第七十四話 それは紛うことなく白かった
まだ陽も登らぬ夜明け前。
いつもどおりの時間に起きた僕は、身支度を整え、朝食を食べに使用人用の食堂に向かった。食堂では、使用人たちがすでに食事をしており、今日も賑やかだ。中に入ると、食欲をそそる美味しそうな香りが広がっている。これは、バターの香りに違いない。
「おはようございます」
朝の挨拶を交わし、朝食のメニューへと目を向ける。
今日の食事はビュッフェスタイルになっていた。食べたいものを食べられるだけ取るという方式だ。
「さてと……」
並べられた料理の数々を見ると、焼きたてのパン。河童族が育てたカボチャを使った具だくさんスープ。キュウリの入った野菜サラダ。デザートにはバナナやメロンが並べられていた。それに加え、ミノスさんの牧場で育ったウシドンのローストビーフの存在感たるや朝から食べ過ぎてしまうこと間違いなしである。
これらは使用人のまかないとしては贅沢な内容だ。
そしてこの贅沢なまかないには理由があった。
少し前まで、毒のない食材が手に入ると、侯爵御一家にお出しするメニューを料理長であるレイゴストさんと一緒になって考えていた。伝統的な魔族料理に使っている食材を毒のない食材に変更したり、白の賢者様からもらった知識にあるメニューを組み合わせてみたり、アレンジをいろいろ加えながらメニューを作り出していたのだ。
それら新しいメニューを考案する場所は、いつも厨房だった。
そしてその作業を見ていたほかの料理人たちの意見を聞くうちに、なぜか料理人の全員が参加するまでの規模になっていた。当然のように様々なメニューが考案された。見た目には非常に繊細で、洗練された料理たちだ。
だが、ここでひとつの問題が発生した。
今までは僕とレイゴストさんが一緒になって毒のないメニューを考え、レイゴストさんが作り、僕が味見をする、というのが一連の流れだった。そこにメニューを考える人数が増えた。そのおかげで多くのメニューが考案されることになった。
ここまではいい。
多くのメニューが考案されたことは素晴らしい。
だが問題は、味見役が僕しかいないということだ。なにせ料理人のほとんどがレイゴストさんと同じ幽霊族。幽霊族でない料理人も魔族である。当然、味が理解できない。御一家の料理ということは、当然、味覚に優れるお嬢様もいらっしゃるのだ。
……おわかりいただけただろうか。
「アルク! 味はどうだ?」
「アルクくん! 僕の作った料理はどうだい?」
「オレのが一番だろ」
「何を! お嬢様に喜んでもらえるのは僕の料理だぞ」
「待てよ! 俺の料理のほうがお嬢様に喜んでもらえる」
「皆さん待ってください。お嬢様に喜んでもらえる料理を作れるのはこの僕です」
「「アルク! ずるいぞ!(味覚的な意味で)」」
そんなやり取りがあったことは、今は置いておく。
そう! 使用人の中で味を理解しているのが僕しかいないということは、考案されたメニューの味見は僕一人がやることになる。いくら少しずつとはいえ、さすがに食べきれない量だ。どこかの底なし胃袋持ちの激辛エルフと違い、十歳の僕では食べられる量の限界は早い。イーラさんがそれなりに味覚を取り戻しつつあるが、まだまだ時間がかかるはずだ。
このままでは食べ過ぎで倒れるか、『アルクくん』から『アルクどん』に変化する日も近い。
結局、僕一人では食べきれないということで、侯爵御一家用に考案された試作品の数々が、まかないにまわされることになったのだ。中には食材の種類を減らしたり、質を落としたりしたものが正式にまかないとして採用されたものもある。余った食材を使った料理などもいろいろと考案しているのだ。ここでも白の賢者様からいただいた知識や技術が役に立っている。特に『お祖母ちゃんの知恵袋』が大活躍だ。
「アルク、おはようさん」
「おはようございます。レイゴストさん。……あれ? いつのまにか『アル坊』じゃなくなってますね」
「そろそろ『坊』って呼ぶのもおかしいだろ。今じゃ、俺がメニューを教わっているくらいだしな」
そう言うと、「がっはっは」と笑いながら僕の頭を撫でている、念動力を使って。名前に『坊』がつかなくなったが、扱いは変わっていないらしい。
「みんな、今日の朝メシはどうだ?」
食堂を見回したレイゴストさんが使用人のみんなに感想を求める。毒のない食材に変わったことで大きく変わったのは見た目だ。今の僕から言わせれば不自然な色がなくなっただけで十分きれいな盛り付けに見えるのだが、調理長としてはもう少し色合い良く華やかにしたいらしい。
「問題なし!」
「さすがは料理長。美しい料理です」
「相変わらず素晴らしい」
「美味しいは正義」
「緑や赤をポイントにもう少し使ってもいいですね」
ん? 今、おかしな意見がなかったか?
「ちょっと! 今、美味しいは正義って言ったの、誰?」
使用人のみんなを見回すと、食堂の隅で何本ものバナナの皮を前に手を上げるメイドさんがいる。今も皮を剥いたばかりのバナナをごくりと一飲みにすると、彼女は僕に笑顔を向け、手を振った。
(えーと、彼女は――)
「あ、いたいた。ラミ。ダメじゃない。また本を置きっぱなしにして」
そう言って食堂に入ってきたのはイーラさんだ。本の表紙を食堂の奥で手を振っているメイドさんに向けている。本の表紙には、『障子にミミあり。上司とメアリー』と書かれていた。
そうだ、彼女の名前はラミーシャ。通称ラミさん。
侯爵家に仕えるメイドの一人で、給仕と買い物を主に担当している。歳は十五。僕よりも五歳年上のお姉さんだ。イーラさんのほうが年下だが、仲の良い姉妹のような付き合いをしている。肩で揃えたストレートの明るいブラウンの髪と薄い赤色の瞳をした女性で、僕に龍族語などを教えてくれた先生でもある。今はお嬢様にも教えていたはずだ。十五歳にしては妙に艶めかし雰囲気を持っている。
「あらぁ、ごめんねぇ。イーラ」
そう言いながら、イーラさんに近寄り、本を受け取る彼女。
(休憩室にあったあの本。ラミさんのか)
確か彼女は、僕とヒミカさんの『お話し合い』を目撃したメイドさんだ。商業ギルド長に『災厄の議論』と言わしめた出来事を、レイゴストさんや使用人の皆に暴露しつつ、イーラさんとヨヨさんの三人で情報交換をしていたメイドさんである。確か、オリーブオイルでドーナツを作った日のことだった。「私は見た」と言っていたが、間違いなく『障子にミミあり。上司とメアリー』の影響を受けているに違いない。
当時は気が付かなかったが、前にも、「美味しいは正義」と聞いたような気がする。
「ところでなぜ手なんて上げてるのよ」
「ん? アルクくんがお嫁さん候補を探していたから立候補をね」
「にゃにゅー! お姉ちゃんは許しませんよ!」
「言ってません」
ため息をつきながら即座に否定しておく。
ラミーシャ=ブルガー。十五歳。
侯爵家に忠誠を誓うブルガー男爵の一人娘。そろそろ結婚相手の噂が出てもおかしくないお年頃である。だが、彼女にはそう言った噂ひとつ出ていないのだ。本人は全く気にしておらず、むしろネタにして楽しんでいる風潮が見られる。魔族の結婚適齢期は数百年と長いため焦る必要は全くない。
「おう! アルク。モテモテだな。じゃ、俺は厨房に戻るから」
シュタッと手を上げながらレイゴスト料理長は、食堂を後にする。これからほかの料理人たちと新しいメニューを試してみるのだそうだ。料理長を見送りながら、あとで味見をしに行くことを約束する。
そこに長い舌を出しながら、にっこり笑うラミさんがやってきた。いたずらを仕掛ける前の子供のような笑顔である。彼女は僕の頬をつつきながら嬉しそうな顔で言った。
「モテモテで思い出したわ。昨日、一緒に歩いていたエルフのキレーなお姉さんは誰? 私、見たわよ~♪」
ラミーシャ=ブルガー。十五歳。
ゴシップが大好きなうら若き乙女である。
仮に『障子にミミあり。上司とメアリー』の続編が出るとすれば、『ミミ』が『ラミ』に変わることだろう。
頬を膨らませながら、「お姉ちゃんは許さないわ」と山盛りのローストビーフを手にしたイーラさんと、「はやく教えなさぁい」と興味津々なラミさん、そして僕の三人は同じテーブルについている。
(やれやれ。どうしてこうなった)
二人にニーナさんのことを説明し、どうにか納得してもらった。
朝食を食べながら、やれやれと一息つく。
だが問題は、僕のことではないのだ。
「ラミさん。先ほど美味しいは正義って言ってましたよね」
「ええ!? ラミ、それって――」
「んー? うちの家訓よ」
「「家訓!?」」
思いもよらぬ答えに、僕とイーラさんは顔を見合わせた。
美味しいは正義。
この言葉は、ラミさんの家ブルガー家に伝わる由緒ある家訓だそうだ。由緒ありすぎて、今となってはその意味を知る者は誰もいない、という曰くつき。特に前半部分の「美味しい」という意味がわかるものはいなかった。後半の「正義」だけは理解できるため、もともと騎士出身のブルガー家としては、鼓舞したり、決意を表明したりするときの言葉として使っているそうだ。
家訓を忘れてしまう騎士の一族には、『脳筋』という由緒ある言葉を送りたい。
(意味もわからず叫ぶって。それでいいのか男爵家)
「私のご先祖様にエルフがいたそうなのよ。そのご先祖様が伝えた言葉らしいわ」
魔族とエルフなど他種族との婚姻は滅多にない。
もともと住んでいる場所も違うのだ。それに寿命ひとつ取ってみても間違いなく高位魔族のほうが長生きする場合が多い。中位魔族の寿命は魔種族によっても変わるが、両種族間の寿命が大きく異なれば行きつく先は確実に死別だ。とはいえ異種族間の婚姻例が存在しているのも事実だった。
「もしかしてラミさん。味わかってる?」
「んー、味の意味そのものがよくわからないのよね」
そう言ってクスクス笑う。
試しに塩と花蜜を渡してみたが、ごくりと飲み込んだ彼女は無反応だった。
(ダメかぁ。ん? エルフの血……ということはもしかしたら)
僕は、昨日ニーナさんからもらった小ビンを取り出すと、そのフタを開けた。中身は、例のモルスソース。死の激辛ソースである。
――ガタッ
椅子をひく音が食堂に響く。
……あちこちで。
食堂を見回すと数人が立ったまま、僕の持つ小ビンに注目している。その顔はどうみてもしかめっ面で立っている全員が鼻を押さえている。ほかの使用人たちは、突然立ち上がった同僚を見て不思議そうな顔を向けていた。
「あ、すいません」
どうやら今、席を立ったのは鼻の利く魔種族らしい。慌ててフタをしてから、僕はみんなに頭を下げた。立っていた使用人さんらは、手をひらひら振りながら、「大丈夫だ」と苦笑する。一瞬とはいえ、かなり強烈な匂いだったらしい。
「あー、それと同じようなのがうちにもあるわ。そんなに強烈じゃないけど」
ビンの中身を覗いたラミさんが目をこすりながら言う。エルフの血を引いていても刺激は感じるらしい。隣に座るイーラさんは平気な顔で黙々とローストビーフを口に運んでおり、特に影響を受けているようには見えない。
同じようなものがあるという答えに、もしやと期待が膨らむ。だが彼女の答えは、「それ食べるの!?」という驚きだった。エルフに伝わる食材用のソースだと説明したのだが、食べられると思っていなかったようだ。まあ確かに激辛すぎて食べ物に分類していいものか悩むところではある。
(辛さならわかると思ったのになぁ)
「あ、そうそう。見て欲しいものがあるのよ」
そういってラミさんは食堂から出て行くと、箱を抱えて戻ってきた。そしてその箱を、「これ、アルクくんにね」と手渡される。箱を開けると、そこには前世で見慣れた白と赤の食材が入っていた。それもけっこうな数だ。
「こ、これは卵とトウガラシじゃないですか! コケッ」
「コケッ? 卵はわかるけど、これ、トウガラシっていうの?」
「ええ。このモルスソースもトウガラシが入ってます。でもこれどうしたんです」
「ちゃんと名前があったのね。ほら、ちょっと前に使用人みんなで食材探しを手伝うって約束したでしょ」
「そういえばラミ、実家に手紙書いてたわね」
お嬢様のため毒のない食材を探していると聞いたラミさんは、もしかしたらと思い、実家に手紙を書いてくれた。
それにしても手紙を出してから食材が届くまであまりにも早過ぎる。
そのことをラミさんに聞くと、執事長が届けてくれたと言う。なんでも手紙を出すため、外出許可をもらいに執事長のもとに行くと、タイミング良くラミさんの実家に侯爵様の手紙を届ける用事があったそうだ。執事長も帰るついでということで、ラミさんが頼んだトウガラシと卵を持ち帰ってくれたらしい。
『執事ゲート』の便利さが良くわかる。
「変わった形をしているけど、どっちもきれいね」とイーラさん。
「そっちの赤い……トウガラシ? ってのは、卵を染めるための材料に使っているの。すごくきれいに染まるのよ。その染めた卵がお父様の大好物でね」
袋の中のトウガラシは、細長いものや楕円状のものまで様々な種類が混在している。恐らく辛さも違うのだろう。昔から庭に群生しており一年中生えているそうだ。ニーナさんが聞いたら喜びそうだ。
そのトウガラシは染料として使っているとラミさんは言った。
「卵はなんの卵なんです?」
望ましいのは鳥の卵だけど、この際、トカゲでもカモノハシでもドラゴンでも毒がなければどんな卵でも構わない。
「卵はウコッケっていう鳥の――」
「コケーーーッ! ウコーッケッケッ」
「……どうしよう、イーラ。アルクくんが壊れたわ」
「……いいのよ、ラミ。たまに壊れるから」
「失礼な」
灯台もと暗しという言葉がある。
灯台の下で暮らしているという意味ではない。
欲しかった食材のひとつが身近なところから手に入った。普通の魔族、それも侯爵家に仕える同僚のメイドさんが卵を知っていたなんて驚くほかない。
しかも、ウコッケの卵だ。以前、図鑑で確認したウコッケは紛うことなき鶏の烏骨鶏である。ほかの種類の鶏もウコッケと呼んでいるようだが、細かいことは灯台の下に置いておこう。
卵というのは使い道が多い。お菓子に使うこともできるし、卵単体だけでも素晴らしい料理ができる。ウコッケが手に入るなら、当然、鶏肉も手に入るはずだ。
ラミさんにウコッケについて詳しく話を聞くと、ウコッケはブルガー家が育てている鳥で、外に流通することなくブルガー家のみで消費されているそうだ。普段は白いまま食卓に並ぶが、誕生日などめでたいことがあるとトウガラシで染めた卵と白い卵が用意されると教えてくれた。
(染めるのは、紅白的な意味?)
ただ食卓に並ぶからといってもそこは普通の魔族。当然、味などわからず、ほかの食材よりも多く含まれる魔力と色合いが目的だ。
味がわからないのは魔族だから仕方ない。
だが、その食べ方には驚かされた。
ブルガー家では、殻ごと丸飲みしているそうだ。染めた卵が大好物と言っていたラミさんの父親、ブルガー男爵もその『のどごし』を気に入っているらしい。
というのもラミさんの種族はラミア族。上半身は人型、下半身が蛇の中位魔族だ。ブルガー家がラミア族であることは有名なので特に隠すこともないという。
普段は、足がないと不便なので魔法で変身しているそうだ。「見てみるぅ?」と言いながらメイド服のスカートをたくし上げ、きゅっと引き締まった足首や卵のようにつるりとしたシミひとつない真っ白な肌の生足を見せようとしてきたが、丁重にお断りしておいた。
執事たる僕は、もちろん見ていない。白い肌の生足やペディキュアの色がピンクと白のグラデーションだったことなど、見てない僕としてはさっぱりわからないことだ。
ラミーシャ=ブルガー。十五歳。花も恥じらう乙女である。
淑女として修行中の彼女には、ぜひ花を見習って欲しい。
ただし、蛇花とも呼ばれる彼岸花は見習わないように。花言葉は『あきらめ』だ。
「そういえばラミさんもバナナを丸飲みしてましたね」
「バナナ? あー、あの黄色いやつね。ひさびさに食べたわ。前は神殿で配っていたのに最近見なかったのよね」
バナナを配っていたのは間違いなくヒミカさんだ。ここ最近はアルティコ伯爵夫妻の看病のため、バナナを取りに行く時間もなかったはず。しばらく見なかったというのもうなずける話だ。
僕はしばらく考えたあと、ラミさんに質問を投げかける。
「もしかして厨房の貯蔵庫にバナナの皮を置いたのってラミさんですか」
毒のない食材を厨房で探したとき、バナナの皮だけが残っていた。そのことを思い出しながら彼女に聞く。
「あらぁ、どうしてそう思うの」と笑みを返す彼女。
ラミさんの主な仕事は給仕と買い物だ。給仕であれば厨房に入る機会も多い。買い物ついでに寄った神殿でもらったバナナを食料貯蔵庫に置いておいた可能性がある。何より、「ひさびさ」という言葉が引っ掛かった。僕が侯爵家に持ち込むより前にバナナを食べたことがなければ、そんな言葉は出てこない。
そのことを指摘すると、「バレちゃった」と長い舌を出して片目をつぶった。別にそれを白状したところで罰があるわけではない。皮だけが残っていた謎が解けただけだ。
「私、卵の殻とか皮とか苦手なのよね。皮はきれいだったから残しておいたんだけど、ダメだったかしら」
(まあ、魔族的にはゴミに見えないだろうね)
「まあ、バナナも卵も剥いて食べたほうがいいですね」
「そうなのよ。なのにお父様ったら卵をそのまま食べなさいっていうのよ。殻が残っていると、のどごしが悪くなるのに。卵はトロリとしたのどごしがいいのにもったいないわ」
彼女は駄々をこねる子供のように頬を膨らませる。
ラミア族は、食材に対して『のどごし』を重要視するらしい。『のどごし』とやらにも個人的な好みというものがあるようで、ラミさん曰く、皮を剥いたバナナが喉を通る感触がたまらないそうだ。想像するだけで息が苦しくなってくるが、これも魔種族の違いだと納得する。
それよりも生で卵を飲んでいるほうが驚きである。まるでどこかの拳闘士のようだ。
それにしてもよく養鶏なんて思いついたものだ。恐らく養鶏もトウガラシの栽培もエルフのご先祖様が始めたことだろう。僕の推測にラミさんもうなずいていた。
「この卵ですが、さっそくお嬢様の朝食に使わせてもらいましょう」
「あら、前世にもウコッケの卵ってあったの?」とイーラさん。
侯爵家に仕える使用人は、僕が前世の記憶持ちだと知っている。ただし、白の賢者様にいただいた知識や技能のことは言っていない。
卵は前世で馴染みの深い食材だけに白の賢者様からいただいた知識を使うまでもなかった。
「ウコッケはいませんが似たような鳥がいました。卵を使った料理もたくさんありましたね」と笑顔で答える。
「そういえばラミさん。卵に毒がないのをよく知ってましたね」
「え?」
「え?」
そこからが大慌てだった。
ウコッケの卵に毒があるかないかはわからないというのだ。あくまでお嬢様用の食材になるかどうか確認のために取り寄せたらしい。毒の有無は僕に判断してもらう予定だったそうだ。
どう見ても鶏の卵だが、万が一ということもある。
ここは前世とは違うのだ。
お嬢様を起こすまで、あと二時間もない。ゆっくり調べている時間がない。そこで毒の有無を確かめるため、僕が実際に食べて毒味をすることにした。どうせゆっくり調べたところで最終的に僕が毒味をすることになる。
イーラさんやラミさんに止められたが、僕が確かめるのが一番早い。
何が一番早いのか。それは毒の症状が出る時間である。ただ単に毒耐性がないだけじゃない。遅効性の毒でも即死するかもしれない毒の弱さを活かすときだ。
毒キノコのスープを飲んだときを思い出す。
白の賢者様は、僕の毒耐性のレベルを人族並だと言われたが、あれは間違いだと思う。前世の人族ですら猛毒のカエンタケで卒倒しないし、遅効性の毒では即死しない。麻痺ガスを吸い込んだ程度で呼吸困難になったりも(たぶん)しないはずだ。
そんな人族よりも優れた負の毒耐性を持つ魔族がこの僕だ。
……自分で言ってて悲しくなってきた。
セイバスさんからもらった解毒薬を準備しつつ、卵を『執事キッチン』でゆで卵にして試食。加熱で毒が消える可能性も考え、念のため生でも試食しておく。
ついでということで、トウガラシも試食したのだが、やはり種類によって辛さが違うようだ。だが、激辛だろうとなんだろうと毒味をしておかないと料理に使えないため、口に入れるしかない。辛さのせいで大量の汗が出るし、顔も熱い。涙目になりながら何種類もトウガラシの毒味をしていると、もはや辛さの影響なのか、毒の影響なのかさっぱり判断がつかない状態になった。
今更だが自分の身体で毒があるかないか試すのにも限度があることに気がついた。何か良い方法を考えなければ毒で倒れる前に胃がおかしくなりそうだ。
努力の甲斐あって、ウコッケの卵とトウガラシには毒は含まれていないことがはっきりした。
その後、ラミさんに卵を定期的に入手するのはどうすればいいのか聞いておく。なにせブルガー家だけで消費されているという卵。養鶏の規模も限られているはずだ。
「え? いつでも欲しいだけ用意するわよ。実家には卵を保存するためにアイテムボックスの魔法がかかった魔道具があるもの。毎日、大量に卵が手に入るから増える一方なのよね」
大量に手に入る?
養鶏所の鶏が卵を産む数は、およそ一日一個。烏骨鶏はそれらの鶏よりも産む頻度が少なかったはずだ。三日に一個とか一週間に一個の頻度だ。
「ウコッケはどれだけ産むんですか」
「二、三日に一個くらいかな」
二、三日に一個だとすればそんなに大量に産むとは言えない。
ということは、だ。
「ラミさん。何羽くらいウコッケ飼ってるんです?」
「そうねぇ。五千羽くらいかしら」
「……そりゃ大量でしょうね」
単純に計算して毎日千六百個以上の卵が手に入ることになる。さすがにそれだけの卵を全て食べるのは無理だ。
「なんでまたそんなに飼ってるんですか」
「アルクくんってうちの家業知らなかったっけ?」
「ブルガー男爵はドラゴンの飼育をしているのよ」とイーラさん。
「あー、そういえば」
ブルガー家がラミア族であると知れ渡っているのは、このドラゴンの飼育を任されているからだ。
龍族と違い、ドラゴンは種族間戦争で魔族とともに他種族と戦い、他の種族を圧倒した『魔物』だ。年を経たドラゴンはエルダードラゴンと呼ばれ、ドラゴンを率いる群れの長となる。長となったエルダードラゴンは龍族と同等の知能を有し、言葉や魔法を駆使するという。その長から、親のいない幼竜や事情のある幼竜の世話を任されているのが、侯爵家に忠誠を誓うブルガー男爵家である。
種族間戦争前は、魔物の子守をする誇りなき魔族と揶揄されることもあったそうだが、戦争中のドラゴンとブルガー男爵の活躍により、そのような声はなくなった。それでも執拗に男爵を馬鹿にし、ドラゴンを殺そうとした愚かな連中は、もれなく長たるエルダードラゴンに美味しくいただかれている。
その幼竜を育てるためのエサが卵であり、ウコッケだ。約千六百個の卵も幼竜に消費されているそうだが、最近は余るときが多いとラミさんが言う。なんでも幼竜の数が年々減っているらしい。どこの世界にも少子化という問題は起きるようだ。
ちなみに僕の誕生日に使用人のみんなから贈られた竜の貴重品箱。この貴重品箱に使われているブラックドラゴンの卵の殻は、ラミさんの実家経由で手に入れたものだそうだ。
「卵を商売で扱いたいって話は――」
「お父様に直接、交渉したほうがいいわね」
侯爵家の中で消費する分には、娘権限でいくらでも送ってくれるそうだが、商売となると話は別だ。どうやらブルガー男爵と話をする必要が出てきた。
とりあえずこれ以上は侯爵領に戻ってからの話だ。
今は卵との出会いをラミさんに感謝したい。
「ラミさん、僕の可愛いお嬢様のためにありがとうございます」
「いいのよ。私の可愛いお嬢様のためですもの」
「あら、アルクくん、ラミ。私の可愛いお嬢様に何を言ってるのかしら」
にこやかに笑う三人の間に、火花が静かに飛び散っている。
「……アンタたち、それ毎日やってるの?」
「ヨヨさん。今、大事な話をしているんです」
「それはそうと、そろそろティリアちゃんを起こす時間じゃないの?」
「お忙しいなか、急にお邪魔してすいません」
「いや、それはいいけどよ」
今、僕は厨房でフライパンを握っている。
バターを溶かしたフライパンでプレーンオムレツを作っている最中だ。簡単な料理ではあるが、簡単だからこそアレンジしやすく奥が深い。
「これが卵ってやつの料理か。色もきれいだな」
「パンとも相性がいいですよ」
「ほう。この卵っていうのはいろいろ使えそうだな」
オムレツを作っている僕の周りにはレイゴストさんをはじめとする料理人さんたちが集まっている。初めて見る卵料理に興味津々といったところだ。
「お、固まってきた!」
実験結果に喜ぶ小学生のような反応をする料理人さんたち。ひと塊になっていくオムレツをみながら大はしゃぎだ。
お皿に出来上がったオムレツを盛り付けるとレイゴストさんに渡す。レイゴストさんは見事な手際でプレーンオムレツを芸術の域まで高め、貴族の料理にしていく。刻んだパセリ、キノコと生クリーム入りのホワイトソースで彩られたオムレツは美しく、とても美味しそうだ。
「これでサンプルの完成ですね」
レイゴストさんがオムレツを飾り付けている間、僕は料理人さんたちが新しく考案したお嬢様用の離乳食を試食している。最近、いつもこの試食に付き合っているのだが、味が判断できないはずなのに塩加減がほぼ完璧なのは驚嘆に値する。お嬢様用や伯爵夫妻用に微調整はするものの見事なものだ。
ただ最近手に入れた砂糖に関しては、まだ量をつかめていないらしい。砂糖が手に入ったころに考案されたあるシチューは、ヨヨさんが喜ぶほどの甘さだった。
試食の結果、味などの細かい感想や改善点を伝えているとレイゴストさん自ら作ったオムレツが目の前に差し出される。
初めて見る食材で初めて見たはずの料理をすでに自分のものとしている料理長。だてに千年以上、料理人をやってるわけではない。さらに普通ならラグビーボールのような形になるのだが、念動力を使ったのか、レイゴストさんが作ったオムレツは見事なドーム型である。
(トマトがあればオムライスもいいよなぁ)
オムレツのほかにも作ったものがあるのだが今朝は時間がなかった。そちらは今日の夕食にお出しする予定だ。
「完璧です。レイゴストさん」
味も卵の固さも問題ない。ドーム型のオムレツを試食した感想を伝えると、料理長はニカッとした笑みを浮かべる。
「おっと、そろそろ失礼しますね」
料理長にあとのことを任せると、僕はお嬢様のもとへと急いだ。
今日の朝食に急遽出したオムレツにも、お嬢様は大変喜んでくださった。ふわふわのオムレツをスプーンですくって小さなお口に運ばれるたび、「んふー」と頬に手を当てて喜ばれるお姿は実に可愛らしい。
イーラさんのクネクネ具合もいつもよりクネクネしている。
もちろん御夫妻にも良い評価をいただけたのだが、卵に関しては侯爵様の評価が特に高かった。というのも侯爵様に卵の説明を求められたとき、卵や野菜を挟んだサンドイッチやゆで卵の話をしたのだ。試しに作ってお出ししたのだが、これが仕事中にも食べられるとお褒めいただいた。手で食べられる手軽さと断面の美しさも気に入っていただけたようだ。
そんな侯爵様は、奥様とセイバスさんに食事のときくらい仕事のことを忘れてください、と嗜められていた。
侯爵様、申し訳ございません、と心の中で謝罪しておく。
不可抗力なんです。
デザートのメロンを笑顔で食べておられるお嬢様に癒やされるなか、ヨヨさんから話しかけられる。
「そういえば昨日、きれいなエルフ女性と歩いていたそうね」
ニヤニヤしたその顔は間違いなくわかってて言ってる顔だ。
情報源は間違いなくラミさんだろう。ニーナさんと歩いているところを目撃したラミさんには、彼女が隊商の仲間であることは今日の朝、説明したばかり。
間違いなくヨヨさんはそのことを聞いているはずなのだ。
「アルクちゃん。ヒミカちゃんと仲が良いのに、節操なく複数の女性とお付き合いしたらだーめ」と奥様。
「だーめなの」と頬を膨らませるお嬢様。
ヨヨさんの話を聞いた奥様とお嬢様にダメ出しされてしまった僕だが、あくまでも冷静かつ端的に、色恋沙汰のお付き合いではなく隊商の仕事仲間であると説明し、誤解を解く。
額と背中を流れる滝のような汗は、今朝食べたトウガラシのせいだ。僕はあくまで冷静である。
そもそもヒミカさんは関係ないと思うのです、奥様。
「おしごとならいいのー」
笑顔に戻ったお嬢様や奥様の誤解も解けたところで、ヨヨさんに笑顔を向け小声で話す。魔族は手も滑るが、口も軽やかに滑るのだ。それはまさにアイススケート。ビールマンスピンのように口がくるくる回るところをわかってもらう必要がある。
「そういえばヨヨさんは、以前、僕の手伝いをしていることを奴隷のような生活だと言ってましたね。女王様の命令なのに」
「あ、あれは、ヒミカちゃんにも冗談だって言ったでしょ」
「冗談ですか。ではちょっと女王様に聞きにいきましょう」
「……ぐぬぬ」
「何が、ぐぬぬ、ですか。あまりすぎた冗談を言うとプリンが逃げていきますよ」
「プリンってなーにー?」
頭を抱えていたヨヨさんがプリンという言葉に反応した。
(ふっ、かかった)
「簡単に言えば甘くて冷たいお菓子ですね」
プリンとは卵、牛乳、砂糖を使ったお菓子だ。その食感はプルプルしており、口の中で優しくトロリと溶ける。口の中で溶けたプリンは、その甘味を解き放ち、キャラメルの甘苦い風味にともに至福の味わいを与えてくれる。フルーツや生クリームとの相性もよく、デコレーションされた『プリン・ア・ラ・モード』は芸術と呼んでもいいくらいだ。そんなプリンを『執事氷室』にて絶賛冷却中である。オムレツついでに作ったものだが、時間が足りなくて固まらなかった。
「それは妖精が食べられるものかしら」
「むしろ妖精こそ喜んで食べてくれるはずです」
「きゃー、アルクん大好き♪」
そう言って僕の頭に抱きつくヨヨさん。
抱きつかれた瞬間、ヨヨさんの膝が僕の鼻を強打したが我慢しておく。
それにしても現金な妖精である。
まあ、現金が大好きなヨヨさんなら納得の行動だ。
「プリンはウソやタチの悪い冗談を言う子が嫌いなんですよ」
その言葉に大好きと言って抱きついてきたヨヨさんが、無言のまま僕の頭からスッと離れる。
(ウソだったんかい!)
「冗談はともかく喜んでもらえるはずですよ。キャラメルの代わりに花蜜を使えばさらに妖精好みになるはずです」
「嬉しいのと好きなのは本当よ」
「それは光栄です。プリンは妖精族へのお祝いだと思ってください」
「あー、もう聞いた?」
「ええ。まだ内密にとのことですが。おめでとうございます」
「ありがと」
「お気に召していただけたらレシピをお渡ししますね」
プリンを作ったのは、お嬢様に喜んでもらうためだが、もう一つ理由があった。ついでではあるが、魔王国と妖精族の通商条約が結ばれたことに対するお祝いだ。以前から砂糖と花蜜が食べにくいと言っていた妖精族へ、べっこう飴、パンケーキ、コンペイトウに続く妖精族用のレシピなのだ。
僕から言わせれば、ほぼお菓子だが。
妖精族がプリンを気に入ってくれれば、当然、卵が必要となる。これもブルガー男爵、ひいては侯爵家の利益となるだろう。まあ、ブルガー男爵が売ってくれればの話だ。
「じゃあ、私からもお礼をしなくちゃね」
そう言うとヨヨさんは嬉しそうに笑った。
朝食のあと、お嬢様を部屋へと送った僕とヨヨさんは、使用人の食堂へとやってきた。何やらヨヨさんも話があるらしい。
まずはヨヨさんの話を聞く前に、昨日あったことを説明する。エルフのニーナさんについてはラミさんからある程度聞いているようだが、近いうちに機会を作って紹介することを約束する。また、隊商で扱う食材にミノスさんとウシドンとソーサさんの野菜が増えたことなどを話した。
「へえ、そのエルフを問屋兼商人にね」
「味覚はともかく食材についてよくご存知の方です。味覚はともかく侯爵様の御眼鏡にかなえば、お嬢様の力になってくれるでしょう。味覚はともかく悪い方ではありません」
「まあエルフの味覚は変だしね」
ヨヨさんは笑いながら同意している。
エルフの食生活についてそれなりに知っていたようだ。
同意してくれるのはいいが、それは甘党妖精が言うことじゃない、と僕は思う。とはいえ、たまたま味がわかるといって魔族の僕が言うのもどうかと思う。
実に悩ましい。
「そういえば妖精とも取引があると言ってましたよ」
「そうなると、あそこ出身かしら。それはちょうどいいわ。いまからそのニーナって子に会いにいきましょう」
「えっ!? 今日は急ぎの用もないので、もう少しお嬢様のお世話をしてたいのですが」
「はいはい。これもティリアちゃんのためよ」
そう言ってヨヨさんが僕の頭をぐいぐいと押してくる。妖精の力なので足はビクともしないが、頭をぐらんぐらん揺らすくらいはできるようだ。
「ほらさっさと行くわよ。隊商リーダーの命令よ。上・司・命・令」
「ちょっと、引っ張らないでくださいよ」
なんとも非力なパワハラに頭を揺らしつつ、僕たちはお嬢様がいらっしゃるであろう庭へと向かった。
庭に出ると、お嬢様はお花に水をあげておられる最中だった。日課となっている水やりはお嬢様が楽しみにしている『おしごと』のひとつだ。花はお嬢様が種や球根から大切に育てたもので、日々成長を楽しみにしておられる。そんなお嬢様の愛情をたっぷり受けて育った花はすくすくと成長している。つぼみもずいぶんと大きくなり、そろそろ花が咲くだろう。
大きめの帽子にピンクのワンピース姿。小さな手には可愛らしいジョウロを持ち、植木鉢に植えられた花にひとつひとつ丁寧にお水をあげている。
お嬢様の隣では、イーラさんがお嬢様に直接日光が当たらないように日傘を差し掛けていた。
こんな可憐なお嬢様のお姿を見守れないとは、これも隊商の上司によるパワハラ(物理【弱】)のせいである。
『おしごと』中のお嬢様に外出する旨を伝え、許可をいただく。
晴れ渡る空よりもまぶしい笑顔のお嬢様から、「おしごとがんばってなの!」と太陽よりも心温まる言葉をもらい、髪の毛を嵐のように引っ張るヨヨさんとともに、僕は暗雲のようにどんよりとした気分のまま、陽の光が降り注ぐ侯爵家をあとにするのだった。




