第四十五話 甘い試練
しばしの沈黙の後、コップの中の花蜜を見ていたヒミカさんが顔を上げる。
「わ、わたしには……飲めませ――」
「――そういえば」
少しばかり涙目になっている彼女は、悲痛な声で訴えかけようとする。
だが僕は、その否定の言葉が声となる途中で遮った。突然のことにヒミカさんは、きょとんとした顔を浮かべてる。そんな彼女に笑みを浮かべつつ、なるべく優しい声で話しかける。
「そういえば、ヒミカさんは言いましたよね。細長くて熟すと黄色になる果実を見つけた、って。その熟した果実は、トロリとした食感があるんですよね」
「えっ、ええ。そのとおりですわ」
そして戸惑いながらも僕の問いに答えてくれた。
「その果実の匂いをかいだとき、心が落ち着くような優しさを感じませんでしたか。花のような香りだったはずです。更に黒い斑点が出て、より熟したとき果実は、むせかえるほど強い香りを発したのではないでしょうか」
「は、はい。そうです」
首を縦に数回振り、僕の言葉を肯定する。首を振るたびに後ろでまとめている黒髪が揺れている。自分が予想しているものは、間違いではない、と彼女の反応からますます確信が深まる。
「それらは円を描くように並び、縦方向に幾重にも重なって生えます。一本の木からたくさんの果実が採れたはずですよ」
「……アルクさんのおっしゃるとおりです。ですが、なぜそれを」
次から次へとその果実の特徴を当てていく僕に、不思議そうな顔をしながら疑問を投げかけてくる。だが、その疑問に答えず話を進める。
疑問を持ったら、知りたいと思うのが知能ある生き物の本能。
答えをすぐに出さないことで、知りたいという気持ちが強くなる。強くなればなるほど話を集中して聞くようになる。集中しているときほど、その内容は、より強い印象を与えるのだ。
僕の話を食い入るように聞いているヒミカさんに、本命である花蜜の話を混ぜる。あくまで黄色の果実の話は事のついでである。
「その果実を食べたとき、心がホッとする感覚があったはずです。その感覚は“甘み”という味覚のひとつなんですよ。花蜜はそれ以上の甘みを持っています」
「あの果実よりも……」
そのつぶやいた彼女は、少し驚いたような顔をして、テーブルの上にある花蜜入りのコップに目を向けた。その果実を食べたことがあるのだから、花蜜の甘さがどれほどのものか想像することはできるはずだ。
そう。彼女が湖の森で見つけた果物。
それは間違いなく『バナナ』だ。
彼女といろいろ話をすることで自分の予想に確信が持てた。
人を誘導する方法として、先ほどのように、知りたいという気持ちを高めさせたり、強い印象を与えたり、勘違いさせたり、思い込ませたりする手法がある。
例えば、ある魔法具店の店員さんの年齢を当てることにしよう。
まずその店員さんは、二十代だろうと予想する。直接年齢を聞かないように自分の予想が正しいかどうか本人に確認してみよう。
「キミ、若いよねぇ。十代でしょ」
「えー、そんなふうに見えるかしら」
「じゃあ、三十代かぁ」
「そんなにいってないわよ!」
相手の反応から、彼が二十代であるという可能性が高くなった。
店員は、オネエ系男子だ。
これも『思い込ませる』方法の一つ。例自体がひっかけの序章なのだ。相手が女性とみせかけて実は男。消防署の『ほう』から来ました、と消火器持ってくるような輩と、同じ手口である。
これと同じ手法は前世にもあった。
何が、とは言わないが、丸いパンと丸いパンの間に挟まれた具材の量を、絵に描かれた見本品と実物で比べてみるといい。実物を前にすればよくわかるが、見本品の絵で見る限りは、実に美味しそうに見えるはずだ。
もちろん僕がお嬢様のために作る離乳食は、いつ見本品の絵になっても問題ない。見本と比べて海老天が一匹少ないという不思議な現象は起きないのだ。
この手の方法は、本人や実物を前にすれば使えないし、返ってくる反応が思いどおりとは限らない。そして例外も多い。言葉や文字だけでうまくいくのならナンパも詐欺も工作活動も、やり放題だ。
それに年齢を聞き出すときは、特に注意が必要だ。
そう、大神官様には間違っても使ってはいけない。
閑話休題
バナナよりも花蜜のほうが甘いですよ。
この一言に、より強い印象を与えるためワザと彼女の言葉を流した。最後に話す内容は記憶にも残りやすい。
バナナの正体など森に行って見ればすぐにわかる。あくまでも目的は、花蜜もバナナと同じように甘いものですよ、バナナと同じように食べても大丈夫ですよ、とヒミカさんの心に訴えることだった。
そんな僕を、ヨヨさんは呆れた顔をして見ているが、気にしない。察してる時点でヨヨさんもこのやり口をわかっているはずだ。
今回は、侯爵家の厨房になぜかバナナの皮があったし、存在していることは、ほぼ確信していた。
もっとも、バナナよりも花蜜のほうが甘いといったところで彼女が“甘み”という言葉を理解しているとは思っていない。
彼女の場合、甘みなどの味覚を理解する魔族が周りにいなかった。だから味覚や味というものがどんなものなのかわかっていないはずだ。
塩を口に入れてくださいと言ったとき、口の中が、“しびれるくらい痛い”と彼女は嫌がった。しょっぱい、塩辛いという言葉を使わなかったのだ。きっとティリアお嬢様と同じように、美味しい、甘い、まずいなどの味を伝える言葉を知らないだけなのだろう。
だが知らないのなら覚えればいい。
ヒミカさんは味を理解できる三人目の魔族なのだから。
「僕はその果実の名前を知っています。まだ食べたことはありませんけどね」
「なんて名前なんでしょうね。それより食べたことがないとおっしゃるのに、食べたことがあるかのように詳しく話すアルクさんが、この果実をどこで知ったのか気になります」
(正しくはこちらの世界ではまだ食べたことがない、ですけどね。なぜか皮だけは厨房にありましたし)
コップから目を離し、僕の顔を疑うように見るヒミカさんの言い分はもっともだ。だが前世の記憶についてはまだ言えない。彼女と知り合ってからまだ二日しか経っていないのだ。
突拍子もない話をしたことによって、せっかくの協力関係を壊したくはない。彼女もまだそこまで僕のことを信用していないだろう。
「果実の名前はバナナですよ。これでもいろいろと勉強しましたからね。それに執事ですし」
「……アルクさんは執事をどんな職だと考えているのでしょうか」
呆れ顔でヒミカさんはつぶやき、そのまま視線を目の前のコップに戻す。
ヨヨさんが横から、「アルクんだから」と耳打ちしてるが、僕だから、を理由に納得しないでもらいたい。
「ヒミカさん、花蜜は無理そうですか」
彼女は花蜜の入ったコップを食い入るように見ているが、まだ手にすらとっていない。悩んでいるということは、飲む気持ちはあるということだ。だが知らないものを飲んでも大丈夫か、毒ではないのか、という気持ちが邪魔をしている。
(まだ無理かな)
これ以上、悩ませるのも酷だろう。今日は諦めたほうがよさそうだ。そう判断して彼女の前のコップを手に取る。
「あっ」
その途端、コップを取り上げたことを非難するかのような短い声が響く。ふと顔を上げると、ヒミカさんが上目遣いで僕のことを見ていた。彼女の両手は、僕が持っているコップへとまっすぐ伸びている。
僕は笑いながら、「どうぞ」と声をかけ、持っているコップを差し出す。
彼女は恐る恐る手を伸ばし、差し出したコップを受け取ると、中に入っている花蜜をまばたきもせずじっと見つめる。
しばらくのち、覚悟を決めたのだろう。
ヒミカさんは手に持ったコップをゆっくりと口に近づける。だがその手は震えており、その震えはコップをも小刻みに揺らしている。その様子を見たヨヨさんが、フワフワと彼女の元へと近づく。そして彼女の震える手に自分の小さな手をそえると優しい声で話しかける。
「大丈夫よ、美味しいんだから」
その言葉とヨヨさんの手に安心したのだろうか。ヒミカさんの手の震えが止まる。深呼吸をしたヒミカさんはコップに口をつけ、目をきゅっと閉じてから花蜜を口に含む。
「こほっ」
咳き込んだヒミカさんは、驚いたように目を見開き、慌ててコップから口を離す。花蜜独特のネットリとした食感に驚いたのか、少しむせてしまったようだ。
息を整えたヒミカさんは、今度はむせないよう、ゆっくりとコップを傾け、もう一度花蜜を口に含む。彼女は目を閉じ、何かを確かめるように口全体で花蜜を味わっている。そのたびに、ほのかに染まる頬がゆっくりと動く。
彼女は口の中の花蜜を十分に味わった後で、コクリと飲み干した。「ふぅ」と艶かしい声をあげ、桃色の唇についた花蜜をぺろりと舌で舐めとる。
花蜜を飲み終わった後、興奮気味に話しかけてくる彼女の声は少し震えている。
「アルクさん、ヨヨさん。わ、私、飲めました。飲めましたわ」
「ヒミカちゃん、よかったわね。でも無理してない?」
「ありがとう、大丈夫です」
恐らくここ数年で、新しく食べた食材になるのだろう。瞳は輝き、やや早い口調で話す彼女の頬と耳が赤く染まっている。
「アルクさん、この花蜜を飲んだときの味、これが“甘み”なんですか」
「ええ。ヒミカさんの見つけた黄色の果実よりも、強烈な甘みと、ホッとする感覚があるでしょ」
「ええ、おっしゃるとおりです。しかも花蜜が持つ豊富な魔力量は驚きです。それに、この“甘み”の感覚は癖になりそう。安心感といいますか、身体を包むような感覚といいましょうか。……ああ、うまく言えません」
興奮冷めやらぬようで、矢継ぎ早に花蜜の感想を口にする。頬を染めながら身振り手振りを交えて気持ちを表現しようとするその姿は実に可愛らしい。お嬢様の次くらいに。
「妖精族自慢の花蜜だからね」
そう得意気に語るヨヨさんは、腰に手を当て、胸を張る。その顔は笑顔でいっぱいだ。まるで自分が褒めてもらったかのように喜んでいる。
花蜜の甘さに感動しているヒミカさんは、また一口、また一口と花蜜を口にしている。花蜜を飲み終わった頃には名残惜しそうな顔をしていたくらいだ。
コップを置いたヒミカさんはテーブルの上に乗っているべっこう飴に遠慮がちに手をのばしている。
そのべっこう飴を手にとってから、「食べてもいいですか」と僕に聞いてくる彼女の目は真剣そのもの。彼女の変わりように少々驚きながらも、僕は、「もちろんです」と笑顔で返事を返した。
「ありがとうございます」
そうお礼を言った後、ヒミカさんは包んである紙から黄金に光る飴を取り出す。指先でつまんだ飴をそっと口の中に入れて、花蜜のときと同じように、目を閉じる。
目を閉じて、べっこう飴を口の中で転がすヒミカさんが、パッとその目を開く。徐々に口の中の飴が溶け出してきたのだろう。彼女は嬉しそうな声で僕らに感想を伝えてくる。
「べっこう飴も甘いんですね。優しい甘みがあって、これも素敵です」
ほんのりと染まった頬に両手を当てながら身体を左右に揺らすヒミカさんは本当に嬉しそうだ。
知り合って間もないヒミカさんだが、妖精族について舌戦を繰り広げた神官長補佐の面影は全くない。その姿は、歳相応の普通の女の子が美味しいものを食べて喜んでいる、ただそれだけだ。
その様子を見ていたヨヨさんが嬉しそうな顔をして僕のそばにやってくる。
「ヒミカちゃんが喜んでくれてよかったわ」
「あの様子を見ていると、思ったより早くトラウマを克服できそうですね。まだまだ先は長いでしょうけど」
「克服するにはどうすればいいのかしら」
「トラウマの前に、まずは偏食をなんとかしないと。毒のない食材を使い、食べることのできる食材を少しずつ増やしたほうがいいと思います」
「確かにね」
僕の指摘に。彼女が食べることのできる食材を思い出したのだろう。ヨヨさんは、少し困ったような顔を見せている。
なにせ食材がないと料理の幅も広がらない。ただでさえ毒のない食材は少ないのだ。ヒミカさんは、その少ない食材の中から更に少ない種類しか食べることができないのである。だからこそ1つでも食材を増やすことが必要だ。
まあ、妖精族も、甘いものしか食べない、という点では同じようなものだが、甘ければ基本なんでも食べることができるのだ……たぶん。
「食べることのできる食材が増えた段階で、ほかの人が作った料理に慣れてもらいたいですね」
「どうやって?」
「方法はいろいろありますよ。例えば、新しい食材を使った料理を、自分で作って食べる。そしてその料理に食べ慣れたら、ほかの人が作った同じ料理を食べてみる。そうやって徐々に慣れていくのも1つの手だと思います」
「それはいい案ね」
ふと目を横にやると、べっこう飴に感動していたヒミカさんが、いつの間にかこちらの話に耳をかたむけていた。よほどべっこう飴が気に入ったのだろう。彼女は一個目のべっこう飴を舐め終わる前に、二個目のべっこう飴を口に入れたようだ。口の中からコツコツと飴同士が当っている音が聞こえる。
「ひょうりのひゅるいふぉふひゃしゅにょはどうひゅれひゃ……」
「ヒミカちゃん、飴を舐め終わってからでいいわよ」
口の中に二個も飴が入っていればそりゃ話しづらいはずだ。僕は苦笑混じりにヒミカさんが聞きたかっただろう質問を予測し、その答えを返す。
「料理の種類を増やすのは、誰かに教えてもらうのが一番ですね」
うなずいているところみると、“料理の種類を増やすにはどうすれば(いいのでしょうか)”と予測した僕の考えは正解だったらしい。
べっこう飴に夢中になってるときの彼女は、微妙に落ち着きがないようだ。まあ、花蜜もべっこう飴も初めて食べただろうから夢中になるのも仕方ない。
「毒のない料理が作れるのは僕とレイゴスト料理長くらいですからね。僕がお教えしますよ」
ヒミカさんは目を細め、嬉しそうに微笑むと頭を下げる。
口の中で飴がモゴモゴ動いている。まだ話せないみたいだが、「よろしくお願いします」的なことなんだろう。念のため聞いてみると、嬉しそうにうなずいている。
いつの間にか彼女の口の中には三個目のべっこう飴が入っているようだ。夢中になって飴の甘さを楽しんでいる姿は本当に幸せそうだ。
だが三個は入れすぎである。
「それにしても、これから忙しくなりそうね」
「そうですね。料理に対するトラウマだけでなく後継者争いや彼女を狙う刺客もなんとかしないと」
「その後継者争いだけど、フラム子爵がヒミカちゃんの両親に何かしたってことはないかしら」
「うーん。最初、僕も疑ってみたんですが、まずないでしょう」
「どうしてかしら」
ヨヨさんは、不思議そうな顔をしている。
僕はそんな彼女に魔族の貴族について簡単に説明することにした。




