第六十四話 二度あることは三度ある
森深い場所ほど、長い年月を経て成長した樹齢千年を超える古樹が立ち並ぶ。それら木々の間から僅かに差し込む光によって、森は幻想的で時が止まったかのような雰囲気を醸し出す。そんな森にシュリーカー族の村はあった。
今、僕たちが歩いているのは、村があった古樹の森を抜けてすぐの、若い木と古樹が交じり始めた場所にある小道だ。ヒミカさんやシュリーカー族が見つけてくるバナナやアボカドなどの果物もこういった古樹の森と若い森の間にある場合が多い、とシュリーカー族の族長ジュロウさんが説明してくれた。
このあたりまで来ると木々の間から差し込む太陽の光も多く、周りは明るい。木々の根元に生える草花の種類も多く、躍動感を感じさせるほど繁茂している。ただ残念ながら毒のない食材は見つけられなかった。
「そういえばアルクさん」とヒミカさんの声。
「はい、なんでしょう」
「湖の調査は進みましたか?」
「いやあ、シュリーカー族や悪魔の一件があったのでほとんど手付かずですね。ヒミカさんの家の池になぜファンガスいたのか、伯爵がなぜ寄生されたのか、その原因もわかりません。それにソーサさんの畑のことも気になります」
「ソーサさんの畑に生えた白いキノコもファンガスの可能性があるんですよね」
「ええ。可能性が高いですね。アルティコ家の池やソーサさんの畑。それらは全てこの森の湖や川に繋がっています」
僕は話を続ける。
「最近、森で増えているというファンガス。それに湖に放置された大量のファンガスの死体。で、今度は森の中に建てられた小屋、と」
「森も騒がしいわね」とヨヨさんがため息交じりに言う。
「ファンガスはもともと弱った動物や死体に寄生するのじゃが、一箇所に集まることはほとんどない。集まるとすれば宿主の数が多いか大きい場合、もしくは……」
ジュロウさんの言葉にうなずきながら答える。
「誰かが意図的に集めて放置した、という可能性ですね。それに放置された死体には幼体が一匹もいなかったと聞いてます。宿主になりそうな死体もなかったようですし」
「うむ。ファンガスの幼体は母体の養分を吸いきるまで離れん。そのあと爆発的に増える。幼体はいったいどこへ行ったのやら」
「アルクんなら目星はついているんでしょ」
僕は、「まだ確信には至ってませんけどね」と答えておく。
「そうそうヒミカさん。ジュロウさんの話しでは、小屋の近くに川が流れています。その川なんですが、どうやら伯爵が作った水路に流れこんでいるらしいんですよ。ね、ジュロウさん」
「本当ですか!」とヒミカさんが大きな声をあげる。
「うむ。トネルが水路引くからといって、湖から続く川をいじっておったからの。小屋はその水路の近くに建っておる」
「小屋も父さまが建てたものですか?」
「いいや。小屋ができたのは最近じゃからトネルではなかろう」
「川ってあれかしら? アルクん」
話しながら歩いていると、ヒミカさんの頭に乗っていたヨヨさんが正面を見てそう言った。森が開けたその場所には、川が流れていた。どうやら話にあった川に間違いない。上流に向かって進めば湖が見えてくるはずだ。
川の幅は五メートルくらいで底が見えないことから深さもそれなりにあるようだ。川の周辺は屋外だというのになぜかカビ臭い。
また、誰の手によるものか不明だが、川沿いには上流から下流に向かって切り開かれた道らしきものが続いていた。
カビの臭いに、しかめっ面を浮かべながら、僕たちは川に沿って続く小道を下流方向に進んでいく。しばらく歩いて行くと森にふさわしくない人工物が川岸に見えてきた。
「あれが例の小屋じゃよ」
木々が生えている森から数メートル離れた川岸に一軒の小屋が建っていた。むき出しの土の上に建てられた小屋は、一辺三メートルほどの四角形だ。森の中で不自然に存在しているその小屋には見た感じ、窓はないようで中の様子はわからない。
「族長、アルク殿。おまちしておりました」
小屋が見えてきたところで見張りしていたと思われるシュリーカーから声がかかった。彼は僕たちに軽く頭を下げたあと、見張っていた間の出来事を話し始める。
彼の話によると、つい先ほど一人の魔族が中に入っていったらしい。話し声が聞こえたので一人ではないと思うが、中の人数は不明とのこと。
ほかには変わったことはなかったそうだ。
見張りをしている途中で、はぐれオオカミが襲ってきたのでやむなく絞め殺したが、小屋の魔族には気づかれていないはずだという。オオカミの死体は近くの草むらに隠してあった。
見張りをしていたシュリーカーに礼を言い、村へと帰る彼を見送った。
「アルクさん。どうされますか」
「私が姿を消して中を探ってこようか?」
ヨヨさんの提案は魅力的だが、大事なことを忘れてもらっては困る。
「ここは僕一人で行ってきますよ」
「全員で行けばいいじゃないですか、アルクさん!」
「ダメですよ。どうかここは僕におまかせを」
(ヒミカさんは巫女で伯爵令嬢、ヨヨさんは妖精族の使者で、ジュロウさんは族長だ。自分の立場をもう少し考えて欲しい)
三人とも納得していないようだが、ここは我慢してもらわないと何か合ったとき僕が困る。
「大丈夫ですよ。今の僕はこれがありますから」
そういって指につけた指輪を見せる。これは森林管理局局員と同等の権力を持つ許可証で、ヒミカさんの父上であるアルティコ伯爵にもらったものだ。
ため息をつきながらヒミカさんは一言、「わかりました」とだけ言った。残る二人も渋々といった感じではあったが納得してくれたようだ。
「ジュロウさんは二人の警護と周りの警戒をお願いします。ヨヨさんはこの場で姿を隠してジュロウさんの補佐を。ヒミカさんはいつでも魔法を使えるようにしておいてください」
うなずく三人を確認した僕は、わざと生えている草木を蹴り、咳払いをしながら音を立てて小屋の入り口に近づいていく。
「んんっ。あー、あー」
(ちょっと! アルクさん)
これも作戦のひとつだ。
だが、わざわざ音を立て、声を出しながら近づくという僕の忍ばない行動にヒミカさんが小さな声を上げる。
だがしかし、誰かが近づいてくる音が聞こえれば、中にいる者は警戒する。おそらく僕の出方をうかがうか、誰が近づいてきたのか確認しようとするはずだ。
出てきたら返り討ち、出てこないなら先手を打つ。
小屋は四角形の木造だが、中が覗けないほど丈夫でしっかりした造りになっている。先ほどから鼻をツンとつくような臭いが小屋の周りに漂っているが、何の臭いなのかわからない。
扉の前の地面には、足跡がくっきりと残っており、小屋を利用する連中の出入りが激しいことを示していた。足跡の種類から少なくても五人以上が出入りしているようだ。
軽く扉を押してみるが中から鍵が掛けられているようで開かない。
小屋の周りを調べてみる。
どうやら扉以外、煙突や窓などは一切ないようだ。裏手にある川の対岸には、伯爵の手によるものと思われる水路が見える。水路には大きなゴミが入り込まないよう鉄柵が設けられていた。
そしてその鉄柵の手前で浮かんでいる物を見て、僕は驚くことになった。
鉄柵には十数体もののファンガスの死体が引っ掛かっていたのだ。
どの死体も水に浸かっていない部分は白いカビでびっしり覆われている。近づいただけで病気になりそうだ。
どうやら伯爵家の池に流れ込む水が少ないのは、このファンガスの死体が水路を塞いでいたからに違いない。
(これが伯爵の池にファンガスの幼体がいた原因か?)
少し川を調べると川辺に魚の死骸があった。近寄ってみるとその魚には、伯爵の身体についていた『蜘蛛の巣のようなもの』がびっしりと付いている。これはファンガスの幼体になる前の菌糸に間違いない。
足元を調べると、川辺の土や石にも幼体になる前の菌糸が大量にいることがわかった。
(どうやら、この菌糸の状態で伯爵家の池に流れ込んだ可能性が高いな。問題は、なぜここに大量の菌糸がいるかだが……)
僕はもう一度、水路に引っ掛かっているファンガスを見る。表面の白いカビが邪魔でよく見えないが、死んでからもう何日も経っているようだ。このファンガスの死体も湖で死んでいたファンガスと同様、幼体は一匹たりともいなかった。
川の下流に目をやると、ところどころに白いカビに覆われたファンガスの死体が引っ掛かっているのが見えた。
(ファンガスの死体があちこちに……これは当たりかな)
川から離れ、正面の扉の前に戻ってきた僕は、扉をがちゃがちゃと動かしながら声をかける。
「もしもーし、誰かいますぅ?」
三人が隠れている方向からヨヨさんの、「なんで声かけてんのよっ!」という押し殺した声が耳に入ったがあえて無視。今のヨヨさんの声は小屋にいる連中には聞こえなかったはずだ。
小屋に魔族がひとり入っていったという話のとおり、誰かの気配を感じる。だが息を殺してこちらが去るのを待っているかのように、物音ひとつしない。
(二人……か?)
正確に気配を読み切れたかどうか少しばかり自信がない。
ジュロウさんが後ろに立ったときもそうだったが、もう少し気配を察知する能力を鍛える必要があると反省する。お嬢様が扉の前に立ったとき、タイミング良くドアが開けられるようしなくては執事失格である。
中の人数に見当をつけた僕は小屋の扉をどんどんと叩きながら、もう一度声をかけた。
「こんにちは、迷子でぇす。誰もいないなら帰りますけどー」
「誰もいねぇよ! 見りゃわかるだろ、帰れ!」
「アホかおめぇは! このボケがっ!」
思いもよらぬ反応が返ってきた。
小屋の中から怒鳴り声が聞こえてきたかと思うと、続けて罵声が聞こえてきた。何を言っているのかわかると思うが、「誰もいねぇ」わけがない。ボケなんてものじゃなかった。大ボケ、超絶ボケ程度ではない、天然ボケの片鱗をこんな森の中で味わうとは思わなかった。
中で何かが殴られる音のあと、鍵が外す音が聞こえた。ゆっくりとこちらを伺うように少しだけ扉が開く。その隙間からは、頭を突き刺すような鼻につく異臭とどこかで見たことのある目がこちらを睨んでいた。
先ほどの声といい、人を疑うような目といい、僕には覚えがあった。少しあごを上げながら、相手を見下したような目で話しかける。
「やあ、こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「げぇっ!? て、てめぇは」
驚いた拍子に扉を全開にして、その男は小屋から出て来てこちらを睨む。全開にされた小屋からは、先ほどとは比べ物にならないほどの刺激臭が漂ってくる。我慢できないほどではないが、よくこんな臭いが充満する小屋にこもっていられるものだ。
「やだなぁ。会うたびに、げぇーげぇー言うんですか。フトック食肉協会の店・員・さ・ん」
そう。扉の隙間から覗いていたのは、フトック食肉協会でエサ認定した『例の店員さん』だった。店にいたときと同じような服装だが、エプロンをしている。前世の漁師や魚屋さんが使っていたような胸から足元まである布製のロングエプロンだ。
会うのは三度目だが、初めてじっくりと観察することにした。まあ、ボサボサ頭の中肉中背男といった感じだろうか。種族は……雑魚族? ボケ族? だろうか。
「こんなところで何をしているのかな?」
「ここは店じゃねぇ。だから、てめえは客じゃねぇ。よって、何か言う必要もねぇ」
まあ、言ってることもわかるけど面識がある以上、商売人としての態度ではない。そもそも商売人に向いているとは思えないからそれ以上思うこともない。
「ここは店じゃない。だから僕は客じゃない。酔ってないで何してたか吐け、天然ボケ」
見る見るうちに顔が赤くなる店員。ちなみに、「いねぇよ!」と声を出したのはこの店員だ。声を聞いたときにすぐわかった。
「ふ、ふざけるなぁ!」
「おやおや。なんとも沸点の低い店員さんだ」
そうつぶやきながら殴りかかってきたところで、頭をずらし、拳をかわす。ただ少し勢いよく頭を振ったせいか、フラッとしてバランスを崩してしまった。
しかし、すぐに体勢を整えガラ空きになった腹に、多少手加減した正拳をお見舞いする。腹の痛みに体が折れ、相手の頭が下がったのを見て、ボサボサの髪の毛を無造作に掴み、後ろへと力任せに放り投げる。
髪の毛がちぎれる音とともに、店員は派手に飛んでいき、近くの木にぶつかって止まる。手加減しているので生きているだろう。毛根に手加減はしていないのでそちらは生きていないかもしれない。
「正当防衛!」
「過剰防衛だよ!」
僕の正論に言葉を返したのは、小屋に残っていた一人の男。小屋に残っていた最後の一人だろう。ヤセ型でひょろりとした男だが、こいつもフトック氏の店でみた覚えがある。
薄暗い小屋の中に目をやるが、この男以外誰もいないようだ。中には大きな釜が3つほど設置されているのがわかる。
「あんたはどんな権限を持って、我々を襲うんだい」
なるほど。こいつはさっきの店員よりも頭が良いらしい。襲われた被害者として話しかけてくるあたり、なかなかの策士である。
「森では小屋を無許可で建てることは禁じされていますよ」
「ああ、そうだな。……だけどよ、この小屋はもともとここにあったんだ。大方、小屋の裏にある水路を作ったやつが建てたんだろ?」
(確かにこいつらが建てた証拠はない。だけど魔王様の許可をもらって水路を作ったアルティコ伯爵を疑うか……本人の前に連れて言ったら面白そうだな)
「なるほど。水路を作った者がこの小屋を建てた、と」
「ああ、きっとそうだぜ。俺らは中で休んでいただけだ」
どうやら頭が良いと思っていたけど気のせいだったようだ。
「ということは、他人の作った小屋に無断で侵入したと白状されるわけですね」
「……っ!? 無断も何も違法に建てられた小屋なら関係ないだろ!」
「違法に建てられたという証拠は? 他人の小屋に無断に侵入することは犯罪ですよ。なんなら水路を作った人に直接聞いてみましょうか。もちろんご同行いただけますよね」
「ざけんな! てめえに言われる筋合いはねぇ。関係ねぇ奴は引っ込んでろ!」
(やれやれ。どいつもこいつも沸点が低いな)
「本当に関係ないとでも? これでも森林管――ん?」
そう言おうとしたところで、指が痺れ体に力が入らないことに気がつく。
(な、なんだ? 何か……されたか)
体の力が抜けていく感覚に、僕は立っていられず片膝をついてしまう。目の前の男を見るが、目が霞んできたせいかよく見えない。ただ驚いたような顔をしているようなので、この男が何かをしたというわけではなさそうだ。
目の前の男は、僕の様子を見て好機だと思ったのか僕に向かって走ってくる。
(まずい!)
身体を起こそうとするが力が入らずに立つことができない。多少ダメージをもらうのを覚悟して、相手の動きを見る。
しかし、その男は僕に向かって走りつつ、そのまま素通りして逃げていった。隙だらけの僕を無視して逃亡するとはいい判断だ。
その判断も僕が一人だったら成功していただろう。
だが残念ながら僕は一人ではない。男は逃げていった方向から吹き飛ぶようにして戻ってくる。そのまま小屋の壁に当たり、地面へと転がった。意識を失ったようで起き上がってはこない。
「アルクさん! 大丈夫ですか」
ヒミカさんが僕へと近づいてくる。僕の不調の原因が小屋の周りにあるかもしれないと判断した僕は、こちらに近づかないように声をかける。
しかし、僕の口から出たのは獣のような、「ああぁぅ」といううめき声だった。
(声が出ない!?)
僕の異常に気がついたのだろう。ヒミカさんは血の気が引いたような青い顔をしたまま近寄り、両膝をついて僕の頭を抱えるようにしてしゃがみ込む。
(白いローブが汚れますよ、ヒミカさん)
彼女の目を見て話しかけるが、言葉が出てこない。息を吸うのもだんだんと辛くなってきた。ヒミカさんの目から大粒の雫が今にもあふれそうだ。
そのとき、後ろから逃げた男をふっ飛ばしたジュロウさんが早足で近づいてくるのがわかる。だがその気配はおろか、地面の振動すらも徐々に感じなくなっている。かろうじて聞こえてきたジュロウさんの声が耳に入る。
「ヒ…カ殿! こ…臭い…麻………」
ジュロウさんがヒミカさんに何かを伝えたようだが、途切れ途切れでなんと言っているのかわからない。軽くうなずいたヒミカさんは僕をジュロウさんに預け、僕の目の前で両手を勢いよく合わせ、口を動かし始めた。
僕の目の前にいるというのに、ヒミカさんが両手を合わせたときの柏手も、何を言っているのかも聞こえない。恐らくは何かの神聖魔法なのだろう。
身体の感覚すらなくなってきた。地面が動く。目の前の小屋が歪む。川は無言で流れている。明るかった空は真っ暗だ。
何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。
僕は――全ての感覚と意識を手放した。




