した様子で声をあげる。


「毒のない食材を食べて魔力が上がった分、執事魔法の威力も上がっているみたいなんです。まぁ、これはちょっと前に気がついたんですけど」


 いつもと同じ感覚で使った『執事井戸』だったが、結果は先ほどのとおり。コップ一杯の水のつもりが、噴水のようにあふれ出てきた。

 火傷したときに使った『執事救急箱』も傷の治りが異常に早かった。


 ほかにも思い当たることがある。

 朝の日課だったお嬢様の『アルク登り(侯爵様夫妻命名)』が達成できたのは、魔力たっぷりの花蜜を食べた次の日だった。そのとき、達成できた理由を侯爵様にお話したことがある。

 魔族の源は魔力だ。魔力が上がれば力も上がる。できなかったことが急にできるようになったのは、花蜜が影響しているとしか思えない。事実、今も行われているお嬢様の『アルク登り』は、日増しに登頂スピードが上がっている。


 この予想が正しければ、ほかの執事魔法も確認しておいたほうがいいだろう。いや、確認しておくべきだ。いざというとき今日みたいに失敗していては、とんでもない事故が起きる可能性だってある。


「というわけで、今から執事魔法を再確認してみようと思います」

「私はプリンでも食べながら見ているわ。あ、そうだ。せっかくだし結界魔法の実験がてら、結界張ってやってみたら? 万が一のことがあったら大変よ」

「そうですね。そうします」


 火や土を扱う執事魔法でお屋敷に傷を付けるわけにもいかず、ヨヨさんの提案に賛成する。

 次に、どの魔法から確認するかだが、『執事ゲート』は王都内では使えないし、『執事ボックス』は……どう確かめればいいのだろう。入る量とか確認すればいいのだろうか。

 悩んだ末、最初に確認する魔法は比較的使う機会の多い『執事キッチン』になった。


 ヨヨさんに言われたように、『執事箱』を使い、結界を張って中に入る。太陽の光に反射する結界は何の抵抗もなく僕を受け入れた。広さは三メートル四方の空間だ。これだけ広ければ大丈夫だろう。


「では、さっそく」


 僕は『執事キッチン』で、炎を創りだした。



――確認及び実験終了。


「い、いやぁ、死ぬかと思いました」


 (確認してよかった。本っ当に、良かった)


 今も心臓が激しく鼓動を打ち、驚愕と警戒のリズムを奏でている。

 平静を装っているが、変な汗が止まらない。


「さすがのアルクんも慌てたみたいね」と苦笑交じりにヨヨさんが言う。


 装えてなかった。

 だが、無理も無い。


 普段、使っていた『執事キッチン』は、ちょっと大きめの焚き火を出すくらいが限界だった。度数の高いお酒『命の水』と『執事そよ風』を組み合わせて、火炎放射器くらいまで炎を大きくすることはできたが、単独での使用はそんなものだ。

 それを念頭に使用したところ、三メートル四方の『執事箱』の中は、猛火渦巻く阿鼻叫喚となった。なってた。なってしまった。焚き火程度だった魔法なら多少魔力が上がったところでキャンプファイヤーくらいだろう。その認識は甘かったのだ。


 あと一歩、魔法の中断が遅れ、『執事箱』から脱出するのが遅かったら、コキアみたいな頭になっていたに違いない。下手したら蒸し焼き、もしくは残酷焼きを自ら体験することになっていただろう。


「あの威力ではキッチンどころではありませんね」

「……家ごと料理できそうね」


 その後、慎重に『執事キッチン』を試してみたところ、ちゃんと思い通りの大きさの炎を出すことができた。ろうそくサイズの炎から猛火まで自由自在だ。己の限界を知ることは大切だと思うが、寿命を対価に限界を試す必要はなかったと思う。


「あ、そうだ」


 ついでと言ってはなんだが少し変わった実験もやってみる。『執事魂』で魔力が熱に変わったときのように、青い炎が出せるか試してみたのだ。


 結論から言えば、出た。

 これもイメージなのだろうか。色が変わっても炎の温度が変わった様子はない。炎の温度は魔力の消費によって上げることが可能だし、そもそも魔力は物質じゃないので、色温度とか関係ないはず。ただ純粋に色が変わっただけの炎だった。

 色が変えられるということは、当然、「みんなだいすきくろいほのお」を出すこともできた。これで僕の左目や腕がうずく日も近い。ほかにも赤や黄色、緑など自由自在である。


「これで『執事キッチン』も華やかになりますね」

「攻撃特化の火属性魔法を料理メインに使うのはアルクんだから仕方ないけど、色を変える意味がわからない。それになぜ色が変わるのかわからない」


 納得いかない顔をするヨヨさんに、僕は笑顔で答える。


「綺麗でいいじゃないですか。お嬢様が喜んでくれそうです」

「ああ、結局はティリアちゃんに行き着くのね」


 当たり前である。僕はお嬢様の執事なのだから。


 こんな具合で『執事キッチン』の確認が終わったわけだが、ほかの魔法も似たようなものだった。最終的に、『執事箱』の中で試した数々の執事魔法は、全て制御に成功している。ただちょっとばかり威力が上がっていただけだ。そのおかげで……いや、そのせいでいろいろな体験をすることになった。



 噴水のように水があふれだした『執事井戸』は、どれだけ水が出るのか試してみた。手から水が出るよう意識すると、手のひらから壊れた消火栓並の勢いで水が吹き出した。この水を少しだけ貯めておいて、あとは『執事箱』に空けた穴から側溝へと流していく。もったいないが今回はあくまで確認優先だ。手からは大量の水があふれ、そのまま側溝へと流れていく。流れていく。流れていく。……流れていくのだが、一向に止まる気配がないため途中で魔法を中断する。コップ一杯の水を出す感覚で使用したのに小さな池が作れそうな水を無駄にしてしまった。井戸だけあって魔力切れにならない限り、枯れることはないのだろう。


 次に確認したのは、水を操作する『執事シャワー』だ。先ほど貯めておいた水を操り、『執事箱』の天井に向けて飛ばしてみる。すると、その水は細い直線を目にも止まらぬ早さで描き、「チュィンッ」という甲高い音を残して、天井を突き抜けていった。飛んでいった水は遠くの空へと消えていってしまい、その姿はすでにない。

 あまりの出来事に、思わずヨヨさんと目を合わせてから、水が当たっただろう場所に目を移す。念入りに調べてみると、そこには小指の太さほどの穴が空いていた。「雨垂れ、石を穿うがつ」なんて言葉があるが、まさに岩を穿つ威力だ。

 結界魔法とは、いったいなんだったのだろうか。これでは決壊魔法である。そう笑いながらヨヨさんに話しかけたら、「危ないから結界魔法の強度を上げなさい!」と叱られた。僕は反射的にうなずくと、穴を塞ぎ、魔力を足して『執事箱』を強化しておいた。


 続いて、つむじ風程度の風を起こす『執事そよ風』を試してみた。

 試した結果、『執事箱』内に発生した暴風に巻き込まれ、壁面に叩きつけられた。鉄板に身体を打ち付けたような痛みが僕を襲う。痛みに耐え、ヨヨさんに顔を向けると、彼女は顔を背けながら音の鳴らない口笛を、ふひーふひーと吹いていた。強化しなかったら、割れるなり、たわむなりしてクッションになっていたのではないか。そんな思いが頭をよぎる。助言してくれたヨヨさんのせいではないが、どうにも腑に落ちない。屋外で使えば、かなり大きな風を生み出すことができそうだ。


 痛む肩をさすりながら、確認作業を続ける。


 土を使ってお皿などの食器やテーブルなどが作れる『執事食器棚』は、金属の抽出、精製、加工ができるようになっていた。

 銀色に輝く小さな鉄球をいくつか作り、『執事そよ風』に乗せて勢いよく飛ばしたら、『執事箱』にめり込んだ。串焼き用の串に加工させたあと、同じように飛ばしたら『執事カゴ』を半分ほど突き抜けた。鉄板のように固い肉でも、串に刺せることが証明された。まあ、そんな固い肉など食べたいと思わないけど。


 花の匂いなどを作り出す、メイドさんに人気の『執事の匂い袋』は匂いを出すだけでなく、匂いを完全に消すことができるようになっていた。また、元の匂いを違う匂いに変えることもできるようになっている。

 リアルルさんから本物の匂い袋をいただいたため、今後は使用する機会は減るだろう。暗殺者が重宝しそうね、とヨヨさんが言っていたが、暗殺者はそんなに臭いのだろうか。


 お肉などの食材を保存し、飴やプリン、氷を作るのに便利な『執事氷室』。この魔法を使用してみると『執事箱』があっという間に冷凍庫となり、凍死しかけた。もう少しで魔族のルイベができあがるところだ。

 性能としては、急速冷凍が可能になっており、果物シャーベットが一瞬で作れそうな冷気だった。また解除するまで溶けない氷を作ることにも成功した。これでお嬢様に出すフルーツジュースが薄味にならなくてすむだろう。

 ……という説明を冷凍庫と化した『執事箱』の中からヨヨさんにしたのだが、彼女は『執事箱』を小さな手で叩いていた。彼女の、「寝ちゃだめよ!」という悲鳴にも似た声が何度も聞こえてくる。息をするたび身体の奥底に入り込んでくる冷気が心地よい。だが、不思議と寒くないのだ。先ほどまで震えていた身体も、すでにその震えは止まっている。

 魔力不足のせいだろうか。『執事箱』の中で仰向けになりながら、「ヨヨさん、僕もう疲れたよ」と答えると、顔面に妖精の足が降ってきた。どうやら妖精界経由で結界の中に入ってきたようだ。


 危なかった。

 体が丈夫な魔族も一瞬で物が凍るような寒さには耐えられないらしい。ある意味、自分の限界を知ることができた。ヨヨさんに起こされなかったらそのまま冷凍魔族になっていたに違いない。睡魔に襲われている最中、どこからか「出荷よー」という言葉が聞こえてきたのは気のせいではないようだ。


 眠い目をこすりながら、次の魔法にとりかかる。

 おめかし用の鏡を作り出す『執事の姿見』は、大きさ自由自在の鏡を数百枚単位で作れるようになった。濁りや歪みのない完璧な鏡である。また、凸レンズ、凹レンズなどのレンズ状に加工することができた。つまりは虫眼鏡だ。太陽の光を集めて紙を焦がす実験をしてみたら、あっという間に火が付き、『執事箱』の中に煙が充満していぶされた。大きいレンズで試したのがよくなかったらしい。もう少しでスモーク魔族になるところだった。

 この『執事の姿見』を見たヨヨさんが、「氷属性の魔法にこんな使い方が……」と言っていた。一応言っておくが、これは執事魔法である。


 さてお次は、明かりを灯す『執事ランタン』だ。軽い気持ちで使ったら、目を開けていられないほどの閃光が辺りを包んだ。瞬間的に目をつむることができた僕と、たまたま僕の影にいたヨヨさんは運良くその閃光から逃れることができたようだ。だがしかし、どこからか、「目がぁ~」、「目がぁ~」と叫ぶ声が聞こえてくる。声を頼りに慌てて駆け寄ると、目を押さえながら地面で転がるレイゴストさんがいた。地面から少し浮いているところがいかにも幽霊族らしい。

 目の痛みから回復した料理長に聞くと、ゴミを捨てようとたまたま通りがかったとのこと。僕が謝るとレイゴストさんは笑って許してくれたが、今後は十分気をつけようと思う。

 結果として、ランタン程度の明るさだった『執事ランタン』は、夜でも昼間のような明るさを出せるようになっていた。夜、落とし物を探すときに便利だろう。また、先ほどのように一瞬だけ光らせ、閃光として使うこともできた。


 ひき肉作り、マヨネーズ作りに欠かせない『執事ミキサー』は、強化したはずの『執事箱』を斬り刻み、互いを相殺して消滅した。この程度で破れるなど、やはり決壊魔法だったようだ。結界魔法が失われた原因は、役に立たなかったからという思いが強くなっていく。

 実はこのとき、ちょっとした事故が起きた。相殺の余波で漏れた魔力が、僕の左腕を活け造りにしてしまったのだ。腕には鋭い刃物を何度も走らせたような深い切り傷が無数にでき、着ていたシャツは切り裂かれ、血で真っ赤に染まっていた。切断にこそならなかったものの腕の惨状を見てさすがに肝を冷やした。あまりにも綺麗な切り口に、最初、痛みすら感じなかったほどだ。


 すぐさま『執事救急箱』を使って治療したものの、見学していたレイゴストさんとヨヨさんに、「少しは力を抑えろ」と叱られた。もともと青い顔のレイゴストさんの顔は白く、ヨヨさんは涙目だ。どうやら二人に心配をかけてしまったようだ。僕が素直に謝ると、レイゴストさんからやや強引に頭を撫でられた。

 だが、はっきりしたことがある。それは、『執事救急箱』の効果が間違いなく上がっていたということだ。「活け造り」になったときの傷跡や痛みはもう残っていない。効果が確認できたのは、まさにケガの功名と言えるだろう。治癒力が上がっていることを確信した僕は、意気揚々と二人に報告した。「シャツは直りませんけどね」と笑ったら、「自分のことを心配しろ!」とまた叱られた。


 さすがにこのままでは格好がつかないので、破れたシャツを捨て、新しいシャツに着替えておく。


 声を変え、役になりきって絵本を読むことができる『執事ボイス』の確認をする前に少し確かめたいことがあった。

 それは先ほど『執事ミキサー』を使ったときに壊れた(した?)『執事箱』に関係することだ。壊れない限り、ある程度結界としての役目を果たしている『執事箱』だが、音を遮断することはできるのだろうか。というのも、『執事ランタン』や『執事ミキサー』を使ったときのように外に影響が出てはまずい。

 そこで、音が漏れないようにできるか試してみた。


 結果は大成功。

 『執事箱』の中からヨヨさんたちに声をかけてみたが、聞こえていないという返事とジェスチャーが返ってきた。手を叩いてみても同様だ。外にいる二人の声は聞こえるのに、中からの声や音は聞こえないらしい。

 これなら問題ないだろう。


(さてと)


 僕は少し身構えてから、『執事ボイス』を使う。

 声を出していない今は、何の変化もない。

 僕は正面を向き、深呼吸。お腹に力を入れながら、少し控えめに声を出し――その自分の声に驚いた。瞬間的に耳を押さえずにはいられない。それというのも、自分が出した以上の声が口から飛び出したのだ。その音量は大声どころではなく、耳を押さえていても痛いほどだ。音を外に漏らさないようにしておいたのは正解だった。

 だが、それも甘かった。

 僕の出した声は、目に見えない声の波となって空気を震わせ、『執事箱』の壁に当たり、より大きな声となって跳ね返ってきたのだ。反射した音を浴びた僕は思わず膝をついてしまった。突然のめまいに襲われ、立っていることすらできなくなったのだ。


 それだけではない。

 音を通さないようにしていた『執事箱』は全体がヒビだらけになっていた。その細かいヒビのせいで外の様子もわからない。

 少し威力を抑えながら使ったにも関わらず、とんでもないことになってしまった。恐らくは『執事ボイス』と『執事箱』の魔力によって音波が増幅、もしくは魔力同士が共鳴でもしたのだろう。全力で試していたら、内臓や鼓膜が破れていたかもしれない。ようやく立ち上がることができた今も吐き気とめまいが続いている。『執事ボイス』は、声を変えるどころか、物体を破壊する魔法に変わっていた。もはや衝撃波である。怪音波でもいい。

 魔法を解除して外に出てみるとヨヨさんとレイゴストさんから心配された。二人に話を聞くと、僕が口を開くと同時に『執事箱』が震えはじめたそうだ。僕が膝をついた瞬間、『執事箱』はヒビだらけとなり中の様子が見えなくなったとのこと。ただ、ヒビだらけになっても音が外に漏れることはなかったようだ。


 この物騒な怪音波だが、ちゃんと制御すれば人の声や動物などの鳴き声が、今までよりずっと本物らしく出せるようになっていた。試しにレイゴストさんの声真似をすると、レイゴストさん本人は感心した様子で面白がっていた。

 続いて、ヨヨさんの声真似をしてみる。


「アルクん! 真似しないでよ」

「アルクん! 真似レないでよ」


 ほら、そっくりだ。

 どちらがヨヨさんの声だかわからない。

 使い道だが……まあ、パーティーの余興くらいには使えるだろう。


 最後に先ほど少し実験した『執事箱』だ。

 結界魔法と言われていたが、結界としては物足りないのだ。穴はあくわ、相殺して消えるわ、ヒビは入るわと実に微妙だった。ヒミカさんの使う『神の障壁』などとは比べ物にならない。だからこそ、詳しく知っておきたかったのだ。


 今回、実験に協力してもらったのはレイゴストさんだ。レイゴストさんは幽霊族で、壁や床、天井の通り抜けができる。妖精界経由であれば、妖精族であるヨヨさんは『執事箱』の中に入ることが可能だった。

 では、幽霊族はどうか。


 結果、レイゴストさんは通り抜けできなかった。

 普通に展開した『執事箱』はレイゴストさんを拒んだのだ。しかし、レイゴストさんが通れるように念じるとあっさりと通り抜けることができた。どうやら通す通さないを指定できるようだ。


 実験も終わり、レイゴストさんにお礼を伝えると、「面白いものを見せてもらった。がっはっは」と笑いながら厨房へと戻っていった。これから夕食の仕込みをするらしい。


 裏口の扉を開けて屋敷に戻るレイゴストさんを見送りながら考える。この『執事箱』は、お屋敷に張られた結界に似ているのだ。少し気になることがあったので、僕より結界魔法に詳しいだろうヨヨさんに聞いてみる。


「この『執事箱』や『執事かご』、それに結界魔法というのは、貴族の屋敷に張られているような結界とは違うんです?」

「んー、ちょっと違うわね。ここみたいに貴族の屋敷に張られている結界の多くは魔道具によるものだし」

「へー、魔道具ですか」

「いろいろ種類があるけど、お屋敷の基礎や地面に埋め込むタイプの『結界石』が多いわ。結界石で囲んだ場所に結界が張られるの。石の質によって強度が違うけど」

「ということは、魔法と魔道具の違いだけです?」

「あとは……そうね。確か魔王国にも発火棒ってあるわよね」

「ありますね」


 発火棒とは魔道具のひとつで、魔王国では馴染み深い魔道具のひとつ。前世でいうライターのようなものだ。二十センチほどの棒状で、魔法の使えない魔種族や魔法を習う前の子供でも簡単に火を出すことができる。ただし、小さな炎しか出ないため、主に火種としてキッチンで使われている。


「簡単にいえば、発火棒のように魔道具化することによって誰でも使えるようにしたのがお屋敷の結界。その代わり効果は高くない」

「確かにそうですね。屋敷の結界は幽霊族が壁抜けしようとしても通れませんが、窓や扉からなら入ることができます。不審者が結界を抜けたときにお屋敷の者に知らせることくらいはできるそうですけど」

「でも結界魔法なら、許可したものしか通さない、なんてこともできる。それに昔は、侵入した者を閉じ込める封印結界も作れたみたいだし」

「泥棒ホイホイというわけですか」

「ホイホイ?」とヨヨさんが首を傾げる。

「いえ、なんでもありません」


 決壊魔法などとその脆弱さに笑っていたが、その用途は石窯や暖房器具や生ごみ専用ゴミ箱や冷凍庫だけじゃなかった。


 『封印結界』。

 これはぜひともその方法を見つけなくてはならない。

 ヨヨさんの話から、ゴミ捨て場などに出てくる黒虫(意訳)を『ホイホイ』できる可能性が出てきた。あの黒虫めは、お嬢様が苦手とする敵だ。奥様やイーラさんをはじめとする侍女、メイドさんら女性の敵でもある。厨房や倉庫に『ホイホイ』しておけば、一網打尽にできるだろう。


「そういえばリアさんたち精霊の結界はどういうものなんです」

「リアのとこは、結界魔法とも魔道具とも違うわね。あれは精霊にしかできないから。彼女の場合、樹海結界とか言ったかな。まだそれほど強い結界じゃないみたいだけど、彼女自身が成長したら結界魔法よりすごいわよ」

「精霊特有の能力ですか」

「まあそんなとこね」


 ヨヨさんの結界魔法講座も一段落し、執事魔法を確認する作業もこれにて終了。


 効果や威力が変わってしまった魔法が多いが、いずれも魔力を抑えれば以前と同じように使うことができる。

 また各種執事魔法を確認し、よく考えた結果、一部の魔法に関して名前を変更することにした。


 治療効果がアップした『執事救急箱ヒール』は、セイバスさんが使う『執事病院リカバリー』には及ばないものの、『執事施療院ハイヒール』の効果を上回っていた。そこで『執事診療所ハイヒールプラス』と名付けることにする。


 余談だが、ヒミカさんが使う回復魔法は執事魔法とは別格だ。折れた腕を完治させた彼女の回復魔法は、セイバスさんが使う『執事病院リカバリー』の効果を上回っている。やはり本職は違うのだろう。「回復魔法を使う執事なんていないわよ」というヨヨさんの独り言は聞こえない。


 執事魔法『執事の姿見』を氷属性だと言うヨヨさんに配慮して、『執事の氷面鏡ひもかがみ』に命名変更する。確認作業中、何度も心配をかけたお詫びに少しくらいヨヨさんに譲歩してもいいだろう。

 ほかの魔法についてはそのままだ。



「アルクんとヨヨちゃん発掘なのー!」


 裏庭に続くお屋敷の影から聞こえてきた可愛らしい声はティリアお嬢様だ。トテテっと駆け寄ってこられたお嬢様は、水色のワンピース・ドレスがとても良く似合っておられる。お昼寝が終わり、小さな体に元気を蓄えたお嬢様の勢いはまさに風のようだ。


「お嬢様。発掘ではなく、発見でございます」

「発見なのー!」


 ずいぶんと難しい言葉を使われるようになったお嬢様だが、まだまだ間違えられることもある。だがここ数日、お嬢様は乾いた薄布に水が染みていくような早さで知識を吸収しているそうだ。これには教育係であるイーラさんやメイドさんらが驚いていた。


 お嬢様の素晴らしさはそれだけはない。

 ご自分の間違いをすぐに訂正される素直さは、僕ら使用人たち一同の心を掴んで離さない。貴族の子供の中には、注意されると怒ったり、すねたり、使用人に当たったりする子供もいるのだと、ほかの使用人仲間から聞いたことがある。そんな可愛くない子供に比べれば――いや、比べるまでもないのだが、今も堂々としたお辞儀(カーテシー)でヨヨさんと挨拶をするお嬢様は、間違いなく魔族一可愛い。


「あらあら~。アルクちゃんは今日も頑張ってるわね~」


 お嬢様の後ろからいらしたのは、奥様だ。水色を基調としたドレスが赤紫のロングストレートの髪に良く似合っておられる。そばにはお嬢様の専属侍女イーラさんの姿も見える。


「ティリアも魔法のべんきょうするのー!」

「はい、わかり……え? はい?」


 思わず気の抜けた返事が口から出る。

 目をキラキラさせながら僕を見上げるお嬢様は、今、間違いなく、「魔法の勉強をする」とおっしゃった。おっしゃったのだが、お嬢様の年齢は二歳半だ。いくら魔力に長けた魔族でも、魔法を学び始めるのは紳士淑女教育が始まる六歳からというのが通例となっている。なかには例外もあるが、三歳に満たないうちから魔法を学び始めるというのはあまり聞かない。「魔族ってこんな小さいころから魔法を教えるの?」と、驚くヨヨさんにそう説明したのだが、「あまりってことは、幼いころから魔法を勉強する子の話を聞いたことがあるのね」と返ってきた。


「名前は伏せますが、白の賢者様の巫女をやってます」

「伏せてないわよ」


 間を置かずに言い返すとは、さすがはヨヨさんである。

 大神官様の話では、名前を伏せた巫女さんは三歳になる前に様々な魔法を習得したそうだ。なかでも闇魔法がすごいらしい。巫女なのに。


 それはともかく困惑した僕が奥様に視線を送ると、奥様は笑みを浮かべながら理由を教えてくれた。


「実はね~――」


 奥様によると、お昼寝から目を覚まされたお嬢様に、「お外でアルクちゃんが魔法の練習をしてるわよ~」とお話しされたそうだ。ちょうどそのとき、レイゴストさんの「目がぁ~、目がぁ~」という声が聞こえたとのこと。お嬢様にとって、レイゴストさんの悲鳴じみた声はとても楽しそうに聞こえたそうだ。


「お騒がせして申し訳ありません」

「いいのよ~。さっきすれ違った料理長もアルクちゃんが面白いことやってるって言ってたし、ますますティリアちゃんが喜んじゃってね~」


 ここに来る前、厨房に戻る途中のレイゴストさんと会ったそうだ。お嬢様を炊きつけたのは間違いなくレイゴストさんである。


「まだ年齢的には早いけど、少しだけならね~」


 お嬢様に魔法を教えるのは、奥様自ら行うそうだ。

 奥様は、魔法とは何か、魔力とは何かという話をお嬢様にしていらっしゃる。ただ、いくらお嬢様が優秀で可愛らしいとはいえ、魔法の基礎は少しお話しされて理解できるようなものではない。しかし、奥様とお嬢様の会話を聞いていると、すでにお嬢様は基本的な魔法講義を受けているらしく、復習を兼ねた話をされているだけのようだ。


 (いつの間に……)


 困惑気味の僕にイーラさんがそっと耳打ちしてきた。

 イーラさんの話によると、日々、知識を吸収していくお嬢様に対し、奥様が試しにと六歳から習う基本的な魔法の話をされたそうだ。するとお嬢様は、魔法の基本的な内容をあっさりと理解してしまったらしい。


「さすがはお嬢様です」

「さすがはお嬢様なのよ」


 思わずイーラさんと顔を見合わせて、うなずき合う。

 ここ数日、お屋敷を留守にしていたせいで、お嬢様の成長の瞬間を目にする機会を失ってしまったらしい。お嬢様のための食材探しとはいえ、なんともったいない。


「覚えているのー」


 奥様との復習も終わり、あっさりとした返事をされるお嬢様。

 だが、本当にいいのだろうか。立ち上がった僕は心配のあまり奥様に声をかける。


「奥様、本当によろしいのですか」

「ええ。私もついているし、そう簡単に魔法は発動しないわ~」

「ですが、いきなり慣れない魔法を使うのは危険かと」

「……いや、それはアルクんが言うセリフじゃないわよ」とヨヨさんが呆れたように言う。


 あー、あー、聞こえない。何も聞こえない。


「恐れながら奥様。確かに魔法の発動は簡単ではありませんが、ごく身近なところに新しい魔法をポンポン発動させる例外がいます」


 僕の顔を見ながら奥様に言ったのはヨヨさんだ。


「アルクちゃんは~、昔からそうよね~。始めて魔法を使えるようになったのは使用人になってすぐだから、三歳を少し過ぎたころだったかしら~」

「はい、奥様。セイバスさんのご指導のおかげです」

「アルクん! アンタもか!」


 先ほどヨヨさんに説明したが、六歳になる前に魔法を学んだことがあるのは、とある巫女さんだけではない。実は僕もその一人だ。

 執事見習いとなった日から始まった、セイバスさんの執事教育。「執事たるもの、見習いのうちから魔法くらい使えなくてどうするのですか」という指導のもと、執事に必要な魔法を徹底的に叩きこまれた。そのおかげで今日の僕がある。


「アルクんと執事長……昔からアルクんと執事長だったのね」


 ヨヨさんの言ってる意味はわからないが、今はお嬢様だ。

 お嬢様は楽しそうに、「魔っ法なの! 魔っ法なの!」と裏庭をスキップしている。そんなお嬢様を見ながらイーラさんがクネクネと身悶えているのはいつもの光景だ。

 これだけ楽しみにされているお嬢様に、いまさらダメとは言いづらい。こうなったら何があってもお守りするのが執事としての役目だ。


「じゃあティリアちゃん。最初は母さまが見せるわね~」


 奥様は、指先を揃えた左の手のひらを、お嬢様に見せるようそっと差し出した。手のひらの上で目に見えない魔力が渦巻いているのを感じる。不思議そうな顔で奥様の手をじっと凝視しているお嬢様だが、目に見えない魔力をちゃんと感じとっておられるようだ。


 食い入るように見るお嬢様の様子に奥様が微笑む。

 奥様は、指先を前に向けながら手のひらを口元に寄せると、唇をすぼめ、魔力の渦に細く長い息をゆっくりと吹きかける。その息は手の中の魔力を撫でるようにして交じり合い、指先へと流れていった。魔力と交じり合った息は、奥様の手を滑るようにして指先から放たれていき、真っ白な雪へと変化していく。

 空へ放たれた真っ白でさらさらの雪は、太陽の光を浴びて輝きながら地面に降り注ぐ。しんしんと振り続ける雪は、むき出しだった地面を瞬く間に白い絨毯へと変えていった。

 奥様が息を吹きかけるのをやめ、手を降ろしたときには畳二畳ほどの場所に十センチほどの雪が振り積もっていた。


「母さまの魔法は綺麗なの! すごいの!」


 きゃあ、と嬉しそうな声を上げ、積もった雪に駆け寄るお嬢様。小さな両手いっぱいに雪をすくい上げたお嬢様は、大きく息を吸い込み、その雪に勢いよく息を吹きかける。その姿はまるで、今、魔法を使った奥様のようだ。さらさらの粉雪はお嬢様の息に乗って、光を反射させながら宙を舞った。奥様の真似をされたお嬢様の目もその雪のように輝いている。


「さぁ~、次はティリアちゃんの番よ~。今と同じ魔法を使ってみて~」

「魔法するのー!」

「お嬢様、魔力を集中させてくださいね」

「ティリアちゃん、イメージよ。イメージ」

「がんばるのー!」


 やや緊張気味のお嬢様は、降り積もった雪を舞台にして先ほど雪をすくったように両手のひらを上に向け、そのまま口元に近づけた。続いて両目をつむったお嬢様は、眉間にキュッと可愛らしいシワを作りながら魔力を手のひらに集め始める。途中、「んー、んー」と力を込めているお嬢様はとても可愛らしい。まあ、魔力を集めるのに力は必要ないのだが、今はどうでもいいことだ。一生懸命、魔力を貯めようとしているお嬢様の様子を、奥様はもちろんのこと、ヨヨさんやイーラさん、そして僕は黙ったまま見守っている。


 しばらくするとお嬢様の手のひらの中に、今にも消えそうな白い色をした魔力の渦が見え始めた。


 (ん? 魔力が……見える?)


「あら~」


 驚きつつも少し嬉しそうな声を奥様が上げる。

 目を閉じたままのお嬢様は、その声を合図に手のひらに向かって、「ぷー」と勢いよく息を吹きかけた。奥様が吹きかけた息とは全く違う勢いだが、息を吹きかけられた白い魔力は、お嬢様の小さな両手のひらの中でくるくると転がり始めた。


 この時点ですでに奥様の魔法とは違っている。

 万が一を考え、僕は少し身構えた。


 お嬢様の手の中では、今にも零れ落ちそうな白い魔力の塊が動き回っていた。

 息を吹きかけたお嬢様は、恐る恐るといった様子で少しずつ目を開ける。すると、ご自分の手の中で転がっている魔力に気づかれたのだろう。両の目をカッと開いたお嬢様は、にぱっと笑顔を浮かべながらこう言った。


「わかったのー!」


 はい? 何がわかったのでしょうか、お嬢様。

 そんな僕の疑問に答えてくださるように、お嬢様は両手の中で転がる魔力の塊を勢いよく空へと放り投げた。


「「「ええぇっー?」」」


 ヨヨさん、イーラさんが驚きの声を上げた。もちろん僕も含む。

 お嬢様にとって力いっぱい投げたであろう魔力の塊は、回転しながら僕の頭より少し高い位置までくるとピタリと止まった。そして突然、ポンッという音を立てる。

 白い煙のようなものが、もうもうと上がるなか、先ほどまで魔力があった場所に現れたのは――。


「雪……だるま?」


 そう、雪だるまだった。

 お馴染みの雪玉二つを縦にくっつけた全長十センチほどの小さな雪だるまは、赤と緑のストライプ柄マフラーを首に巻き、頭に白いバケツをかぶっていた。両腕は爪楊枝のような細い木の枝で、口と目は真っ黒な炭でできている。真一文字に結んだ口と、まんまるの目で描かれた顔は、完璧といえるほどの無表情だった。

 くるくると回転する雪だるまは、器用にバランスをとり、足を下に(足はないが)して見事静止。そのまま自然の力に逆らわず落下を始めた。そのまま降り積もった雪の上に綺麗な着地をすると思いきや、風もないのになぜか途中でバランスを崩す雪だるま。そしてズボッと派手な音を立てながら顔面から雪の中に埋まってしまった。落下した雪の絨毯には、バケツや身体の形がはっきりとわかる綺麗な雪だるま型が残っている。プールの飛び込みだったら、身体の前面が真っ赤になっているに違いない。


 奥様が特に警戒していないことから、害のあるものではないようだ。構えを解き、様子を見る。


 しばらくそのまま様子を見ていたが、雪だるまが這い出てくる気配はない。よくよく考えてみると、あの体型で身体を起こすことは無理だろう。起き上がろうとしても腕に関節はないようだし、なにより短い。それに足もついていないのだ。


 助けようか悩んでいると、誰よりも先にお嬢様が行動していた。

 心優しいお嬢様は、声をかけながら雪だるまを掘り起こす。救出された雪だるまは、お嬢様の両手に乗せられたまま、辺りをキョロキョロと見回している。雪の中で雪だるまが遭難するという珍しい瞬間を目にしたわけだが、特に怪我をしている様子はない。今も小さく身体を震わせながら身体についた余分な雪を振り落としている。雪を落とした雪だるまは、お嬢様の手に自らの身体をこすりつけていた。その姿は甘える子猫のようだ。


「あら、可愛い」そう言ったのはイーラさんだ。

「あらあら~、ティリアちゃんったら~もう仲良しなのね~」


 (……動く雪だるまねぇ)


 奥様は、この雪だるまの正体をご存知のようだ。

 お嬢様を後ろから抱きかかえ、さらさらの髪を撫でている奥様は、お嬢様の手の上で動く雪だるまを笑顔で見ておられる。奥様に抱っこされているお嬢様も満面の笑みだ。


「この子はスノーンっていう雪の精霊の一種なのよ~」

「精霊……ですか」

「もちろん話すことはできないから、下位精霊だけどね~」


 精霊にも魔族と同じように高位、中位、下位などのランクがあるという。フェニックスである大神官様やドリアードのリアルルさんのように自分で考え、会話し、ある程度自由に活動できる精霊は高位精霊とされている。スノーンのように、話せず、動物程度の知能しかない精霊は下位精霊に分けられるそうだ。


 精霊について奥様が説明してくださる間、お嬢様はスノーンと呼ばれた精霊のお腹をこちょこちょとくすぐっている。スノーンにも感覚があるのだろうか。スノーンは、その身体をくすぐったそうに揺すっている。表情が全く変わらないのが少し不気味だ。


「スノーンは雪山の山頂とかにいるって聞いたことがあるわ。雪の精霊には、ほかにもジャックなんとかっていうのがいるらしいけど」


 そう教えてくれたのはヨヨさんだった。

 友人に精霊がいるだけあって詳しいようだ。


「なぜそんな雪の精霊が王都の真ん中に?」

「なぜかしら~。それに契約してないはずなのに~……ティリアちゃん、よく召喚できたわね~」

「え? 召喚ですか?」

「ティリアちゃんが使ったのは精霊召喚の魔法なの~。召喚魔法のひとつね~」

「「はい?」」


 僕とイーラさんの声が重なった。

 お嬢様は、奥様が使った魔法とは全く関係のない魔法を成功させてしまったようだ。お嬢様の頭を撫で続ける奥様だが、魔法が違っていたことに対する危惧はないようだ。むしろ難しいことを成し遂げたと嬉しそうに褒めておられる。

 僕はその様子を見ながらヨヨさんに小声で話しかける。


「ヨヨさん、精霊召喚ってご存知です?」

「知ってるけど、子供が簡単に使えるような魔法じゃないわよ」


 (精霊召喚は、我々悪魔を召喚する方法に似ておりますぞ)

 (おっと、聞いてたのか。インプ)

 (またお怪我をされたようなので念話だけでも、と。アルク様からの御役目でおそばを離れているとはいえ、あまりご無理なされませんよう)

 (すまないね、インプ。そっちは頼んだよ)

 (やれやれ。では、報告はまた後日にでも)


 突然始まったインプとの念話はすぐに終わる。僕が怪我をしたことを気にして話しかけてきたようだ。悪魔なのにあの忠義深さは大したものだが、あの子、本当に悪魔なのだろうか。


 それにしても悪魔召喚に似ている精霊召喚とはどんな魔法なのだろう。


「初めての魔法が精霊召喚だなんて。ティリアちゃん、すごいわ~」

「せいれいしょうかん?」


 後ろにいらっしゃる奥様を見上げるようにして、お嬢様が振り向く。同じようにお嬢様の手の中にいるスノーンも顔を上げ、奥様を見る。


「そうよ~。精霊さんにお友達になってくださいってお願いする魔法なのよ~」

「おともだちなのー!」


 喜ぶお嬢様の姿を見ながら、隣にいるヨヨさんに話しかける。


「そういうものですか」

「奥様もご存じでしょうけどもう少し複雑ね。今はティリアちゃんのために、わかりやすくお話しされてるみたいだけど」


 そう話すヨヨさんによると、本来の精霊召喚は、精霊と契約を結ぶところから始まる。契約を結ばないと召喚できないそうだ。これは、どの精霊も同じなのだが下位精霊の場合、その契約を結ぶこと自体が難しい。というのも知能の低い下位精霊は意思疎通自体が難しいからだ。


 それ故に精霊召喚で召喚されるのは、意思疎通ができる中位精霊以上がほとんどだという。サラマンダーなどの精霊が有名なのは、精霊召喚のために契約されることが多い中位精霊だからだ。

 しかし、よほどのことがない限り、友人関係とはならない。精霊召喚で喚び出す精霊とは、あくまで契約上の関係にすぎないからだ。よって、どうしても主従関係となってしまうらしい。

 契約を結んだ中位以下の精霊は、安定した魔力を得ることができ、土地の影響を受けずに移動することが可能となる。水や風の精霊のように旅好きな精霊とは契約が結びやすく、土の精霊のように動くのを好まない精霊との契約が難しいのは、こういった理由もあるそうだ。


 では上位精霊はどうか。

 ヨヨさんの話では上位精霊はより強い自我を持っているため、友人関係になることは可能だという。まさにヨヨさんとリアルルさんのような関係だ。しかし自我を持ってるが故に、よほどのことがない限り、支配されたり、主従の契約を結んだりするのを嫌がるそうだ。

 高位精霊は魔力も高く、場所に縛られることがほとんどないため、ある程度自由に移動できる。そのため、わざわざ契約を結ぶ必要を感じていないという。

 確かに、あの大神官様が誰かに支配されている姿など想像もつかない。逆に物理を行使して支配してしまうに違いない。


 また精霊召喚は、ニーナさんたちエルフ族が得意としていると教えてくれた。今度、ニーナさんにも聞いてみることにしよう。


「契約という意味では、確かに悪魔召喚とも似てますね」

「悪魔の場合、契約を取るまでが仕事みたいなものよ。だから歪曲、曲解する連中もいるわ。精霊はそういうことしないわね」

「契約を取るまでが仕事って……どこの悪徳営業ですか」


 しかし今回、お嬢様はその全てを飛ばしてしまった。「スノーンちゃん、あーそーぼー」、「いーいーよ」の流れを、「遊びたい(精霊)、この指とーまれ」にしてしまったのだ。今回、その指に止まったのは、スノーンだった。これは本来ありえないことだという。契約を結んでいないスノーンがなぜ召喚できたのかは今のところ不明だ。


 しかし、僕は声を大にして言いたい。

 可愛いお嬢様なら下位精霊だろうとお友達になれる と。


「ティリアとおともだちなの!」


 そう話しかけられたスノーンは、器用に首を縦に動かす。


「うなずいてますけど?」

「意思疎通できないはずなんだけど……」と困り顔のヨヨさん。


 話せないのにこちらの言葉は理解できるのだろうか。理解していたとしても『おともだち』の意味がわかっているかどうかは不明だ。


「お名前は、ユキちゃんなんだって!」

「ユキ? お嬢様が付けた名前ですか?」

「違うのー! ユキちゃんがユキちゃんって教えてくれたの」

「え? ティリアちゃん。スノーンとお話できるの!?」


 お嬢様に食いつかんばかりの勢いで近寄るヨヨさん。

 どうどう。落ち着いて下さい。

 お嬢様はそんなヨヨさんに対し、不思議そうな顔で答えた。


「できるよ?」

「あらあら~」


 意思疎通できないはずの下位精霊とお話しできるという我が子に、奥様も驚いているようだ。


「それでね! ユキちゃんは迷子だったのー」


 お嬢様を通じて語られたスノーンの話によると、大きな山に住んでいたユキは、ここ(王都)まで風に飛ばされてしまったそうだ。帰ろうとしたもののあまりの暖かさに魔力も尽きかけ、消える寸前だった。そこに奥様が振らせた雪の冷気とお嬢様の魔力を見つけたユキは、わらにもすがる思いでここまでやってきたという。お嬢様の白く染まった魔力に飛び込んだユキだったが、その魔力はユキにとって何よりも心地良いものだったそうだ。お嬢様のおかげで本来の姿と元気を取り戻したユキは、自力で帰るだけの魔力も補充できたという。


 (なるほど)


 契約してない精霊が召喚できた理由がなんとなくわかった。

 魔力不足に陥ったため、契約なしで召喚に応じただけのようだ。それにしてもお嬢様の魔力がユキにとって心地良いものだとは驚きである。


「ところでヨヨさん」

「言わないで。わかっているから」


 そうなのだ。

 下位精霊は動物並の知能しかないという話だった。それなのにお嬢様とユキは今もお話しをしている。ヨヨさんとしてもこの事実に困惑しているようだった。


「え? ユキちゃん、もう帰っちゃうの?」


 お嬢様が寂しそうな顔でユキに尋ねると、動きを止めたユキはしばらくしてからコクリとうなずいた。


「ティリアちゃん~、雪の精霊さんはここでは長く遊べないの~。だからちゃんとお山に帰してあげないとだめなのよ~」


 奥様の言葉に、今にも泣き出しそうなお嬢様だったが、その涙を押し留めたのはユキ本人だった。

 ユキは、頭に乗ったバケツを宙に飛ばすと、腕である枝をつっこみ、中から何かを取り出した。それはバケツの中には絶対に入らないであろう大きさの、雪の結晶を模した白い髪飾りだった。ユキはお嬢様の赤い髪にその髪飾りを器用につけると、頭をなでなでしてから、空中に浮かび上がる。


「わかったのー! またいっしょに遊ぶのー」


 僕たちには聞こえなかったが、いつの日かまた遊ぶ約束をユキとしたのだろう。

 目尻に涙をためながら、お嬢様が空中に浮かぶユキに向かって大きく手を振り始めた。手を振るたび、お嬢様の髪が揺れ、三センチほどの白い髪飾りが輝いている。


 皆に見送られながら、ユキは風に乗るようにゆっくり上昇していく。そんななか、ユキがちらりと僕を見た。その無表情な顔が、少しだけ笑ったような気がする。その瞬間、僕めがけて何か白いものが飛んできた。すっかり油断していた僕は、それをまともに受けてしまった。

 顔面で。


「ぶほっ!(いてて、なんだ?)」


 顔に向かって飛んできたのは、ユキほどの大きさの雪玉だ。怪我はないが、その雪玉は形を維持したまま僕の顔面に残っている。その雪玉を僕が手にとったときには、ユキの姿はもうどこにもなかった。


 ユキが消えたあとも、しばらく手を振っていたお嬢様は泣くのを我慢している。だがそれも限界だったのだろう。お嬢様は奥様へ猛スピードで駆け寄ると、飛びつくようにして抱きつき、奥様の腕の中で顔をうずめている。

 お嬢様の髪を撫でながら、「お約束をしたなら、また会えるわ~」と慰める奥様に、お嬢様は黙ったままうなずいていた。その横には、お嬢様の仕草にクネりそうになるのを我慢しているイーラさんの姿があった。泣いてるお嬢様にもブレない専属侍女おねえちゃんである。


「ねえ、アルクん。それなーにー?」


 ヨヨさんが指をさしているのは、僕が持っている雪玉だ。先ほどユキが投げてきた雪玉だが、手の熱で溶け始めていた。よく見てみると、その雪玉には数ミリほどの茶色の粒がいくつも混ざっていた。その一粒を手にとってみると、何かの種のように見える。雪玉を水で洗い流しながら確認すると、かなりの数が混ざっており、その数は百を下らない。


「……お礼なの」


 お嬢様の涙声が聞こえる。

 少しだけ目を腫らし奥様に抱っこされているお嬢様にその粒を見せると、それはユキからのお礼だと教えてくれる。


「ユキにゃんっていうお野菜の種なの」

「ユキにゃん? あっ、もしかして……」


 これはまた、なかなか珍しいものを置いていってくれたようだ。


「お嬢様、もしかして『雪菜ゆきな』ですか」

「そうなのー。雪菜ゆきにゃんなの」


 笑顔を取り戻したお嬢様が嬉しそうに話す。

 雪菜とユキちゃんが混ざっているようだが、これもヨヨさんが僕のことをアルクん呼びする影響に違いない。


 雪菜とは、前世でも雪が振る一部の地域でしか栽培されていないアブラナ科の野菜だ。雪の中に埋めて栽培するのが特徴で、主に、「とう」と呼ばれる花茎を食べる。漬け物やサラダに使われるが、スープにしても美味しいらしい。種をまくのは暑い時期だったはずなので、まだ間に合う。当然、毒のない食材の一つだ。


「あら~、それも食材なのね~」

「なぜスノーンが野菜の種をくれたのかわかりませんが、また一つ、毒のない食材が増えました。それに――」


 お嬢様の髪につけられた雪の結晶を模した髪飾り。

 真っ白な髪飾りはお嬢様の赤い髪に良く似合っている。氷のような半透明の素材でできているようだが、よくわからない。


「これは精霊との契約の証なのよ~」


 どうしましょう~と言いながらも嬉しそうな顔をする奥様。

 精霊と契約を結ぶと、何かしらの証を残すそうだ。その証はアザのような印だったり、指輪だったり、剣だったりと精霊によって常に違うらしい。


「おともだちの印なの!」

「よかったわね、ティリアちゃん」とヨヨさん。

「ヨヨちゃんもおともだちなのー」

「あら、うれしいわ」


 妖精とお嬢様がじゃれあっているなか、イーラさんが羨ましそうな顔で見ている。ただ奥様だけが少し浮かない顔をされていた。


「どうかされましたか」

「ん~。大したことではないのだけど、スノーンって意思疎通もお話しもできないはずなのよ~。あの子、何だったのかしら~」

「ヨヨさんも気にしていたようです。念のため、警戒しておきます」

「いいえ~、大丈夫よ。悪いものじゃないみたいだから~」


 下位精霊にしては少し変わっていたが、悪い精霊というわけではないらしい。奥様も問題ないとの判断だ。いつかまたユキに会う日もあるだろう。



 さて、その日の夕食。

 お帰りになった侯爵様に、自慢気にユキからもらった髪飾りを見せるお嬢様と、愛娘の初魔法に立ち会い、その魔法が召喚魔法であったことを自慢気に話す奥様の姿があった。

 幼くして魔法を成功させたティリアお嬢様を心から喜び、祝福する侯爵様だったがなぜかその背中は泣いているように見えた。その姿はまるで愛娘が優勝したピアノコンクールを見逃した父親のようだった。

 僕とイーラさんもその場にいたのだが、黙ったままでいようと互いに目配せしておく。


 また、三歳に満たないお嬢様が精霊召喚を成功させたこともあって、これから本格的な魔法の勉強が始まることが決定した。これに喜んだのはもちろんお嬢様だ。しばらくの間、講師は奥様が行うそうだが侯爵領に戻り次第、魔法の教師を雇うそうだ。


 こうして今日もまた忙しい一日が過ぎていくのであった。



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