第五十四話 妖精の歌
時間は、お嬢様のおやつの時間を少し過ぎた頃だろうか。
オノゴルト魔王国の中央やや南の位置にある王都エドゥーラも、最近はずいぶんと暖かくなってきた。侯爵様が治められる領地ミストファング侯爵領は、王都から北西の方角にあり、魔王国の中でも北に位置するため、まだ肌寒いはずだ。
とはいえ種まきや苗植えを考えるとそろそろ準備を始めなければならない時期である。
(侯爵領に戻ったらまずは畑を作らないとね)
そんな畑のことを気にしつつ、アルティコ伯爵の屋敷を出て庭までやってきた。
いろいろとあったが伯爵夫妻の治療も目処が立った。まずは一安心といったところだろう。
(そういえば、昨夜セイバスさんが言っていたなぁ)
高位魔族の間で病気になる人が増えている、と。それも毒の可能性があると言っていた。毒キノコ入りのスープで卒倒した僕と同じように、前触れもなく体調を崩し、意識不明になるそうだ。
話を聞く限り、症状としてはアルティコ伯爵夫妻のときと似ている。もしアルティコ伯爵夫妻のような植物系魔族で、カビやファンガスが原因で意識不明になっているのであれば、命の水と解毒魔法で治るのは実証済みだ。そのあたりもセイバスさんに報告しておく必要があるだろう。
セイバスさんへの報告は帰ってから行うとして、まずは先ほど伯爵様と約束した池と花壇の手直しを始めることにする。
まずは池の水を抜くため、水路の水が池に入らないようにする必要がある。これは簡単な作業だった。
分岐水路とでもいうのだろうか。伯爵が湖から引いてきた水路は、下水へと続く水路と池の取水口へと続く水路と二本にわかれている。今は、下水へと流れる水路は木の板で塞がれ、全ての水は池へと流れていく。
池に水が流れないようにするには、下水側に水が流れていかないように塞いでいる木の板を外し、池へと流れる水路をその板で塞ぐだけ。これで、湖から流れ込んでくる水は、下水へと直接流れるようになる。池に水を入れるときは、板を元に戻すだけだ。その作業は執事のヒトニスさんにお願いしておけばいい。
(前世には、水田に水を引き入れるための用水路と樋なんてものがあったなぁ。……それにしても、湖から流れてくる水の量が少なすぎる)
伯爵様が作ったこの水路の深さと幅は、ともに六十センチほどある。これは水路を流れる水の量が、今よりももっと多かったことを示している。伯爵様が作った水路を流れる水が減ったのは湖に原因がある、と僕は考えている。
(水田で思い出したけど、こちらの世界にはお米ってあるのかな)
前世のなつかしい記憶と主食だった穀物を思い出しながら次の作業に移る。
続いては池の水を抜く作業だ。『執事シャワー』で池の水を操り、排水口へ押し流す。しばらく作業を続けると池の水もすっかりなくなり、池の底が露わになった。湖の底には、枯れ葉などが溜まり泥化している。ただ思ったよりも臭いはない。
残念ながら、池の底には魚どころか小さな生き物すら見当たらない。どうやらヒミカさんの言っていたスイレンも全て枯れてしまっている。
池の底に溜まった余分な泥は『執事食器棚』で四角いブロックにして固め、『執事ボックス』に次々と放り込む。この泥は、後日乾燥させて侯爵領に作る畑の肥料として再利用する予定だ。
次に『執事シャワー』と『執事そよ風』を組み合わせ、命の水を噴霧状に操りながら『執事キッチン』で火をつける。参考にしたのは火炎放射器だ。
(うーん。火炎放射器ってこんな感じかな)
その炎を操りながら池の周囲をまんべんなく焼いていく。たまに、「キシャァ」という叫び声が聞こえてくることから、庭にもファンガスの幼体が巣食っていたらしい。池を一周しファンガスの幼体とカビの退治も一段落ついた。
「さっそくやってるわね。アルクん」
池の水を抜いたことで生臭さが緩和された庭に、ヨヨさんとヒミカさんがやってきた。
あの後、伯爵夫人も疲れが出たようで、今はベッドで休んでいるらしい。伯爵夫妻には、再発予防としてしばらくの間、命の水を使って身体を拭いてもらう必要がある。ある程度、体力が回復したら念のため命の水を飲んでもらう予定だ。治療法に関してはヒミカさんと執事のヒトニスさんに説明してあるので問題ないだろう。
「アルクさん、ヨヨさん。お二人のおかげで父さまも母さまも元気になりました。本当にありがとうございました」
「とんでもない。全部、ヒミカさんの頑張りとヨヨさんのおかげですよ」
「私もヒミカちゃんのおかげで伯爵様とも顔つなぎができたからね」
謙虚さの欠片もない妖精商人の言葉に、ヒミカさんは笑顔で答えている。
そのヒミカさんは、これからイシェリーさんと共に伯爵夫妻の看病を付きっ切りで行うらしい。そのためヒミカさんとは一旦お別れだ。
別れ際、ある『計画』のため、ヒミカさんの名前を借りることをお願いする。計画の内容を話すと、彼女は二つ返事で了承してくれた。そんな彼女は、「これで私もお二人の仲間ですね」と喜んでいる。
その御礼にとレイゴストさんお手製のコンペイトウを渡しておいた。べっこう飴とはまた違った味ですよ、と一粒だけ目の前で食べてみせる。
僕の行動を見たヒミカさんは、「毒味せずとも信用しておりますのに」と苦笑していた。その彼女はコンペイトウの入った瓶を両手で受け取ると、軽く頭を下げ、屋敷へと戻っていった。
「で、私は何をすればいいのかな。アルクん」
「明日、ヨヨさんはヒミカさんのそばにいてもらうとして……あ、そうだ。命の水の入った壺を三個ほど渡してもらってもいいですか。池の浄化で手持ちを使い切ってしまいました」
そう言ってヨヨさんから、命の水の入った壺を譲り受ける。これで僕の手持ちは元通り三個となる。伯爵夫妻の治療で使った一個を除き、ヨヨさんの手持ちは二個だ。今後の治療もそれだけあれば十分だろう。足りなくなったらまたドワーフからもらってこればいい。
「そういえば、ヨヨさんの名前もお借りしていいですか」
「さっきヒミカちゃんにも言ってた件ね。いいわよ」
ヨヨさんも嬉しそうに了承してくれた。
実はこれ、フトック氏のお店で氏に語った隊商の話だ。あの時は、実際に隊商を組んでいなかったのだが、毒のない食材の取引を円滑に行うためにも、隊商を作ったほうがいろいろと便利だと考えたのだ。もちろん侯爵様の許可は取ってある。
ヒミカさんやヨヨさんの名前を借りたのは、魔王国で隊商の許可証を発行してもらうための前準備だ。隊員の数は現在のところ、僕、ヨヨさん、ヒミカさんの三人で登録する予定。ちなみに代表者は、ヨヨさんにお願いした。僕は副代表兼仕入れ担当、ヒミカさんは監査役だ。
監査役とは、隊商が不当な行いや違法なことをしていないか見張るための役職のことだ。
信頼厚い神殿の巫女様が監査役になっている隊商は、魔王国中を探してもないだろう。商売は信用と信頼、それに一定の箔が必要だ。神官長補佐で巫女のヒミカさんほど、名実ともに監査役に適した人材はいない。
「これで魔王国の流通は私の手のひらの上だわ」
「……無理です」
「言ってみたかっただけよ」
本人は冗談のつもりかもしれないが、その目は笑っていない。そんな恐ろしい野望を持った妖精商人と共に、今度は花壇の土の入れ替えを行うことになった。
花壇の枯れている植物は申し訳ないが全て焼却処分させてもらう。花壇の土は『執事食器棚』で穴を掘り、掘った土を上下入れ替えれば終了だ。土には、先ほど枯れた植物を焼却したときに出た灰を混ぜておく。肥料の代わりになるはずだ。
「おやおや、アルク様は仕事が早いですな。……というか早すぎますな」
そこへ執事のヒトニスさんがやってくる。すっかり水が抜かれた池と土が入れ替えられた花壇を見ながら感心したように、うんうんとうなずいている。なんとなく顔がひきつっているようにも見えるが気のせいだろう。
「これは私も負けられません」
ヒトニスさんは腕まくりをしながら出来立ての花壇に種を植え始める。花壇といってもそれなりの広さがあるため、僕とヨヨさんもお手伝いをすることにした。ヒトニスさんによると、この種は伯爵夫人がお好きな花の種だそうだ。
「では、ここからが腕の見せどころですぞ」
ヒトニスさんは聞いたことのない魔法を詠唱し始める。
(これは……歌?)
その詠唱はまるで歌のようだった。ヒトニスさんのやや低音気味の声、テノールというのだろうか。その歌とも詠唱ともいえない言葉の羅列が伯爵の庭に響く。
しばらくその様子を見ていると、先ほど種を植えた花壇に変化が現れた。
なんと先ほど植えた種が芽吹き始めているではないか。あっという間に双葉が開き、その成長は止まらない。
それは目を見張る光景だった。
詠唱とともにどんどん成長していく花の苗は、すでに蕾が出来始めている。中には、蕾がほころびかけているものまであった。そしてヒトニスさんの魔法の詠唱が高らかに、そしてより早くなるとともに、花の成長も早さを増していく。最後の詠唱が紡ぎ出された瞬間、花壇に植えられた花の蕾は一斉にその美しい姿を開花させた。
「ふう。やはり土が良いと花の成長もよろしいですな」
腰をさすりながらヒトニスさんは満足気な笑みを浮かべている。額にはうっすらと汗がにじんでいた。
「すごいですね。庭師がいらないわけだ」
「ふぉっふぉっ。私が兼任しておりますからな」
そう言って胸を張るヒトニスさんは、一瞬だけ悲しげな表情を見せると、「今までは庭をいじるどころではありませんでしたから」とつぶやいた。僕がどう答えていいか悩んでいると、ヨヨさんが緊張した面持ちでヒトニスさんに声をかける。
「ヒトニスさん。今の歌、どこで、誰に習ったの」
「これは私の家に代々伝わるものですが……何か」
ヨヨさんは、「そう」とだけ答えて花壇の前にふわふわと飛びながら移動する。そして大きく息を吸い込むと、普段の声より少し高いソプラノで歌い始めた。
彼女の歌声が、花が咲いた花壇を包み込むように流れ始める。その歌声は、妖精族の小さな体とは思えないほどの声量で、そして力強い。普段のヨヨさんが見せる、無邪気で、腹黒い悪徳商人ぶりは微塵も感じられない。実に清らかで美しい歌声は、風に乗って庭全体に響き渡る。ただし、ヒトニスさんが歌ったものとは、歌詞も曲調も違っているようだ。
「おお。こ、これは……」
ヨヨさんの歌声に傾聴していた僕は、ヒトニスさんの驚いた声に何事かと顔を上げた。そのヒトニスさんの視線は、庭を見回すように右へ左へと動いている。僕は、ヒトニスさんの視線を追うように、庭へと視線を向けた。
これは……なんと言えばいいのだろうか。
先ほど、種から花を咲かせたヒトニスさんにも驚いたが、今回の衝撃はその比ではない。
庭じゅうに様々な花が咲き乱れているのだ。
大きい花から小さい花、赤、ピンク、紫、黄と色彩豊かな花が次々と生まれてくる。その成長の早さはヒトニスさんとは比べものにならない。
それに――『種』を植えていないのだ。
ヨヨさんが歌い終わると同時に、緩やかな風が庭を通り抜ける。花の香りをその身にまとった風が鼻孔をくすぐった。
歌い終えたヨヨさんは、照れながら僕たちの方へと戻ってくる。かなり疲れた様子で僕の頭の上にぺたりと座り込むと、大きくため息をついた。
「ふう。これは妖精の歌。『呪歌』と呼ばれるもののひとつ。きっとヒトニスさんのご先祖様も私たち妖精と縁があったみたいね」
「なんと、なんと。私の家にも旦那様と同じ妖精族の方と縁が……」
ヒトニスさんの目尻が下がり、口元には笑みが浮かんでいる。仕える主人と同じ妖精族と縁が合ったことが嬉しいのか、代々伝わる歌の出処がわかって嬉しいのか、それはわからない。だが彼が喜んでいるのは間違いないだろう。
ヨヨさんによると、呪歌がこちらの世界に伝わったのは、妖精族が妖精界に帰る前までさかのぼる。
妖精の住む場所に迷い込んだ種族や、交易を結んだ種族との親睦を深めるための宴などで、一緒に歌うことがあったそうだ。特に、子供たちと歌うことが多かった。
おそらくヒトニスさんの先祖も、子供の頃に妖精と知り合った数少ない魔族だったに違いない。長い年月の間、子供の頃の思い出は廃れ、妖精族のことは忘れてしまい、歌だけが記憶に残ったのだろう。
ちなみに、ヨヨさんが歌った呪歌は『花を生み出す』呪歌だそうだ。妖精族は、花蜜が取れない場所に行ったとき、この呪歌で花を咲かせて花蜜を採るらしい。ただ非常に疲れるので、緊急時以外は使わず、普段は自然に咲いた花から花蜜を採取するとのこと。それに呪歌で咲かせた花よりも、自然に咲いた花の蜜の方が味も魔力も格段に上なのだそうだ。
(花蜜にも、天然ものと養殖ものがあるのか)
その養殖という言葉に、ふと思いついたことがあった。それは、植物の実を収穫できるところまで成長させられるかどうか、だ。ヨヨさんに確認したところ、あっさりと首を横に振られてしまった。
残念ながらそこまでの成長はしないらしい。その証拠に、ヒトニスさんが種から成長させた花壇の花は、ヨヨさんが歌った後でも全く成長していない。やはり実や種を採るためには、自然の力で受粉させないと無理なようだ。
ヒトニスさんの呪歌も残念ながら花が咲くまでが限界だと言っていた。
それに、花蜜と同様、呪歌で育った植物は本来持っているはずの魔力が極端に少ないそうだ。花が咲いたあとの実を収穫しても、やはり本来の魔力量には及ばないとヒトニスさんが言っていた。
これではお嬢様のみならず、魔力を必要とする魔族の食事には使えそうもない。
「僕にも使えますかね」
なにげなく二人に尋ねてみた。もし僕にも使えるのであれば花が咲くまでとはいえ、お嬢様の食材を育てるのに使えるからだ。
「我が家に伝わる歌詞を伝授いたしますぞ」
「私のも教えるから、覚えたら歌ってみなさいよ。でもねぇ……」
ヨヨさんによると、この呪歌を使いこなすことができた種族は、魔族とエルフ族の一部だけだと伝わっているらしい。それにヒトニスさんの家に伝わる呪歌も一族の全員が使えたわけではないとのことだ。
まあ、誰もが呪歌を使えるのであれば、今頃、世界中に呪歌という魔術体系が広まっていたとしても不思議ではない。だが少なくても一般魔族の間では呪歌の存在すら知られていないのだ。ヒトニスさんも自分の家に伝わる呪歌以外、聞いたことがないと言っていた。恐らく使いこなせる術者がいなかったため、廃れてしまったのだろう。
僕は、二人から歌を教えてもらい、軽く咳払いをする。大きく息を吸い込んだ僕は揚々と歌い始めた。




