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第四十三話 干し肉という名の生き物

 どれくらい時間が経っただろうか。


 太陽の位置もずいぶんと高くなっている。風が吹く草原の川辺で、僕、ヒミカさん、ヨヨさん、ミノスさんの四人でウシドンパーティを開いていた。ウシドンの肉を提供してくれたミノスさんは、また会う約束をした後、帰っていった。


 今は、残った三人でテーブルを囲んでいる。


 僕の軽はずみな行動のせいで彼女を怒らせてしまった。だが同時に、ヒミカさんが僕と同じ毒に弱い魔族であること、毒のせいで死にかけたこと、後継者争いに巻き込まれていること、他人が作った食事を食べることができなくなったことを知った。


 恐らくヒミカさんは、食事に対してトラウマを抱くようになっている。子供にとって色鮮やかな料理は印象深く心おどらせるものだったはずだ。その料理で死にかけたのだから無理もない。


 その結果、唯一食べられるのが育ての親である大神官様が作った食事だというのもうなずける話ではある。


「もちろん大神官様もお忙しい身です。いつも神殿にいらっしゃるとは限りません。そこで巫女修行とあわせて自分でも料理ができるよう練習をするようになりました」


 昨日も聞いた話だが、神官は自分の食事は自分で用意をする。通常、六歳から自炊の修行が始まるそうだが、ヒミカさんは三歳から自炊を始めている。

 話を聞いたときは、アルティコ家の血筋かと思ったが、彼女には自炊しなくてはならない理由があったのだ。そのときは孤児だとは思わなかった。


 ヒミカさんは、昨日僕があげたべっこう飴をポケットから取り出すと、テーブルの上に乗せた。テーブルに置かれているべっこう飴は昨日渡した数と同じだった。


「いただいたべっこう飴です。ヨヨさんも食べているとお話されていたので努力してみたのですが、どうしても口に入れることができませんでした」


 申し訳なさそうにしているヒミカさんを見ながら、少し悲しげな表情を浮かべながら置かれたべっこう飴に近づく。


「……残念ね。気にしないでヒミカちゃん」


 ヒミカさんの状況の深刻さがわかるのだろう。ヨヨさんは寂しそうにしながらも彼女を励ましている。


 そんな彼女に僕はある疑問を投げかける。


「昨日、パンは支給されると言っていましたが、大丈夫なんですか」

「パンは大神官様のお手製なんです」

「……え?」

「……はい?」

「大神官様がパンを焼くの!」ヨヨさんが驚きの声をあげる

「はい。私もたまにお手伝いしますが、昔から大神官様が神官全員の分を焼いています」

「神官様って何人くらいいらっしゃるのでしょうか」

「見習いの方を含めると百名ほどでしょうか。いつも大量に焼いて保存しているので一週間分はあると思います」


 驚いた。

 まさか神殿で一番偉いはずの大神官様が自ら大量のパンを焼いているとは思わなかった。


 ヨヨさんが不思議そうな顔をして声をかけた。


「ヒミカちゃん、魔族の大神官様はパンを焼くのが仕事なの」

「まさか、そんなことありませんよ」そう笑いながら否定する。


 そりゃそうだ。

 大神官様の仕事はもっとほかにもいろいろあるはずだ。


「大神官様の趣味なんです」

「パンを焼くのが?」

「ええ。焼くのが」


 ヨヨさんが不思議そうな顔で聞き直しているが、まさか趣味だとは思わなかった。というより、パンを焼くのが趣味の大神官様はどんな方なんだろう。神殿前に捨てられていたヒミカさんを育て、多くの神官たちの頂点に立つ御方だ。

 ヒミカさんの言葉の中にどことなくひっかかるものがあったが、ほかの食材のことも聞いておく。


「ほかの食材はどうでしょうか」

「信頼のおける神殿御用達のお店から仕入れてはいるのですが……」

「……ですが?」

「その中でも私が食べられるものは、ミルク、干し肉、干し魚、塩漬けの魚、緑の野菜が一種類、それにリンゴです。あとは私が見つけた二種類の果実でしょうか」


 ヒミカさんは淡々と話しているが、たったそれだけの食材しか食べられないという事実に驚きを隠せない。


 大神官様が作った料理しか食べられないだけじゃない。

 こちらが戦慄するほどのひどい偏食具合だ。こんなことを言ってはなんだが魔族とはいえよく今まで無事でいられたものだ。


 動揺するのをおさえながら、ヒミカさんが食べられる食材についてもう少し詳しく聞いておく。


「干し肉や干し魚、塩漬けの魚は大丈夫なんですね」

「はい。大丈夫ですよ」

「それらは加工品でほかの人の手が入っていますけど……」

「ええっ! 干し肉や干し魚っていう生き物じゃないんですか」


 ……さて困ったことになった。


「ま、まあ、肉にせよ魚にせよ、元生き物ですからヒミカさんの言っていることも間違いではありません。塩漬けの魚も塩に漬けただけの魚ですし――」

「……私、そこまで愚かじゃありません」


 ちょっと不機嫌そうな顔をして頬を膨らます。

 さすがに誤魔化せなかったようだ。


「それに昔から食べているのでいましゃらにゃにがあっても……」


 うん。動揺している。間違いなく動揺している。

 まさか聡明なヒミカさんが“刺身は海で泳いでいる派”だとは思わなかった。いや、食事に興味のない普通の魔族っぽい認識だから、ある意味間違った言葉ではない。


「……いまさら何があっても驚きません」


 何もなかったように言いなおしたヒミカさんだが、やはりどことなく落ち着きがないようだ。神官ローブを握りながらそわそわしているのが何よりの証拠である。


「ヒミカちゃん、真実を知ったら驚くと思うわよ」

「だ、大丈夫ですよ」

「ふふふ、絶対に驚いちゃうわよ」

「そ、そんなことありませんから」

「そのつよがりがどこまで続くかしら。さあ、アルクん、やっておしまい」


 ヨヨさんは楽しそうに言っているが、何をやれというのだろうか。完全にヨヨさんが悪役になっている。自分がものすごく驚いたからこそ、ヒミカさんを驚かせたい気持ちもあるのだろう。


 まあこれ以上、誤魔化すのは無理そうだし現実はちゃんと伝えておいたほうがいいはずだ。


 (やれやれ)


 僕は『執事ボックス』から生物図鑑を取り出し、リヴァイアサンとベヒモスのページをヒミカさんに見せつつ、どのように干し肉や干し魚が作られているか説明する。


 彼女は図鑑に描かれたリヴァイアサンとベヒモスの絵を見ながら、「きれいな絵ですね」としきりに感心していた。だがそれらの大きさについて説明したときだ。


 彼女は図鑑から顔を上げ、僕とヨヨさんを見た後、もう一度図鑑に目を落とし、そしてまた僕とヨヨさんを見る。そして一呼吸してから、おもむろに尋ねてくる。


「なんです、コレ」

「コレ、なんです。干し肉と干し魚のもとは」


 あからさまに、信じられないという顔つきをした後、食い入るように図鑑を読み返しながら、ポツリとつぶやくように彼女は言った。


「これだけ大きいと、毒とか食材とか魔物だったとか、なんかどうでもよくなりますね」


 思ったよりもまともな反応が帰ってきたことにホッとする。これでパニックにでもなられたらどうしようかと思った。派手に驚くヒミカさんを期待していただろうヨヨさんが、どことなく残念そうにしている。


 そんなときだ。


「アルクさん!」と勢いよく僕を呼ぶ声。

「はい、なんでしょうか」と声の主に顔を向ける。


 その先には、空を見上げながら小さな握りこぶしを振り上げるヒミカさんの姿があった。彼女は、返事をした僕に視線を向けると更に僕の名前を呼ぶ。


「アルクさん、よろしいですか」


 左腕を腰にあて、右手の人差し指を空に向かって立てる。そして胸を張り、僕を見上げながら、彼女は言い聞かせるように話し始める。


 その姿はまるでどこかの先生のようだ。この世界にメガネがあったらぜひプレゼントしてみたい。彼女には絶対に似合うはずだ。

 そんな妄想をしていたらヒミカさんから怒られた。


「アルクさん、ちゃんと聞いてください!」

「あ、はい」

「魔族の世界にちゃんとした料理を広めましょう」

「あ、はい」

「ベヒモスやリヴァイアサンほどの魔物は個体数も少ないはずです。そんなものに頼っていては、いつか痛い目にあいます。ちゃんとした干し肉や干し魚を手に入れましょう」

「あ、はい」

「食事に対してもいい加減な気持ちではいけません。魔族は魔力があってこそ。ちゃんとした魔力は、ちゃんとした食事から摂りましょう。感謝の気持ちを忘れずに」

「あ、はい」

「それに毒のある食材はダメ絶対。食べたらダメだ、ダメなら食べるな、という気持ちを忘れないようにしましょう」

「ん? はい」


 どこかで聞いたことがあるような標語らしい言葉が彼女の口から出てきた。思いもよらないヒミカさんの勢いに、僕はただうなずくことしかできない。


 どうやらヒミカさんの心を揺さぶる何かに触れたらしい。

 食事にトラウマを持つヒミカさんにとって、干し肉や干し魚の正体を知らなかったことがそれなりにショックだったのだろうか。それとも食材に興味を抱かない魔族が許せなかったのだろうか。もしかしたら、ただ単にベヒモスとリヴァイアサンの大きさに驚いただけなのかもしれない。


 いずれにせよ、白の賢者様にも料理文化を広めるようお願いされているし、その巫女であるヒミカさんの協力が得られるということであれば、神様もお喜びになるはずだ。


 (白の賢者様。貴方が選んだ巫女の声はちゃんと届きましたか)


 心の中で問いかけた後、思い直す。


 (うーん。だけどあの神様のことだしなぁ)


 最初お会いしたとき、僕の前世の記憶を消す際に、授けた知識も同時に消してしまった白の賢者様こと邪神様。

 二度目にお会いしたときには、前世の記憶はそのままで、あらたに数多くの知識を授けてなおしてくれた。


 ちょっとだけ抜けているといっても過言ではない。

 もしかしたら自分で選んだ巫女のことも忘れているかもしれない。


――ガンッ。


「いだっ」


 突然、何かが頭に当たった。痛みをこらえ手で頭を押さえつつ、周りを確認する。だが僕たち以外に気配は感じられない。草原は見通しが良く、隠れる場所はない。川からは水が流れるせせらぎだけが聞こえてくる。


 当たった箇所を手でさすってみると、どうやら少しコブになっているようだ。血が出ていないことを確認しつつ、もう一度あたりを見回す。


「どうしたの、アルクん」

「いえ、今何かが頭に当たったんですよ」

「当たったのって、その石じゃないの」


 そういって僕の足元に転がっている五センチほどの丸い石を指さす。


「って、なんでそんなものが当たるのよ」

「わかりませんよ」

「念のため治療魔法をかけておきますね」

「あ、大丈夫ですよ。大したこと――お願いします」


 ヒミカさんが怒ったような顔をして睨んできた。どうやら、大したことないという言葉がお嫌いらしい。


「まったくもうアルクさんったら。まったくったらまったくですよ、まったく」


 そうブツブツ言いながらも治癒魔法で治してくれる。


 しかしどこからこの石は飛んできたのだろう。その石を手に取る。その石は丸く、表面はすべすべで濡れている。どうみてもただの石だ。


「ま、いっか」僕は手の中の石をポイっと放り投げた。


 ヒミカさんの治療も終わり、頭の痛みはすっかり消えている。さすがは優秀な神聖魔法の使い手だ。


 だがヒミカさんがいくら優秀な神官であろうとも、先ほど彼女が言ったことの実現は非常に難しい問題だ。


 まずヒミカさんには、是が非でもトラウマを克服し偏食を治してもらう必要がある。今のままでは自分で作ったものしか食べられないし、毒のない食材だって食べられないのだ。


 そういえば大神官様の手料理なら食べられるという話だった。大神官様は、どんな食事を作っていたのだろう。新しい料理の参考になるかもしれない。


「ヒミカさん。大神官様の手作り料理というのはパン以外、どんなものがあったんですか」

「ええと、干し肉と野菜のスープ、塩漬けの魚と野菜のスープ、それに干し魚と野菜のスープ、ですわ」

「……はい?」

「はい」

「それだけ?」

「それ以上、何が?」

「……スープしかありませんけど」

「ほかに何か必要ですか」

「三種類しかありませんけど」

「お食事は、朝、昼、晩ですよね」


 ヒミカさんは、「何を言っているのかしら」という表情を浮かべ首をかしげている。僕も「何を言っているのだろう」という気持ちを込めてヒミカさんを見る。



 えっと……どうしたらいいんだ、これ。



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