第三十五話 執事の朝は早い
「んあ?」
いつの間にか寝てしまったようだ。
昨晩、皆からいただいたお祝いの手紙を読んだあと、ヒミカさんにもらった“命の水”に関する文献の写しを調べていた。ヒントになりそうなところがあるか確認していたのだが、ベッドの誘惑に負けたらしい。
「ん?」お腹に何かが当たっている。なんだろうと思い、目をやる。すると、昨晩もらった竜の貴重品箱を両手で抱えていた。どうやら卵を抱きしめながら寝落ちしたらしい。
顔だけ動かし窓をみる。窓越しに空を見ると少しだけ明るくなっている。まだ太陽は登っていない。寝過ごしたかと思ったが、ちゃんといつもどおりの時間に起きれたらしい。
竜の貴重品箱を『執事ボックス』の中へと大切にしまって、ベッドの上で大きく伸びをする。
ベッドから降りた僕は、寝ぼけまなこのまま、ふらふらと洗面所に向かった。顔を洗い寝癖をとり身支度を整える。この頃になって、ようやく目も覚めてくる。
部屋に戻り『執事ランタン』で部屋を照らす。執事服に着替えようと、昨晩、窓際に干しておいた執事服を見る。白くなった執事服が窓際で揺れている。
うん、よく乾いて……いる…よう、って、
「しろっぅ」
一気に目が覚めた。
慌てて服に近寄り、じーっ、と目を凝らす。
もともと執事服の上下は上品な黒だったはずだ。しかし、この執事服は白っぽい色になっている。寝ぼけているのかな、と窓の外に顔を向け、もう一度、執事服に目をやる。
何度見ても、執事服の色は戻らない。いったい何が起きたのかと執事服の袖口をギュッと握ったときのことだ。
握った袖口から白い粉のようなものが、ぶわぁっ、と広がる。
一瞬の判断で息を止め、袖口から手を離し、一歩下がる。
(いったいなんだ?)
袖口を握った手のひらを見ると、粉のようなものが付いている。恐る恐る鼻を近づけ匂いを嗅いでみた。
(こ、これ、カビかっ)
慌てて顔を背ける。
待て待て待て。ここ数日は陽気な天気が続き、外も暖かい。とはいえ一日やそこらで、洗った服全体が白くなるほどのカビが生えるわけがない。
白くなっている執事服に近づく。今度は衝撃を与えないように、そうっと上着の袖口をつまんで持ち上げる。胸ポケットあたりまで持ち上げたときに、何やら糸のようなものを引いているのを見てしまい、思わず手が止まる。
そのまま見なかったことにして、持ち上げたとき以上にゆっくりと下ろし、手を離す。
(そういえば昨日も同じようなものを採取したな)
昨晩、伯爵様の体から採取した白い綿を入れた小瓶を取り出し確認する。服についた白いカビ状のものと比べると、色は同じ白だが微妙に違う。執事服のほうは綿というよりも粉に近い。
(こっちも採取しておくか)
執事ボックスから空の小瓶を取り出し、服についている白いカビ状のものを中に入れ、執事ボックスへとしまった。
(さて、これどうしよう)
少なくても今日は着れそうにない。いや、着たくない。
だからといって、このままにしておくこともできない。
とりあえず、この白い執事服は、改めて見なかったことにする。二重にした布の袋にそうっと入れ、木箱に厳重に箱詰めして、部屋の隅に置いておく。かび臭さが部屋に充満しないよう窓を開けておいた。
(これでよし、と)
朝から余計な時間をくってしまった。急いで手を洗い、普段着に着替える。朝食を食べるため使用人専用の食堂である、まかない部屋へと向かう。
厨房近くのまかない部屋に顔を出すと、そこにはイーラさんやメイドなどの使用人の皆が、既に食事をとっていた。僕を見る皆の顔は、にこやかな笑顔だ。そんな仲間たちに元気よく挨拶とお礼を言う。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
あちらこちらで、「おめでとう」、「おめでとさん」というお祝いの言葉とはやし立てる声があがる。肩を叩かれたり頭を撫でられたりと朝からもみくちゃにされた。
少し照れながら用意された朝食をトレイに乗せ、イーラさんの隣に座る。
「おはよう、アルクくん」とイーラさん。
「おはよう、お姉ちゃん」と返す。
……イーラさん、スプーン落とさないでください。
プレゼントのお礼を言うと、イーラさんは、いつも以上に愛嬌のある笑顔を僕に向け、「大事にしてね」と言った。「もちろんです」と返すと、「これでアルクくんも仲間ね」と言う。……何の仲間だろうか。
さて、そろそろ食べるとしよう。
今日の朝食は、全粒粉のパンに、ホウレンソウとマッシュルームのシチュー、ニンジンとレタスのサラダ、それにリンゴだった。
(あれ、いつもより豪華になってる?)
昨日のことだ。食材探しの協力者を増やすため、僕たち使用人の食事にも毒のない食材を使ってもらえるよう侯爵様にお願いした。毒のない食事を続ければ、魔族も味覚を取り戻すことができる、というのは白の賢者様のお言葉だった。
しかし現状、毒のない材料は、まだまだ種類が少ない。
それなのに食事が豪華になっているのはどういうことだろう。いつもはパンと干し肉の塩スープくらいだった。雲泥の差である。
理由はともかく、毒が入っていないとわかっているのはありがたい。
シチューにパンを浸しながら食べ始める。考えてみれば昨日はまともな食事をしていなかった。急に空腹感を覚え、食べる手も早くなる。焼き立てパンの香り、シチューの甘み、野菜のシャキシャキ感、が食欲を一層かき立てる。
「ちょっと、アルクくん。よく噛んで食べなさいよ」
「昨日、ほとんど食べてなかったもんだから、つい」
「気をつけるね、お姉ちゃん」と笑い返す。
……だから、フォーク落とさないでください。
「ところで食事が豪華になってませんか」
「ああ、それ? どうやらレイゴストさんがほかの料理人たちに、新しい料理を教えているらしいの」
「あ、その練習で作った料理なんですね」
「そうみたいよ」
見た目だけでなく、毒が入っていない、味を重視したメニューに替わり、使える素材も一気に減った。料理人の皆も根本からメニューを見直しているに違いない。侯爵家のため料理人さんも頑張っている。
食事に舌鼓を打っていると、使用人のひとりから声をかけられた。
「アルクくん。私も食材探すのを手伝うよ。味、わからないけど」
その声に続き、ほかの皆からも、
「俺も手伝うぜ」
「私も手伝うわよ」
「美味しいは正義」
「お嬢様のためにぃぃ」
という声があちこちからあがる。
「私たちに協力できることがあれば言ってね。独自の情報網を駆使して調べてみせるわ」
そう言って意気込んだイーラさんが立ち上がる。ほかの使用人さんからも、「おぉー」という声が上がる。
独自の情報網ってのが気になるけど、聞くのが怖い。
少し食べすぎたが、食後のお茶を飲む。
お茶を片手に窓の外を見ると、太陽が登り始めており、お嬢様の目覚めもそろそろだろう。横目にイーラさんを見て、ふと気づく。
「あれ? イーラさん。それって」
隣でお茶を飲んでいるイーラさんに声をかける。
「パンケーキなんてありましたっけ」
「ん。これも練習で作っているんですって」
周りを見ると、メイドさんをはじめ女性陣のほとんどが花蜜片手にパンケーキを食べている。
「それにしてもパンケーキの量、多くありませんか」
「なんでもお嬢様のお気に入りってことで、料理人たちが張り切ってるみたい。誰が一番上手に焼けるか競争してるみたいよ」
そういって、嬉しそうにパンケーキを口に頬張る。
料理人さんらの気持ちはわかるけど、材料を無駄するのはいただけない。厨房に寄ったときには、ちゃんと言っておこう。一番上手にパンケーキが焼けるのは、僕であると。お嬢様のためにも負けるわけにはいかない。
「それにしても、イーラさん。よく食べますね」
「いいじゃない」そういって頬を膨らます。
「そういえば、花蜜って氷砂糖とは、感じ方が全く違うのね」
「違う?」
「アルクくんの言ってた、甘さ、っていうの? 昨日よりはっきりわかる気がするの」
「ええっ、もしかして、それ」
やはりイーラさんは味覚を取り戻しつつある。退化した味覚と言われた魔族にしては早すぎる。何かきっかけがあったのだろうか。
「もちろん、お嬢様やヨヨちゃんの感じてる、甘さ、とは違うかもしれない。けど、この感覚は癖になるわ」
「安心する感じって言ってましたね」
「うん。今は、すごく安心するって感じ、かな。それに今日は妙に体の調子がいいのよ」
前世では、甘いものは疲労回復の効果がある、なんて言われてた。でもそれは一時的なことで、本来は逆効果と言われている。イーラさんが脳を使っていればブドウ糖のおかげで疲れが取れたと思っても不思議じゃない。不思議じゃないんだけど。
……うん、魔族の場合は、花蜜の魔力のおかげだろう。
「それにしても花蜜って魔力の量が本当に多いのね」
「ええ。奥様もおっしゃってましたね」
食事からも魔力を吸収する魔族。料理の素材に含まれる魔力が多ければ多いほど、それは魔族の力となる。味を理解できない魔族でも、魔力を糧とする以上、素材に含まれる魔力は多いほうがいい。
「あ、ところで皆さん。なぜ花蜜を持ってるんですか」
ヨヨさんからもらった花蜜は、昨日、全部使いきったはずだ。
「それはね、昨日アルクくんがお嬢様の部屋から出て行った後、ヨヨちゃんと合流して…」
「え? ヨヨさんに何かあったんですか」
「ううん。アルクくんのプレゼントを用意するために帰ったフリをしてもらったのよ」
「あ、だから、わざわざヨヨさんがついてきたり、侯爵様のもとへ早く行くよう急かしたりしたんですね」
「へへ、ごめーんね」
片目をつぶってぺろっと舌を出す。
窓から帰ったヨヨさんは、そのまま窓の外に身を隠し、僕が部屋から出るのを待っていたらしい。
「で、プレゼントの準備をした後、お嬢様やヨヨちゃん、メイドのみんなと少しお話してたの」
「ヨヨさんが戻ってきて、お嬢様が喜ばれたでしょ?」
「ええ。ヨヨちゃんと楽しそうにしてみえたわ」
その光景が目に浮かぶようです、お嬢様。
「そのとき、ヨヨちゃんが花蜜は美容にいいって教えてくれたのよ」
「美容、ですか」
「よかったら試してみてって、みんなに花蜜を分けてくれたの」
なるほど。だからメイドさんたち女性の皆さんが、花蜜片手にパンケーキを食べているというわけですか。
しかしヨヨさん、本当に商売うまいな。この世界で試食サービスを考えつくとは思わなかった。貴族だけを相手にするかと思ったら、一般人にも花蜜のファンを広げるつもりかな。
それに美容を絡ませてくるあたりも実にうまい。花蜜の味がわからない魔族でも、女性の美容意識は高いし、魔力も豊富に含んでいる。魔族に人気がでることは間違いないだろう。
ひとつ心配があるとすれば、悪質なサンプル商法みたいに初回無料、次回より有料、しかも自動継続契約ってやり口じゃないといいけど。
まぁそんなことしてたら妖精族ごと潰せばいいか。
「アルクん! 今、すごく物騒なこと考えたでしょ」
「うおっ。ヨヨさん、おはようございます。そして昨日はありがとうございました」
「おはよう、アルクん。どういたしまして。で、何を企んだか言ってみなさい、ん?」
少し考えてさらりと伝える。
「詐欺ってたら、潰す?」
「うわぁ、朝から、底深い暗黒の魂の持ち主を見たわ」
「ところで、どこから入ってきたんですか」
「え? ちゃんと取り次いでもらったわよ」
「妖精族が、玄関から、だと」
「なんで、そんなに驚いているのよっ」
「冗談ですよ。ヨヨさん、花蜜ありがとうございました。皆喜んでいるようですよ」
「それはよかったわ」
そろそろお嬢様をお迎えに行く時間だ。いつのまにやらイーラさんとメイドさん数人がいなくなってる。
「ヨヨさん、お嬢様を迎えに行きたいのですがどうされます」
「せっかくだから一緒に行くことにするわ」
「では、着替えてきますので、少々お待ちください」
そう伝えてから急いでトレイを片づけ、部屋に戻る。
スペアの執事服に着替え、しっかり口をゆすぎ、最後に身だしなみを確認した後、ヨヨさんと共にお嬢様の部屋へと向かった。




