第二十九話 誰も知らない
「ヨヨさん。命の水について何かご存じですか?」
「うーん。これが困ったことにさっぱりわかんない」
両親の病気を治すために妖精族の命の水を探して欲しいと、ヒミカさんからお願いされた。しかし妖精のヨヨさんは命の水について知らないと言う。
「そ、そんな!」
ヒミカさんはベッドから立ち上がりヨヨさんに詰め寄ると頭を下げ必死に訴える。
「お願いです。どうか、どうか命の水をお分けください。大切な家族なのです。私ができることなら協力は惜しみません」
「ちょっと待って。まずは頭を上げてちょうだい。ね?」
その言葉に頭を上げる彼女の目には涙がたまり、今にも零れ落ちそうだ。
「よく聞いてヒミカちゃん。その命の水を妖精族が持っているのなら、なんとしてでも手に入れてあげる。でもね、本当に知らないのよ。ごめんなさい」
目に涙を貯めたままのヒミカさんは、ペタリと力なく床に座り込んでしまった。その拍子に、たまっていた涙があとからあとからこぼれ落ちる。気丈に振る舞おうと立ち上がろうとしているが、力が抜けてしまったようでうまく立ち上がれないでいる。
(無理もないか)
命の水を手に入れるため、頼みの綱として啓示と妖精にすがった。しかし、その妖精ですら知らないと言ったのだ。
立ち上がろうとするヒミカさんに手を貸そうと、そっと手を握る。
ピクリと体を震わせた彼女は、その赤い瞳からあふれる涙を隠そうともせず、視線を僕に合わせた。差し出した手をきゅっと握り返し、立ち上がった彼女は、そのまま僕に抱きつくと大きな声をあげて泣き出してしまった。
……きっと、一人で辛かったのだと思う。医者からは原因不明といわれ、白の賢者様の力を持ってしても伯爵夫妻の病気は治らなかった。これまで頑張ってきたヒミカさんを慰めるよう背中に手を回し、片方の手で艶やかな黒髪を優しく撫でる。
しばしの間、部屋には彼女の嗚咽する声だけが響く。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
徐々にではあるが、彼女の泣き声が小さくなっていく。だいぶ落ち着いてきたであろう彼女の頭を撫で続けながら、机の上の友人に問いかける。
「ヨヨさん。命の水ですが、女王様はご存じないのですか」
「ご存じないそうよ。さっき確認したわ」
いったいいつの間に。
不思議そうに見つめる僕の気持ちを察したのか、知りたかった答えが返ってくる。
「アルクんが慰めている間に魔道具で、ね」
「そんな魔道具あったんですか?」
「それよりも今は命の水ね」
「女王様でもご存じでないのなら、“小さな友”は妖精族ではない可能性がありますね」
妖精族を束ねる女王でも知らないとなると完全に手詰まりになってしまう。そうなると妖精族ではない可能性も疑わなくてはならない。
「私たちに似た種族が魔族にいるのかしら?」
「うーん。見たことありませんけどね」
セイバスさんやレイゴストさんに念のため確認はしておこう。もしかしたら何か心当たりがあるかもしれない。
「命……水……小さな友ねぇ」
小さな友と妖精の特徴が似ていたという。似ていた、というのは文献を読んだヒミカさんの推測にすぎない。だが聡明な彼女のこと、様々な可能性を考慮し導き出した答えのはずだ。
小さな友の件は、伯爵家の文献を一度見せてもらうとして、あとは命の水か。そういえば、命の水とはどんな水なのだろうか?
ん? そういえば。前も同じようなことがあったような……。
「……あっ」
「何か思いついた?」
「作られた言葉の可能性もあるかなと」
「ん? どういうこと?」
「例えば、碑文にあった“自分の世界”。実はこれ“妖精界”のことでしたよね。ほかにも、魔族は“リンゴ”のことを“赤い実”と呼んでましたしね」
「ああ。なるほど。可能性としては考えられるわね」
伯爵様の先祖がもらった命の水という名前は、妖精族がつけた名前でない、という可能性だ。
ヒミカさんのような聡明な女性でもリンゴの名前を知らなかった。それに食物に興味がなく名前すら気にしない魔族のことだ。命の水、という名は伯爵様の先祖が名付けた可能性がある。いや、むしろその可能性を疑うべきだろう。
「本当の名前ではなく、作られた名前の可能性も考慮すべきですね」
「そうなるとお手上げだわ」
「あ、あのぅ」
ふと自分の間近から声が聞こえた。誰の声だ?
「アルクん、いつまで抱き合ってるの?」
そう言われて顔を下に向けると、きれいな赤い瞳で僕を見上げているヒミカさんと目があった。視線を合わせたまま無言で数度のまばたきをした後、ようやくどういう状況だったのか把握した。
「「ひょわっ!?」」二人同時に声をあげる。
僕は慌てて両手を上にして一歩下がる。
そうだ。ずっと彼女を抱きしめながら頭を撫でてたんだ。
いつの間にか泣き止んでいたヒミカさんは、あたふたしながら腕を動かし、恥ずかしそうに顔を赤くしている。その瞳は僕を避け、視線がうろうろと定まらない。
「す、すいません。ヒミカさん」
まずは謝る。すぐ謝る。ちゃんと謝る。
視線は合わせていられない。
「い、いえ。こちらこそ、お見苦しいところをお見せしまして」
それだけの言葉を交わした後は、無言の時が部屋を支配する。気恥ずかしさから、彼女を直接見ることもできず、ふと机の上に目を向ける。
するとそこには、これ以上ないほど満面の笑みを浮かべ、手に持った『メモ葉紙』に何やら書き込んでいる妖精の姿が。僕の視線に気がつくと、さっと妖精族のポーチにしまい込んだ。
「何してるんですか? ヨヨさん」
「なんでもないわよ。それよりも今は命の水!」
絶対よくないことを書いていたに違いないが、今は追求しようがない。ヒミカさんとも気まずいままなのも困る。
「ヒミカしゃん」
「ひゃい」
「「………」」
お互いちゃんとした言葉が出てこない。
(ぷぷっ)
机の上から妖精の吹き出した声が聞こえたがあえて無視。
しかし次の言葉が続かず、いっときの沈黙が部屋を支配した。深呼吸をして心を落ち着けてから、改めて彼女に問う。
「ヒミカさん……伯爵様に伝わる文献を見せていただくことはできますか?」
「はい……それなら、写しを持っていますわ」
写しを取りに棚へと向かう彼女を見ながら、小さく安堵のため息をもらす。
どことなくぎこちない僕と彼女。その様子を見ていた机の上の妖精が、顔を背け、肩を震わせている。時折こちらを見ては、顔を背ける。そんな動作を繰り返す姿が、実にうらめしい。こちらに顔を向けたときの満面の笑みは、間違いなく面白いことを思いついた顔だが、僕にとっては面白くないことを思いついた顔でもあった。
「アルクさん、こちらが写しになります」
ヒミカさんが文献の写しを持ってきてくれた。
お礼を言ってから手に取り、その写しに軽く目を通す。一通り目にしてからこの写しをもらってもいいか確認する。
「ええ。どうぞお持ちください」
彼女の了承を得てから、ポケットに入れるフリをして『執事ボックス』へとしまう。
「ヒミカさん。命の水は僕たちが必ず探し出してみせます」
ですから元気を出してください、と付け加える。
ヒミカさんは手に入れることが困難であることを覚悟しているのか、少し元気のない声で、「お願いします」と頭を下げる。
「この写しを参考にいろいろ調べますので、今日はこれで失礼します」
「よろしくお願いいたします。今日は私も家に帰ります」
「おや、いつもはお帰りにならないのですか」
「はい。私は普段こちらで生活しております。ですが両親が倒れてからというもの、夕食後はたびたび家に戻っております」
「夕食後ですか?」
「はい。神官は修行も兼ねて自分の食事は自分で用意するんですよ」
パンはさすがに支給されますけどね、と微笑む。
「それは毎食ですか?」
「ええ。三歳の頃よりの習慣ですのでもう慣れましたけど」
「それは大変ですね」
貴族の令嬢がご自分で食事の用意とは。しかも三歳から。
アルティコ家一家の血筋なのだろうか。
(あ、そうだ)
先ほどと同じようにポケットに手を入れるふりをして、『執事ボックス』から、今日、厨房で作った“リンゴ風味のべっこう飴”を取り出す。
「これをどうぞ。飴、というものです」
「飴、ですか」
「口の中で舐めていると喉が潤います。夕食後にでもどうぞ」
「……お気持ちは嬉しいのですが、遠慮しておきますわ」
「ええ。美味しいのに。私も大好物なのよ」
「えっ? ヨヨさんが食べても大丈夫なのですか?」
「むしろ主食」
「そこまで言われるのでしたら、ありがたく頂戴いたします」
数個渡して、ひとつ言い忘れてたことを思い出した。
「ヒミカさん、実はお願いがあるのですが」
「はい? どのようなことでしょうか」
「ええ。実は……」
その後、神殿を後にして侯爵家に帰る道すがら、ヨヨさんに話しかける。
「それにしても命の水ってなんでしょうね」
「あら? 既に見当がついているのかと思ってたわ」
「そんなにすぐには思いつきませんよ」
「そうかしら。アルクんならすぐに見つけそうだけど」
正直いって命の水がどんなものなのか見当もつかない。
伯爵様のご先祖が名付けた可能性を考慮すれば、名前から推測するのは困難を極めるだろう。
伯爵様に心当たりがあるか聞こうにも話ができる状態ではなさそうだし、何より一介の執事が貴族である伯爵様に、ほいほい会いに行けるものではない。
「……あっ」
「あら、もう何か思いついたの」
「……ヨヨさん」
「な、なによ」
「……妖精族のエキス」
「なにそれ、こわい。ないって言ったわよねっ」
「隠してないでしょうね」
「隠すかっ!」
まあ、それは冗談だとしても命の水、か。
「僕は最初、砂糖のことだと思ったんですけどね」
「あら、奇遇ね。私もそう思ってたわ」
「砂糖を水に溶かすこともできますけど、ねぇ」
「私たち妖精は、砂糖を水に溶かして飲むことはないわよ」
「飴を作って欲しいってお願いされたときに言ってましたね」
お昼の食事会の後、砂糖が食べにくいから飴を作ってとヨヨさんに相談された。そんなに食べにくいのなら水に溶かして飲んだらどうか、と提案してみたのだ。それに返ってきた答えは、“今後、君が食べるものは、全て水に浸してかき混ぜて食べるといいわ”だった。うん、思い出しても気持ち悪い。
「ええ、そうよ。だとすると花蜜かしら?」
「その可能性もありますが水って感じではないですよ」
「そうなのよねぇ」
「まぁ、ここで考えても思いつきません。文献の写しに何かヒントがあるかもしれませんから、それを読んでからですかね」
「ヒミカちゃんのためにも見つかるといいわね」
「ええ。まったくです」
そんな会話をしながら僕とヨヨさんは、夕暮れ時の王都の道を侯爵へと帰るため足早に歩き続けた。




