第四十一話 ヒミカの秘密
何かに怯えるように顔を青くしたヒミカさんは、逃げるように立ち上がると僕を睨みつけたまま後ずさりでテーブルから離れ、震える声で叫んだ。
「アルクさん! あなたまで私の命を狙うのですかっ!」
……命を狙う?
何のことかわからないままヒミカさんを見た。こちらを見ている彼女の目は、うっすら涙がにじんでいる。その瞳の中に怒りの感情が見てとれた。
なぜ彼女がこんな反応をしたのか全くわからない。だが僕の行動が彼女の心を傷つけたのは間違いないだろう。
「ま、待ってください! いたずらしたことは謝ります」
ヒミカさんは何も答えない。僕は言葉を続ける。
「命を狙うだなんてとんでもない。誤解ですよ」
ヒミカさんは、そんな僕の言葉など意に介さず、こちらを警戒しながら呪文を唱え始める。少し身構えたが、どうやら解毒魔法のようだ。彼女は、解毒魔法を自分にかける。
何度も、何度も、何度も、だ。
何回目なのかわからないほどの解毒魔法を唱えた後も、ヒミカさんはこちらを睨みつけている。その目は、今まで僕たちを見ていた優しい目ではない。いつも以上に赤く、燃え盛る炎のような激しい怒りが混ざった瞳で僕を射抜く。
彼女の姿を見たミノスさんが恐る恐る声をかける。
「巫女様。どうかお怒りをしずめてほしいだ。ウシドンの肉がそんなに嫌だったべか」
「……いいえ。ミノスさんが大切に育てたお肉のせいではありませんわ」
ミノスさんをチラリと見たヒミカさんは、固い笑顔のまま答えた。しかしすぐに僕を睨みつけ、警戒した様子を見せている。
ミノスさんのせいでも肉のせいでもない。明らかに彼女は僕に対して怒っているのだ。敵意をむき出しにして。
そんなときヨヨさんの一言がヒミカさんに投げかけられる。
「ねえ、ヒミカちゃん。アルクんはヒミカちゃんの命を狙ったりしないわ」
ヒミカさんは押し黙ったままヨヨさんと僕を見比べている。それでもその視線は厳しいままだ。
「魔族の神様からの啓示があったんでしょ。そんな子がヒミカちゃんの命を狙うと思う? それに、もしアルクんがヒミカちゃんの命を狙っていたなら、神殿から逃げないし、王都の往来で言い争いなんて目立つ真似しないはずよ」
その言葉にヒミカさんはハッとした表情を浮かべた。自らを落ち着かせるように両腕を抱えながら赤い目を閉じ、大きく深呼吸をしている。
張り詰めた空気の中、川のせせらぎとヒミカさんが呼吸する音だけが聞こえてくる。
しばらくして、ふうっ、と軽く息を吐き出したヒミカさんは、ゆっくりと目を開けた。その赤い瞳はいつものように温かみのある優しい目に戻っている。
ホッとしている僕たちに向かって、ヒミカさんは緊張した様子でこう言った。
「申し訳ございませんでした。私の勘違いのようです。謝って許されるものではないかもしれませんが、無礼な態度をお許しください」
そういって頭を下げる。
彼女が何に怒り、何に怯え、なぜあのような態度をとったのかわからない。しかし間違いなく僕の行動が原因だろうし、少なくてもこのままにしておくわけにはいかないだろう。
僕は黙ったまま、ヨヨさんとミノスさんに顔を向ける。ミノスさんは困ったような顔をし、ヨヨさんは、「声をかけろ」という顔をしている。なんと答えたらいいのだろうか。もちろんヒミカさんを責めるつもりはない。
少しだけ悩んだあとで、僕は真面目な顔でヒミカさんに声をかけた。
「ど、どんまい?」
「やっぱり下手くそかっ!」
どこかで聞いたことのあるヨヨさんの言葉が川岸に響く。
そんなこと言われても、理由もわからないまま命を狙われたと言われ、こちらも混乱気味だ。どんな声をかけていいのか思いつかなかった。
「無理言わないでください」
「何が無理よ。ちゃんと声をかけなさいよ」
「だったらヨヨさんが声かければいいじゃないですか」
「男の子なら、女の子に優しく声をかけるのが当たり前でしょ」
「男の子にも優しくしてください」
「アルクんは中身が子供じゃないから必要ない」
「何そんなギリギリな話をしてるんですか」
前世のことや転生したことをここで暴露されても困る。
「十歳の子供が巫女にケンカ売ったり、悪徳商人の企みを聞き出したりできるわけないでしょ」
「うっ」
ミノスさんが、笑うように、ぶるるっと鼻息をもらしながらつぶやいた。
「アルクさ、巫女様にケンカを売るやんちゃ坊主だったべか。おらに体当たりしてくるウシドンの子供みたいだなや」
ミノスさんの一言が緊迫気味の空気を和らげてくれる。
「まあケンカするほど仲がいいというべ」
そんなやりとりをしていると、突然、笑い声が聞こえてくる。声の主を探すと、なんとそれはヒミカさんだった。僕たちを見ながら声を出して笑いつつ目の涙を拭っている。
「笑ったりしてごめんなさい。アルクさんを疑うなんて私がバカだったわ」
笑いながら話す彼女の口調はいつもと違う。少しだけスッキリした顔をした彼女は、僕らのいるテーブルに近づくと頭を下げる。
「アルクさん、本当にごめんなさい。ミノスさん、お肉を粗末に扱ってしまい申し訳ございませんでした。……それにヨヨさん、ありがとうございます」
「いいえ。気にしなくてもいいわ。もともと女の子に無理やり食べさせようとしたアルクんが、ひわい……じゃなかった、わるい」
「今の一言は絶対に間違えてはいけないですよね」
僕の抗議を完全に無視したままのヨヨさんは、ヒミカさんと話している。
そもそも“い”しか合ってない。
「でも、ヒミカちゃん。なぜ命を狙うなんて思ったの」
「……それは」
「おっと。ちょっと待ってほしいだよ」
そういってヒミカさんの声を止めたのはミノスさんだった。
「何やら巫女様には大切な話のようだべ。そんただ話、おらみたいなもんが聞いちゃいけねえだ」
「いえ、ミノスさん。聞いていただいてかまいません」
「それは駄目だべ。おらを信用してくれるのはありがたいだども、今日あったばかりの魔族を信用しちゃなんねえだ」
「ですが……」
「気にすることないだよ。巫女様、アルクさ、ヨヨさ、と知り合えただけでも今日は王都さ来てよかったべ」
話しぶりからするとミノスさんは王都内には住んでないようだ。ウシドンのためにも、ミノスさんがどこに住んでいるか聞いておくべきだろう。
「ミノスさんはどこに住んでるの?」
「おらは、さっき通ってきた街道をそのまま進んでしばらくいったとこにある場所に住んでるだ。ウシドンのことを聞きたいときは、いつでも来て欲しいべ。牧場があるからすぐわかるべ」
そういって簡単な地図を書いて家の場所を教えてくれる。
「ありがとう、ミノスさん。近いうちに必ずお邪魔します」
「ぜったい来るだべよ。そのときを楽しみにしてるだよ」
「はい、そのときはよろしくお願いします」
「任せておくだ。巫女様、ヨヨさも元気でな。残りの肉は皆で食べておくれ」
それだけ言うとミノスさんは僕たちに手を振り、街道へと戻っていった。
僕たちの前では言わなかったが、買い手がいないとなるとウシドンの飼育を続けるのは難しいだろう。僕としてはこの肉を魔族の世界に広めて行きたい。
(このあたりの話は侯爵様と相談だな)
ミノスさんを見送り、その姿も街道の先へと消えていった。ヒミカさんは寂しそうな顔をして目を伏せながらつぶやいた。
「ミノスさんには悪いことをしてしまいました」
「お肉もあんなにもらっちゃいましたしね」
「ヒミカちゃんもアルクんも元気出しなさいよ。今度遊びに行くときにおみやげでも持って行きましょ」
とりあえず焼かずに残っている肉を『執事ボックス』にしまっておく。
「さて、ヒミカちゃん。聞かせてもらえる? もし言うのがつらいなら言わなくてもいいわ」
「いえ、聞いていただきたいと思います」
テーブルに座ってからヒミカさんの様子を見る。
意を決したようにこちらを見る彼女の目には強い意思が宿っていた。
「今から話すことは、人に言わないと約束してくれますか」
「ええ、もちろん」
「もちろんよ」
僕らの答えを聞いたヒミカさんは、ほっとしたようにため息をついた。どことなく緊張した面持ちで話し始める。
「私は、アルティコ伯爵の本当の子供ではありません」
「「えっ」」
いきなりの言葉に衝撃を受ける。何やらとんでもないことを聞いてしまったのではないだろうか。僕とヨヨさんは驚きのあまり声も出ない。
ヒミカさんは、僕たちの様子に少しだけ自虐的な笑みを浮かべながら話を続ける。
「私は、神殿に捨てられていた孤児なのです。神殿前に捨てられていた私を育ててくれたのは大神官様。そして七年前、私が三歳の時に縁あって今の両親であるアルティコ伯爵家の養女となりました。本当の両親はわかりませんし、自分自身の種族も存じません」
ヒミカさんから語られた彼女自身の出生は驚くべきものだった。僕と同じ捨て子。僕は侯爵様に、そして彼女は神殿に拾われた。そして親の顔を知らない。
「いろいろ聞きたいこともあるでしょうが、まずは話を聞いてくださいね」
確かに聞きたいことは山ほどあるが、今は彼女の話を聞くべきだろう。無言のまま僕がうなずくと、彼女は姿勢を正して話の続きを語り始める。
「私が神殿に拾われる前の話です。子供のいなかったアルティコ伯爵家の後継者をめぐり、一族の間で揉めごとが絶えなかったそうです」
そうやってヒミカさんから語られた一族の揉めごとは、揉めごとというレベルの話ではなかった。
親族同士の罵り合いは日常茶飯事。そこからエスカレートして親族同士で謀略を駆使した家の潰し合いが始まった。中には何者かの手によって、後継者と噂された子供が暗殺されたり、家族全員皆殺しになったりした家もあったそうだ。
この話をしたヒミカさんはとても悲しそうだった。
「いきすぎた親族同士の争いを嫌った父さまと母さまは、“十年後、一族の中で一番優秀な子供に家督を譲る”ことを宣言されました。その間、一族の争いを一切禁止することを条件に付け加えて。それが今から九年前の話です」
今から九年前ということは、来年にはアルティコ伯爵家の後継者が決まるということだ。ヒミカさんは僕と同じ十歳。彼女が十一歳になったとき後継者が決まることになる。
いや、まてよ。アルティコ家の養女であるならば、跡取りはヒミカさんで決まりのはずだ。
「その宣言後、争いごとはなくなったそうです。……私が伯爵家の養女になるその日までは」
そういってヒミカさんは、また悲しそうな顔をする。
「後継者宣言を出してから二年後、当時、三歳だった私は伯爵家の養女として迎えられました。そのときから、ほかの親族からの嫌がらせが始まったのです。一族からではなく、どこの誰ともわからない孤児であった私を養女にしたことで、父さまや母さまを一族の裏切り者と罵るものまで現れました」
ヒミカさんが養女になる前の二年間は争いが起きなかった。いや、むしろ二年しかおとなしくしていなかった、というべきだろう。ヒミカさんが養女になったのがきっかけだったかもしれないが、遅かれ早かれ争いは再開していたはずだ。
「父さまは、無条件で私に跡を継がせるつもりはなかったそうです。その証拠に、“一族の中で一番優秀な子供に家督を譲る”という条件は変えない、と明言しました。しかし、それでも一部の家は一族に対する裏切りだと反発したそうです」
確かに特権階級に酔ってる貴族の一族に、平民それも孤児が養子として入ってきたら拒絶反応もすごいのだろう。自分たちが特別だと思っている連中だからこそ、他人の血を嫌がるのだ。
特権意識の高い貴族は徐々に減ってはいるが根絶できているわけではない。この貴族の特権意識は、魔王様もずいぶん手を焼いていると聞く。
魔王様に忠誠を誓い、いち早く平和な時を手に入れた魔族も、百数十年も時が経てばおかしな連中も出てくるか。
(やれやれ。前世もここも変わらないな)
「当時、私以外の後継者候補は三人いたそうです」
「いた?」
「はい。父さまと母さまは、身分を笠に着るような方をことのほかお嫌いになられます。それに二人は孤児の私を本当の娘のように、大切に、大切に育ててくれました」
伯爵夫妻のことを話すヒミカさんはとても嬉しそうだった。その笑顔は何よりも自然で温かみにあふれている。
「そんな父さまと母さまですが、しつこく文句を言ってきた親族に我慢がならなかったのでしょう。三歳だった私に、憎しみをぶつけてくる親族全てを魔王様の協力のもと、身分剥奪の上、追放してしまったのです。追放の理由は、“貴族にふさわしい人物にあらず”だったそうです。追放された親族の中に、二人の後継者候補の家が含まれていました」
……おい、魔王。
なぜそこで魔王様が出てくるんだ。何やらきな臭いな。
王族が、お家騒動に手を貸すことなんてあるのだろうか。
「お話の途中ですが、ぜひ聞きたいことがあります。どうしてそこまで魔王様が伯爵様のお家騒動に肩入れしてるんですか」
「なぜ魔王様が手を貸されたのかは、私もわかりません。ただ父さまが若かりし頃、まだ幼かった魔王様のお命を救ったことがあるそうです。それにアルティコ一族の先祖は“魔王と勇者の戦い”の魔王、ロシュロス様の側近だったそうですよ」
現魔王様の命を救った? しかもアルティコ家がロシュロス様の側近の一族? なんとも思いがけないところでロシュロス魔王の名前を聞くことになった。食材のヒントが書かれているかもしれないというロシュロス様の手記の閲覧許可はまだ出ていない。
伯爵様と魔王様の繋がりはわかった。ただ魔王様と伯爵様の狙いがわからない。とりあえず魔王様の件は後回しだ。
ヒミカさんの話は続く。
「その追放の一件以来、批判はなくなりました」
批判はなくなった。そりゃあ魔王様が口を出してくればなくなるだろう。だけど……。
「表向きは、ですが」とため息まじりにヒミカさんは言う。
だろうね。“表向き”でやった連中は追放された。だったらバレないよう裏から手を回せばいい。もっとも、バレたら追放ではすまなくなるだろう。魔王様が出てきた以上、次やったら魔王様に逆らうことにもなる。
「残された候補者は二人。私以外に、もうひとりいます」
その残りの一人とは、フラム家という子爵の娘だそうだ。名前は、ユリアナ=フラム。ヒミカさんより四つ年下で、いまは六歳になる。彼女曰く無邪気で活発な可愛い子らしい。
「ですがそのご両親のフラム子爵夫妻は、孤児である私を表向きは認めつつも敵意を隠そうとしておりません」
消え入るような声で話す彼女の顔は不安気だ。少しだけ間を置いてヒミカさんは
力なくつぶやいた。
「私は、その子爵から命を狙われているようなんです」
「「命を狙われている!?」」
彼女から告げられた言葉に息を飲む。
僕がいたずらしたとき、ヒミカさんは、“あなたも私の命を狙うのか”と言った。恐らくこのときの発言はフラム子爵が関係しているのだろう。
ヒミカさんは、僕が子爵に雇われた刺客だと思ったのだろうか。
「ヒミカちゃん。“狙われているようだ”ということは証拠がないってこと?」
「はい。今のところ確信に近い推測にすぎません」
「じゃあなぜフラム子爵が怪しいと思ったのかしら」
「少し昔の話になります。私が伯爵家の養女となり、お披露目パーティーが行われたときのことです」
そのパーティーはフラム子爵家の屋敷で行われた。後継者選びが始まって二年後、ヒミカさんが三歳の時の話だ。ユリアナ嬢は、まだ生を受けていない。
その当時、アルティコ家とフラム家の仲は一族の中でも良好だった。フラム子爵夫妻も孤児のヒミカさんに対して変な感情を持っていなかったらしい。子供がいなかったフラム子爵は、アルティコ家に後継者ができたことを心から喜んでいたそうだ。
だからこそアルティコ家ではなく、フラム家でぜひ歓迎のお披露目パーティーをさせてくれということになった、とヒミカさんは語る。
「そのときのパーティーで、私は一度死にかけています」
「それがフラム家を疑う原因になったと?」
「いえ、そのときは違ったのです」
貴族の養女になったばかりのヒミカさんは、フラム家で出された赤、黄、緑、青といった色とりどりの食事に驚いたそうだ。
養女になる前、神殿で食べていたのはパンやリンゴ、それにオリーブなどの実や野菜が中心。たまに出る肉も、干し肉や干し魚くらいでかなり質素な食生活だったらしい。この頃はまだ自炊ではなく大神官様が用意していたそうだ。
ヒミカさんは、貴族の料理に目を輝かせ、喜んで口にした。ところが口にした途端、激しい嘔吐と苦味、それに頭を刺すような痛みが彼女を襲ったらしい。
死にかけたヒミカさんを救ったのは大神官様だった。
だが、最初に倒れたヒミカさんに気がついたのはフラム子爵だ。意識を失い、みるみる弱っていくヒミカさんを見たフラム子爵は、大慌てでアルティコ伯爵を呼び、屋敷で寝かせるように伝えると、里親としてパーティーに参加していた大神官様に助けを求めたそうだ。
フラム子爵の機転とすばやい対応で一命を取り留めたと言っても過言ではない。
「そのときはフラム子爵のおかげで助かったのね。でも結局、何が原因だったの?」
「大神官様によると食べた食事に異常はなく普通の料理だったそうです。ですが私の命を救った魔法は、解毒魔法でした」
「でもヒミカちゃん。魔族は毒なんてほとんど効かないでしょ」
ヒミカさんは僕と同じように人族に近い姿をしている。彼女は自分の種族を知らないと言っていたが、純魔族なのは恐らく間違いないだろう。純魔族であれば、ほとんどの毒を無効化してしまうはずだ。
一部を除いて、純魔族であろうヒミカさんが毒の影響を受けることはない。
そう、一部を除いてだ。
(そうか……君は)
ヨヨさんの言葉を聞いたヒミカさんは僕を見つめ、寂しそうで嬉しそうな複雑な笑みを浮かべて言った。
「私は、毒に対して抵抗力がありません」




