第三十三話 いつもと違う夜(前編)
「ア、アルクさぁんっ」
池の中に放り出されたときに聞こえたのは、僕を呼ぶヒミカさんの声だった。
水の中に落ちたとき、慌てるのが一番危ない。
息を止めたまま、落ち着いて足がつくか確認し、さほど深くないことを確認するとゆっくり立ち上がる。深さは僕の胸よりちょっと下くらいか。
深呼吸し、池の中に立ったまま、『執事ランタン』で明かりを呼び出す。執事魔法の光が全身びしょ濡れの僕や波打つ池を照らすなか、池のふちに立つヒミカさんとメイドらしい女性の姿が見て取れた。
「アルク様、大丈夫ですか」
「え、ええ。大丈夫です」
少し口に入った池の水を吐き出しながら、狼狽えている彼女に何があったのか聞く。
「いったい何があったんですか」
「申し訳ございませんっ」
ヒミカさんが、ワタワタしながら僕に向かって頭を下げた。なぜ謝っているのかわからなかったが、次に聞こえてきた女性の声に、その意味を悟る。
「お嬢様っ。こんなへろむっちゃ坊やに頭を下げる必要などございません」
へろむっちゃ?
『執事ランタン』で照らされたメイド服の女性。へろむっちゃという謎の言葉を話す彼女は、藍色の髪のショートヘアで薄い青の瞳、年の頃は十五歳くらいだろう。
こんな感じの人をどこかで見たような気がするのだが思い出せない。
彼女は腰に手をやり、池の生臭い水が滴る僕に向かって指をさす。
「私の可愛いお嬢様に、指一本でも触れて御覧なさい。お嬢様の専属メイドであるこのイシェリーが絶対に許さないわ」
「イシェリー。何を言ってるのですか。アルクさんは侯爵様の御使者として当屋敷を訪問されたお客様なのですよっ」
「侯爵様の御使者様?」
首をかしげながらヒミカさんに話しかけるイシェリーと名乗るメイドさん。
あっ、そうだっ。どこかで見たことがあると思った。
雰囲気がそっくりなんだ、イーラさんに。イーラさんを成長させて、いろいろこじらせると、きっとこうなるに違いない。
ヒミカさんの話は止まらない。
「そうです。アルクさんは侯爵家の執事です」
「執事?」
「貴方は侯爵家の顔に泥を塗ったのですよ」
「池の水じゃなくて?」
ヒミカさんが眉間を指で押さえている。
饒舌な人の天敵は、話が通じない人なんだな、と思った瞬間だ。
……うん。さっきはちょっと言いすぎた気がする。
心の中でイーラさんに謝っておく。
このお姉さんは、ちょっとばかり残念なのだ、きっと。
「お嬢様、騙されてはいけません。このへもりんな男は、街中で図鑑を広げながら独り言を言い続けるような危ない男です」
へもりん?
図鑑広げて独り言ってのは、リヴァイアサンとベヒモスを調べてたときか。そういえばヨヨさん、気配消してたな。言われてから気がついた。そうか、ほかの人からは僕は独り言を言ってるように見えるんだ。
少し落ち込みそうになる。
「だからといって、侯爵様の使者を蹴り落とす無礼が許されると思っているのですかっ」
ヒミカさんの怒声が響く。
はい。犯人確定ぃ。
うーん、それにしてもこの池の水、結構臭う。
(そろそろ出るとしよう)
僕は池のふちへ向かってじゃぶじゃぶと歩く。
「むむ。お嬢様に近づくな。このへちょむくりんめ」
へちょむくりん?
本気で何を言ってるのかわからなくなってきた。
池のふちで見つけた白い何かも、僕が落ちたときの衝撃でどこかへいってしまったようだ。とりあえず臭いが酷いので、さっさと屋敷の周囲を探って帰りたい。
「ヒミカさん、今日はこれで失礼します。お見舞いの日程については、後日、侯爵家よりお返事させていただきます」
「アルクさん、ちょっと待ってください。そのままでは風邪をひかれます」
「あ、おかまいなく。大したことはありません」
「なぜ貴方はいつも、大したことない、と言うのですか。今の貴方の状態は、おおごとになってます」
え~。濡れて臭いが酷いなら、洗って乾かせばいいだけじゃないですか。何をそんなに大袈裟に言うことがあるのでしょう。
「いえいえ。おかまいなく。そこのメイドさんも悪気があってやったわけじゃないでしょう」
「お嬢様は私が守るっ」
「ねっ」
「“ねっ”じゃありません。何を言ってるのかわかりませんわ」
ヒミカさんは守られる側であって、僕やイシェリーさんのように守る側ではないから仕方ない。悪気があってやったのなら納得いくまで殺り合えばいいだけのこと。
「むむっ。へちゃむくれでも守る側の立場を理解しているようね。見直したわ、へいいっちょ」
へちゃむくれ? へいいっちょ?
これ以上ここにいると、へんなメイドさんにへろへろにされて、へたりそうだ。
まだやることもあるし、ヒミカさんには悪いけど、このまま消えたほうがいいと判断する。そうと決まれば行動あるのみ。
「ではヒミカさん、イシェリーさん、失礼いたします。ヒミカさん、また明日お目にかかりましょう」
「えっ、あっ、ちょっと。アルクさん」
そう伝えてから、『執事ランタン』を消し、池から飛び出る。そのまま敷地を囲っている壁に向かって走り、途中で加速。目の前まで近づいた壁に足をかけ、思いっきり蹴り上げ、伯爵家の敷地の外へ。
誰かが追ってくる気配はない。
それを確認した後、息を整える。
それにしても、あの残念なメイドさん。敷地内だからとはいえ、もう少しうまくやらないと、大事なお嬢様の評価を落とすことになりかねない。僕だからいいものの、正門の警備兵さんとは大違いだ。
“誰にも気取られることなく、仕える主人に仇なす者をお掃除できないようでは、メイドとして半人前ですよ”
セイバスさんが侯爵家のメイドさんたちに言ってたけど、わざわざ目立つ行動をするようでは、彼女はまだまだだ。
お嬢様大好きメイドさんの将来を心配しつつ、屋敷の壁に沿って歩き出す。
今のところ特に変わった場所はないようだが、王都の城壁が間近に迫ってくる。そのまま進みながら周辺を探っていると、水がチョロチョロと流れ込む音が聞こえてきた。
(確か王都の外にある湖から水を引いている、って言ってたな)
更に進むと、伯爵様の敷地内へと水が流れ込んでいる場所を見つけた。王都の外と伯爵様の敷地を繋いでいる水路は、幅、深さともに六十センチほどだ。人が行き来する通り道には、固い木でフタがされ、ちゃんと安全対策もとられている。
それにしても水路の幅に対して、流れている水の勢いが弱い。これだけの水量では、あの規模の池の水を循環させることは難しいはず。今の時期、渇水でもないのにどうしたことだろう。
城壁側に目をやると、水路は王都の城壁の下をくぐり、外へと続いている。城壁の下を通る水路には、侵入防止用の鉄格子が幾重にもはめられている。そこに何かが詰まっている可能性を考えて、鉄格子を覗きこんでみた。
幸いなことに鉄格子に何かが詰まっていることはなかった。城壁の外から流れ込んでくる水の量も少ないことから、湖に伸びる水路に問題があると考えるべきだろう。
鉄格子を調べ終わり、水路に目を戻す。するとフタの端から、三センチほどの大きさの扇状をしたキノコがポツポツと生えていることに気づく。
少し気になったので水路の木のフタをひとつ外すことにした。かなり固い木を使っているようで重さもある。なんとか外し、水路の横へとひっくり返す。
そのひっくり返した木のフタを見て驚く。
なんと裏返した木のフタ一面に、あの白いキノコがびっしりと生えていた。逆立った鱗のように生える一面の白いキノコの群生は、まさに異様な光景だった。
「気持ち悪」
思わず悪態が口から出る。
ふと、今朝飲んだ毒キノコのスープを思い出してしまった。
木のフタを外したところから『執事ランタン』を使って、水路を覗く。やはり水の流れは弱く、水量はほとんどない。水路からは濡れた僕の服と同じような生臭い匂いが漂ってくる。
息を止め、水路に顔を突っ込んでフタの裏側を恐る恐る覗きこんでみる。想像どおりではあったが、外していないフタの裏側にもあの白いキノコが、隙間なくびっしりと生えていた。
(ぶほっ。これはひどい)
慌てて水路から顔を出し、新鮮な空気を胸いっぱいに補充する。
深呼吸の際、濡れた服から漂う悪臭が少々気になったが今は我慢だ。
前世の知識からこのキノコの正体を探ろうとしたが、毒キノコのスギヒラタケに似ていることくらいしかわからなかった。キノコに関しては、前世の知識でも曖昧なところが多かったから、判断がつかないのも仕方ないだろう。
あとは……このキノコが食べられるかどうかだが、スギヒラタケなら食べられない。いくつか採取しようと、先ほど外したフタに生えているキノコに手をのばす。するとキノコと一緒に、木のフタの一部分がボロボロと崩れてしまった。
(これだけの固い木ですら腐らせるのか)
そういえばこの手の種のキノコは、木を腐らせるのが早いと前世の知識が教えてくれる。このフタも早めに交換しないと、事故の元になりかねない。
とりあえず採取したキノコは『執事ボックス』の中に入れた。
(執事ボックスの中で、群生したりしませんように)
執事魔法『執事ボックス』内は、時間も止まっているので成長しないことはわかっているのだが、もしかしたら、という思いもある。
そんな恐ろしいことを想像しながら、水路のフタを元に戻しておく。
おっと。そろそろ侯爵様にご報告しなくてはいけない時間だ。
池に落ちたときの臭いも生乾きのせいで、ひどいことになっている。
少しその場で立ち止まり、水の流れの悪い水路を見て考える。
一度、王都の外へ出て湖まで行って調べてみたほうがいいだろう。これだけ立派な水路を引いた伯爵様のことだ。流れる水の量を考えて水路の幅や深さを決めたはずだ。だとすればあまりにも水の量が少ない。
何はともあれ、伯爵様の件を報告しに侯爵様の屋敷へと戻ることにした。
侯爵家へ戻ると、セイバスさんが出迎えてくれる。
「ただいま、戻りました」
「ご苦労様です、アルクくん。……ところで何があったのですか」
生臭い匂いを全身にまとって帰ってきた僕を見ながら、セイバスさんは不思議そうに問うてくる。
「実は……」
調査をしていたら池に落ちました、とセイバスさんに説明する。残念なイシェリーさんのことは言わないでもいいだろうとの判断だ。まあ、話したところで、なぜそれくらい避けられないのですか、と逆にお叱りを受けることになりそうだ。
「なるほど。それは災難でしたね。それで伯爵様が寝込まれた原因が何かわかりましたか」
「はっきりとはわかりません。ですが気になることがあります」
「……そうですか。では、この件に関してはアルクくんに任せましょう。もちろん、ティリア様のため食材探しも疎かにしてはいけませんよ」
「はい。もちろんです」
「それに巫女殿を悲しませないためにも、なんとしてでも伯爵様をお助けするのです。これはティリアお嬢様のためでもあります」
「はい、承知いたしました」と返事を返す。
その様子を見たセイバスさんは、にこりと笑ってうなずく。
「今日はいろいろありましたからね。ゆっくりとお休みなさい。侯爵様には私のほうから伝えておきます」
ありがとうございます、と笑みを返して頭を下げる。
「伯爵様へのお見舞いは明後日の予定とします。伯爵家には私のほうから連絡を入れておきますが、そのつもりでいてくださいね」
「はい」
セイバスさんは侯爵様に報告するため屋敷の奥へと消えていった。セイバスさんを見送った後、僕は自分の部屋へ戻ることにした。




