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第五十三話 伯爵家の友

「「おかあさま!」」


 思わず大きな声をあげてしまった。ヨヨさんと僕は慌てて口を押さえる。


「ちょっと、アルクん。ヒミカちゃんのお母さんってあんなに若かったの」


 ヨヨさんが小声で僕に耳打ちしてくる。

 正直、僕も驚いた。確か、ヒミカさんのご両親であるアルティコ伯爵夫妻は七百歳を超えていると聞いていたからだ。長命な魔族とはいえ七百歳は初老の域である。


 ところが、膝立ちになってヒミカさんと抱擁を交わしている目の前の伯爵夫人は、どうみても三百歳後半にしか見えない。初対面とはいえ、年齢とかけ離れたその若い姿に驚いてしまった。


 そばにいたヒトニスさんが少し悩ましげな顔で話しかける。


「奥様、そのお姿は……」

「あら、こちらの方たちはどなたかしら?」

「はい。こちらは――」


 夫人に話しかけたヒトニスさんは、自分の発言を途中で止め、夫人の問いに答える。さすがは長年執事をやっているだけあって切り返しがスムーズだ。僕もぜひ見習いたい。


 立膝のままヒミカさんを抱きしめていたアルティコ伯爵夫人は、ヒミカさんをくるりと僕たちのほうに向ける。その後、ヒミカさんを後ろから抱きしめ、きれいな黒髪を撫ではじめた。僕と目が合ったヒミカさんは、少し恥ずかしげにしていたが、どことなく嬉しそうだ。その様子から、夫人がヒミカさんを溺愛しているのがよくわかる。


 執事のヒトニスさんは、伯爵夫妻の病気を治したのは僕たち二人であると、夫人に紹介した。


「では、二人のおかげなのね」

「その前に、母さま。そのお姿はどうされたのです」

「寝起きだから、服が簡素なのは許してね」

「いえ、そうではなく……」

「ヒミカちゃん。ちょっと待ってて」


 ヒミカさんの言葉を優しく遮ると、夫人は立ち上がり僕たちに向かって深々と頭を下げた。


「私は、ヒミカの母セセリ=アルティコでございます。この度は、アルティコ伯爵と私の病を治してくださったこと、また愛娘ヒミカの助力をしていただいたこと誠に感謝いたします」


 昨晩、伯爵夫人の症状は伯爵よりも軽いとヒミカさんから聞いていた。だからこそベッドから起きることもできたのだろう。


 僕は姿勢を正し、少し頭を下げてから言葉を返す。


「お初にお目にかかります、奥様。まずはアルティコ伯爵とセセリ様のご快癒かいゆ心よりおよろこび申し上げます。先ほどヒトニス様からご紹介いただきましたが、私、ミストファング侯爵家に仕えております、執事見習いのアルクと申します。今回の一件は、全て伯爵令嬢であるヒミカ様のご尽力と、こちらにお見えになるヨヨ様のおかげにございます」


 そう伝えたあと顔を上げると、なぜかヒミカさんに睨まれていた。背後からいつぞや見た黒いオーラが見える気がする。思わず隣のヨヨさんに助けを求めると、ヨヨさんは何か酸っぱいものでも食べたかのように二の腕をさすりながら身震いしていた。


「アルクさん! 私のことはヒミカとお呼びくださいとあれほど!」

「なぜかしら。今となっては、アルクんに『ヨヨ様』と呼ばれると寒気が止まらない」

「あらあらあら、まあまあまあ」


 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 結局、頬を膨らませるヒミカさんと楽しげな伯爵夫人に押し切られてしまった。


 僕はミストファング侯爵家の執事ではなくヒミカさんの友人、アルクとして振る舞うよう約束させられたのだ。夫人曰く、伯爵夫妻の命の恩人でもあるし、ヒミカさんの友人になってくれると嬉しい、とのことだった。


 それはさておき、ヨヨさんの紹介をしたとき、伯爵夫人と執事のヒトニスさんの二人は驚いていた。伯爵家に残されていた文献に登場する『小さな友』が、碑文に書かれている妖精族であることに、だ。


 それを尻目に、伯爵夫人の後ろに控えているイシェリーさんだけが大きくうなずいていた。いまさらだが、ヨヨさんへの接触禁止の罰は、なし崩し的に解除されている。


「では、伯爵家に伝わる『小さな友』は妖精族の皆さんのことなのね」

「我々、妖精族を長きに渡り、友と読んでくださることに感謝いたしますわ。奥様」

「ヨヨさん。妖精族の皆さんはアルティコ家にとって命の恩人です。お困りの際はいつでもアルティコ家が力になりますわ」


 ちょうどそのときだ。ベッドから声が聞こえた。


「おぅ。なにやら騒がしいな」

「父さま!」


 ヒミカさんがベッドのほうへと慌てて駆け寄った。僕はベッドのほうへと視線を向ける。そこにはアルティコ伯爵がベッドの上で体を起こしていた。


 僕は、その姿を見て息を呑んだ。治療する前の伯爵は、七百歳を超えた割には、たくましい体つきで、白い髪とひげが印象的な初老の男性だった。


 ところが今は、日に焼けた浅黒い肉体を持つ健康的な四百歳ほどの壮年男性のようだ。寝着から覗くその鍛えあげられた肉体は、治療前のときよりも張りと艶を備えている。それに顔に刻まれたシワも目立たなくなっており、白かった髪や立派なひげも緑がかった暗色へと変わっていた。


 (え? これはどういうことだ)


「母さまもですが、父さままで。そのお姿はいったい……」


 ヒミカさんは、伯爵の隣で立ち尽くしている。

 夫人とは初対面なので元のお姿はわからないが、どうやらヒミカさんの言葉からすると、夫人も以前より若返っているらしい。


 そんなヒミカさんの驚きに気がついていない様子の伯爵は、彼女のほうへ顔を向けると満面の笑みを浮かべてた。


「おぅおぅ! 私の愛しいヒミカ。……おや、妻の若いころにそっくりな美しい女性と坊やは誰かな?」

「あなた。あまり寝ぼけたことを言ってると、私の可愛いヒミカちゃんとの接触を禁止しま――あなた! その姿はどうしたのです?」


 どこかで聞いたことのある禁止事項がアルティコ夫人から聞こえてきた。ヒミカさんは、夫人の影響をしっかりと受け継いでいるようだ。


 夫人は伯爵の姿に声を上げたが、当の本人は自分自身の変化に気がついていないらしい。


「伯爵様、奥様。失礼いたします」


 僕は伯爵と夫人の前に、執事魔法『執事の姿見』で大きめの鏡を二つ創り出す。この魔法は、お嬢様のおめかし用の鏡を作り出す魔法だ。侯爵家には鏡があるので室内では必要ないが、外出中におめかしすることもある貴族の令嬢には重宝される。今は反射させた光を追いかける遊び、『太陽の光と追いかけっこ』にしか使っていない。お嬢様はおめかししなくても可愛らしいので一生必要ないかもしれない。


「「若返ってる!?」」


 僕が作り出した『執事の姿見』に映るご自分の姿を見て、伯爵夫妻は驚かれている。


 さすが七百年連れ添っただけあって息もピッタリな驚きようだ。タイミングだけでなく、一言一句、仕草、表情までよく似ていた。

 そんな二人が落ち着くのを待ってから今までの経緯を説明することに……したのだが、それなりの時間が必要になった。


 というのも、伯爵夫妻は若返ったお互いの姿に惚れなおしただの、また旅行にでも行こうかだの、ヒミカさんの弟だの妹だの、だのだのだのだの大盛り上がりだったのだ。


 しばらくのち、ようやく落ち着かれた伯爵夫妻に、今までの経緯を話した。

 白の賢者様の啓示によってヒミカさんと出会ったこと、ドワーフからもらった命の水や妖精族の花蜜のこと、病気はカビ毒や寄生したファンガスの幼体が原因であったことなど、事細やかに説明する。更に、なぜ病気にかかったのかを調査するため、明日にでも北東の森にある湖に行く予定であることも付け加える。


 それに、屋敷の池の水抜きと掃除、花壇の土の入れ替え、キノコが生えている水路のフタの交換をする必要があることも提案しておいた。


 お二人が若返った理由はわからなかった。結局、花蜜を食べたおかげだろうという結論に落ち着いた。「花蜜は美容にいいから」というヨヨさんの一言が決め手となったのだ。そんな理由でいいのだろうかと思ったが、当の伯爵夫妻が納得している。


「まずは私からも礼を言おう」


 一通り話を聞いていた伯爵が、僕とヨヨさんに頭を深々と下げる。夫人よりも病状が重かった伯爵は、まだ本調子ではないらしくベッドからは出られなかった。ベッドの上で夫人とヒミカさんに支えられている。


 特に、先祖だけでなく自分まで助けてくれた『小さな友』であるヨヨさんと妖精族に対しては、何度も感謝しておられた。そして夫人同様、「妖精族が困ったときは、アルティコ家が力になる」と約束している。


 僕は、執事らしく返礼をしようとしたのだが、途中で止められた。命の恩人に対し、使用人として振る舞わせるような非礼は魔族として受けられないというのが伯爵の言い分だ。


「やれやれ。アルクくんは固すぎるな。ヒミカは嫁にやらんが、君も我々の命の恩人であるし、ヒミカの友人なのだ。そう固くなってくれるな」


 そういって伯爵は苦笑気味に笑っている。身分の差にとやかく言う人物でないことは侯爵様やヒミカさんからも聞いていた。初対面の平民執事を、あっさりと娘の友人と呼ぶことからもよくわかる。


「北東の森にある湖の調査を行うと言っておったな。礼と言ってはなんだが我が家が管理する森への立ち入り許可の印を渡しておこう」


 伯爵は、ヒトニスさんに命じて何やら持ってこさせると、ひとつの指輪を僕に手渡した。その指輪は木製だ。花やキノコ、それに木の葉っぱの細かい意匠が彫られており小さなダイヤモンドらしい宝石が埋め込まれている。


 伯爵によると、この指輪はアルティコ家が管轄する魔王国の森全てに入ることができる正式な立ち入り許可の指輪だそうだ。


「ヒミカは嫁にやらんが許可証は有効に使ってくれて構わない」


 指輪については、ヒトニスさんが詳しく教えてくれた。

 伯爵は許可の印と言っておられたが、なんとこの指輪、森林管理局の局員が持つ権限が与えられるのだそうだ。驚くべきは森で密猟などを行う連中や森に関連する法の違反者の逮捕権まである。他には、森林における動植物の捕獲・採取・研究する権利や調査権などだ。


 もちろん魔王国の森は一般市民に開放されている。ただし制約があるのだ。例えば、動植物の乱獲の禁止、決められた場所以外での火の使用禁止、森の中への不法投棄禁止などが法で決められている。


 生活のために森の中で狩りをしたり植物の採取をしたりするのは自由だが、生態系を崩すような行いは厳しく罰せられる。またこれは森に住む魔種族の生活を守るための法でもある。


 もちろん、それらの制約について森林管理局員は免除される。職権乱用は即刻首なのだが、増えすぎた動植物の駆除なども管理局の仕事のため、免除されていなければ仕事ができない。


「これがその法律や規則が書かれた本です」


 そう言ってヒトニスさんに渡された本は、三百ページほどだろうか。僕は中身をパラパラとめくりながら速読する。読み始めてから気がついたのだが、どうやら『速読術』も白の賢者様からもらった技術のひとつだった。本の内容は、法案が主だが、森林保護、生存自活、森林戦、野戦築城や潜伏などの項目がある。


 (まるで軍の精鋭部隊のようだな)


 読み終わったあとで、その本をヒトニスさんに返そうとするが受け取ってもらえなかった。「なぜ?」という顔した僕を見ながら、ヒトニスさんは柔和な笑みを浮かべている。


「アルクくん。ヒミカは嫁にやらんがその本はあげよう。君が、万が一にも法に触れることがないよう、じっくりと読んで覚えてくれたまえ」

「あ、覚えましたけど」

「え?」

「え?」


 僕の言葉に、伯爵だけでなくこの部屋にいる全員が一斉に僕を見る。


「いやいや。アルクくん。そう簡単に覚えられるものではないぞ。森林管理局の局員になるため、いったいどれだけの若い魔族がその本を暗記するのに苦労しているか」


 伯爵が微笑を浮かべながら首を振っている。森林管理局員になるためには、本一冊分の丸暗記が必要らしい。伯爵の言葉の意味はよくわからなかったが、若い魔族というのは僕よりも年下に違いない。森林管理局員になるために幼い頃から頑張っているのだろう。


「伯爵様。アルクんはちょっと普通じゃないのよ」

「父さま。アルクさんはちょっと普通ではありませんので」


 調子がいいときのヨヨさんの言葉はトゲ付き鉄球並みに鋭い。だが、ヒミカさんと組むことによって『竜の息(ドラゴンブレス)』並の威力に変わるようだ。もはや返す言葉も焼き尽くされてしまった。

 どうやら彼女らが持っている、僕に対する認識は普通ではなくなったらしい。実に理不尽な話である。


 伯爵は彼女らの言葉を聞いて、訝しげな表情を浮かべている。


「うーむ。そうは言ってもなぁ。ヒミカは嫁にやらんが……第一章第三節は?」

「森林地域内において、次に掲げる行為は、森林管理局局長の許可を受けなければ、行ってはならない。ただし紛争、非常災害時等における措置として行う行為は、この限りではない。一、家屋、倉庫、道路、水路などの人工物を建造する行為。二、むやみに樹木を伐採し、動植物を乱獲する行為。三、指定された場所以外での火の使用。四、土地の開墾、及び土地の形状を変更する行為。五、鉱物などの資源の採取。六、不法投棄を――」

「わかった。もういい。では、第三章第一節は?」

「罰則事項。規定に違反したものは、最高百年の懲役または財産没収に処する。また三つ以上の規定に違反したものは、森林管理局員または許可印を持つ者の判断によって、実力を持って即時処することとする。なお局員に対し、虚偽の報告を行った場合も同様である」

「森林警備隊における上司の命令は絶対だ! わかったか新兵!」

「レンジャー!!」

「……君はなぜ執事をやっておるのかね?」

「執事だから、でしょうか」


 伯爵は、眉間を指で押さえている。やはりまだ体調が万全ではないらしい。それにヒミカさんの癖は伯爵の影響のようだ。その隣では、伯爵夫人とヒミカさん、それにヨヨさんが三人で円陣を組みながら何やらコソコソ話をしている。


 その女性陣の様子を目の端に捉えながら、本調子でない伯爵に提案する。僕自身の手で、池の水の入れ替え、花壇の土の入れ替え、それに水路のフタの交換をやってもいいか、と。


 もちろんミストファング侯爵の使用人としてではなく、あくまでヒミカさんの友人として、だ。他家の使用人が、人様の家のことについていろいろやるのは良くないが、原因をはっきりさせるためにも良い機会だ。


 僕のその申し出に伯爵様は驚いていた。


「それは願ってもないことだが、そんなことをしてもヒミカは嫁にやらんぞ」

「では、今からでも作業に取りかかりたいと思います」

「さっきからなんだね! 君はヒミカを嫁に欲しくはないのか!」


 とうとう我慢できなくなったらしい。聞かないフリをしていたのに、元気になったらなったで面倒臭い伯爵である。


「はい。今は結構です」

「なんだと! こんなに可愛いヒミカを嫁にいらんとは不届きな!」


 断ったら断ったで面倒臭いことになった。

 こういう場合は、どう答えればいいのだろうか。


 僕がなんと答えたらいいか迷っていると、当の伯爵は、ヒミカさんに立派なヒゲを引っ張られ、伯爵夫人から拳骨で頭を叩かれていた。伯爵の後頭部から木製のバットで殴ったようなドゴッという鈍い音がしたが大丈夫だろうか。


「ごめんなさいね。アルクちゃん。彼、まだ熱でもあるみたい」

「すいません。アルクさん。父さまが変なことを言って」


 内輪の見せたくなかった部分を見られたぁという顔をした伯爵夫人と、これ以上ないくらい顔を真っ赤にしたヒミカさんが、固い表情で笑っていた。


「今は、ねぇ」


 ヨヨさんがニヤニヤしているのが気になるが、伯爵はすでにベッドで横になっておられる。どうやら本当に調子が悪かったようだ。


 僕は、お大事に、とだけ伝えて部屋を出た。



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