第三十四話 いつもと違う夜(後編)
執事になると個室が与えられる。個室と言ってもそれほど広いわけじゃない。ベッドを二つもおけば部屋の床が埋まってしまう程度の広さだ。
だが正直、自分にはこれでも十分に広い。
体が臭うため、このまま寝ることもできない。着替えを持って使用人用の浴室に向かう。臭う執事服を脱ぎ、体を『執事シャワー』で洗い流す。臭いは執事魔法『執事の匂い袋』を使って消滅させた。
この『執事の匂い袋』は、臭いを抑えるだけでなく様々な香りをつけることができる魔法だ。お嬢様が汗をかかれたときに、汗の匂いを消し花の香りをつけることによって、お嬢様の魅力をより引き立てることが可能となる魔法なのだ。
なぜか夏場になると、メイドさんからひっきりなしに頼まれることが多い魔法でもある。
ついでに、池の水で生臭くなった執事服を『執事井戸』と『執事そよ風』を使って桶の中で丁寧に洗う。『執事井戸』で出した桶の水が、『執事そよ風』の力によってぐるぐると回転し執事服をもみ洗いする。
(そういえばこれって洗濯機と同じ原理だよな)
もしかしたら前世の知識をうまく使えば、執事魔法の強化になるかもしれない。そう考えた僕は、いつか執事魔法の強化を兼ねた研究をしてみようと心に決める。
いつになるのかはわからないが、最初に作るのは『執事洗濯機』だな。
洗い終えた執事服を軽く絞った後、『執事キッチン』と『執事そよ風』で温風を出し、自分の髪を乾かした。
その後、部屋に戻り魔道具のランプに明かりをともす。
洗ったばかりの執事服は窓際に干しておく。鼻を近づけてみると、まだ少し生臭い気がした。明日も臭いが残っていたらもう一回洗うとしよう。
そんなことを考えつつ、窓ごしに空を見る。雲ひとつない夜空には、美しい月が輝いている。これなら明日も快晴間違いなしだな。
明日の天気を予想した後は、寝る前の運動だ。手足を伸ばし、体をほぐしながら軽い運動をする。柔軟体操をしながら、今日起こった出来事を思い出す。
(いろいろなことがあったなぁ)
朝起きて、毒スープを飲んで死にかけ、知と智慧を司る神、白の賢者様に会った。
自分は、前世の記憶持ちの転生者で、毒耐性が全くないフォメット族であることを知った。頭に放り込まれるように前世の知識・技能を授かった。
お嬢様のため、食材を探し新しいメニューを開発することになったが、魔族の食事に対する意識の低さに驚いた。更に妖精族のヨヨさんの登場に驚き、干し肉と干し魚の正体に驚き、白の賢者様の巫女に驚き、伯爵様の病の原因を探すことになった。
なかなか波瀾万丈な一日だ。あまりにも多くの出来事が重なったため、実は何日も過ぎたのではないか、と錯覚するほどだ。
ミストファング侯爵家に拾われてから、ちょうど十年経つ。そういった意味では、このいろいろあった一日も記念日となるかもしれない。
柔軟体操が終わりランプを消すと、部屋の中は月明かりに照らされる。
(それにしても、もう十年か)
早いものだと感じながら、目を閉じ後ろ向きでベッドへと倒れこむ。
ガキーンッッ!
「いっだぁっ」
思いもよらない痛みが僕の後頭部を襲った。油断して力を抜いていた分だけ、その衝撃は後頭部から鼻へと突き抜ける。あまりの痛みに後頭部を抱えながらベッドの上で芋虫がのたうつように動き回る。
「ぐっぅ。ぎぎ」
目から涙があふれそうになるが、それを我慢しつつ体をひねって枕元へと目を向ける。いったい何に頭をぶつけたのだろうか。目をこらしても涙で視界がぼやけてよく見えない。
月明かりを頼りに、後頭部を押さえていた手のひらを見て血が付いていないことを確認する。そのまま枕元へ腕を伸ばす。
コツリと何やら手に当たるものがある。
涙を手でぬぐい、その場所に目をやるとシーツがふくらんでいることに気がつく。体を起こしてシーツをめくると、月明かりに照らされた楕円形の物が現れた。
ベッドに座ったまま『執事ランタン』で明かりをつける。
それは縦長で五十センチほどの大きさだ。
色は、艶のない黒に赤色の線が縦横無尽に走っている。表面は加工されているように滑らかでつるつるしている。よく見ると中央に切れ目が入っており、上下で分離できるようになっている。
どこかで見たことがある……そうだ、思い出した。
これは貴族や商人に愛用者が多い“竜の貴重品箱”に違いない。ということは、この黒っぽい楕円の形をしたものはドラゴンの卵だろう。
ドラゴンの卵は非常に硬く、落としても中の物が傷つくことはないと言われている。しかも熱さや寒さだけでなく、酸にも強いと言われるブラックドラゴンの卵は人気のある品のひとつ。
「それがなぜ僕の部屋に?」
軽く爪の先で卵を叩くと、カンカンという金属音にも似た音が部屋に響く。うん、これは硬い。どれほどの硬度を持っているのか知らないが、僕の頭よりは断然硬い。
とりあえず誰の持ち物かわからないので、無礼を承知で中身を確認してみることにした。切れ目を中心に、上下をそれぞれ反対方向へひねると、ねじれるようにして卵が開く。
中を確認すると、何通かの手紙。それに中型のナイフやリボンが結ばれた巻物、小さな本などが入っている。
手紙には“あるくんへ”、“アルクへ”、“アル坊へ”と書かれ、宛先の名前は全て僕だ。差出人は、お嬢様、侯爵御夫妻、使用人一同…代表レイゴストさん、になっている。
それぞれの手紙には、十年目の誕生日おめでとう、と書かれていた。
高鳴る鼓動と焦る気持ちを抑えながら、使用人の皆さんからの手紙に目を通す。
――使用人一同より
アル坊、誕生日おめでとう。侯爵家で一緒に働く仲間となって十年が経つ。アル坊はよくやってるよ。これからもお嬢たちを頼んだぜ。誕生日の祝いとして使用人一同から、この『竜の貴重品箱』を贈らせてもらう。よかったら使ってやってくれ。
使用人を代表して俺が手紙を書いているが、最初、セイバスに言ったんだ。そしたらなんて言ったと思う。あの野郎、「弟子を祝うのは、私から卒業したときだけです」とかぬかしやがった。妙にすかしてやがるんで、問い詰めたら、今日渡されていたあの図鑑、プレゼントも兼ねてます、とか白状しやがった。個別にプレゼント用意してたくせに、何が卒業だってんだ。大笑いだよな、アル坊。
あとイーラから_/おこえい~…―
お姉ちゃんを頼ってもいいのよ! アルクくん。
秘蔵の本を入れておいたわ。希少品だからね。
だそうだ。紙汚したのは俺のせいじゃない。あと、コンペイトウ作ってみた。ちゃんとできているか確認しといてくれ。
――
そっか。この竜の貴重品箱は、皆からのプレゼントなんだ。
卵の中を探すと、色とりどりのコンペイトウが入ったガラスの瓶が見つかる。一粒取り出して口に含むと、優しい甘さが口いっぱいに広がった。カリカリとかじりながらゆっくりと味わう。
(うん。完璧ですよ、レイゴストさん)
きっと今日の晩御飯の後も作っていたんだろうなぁ。
頭の中でコンペイトウの鍋を回すレイゴストさんの姿を思い浮かべる。
(イーラさんからは、本? そういえば、あったな)
うん、あった。これだ。
表紙には『妖精族入門冊子』と書かれている。
あ~、うん。どっかで見たことがあると思いましたよ。
……ん、隅に何か書いてある。
“ヨヨ・フェアルゼ”
まさかの妖精族代表のサイン入りっ。よく見たら名前の隣に手形までついてる。
「ヨヨさん、何してるんですかっ」
夜分遅くに思わず声が出た。そりゃ妖精族のサインは希少だ。だが、明日も手形の本人と会うんですよ。
イーラお姉ちゃんは相変わらずだなぁ、と頬が緩む。
それにしてもセイバスさんからもらった図鑑が、誕生日のお祝いの意味があったなんて夢にも思わなかった。
(皆さん、ありがとうございます)
心を落ち着かせてから、次の手紙を手に取る。
侯爵御夫妻からの手紙は二通あり、ひとつは家紋入りの用紙に書かれている。
まずは侯爵家の家紋入りの手紙から読んでみる。
――ミストファング侯爵家当主より
我がミストファング侯爵家に忠誠を誓うアルクよ。アルクがこの屋敷に来てから十年が経つ。その十年の中で今日という日は、七年前よりも特別な一日となった。我が娘ティリアの専属執事として、今後も君の忠誠に期待する。
またここに今日までの汝の忠誠に報い、短剣を授ける。
――
もう一枚の手紙も読む。
――ヘルムト=ミストファング、エリス=ミストファングより
誕生日おめでとう。アルクがこの屋敷に来てからもう十年。あっという間だった。アルクがいてくれたおかげで、この屋敷もずいぶんと賑やかになったものだ。前世の記憶で悩むこともあるかもしれんが、そのときはいつでも相談にのろう。いつか一緒に酒を飲みたいものだ。もちろん毒抜きでな。
これからもよろしく頼む。ティリアのことを頼んだぞ。
誕生日おめでとう。アルクちゃんにはすごく期待しているわ。ティリアちゃんもすごくなついているし、本当のお兄ちゃんみたいよね。ヘルムトもアルクちゃんのことを息子のように思ってるみたいだし、私もそう思っているわ。
もし例の巫女さんと身分のことで悩むことがあったらいつでも言いなさい。
あと変なものを拾って食べちゃ駄目よ。アルクちゃん、毒に弱いんだから。
――
侯爵家と侯爵御夫妻の手紙を分けるなんて公私の区別をはっきりさせている侯爵様らしい。それに雇い主が物を渡すと、報酬(給料)になっちゃうから、わざわざ報奨(ご褒美)として、短剣をくれたのだろう。
そのお心使いに心から感謝する。
それに。
侯爵様は、僕の前世のことについて気にかけてくれている。
奥様は、捨て子だった僕のことを、お嬢様の兄だと、息子だと言ってくれる。
胸に熱いものがこみ上げてくるが、巫女さん、ってところで急に冷静になる自分がいた。
それに拾い食いなんてしませんから大丈夫ですよ、奥様。
まるで今日見つけたキノコのことがわかっていらしたような文面だが、大丈夫です。食べるつもりで、いくつか持ってきていますが食べないことにします、たぶん。
もし自分に親がいたら、こんな気持ちになるのだろうか。
……家族か。
心温まる侯爵御夫妻の手紙をしまいつつ、卵の中から一本の短剣を取り出す。
刃渡りは二十センチほどの黒い両刃の短剣だ。持ち手部分は金属並に硬い黒い物質でできており、その素材はわからない。鞘も黒で統一されており、派手な装飾はないが非常に上品な造りになっている。
短剣を握り軽く振ってみる。まるで僕に合わせて作られたかのように思ったとおりに動く。
短剣には小さなメモが付けられており、銘と短剣の効果が書いてある。そのメモを開き、書いてある文字を読んだ。
―ソウルイーター(ダガータイプ)―
傷をつけたものから魔力を吸い取り自分のものとする。
短剣をそっと鞘に戻し、ベッドの上に置く。もう一度、メモに書いてある文字に目を落とすも、書いてある内容は変わらない。
……実に危ない短剣だった。いつでも侯爵家に仇なす連中を殺ってみせます、って感じだけど、執事が持ってもいい品なのだろうか。
少し躊躇したが、ありがたく頂戴することにした。
僕の命にかえてもお嬢様をお守りすることを短剣に誓いつつ。
最後は、お嬢様からの手紙だ。
――てぃりあ=みすとふぁんぐより
たんじょうび、おめでとー。
いつもたくさん、ありがとなの。
これからもよろしくおねがいします。
――
お嬢様が書かれた元気あふれる文字の隣には、奥様が書かれたであろう小さい文字が清書として添えられている。
(お嬢様、ずいぶんと字を書くのが上手になられましたね)
奥様の清書が添えられてなくてもちゃんと読めますよ。
可愛らしいリボンが結ばれた巻物がお嬢様からのプレゼントのようだ。
そっとリボンをほどき、巻物を広げる。
そこには、僕とお嬢様、それに侯爵御夫妻を中心に、セイバスさん、レイゴストさん、イーラさん、メイドさんたちをはじめとした使用人の皆の似顔絵が描いてあった。絵に描かれている皆は、こちらを見て満面の笑顔を浮かべている。
これは僕の一生の宝物です、お嬢様。
その似顔絵がなぜか徐々に、ぼやけ始める。
(っ……お嬢様、ありがとうございます)
似顔絵の中で笑ってる僕と、絵を見ている今の僕の顔は、きっとそっくりに違いない。
頬を流れる涙を除いて。




