第五十八話 キノコどこの子
チョトツによって、なぎ倒された木の下敷きになっているのは、一メートルほどのキノコだった。かすかに体が上下していることから生きているのは間違いない。意識を失っているだけのようだ。
(あれがファンガスってやつか?)
僕は倒れているキノコに駆け寄ると、キノコにのしかかっていた木を『執事ボックス』へと放り込む。木は電柱ほどの太さがあったが、難なく『執事ボックス』へと入っていく。持ち上げて片付けても良かったが、一本ずつ動かすよりも『執事ボックス』に入れたほうが早い。
キノコの姿形は、傘が開く前のホンシメジのようだ。いかにも、「キノコ!」という形をしている。頭と思われる頭頂部には、白い斑点のある赤色の傘があり、まるで帽子をかぶっているようにも見える。胴体と思われる太い柄の上部には、愛嬌のある可愛らしい目と口があり、短い手足がついている。幼児のような小さな手には、自ら作ったと思われる花輪が握られていた。指が五本あることからそれなりに器用なのだろう。胴体を触った感触からすると固めのスポンジのようで、ふにふにしている。
その姿は図鑑にあったファンガスとよく似ている。だが、図鑑にはファンガスは夜行性で、全身にファンガスの幼体を生やしているとあった。今は昼前だし、このキノコに幼体らしきものは生えていない。
色だけを見れば間違いなく毒キノコ的な色合いをしているが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「ファンガスではなさそうだし、魔族……なのか」
彼(彼女)が怪我をしていないか確かめる。体に擦り傷があるものの、木の下敷きになっていた割には、大きな怪我はしていないようだ。擦り傷は、執事魔法『執事救急箱』できれいに治しておいた。彼(彼女)は、もしかすると見た目よりも丈夫なのかもしれない。
種族を秘匿する高位魔族は別としても、このような魔族は見たことがない。もともと種族特有の能力などを隠す魔族だが、いかにもキノコという姿をしていれば目立つはずだ。観察すればするほど、魔族とは少し違うような気がする。
「きゅ~。……ききゅっ!?」
僕の声にキノコが目を覚ました。その小さな丸い目は、僕の顔をじぃっと見ている。その視線は、僕の顔から肩へ、肩から腕へと移っていく。視線がキノコのお腹に当てている手の位置まできたときだろうか。その動きがピタリと止まる。
「きゅっ、ききききゅっきゅっ!」
突然、大きな声を上げたキノコが、短い手足を振り回しながら僕の手を勢いよく払いのけた。そのまま勢いよく立ち上がると、さっと僕から離れ近くの木の後ろに顔だけ出して隠れてしまう。そして小さな目を大きく開き、僕に向かってパンチをするように短い腕を突き出しながら騒ぎ始めた。
「きゅっ! きゅきゅっ!」
どうやら怒っているらしい。だが、何を言っているのかさっぱりわからない。元気になったからなのか、先ほどよりも傘の部分の赤みが増しているように見える。
キノコはしばらく騒いでいたが、何かを思い出したかのように自分の身体をひねりながら、ペタペタと触っている。自分の身体を確かめているようだ。
僕が使った執事魔法『執事救急箱』は、骨折や骨に入ったヒビは治すことはできない。だが、多少の傷くらいであれば跡を残すことなく治すことができる。『執事救急箱』よりも上位の執事魔法である『執事施療院』や、セイバスさんが使う『執事病院』であれば骨折も治すことができるが、僕はまだ使うことができない。
まあ、骨折の治療うんぬんの前に、キノコに骨があるかどうかは別問題である。
何はともあれ、彼(彼女)が元気になったようで一安心だ。このまま去ってもよかったのだが、キノコが木々の下敷きになったのは、元はと言えば僕がチョトツを驚かせたからである。さすがに後味が悪いし、まだ怪我をしているかもしれない。僕は、もうしばらく様子をみることにした。
だが、その前にキノコの警戒心を解く必要があるだろう。
僕は、その場に座ると『執事ボックス』からコンペイトウが入った小瓶を取り出し、キノコに見せながら軽く振った。キンキンと甲高く鳴る音に、キノコの目が小瓶へと向く。小瓶のフタを開けると、コンペイトウを一粒つまみ、口の中に放り込んだ。
木の後ろから僕の様子を見ていたキノコは、僕の口元とコンペイトウの入った小瓶を交互に観察している。その様子を見る限り、コンペイトウに興味を持ってくれたようだ。
僕は小瓶からコンペイトウを取り出し、いくつか手のひらに乗せると、キノコに向かって差し出した。警戒されないようにじっとしたまま反応を待つ。
手に乗せたコンペイトウに釘付けになっているキノコは、しばらくすると恐る恐るといった様子で、『隠れている木の後ろ』からその短い手を伸ばす。伸ばすのだが当然、届かない。僕とキノコが隠れている木の間には二メートルほどの距離があるのだ。
木の後ろから出て来れば届くのだが、まだ警戒しているらしい。
一生懸命、身体を伸ばしているようだが、その短い手足では届かないだろう。
ようやく何をしても届かないことがわかったらしい。木の陰で寂しそうに肩を落としたキノコに苦笑しながら、もう片方の手でこちらに来るように手招きする。
「何もしないからこっちにおいで」
頭をかしげ、「きゅ?」と鳴いたキノコは、隠れていた木の後ろから恐る恐る出てくると、手を伸ばしながら少しずつこちらへにじり寄ってきた。
なんとか手が届くところまで近寄ってきたキノコは、僕の手のひらに乗っているコンペイトウを一個だけつまむと、視線をこちらに向けたまま、ゆっくりと後ずさりしながら木の後ろへと戻っていった。
木の陰から顔を出してこちらと目が合っている時点で隠れているとはいえないのだが、気持ち的には隠れているつもりらしい。安心した様子でつまんだコンペイトウを口の中へと放り込む。
僕を見ながら、口をむにゅむにゅと動かしていた(歯はないらしい)キノコが、突然、驚いたような顔をする。そして一変して嬉しそうな顔になり、木の後ろから飛び出してくると、その場でくるくると回り出した。その動きはまるでダンスのようだ。どうやら気に入ってくれたらしい。
楽しそうに踊っていたキノコは、しばらくすると回るのを止めてしまった。口の中のコンペイトウが警戒心とともになくなったらしい。キノコは僕の手のひらに乗っているコンペイトウを見ながら、「きゅきゅ?」と鳴いた。
たぶん、「もう一個いい?」とでも聞いているのだろう。
僕はキノコを驚かさないようゆっくり近づくと、その小さな手に自分の手を添えて、コンペイトウの入った小瓶を乗せてあげた。そして、にっこりと微笑みながら、小瓶をその小さな手で握らせる。
「きゅきゅる!? きゅふー!」
小瓶ごともらえたと理解した様子のキノコは、器用に小瓶のフタを開けると、一粒取り出して口に放り込む。そして、その場でまた回り出すのだった。
……何回繰り返しただろうか。
食べては回る、食べては回るという動作を繰り返していたキノコは、満足したかのように座ってコンペイトウを食べている。あぐらで座る僕の足の上で。
驚いたのは、僕に座る前のことだ。その身体がポンっという音を立て、五十センチほどのキノコ(小)になった。ちょうど足の中にすっぽりと収まるくらいのサイズである。前世の世界にキノコ型のイスがあったような気がするが、どちらかといえばキノコのぬいぐるみと言ったほうがしっくりくる。
座ったままキノコの傘の部分を撫でてやると、くすぐったそうにしていることから、傘の部分も身体の一部であるのは間違いないようだ。
(すっかりなつかれてしまった)
そんなことを考えていると、立ち上がったキノコが僕の上着を引っ張りながら森の奥を指さした。まるで、「あっちに行く。ついてこい」とでも言っているかのようだ。
「ついてこいってこと?」
僕が尋ねると、キノコは小さな身体でお辞儀をしている。まるでうなずいているかのようだ。キノコはこちらの言葉を理解しているらしい。僕を見上げるその目は、何かを期待しているかのように輝いている。
「せっかくだけど……」
今日、この湖に来たのは伯爵がなぜ病気にかかったのか、その原因を調査するためだ。さすがにこれ以上付き合ってあげる余裕はない。
僕が断ろうとすると、上着を引っ張っていたキノコが、ポンっという音を立てた。
今、僕の目の前に立っているのは、先ほどまでのずんぐりとしたキノコ(小)のぬいぐるみではなく、小さくなる前の大きさに戻っている。このキノコは自分の意思で大きさを変えることができるらしい。
大きくなったキノコは座ったままの僕の身体に手を伸ばし、短い手でひょいと僕の身体を抱きかかえた。そのまま僕を傘の部分に乗せ、指をさしていた方向へと走り出す。
「ええええぇ!?」
僕は、突然の出来事に驚きの声をあげた。
僕より小さなキノコが、軽々と僕の身体を持ち上げ、傘の上に乗せたと思ったら、結構な早さで走り出したのだ。さすがに驚くなというのは無理がある。僕はバランスを取るのに精一杯で、周りの景色を見ている余裕もない。
「ちょっと! どこに行くんだい」
僕の言葉がわかっているはずなのに、このときばかりは返事がない。何度も問いかけたが反応がない。その間にもキノコは僕を乗せたまま、森の奥深くへと向かって走る。諦めた僕はキノコの上でバランスを取りながら、どこまで連れて行くつもりなのか考えていた。
「……どうしてこうなった。そしてここはどこだ」
今、僕は、地面より一段高い位置に設けられた席に座っている。そして僕の前では、色とりどりのキノコたちがくるくると回りながら踊りを披露していた。一糸乱れぬその踊りは実に見事である。声を合わせて、「きゅー、きゅー」言っていることから歌を歌いながら踊っているようだ。
そしてなぜか僕の頭の上には、可愛らしい花輪が乗せられていた。この花輪はここに連れてきたキノコ(小)が持っていたものだ。
そのキノコ(小)はというと、あぐらをかいた僕の足の上に座っている。連れてきた僕を座らせると、そのままぬいぐるみサイズへと戻り、僕の足の上に飛び込んできたのだ。僕が座っているこの場所には、草で編んだ柔らかい敷物が敷いてあり、いいクッションになっている。
(落語の高座というべきか、晒し者席というべきか)
僕の足の上がお気に入りになってしまったらしいキノコ(小)は、僕があげたコンペイトウをもにゅもにゅと食べながらすっかりくつろいでいる。
どうやら僕は、彼(彼女?)が住んでいる村に連れて来られたらしい。村に入る前に、あぐらの上のキノコが門番らしいキノコ(中)に何か言っていた。その後、あっという間にこの場が設けられ、今に至る。
僕が座っているこの席は、村の広場らしい場所にある。仮に、この村に住む住人らをキノコ族(仮)としておこう。
そのキノコ族(仮)と思われる住民が、この広場に集まり、「きゅー、きゅー」言いながら僕をチラチラと見ているのだ。その住人たちは、思い思いに何かを飲み、食べてる。まるで宴会をしているようだ。ざっと数えても五十はいるだろう。
さすがにこれだけの数から見られていると落ち着かない。いっそのこと逃げ出したくもなるが、足の上に座るキノコ(小)がそれを許してくれない。
もちろん重たくはない。簡単に持ち上がるのだが、両手で持ち上げた途端、「きゅー♪ きゅー♪」と喜んでしまい、すでに何度もリクエストされている。齢十歳にして、「たかいたかい」をして子供をあやすお父さんの気分だ。
ティリアお嬢様も、「たかいたかい」すると喜んでくれたものだ。
周りを見回すと、壁のない屋根と床だけの木造の建物が並んでいるのが見えた。
広場から村の小高い場所へと伸びる道の先には、大きな屋根の建物が見えている。おそらくはこの村の有力者の家だろう。
さて、今の状況を整理してみたいと思う。
調査にきたこの僕は、助けたキノコに連れられて、キノコの村に来てみれば、キノコキノコの舞い踊り、といったところだろうか。
……整理する必要もなかった。情報が少なすぎる。
ここに連れてこられた理由を考えてみるが、思い当たる節はない。とにかく相手と意思疎通ができない。「きゅー、きゅー」言われても、何を言っているのかわからないのだ。
僕は軽くため息をつきながら、目の前に置いてある物に視線を向ける。
座っている僕の前には、なぜか山と積まれた木の実や果物が置いてある。森で採れた食材のようだが、これにはどんな意味があるのだろうか。
歓待の品やお供え物的なものに思えるが、メインディッシュの付け合わせとか、食後のデザートとかの可能性もあるのだ。僕をメインディッシュに食べるつもりはなさそうだが、丸焼きにされないように気をつけようと思う。
そんな物騒なことを考えながら、積まれた食材をじっくり観察していた僕は驚くことになった。
その中には、ヒミカさんの言っていた黄色くて細長い果物があったのだ。それは予想に反せず、バナナだった。熟したものが用意されているようで、この場を甘い香りで包んでいる。
また、黒っぽい皮の果物も山積みになっていた。これもヒミカさんが言っていた果物の特徴と合致している。
僕はその果物を知っている。試しに皮を剥いてみると、中から鮮やかな緑色の果肉が現れた。ヒミカさんが言っていたとおりだ。
僕のあぐらに座っているキノコ(小)が、「きゅきゅ」と語りかけ、それを僕の口元へと寄せてきた。食べろということらしい。皮を剥いて一口食べてみせると嬉しそうな顔をしていた。それは味も食感も間違いなく思っていたとおりの食材だった。
そう、これは『アボカド』だ。
だが、それだけではない。
紫色の皮を持ち、独特な形にいくつもの実をつける果物。そこにはブドウもあった。ワインがあるくらいだから間違いなく存在していると思っていたが、ブドウそのものを見るのは今回が初めてだ。
ほかにも、香り高くふっくらと丸みがある『桃』、熟して甘い香りがする『パイナップル』、全体が色づき熟して果汁が溢れそうなほどハリのある『いちじく』といった数々のフルーツが並べられていた。
更に、『しめじ』、『えのき』、『ひらたけ』、『まいたけ』などのキノコが、それぞれ大きな葉で作られた器に入れられていた。『マツタケ』や『黒トリュフ』らしいキノコの姿もあった。キノコ族(仮)の村にふさわしい大量のキノコである。
(……こ、これはいったい)
積まれている食材の中は前世で見たことのある食材ばかりだ。毒のない食材を探している僕としては、よく知っている食材の数々に目移りするばかりである。
これだけの種類の食材が目の前にあるのに、侯爵家の厨房では見たことがなかった食材ばかりだ(バナナの皮を除いて)。先日、立ち寄ったワイロー商店やフトック食肉協会にも売ってなかった。
僕は、白の賢者様が言っていたことを思い出す。
『魔族に発見されていない食材の中には、キミが元いた世界にあった食材がたくさんある』
確かに、魔族の神である白の賢者様はそう言っておられた。
この言葉は、「元の世界にあった食材の中には、魔族に発見されていなくても、ほかの種族が発見している場合もある」とも取れる。
人や動物は生きていくために食べなくてはならない。
前世では、「○○を初めて食べたのは誰だろう」という話題を耳にすることがあった。
例えば、納豆、チーズなどの発酵食品や、ウニ、ナマコ、タコなど、見た目が食べ物に見えない食材たちだ。これらを人類史上初めて食べたのは誰だったのだろうか。前世を知っている僕は、これら先人の勇気と偉業をぜひ讃えたいと思う。
だが、魔族は積極的に食材を探さないし、試さない。食事は魔力吸収の補助にすぎないと考えている魔族は、『食べられるもの』を探す必要性をあまり感じていなかった。
魔力を含み、見た目がきれいであれば毒があっても気にしない。特に毒を無効化する高位魔族や中位魔族の食事には食材の味や安全性などの要素は必要とされていなかった。
これが食に対する人の意識と魔族の意識の大きな違いだった。
ところが魔族に例外が起きた。お嬢様やヒミカさん、そして僕だ。
僕と同じで毒に抵抗力のないヒミカさんは、生きるために、それこそ必死になって毒のない食材を探したのだ。どういう経緯でバナナとアボカドには毒がなく、食べられる食材だと知ったのかはわからない。ただ、必要だったから彼女は探し、そして見つけた。それに加え、過度の偏食が毒からの防衛手段にもなっていた。まあ、その偏食も解消しつつある。
今、目の前にある見慣れた食材たちも、魔族は食材として認識していないのだろう。誰も食べてみようと思わなかったからこそ、店でも厨房でも見かけなかった。
ブドウがいい例だ。ブドウの外見は黒に近い紫から赤紫だし、中身は濁った薄緑だ。色だけ見れば決して鮮やかな色の食材ではない。魔族にとってブドウは、ワインの原料に過ぎず果物として食べるものではないと認識されているのだ。
この世界にも、食用に適した種と酒造に適した種があるかもしれないが、魔族にとってはどうでもいいことだろう。
この認識の違いは前世にもあった。
前世で僕が生まれた国では、ハトという鳥がたくさんいた。法の規制があったとはいえ、捕まえて食べようとする人は皆無だった。もちろん食用として育て、肉として提供する場もあった。しかし、食べる機会は少なかったし、ハトを見て美味しそうと言う人もほとんどいなかった。だが、ほかの国ではごく普通の食材として食べられている。これぞまさにハトに対する認識の違いであろう。少なくても身近なお店でハトの肉を売っているのは見たことがない。
目の前にある様々なキノコは、どれも茶色と白色だ。トリュフに至ってはお察しの黒である。この色合いでは、見た目を重視する魔族の食卓に登場することはない。魔族にとって地味な色のキノコは食材として認識されないのだ。口にすらしなかっただろう。
同じキノコなら、真っ赤なキノコや真っ白なキノコを選ぶはずだ。例えそれが毒キノコであっても魔族は一切気にしない。
大量に発見した毒のない食材たち。思ってもみなかった発見に、僕は驚きを隠せなかった。
(それにしてもあるところにはあるものだな)
感慨深げに食材を見ていると、どこからか視線を感じる。ふと下に目をやると、そこには不思議そうな顔をしたキノコ(小)が、身体をのけぞるようにして僕を見上げていた。
「なんでもないよ」
そう声をかけると、キノコ(小)はにっこりと微笑んだ。
微笑んだあと、笑っているキノコ(小)が立ち上がった。何かに気がついたかのように僕の方へと振り返り、僕の頭のはるか上に視線を向けながら、「きゅー」と鳴いた。広場に集まっていたキノコ族たちの賑やかな声もいつのまにか消えており、その鳴き声は広場によく響いた。気がつけば、キノコ族たちも僕の頭の上に視線を向けている。
そのキノコたちの視線を追って僕も思わず振り返る。
そこには――。
二メートルほどの巨大なキノコが僕の真後ろに立っていた。




