第四十七話 流れに逆らうもの
うねり声をあげながら大量の川の水が迫る。
(しまったなぁ。つい力が入った。ヒミカさんとヨヨさんは神聖魔法の加護があるし大丈夫だろう。ただちょっと水の勢いが強いな)
二人の安全を確認した後、執事魔法『執事食器棚』で、こちらに向かってくる濁流の両端に高さ一メートルほどの壁を作り出した。
その二枚の壁は、僕をはさんで川岸から僕が立つ真横まで続いている。左右の壁は僕に向かうほど狭くなっており、その壁と壁の幅は、川岸側で五メートル、僕の立つ場所で二メートルほどのV字型の水路となっている。川からあふれた水は、両側にある壁に阻まれ、草原に広がることはない。しかし、徐々に狭くなる水路のせいで、その勢いを増しながら僕へと向かってくる。
これで準備はできた。
『開け』
キーワードに反応にして、僕の前に黒い板のようなものが現れた。
この魔法は『執事ゲート』だ。
お嬢様の送り迎えはもちろんのこと、「つかれたのー」とおっしゃったときのための緊急用帰宅魔法でもある。大きさは調整できるのだが、出口として開けられるのは、目に見える範囲か出口に設定した場所だけだ。
作り出したゲートを僕の両側にある壁いっぱいまで広げる。高さは僕よりも少し高いくらいにしておいた。
『繋げ』
その一言で、幅が一メートルほどのゲートが、川の上に現れる。
次の瞬間、勢いよく僕に迫ってきた川の水が、執事ゲートの中へと吸い込まれる。吸い込まれた水は、出口である川の上の執事ゲートから川へと戻る。その水がまるで滝のように大きな音をたて、川にきれいな虹を創りだした。
ヒミカさんのほうを見ると、彼女の神聖魔法によって作り出された障壁が、水しぶきや壁の外に流れた水を跳ね返している。もちろんヨヨさんも無事だ。
そのヒミカさんは、疲れたような顔をしながら指で眉間を押さえている。ゲートが開く前は、僕の様子を心配そうに見ていたのにどうかしたのだろうか。その隣にいたヨヨさんが彼女の肩に手を置き、ポンポンと叩いている。
疲れているようなら、あとでコンペイトウでも分けてあげよう。
川からあふれた水のほとんどが、ゲートから元の川へと戻っていった。『執事食器棚』で作り出した壁の間には、なぎ倒された草花と、いくつかの水たまり。そしてその水たまりには、無数の魚と背中に亀の甲羅のようなものを背負った緑色の肌をした何かが顔を突っ込んでいた。
水たまりの中で跳ねまわる魚の水音に目を覚ましたのか、緑肌の甲羅が慌てるようにして上半身を起こす。座り込んだまま、濡れた顔で周りを見回している。
よく見ると、そいつはかなりの痩せ型で、顔には鳥のような短いくちばしがある。目は大きく、黄色の瞳が光り、ざんばら髪の頭の上には平らな皿のようなものがついていた。指と指の間に見えるのは、どうやら水掻きのようだ。
(あ、こいつって、まさか)
それらの特徴から、そいつの正体に見覚えがある。これも前世の記憶のひとつだ。ただ、違和感があるのはトランクス型の水着のようなものを着用していることだろうか。水着からすると男のようだ。
周りを見ていたそいつの黄色の瞳が僕の姿を捉える。その途端、ぎょっとした表情を浮かべると僕を見据えたまま震えだした。
「ぎゃああ、喰われるー!」
「喰うかぁぁ!」
甲高い声で叫んだその男に近づき、頭の上の皿を強引に掴む。僕から目を背けられないようにして笑いかける。
「お怪我はありませんか。われぇ? 石投げたなぁお前じゃろか。頭の皿を割っちゃりようか」
「ひぃぃ、怪しい河童語で脅されてる!?」
「あ、やはり河童の方でしたか。ちょっと頭の水を抜いてもかまいませんか? なんでも水がなくなると死んでしまうとか。一度、本当なのか試してみたかったんです」
「聞けばわかるのに、わざわざ自分で試そうとするその心意気。なんという探究心、なんという残虐性」
「実は、僕の頭にあなたが投げた石が当たりましてね。コブができたんですよ」
「最初に投げた石ですね。まさに直撃。直に当たった衝撃、略して直撃」
「世の中には『目には目を、歯には歯を』という教えがありましてね。石には石だと思うんですよ」
「威力的な意味で、明らかにパワーバランスがとれていないのに、同じ石と言い切るその心意気。まさに暴論。暴れる理論」
「……」
「……」
「どうもことにならんけん。……干物でも作るけ」
「誠に申し訳ございませんでした。ごめんなさい」
頭を離してやると、河童は地面に身体を投げ出し五体投地の体勢をとった。背中の甲羅が手足の長い亀を連想させる。
「なにをされているのですか、アルクさん」
そこにヒミカさんとヨヨさんがやってきた。
かいつまんで石を投げた犯人であることを説明する。
河童の彼は地面に身体を投げ出したまま、「すいませんっした」と何度も反省の言葉を口にしている。一応、反省しているようなのでこれ以上、言うつもりはない。そろそろ起きるように彼に告げた。
彼は起き上がると改めて僕たちに謝った。
その彼に自己紹介をする。
「私は、河童族のソーサといいますな」
ソーサの話によると、むしゃくしゃしていたところに僕たちの楽しそうな声が聞こえた。びっくりさせてやろうと、いたずらのつもりで石を投げた。ところが僕に当たってしまい怖くなって隠れてしまったらしい。勇気を出して声をかけたものの、無視され続けたため、思わず怒鳴り声をあげてしまったそうだ。
石を投げたのは八つ当たりだったらしい。
「これはお詫びの品でございますな」
そういって恭しく差し出されたのは、緑色の細長い植物だ。表面は細かいトゲのようなものが無数にある。その植物が十本ほど束になり、赤と白の細い紐で結ばれている。
「おぉ! これは、キュウリ?」
「やや、よくご存じで。河童族が誇る野菜のひとつです」
「それにこの結んである紐は水引かな」
「おお! 河童族の伝統の水引を知っているとはなんと博識。博学多識」
「……その話し方は河童族特有なの」
ヨヨさんが珍しく眉間にシワを寄せている。
「いいえ。私の癖みたいなものですな。よく面倒くさいと言われますな」
「あー、確かにうざったいわ」とヨヨさん。
笑う河童。こちらは誰も笑っていない。
「アルクさん。ソーサさんからもらったキュウリというのは食材なのですか」
「ええ。そうですよ。野菜のひとつですね。水分が多く、そのまま食べても美味しいです。サラダに使われることが多いかな。ほかにも、酢漬けや塩漬けにしても美味しいですよ。輪切りにして顔にあてると、その成分により美肌効果があるとも言われてました」
「まぁ、美容ですか」
女性陣二人の目がきらりと光った。
ヨヨさんが今までにない俊敏さを見せ、あっという間に僕の手からキュウリを一本抜き取った。そしてさっそく輪切りにしようとテーブルに置く。
だが甘い。
「今は逆効果だと言われてます。日光が当たった肌に直に使うとシミになりますよ」
その僕の一言でピタリとその手が止まる。
「アルクさんは、キュウリに詳しいのですな」
「あ、僕のことは呼び捨てでいいですよ。僕よりも年上でしょうし」
「じゃあ、アルクの旦那で」
「どうして、そうなる」
それ以降、何度言っても旦那から呼び方が変わることはなかった。このソーサさん、年齢的には人族換算で三十五歳だそうだ。ざっと僕の年齢の四倍近い人生の先輩に旦那と呼ばれる。更に三人の子持ちで、一番上の子が驚きの同い年。子持ちに言われる、この気持ちわかるだろうか。
「ところでソーさん。何をむしゃくしゃしてたのよ」
妖精族のポーチにキュウリを押し込みながら、人の名前を好き勝手にいじる妖精がやってくる。どうやらそのキュウリは返してもらえないらしい。美容の研究にでも使うのだろう。あとで化粧水の作り方でも教えてあげよう。
「いやぁ、最近、野菜の育ちが悪くてね」
「野菜の育ちが悪い?」
ソーサさんの住んでいる村は、この川の上流にあるそうだ。その川沿いにあるキュウリ畑で、二週間ほど前から大量のキノコが発生し、キュウリを枯らしている。川から離れたところのキュウリは無事なので緊急事態ではないが、このまま被害が広がってキュウリが全滅すると河童族の存亡に関わるらしい。
ちなみにこのキュウリ。市場には出していないそうだ。中位魔族である河童族の命とも言えるキュウリを、ほかの魔族に売ることなど考えてもいないらしい。売って欲しいという、僕の申し出も丁重に断られてしまった。ただ、贈答品としての扱いや物々交換などで取引されることはあるそうだ。
「ヒミカさん。この川の上流って例の湖に繋がってますよね」
「ええ。湖からの流れる川のひとつですね」
確か、アルティコ伯爵の家にある池も同じ湖から水を引いている。その伯爵家に通じる水路のフタにはびっしりと白いキノコがついていた。そしてアルティコ伯爵様が倒れたのも二週間前のことだ。
「ソーサさん。そのキノコってこんなやつかな」
僕は『執事ボックス』から水路で見つけた白いキノコとフトック食肉協会でもらったキノコを取り出すと、彼に見せる。
「ああ、アルクの旦那。間違いない。これと同じものですな」
予想どおりか。やはり一度、湖まで行かないといけないだろう。
伯爵様の水路、ソーサさんの畑、フトック食肉協会で売られていた白いキノコ。それに二週間前というタイミング。
これらは、湖が関係している可能性が高い。
「ソーサさん。その畑って僕でも見せてもらうことできるかな」
「もちろんですよ、旦那。おわびも兼ねてご案内しましょう」
キュウリがあるなら違う野菜もあるはず。
ソーサさんはキュウリのことを河童族が誇る野菜のひとつ、だと言っていた。もし、ほかにも野菜があるのなら、ぜひ分けてもらいたい。キュウリが駄目でもほかの野菜なら売ってもらえるかもしれないのだ。
僕がソーサさんと畑見学ツアーの話をしてるときだった。
「アルクん! 連絡がきたわ!」
その声に、僕とヒミカさんが同時にヨヨさんを見る。ヨヨさんは耳に手をあてながら話に集中しているようだ。
僕はソーサさんに振り向き、後日お邪魔することを伝える。
「ソーサさん。申し訳ありません。少し用事ができたようです」
「それは残念、アルクの旦那。残る無念で残念無念。私たちの村は、この川をしばらく上流に向かった場所にありますな。いつでも立ち寄ってくれりゃぁええけん。立って寄るから立ち寄る旦那」
面倒くさい別れの挨拶のついでに、べっこう飴をいくつか友好の印として渡しておく。お子さんに食べさせてあげてほしい。嬉しそうに受け取ったソーサさんは、そのまま音もなく川に飛び込むと、上流に向かってものすごいスピードで水しぶきもあげずに泳いでいった。ちなみに前世でいうクロールである。
「……アルクん」
ヨヨさんの声に振り返ると、珍しく顔色の悪いヨヨさんが力なく空中に漂っている。その元気のない姿を見ているヒミカさんもどことなく不安げな表情だ。
「どうされましたか」
「例の燃えるお酒。ドワーフ族にあることにはあったんだけど」
「おお! ありましたか。それはよかった」
それにしては元気がない。何かあったのだろうか。
ヨヨさんは申し訳なさそうな顔をして、僕とヒミカさんの顔を見る。
「……譲ってもらえないって」
「それはどうしてですか」
ヒミカさんがヨヨさんに尋ねている。
まあ、こんなこともあるだろうと予想はしていた。ヨヨさんの話では、自分にしか興味がない種族、それがドワーフだと言っていた。断った理由は、どこの誰が、どうなろうと関係ない、といったところか。
「ええとね。そのお酒は私の知り合いのドワーフ一族が作り出した秘伝のお酒らしいの。昔は売りに出してたそうなんだけど、あまりにも強すぎてほかの種族には受け入れられなかった。それで、酒の味もわからない連中には売らないってことになったそうよ」
「……そ、そんな」
ヒミカさんが悲痛そうな声を上げる。
「それにね、病気の治療に使うことや、アルクくんが欲しがってることを話しちゃったのがまずかったみたい。これは妖精族の失点だわ」
「え? アルクさんが欲しがると何か問題が」
「アルクんの年齢を正直に言っちゃったみたいなのよ」
ああ、それはまずい。
ただでさえ、酒の味がわからない連中には売らないと言ってるドワーフに、酒を飲むのではなく病気の治療に使うという。更に欲しがっているのが十歳の子供だと言うのだから無理もない。この世界では飲酒に年齢制限はないが、だいたい十六歳になってからというのが一般的だ。
「ごめんなさい。アルクん。ヒミカちゃん」
肩を落とすヨヨさんと、その場に立ち尽くすヒミカさん。そんな二人を見ながら、僕は『執事ボックス』から厳重に封がされた一通の手紙を取り出す。そして、その手紙をヨヨさんに差し出しながら、ヒミカさんに、「大丈夫ですよ」と声をかける。
「ヨヨさん。この手紙をそのドワーフさんに届けてもらうことってできますか」




