第四十四話 覚悟
ヒミカさんに大神官様の手作り料理について聞いた。
「ヒミカさん。大神官様の手作り料理というのはパン以外、どんなものがあったんですか」
「ええと、干し肉と野菜のスープ、塩漬けの魚と野菜のスープ、それに干し魚と野菜のスープ、ですわ」
ここまでは何の問題もなかったのだ。
問題があるとすれば、次がなかったことだ。
「……それだけ……ですか」
「これ以上、何が?」
「……スープしかありませんけど」
「美味しいですよね、スープ」
「三種類しかありませんけど」
「お食事は、朝、昼、晩ですよね」
手料理というと、得意な料理やちょっと手間をかけて一生懸命作った料理みたいなものを想像した。そう思っていた僕はヒミカさんの言葉に思わず戸惑ってしまう。
彼女は不思議そうな顔で僕を見ている。そんなヒミカさんを、ヨヨさんはなんともいえない悲しげな顔をして見つめていた。
甘いものしか食べられない妖精ですら、飽きないために砂糖の種類をいろいろと創りだしたというのに、スープが三種類しかないというのはどういうことだろうか。しかも今の話しぶりからすると、朝昼晩は毎食、決まったスープが続くことになる。
(これは先が思いやられるな)
ヒミカさんにいたっては想像もしていなかったような事実が次から次へと明らかになっている。
どうやら小さな握りこぶしを振り上げたヒミカさんの目標達成への道のりは、とても険しいものになりそうだ。
「同じスープが毎食出るんですか」
「あの……おっしゃっている意味がわかりません。朝は干し肉と野菜のスープ。昼は塩漬けの魚と野菜のスープ。夜は干し魚と野菜のスープですよね」
……ああ、やっぱりそうなのね。
「ですよねって、別に決まってはいないと思うのですが」
「ですが大神官様はそうおっしゃっていましたよ」
「神殿の決まりごとか、何かですか」
「いいえ。魔族は皆同じだとお聞きしています」
確かに使用人の食事も毎食同じようなメニューだった。だがさすがに毎日、朝昼晩に決まったスープが出てくるわけではない。いくら魔族でも同じスープを飲み続けたりはしないのだ。まあ次の日、残ったスープに具材を追加するだけの場合もたまにはあるけど。
前世の食事で例えるなら、朝はわかめと豆腐の味噌汁。昼はネギと豆腐の味噌汁。夜は油揚げと豆腐の味噌汁が、毎日毎食出てくるということだ。大根やじゃがいもの味噌汁は存在しない。もちろん玉ねぎの味噌汁も楽しめない。
例えに出した食材は、こちらの世界ではネギ以外存在しているかわからない食材ばかりだ。味噌と言えば大豆だが、ジャガイモ、大根などもできれば食材のリストに加えたい。ネギがあるなら玉ねぎがあったとしても不思議ではない……はず。
大豆とジャガイモと玉ねぎがあれば料理の幅もグンと広がるのだ。
フトック氏の店に向かう途中、ヒミカさんに毒のない食材のリストを見せたら“こんなにもあったんですね”と言っていた。なんとなくその言葉の理由がわかった気がする。
彼女は子供の頃から同じような料理、もしくは同じ料理しか食べていないのだ。食事に対するトラウマのせいなのか、毎日、同じ料理であっても苦痛だと思っていなかったのだろう。
むしろ安全な食事だと思っていたに違いない。
ただ気になることがある。
大神官様が偏食の原因ではないだろうか、と。
もし会うことがあれば聞いてみたいと思う。
「そういえばヒミカちゃん。ヒミカちゃんは三歳まで大神官様とご一緒だったのよね」
「はい。三歳まで大神官様に育てられ、それ以降は、父さまと母さまと一緒です」
「大神官様と伯爵様はお知り合いなのかしら」
「旧知の仲だとお聞きしています」
「伯爵様って七百歳を越えているんだったわよね」
「ええ。そうです」
「大神官様っておいくつなの?」
「ヨヨさん、い、いけません」
「えっ、えっ、何が」
動揺したかのようなヒミカさんの声に、ヨヨさんは戸惑っているようだ。ヒミカさんは草原を見回しながら何かを探しているような素振りをみせる。しばらくそうしていたが、ほぅっと息を吐くとヨヨさんに顔を近づける。
「大神官様の年齢に関わることを口に出してはなりません。聞くのはもってのほかです」
「えっ、なに。禁句なの」
「神殿内でも禁句中の禁句です。むしろ禁忌です」
「なにそれ、齢」
「聞いたらどうなるんです」
なんとなく気になったので僕は二人の会話に口を挟んだ。
「覚悟を決めて武装してからもう一度来い、と言われます」
「なんで武装が必要なのよ」
「武装が必要なことをするからですわ」
「……大神官様の勝率はどれくらいなの」
「何代か前の魔王様に、一度負けたらしいのですが」
「一度だけなの」
「はい、一度だけです」
「何代か前の魔王様って。……大神官様っていったいいく――」
「アルクさん、だからいけませんってば」
慌てた様子で僕の声を止めたヒミカさんは、「聞かれたら大変なことになりますわよ」と忠告してくる。「王都から離れていますし、周りは草原なんですが」という僕の話を遮ると、「この程度の距離で聞かれないとでも?」と恐ろしいことを口にした。
「というわけで、十分お気をつけください。私は止めました」
ヒミカさんの最後通告に無言のまま僕とヨヨさんはコクコクとうなずき、この話題に二度と触れないように心に刻む。
年齢のことを聞くと武装が必要になる大神官様とは、どのような方なのだろうか。年齢のことは避けて確認する。
「大神官様ってどのような方なんですか」
「普段は、とてもあたたかい方ですわ」
ヒミカさんは満面の笑顔で答えた。
確かに生半可な気持ちでは自ら孤児を育てようとは思わないだろう。かなりの人格者であることがうかがえる。禁忌に触れなければ、だが。
「僕がお会いすることは可能でしょうか」
「神殿にいらっしゃればどなたでもお会いすることができますよ」
「例えば今日会うことは可能でしょうか」
「申し訳ありません。今頃は、ほかの町の神殿に向かわれているはずです。本日、出発されましたからお帰りは早くても数日後になると思います」
「そうですか。ではお帰りになられたときにご挨拶しようと思います」
「育ての親御さんに挨拶とは胸が熱くなるわね」
「ええ。大神官様は熱いスープがお好きなんですよ」
「ん?」
「え?」
ヨヨさんとヒミカさんの会話が噛み合っていない。お互いに顔を見合わせて首をかしげている。
(あれ……)
熱いスープという言葉で思い出した。
先ほど告げられたヒミカさんが食べられる食材たちのことだ。大神官様の手作りスープの衝撃と大神官様の禁忌に気を取られていたので、うっかり見逃すところだった。
ミルク、干し肉、干し魚、塩漬けの魚、リンゴ、パン。
緑の野菜の正体がわからないが、もしかして。
慌ててヒミカさんに確認する。
「ヒミカさん、変なことを聞きますけど、コレ、何かわかりますか」
先ほど肉を焼くときに使った塩の入った容器をテーブルの上に置く。陽の光に反射して中の塩がきらきらと光る。干し肉や塩漬けに使われている塩は、どの魔族でも知っているものだ。
「塩、ですよね。それがどうされましたか」
「はい。この塩を口いっぱいに入れてもらってもいいですか」
僕の言葉にヒミカさんは眉をひそめた。
すうっと、半分ほどまぶたがおろされ、呆れたような視線を送ってくるその赤い目は笑っていない。
「何を言うかと思ったら……。嫌ですよ。そんなことしたら口の中がしびれるくらい痛いでしょ。代わりにアルクさんの口の中に入れて差し上げましょうか」
ムッとした声だが、いつもより親しみを感じる言葉遣いで反応された。その彼女の口元は笑っている。だが今も目は笑っていない。冗談でも口を開けてはならない、そう感じさせる狩人の目である。
彼女の目つきはともかくとして、だ。
(もしかしてと思ったが、やっぱり……)
「ヒミカさん。食べ物の味、わかっていますよね」
そう言われた彼女は、戸惑ったような顔をする。
「……アルクさんに侯爵令嬢の話を聞いてから、味について考えてみました。ですが正直よくわかりません。ただスープに入れる塩の量によって、飲みやすくなったり、飲みにくくなったりすることはわかります」
「ヒミカさんは塩の量は多いほうが好きですか、それとも少ないほうが好きですか」
「……私は少ないほうが好きです」
「アルクん。それって、まさか」
好きという言葉にヨヨさんが反応する。
(やっぱりそうか)
ヒミカさんが子供の頃から口にしていた食材は、毒のない食材ばかりだった。きっと緑の野菜とやらも毒のない食材に違いない。毒のない食材を食べ続ければ、味覚を取り戻すことが可能だと白の賢者様は言っていた。
塩の量に対し、“好き嫌い”や“好み”があるのであれば、味覚があると判断できる。
ヒミカさんは、僕やお嬢様と同じく味覚を取り戻しているはずだ。
「ヨヨさん、花蜜を少し分けてもらっていいですか」
「ええ。もちろんよ」
妖精の商人でもあるヨヨさんは、いつものように腰に下げた妖精族のポーチから自分の半分ほどもある花蜜の入った樽を取り出す。
空のコップをヒミカさんの前に置き、ヨヨさんの手で花蜜を注いでもらうようお願いする。ヨヨさんは、「あ、なるほど。わかったわ」と納得した顔で花蜜をコップへと注ぎ始める。
さすがは妖精族の商人、察しがいい。
商品の安全性や信用を得るための売り方は、十分心得ているようだ。商人の顔をしているヨヨさんは頼りになる。お嬢様には悪い顔と言われてショックを受けていたようだが。
注がれる花蜜の様子をまじまじと見ていたヒミカさんは、「きれいですね」と目を輝かせながらつぶやいた。
僕も同じコップを用意し、ヨヨさんに花蜜を注いでもらう。
そして、コップを手に持ち花蜜を口へと一気に流し込む。トロリとした花蜜は少しばかり喉にひっかかりやすい。ヨヨさんも花蜜を飲むのは大変だと言っていたが、今は我慢して飲み込む。
口の中いっぱいに広がる花蜜の甘さとその香りはいつ食べても素晴らしいものだ。豊富な魔力も健在である。
ごくりと喉を鳴らし、できる限り美味しそうに飲み干した後、笑みを浮かべながらヒミカさんに提案する。
「ヒミカさん。今、僕が飲んだのはヨヨさんたち妖精族が毎日食べている花蜜というものです。無理に、とはいいません。ですが一口だけ、いえ、ひと舐めだけでも試してみませんか」
ヨヨさんに注いでもらったのも、同じ樽の花蜜を先に飲んでみせたのもヒミカさんに毒が入っていないことを証明するためだ。
それにもうひとつ理由がある。
今を思えば、ひとつ気になることがあった。
今日、神殿を出る前のことだ。ヒミカさんの部屋で話をしていたとき、話の途中でヒミカさんが突然体調を崩したときがあった。顔色が悪くなり立っていられなくなるほどひどい状態だったのだ。
それはちょうど僕が毒の味について話をしていたときのはず。恐らく僕の言葉を聞いて毒の味を思い出してしまったに違いない。
あのとき、具合が悪そうな彼女に、僕は水差しから水を注ぎ、差し出した。しかし彼女は受け取らなかった。偶然かもしれない。本当にいらなかったのかもしれない。
だがヒミカさんのことをいろいろと知ることができた今なら予想できる。
彼女はただの水ですら他人が入れたものは飲めないのかもしれない。
そう思ったからこそ、魔族の僕ではなく妖精族のヨヨさんに注いでもらうようお願いした。それを察してくれたヨヨさんは二つ返事で快く引き受けてくれたのだ。
彼女はヨヨさんが好物だと言ったべっこう飴を僕から一度受け取っている。もしかしたら妖精のヨヨさんが関わっていれば多少は不安が和らぐかもしれない。
もちろんこの程度のことでヒミカさんがトラウマを克服できるとは思っていない。しかし、何もしないよりはマシなはずだ。少しずつでいいからトラウマを克服していってもらいたい。
僕たちができるのはここまでだ。彼女に手を差し伸べ、励まし、手伝うことだけ。トラウマを克服するにはヒミカさんの覚悟が必要なのだ。
川を渡った涼しい風が僕たちの間を通り抜けた。
花蜜が注がれたコップを手に取ることもなく、ヒミカさんはその中身を少しばかり苦しそうな表情で覗きこんだままだ。
「わ、わたし……」




