第三十二話 アルティコ伯爵家
すっかり日も暮れた、夜のはじめ頃。
僕は伯爵家を目指し王都の大通りを歩いている。
通りには魔道具で作られた街灯が並び、道を照らしている。人通りはまばらだが、まだまだ寝るには早い時間だ。執事服を来ているとはいえ、僕のような子供が一人で歩いていることに、すれ違う人々は訝しげな視線を送ってくる。
同じ貴族街にあると言っても、街外れにある伯爵様のお屋敷までは、それなりに距離もある。少しだけ足を早め、急ぐことにした。
貴族街の外れ、王都の城壁に近しい場所にアルティコ伯爵家の屋敷はある。周りにある貴族の屋敷に比べると、少し低い立地にあるものの敷地自体は非常に広い。敷地は壁で囲われ、目の前の立派な正門は、既に閉じられている。正門の前には、警備の兵が二人立っており微動だにしない。
警戒させないよう正門に近づき、警備兵に話しかける。
「こんばんは。夜分に失礼いたします」
二人の警備兵が、僕へと視線を向ける。
「ミストファング侯爵様の使いでやってまいりました。こちらの手紙をアルティコ伯爵様にお渡しいただけますでしょうか」
そう伝えてから、封蝋された手紙を差し出す。
封蝋には侯爵様の紋章が刻印されている。刻印を相手に見えるよう手渡し、そのときになって、「執事見習いのアルクと申します」と自己紹介する。
「これはこれは、御役目お疲れ様でございます。今、確認してまいりますのでしばしお待ちください」
そう僕に伝えた警備兵の一人は、正門をくぐり屋敷へと入って行く。
どうみても子供の僕に、ちゃんと応対ができる警備兵か。これだけでもアルティコ伯爵家の評価は高くなる。行き届いた教育がなされている証拠だ。
しばらく待っていると、屋敷から先ほどの警備兵が一人の老人を連れて戻ってくる。僕と同じような服装からアルティコ家の家令か執事だろう。
僕の姿を確認すると、姿勢を伸ばして一礼する。
「こんばんは。アルク様。私、アルティコ伯爵家の家令ヒトニスと申します」
こちらも改めて自己紹介をしておく。
ヒトニスさんはセイバスさんよりも若いようだが、立派な老紳士だ。ブラウンの髪を短く揃えている。お互いの挨拶を済ますと、話は手紙の件にうつる。
「ミストファング侯爵様からのお手紙でございますが、主人に代わり私も確認させていただきましたこと、ご了承ください」
「はい。事情は承知いたしております」
「立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
そう促されて屋敷へと案内される。
門から屋敷までの敷地には、大きな池があった。池がある分、敷地内の空気は、湿気が多いように感じる。
その池の近くには整えられた庭園があるのだが、違和感を覚え、月明かりを頼りに目を凝らす。
(なるほど)
違和感の正体がわかった。どうやら庭園の草木は、ほとんどが枯れてしまっているようだ。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
僕の視線に気がついたのか、ヒトニスさんから声がかかる。
僕は軽く、「いえ」とだけ返しておく。
ヒミカさんの話だと、庭園の世話は、伯爵夫人が毎日のように行っていたという。伯爵夫人が倒れてしまい、庭園の世話をする人がいないのだろうか。普通なら専属の庭師がいてもおかしくはない。
話を変えようとヒトニスさんに声をかける。
「伯爵様のご様子はいかがでございましょうか」
「実際に会っていただければ、おわかりになられると思います」
彼はそれ以上語ることはなかった。主人の容体について、使用人が話すべきではない、との判断だろう。もしかしたら思ってた以上に容体が悪いのかもしれないが。
屋敷の中へ招かれ、そのまま伯爵様の部屋の前へと案内される。
ヒトニスさんは、扉を叩きノックをする。部屋の中から、「どうぞ」という聞き覚えのある声が聞こえた。ヒトニスさんに続いて部屋へと入る。
部屋は落ち着いた雰囲気の家具で揃えられている。奥にある大きなベッドには一人の老貴族が横になっており、その目は閉じられている。そのそばには、老貴族を看病しているであろう十歳ほどの女の子の姿がある。
その女の子は、目を見開いて驚いているようだが、先に僕から声をかける。
「こんばんは。“はじめまして”。ミストファング侯爵様の使いでまいりました、アルクと申します。この度は急な訪問にも関わらず…」
ここまで言ってから、立ち上がって目を吊り上げている彼女に話を遮られた。
「なぜ、アルク様がこちらに。侯爵様の使い? いったいどういうことです」
「ええと、話せば長くなりますので、その話は明日にでもいかがでしょうか、ヒミカさん」と続ける。
「絶対ですよっ。明日、絶対に説明してもらいますからね」
ううむ。これは怒っているのだろうか。
「聞いてますか」と、ヒミカさんは僕の目の前へ、ずいっと詰め寄る。
うん、これはお怒りのようだ。でも嘘は言ってませんよ。
執事だが平民で間違いはない、たぶん。
「アルク様とお嬢様は、お知り合いでございましたか」
「いえ、今日、神殿でお会いしたくらいですよ」
ヒトニスさんに笑いながら答える。
「アルクさん。明日、絶対ですよっ」
「わ、わかりましたから、ヒミカさん」
こちらに詰め寄って僕の服を掴み、前後に激しく揺らしているヒミカさんに約束をする。頭がガクガクして気持ち悪いんですけど。
「ふぉふぉふぉ。お嬢様が楽しそうで何よりですな。ですが旦那様の前ではお控えくださいまし」
あっ、と声を発し、ヒミカさんは手を離す。
狼狽気味のヒミカさんに侯爵家の使用人として話しかける。
「ヒミカ様、伯爵――」
「さんっ」
ギロリっと睨まれた。
「……ヒミカさん、伯爵様のご容体を確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「お手紙、拝見しました。アルク様はお医者様でしたの?」
「いえ。侯爵家が嫡女、ティリア様の専属執事(見習い)です」
「まあ。ご令嬢の専属執事だったのですか。どうりで女性との会話がお上手だと思いましたわ。ですがそんなアルク様がどうして」
「変わった出来事にそこそこ詳しいものですから」
「変わった出来事ですか」
なんとなくチクリと気になる物言いがあったような気がしたがスルーしておく。
変わった出来事と言っても、前世の記憶についてとか、神様に会っちゃったとか、前世の知識や技能とかですけどね。到底、口に出しては言えないようなことばかりです。
伯爵様が寝ておられるベッドの横に立つ。そのお姿は、白髪が目立つものの白く立派なひげをたくわえた初老の紳士だ。初老とは思えないほど、たくましい首や肩が見て取れる。しかしどことなく肌の色が悪い。
脈を確認するため、ヒミカさんに伯爵様の腕に触れていいか確認する。彼女の了解を得てから掛け布団をめくり、そこで見た光景に僕の手が止まった。
ベッドに横たわる老紳士の腕の状態に思わず絶句する。
なんと伯爵様の腕は、樹皮のような模様が浮き出ており、その表面は硬くなっている。それはまるで木の枝のようだった。よくよく調べてみると、両手足全てが同じような状況だとわかった。
あまりのことにヒミカさんを見ると、悲しそうな顔をして説明してくれる。
「ここ最近は食事もできず、大気中の魔力の吸収もままならない状況です。魔力が枯渇気味になっており、体の維持ができず、種族としての特性が出てきているのです」
「種族の特性ですか」
ゴツゴツする伯爵様の腕を取って脈を測る。脈はかなり弱々しい。
そのまま木の樹皮のようになっている肌を見ていて、あることに気がついた。樹皮のような肌のところどころに、白い綿のようなものが付着している。それは腕だけでなく足にも見て取れる。指の付け根の一部には、蜘蛛の巣が張ったように、びっしりと付着している箇所もあった。これはいったいなんだろうか。
指で触れると簡単に取れる。
その白い綿と蜘蛛の巣のようなものを採取して小瓶に入れる。
「奥様も同じような症状が出ていらっしゃるのですか」
「ええ。父さまよりは症状は軽いのですが」
「ヒミカさんや使用人の方に同じ症状が出ている人はいますか」
「いえ、おりません」とヒミカさんが答える。
症状が出ているのは、伯爵夫妻だけか。
これ以上は、伯爵様の前で話すべきではないだろう。
ほかにもヒミカさんに確認したいことがあったので、伯爵夫妻について話をお聞きしたい、と伝える。それならば、ということでヒトニスさんが、客室へと案内してくれた。
伯爵と奥様だけが体調を崩しているとなると、セイバスさんの言っていた毒の可能性も高まる。そうなると二人の種族が関係してくる可能性もある。
客間のソファーに座りながら、ヒミカさんとヒトニスさんに確認する。
「失礼ですが、伯爵様と奥様は同じ種族の方ですか。種族名は言わなくてかまいません」
僕の質問になんと答えたらよいか悩んでいるヒミカさんだった。少し考えてから口を開く。
「……父さまも母さまも同じ種族…」
「同じトネリコ族にございます」
途中で、家令のヒトニスさんが口を挟んだ。
ええっ? 種族の名、話して大丈夫か。
「ヒトニスさんっ。種族については秘密にすべきだとおっしゃられていたではありませんか」
「ええ。そのとおりでございます。しかし、お嬢様もアルク様にお話しようとされていたのではありませんかな」
「そ、それは」否定しきれずに言葉に詰まる。
「お嬢様が信頼されているアルク様になら問題ないでしょう。何かあっても旦那様と奥様の種族を漏らしたのは、この私でございます」
ヒミカさんが言う前に、ヒトニスさんが僕に話すことによって、ヒミカさんに責任がいかないようにしたのだろうな。
「伯爵様はミストファング侯爵様にとって、親と呼べる方だとうかがっております。そんな方々を裏切るような真似は誓っていたしません」
「ええ、ええ。わかっておりますとも。お嬢様の人を見る目も確かでございます。……王都の往来や神殿での話、聞き及んでおりますぞ」
「「えっ」」二人同時に声をあげる。
したり顔のヒトニスさんが僕たちを見る。どことなく口元がにやけているのは気のせいだろうか。
どうしてその話知ってるの。
隣のヒミカさんは、頬を染め、口をパクパクさせている。
「にゃにをいっていりゅのきゃ、わきゃりゃにゃいわ」
辛うじて出てきた言葉は、何を言っているのかわからない。
動揺しすぎです、ヒミカさん。
「やはりお相手はアルク様でしたか。いやぁ、メイドから聞きましてな。奥手のお嬢様が男性と二人きりで歩いていたと」
そう言って、ふぉっふぉっふぉっ、と笑う。
まさかの“メイドさんは見た”、二人目。
王都は広いと思っていたけど意外と狭かった。
「まあ、それは旦那様と奥様がお元気になられてからの話ということにして」
どんな話なんですか、『それ』というのは。
「アルク様。侯爵様のご訪問は明日でもかまいません。どうか侯爵様によろしくお伝えください」
「はい。承りました」
そういって席を立つ。
あとは侯爵様に報告して訪問する日を決めてもらおう。
「本日は、夜分にも関わらず急にお邪魔して申し訳ございませんでした。お見舞いの日は改めて連絡させていただきます」
「はい、お待ちしております」
「アルクさん、外までお見送りしますわ」
ヒトニスさんと挨拶を交わすと、ヒミカさんが申し出る。
「いえ、とんでもございません。伯爵様のご令嬢に私のような…」
「まあまあ、アルク様。本来であれば家令である私が、侯爵様のご使者をお見送りすべきところです。ですがこのヒトニス、最近、年のせいか腰が悪くなりましてな。侯爵様の御使者をお見送りできないなど伯爵家の恥。ああ、腰さえ悪くならなければ。おー、いたた。何かいい手はないものか。おお、そうだ。ここはお嬢様にお願いしましょう。そうしましょう」
会話に無理やり入り込んできた、と思ったら、ヒトニスさんは勢いよく腰を曲げ、手を添えて痛がっている『フリ』をする。
さっきまで姿勢正しく、腰もまっすぐでしたよね。
「さあさあ、アルク様。侯爵様にご報告を。お見送りはお嬢様にお任せしましたぞ」
「さ、アルクさん。行きましょう」
ヒミカさんはくすくすと笑いながら、部屋の外へと僕を連れ出した。屋敷の廊下を、ヒミカさんに腕を引かれながらついていく。ふと後ろに視線をやると、ヒトニスさんが先ほどの客間から半身を覗かせ、にこやかな笑顔でハンカチを横に振っている姿が見えた。
……元気そうだなぁ、ヒトニスさん。
玄関ホールを抜け、屋敷の外へ出るとようやく開放される。
「アルクさん。我が家の家令が失礼しました」
「いえいえ。とても楽しい方ですね」
「ヒトニスさんは、普段もっと物静かなんですよ。父さまと母さまが倒れてからは無理に明るく振る舞っているようにみえます」
「ヒミカさんに元気になってもらいたいからでしょうね」
「ええ。そうだと思います」
話しながら正門へと向かう途中、庭園が見える池までやってきた。暗いので正確にはわからないが、およそ直径三十メートルの規模はあるだろう。
「池があるなんてすごいですね」
「父さまが、母さまのためにと、数年前、王都の北東にある湖から水路を引き入れて作ったんですよ。魔王様の許可まで取って」
そう言ったヒミカさんは微笑んでいる。
王都の外の湖って、王都から三時間ほどの距離にある、森の付近にある湖のことだろうか。
(その水をここまで引っ張ってきた、と?)
池には、水があふれないよう排水口も用意されており、王都の下水に流れるようになっている。森林管理局って土木関連が仕事じゃないはずだ。
「こんなに大きな池、水を引くのも大変だったでしょうに」
「一人で頑張っていたのを思い出しますわ」
まさかの個人作業っ。伯爵様ですよね。七百歳超えてますよね。貴族ですよね。なんでそんなに行動派なんでしょう。
「春から秋にかけて色鮮やかなスイレンが池全体を彩っていたのですが、今年はどうなることやら」
「少し近づいてもいいですか」
「ええ。どうぞ」
近づいて池の中を覗く。光源が届かない池は、何かに引きずり込まれそうなほど仄暗く静かだ。しばらく池を覗いていると、池と池のふちの境に何か白いものがあるのが見える。
手に取ろうとそれに腕を伸ばした、そのときだった。
「お嬢様ぁ。危ないっ」
大きな声が聞こえたかと思うと背中に、どむっ、とした衝撃が走る。
「えっ」
背中の衝撃に体が宙に浮き、目の前に仄暗い池が、どんどん近づいてくる。慌てて手で顔をガードした瞬間、バチャーン、と水が跳ねる音が庭中に広がった。
「ア、アルクさぁぁんっ」
全身を池に沈める直前に聞こえたのは、僕を呼ぶヒミカさんの悲鳴めいた声だった。




