第五十二話 治療の成果
執事魔法『執事ゲート』で作り出した時空の門をくぐり、王都の北門近くの草原まで戻ってきた。目の先にはそびえ立つ城壁と北門がある。
『執事ゲート』は、あらかじめ設定しておいた場所か、目に見える位置にしか繋ぐことはできない。今回は帰りのことも考え、出発前に王都の北門近くにもゲートを設定しておいた。ゲートは何箇所でも設定できるが、その場に行かないと設定できないのが難点だ。
直接、王都の中に繋げれば早いのだが、あいにくと法で禁止されてる。王都など大きな都市ではゲートを探知する専門の部署があるらしい。試したことがないので本当かどうかはわからない。ちなみに、見つかれば厳しい処罰が待っている。少なくても試したぜ! と自慢する魔族はひとりとして聞いたことがない。
王都の門は相変わらず人の出入りが多いが、僕たちは割とスムーズに通ることができた。たまたま衛兵の一人が、巫女であるヒミカさんに気づき、先に通してくれたのだ。
ちなみにヨヨさんは、姿を見せたままである。ミノスさんにしろ、ソーサさんにしろ、妖精族のことを知らなかったためか、特に変わった様子はなかった。現に衛兵さんも気にした様子はなかった。もしかしたらヒミカさんの頭の上に乗っていたからスルーされたのかもしれない。
途中、侯爵様の屋敷に寄ってもらう。
まずは執事服に着替えるため自室に戻った。さすがに平民の格好で、伯爵家の門をくぐるのはよろしくない。平民が貴族の館に出入りするなど、貴族の醜聞になりかねないのだ。ヒミカさんは、そのままでかまわないと言っていたが、そんなわけにはいかない。侯爵様の使用人である以上、ほかの貴族方に失礼は許されないのだ。
二人には、屋敷の前で待ってもらっている。
あまり待たせても申し訳ないので、急いで酒臭い執事服を部屋に干す。窓は朝から開けっ放しになっていたので閉めておいた。
着替え終わったあと、執務室で仕事中のセイバスさんに、アルティコ伯爵の治療に目処がついたことと、今から治療を行うことを報告する。侯爵御夫妻には、セイバスさんから報告してくださるそうだ。
報告後、セイバスさんからお嬢様の食材を見つける活動資金として袋に入った金貨を手渡された。なんと百枚もある。前世の価値で言えば一千万円もの大金だ。
お礼を言って、そのお金を『執事ボックス』へとしまう。
「本来なら、執事たるもの金貨の百枚や二百枚、自分で稼げなくてどうするのですか、と言いたいところですが、お金の使い方も執事として学ぶべきでしょう」
セイバスさんの言葉をしっかりと胸に刻み、僕は執務室をあとにした。
続いて、お嬢様の様子を見に行ったのだが、イーラさんから、「お嬢様はお昼寝中」と伝えられ、お話できなかった。実に残念である。最近、お嬢様成分が不足気味だ。
次に厨房に寄った。ミノスさんからもらったウシドンの肉、ソーサさんからもらったキュウリ、ニジマスやアユなどの食材の一部をレイゴストさんに預けておく。レイゴストさんには、これらを使ったレシピも渡しておいた。ウシドンの肉は、ワイバーンの肉と同じ料理方法が使えるので問題はないが、火加減だけ気をつけてもらうように伝える。
さっそくウシドンの試し焼きをはじめたレイゴストさんが、「焼けるのが早いな。今まで下準備あわせて二時間くらい時間かかっておいたからな」とつぶやいていた。ワイバーンの生肉、恐るべしである。
帰ったらお手伝いすることを約束したのだが、レイゴストさんは、「今日くらいは大丈夫だぞ」と言ってくれた。厨房を出る前に、小さめのコンペイトウが入った小瓶をいくつか渡された。どうやら時間を見ては、一日中作っていたらしい。お礼を言ってから僕は、ヒミカさんたちのもとへ戻る。
「すいません。おまたせしました」
一通り準備が終わった後、ヒミカさんとヨヨさんが待つ屋敷の門まで戻ってきた。時間にして二十分くらいだろうか。
「おそーい! 一度ならず二度までも『れでぃ』を待たせるなんて」
一度ならず二度までも、ヨヨさんが僕に向かって指を突きつける。いつかその指から変な光線が出たとしても僕は驚かない。まあ、出るとすれば砂糖水くらいだろう。
「そんなに待っていませんから大丈夫ですわ」
「ヒミカちゃん、甘いわ。こういう時こそアルクんから甘くて美味しいお菓子のレシピを聞き出さなきゃ。これは交渉よ」
「あら。べっこう飴以外のお菓子を食べるチャンスを逃してしまいましたわ」
僕を見る二人の目がキラキラと光る。とうとう巫女様も甘党妖精の暗黒面に落ちてしまったようだ。
「アルクん。今、失礼なこと考えてるでしょ」
「アルクさん、今、失礼なこと考えていましたわね」
「はっはっは」
「とうとう否定しなくなったわ!」
確かに新しいお菓子のレシピもあることにはあるのだが、材料が足りない。せめて卵とミルク、バターがあれば色々と作れるのだが。今のところミルクとバターに関しては、ミノスさんの牧場に期待している。
「材料が手に入ったら、ごちそうしますよ」
「あるのね!」
「あるんですね!」
「ざ、材料次第ですってば。食材がないことには作れません」
ずいっと詰め寄る二人の勢いある反応に、つい体がのけぞってしまう。
考えてみれば、妖精族の砂糖がなければお菓子はほとんど作れない。味覚オンチから脱出できた魔族の行く末にちょっとした恐怖感を覚える。魔族がみんな妖精族のようになる日が来るかもしれない。
「さて、それよりもアルティコ伯爵様のお屋敷まで急ぎますよ」
「はい。アルクさん、ヨヨさん。よろしくお願いいたします」
その後、僕たちはアルティコ伯爵家の屋敷までやってきた。門の前に立つ門番さんに挨拶をして敷地内へと入る。
昨夜と違い、その広い庭の様子がはっきりと見えた。昨晩も感じたことだが、やはり庭の木々は枯れ葉が目立ち、草花はすっかり姿を変えている。庭いじりがお好きだといっていた伯爵夫人の手が入らなくなった庭園は無残なものだ。
池の様子も昨夜とは大違いだ。やはり水路から流れてくる水の量が少ない。池の水は緑色で、コケや藻などが大量に発生していることがわかる。
ヒミカさんに了解をとってから、伯爵夫人が育てている花壇へと足を運ぶ。そこに植えられていた植物は、一様に灰色のカビがまとわりついている。どうやら草花が枯れた原因のひとつはカビのようだ。
続いて池に近づいてみた。昨夜見た白いキノコは見当たらない。お昼過ぎということもあってか、夜に比べて湿度は高く、臭いも強い。ぐるりと池の周囲を調べると、池の排水口に枯れた葉っぱなどが詰まっている。
排水口の周りの枯れた葉っぱを取り除き、排水口の詰まりを取る。すると勢いよく池の水が流れだし始めた。どうやら池の水は通常よりも多く水が溜まっていたようだ。
そんな水の流れを見ているときだった。
「曲者はっけーん」
どこかで聞いたことのある声が僕に近づいてくる。後ろを振り返ると、ヒミカさん専属メイドのイシェリーさんが、僕に向かって走ってくるではないか。「なーにーもーのーだー」と言ってることから、どうやら昨晩、会ったことは忘れているらしい。相変わらず元気がいい残念系メイドさんである。
「おやめなさい! イシェリー」
「はい、やめます。お嬢様」
ヒミカさんの叱責とほぼ同時にピタリと走るのを止めるイシェリーさん。かなりの速度で迫ってきた割に、息は乱れていないようだ。しおらしく僕の方へと歩いてくるその姿は、伯爵家にふさわしいメイドの姿である。
……無表情でなければ。
イシェリーさんが無表情のまま無言で正面から近づいてくるのに対し、後ろからはヒミカさんたちが近づいてくる。
「イシェリー。昨晩も言いましたが、父さまや母さまを助けてくださるアルクさんに向かって、失礼な振る舞いは許しませんよ」
「侯爵家? アルクさん?」
表情が戻り、不思議そうな顔つきのイシェリーさんだが、やはり忘れているようだ。果たして、彼女がヒミカさんの専属メイドで本当にいいのだろうか。その本人は、不安に駆られている僕をまじまじと覗き込んでいる。
本気で悩んでいた様子のイシェリーさんが、何か思い出したように軽く目を見開きながら手をポンと叩いた。
「へちょもん!」
「昨日から同じ名前がひとつとしてない点では、驚嘆に値しますね」
「アルクん、誰? そのちょっと不思議な人は」
ヨヨさんが僕の肩にちょこんと座りながら言った。
「ヒミカさんの専属メイドさんですよ。イシェリーさんです」
「へえ、ヒミカちゃんの専属……イシェリー?」
「……あ」
「……あ」
僕とヨヨさんの声が重なり、同時にヒミカさんのほうへと振り返る。
「……あ」
どうやらヒミカさんも気がついたようだ。
イシェリーさんは、昨夜の僕に対する非礼を咎められ、罰を与えられている最中だった。その罰の内容というのが、妖精族であるヨヨさんへの接触禁止というものだった。
そのことを僕やヨヨさんだけでなく、罰を与えた本人であるヒミカさんも失念していたようだ。
ヒミカさん専属メイドのイシェリーさんは、ヒミカさんが持っている妖精族入門冊子の元の持ち主である。そして何より、伝説の存在である妖精族に熱い想いを寄せるイーラ系残念女子だ。そのイシェリーさんにとって、妖精族との接触禁止は非常に重い罰だったに違いない。
その妖精族が今、目の前にいる。
これは、まずい。
僕は思わず息を呑む。目を閉じればイシェリーさんの暴走が目に浮かぶようだ。最悪、ヨヨさんが食べられるかもしれない。そんな恐ろしいことを考えながら、僕たちはイシェリーさんの方へとゆっくりと振り返る。
「……あれ」
「……あら」
「……まあ」
そこには目から涙を流しながら、胸の前で祈るように手を組み、立ったままで気絶している、乙女チックで幸せそうな顔をしたメイドの姿があった。
うん、なんか勘違いしてた。ごめん。
――ここはアルティコ伯爵の部屋。
ある意味、おとなしくなったイシェリーさんを、執事のヒトニスさんら伯爵家で働く使用人の皆さんに任せ、アルティコ伯爵が寝ている部屋へとやってきた。
もちろん伯爵夫妻の治療のためだ。
結果から言えば、アルティコ伯爵夫妻の病はあっさりと治った。
あっという間だった。解毒魔法と命の水の効果で伯爵様についていたカビやファンガスの幼体は取り除かれたのだ。
カビやファンガスの幼体が消え去ったことで、伯爵の身体は大気中の魔力を急速に吸収している。魔力が枯渇し、トネリコ族の特性である樹皮のような肌や枝のような手足は、短時間のうちに元に戻り始めている。白い髪や立派なひげも先ほどより輝いて見えるようだ。
ただ、ここでひとつ問題が発生した。
カビやファンガスの幼体を解毒魔法や命の水で駆除したことで病は治った。病が治ったことで、伯爵の体は、枯渇していた魔力を大気中から急速に自然吸収し始めている。ところが、大気中の魔力だけでは足りなくなってしまったのだ。
魔族は大気中の魔力と食事から魔力を吸収する。だが、不足した魔力を食事から補おうにも夫妻の意識は戻っていない。このままでは病気が治っても、元のようには動けなくなる可能性が出てきた。
その問題を解決したのは、ヨヨさんだった。彼女から花蜜を分けてもらい、伯爵に飲ませた。少しずつ口に含ませるだけであれば、寝ていても花蜜を食べてもらうことができたのだ。
花蜜の効果は絶大だった。
花蜜の豊富な魔力のおかげで、アルティコ伯爵は過剰と思えるほどの魔力を摂取することができた。もともと植物系魔族である伯爵と、同じ植物の花から採取した花蜜の相性が良かったのかもしれない。一口、また一口と花蜜を口にするたびに伯爵の身体から活力が満ちあふれていくようだった。
その伯爵は、ベッドの上で安らかな寝息を立てている。
ヒミカさんは伯爵婦人にも花蜜を食べていただくため、この部屋にはいない。
それにしても命の水といい、花蜜といい、全てはヨヨさんのおかげである。伯爵の先祖から『小さな友』と呼ばれた妖精族は、今後も伯爵家の友として迎えられるだろう。
「ところで……」
少し困ったような顔をしながら、伯爵夫人の部屋からヒミカさんが戻ってきた。伯爵に花蜜を食べさせていた執事のヒトニスさんも、同じような表情をしている。僕とヨヨさんのところに二人揃ってやってきたが、なにやら困惑している様子だ。
「何かあったのですか?」
ヒミカさんらの戸惑っている様子を怪訝に思った僕は、その理由を聞いてみた。特に、先ほどまで伯爵に花蜜を食べさせていたヒトニスさんの落ち着かない様子が気になる。執事たるもの、常に冷静であるべきという執事長の教えもある。僕よりも圧倒的に執事歴の長いヒトニスさんが狼狽するほどのことがあったのだろうか。
「いえ、実は……」
ちょうど、ヒミカさんが口を開いた直後のことだ。
部屋の外が騒がしい。
「まだ起きられてはいけません!」
いつのまにか復活したらしいイシェリーさんの声が聞こえてきた。声と足音からすると、どうやら彼女はこちらの部屋へと向かっているようだ。それも一人ではないらしい。
そうこうしているうちに伯爵の部屋の扉がゆっくりと開く。扉が開いたその先には、簡素なローブながら威厳にあふれ、大人の色香を全身にまとう女性が立っていた。
年齢的にはティリアお嬢様の母君であるエリス侯爵夫人よりも多少上のようだ。整った顔立ちと白い肌。ローブ越しでもわかる見事なまでの女性らしいライン、そして姿勢がとても美しい女性だ。その姿は、大地に根を張った大樹のように威風堂々としたものだった。
その女性は、部屋の中をぐるりと見回すと、伯爵が寝ているベッドを確認し、次いでヒミカさん、そして僕とヨヨさんに視線を送る。肩まで伸びたオリーブのような薄緑色の髪が顔を動かすたびに揺れている。特に、僕に目を向けたときの暗緑色の瞳は好奇心にあふれているようだった。
この女性が誰なのか、横にいるヒミカさんに聞こうと思ったのだが、聞けなかった。先ほどの女性が、駆け足で部屋の中へと入るとあっという間にヒミカさんに抱きついたのだ。
「ヒミカ、私たちのためにありがとう」
膝立ちになっている女性に抱きつかれたヒミカさんは、戸惑い気味に、そっと女性の背中に手を回す。そして震えた声で言った。
「元気になられて良かった。母さま」
「「おかあさま!」」
僕とヨヨさんの声が伯爵の部屋に響いた。




