第六十八話 エルフの商人
昼を少し過ぎた王都をひとり歩く。
昼時ということもあって、多くの魔族は食事やその準備に追われている最中だろう。
味がわからないとはいえ、魔力を糧とする魔族は食事をする必要がある。大気中の魔力を吸収する魔族だが、足りない分は食材から摂取する。魔力の濃いこのオノゴルト魔王国であっても、大気中の魔力だけでは生きていくための魔力が足りないからだ。
食事を提供する店の前を通るとき店内をちらりと覗く。そこには様々な魔族たちが見事なまでに色鮮やかな『何か』を口へと運ぶ動作を繰り返していた。もちろん賑やかな話し声や笑い声が聞こえてくるが、それは食事の内容についてではない。
見ただけでわかる食事への無関心さ。
話が途切れたときの手持ち無沙汰に口へと入れ、喉を潤すためだけに飲んでいる『何か』に過ぎなかった。
昼間からワインを飲んでいる者もいるようだが、これも魔力補給のひとつにすぎない。
ほとんどの毒が効かない高位魔族は酒に酔うことがまずない。
命の水を気に入っていた侯爵様も喉を焼くような刺激と香りを好んでいるが、水のように飲んでも酔う気配はなかった。
もちろん高位魔族以外、酒に酔うし、顔が赤くなるといった酔っぱらい特有の症状が出る。だが、酔っている時間は人族に比べ、圧倒的に短いのだ。
店としても酒だろうが食事だろうが、自分たちが何を提供しているのか理解していないのかもしれない。
魔族たちは出されたものを腹に入れ終わると、なんの興味も感想もないまま無表情で店を出る。魔族にとって食事とは、ただの作業にすぎないのだ。
王都で食事を提供する店には当然のことながら魔族しかいない。数こそ少ないが王都に住んでいるはずのエルフ族や龍族の姿はない。
それもそのはず、魔王国の王都には魔族以外が安心して食事のできる店はない。
先日、フトック食肉協会で会ったエルフのニーナさんに聞いた話だ。
話によると王都にいるほとんどのエルフは自炊しているそうだ。しかも、エルフが『食べられる食材』が少なく、手に入れるのも一苦労だとか。
エルフが毎日、何を食べているのか知らないし、ニーナさんにも聞いていない。だが侯爵家の厨房にあった百を超える食材も、実際に毒がない食材はわずかだった。野菜は、カブ、ダイコン、ニンジン、ホウレンソウ、レタス、パセリの六種類だけ。果物に至っては、リンゴしかなかった。
このことからもエルフが食材集めに苦労しているのがわかるというものだ。
そんな魔王国に食材を扱う商人を目指してやってきたニーナさんだが、彼女は魔族が食事に無関心であるとか、味が理解できないとか、魔族の食材のほとんどに毒があるとか、一切知らなかった。
商人であれば、商売に行く場所の情報は最低限調べるだろう。どんな場所なのか。住んでいる種族は何か。何が売れて、何が安いのか。安全か、安全ではないか。
こういったことをちゃんと調べていれば、食材を扱う店を持つことが夢の彼女が魔王国に来ることはなかったはずだ。ある意味、情報収集が甘いおかげで知り合うことができたといえるだろう。
それに情報収集にも限度がある。
特に魔族や魔王国の情報はあまり知られていない。
これは魔王国の位置が関係している。
様々な種族が住み、数多くの国がある大陸だが、魔王国は大陸の最東にある。更に魔王国の周りの国境沿いは他国との交流を阻むように、大自然という名の城壁に囲まれているのだ。まるでほかの種族が来ることを拒むように。ある意味、鎖国状態といえるだろう。
その結果、他種族との交流が限られ、魔族や魔王国の情報を知る者は少ない。
また、戦争のツメ跡は各種族間に亀裂と壁を生み出していた。特に魔王と勇者の戦いによって、魔族と人族の間に生まれた亀裂はどんな谷よりも深く、その壁はどの山脈よりも高いと言われている。
魔王国にエルフと龍族が住んでいるのは、直接、魔族と争っていなかったことと実力主義の魔族が両種族の実力を認めているからだ。そもそも龍族やエルフ族というのは、自分たちに実害がなければ基本的に住む場所から出てこない、ひきこもりの種族である。
だが、真のひきこもり種族はこの世界からも引きこもった妖精族だ。ヨヨさんも妖精族がひきこもっていたことを認めている。したがって彼らエルフ族と龍族の両種族は、準ひきこもり族と呼ぶべきだろう。プチひきこもりでもいい。
いやいや、それをいうならドワーフ族だって十分引きこもっている。己の技能を磨くために地中深くにある故郷に帰った、と碑文にも残っている。ヨヨさんを通して命の水の取引をしているが、僕はその姿を見たことがない。もちろん王都にいるという話も聞かない。
ここまで考えてひとつ思ったことがある。
もしかしたらこの世界の種族は、ほとんどがひきこもりなのではないか。
碑文によれば、獣族は人族を避けて各地に散った、と書かれているから、ある意味引きこもっているだろう。海洋族は深海へと引きこもっている。
名も知れぬ種族とやらに至っては、種族の名前すらひきこもりだ。
魔族も土地的に引きこもっていると言えるかもしれない。
(だめだ、こりゃ)
そんなひきこもりだらけの世界で、どこにあるのかわからないひきこもりの食材を探すのだ。
毒のない食材を探すには、前世で馴染み深い人族の国が最適だと思うが、魔族と人族との間は複雑である。お嬢様や僕、それにヒミカさんなどの高位魔族であればパッと見、人族と変わらない。しかしどこでバレるかわからない以上、軽はずみな行動はできない。できれば余計なトラブルは避けたいのだ。魔族とバレたらトラブルだけで済む問題ではなくなる可能性が高いのだ。
はじめは魔王国内、ミストファング侯爵領での食材探し。それと平行して幽霊族であるレイゴストさんとともに人族の調査と情報収集。あとは、魔族に忌避感のない種族から食材の話を聞くのが無難だろう。
「まずは、準ひきこもりのエルフか龍族に聞いてみるか」
「エルフのどこがひきこもりですか!」
フトック食肉協会まで、半分ほどの距離に差しかかったときだ。どこかで聞いたことのある声が僕の独り言に反応した。その声の主に顔を向けると、そこには特徴的な耳を持った女性が、苦笑交じりの怒った顔で立っていた。
「ニーナさん! ど、どうして外に出ているんですか!」
「な、な、なんですかその、ひきこもりのくせに外に出てきた的な驚き方は。……確かに普通のエルフは故郷の森から出てくることは滅多にないですけど」
……ひきこもりの自覚はあるらしい。
今、僕の前で長い耳を震わせているのはエルフのニーナさん。正確な年齢は不明だが、人族で言えば二十歳前後のお姉さん。短衣にパンツスーツ的なビジネスウーマン姿がお似合いである。
彼女はフトック食肉協会で働いている修行中の商人だ。フトック食肉協会と取引の基本契約を結んだときに知り合った。帳簿の手伝いをしているらしい。
接客態度は申し分なく、洞察力や相手をよく観察していることからも、フトック氏の店にはもったいない人材である。
「いえ、違いますよ。まだ店でお仕事中だと思っていたものですから。今は休憩か何かですか」
「そうとは聞こえませんでしたけどね。仕事はめでたくクビになりましたわ」
「クビ?」
「ええ。アルク様との商談中に口を出したことや商売のやり方を批判したことが気に入らなかったようですね。おかげさまで魔王国から出て、一からやり直す日も近そうです。まあ、見習いということで無給でしたし、何の未練もありません」
そう言って苦笑交じりに話す。
(これは良いタイミングで。そういえばフトック氏が無給だと言ってたな)
「それだけでクビとは。災難でしたね。で、今日はどうされたのですか」
「もともと近いうちに辞めるつもりでしたから構いませんわ。今日は、今までのお礼を兼ねてお客様のところに挨拶回りをしていました。短い間でしたが、私と懇意にしてくださった方々がいらっしゃいましたので」
こういった気配りができる人が商人であれば、信用を勝ち取るのも早いと思う。勤めるようになってたった三ヶ月で、懇意と呼べる固定客を掴んでいることが何よりの証拠。
どうやらフトック氏には見る目がなかったようだ。むしろあの男に人を見る目があったらあったで驚きである。少しでも人を見る目を持っていたのなら、態度の悪い店員や人の顔を見る度に、「げぇっ」とか声をあげる店員を雇うことはなかっただろう。今はその店員も森の中の穴でおとなしくしているはずだ。
「そういえば、アルク様」
「様は止めましょうよ。もう商売相手ではないですし。この前も普通に話してほしいと言いましたよね」
「そうだけど。……じゃあ、アルクさんで」
「十歳の子供にさん付けというのも、どうかと思いますが」
「あなたのどこが十歳なのよ。まあ、いいわ。アルクくんで」
ニーナさんは笑いながら答えた。
いやいや、十歳ですよ。正真正銘の十歳です。中身はともかく。
「ところでアルクくんって、高位魔族なの?」
「ええ。一応そうですよ」
「だと思ったわ」
「どうしてそう思ったんです?」
「魔族とはいえ、十歳の子供が隊商の一翼を担うなんておかしいもの。でも高位魔族ならなんとなく納得できるわ」
確かにヒミカさんも十歳で巫女をやっている。そういった意味では高位魔族の子供の成長は早いのだろうか。
「これでも魔王国に来る前、魔族についていろいろと勉強したのよ」
「べ、勉強したのに魔王国に来ちゃったんですか」
勉強したのに、魔族に味覚がないことを知らなかったというのは果たして勉強したと言えるのだろうか。情報が出にくいとはいえ、一応、魔族と交流のあるエルフ族がこの程度の知識ではさすがにまずい。もしかしてエルフ族は個人個人がひきこもりでほかのエルフと話をしないのだろうか。
呆れたようにそのことを指摘すると、口を尖らせながらニーナさんは言った。
「魔族に味覚がないなんて書いてなかったもの。でも、商売人として情報収集が大切なことはわかっているつもりよ」
わかっているつもり。
つもりというのは本人がそう思っているだけの考えに過ぎない……いや、これ以上は言うまい。
「ま、まあ、おっしゃるとおりです」
「魔族の血って青いんですって? しかも魔族の子供たちは、幼いころから生き残るための戦闘訓練をするんでしょ? なんでも世界中をたった一人で放浪させるって聞いたわ。普段、魔族の子供を街で見かけないのはそういうことなのね。魔族のことを書いてある本に載ってたわ」
「……魔族の血も赤いですよ。それにどこの戦闘民族ですか。普通、子供が一人旅なんてしません。僕も魔王国から出たことありません」
「えっ、ほんと?」
残念なことに、勉強に使ったその本の情報は間違っている。情報収集とは何でも集めればいいというものではない。
もしかしてニーナさんが読んだというその本は、人族が書いた『例の本』ではなかろうか。
ニーナさんには改めて間違いであることを指摘しておく。
魔族の血は赤いし、子供の姿を見かけないのは、ただ単に子供の数が少ないだけだ。
そもそもその本をどこで読んだのだろう。
僕がそのことを問うと、彼女は故郷にいるときに読んだ、と答えた。
人族の国に住んでいる同郷のエルフが送ってきたものらしい。
僕もセイバスさんによる執事修行の一環で、人族の本を触る機会があった。人族の魔族に対する考えを知るための参考にと、さらっと読んだのだ。あいにく内容はほとんど覚えていない。ただ確かに、魔族の血は青いとか、魔族は心臓に向かって手が滑るとか、悪魔も魔族と同じ種族と書いてあったことは覚えている。
(まさかと思うが同じ本なのかね)
当時の執事修行中に、白の賢者様から追加でいただいた速読術や記憶術などの前世の技能や技術を持っていれば、本の内容もしっかり覚えていたかもしれない。
「ところでアルクくん。先日、もらったお菓子……コンペイトウって言ってたわね。最初、食べられるか心配だったけど、あれは美味しかったわ」
「お口にあったようで何よりです」
「砂糖を加工したもののようだけど、あれほど不純物の少ない砂糖は故郷に来ていた妖……あっ!」
コンペイトウについて語る途中、ニーナさんは言葉を止めた。自ら発した砂糖という言葉に、何か気がついたらしい。
「ニーナさんの故郷にも、妖精族が砂糖を売りに来ていましたか」
「……なぜアルクくんは、妖精族が砂糖を扱っていて、こっちの世界に戻って来ていることを知ってるの。よく考えたら魔王国に砂糖なんて売ってないわ。それに妖精がこっちの世界にいることを知ってる者はほとんどいないはず。いえ、ちょっと待って……私の故郷『にも』、ということは――」
「ええ。妖精なら、ちょうど今、魔王国に商品の売り込みに来ています。僕は、その妖精を知ってる者のひとり。縁あって妖精と知り合う機会がありましてね。ご存じないかもしれませんが、ある嗜好をお持ちの魔族たちは、実際にその姿を見たことがなくても妖精についてかなり詳しいのです。それに僕たちの隊商のリーダーは、その妖精ですから」
「え? 魔王国に売り込み? それに妖精に詳しい魔族が他にもいる? いえ、ちょっと待って。隊商のリーダーが妖精……本物の妖精が隊商のリーダー!?」
「はい。魔王国と妖精界の間で貿易を行うための交渉に来ているんです。今はミストファング侯爵様、通商貿易局局長の屋敷にいらっしゃいます。ところで僕たちの隊商の名前、覚えてます?」
「確か『妖精の祝祭』だったわね。……まさか妖精が実在すると知ってて付けているとは思わなかったわ。私たちエルフも妖精が実在することを知らない子が多いのに」
そりゃそうだ。
妖精は、『つまんなーい!』という理由でこの世界から妖精界へと帰ってしまった種族だ。しかもこの世界にあった妖精に関連した文献は、帰るときに持ち去っている。
ほかの国や種族はどうだか知らないが、魔王国では表向き、妖精の名は碑文にしか残っていない。小さな友と記されたアルティコ伯爵が持つ先祖由来の古い文献や一部の方々が持っている妖精族入門冊子も、一般の魔族はその存在すら知らないのだ。
なにしろ妖精がこの世界からいなくなったのは千年以上前。長命な魔族の国ですら碑文に名前が残っている程度なのだ。寿命の短いほかの種族では、妖精の存在が忘れられていても不思議ではない。
そんな状況のなか、妖精と知り合いだと聞けば驚くだろう。
ニーナさんが妖精の存在を知っていたのは、生まれた故郷が妖精と取引のあるところだったから、と教えてくれた。
妖精と取引したり、人族の国に住むエルフがいたり、商人になるため魔王国に出てきたニーナさんがいたりと、準ひきこもり種族のエルフにしてはなかなかアグレッシブな故郷である。
ただニーナさんの口ぶりだと、エルフ全員が妖精の存在を知っているわけではなさそうだ。もともと真のひきこもりだった妖精族が、準ひきこもりのエルフ族と会う機会は少ないはず。奇跡的な出会いと言ってもいい。
しかし、魔王国ではこれから妖精の名を聞く機会が増えるだろう。
妖精族との取引は、通商貿易局を通して行われる。そうなれば耳聡い貴族や商人たちから妖精の名が広まるはずだ。
実際、妖精の存在をほとんど知らなかった魔族だが、今ではミストファング侯爵様やアルティコ伯爵様など、一部の貴族やその使用人たちが妖精の存在を知り、実際に会って話をしている。
また遅かれ早かれ、妖精が大好きな妖精族入門冊子所持者たちの間にもその存在は広まるはず。
それに森林管理局の局員もそうだ。
まだ妖精だと伝えてないものの、多くの局員がヨヨさんと語り、笑い合っている。一部の局員は、その妖精から命の水を買っているのだ。ヨヨさんの種族が妖精だとわかっても、「妖精だからといって何か問題でも?」とか、「局長の友人に文句でも?」くらいで、細かいことは気にしないだろう。
商業ギルドにおいても『妖精の祝祭』の名は広まっているはずだ。王都でも有名なヒミカさんが所属する、たった三人の隊商が目立つのも当然といえる。
隊商の書類を提出したときに、ヒミカさんと『お話し合い』をした僕のことを探っていたのは、ほかならぬギルド長本人である。
情報を制するものは商売を制す、と豪語するギルド長であれば、その隊商のリーダーのことを知るのも時間の問題だろう。
「魔王国と交渉している妖精がリーダーだなんて。アルクくんは今までどんな商売をしてきたのかしら」
「商売? 始めたのは数日前ですよ」
「え? 数日……前?」
「あ、ちなみに僕の本職は隊商の仕入れ担当ではなく、執事です」
「……はい? 執事?」
しばらく呆けたような顔つきで僕を見ていたニーナさんだったが、ようやく僕の話を理解できたらしく、長い耳をピクピクと動かしながら驚いたように目を開く。
「……はぁあああ?」
やや上ずった声を上げたその顔は、何を言ってるのこの子、とでも言いたげである。
「ええ。僕の本職は貴族に仕える執事です。見習いですが」
「十歳の子が貴族の執事なんてなれないでしょ。仮に執事だとしても、なんで執事が隊商の仕入れ担当なんてやってるのよ」
「執事だからでしょうか」
「あっ!」
「あっ?」
何かに気がついたような声を出すニーナさんに、僕も思わず聞き返す。
「執事というのは信じましょう。だから、通商貿易局局長の屋敷に妖精が来ていることを知っていたのね。仕えているご主人様に聞いたのかしら。で、キミはどこの貴族に仕えているわけ?」
「ヘルムト=ミストファング侯爵です」
「本人! それ、局長本人よ!」
さっきから何度も驚いているニーナさんは、腕組みをしながら何やらブツブツと独り言を言い始めた。「なんで十歳の子供が……侯爵家の執事……仕入れ担当」などと言っているのが聞こえてくる。
しばらく独り言をつぶやいていたものの、自分の中で納得がいったのかすっきりした顔をしながら彼女は言った。
「ところで、どうしてその侯爵家の執事が隊商を作ったかしら」
「話すと長くなりますけどね。簡単に言えば、毒のない食材を集めるためです」
「毒のない食材を集めるためねぇ。普通、食材には毒はないものなんだけど。でもなぜ、毒の効かない魔族が毒のない食材を集める必要があるの」
「それは、僕が毒に抵抗力のない魔族だからというのも理由のひとつです」
「ああっ!」
「なんでしょうか」
「……自分の魔種族ですら隠す高位魔族が自分の弱点を言うなんてありえない」
「魔族のこと、ちゃんと勉強してたんですね」
「王都で知り合ったお客様に聞いた話よ」
どうやら高位魔族が種族を隠すという話は、例の本に書かれていた内容ではないようだ。本には、高位魔族のことがどのように書かれているのか少し気になった。
「高位魔族のことは書いてなかったけど、魔族は油断を誘って取り憑き、魂を持っていくと書かれていたわ」
「……その本、魔族と悪魔を混同してますね」
どうやら僕も知っている人族の書いた本で確定のようだ。その本だが、もしかして種族問わず売れてるのだろうか。だとしたらそれはそれで問題である。魔族のことが誤解されたまま広まってしまうではないか。
「あっ!」
「どうかされましたか」
「もしかして、私、巻き込まれてる?」
「さすがは商人。人を観察する能力と勘の鋭さは商人にとって必要不可欠ですからね」
「ま、まさか……」
「……我の秘密を知ったからには生きてここから――」
地の底から震えるような声を出しながら、ニヤリと笑みを浮かべる。
この声を変えるのは、執事魔法『執事ボイス』によるものだ。これを使えば、一人で何役もの声色を使うことができる。もちろん声真似も可能だ。お嬢様に本を読んであげるときに便利な魔法だ。
「はいはい。怖い、怖い。まあ、毒に弱い魔族がいても不思議じゃないわね。きっと世の中には味がわかる魔族もいるに違いないわ」
ニーナさんは僕の冗談をあっさりと流した。冗談だということをすぐに見破るあたり、さすがである。これが大人の余裕というものだろうか。
冗談交じりに言った、味がわかる魔族もいる、という言葉だが本気で思っていないはずだ。だが、なかなか鋭い意見である。なにしろ味がわかる魔族は目の前にいるのだから。
「あっ」
「またですか?」
たびたび何かを思いついたように声を出す彼女だが、今度は何を思いついたのだろう。ただ先ほどまでは違い、真面目な顔つきで僕を見ている。
「ねえ、アルクくん。あのコンペイトウ、誰が作ったの」
「おや。気がつきましたか。あのコンペイトウは、僕が作り方を教えて、料理長が作ったものですけど」
「アルクくん、もしかして――砂糖の味わかってるの?」
「なぜそう思うのです?」
「コンペイトウをどうやって作ったのかはわからない。でも作り方を知っていて人に教えたということは、当然食べたことがあるはずよね」
「作り方を知識として知ってても、食べたとは限りませんよ」
「そうかしら。食べたことがないのに、食べてくださいってコンペイトウを渡したのに? それに初めて会ったとき、キミはこうも言ったわ」
――世界中の美味しいものを扱うお店ですか。
「なぜ、美味しいもの、なんて言ったの? 味がわからなければ美味しいもまずいもわからないでしょ。それにね、さっき私に、お口にあったようでないより、って言ったのよ。なぜ味のわからない魔族がそんな言葉を使うのかしら」
「なかなか鋭いですね」
僕の話をよく聞いているし、よく覚えている。
これも商人として大切なことだ。
「ええ、おっしゃるとおり、僕は味そのものを理解してますよ」
「やっぱり……魔族なのに」
魔族が味を理解していることがそんなショックだったのだろうか。
全身の力が抜け、今にも座り込みそうだ。
「……ああ、なんか、頭痛くなってきた」
「まあ、僕がちょっと特殊なだけですよ」
「いろいろ、驚きすぎて疲れたわ。まさか味のわかる魔族が本当にいたなんて」
そんな彼女を労るように声をかける。
「疲れたときこそ、コンペイトウのような甘いものがオススメですよ」
「そうそう、疲れたときは甘いものが身体に……じゃなーい!」
大人の余裕は、どこかへ旅立ってしまったらしい。
実に短い滞在期間であった。
「アルクくん、わかっているの! 魔族から見たらかなりの異常者よ。むしろ魔族ではないと言っても過言ではないわ。毒に弱いというのはともかく、味覚があることをほかの魔族が知ったら、味覚とは何か調べるために体中を切り刻まれて、青い血がドバーッよ。実験動物ならぬ実験魔族の誕生だわ。もしかしたら一生、飼育ゲージのなかで飼われることになるかも……飼う? 十歳の男の子を? ……あれ、ちょっといいかも」
(おい、最後なんて言った!?)
味がわかると言っただけで散々な言われようである。
情報収集が苦手な彼女だが、魔族が味覚を知るための実験などするわけがない。そもそも味がわかると知られても、味とはなんぞや? と言われて終わりだ。興味すら持たないだろう。
「わー、タイヘンだー。血は青くないけど実験魔族にサレチャウ」
「あっ」
「はいはい。今度はどうしたんですか」
「私、もしかして今、完璧に巻き込まれた?」
「ニーナさんがほかの魔族にバラしたら、ボク刻まれちゃうー。ドウシヨウ、ニーナさんから目が離せないよー。隊商に入ってモラワナキャー」
ええ、巻き込んでみました。
なんて正直に言うわけもなく、僕はわざとらしく怯えたフリをしてから微笑みを返す。彼女の顔が引きつって見えるのは気のせいではない。
「無理強いするつもりはありません。僕が毒に弱く、味のわかる魔族であることを利用しようが、誰かに話そうがかまいません」
「利用するつもりも、誰かに言うつもりもないけどね」
僕の言葉にニーナさんは首を振りながら答えた。
「ただ、毒のない食材を探すため、どうかニーナさんのお力を僕や隊商に貸してはもらえませんか。キュウリのことを知っているニーナさんなら、僕の知らない食材をたくさんご存知でしょう。それにエルフが普段使っている食材の知識も教えてほしいのです」
僕の言葉に長い耳を傾けていたニーナさんが口を開く。
「隊商の手伝いをすることに対する見返りは何かしら。私も商人を目指すものとしてタダではうなずけないわ」
「そうですね。条件はありますが、将来的に魔王国内に店舗一件と当座の資金の提供、侯爵でもある通商貿易局局長とのコネ、それに妖精族との個人取引、あとは信用厚い巫女の後ろ盾。おまけにコンペイトウを含むこの世界にはないであろう美味しい料理レシピの提供をしましょう」
「なにそれ怖い」
「足りませんか?」
僕の言葉に、彼女はため息をつきながら少し呆れた様子を見せる。
「アルクくん。タダより高いものはないと言うけれど、高すぎる報酬は裏があると言ってるようなものよ」
「え? 裏なんてありませんよ。僕はこの魔王国に美味しい料理を文化として広めようと思っているだけです」
(お嬢様がどこに行っても美味しいものが食べられるようにね。それに白の賢者様にお願いされたし)
「……へぇ。かなり無謀なことを考えるのね。味がわかる魔族なんてキミ以外にいるの?」
「ニーナさんも言ってたじゃないですか。世の中には味のわかる魔族がいたとしても不思議ではない、と。僕一人だけだと限らないでしょ」
彼女の食材の知識と手腕は、お嬢様のためにもぜひとも欲しい。僕が毒に弱いということや味がわかるという情報を晒してエサにするくらいなんでもないことだ。
しかし今はまだ、お嬢様やヒミカさん、それにシュリーカー族のことを教える必要はない。ニーナさんの人柄や背後関係の情報がもっと集まってからでも遅くはない。
「ほかにいるかどうかもわからないのに、それじゃあ商売にならないわよ」
「魔王国には、エルフ族や龍族といった種族もいますからね。それら他種族が食べられる食材を扱えば、間違いなく売れると思いませんか? 独占ですよ、独占」
「間違いなく売れると思うわ。だって私が欲しいもの」と笑うニーナさん。
もともと他種族が極端に少ない魔王国だが、王都にはエルフ族と龍族が住んでいる。しかし、魔王国最大の王都ですらその数は少ない。
その理由について、ニーナさんに会うまで特に考えたことはなかった。
彼女は言っていた。魔王国は、エルフが食べられる食材が少なく手に入れるのも一苦労であると。
魔王国に住むエルフ族や龍族が少ない理由。
それは、魔王国には彼らが食べられる食材が少なかった。口に合わないとかの話ではなく、毒があってほとんどの食材は食べられないのである。
では、もしエルフ族や龍族など、ほかの種族が安心して食べられる毒のない食材があればどうだろうか。そうすればエルフ族や龍族も安心して魔王国に住むことができるのではないか。
「もちろん毒のない食材は魔族だって食べます。味はわかりませんが、含まれる魔力が多ければ売れるはずです。もちろん色合いがきれいであることが売れる条件になるでしょうけどね」
どんな種族であれ、食べなければ生きていけない。そして美味しい食材や料理は、魔族を除くほかの種族を惹きつける。美しい色合いの食材なら魔族も惹きつける。
「そのためにも、まずは毒のない食材を見つけないと。売る商品がなければどうしようもありません」
「それもそうね」
「それにお店にお客さんが集まれば、そのお客さんが知っている食材の情報が集まるはずです。種族特有の食材や故郷の食材を手に入れて欲しいといった依頼でね」
お嬢様の離乳食期が終わるまで半年ほどしかない。
情報を得る手段は多いほうがいい。こちらから他種族のところに行って食材の情報を集めるのと同時に、食材の情報を自ら持ってきてもらうのだ。
情報が出にくい魔王国がゆえに、すぐには期待できないが何もしないよりはいい。
「ニーナさんの夢は、美味しい食材を集めたお店を持つことですよね。どの種族でも美味しいものを食べたときの笑顔は幸せに満ちていると言っておられました」
「そうよ。美味しいものを口にするとき、種族なんて関係ないわ」
「ある国の言葉ですが『八百屋』という言葉があります。主に食材を売ってるお店のことなんですが、その国の言葉で、数字の八百と書きます。その八百は『たくさん』という意味だとか。たくさんの食材を売っているお店、それが八百屋です。美味しい食材を集めた店を持つことが夢のニーナさんにぴったりだと思いませんか」
「……八百屋。うん、いい名前ね」
楽しげにニーナさんが微笑む。
「美味しい料理文化を広めるためにも、毒のない美味しい食材は不可欠です。魔族だけでなく他の種族も食べることができる食材を扱うお店。どうです? 魔王国で八百屋を開いてみませんか」
こちらとしては目的と見返りについて話した。
あとはニーナさん次第だ。
「いいわ。その話乗ってあげる。絶対に成功させるわよ」
「ありがとう! ニーナさん。普通の商売より険しい道のりですがよろしくお願いします」
「最初は、魔族相手より私達エルフや龍族相手の商売になりそうね」
「僕もお客として利用させてもらいますよ」
「でも、気になることがあるのよね。通商貿易局局長とのコネ、巫女の後ろ盾、妖精との個人取引、それに料理のレシピ。ここまではわかるわ。当座の資金というのもフトック氏の店で大金を見せていたから、持っているのは知ってる。でもね、一介の執事に店舗一件の提供ができるかしら。もしかして条件というのが関係してるの?」
「ご明察。でもその条件を伝える前に、ひとつお願いが。いまから――」
僕はニーナさんに、あるお願いごとをした。
彼女は戸惑うことも悩むこともなく了承してくれる。
ただ僕は気がつかなかった。彼女がそっとつぶやいているのを。
「魔族が知らなかったはずの砂糖を使ったコンペイトウといい、この世界にはないであろう美味しい料理のレシピの話といい……味のわからない魔族の国から出たことのないキミは、どこで作り方を知ったのかしら」




