第二十四話 それぞれの道
「私、白の賢者様の神官を努めております、ヒミカと申します」
そう言って自己紹介をした彼女は、こちらの返事を待たずに僕の右腕を両腕に抱え「こちらまでおいで願えますか」、と強引に引っ張る。あ、その右腕は…ちょっと、まずいんですが。
今朝、執事長に折られてからまだ完治していません。
彼女の力はそれほどでもない。
だが、折れて治療したばかりの腕は思ってたほど力が入らない。しかも両腕で固められている。痛む腕をかばうことに戸惑っているうちに、本殿の裏へと連れ込まれた。
「離していただけますか?」
腕を抱え込んでいた力が緩んだのを見計らい、腕を振りほどく。嫌な汗をかきながら痛みのあまり腕をさすっている僕の様子を見て彼女が問いかけてくる。
「どうかなさいましたか?」ときょとんとしながら首をかしげる。
「いえ。お気になさらず。今朝ちょっと右腕を折りまして」
まさか折った腕を掴んで引っ張り回しているとは思っていなかったのだろう。白い肌がますます白くなり、その顔は青ざめてしまった。
彼女も悪気があったわけじゃない。
安心させるため、僕は笑顔で優しく彼女を慰める。
「あ、大丈夫ですよ。大した怪我でもありませんし」
「な、な、何を言ってるんですかぁぁ」
静寂な神殿の敷地に彼女の叫声が響き渡った。
……どうしてこんなことに。
彼女の声を聞いて集まってきた信徒や神官たち。
その人たちにワタワタと説明しながらペコリペコリと頭を下げる彼女を見ながら小声でヨヨさんに相談する。
「こっそり逃げましょうか」
「うん、それもアリね」
じゃあ、さっそくここから離れよう。
これ以上時間をかけてもいられない。時間も時間だ。さっさとフトック食肉協会に行かなくては。そろそろ店も閉まる頃だろう。
一歩一歩、少しずつ少しずつ、じりじりとその場から離れる。
敷地内にたくさん植えられている木のおかげで、身を隠す場所には事欠かない。おかげで彼女とその周りの信徒らは、移動している僕らに気がついていないようだ。
ある程度距離を稼いだところで、ほかの参拝者に紛れながら出入り口に向かって歩き出す。ここで走ったりして悪目立ちしても元の木阿弥。ごく自然に一般参拝者のふりをして抜け出すのが一番だ。
なんとか扉を抜けた後は、早足で神殿から遠ざかる。
ここからは逃げの一手だ。
どれほど離れただろうか。ここまで来ればもう大丈夫だ。どうやら見つからずに逃げ出すことに成功した。息を整え、もうひとつの店、フトック食肉協会に行くとしよう。
歩きながらヨヨさんと次のお店のことについて話す。
「いやぁ、うまくいきましたね」
「そーねー」とうなずき合う。
「アルクん。次のお店では残りの食材の確認ね」
「ええ。フトック食肉協会は、ミルク、生肉、ハム、脂、骨を仕入れている業者です」
「またでっかい魔物の肉が出てくるのかしらね」
ため息まじりのつぶやきに、「ないとは言えませんが可能性は薄いかと」と返事を返す。
というのも、生肉の場合、腐敗することを考えれば長期間の保存はできない。熟成させるため一定期間は保存するだろうが、定期的に仕入れる必要がある。
だからこそ生肉の場合、ベヒモスのような巨大な生物とは思えない。巨大な生物だからこそ大量の肉がとれる。それらを腐らせないために干し肉や塩漬けにして保存するのだ。
そうヨヨさんに説明したのだが、「だといいわよねぇ」、とあまり賛同いただけなかった。よほど干し肉と干し魚に衝撃を受けたようだ。
「それにしてもさっきの子、なんだったのかしら」
「ヨヨさんを見ていたようですが」
「見ていたというより、私の存在を感じていたって言ったほうがいいかもしれないわね」
あ、やっぱりそう思いますか。
確かに見えているというより、存在を確かめるような素振りだった。
「正直、気配を察知されるとは思わなかったわ。しかも本殿に入ってすぐよ。あれは最初から何かを察知できるよう本殿に仕掛けがあるか、彼女自身が私を認識していたってことになる」
「そうなると感知系の魔術ですか」
「もしくは気配察知に優れた訓練をしてるか、その類の能力ね」
そういえば、ティリアお嬢様の専属侍女イーラさんは気配で個人の特定ができると言っていた。魔族は種族特有の能力をいくつか持っているのだが、神官の彼女もそういった能力を持っている魔族なのだろうか。
何か話があったようだが、こちらも忙しい身だ。
いつかまた会う日もあるだろう。
「そういえば彼女、なんて名前でしたっけ?」
「ヒミカでございます」
「そうそう、ヒミ…カ……さん」
この声はヨヨさんじゃない。誰だ? いや、聞くまでもなくわかっている。わかってはいるのだが振り向きたくないときって魔族にはあるのだ。
また会う日が数十分後だとは思ってもみなかった。
立ち止まったままじっとしているのも怪しいので、平静を装ってゆっくりと振り返る。そこには想像どおりの御方。神殿で会ったヒミカさんが、にっこりとした笑顔で立っていた。
ここから神殿まではそれなりに距離がある。この子はどうやって僕らを見つけたんだ?
「おや? 神官様。奇遇ですね」
「ええ。奇遇ですわね。お逃げになられたかと思ってました」
「僕は用事があったので帰っただけですよ」
そちらもお忙しそうでしたので、とも付け加える。
ヨヨさんは沈黙を続けている。
「お逃げになられましたよね?」
「いやだなぁ、今、用事があると言ったではありませんか」
「お逃げになられましたよ」
「ですから用事があ――」
「逃げたでしょ」
うん。あれだ。彼女の中では逃げたこと確定になってるね。
やれやれ、面倒くさい子に捕まったものだ。
「何か御用でしたか?」
「お逃げになられたことはお認めに?」
「急いでおりますので御用がなければ失礼いたします」
「ですから、なぜお逃げになられたかをお聞きしているのです」
「では、これで失礼を。僕からは聞きたいことはございません」
これ以上、お逃げ神官に付き合っていられない。
逃げたのは問題ではない、用があると言ったのはヒミカさんだ。そして、こちらとしては彼女に用などない。
彼女を無視して背を向けて歩き出す。
「お待ちください。貴方は右腕を怪我されていましたよね」
「大した怪我ではない、と申し上げたはずですが」
僕は振り返らないまま答え、その間、一切歩みは止めていない。
彼女の目的はわからないが、足止めしようとしているのだろう。
僕のそっけない態度にもめげず、彼女は僕の後を付いてくる。
「骨折ともなれば、すぐに完治するような怪我ではありません」
それに、と続ける彼女。
「私は貴方の怪我を治すことができると思います」
うん? どういうことだ。もう少し話を聞いてみるか?
少し悩んだが、足を止めて振り返り頭を軽く横に振って彼女に答える。
「いえ、結構です。平民の僕には何のお礼もできませんし」
「お金は必要ございせん」
むう。平民の恰好をしているので、お金の話を出せばうまく誤魔化せると思ったのになかなか折れてくれない。寄進したのもまずかったかな。
「では、平民の僕から何を代償にお求めで?」
「ですからっ! そういったものは不要ですわ」
少し機嫌を損ねた様子から親切心で言ってることは間違いないのだろう。だがタダより高いものはない。よほど信用できる相手でないと先払いほど怖いものはないのだ、この世の中は。
「神殿で行っている治療行為はタダではないでしょう。財のない平民の僕など放っておかれればよろしいのですよ、神官様」
「貴方のように、弁が立ち教養を持った方が平民と言い張ることも十分おかしいと思うのですが」
(貴女も十分、弁が立ちますよ)
さてどうやって諦めてもらうべきか。
「神官様にお褒めいただくとは恐れ多い。僕と同じくらいの年齢にも関わらず神官の地位に就いておられるほどです。よほど優秀な方なのでしょう。そんな神官様が僕のような平民を無理やり足止めするのは、いかがなものかと思いますが」
「あら? 同じくらいの年齢であるとおっしゃる方は、私以上に巧みに言葉をお使いになられますのね。自分で言うのもお恥ずかしい話ですが、私と普通に話し合いができる同年の方など神殿にもおりません。そんな方を野に放したままでは神官としましても、いかがなものかと考えますわ」
ううむ。これは一筋縄ではいきそうもないな。
「神官様はおいくつなのでしょうか」
「あら、口説くおつもりですか」
そういって嬉しそうに笑顔を浮かべるが、きれいな赤い目は笑っていない。女性はいくつであろうと恐ろしい。
「とんでもない。ただの興味本位ですよ」
「今年で十になります」
「まさに僕と同い年ですね。しかし年齢が同じでも、これまで歩んできた道と進むべき道は全く違います。今後も神官様の進まれる道と、僕が進む道は重なることはないでしょう。そう思われませんか?」
ヒミカさんはハッとした表情を浮かべた後、僕の目を見てから少し悲しそうな顔をして無言になる。先ほどから僕がヒミカさんの名前を読んでいないことに気がついたか、それとも今の話が気になったか。
(無礼な振る舞いと物言いをお許しください)
心の中で謝っておく。
これ以上、こちらが譲歩しないことを悟ったのだろう。彼女は、「そうですか。では仕方ありません」、と肩をすくめ、諦めの言葉を発する。
やれやれ。ようやく諦めてくれたか。あまりしつこいようだとこちらとしても強く出るか全力で逃げるか選ぶ必要があった。できれば余計な波風は立てたくない。引いてくれるのであれば問題はない。
そのはずだったのだが、彼女が続けた一言が僕を警戒させる。
「では、貴方が囚えている妖精のことでお話があります」




