第七十三話 お約束の展開
ソーサさんの村から帰るときにも『執事ゲート』を使ったためか、ニーナさんから『執事ゲート』やほかの『執事魔法』について質問攻めに遭った。ヒミカさんも同じことを言っていたが、無詠唱、同時制御、複数属性持ちは珍しいらしい。僕は魔法を専門とした職ではないので、彼女らの言っている意味がよくわからない。あくまでこれは『執事魔法』という属性であることを丁寧に説明するしかないのだ。
彼女の反応がヒミカさんと違ったのは僕の説明を理解してくれたということだ。まぶたを半分閉じた状態、いわゆる半目で僕を見て、無言になったのが何よりの証拠。決して、胡散臭いものを見る目ではなかったはずである。しばらく僕を見てから、「もう、いいわ」という声も、「理解したから大丈夫よ」という意味に違いない。
さすがは大人の女性である。
王都に戻ってきたころには日も暮れ始めている。
面接の準備をしなきゃと慌てるニーナさんと別れ、僕はフトック氏の店へと足を運ぶ。
「お待ちしておりました。アルク様」
フトック氏の店に向かう途中、人影のない路地で姿なきまま声をかけてきたのは使い魔となったインプだ。僕がうなずくとインプは姿を見せる。差し出された手にはフトック氏から、『借りてきた』表には出せない帳簿が握られていた。
「うん。ありがとう」
帳簿を受け取った僕が、「ありがとう」と礼を伝えると、インプは一瞬驚いたような顔をする。だが、すぐに頭を下げ、「フトック氏の見張りに戻ります」と言い残し、姿を消した。
「おっと。それともうひとつ」
「ん?」
今、姿を消したはずのインプから念話が入る。
何か伝え忘れたことがあるようだ。
「私のほかに見張りと思われる魔族が店の近くにおります。数は三。一人は男で単独で路地の影に。残り二人は女性ですが、知り合いのようです。彼女らは店の向かい側で堂々と何時間にもわたり雑談をしています。ですが、中を遠目でうかがう目つきは素人ではありません」
(森林管理局と……商業ギルドの奥様方だな、たぶん)
「無視してていい。でも万が一、日が沈みきる前にフトック氏が逃げるようなことがあれば、それとなく教えてあげて」
「かしこまりました」
受け取ったフトック氏の裏帳簿には、表帳簿で誤魔化した分の取引だけでなく、店舗の隠し資産なども記載されていた。さらに目を引いたのは取引していた貴族の名簿だ。そこにはミストファング侯爵様やアルティコ伯爵の名前もあった。
そして名簿で気になったことがひとつある。それは貴族名の隣に書かれている数字だ。数字が書かれているのはごく一部の貴族だけで全員ではない。
「ん? フラム士爵?」
数字の意味を考えながら、名簿を追っていくと耳にしたことのある名前を見つけた。フラム士爵は、ヒミカさんが命を狙われていると疑っている貴族の名だ。かの家もフトック氏の店と取引をしていたらしい。
士爵の名前の横に数字は書かれていない。侯爵様と伯爵も確認したが数字は書かれていなかった。
(これが賄賂の金額だとしたら大笑いなんだけどね)
この手の数字が渡した賄賂の金額なんて話はよくある。数字ではなく記号だったり、アルファベットなどの文字だったりと、すぐにそれとわからないよう工作する場合も多い。フトック氏の裏帳簿は数字だが、三桁の数字もあれば一桁の数字もあることから貴族の年齢ということもあるまい。
そこにインプから念話が届いた。
あれから時間はほとんど経っていない。
「アルク様。『万が一』が起こりました」
「……まじか」
フトック氏が隠し資産を持ちだして逃げ出そうとしている。そんな内容がインプより報告された。報告をしてきたインプも呆れ混じりの様子だ。
普通、夜逃げするなら魔族の気配もなくなった深夜過ぎが無難である。お約束の時間であり、こっそり逃げ出すための常識と言ってもいい。今は夕食の準備をする時間。買い物をする主婦魔族や仕事を終えた魔族らが帰路に就く時間帯だ。
「例の見張りしている連中にはそれとなく知らせましたが……彼は愚かなのでしょうか」
「愚かだからこの時間に逃げたんだろうね」
僕はインプに返事を返しながら、彼を尾行するように指示。そのまま彼が向かったという南門へと急ぐ。南門ということは王都を出て港町に向かう可能性が高い。恐らく船で逃げるつもりなのだろう。
本来であれば彼一人いようといまいと関係ないのだが、契約を結んでいる以上、契約不履行を認めさせる必要がある。時間稼ぎのため姿を隠されても面倒くさい。何より時間稼ぎをさせるつもりは毛頭ない。
(やれやれおとなしくしてればいいものを)
心の中で愚痴りながら、僕は走る速度をあげ南門へと向かった。
――南門前
南門から伸びる街道の数日先には港街がある。その街は国の周りを自然という名の城壁に囲まれている魔王国にあって、数少ない魔王国の入り口とも言える場所だ。
そのためか南門には、他国から運ばれた商品を扱う商人たちの出入りがほかの門よりも多い。ただ残念なことに目に入るのは魔族の商人ばかりだ。
僕はそんな南門の前に立っている。
「遅いわっ!」
「ひぃ! なぜここに」
全力で南門に向かうと、フトック氏はまだ到着していなかった。インプの報告によると間違いなく南門に向かっている。仕方がないのでそのまま待つことにした。
ところがだ。
十分以上待ってもまだ来ない。いい加減、こちらから出向いてやろうかと思い始めたとき、ようやく姿が見えてきた。彼は両手に大きな革袋を持ち、息も絶え絶えに、汗だくで手足を動かしている。あれでも走っているつもりなのだろう。でっぷりとした腹が上下左右に揺れ動いている。
そんな汗だくの彼の横を仲良く手を繋いだ幼い姉妹が抜いていった。お嬢様とシュリーくらいの年齢だろう。お嬢様たちを思い起こさせる幼い姉妹は、もちろん「歩いて」いる。
先回りというのは、ギリギリ追いつくかどうかのタイミングで、逃げている犯人の前に立ちふさがる最も格好いい逮捕劇だ。犯人を出し抜いて挟み撃ちにしたときの、「どやっ」、「してやったり」が醍醐味である。今回のように、先回りしたのにも関わらず犯人が遅すぎて、「まだ来てませんでした」というのはその醍醐味が台無しとなる。これではただの待ち伏せである。伏せてないから、ある意味、待ち合わせと言ってもいい。しかも相手は脂肪たっぷりのおっさんである。
怒鳴った僕の気持ちがわかってもらえるだろうか。
「まあまあ、アルク殿。落ち着きなさい」
「ギ、ギルド長まで!」
ギルド長の顔を見たフトック氏の顔は青を通り過ぎて紫に近い。手足がガクガクと震え始めているが、その原因がギルド長を見たからなのか、彼的全速力で走ったからなのかは不明だ。
フトック氏を待っている間、南門に集まったのはマダム情報網を持つ商業ギルドの長だけではなかった。
「フトック殿。森林管理局より北東の森での行いについてお聞きしたいことがあります。どうか速やかにご同行願います。抵抗しないでください。もし抵抗するなら全力でお願いします。手加減するのが面倒なんで」
そう言って腰の長剣を抜いて、振り回した。フトック氏は、「ひぃ」と情けない声を上げて後ずさりしている。
彼の長剣が空気を切り裂くたびに、周りからは、なんだ、なんだという声が聞こえてくる。
(そこはおとなしく同行させようよ)
彼は森林管理局の局員。フトック氏の店の前で見張りをしていたのも彼だ。南門で待っているときに合流したのだが、森で行われたファンガス退治に参加できなかったと愚痴っていた。恐らくは植物系の魔族なのだろう。かなり鬱憤が溜まっているようで、かかって来いやオーラ全開である。
彼には僕がここにいる事情も話してある。森林管理局の指輪を見せるとなぜか敬礼された。
「まあ、そんなわけでさっさと任意同行されてください。あ、その前に契約不履行を認めるサインお願いします」
周りを見ると、野次馬たちが集まってきている。往来の多い門の前で騒いでいれば確かに目立つ。その中から、「あれって例のお店の……」、「あの守銭奴の……」、「なんでも子供相手に詐欺をしていたらしいわ」、「まぁ、怖い」といった女性の声が聞こえてくる。まだ何も言っていないにも関わらず妙に詳しい奥様方の声だ。
ギルド長に目をやると、ふいっと顔をそらされてしまった。
(さては情報操作までやっているな)
ギルド長の追い込み方がハンパないが、それに協力するマダムらも恐ろしい。まさに鬼である。鬼族の女性だとしたら無条件に納得してしまいそうだ。
ならばそれも利用させてもらうとしよう。
僕は息を吸い込むと、執事魔法『執事ボイス』を使う。これはニーナさんとの会話で冗談交じりに使った執事魔法だ。自分の声を悲しげな声色に変えた僕は、野次馬たちに聞こえるよう大きな声でフトック氏に話しかける。
「ああ、なぜ貴方は僕を騙したのですか。まさか契約した食材が偽物だったなんて。森林管理局の局員さんに話を聞けば、偽物をほかの食材と偽って売るため、わざわざ偽物の養殖場まで用意する周到ぶり。僕と同じ被害者はいったいどれだけいるのでしょう。しかも約束した商品を準備せず、お金を持って逃げようとするなんてひどすぎる」
両手を大げさに広げ、周りの観客……野次馬をぐるりと見回してから、『執事ボイス』を解除する。途中、ギルド長が楽しそうに声を殺して笑っているのが目に入った。タノシソウダナー。
周りの野次馬から、「なんてひどい」、「あんな子供を騙すなんて」という声が聞こえてくる。
彼に視線を戻すと、彼の顔は真っ赤になり、充血した目で僕を睨んでいた。照れているわけではないようだが、紫やら赤やらなかなか忙しい顔だ。
「おのれ! おのれぇ! 大衆の面前で何を言うか!」
「何に腹を立てているのかわかりませんが、逃げるなら夜中でしょう。大衆の面前で、と言うのなら、こんな人通りの多い場所や時間に逃げようとする貴方が悪い」
周りの野次馬も、うんうんと首を縦に振っている。
「いい加減諦めてくださいよ。契約書にも書いてあるでしょ」
僕はサインを求め、彼の前に用紙を差し出す。
「あ、詐欺してごめんなさいって書いてもいいですよ」
その一言に怒りが頂点に達したのか、僕から勢いよく用紙をひったくるとビリビリに破いてしまった。あーあ、破いちゃった。頂上や沸点が低い人を怒らせるのは実に簡単なものである。
「ふははははっ。こ、これで契約はなしだ。お前など知らん」
「あ、すいません。契約書はこっちでした」
執事ボックスから、契約書を取り出し、改めて彼の目の前に差し出す。こっちは間違いなく本物の契約書だ。それに契約書を三枚書いていることを忘れているのだろうか。予備は商業ギルドが持っている。
「大事にしていた食材リストを破くなんてひどいなぁ。また書き直しじゃないですか。それと個人の所有物を破壊したことで器物破損の現行犯ですね」
これで間違いなく『フトック』は被疑者(容疑者)である。
フトックが破いたのは、以前イーラさんに書いてもらった毒のない食材のリストだった。あれから毒のない食材は増え続けている。そろそろ書き直そうと思っていたから破かれても問題はない。
ぽかーんとした表情を浮かべたフトックは、最初僕の言ったことが理解できていない様子だった。しばらくして自分が何を破いたのかを悟ると顔をどす黒くしながら怒鳴り声を上げる。
「ふざけるな! お前との契約など無効だ。貴様に無理やり契約を結ばされたんだ!」
「ほーら、だめだめ。今日言ったじゃないですか。あとからになって契約は無効、無理やりだったと開き直る連中がいるって。何、お約束どおりの行動してるんですか。ちょっと、聞いてます? 今の貴方のことですよ」
その言葉を聞いて、呆然とした顔になった彼に追い打ちをかける。彼の耳に顔を寄せてつぶやく。
「お店の店員は現行犯で全員捕まえてあるんですよ。雇ったキノコ業者もね。それに指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、って教えてなかったかな? ああ、前半部分は教えてなかったか。拳で一万発殴るって意味なんだけど……」
ここで僕は一息ついてから、さらに声を低くしてささやく。
「……一万発殴られるのと、針飲むのと、指落とすのと、どれがいいか選びやがれ」
にっこりと笑顔を浮かべながら顔を離すと、フトックは、「あひぃ」という可愛らしくない声をあげ、尻もちをついたまま後ずさりをする。
そんなに下がると野次馬さんの迷惑になりますよ。
「アルク殿。できるなら調書を取る前にさくっと最後までお願いします。面倒なんで」
これは森林管理局の局員さんの言葉だ。
小声で言ったつもりだったが、彼は耳がいいらしい。
それに、最後までってなんだ、最後までって!
僕が面倒くさがり系局員に気を取られている間、フトックはこの場から逃げ出そうとすることもなくじっとしていた。しかしその顔は、野次馬たちのある一点に向けられていた。その視線の先には、走る彼の横を歩いて追い抜いていった幼い姉妹たちの姿がある。その目は確実に良からぬことを企んでいる狂気の目だ。
僕がその目に気がついたのは、彼の体が動いたときだった。
(しまった! 子供を人質にするつもりか!)
「ちっ」
自分自身の詰めの甘さに軽く舌打ちをする。
彼を拘束しようとしたが、僕よりフトックが動き出すほうが早かった。
彼は這ったままの姿勢で、幼い姉妹の方へと一直線に向かっている。彼の異常な行動に気がついた野次馬からも、「みんな逃げろ!」という声がいくつか上がった。
しかし、幼い姉妹を気にかける余裕のある者はいなかった。
姉妹たちとの距離も圧倒的に彼のほうが近い。僕は間に合わないと思いつつもフトックの背中を追いかける。
幼子が歩く速度よりも走るのが遅いくせに、こういうときだけ素早く動けるようだ。体中を激しく揺らす脂肪の塊が二人の女の子へと手を伸ばす。姉妹たちは迫り来る脂肪の塊を見ていることしかできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
彼の魔の手が妹らしき女の子に届こうとしたときだ。
ハッと我に返った姉が妹を手元に引き寄せ、その小さな頭を抱きかかえた。次の瞬間、さっきまで妹の頭があった場所をフトックの手が通りすぎる。妹をかばった姉の咄嗟の行動によって、妹は魔の手から逃れることができた。
だがしかし、それも束の間の安心だった。
舌打ちをしたフトックは、妹の代わりに姉へと矛先を変えたのだ。その手は姉の首へと向かっている。
フトックも高位魔族だ。彼の太い手で握られた幼子の細い首がどうなるのか想像に難くない。下手をすれば間違いなく折れる。狂気に取り憑かれた男が手加減できるとも思えない。そんな最悪の事態を思い浮かべるが、彼の手は止まらない。
そして、女の子の細首をフトックが掴もうとした瞬間。
ドゴッという衝撃音とともに『フトック』という名の脂肪の塊が、勢いよく僕を目掛けて吹っ飛んできた。周りの野次馬から、「あぶねぇ、坊主」という声や悲鳴に近い声が耳に入る。
(ちょっ!)
少し前もフトックがらみでウシドンの肉が僕たちに飛んできたことがあった。あのときは、食べ物を粗末にしてはいけないとしみじみ感じたものだ。だがフトックは食材ではない。それに肉質も好みではない。
飛んでくるフトックを避けるのは容易いが、後ろにはギルド長や野次馬たちがいる。ギルド長なら大丈夫な気もするが、万が一ということもある。実際、万が一だったはずの夕方逃走劇が起きたばかりだ。
僕は、仰け反った姿勢で吹っ飛んでくるフトックの脂ぎった顔を掴むと、思いっきり指に力を込める。別に顔を潰そうとしたわけではない。顔の脂で滑りそうになっただけだ。
コマのように身体を回転させ、そのまま勢いを殺さないよう、(一応)彼も殺さないよう、『思いっきり』王都の石畳に叩きつけた。さすがは王都の石畳だ。施工がいいのか一切のクッション性もなくガッチリとフトックの頭を受け止めた。むしろ彼の頭を跳ね返している。重たい馬車が通っても大丈夫だ。
周りの野次馬は目の前で起きた出来事に誰一人声を発することなく静まり返っていた。フトックの暴挙や石畳の頑丈さに驚いたのだろう。みんな、僕を見ているような気もするが気のせいに違いない。
そこに誰ともわからぬ野次馬から、「あれ、アカンやつや」という声が聞こえてくる。これも恐らくフトックのことだろう。確かにアカンやつに違いない。でも、そこは安心してほしい。彼はちゃんと生きている。手加減はあまりしていないが、こんなのでもフトックは高位魔族……あれ?……し、『執事救急箱』、『執事救急箱』。ほ、ほら大丈夫だ、問題ない。
石畳に頬ずりしているフトックを一瞥したあと、彼の服で手を拭きながらフトックが飛んできた方に視線を送る。
「危ないじゃないですか」
僕は彼を吹き飛ばした張本人に向かって苦笑しながら文句を言った。
「ヒミカさん」
静まり返った空間に僕の声が周りに響く。
フトックが襲おうとしていた姉妹のすぐ後ろには、右の手のひらをこちらに向けて構え、反対の腕で姉妹を抱き寄せているヒミカさんの姿があった。手のひらには収束していた魔力が揺らめいている。衝撃波を起こす神聖魔法でも使ったのだろうか。
周りが静かなせいで、僕の声は周りの野次馬にも聞こえたはずだ。あちこちから、「巫女様だ」、「巫女のヒミカ様だ」という声が聞こえる。よく見るとさっきよりも野次馬が増えている。
僕の苦情に対し、はにかんだような笑顔を返した彼女は、しゃがんで姉妹に視線を合わせた。そして姉妹に向かって、「怪我はない?」と優しく話しかける。ショックのせいか涙目になっていた姉妹だったが、「お姉さんはよく頑張りましたね。妹さんも強い子です」との声に微笑みながら元気よく返事をした。
「いもうとはわたしがまもるってやくそくしたの」
「おねえちゃんはわたしがまもるの」
なんとも微笑ましい光景である。本当にお嬢様とシュリーのようだ。
約束は大事なこと。そこの意識を失っている脂肪の塊にも聞かせてやりたい。
そんな姉妹にひとつずつコンペイトウの入った小ビンをそっと差し出す。
「怖い思いをさせてごめんね。よかったらこれ食べて」
コンペイトウを見るのは初めてのはずだ。
不思議な形をした色とりどりのコンペイトウに姉妹たちは、「きれー」とはしゃぐ。キラキラと光る二人の目はコンペイトウに釘付けになっている。
しばらくすると慌てた様子でこの子たちの母親が迎えにきた。どうやら買い物途中ではぐれてしまったらしい。よほど心配していたのだろう。母親には何度もお礼を言われてしまった。
「おにいちゃん、おねえちゃん、ありがとう」
笑顔で僕たちにお礼を言った姉妹は、何度も何度も振り向いては、コンペイトウを持った手を振りながら帰っていった。
(さてと)
よりにもよって、お嬢様たちと同じ年頃の姉妹を襲うとは不届き千万である。万死に値すると言ってもいい。むしろ万で済むなら甘んじて受けるべきだ。
「アルク殿。フトックの顔、踏んでますよ」と森林管理局局員。
「おっと、少し考えごとをしていました」
どうりで足場がぶにゅぶにゅして不安定だと思ったんだ。
そこへ商業ギルドの長がやってくる。
僕の前に来たギルド長は野次馬にも聞こえるような大きな声で話し始めた。
「今まで内々に調査を進めておったが、フトック食肉協会が起こした不始末は、我が商業ギルドの監督不行き届きでもある。アルク殿には心から謝罪しよう。フトックの店と契約した分の損失は商業ギルドにて全額弁償させてもらう。今後、フトック食肉協会の店は商業ギルドにて差し押さえ、責任を持って管理することを約束しよう。アルク殿、どうかこれで穏便に済ませてクレナイダロウカー」
「オー、ギルドチョサーン。私はそれで構いません。これからも王都の方々の生活をより豊かにするためガンバッテクダサーイ」
すると周りの野次馬から拍手が巻き起こる。「よっ! さすがは商業ギルド」、「アルクって子もいい子だわ」という声が上がるなか、ヒミカさんの目は冷たかった。彼女の目は、明らかに僕たちの悪巧みをわかっている目だ。ギルド長が、慌てて目をそらしたがもう遅い。僕はそんなギルド長に耳打ちをする。
「……(ヒミカさんにバレたのはギルド長のせいですよ)」
「……(いや、そんなはずはない)」
「……(最後、裏声になってたじゃないですか)」
「……(待て、アルク殿も最初と最後、棒読みだったではないか)」
何はともあれギルド長と約束した件はこれで終わりだ。フトックの店は計画どおりに僕の物となり、すでにギルドに売却して大金を手に入れている。商業ギルドも表向きはまとめ役として不始末の責任を取ったことで王都の人々から高評価を得た。まさに両者両得。一件落着である。ギルドが買い取ったフトックの店もほとぼりが冷めたころに転売すれば損はない。
「ところでヒミカさんはなぜこちらに?」
やや引きつり気味の笑みを浮かべながら、こちらを冷たく見ていたヒミカさんに問いかける。こんなところで会うのはめずらしい。南門は伯爵の屋敷からも神殿からも距離がある。
「神殿でお世話になっている食材店に寄った帰りです。今からアルクさんのところに行く途中でした。父さまを見舞ってくれたお礼とご挨拶にね。それにしても、アルクさんとギルド長がお芝居好きだとは知りませんでした。仲がよろしいのですね」
(あ、これこそアカンやつや。絶対にバレてる)
ヒミカさんはギルド長に向き直り、挨拶をしている。
「み、巫女様ともずいぶんご無沙汰していますな」
「いつも神殿へのご支援感謝しております」
「相変わらず聡い御方ですな」
「あら、なんのことでしょう」
もっと頑張れギルド長。
話を聞いていると商業ギルドは白の賢者様の神殿に多額の寄進をしているようだ。さすがは情報の扱いを重要視する商業ギルドだけあって、知や智慧を司る神様への信仰も厚いのだろう。信仰するのが商売の神様じゃないってところが、ここの商業ギルドらしくて面白い。
石畳に負けて意識がなくなったフトックは、応援に来た森林管理局の局員たちによって連行されていった。これから森林管理局では厳しい『お問い合わせ』が始まるはずだ。
局員らに裏帳簿を渡そうと思ったがやめておいた。貴族名の横に書いてあった例の数字が気になるのだ。もうしばらく預かっておいても問題ないだろう。書き写したあとにアルティコ伯爵にでも届ければいい。
連れて行かれたフトックに興味をなくした野次馬たちの目は、今やヒミカさんに注がれている。幼い姉妹を暴漢の魔の手から救った巫女とくれば、ただでさえ人気だった彼女に注目が集まっても不思議ではない。
巫女として衆目を集めることが多い彼女は、周りを気にする様子もなくギルド長と話している。姉妹を助けたことも彼女にとっては当然といった態度だ。
(逆にこれだけ注目されているからこそ、彼女の命を狙う連中もやりづらいといえるか)
「さっき巫女様が、あの坊主に会いに行く途中って言わなかったか」
「そういえば……」
「お父様に挨拶とも聞こえたぞ」
「坊主のオヤジに挨拶!?」
「お、おい。まさかあの二人……」
そんな声が野次馬から聞こえてきた。
おっと、これはいろいろな意味でまずい。
お見舞いの礼ってところが都合よく抜けている。
「それではギルド長。僕たちはこれで失礼します」
「こ、今後もアルク殿とは面白い付き合いをしたいものだ。情報の件はまかせておけ。あと、早く挨拶に――ブフッ……失礼。勘違いしている野次馬連中もまかせとけ……ククッ」
わかってて言ってると思うのだが、途中で吹き出すのはいかがなものか。楽しそうに笑うギルド長を見て思わず苦笑いを浮かべる。まあ、ギルド長なら上手に情報操作してくれるだろう。
「さあ、ヒミカさん。行きましょう」
ギルド長にあとを任せた僕は、ヒミカさんの手を取り、その場から足早に離れる。インプに念話で、フトックの見張りと追跡について労ったあと、僕たちをつけてくる者がいないか確認させる。
「やれやれ……使い魔に礼や労いなど不要ですのに」
インプはそう伝えてくるが、そういうものだろうか。使い魔とはいえ、感謝の気持ちを示すことは大事だと思っている。それに、不要だと言っていたインプの声も嬉しそうだった。まあ、慣れてもらうしかない。
「アルク様、大丈夫です。誰もついてきておりません。それと……余計なことですが、巫女様の手を握ってあの場から離れてはギルド長の配慮も無駄になるのではないでしょうか」
そこまで言われて、ハッと気づく。
そういえばヒミカさんの手を握ったままだった。
慌てて手を離したが、「時すでに遅し」だろう。
「すいません。ヒミカさん。急いでいたものですから、つい」
「い、いえ、らいじょうぶでしゅわ」
言葉がおかしい。
うつむいているため顔はよく見えないが病気ではなさそうだ。しばらくして顔を上げた彼女の顔はいつもと変わりがないように見える。どうやら大丈夫のようだ。
「(私の主人はとんだ唐変木ですな。いや、にぶいと言うべきか)」
「インプ、何か言った?」
「いえ、なんでもございません」
その後、侯爵様にご挨拶がしたいというヒミカさんを連れ、僕たちは侯爵様の屋敷へと足を進めるのだった。
屋敷に戻ってきた僕はヒミカさんを侯爵御夫妻に取り次いだあと、レイゴスト料理長のところに向かっている。ヒミカさんは侯爵御夫妻と面会中だ。屋敷を案内しているときにヒミカさんが、「アルクさんがまるで執事のようです」と笑っていたが、僕はれっきとした執事(見習い)である。
厨房を覗くと料理長が忙しそうに夕食の準備をしていた。そんな料理長に侯爵様からの伝言を伝える。というのも、シュリーとヒミカさんを夕食に招待することになったからだ。手を動かしたまま、料理長は、「お嬢も喜ぶだろうな」とニカッと笑った。
ゲストの二人もお嬢様と同じく正常な(魔族としては異常な)味覚の持ち主だ。二人に喜んでもらえるよう夕食の献立について料理長と軽く打ち合わせを行っておく。
「レイゴストさん。実はお願いが――」
打ち合わせ後、レイゴストさんにコンペイトウを追加で作ってもらえないか聞いてみた。あちこちで配ったせいで手持ちがもうないのだ。時間があるときでいいのですが、と説明すると大量のコンペイトウを手渡された。
「あれ? いつの間に」
「実は若い連中がハマったらしくてな。非番の連中が一日中作ってやがるんだ」
レイゴストさんは、そう言いながら厨房の奥を見る。
その視線を追うと、数人の料理人たちが大きな鍋を回していた。なんでも、誰がお嬢様に一番気に入ってもらえるコンペイトウを作れるのか競い合っているらしい。以前、誰が一番上手にパンケーキを焼けるのか競いあっていたときと同じである。だが、何度でも言おう。お嬢様に一番気に入っていただけるコンペイトウが作れるのは僕である、と。
もらったコンペイトウは彼らが作ったものだったが、味や形は問題ない。むしろよくできている。料理長の指導のおかげもあるだろうが、侯爵家に仕える料理人たちもまた優秀なのだ。
ありがたくコンペイトウを受け取った僕は、料理長と彼らに礼を伝え、お嬢様の部屋へと向かった。
ノックをしてお嬢様の部屋に入るとそこには幸せな風景が広がっていた。
お嬢様とシュリーがひとつのソファーに座って仲良く本を読んでいるのだ。そんな二人を専属侍女のイーラさんとヨヨさんが温かい目で見守っている。
僕に気がついたお嬢様とシュリーがパッと顔を上げて、にこっと笑う。
「ただいま戻りました。お嬢様」
「アルクん、おかえりなのー」
「おかえりなの」
「ただいま、シュリー」
お嬢様とシュリーにヒミカさんが来ていることを伝えると二人はとても喜んだ。どうやらすっかりお姉ちゃん的存在らしい。それに付け加えて、侯爵様がシュリーとヒミカさんを夕食に招待したことを話すと、お嬢様とシュリーは、「いっしょに食べるの♪ いっしょなの♪」とリズムに合わせて踊り始める。
うんうん、仲がいいことは素晴らしい。
そんな二人の踊りを僕、イーラさん、ヨヨさんはより一層温かい目で見守るのだった。イーラさん、クネクネするのか踊るのかはっきりしてください。
賑やかだった夕食も終わり、僕はシュリーとヒミカさんを自宅へと送り、侯爵家へと戻ってきたところだ。お嬢様はすでに「おねむタイム」である。
ちなみに、今日の夕食会も大成功だった。
お嬢様はもちろん、ヒミカさんやシュリーにも喜んでもらえたようだ。シュリーはお嬢様と同じメニューというだけで喜んでいたが、味も気に入ってくれたらしくお嬢様と一緒になって、「おいしいのー」を連呼していた。
極端な偏食だったヒミカさんだが、出された料理を平然と食べていた。しかもどの料理も、「美味しい」という賛辞をいただいている。どうやら彼女の偏食は驚くべき早さで改善しているようだ。
そして極めつけはデザートだ。
ウシドンのミルクやバターも手に入り、フルーツも各種揃っている。そこで今日の夕食のデザートには、「生クリームとフルーツたっぷりクレープ」をお出しした。使ったフルーツは、バナナ、モモ、ブドウ、イチジク、メロン。そして溶かしたバター、ウシドンのミルクから作った生クリームをたっぷり乗せてある。
彩り取りのフルーツと蠱惑的なバターの色と香り、真っ白な生クリームが合わさって、見た目にも美しく素晴らしい出来であった。もちろん盛りつけは料理長の手によるものだ。いや、手ではなく念動力か。
これには侯爵夫人をはじめとする女性陣に大人気であった。味がわからずとも普通の魔族でも楽しめる一品だ。フルーツやバターの香りも素晴らしく、たくさんの食材を使っているため魔力も豊富だ。イーラさんや給仕をしているメイドさんも目を奪われていた。
大成功を収めた今日の夕食会だが、ヒミカさんとシュリーの二人が食べていたことからわかるように、全て毒のない食材が使われている。侯爵家で出される食事は、全て毒のない食材が使われるようになったのだ。もちろん我々、使用人の食事も同様だ。ここ数日で毒のない食材がそれなりに集まった成果ともいえるが、まだまだ足りない。調味料に関しては先が思いやられるし、葉物野菜なども圧倒的に少ないのだ。
まだまだ毒のない食材を集める必要があるだろう。
これも全てはお嬢様のために。
今日の夕食会を思い出しながら、僕は侯爵様の執務室までやってきた。
侯爵様とセイバスさんに今日の出来事を報告するためだ。
森で起きていたこと。食材に詳しいエルフのニーナさんやウシドンの牧場主ミノスさん、村で野菜作りをしているソーサさんを勧誘したこと。そして、最後にフトック氏の事件について報告する。
「ふむ。期待できそうだな。アルク、その三名については明後日に面接すると伝えてくれ」
侯爵様の感触も、まずまずといったところか。ミノスさんの牧場とソーサさんの村に『執事ゲート』が繋がるようにしてあるので、明日にでも連絡しておこう。
「それと本日、妖精族代表のヨヨ殿と会談し、わが魔王国と妖精族は正式に通商条約を結ぶことになった。まだ内々の話なので他言無用だが、後日正式発表が魔王様からあるだろう」
通商貿易局へは僕も同席してヨヨさんのフォローをする約束をしていたのだが、どうやら交渉は順調に終わったようだ。
「まあ、アルクが作った砂糖と花蜜を使った料理を見れば取引しない理由はない。それに食べられる花だったか。あれも間違いなく魔王国では人気が出るはずだ」
どうやら少しくらいはお手伝いできたようだ。
お嬢様も喜んでおられたし、奥様の口添えもあったのだろう。無事取引が始まることに安堵する。
「アルクくん。最後に報告のあったフトック食肉協会についてです。例の裏帳簿を見せてもらえますか」
セイバスさんに言われ、僕は裏帳簿を渡す。
貴族名簿に書いてあった数字を確認しているようだ。
「これが例の数字ですか。これについてはこちらで調査しましょう。うまくいけば侯爵様と敵対する連中に一泡吹かせられるかもしれません。キミはこの数字を何だと思いますか」
「賄賂の額とも思ったのですが、あまりにも安直ですし……」
「そういう場合は、これを書いた人物のことを考えるのも手ですね。おそらくアルクくんの考えは間違っていないでしょう」
「ええ! そんな単純な!」
「熟慮は大切ですが、物事を深く考えすぎるのもよくありませんよ」
確かに夕方に逃げ出したり、態度が顔や表に出たりする人物ではあった。店舗乗っ取り計画もペラペラ自分から話していたから、裏帳簿に賄賂の額を書くかもしれない。いや、だんだん書いていそうな気がしてきた。
僕が悩んでいると、セイバスさんは裏帳簿を閉じ、帳簿を左右の手で挟むように持つと勢い良く両腕を開いた。一瞬、帳簿が破れるかと思ったが、その帳簿は左右どちらの手にも握られている。
「アルクくん。これが執事魔法『執事複写』です。侯爵様のお仕事に必要な書類を必要数用意することのできる魔法。右手にあるのが原本。左手にあるのが複写したものになります」
「これが便利でな。この魔法がないと仕事が捗らない」と侯爵様が笑う。
セイバスさんから左手に持っていた裏帳簿を渡される。
中身を確認するが、原本との違いが全くわからない。
「アルクくんもぜひ習得してください。ただし、原本がないと複写できません。試してみますか?」
そういって右手に持っていた裏帳簿の原本を渡された。
(確か両手で持って、左右の腕を一気に開く、と)
意識を集中し、見よう見まねでセイバスさんが使った『執事複写』を使ってみる。
「えぃ」
すると手に持っていた帳簿がずるりとズレるような感覚があり、僕の手にはそれぞれ一冊ずつ帳簿が握られていた。
「ほお」感心したような声が侯爵様から漏れる。
「ふむ。基本的な使い方はできるようですね。ですが……」
セイバスさんは、僕の左手にある複写した帳簿を手に取ると、中身を開いて僕に見せる。そこに書かれていたのは……いや、何も書かれていなかった。まったくの白紙である。
「もう少し意識を集中すれば使いこなせるようになるでしょう。鍛錬を忘れないように。あと、これを機に自分らしい執事魔法の開発や改良を行うのもいいでしょう。今のキミなら私以上の執事魔法を考えつくはずです」
「はい! ありがとうございます。セイバスさん」
セイバスさんからもらった図鑑もこの方法で増やしたものだそうだ。しかし、僕がもらったのは原本のほうだった。
「隠居後にアルクくんが書き足した分をもらうつもりです。それを読みながらのんびり過ごすつもりですので頑張って書き足してください」
そう言ってセイバスさんが笑う。
すでに千年以上も現役のセイバスさんが隠居することなどあるのだろうか。僕としてはいつまでも現役でいていただきたい。ちらりと侯爵様を見ると、苦笑いを浮かべていた。あ、これは隠居まで先は長そうだ。僕は、ほっと胸を撫で下ろす。
そんな執事長が言っておられたように自分らしい執事魔法の開発や改良も必要だ。以前、『執事ミキサー』という魔法を作ったが、前世の記憶がなければ作れなかっただろう。ほかの魔法も前世の記憶や知識などが活用できるはず。そのためにも、一度見直す必要があるのは間違いない。
セイバスさんの期待に答えるためにも、新しい執事魔法の開発と鍛錬を忘れないように心がけることにしよう。
「それと店を売って手に入れた代金はいくらでしたか」
「金貨五百枚です。そのうち金貨百枚を使い、食材の調査を商業ギルドに依頼しております」
使ったのはまずかったかな?
セイバスさんは、少し考えるような素振りを見せたあと、侯爵様のほうを見る。侯爵さまも、「問題ない」とうなずき返しておられた。
「金額的にはもう少し吹っ掛けてもよかったと思いますが、商業ギルドの長も相変わらずですね。あの店の規模なら妥当な金額です。そのお金はアルクくんの判断で使えばいいでしょう」
「えっ!」
「キミのことですから、お嬢様のために使うでしょう。それに侯爵様も許可されました」
「うえぇぇ。よろしいのですか」
「うえぇぇは、外で使うのはやめなさい。侯爵様の名に恥じぬ言葉遣いをするように」
「申し訳ございません」
「すでにお嬢様のため、食材の情報集めに金貨100枚を使っていますよね。侯爵様から渡された資金に手を付けずに」
「は、はい」
「で、あれば問題ありません。ですが扱いには十分注意するように」
「アルク。これからもティリアのこと、頼んだぞ」
「はい! お任せくださいませ。侯爵様」
こうして慌ただしい一日が終わった。
このときの僕は、明日という日が今日以上に慌ただしくなるとは予想だにしてなかった。




