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第百二十一話 龍の笑い声

「うう。寒い。あぁ、なんだか眠たくなって――」

「寝ちゃダメよ! アルクん!」


 僕のほほに妖精の小さな手のひらが何度も何度も叩きつけられる。

 その痛くもない衝撃を感じながら、僕は何度も深呼吸を繰り返す。心配してくれる彼女の気持ちを無駄にしないためにも冷たい空気を身体に入れて目を覚ます。


 昨夜の夕食会から一夜明け、僕たち二人は早朝からドラゴンフォール山脈にある龍族の国に向かっていた。歩いているのは道とも呼べない荒れた道だ。ゴツゴツした岩だらけで、歩きづらいことこの上ない。てっきり、辺り一面雪景色だと思っていた。そのため厚手のブーツまで用意したのに肩すかしもいいところだ。


 いや、実際には雪景色だ。

 道のわきには雪が積もっているし、周りには真っ白な雪景色が広がっている。

 ただ歩いているこの道だけに雪がないのだ。

 実に不自然だった。

 ほぼ間違いなく誰かの手が入っている。それが誰なのかは想像に難くない。ほぼ間違いなく龍族の手によるものだろう。

 いずれにせよ雪道だろうと岩だらけの道だろうと歩きづらいのは変わらない。


 ドラゴンフォール山脈まではリアルルさんの樹木間移動により、あっという間だった。実際、汗ばむ季節まっただなかの侯爵様の庭から極寒の地まで木をくぐるだけの時間しか経っていない。


 当然、出た先は極寒の地だとわかっていた。

 僕は防寒具を着込み、十分な寒さ対策をしてきたはずだった。


 ところがだ。

 とんでもなく寒い。寒さが痛い。痛寒いたさむい。

 道に雪がなくても寒さはなくならない。

 吐いた息は凍りつくように白く、髪をなでればパリパリと音を立てる。すでに鼻の感覚はなく、鼻をすすっても鼻水がでているかどうかもわからない。


 極寒の地だということでしっかり準備したつもりだった。

 しかし、毛皮の塊にしか見えない厚手の防寒装備ですらほとんど役に立っていなかった。防寒具が寒くて震えているくらいである。実際、震えているのは僕の身体だけど。


 いっそのこと『執事魂』で自らの身体を温めようかと考えた。

 手で熱する触ったものを熱することのできる『執事魂』ならきっと身体も温かくなるはずだ。そのかわり手と手を当てた部分は大やけどするだろう。寒さとやけど。どっちが我慢できるだろうか。寒さのせいで、どうにも判断がつかない。


 余談だが樹木間移動で出た場所には同じ木が何本も生えていた。その数は僕が思っていた以上だ。その場に生えている木はどれも雪のように白く美しかった。特徴的だったのはその形状だろう。高さは十メートルほどだが幹周りは太く、どの木も五メートルはあった。そのずんぐりとした形状は太い丸太が立っているようだ。枝は太い幹の上部から緩やかに地面へと向かって伸びていたのも面白い。恐らく雪が積もっても自然と落ちるようになっているのだろう。


 さて魔王国の北の壁と称されるドラゴンフォール山脈。

 雲を切り裂くようにつらなる山脈は東西に延々と続いており、先はかすんでいてよく見えない。その東端はこの大陸の東端に、西端はモフォグ大森林を超えた先にある人族の国スミール近くまで伸びていた。

 魔王国ほどではないが、ただよう魔力量も問題なさそうだ。これならエルフの国で倒れたように魔力が枯渇することはまずないだろう。


「すう。――はあぁ」


 凍るような冷たい息など吸いたくないが、呼吸しないわけにもいかない。広大な山脈を一望してから眠気覚ましに大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。身体に入った冷たい空気によって反射的に身体がブルッと震える。まるで呼吸するたびに体温が奪われていくようだ。

 魔族でも寒いものは寒いし、暑いものは暑い。まあ寒さ暑さを気にしない魔族もいるので一概にはいえないけど。


 気分転換に足を止め、『眼下』に広がる景色に目をやる。すると、そこには灰色混じりの白い雲が広がっていた。いわゆる雲海というやつだ。ただその雲海もすでにあちこちがほつれ、散り散りになろうとしていた。気温が上がり、風が吹き始めてきたせいだろう。

 続いて空を見上げる。広がる青空の中には水面が波打ったような雲が見えた。


 上も下も雲、雲、雲。

 僕たちのいる場所から見る空は波打つ雲が流れ、眼下では崩れかけた雲の海が広がっている。それは神秘的かつ荘厳で心から美しいと感じる光景だった。

 お嬢様にしっかりと寒さ対策をしてもらった上でぜひ見ていただきたい景色だ。お嬢様はこの景色に感動してくれるだろうか。それとも、「綿菓子がたくさんなのー」と喜ばれるだろうか。どちらにせよ、感動してくださればそれでいい。


「ふう。リアルルさんの話だとそろそろ龍族の住む街が見えてくるはずですけどね」


 中止する前の交流会。

 そこに来ていた龍族に聞いた話だと彼女は言っていた。恐らくその情報に間違いはないだろう。ほかの場所に街を移していれば別だけど。

 もう一度、大きく息を吸って周りを確認する。

 真っ白な雪、険しい山、雲、転がる岩。近くに街らしきものどころか人工物すらない。


 やや息苦しいのは空気が薄いからだろう。

 雲海の隙間から魔王国を見下ろして標高を目算してみようと試みる。まあ標高にして三千メートル以上といったところだろう。実は以前、これと同じような雲に挟まれた景色を見たことがあった。前世にあった霊峰と呼ばれる代表的な山の山頂から見た景色が同じような感じだったのだ。まあ目算した根拠とはいえないが。


 目を前に向ければ雪に反射した太陽の光が目に入る。

 いずれにせよ、寒いとはいえ雪が降っていなかったのは幸いだった。これで雪が降っていたら今以上の寒さだったに違いない。

 太陽の光だけが唯一の癒やしである。


 僕たちは癒やされる光を浴びながらまた歩き始めた。

 ところがその途端、癒やしすら吹き飛ばす風が吹き始めたのだ。風は道の周りに降り積もっていたサラサラの雪を再び空へと舞上げる。舞い上がった雪は歩いている僕たちに向かって、上から正面から幾度となく降り注いだ。雪が降っていなくても風が吹くたびにほとんど吹雪と変わらない状況が繰り返される。


「ほこりょでヒョヒョひゃん」

「……今、なんていったの?」


 風で舞い上がった雪のせいか、とうとう寒さのあまり口が回らなくなってきた。


 いまさらだが、今ここにいるのは僕とヨヨさんだけだ。

 ニーナさんは店の名前が決定したことで、『オイシー』開店前の準備と最終調整に忙しい。グレイたちコボルト族の面々も彼女の手伝いに大わらわだ。

 ディーナさんとリアルルさんはイルミンの受け入れ準備に大忙しだ。昨日、遊びに来たイルミンがいきなり、「おいしー」としゃべり出したことで魔王国への滞在は確実な効果があることが判明した。そのせいで数日後だった引っ越し作業を今日中に終わらせることになったのだ。応援として何人かの氏族代表も来ているという。


 そんなわけで龍族の国への訪問は僕とヨヨさんの二人だけとなる。二人でお出かけするのもひさしぶりだ。


 とりあえず僕はもう一度ヨヨさんに話しかける。


「ところでヨヨひゃん」うん。これなら通じたはずだ。

「なーにー?」


 吹きつける雪を避けるように、僕を盾にしているヨヨさんは実ににこやかな顔で返事をした。こういうとき身体が小さいと便利でうらやましい。


「出る前にも聞きまひたが(聞きましたが)ひょんな(そんな)薄着のままで平気にゃん(なん)ですか?」


 彼女は雪舞うこの場所にきても、いつも着ている緑白色の貫頭衣のままだった。見ているだけでこごえそうな格好だ。ちなみに本人曰く、同じ色なだけでちゃんと別の貫頭衣に着替えているそうだ。

 どなたかウソ発見器はお持ちではありませんか?


「大丈夫よ。ここに来る途中、ちゃんと薬飲んだから」

「薬?」

「そっ。今から行く龍族特製の防寒用飲み薬! その名も『寒くないもん』よ!」

「……なんですか。その怪しい薬は」

「正式な名前は長かったから覚えるのをあきらめたわ」

「するとヨヨさんのオリジナルネームですか」

「わかりやすくていいでしょ」

「では『暑くないもん』もあるんですか?」

「何それ。変な名前。暑さ対策には耐暑性顆粒(たいしょせいかりゅう)三号妖精用激甘に決まっているじゃない。ぷぷー」


 ヨヨさんはお腹を抱えて大笑いだ。


「ぐぬぬ。こ、この甘党妖精。どうしてくれようか」

「己の無知を棚に上げて私を責めるとは片腹痛い。主に笑いすぎで」

「へいへい。僕が悪うございました」

「ふっ。また勝ってしまった」

「十歳の子供に勝って喜ぶのって気持ちいいですよね」

「前世の記憶を持った転生者は子供のうちに入りませーん」

「ちぃ」


 こんな掛け合いも増えてきた。

 僕も甘党妖精と付き合う方法を学んでいるのだ。この程度で怒っていては執事失格である。それにヨヨさんとの付き合いも長い。侯爵様御一家や侯爵家に仕えている使用人以外では最も長い付き合いとなる。

 それは今まで侯爵様関係以外に知り合いがいなかったというわけではない。

 そう。知り合いがいなかったわけじゃ――ん? 知り合い?

 ヨヨさんより前に知り合った侯爵様の関係者以外の知り合い……。


 ――あれ?


「うわああぁ」


 突きつけられた現実という名の事実に膝をついて頭を抱える。

 岩のごつごつなど気にしてはいられない。


「な、なに!? どうしたの、アルクん」

「気がつかなくてもいい真実に気がついてしまった僕の気持ちがわかりますか!」

「え? うん。よくわかんないけど、どんまい?」

「くっ。ヨヨさんなんかに慰められるなんて」

「どういう意味よ!」


 僕は気を取り直して声をかける。


「そんなことより、そういう便利な薬があるならわけてくださいよ」

「ごめんねー。妖精用の小さいサイズしかないの」


 激甘というのが気になるがこの寒さよりはマシだろう。

 そう思ったのだがヨヨさんが取り出したのは彼女の指ほどしかない小さな容器。中には赤みがかった水薬が入っている。さすがに妖精用というだけあって飲む量も少ないようだ。あれだけでは魔族の僕に効くとは思えない。


「仕方ありませんね。まあ龍族が作る薬が優秀だということがわかりました」


 以前、ヨヨさんに取引している種族について聞いたことがあった。その中で彼女はドワーフと人族の名前を挙げたが、実際にはエルフとの取引もあった。契約上明かせないと言っていたが、龍族とも取引があるのかもしれない。異界商人というくらいだ。あちこちに商売相手がいても不思議ではない。


 その後、しばらく道なき道を歩いていくと、突然、ヨヨさんが大きな声をあげた。


「ねえ! アルクん。あれを見て!」


 ヨヨさんが指をさす方向に目を向ける。

 その先に見えたのは白い石で作られた立派な城壁と門だった。




 医学、薬学に優れた龍族が住まう国。

 国といっても大きな街はひとつだけ。それがこの『シャロン』だ。

 雪のように白い石材で作られた城壁が特徴らしい。城壁に囲まれた美しいこの街は龍族の中でも医学・薬学の道を目指す者が多く住んでいるという。街の中には王が住むという立派な宮殿もあった。


 僕たちは今、その龍族の王が住まう宮殿の前にいた。

 侯爵様から龍王宛の親書を預かっており、それを渡すためだ。もちろん龍王ともなれば簡単に会うことはできないだろう。

 宮殿前の詰め所にいる衛兵に用向きを伝え、謁見できる日の予定を聞く。ただすぐには会えないだろう。何日も待たされる可能性もある。その待っている間、味覚を取り戻す薬の材料や魔力回復薬について情報を集める予定だ。


 しばらくすると宮殿へ入っていった衛兵が戻ってきた。


「お待たせしました。龍王様がお会いになられるそうです」

「はい? 今なんと?」


 用向きを伝え、しばらく待つように言われた結果がこれである。

 失礼とは思ったが思わず聞き返してしまった。相手は龍王。侯爵様の使いとはいえ、他国の、しかも一領主の使いにすぎない執事見習いにあっさり会ってくれるとは思わなかった。だが聞き直しても答えは一緒。それどころか龍王がお待ちなので今すぐついてくるようにと笑顔を返されてしまった。

 ……龍王、ヒマなのだろうか。



「すっげぇヒマだったわー。いいときに来たわー」

「は、はあ。そうでしたか」

「あー、立て立て。そうかしこまらなくていい。気楽ーにな」


 挨拶も早々に口を開くやいなや龍王が口走ったのが、「ヒマ」の一言だった。その発言に戸惑いながら、僕はうなずくことしかできなかった。


 謁見の間に通された僕は片膝をつき、敬意を払う姿勢をとっていた。他国とはいえ龍族の王に対する最低限の礼である。執事たるもの当然、王族や貴族に対する礼儀やマナーは習っているのだ。

 完璧だった。背筋、視線の位置、ひじ、ひざの角度。非の打ち所のない姿勢だ。

 ……もうまったくの無意味になってしまったけれど。


 今、僕は一人で龍王様に謁見している。

 それというのもヨヨさんとは宮殿前で別れているからだ。

 別行動をとる理由を聞くと、どうしても会いたい人物がいるという。妖精界に引きこもっていた妖精が会いたいという人物に興味がいた。そこであとから一緒に行こうと提案してみたのだが、あっさり断られてしまった。

 魔王国に来てから僕の手伝いをしつつ、甘いものばかり食べている彼女だが、一応、魔王国の賓客ひんきゃくである。ほかの誰かが一緒ならともかく、一人でいるときに何かあったら大変だ。そう引き留めたのだが頑として引かない。

 結局、僕が折れることになった。何かあったら変に首をつっこまず、すぐ逃げるよう念を押しておく。

 恐らくは会いたい人物とは以前、話していた契約上明かせない取引相手の一人なのだろう。


 龍王に言われたとおり立ち上がる。

 そのままやや視線を落としながら、失礼にならないよう謁見の間を観察した。


 謁見の間には厚手の絨毯じゅうたんが敷かれている。足で踏んだ感触も柔らかくなかなかの高級品だ。

 目の前の一段高い場所には立派なイスが二脚、間をあけて置かれていた。玉座である。そのデザインはまったく同じものだ。普通、玉座といえばひとつ。王妃など王の配偶者が座る玉座が用意されている場合でもデザインが同じということはない。

 同じ玉座が二つあることに首をかしげながら、その片方に座る男を一瞥する。


 そこには片膝を立てたまま、背もたれにのけぞっている一人の中年男性が座っていた。このだらしなく座っているのが龍族の長、龍王リンガー・ローだ。


 この謁見の間には龍王のほか、文官らしき老齢の男性が龍王のそばに立っている。それに加え、衛兵が十人ほど。

 そして龍王の後方に控えているフルフェイスヘルムの全身鎧を来た人物が一人。恐らく王の護衛だろう。その証拠に腰には大きな両手持ちの剣をぶらさげている。謁見の間において龍王の後ろで待機していること。そして帯剣を許されていることから龍王の信頼も厚い専属の護衛であることは間違いなさそうだ。

 あいにく顔は見えないが鋭そうな目がちらりと見えた。こちらのちょっとした動きすら見逃すまいとしているような目だ。


 魔族とはいえ子供一人。十分な警備と連中は思っていることだろう。

 いやはや。なめられたものだ。

 別に何かするつもりはないからいいけど。

 え? 本当だよ?


 龍王の見た目は人族や高位魔族とさほど変わらず、四十代半ばといったところか。体格は細身でスラリとしている。蛇のような金色の瞳で僕を珍しそうに見ながら、後ろでひとまとめにした真っ白な髪を軽くなでている。先端がとがっている耳の後ろからは特徴的な細い角が二本ずつ伸びていた。

 王が着ている服は異国情緒にあふれていた。前世の僕としてはなじみ深い着物のような服の上に羽織はおりという出で立ちだ。細かい模様が品良く描かれており、見る者の目を引く。ただ見た目からして寒そうな格好である。


 だが、この謁見の間は肌寒くない程度には暖かかった。

 恐らく魔法によるものだろう。

 対する僕も執事服に着替えている。さすがに防寒具と旅服では失礼だと思ったからだ。執事服だけだと寒かっただろうが、暖かい部屋のおかげで正直助かっている。


 お決まりの挨拶を済ませ、侯爵様からの手紙を渡そうとする。するとローブ姿の文官らしき老人が代わりに受け取り、龍王に渡す。

 年老いた文官にしては妙にかなり体格のいいご老人だなと思ったそのとき、驚くべきことが起きた。


 スッパーン! パーン!


 謁見の間に響く、軽快な音。

 なんとその年老いた文官が突然、龍王の足と頭を手ではたいたのだ。それも手首のスナップを利かせたムチのような平手打ちである。

 龍王は慌てて足を下ろし、立ち上がった。


「じいさん。使者の前でなんてことするんだ!」

「やかましいわ! その使者の前でなんてだらしない格好しとるんじゃ。アホか」

「え? 龍王様に向かってア、アホ?」


 思わず口から漏れた不躾ぶしつけな言葉に慌てて口を押さえる。


「ほれ見ろ。使者殿も困惑しておるではないか」

「わしはおぬしのだらけた態度に困惑しておるわ!」


 謁見の間では小さな笑い声があちこちから漏れ始めていた。笑っているのはなんとこの場を守る衛兵たちだ。その態度は本来ならば不敬に当たるはず。だが、衛兵らはかまわず笑っている。龍王を含め、とがめる者は誰もいない。

 なごやかな雰囲気が謁見の間に広がる。衛兵らの様子を見ていると龍王と年老いた文官二人の掛け合いは日常的なものに違いない。恐らく龍王は普段から気さくでざっくばらんな性格なのだろう。


「お二人とも。使者様の前ですよ」


 声は龍王の後方に控えていた人物から聞こえてきた。

 その声を聞いた僕は軽く目を開く。高く澄んだ声からして護衛らしき人物はなんと女性のようだ。フルフェイスヘルムのせいで性別まではわからなかった。よく見れば着ている全身鎧も男性とは違った曲線が見て取れる。

 彼女は僕が二人の王に謁見している間、僕の一挙手一投足を見ていた。今もこちらを伺っているような気配がする。


 改めて護衛らしき人物に目をやった。

 その彼女に合わせて作られただろう女性用全身鎧(ぜんしんよろい)はところどころ装飾が施されており、非常に美しく立派な作りだった。だがよく見れば、そのよろいがただの飾りではない証拠があちこちに刻まれていることに気づく。

 よろいには魔物につけられたと思われるひっかき傷やかまれた跡がいくつもあった。その傷跡から考えて、彼女は実戦でも活躍している人物だと判断できる。


「お、おう。すまんな」

「これは申し訳ない」


 護衛の言葉を聞いた二人は言い争いをやめておとなしくなった。

 立ち上がった龍王は年老いた文官から手紙を受け取ると玉座へと座り直す。そして手紙を広げて読み始めるのだった。


 だが、さらに驚くべきことが起きてしまった。

 その原因は先ほどと同じく年老いた文官の行動である。

 なんと文官はあいているもうひとつの玉座へと座ったのだ。王の配下が玉座に座るなどありえない話だ。隣で手紙を読む龍王も玉座に座った文官を一瞥しただけで手紙を読む作業に戻る。


「え? え? え?」


 何がなんだかわからない。

 僕が混乱していると先ほどの護衛の女性が玉座に座る文官に声をかけた。


「竜王様。お(たわむ)れもほどほどにしていただかないと。使者殿がお困りです。いつまで続けるおつもりですか」

「えー。もう少し続けようとおもったのに。まじめだのぅ。それにおぬしは年寄りの楽しみを奪うのか。最近の若者は竜の扱いがひどいのじゃ」

「ん? 龍王様?」


 聞き間違いだろうか。今、龍王と聞こえたのだが。


「使者殿。龍王様ではなく竜王様ですね。エルダードラゴンといえばわかりやすいでしょうか」


 鎧を着た護衛の女性は申し訳なさそうに話す。

 その声は本当に申し訳なさそうで優しい声だった。


「へ? エルダードラゴン?」

「ヒマだったんじゃあ。余生短い年寄りのお茶目ということで許して欲しいんじゃあ」

「使者殿の前で龍王様を殴るとか悪趣味にも程があります」


 護衛はため息をつきながらエルダードラゴンと呼ばれた老齢の男に言った。周りの衛兵らも苦笑している。


 (エルダードラゴンって……。まさかブルガー伯爵とやりとりしていたのは、この人か。それが竜王? 龍王ではなくて?)


「なあ。バスケイのじいさんよ。余生短いって言葉、百年くらい前にも聞いたことあるぞ?」

「やかましいわ。リンガー」


 龍王は隣に座る老人を見ないまま、からかうような顔でつぶやいた。どうやら竜王と呼ばれた老人はバスケイという名前らしい。

 それを聞いたバスケイ竜王はリンガー龍王へと逆ギレ気味に言い返していた。


 竜王も王で、龍王も王で両者とも『リュウ』の王?


 (何がなんだかわからなくなってきたぞ)


「使者殿。言っておくけどよ。最初に使者殿を驚かそうと言い出したのはバスケイのじいさんだからな」

「ちょっとまて。おぬしもノリノリだったじゃろう」


 うん。ひとつだけわかったことがある。

 僕は二人にはめられたようだ。


 その後、二人の龍王、いや龍王と竜王から謝られた僕はうなずくことしかできなかった。謝られたといっても、「すまん、すまん」と笑いながらだったが。

 そんなことより頭の整理が追いつかない。まさか龍族の王が二人いて、それが龍王と竜王で、その二人が二人とも使者をからかって暇つぶしをするような性格だとは思いもしなかった。


 頭がどうにかなりそうだ。

 いっそのこと、「一人だったらイイノニナ」という思いが頭をよぎる。「どっちを残す?」、「ドッチ ガ イラナイ?」という声が聞こえたような気がした。

 今の声は幻聴だろうか。




「でな。龍の身体は蛇のようにヒョロヒョロで細長い。逆に竜の身体はがっしりとしておってかっこいいんじゃよ」

「はあ」


 リンガー龍王が侯爵様からの手紙を読んでいる間、いつも冷静で落ち着いている僕はバスケイさんの相手をすることになった。幻聴なんて聞こえない。今はそのバスケイさんに龍とドラゴンの違いについて教えてもらっている。バスケイさんに言わせると龍はヒョロヒョロで、ドラゴンはかっこいいそうだ。

 なんというか。驚きの偏向教育だった。どこぞの斜塔もびっくりのかたより具合である。


 バスケイさんの話をまとめると龍は東洋系、竜は西洋系の生物だと考えればよさそうだ。

 確かに龍であるリンガーさんは細身だし、エルダードラゴンのバスケイさんの身体はがっしりしている。かっこいいかどうかは別として。


 そのエルダードラゴンことバスケイさんは茶色のローブ姿のままだ。どうみても文官にしか見えないほど質素な格好である。

 見た目はリンガーさん同様、人族や高位魔族と変わらない。龍王と同じく金色の瞳をしており、髪の毛はくすんでいるものの金髪だった。その髪の間からは、湾曲した太い角が二本、天に向かって伸びている。見た目が人族換算で四十代くらいの龍王に比べ、バスケイさんの見た目はかなりのご老体だ。ただ自分でいうだけあって、その体格はがっしりとしており、ご老体とも文官とも思えない。むしろローブではなく鎧のほうが間違いなく似合うだろう。


「ほい。バスケイのじいさん。こっちはあんた宛ての手紙だ」


 龍王はエルダードラゴンのバスケイさんに侯爵様からの手紙を手渡した。どうやら侯爵様は龍王と竜王宛てに手紙を書いておられたようだ。

 手紙を読み始めたバスケイさんに代わって声をかけてきたのは龍王のリンガーさんだった。


「使者殿。王が二人いることに驚いただろう。主である侯爵殿も黙っておったようだな」

「ええ。驚きました」


 侯爵様は二人の王宛てに手紙を書いていた。ということは、お二人をご存じだったということだ。もちろんセイバスさんも知っておられるだろう。


「王が二人。使者殿は不思議に思うだろう。だが、これは龍と竜、いやドラゴンといったほうがわかりやすいか。龍とドラゴンの盟約によるものでな」


 教えてくれたのは龍とドラゴンの歴史である。

 これはいわゆる種族間戦争のひとつだった。

 リンガー龍王の話を簡単にまとめると、今より千数百年以上前、互いに敵対し、殺し合っていた龍とドラゴンは和解の道を選んだ。


 しかし、和解したあとが大変だったそうだ。

 なにせドラゴンは賢いといってもあくまで魔物だ。エルダードラゴンのように年を経た賢いドラゴンならともかく、若いドラゴンたちは知能が低く、本能も強かった。

 そのせいだろうか。龍族との戦いがなくなったドラゴンたちは同族で争うようになってしまった。その結果、龍との和睦わぼくからわずか数年で数が激減してしまったという。


 ある日のこと。 

 月日が経つたびに減っていく同胞をうれえたエルダードラゴンが龍王に種族の保護を求めたそうだ。

 ドラゴンが同族で争っている間、龍族は街を作り、民を増やし、繁栄していた。そんな繁栄を実現させた龍族にくだるのも、同胞らの未来のためなら仕方がないとエルダードラゴンは思っていた。ところがそんなエルダードラゴンに竜王の称号を与え、ともに国造りをしようといったのは当時の龍王だったという。それ以降、ふたつの種族は一人ずつ王を出し、二人の王で二つの種族をまとめるという盟約を結んだそうだ。


 だが龍と竜。それぞれ向き不向きがある。

 そこで龍王は龍とドラゴン両者の繁栄をめざした国造りに励み、エルダードラゴンは若いドラゴンをまとめる群れの長となって龍王の補佐を務めるのが習わしとなった。

 それから時が流れ、現在、若いドラゴンをまとめているのがバスケイさんだという。


「同族で争っていたドラゴンが、よくもまあそのエルダードラゴンを王として認めましたね。裏切り者扱いしそうですし」

「確かに。だが……こうやってだな」


 そういってリンガー龍王は右手を握りしめ、開いた左手をパシッと殴る。なるほど説得という名の物理だそうだ。自分より強い者に従う。これほど単純でわかりやすい説得はない。


 ふと目をやるとバスケイさんがこちらを見ていた。僕が視線を合わせると、バスケイさんは軽くうなずき、腕をめくり始める。そしてその腕を僕に見せつけると、「ふんぬっ」というかけ声とともに腕に力を込めた。その途端、彼の腕には老齢とは思えないほどの筋肉が脈打ち始める。その後、ニカッと笑ったバスケイさんは何事もなかったように手紙の続きを読み始めた。


 (お、おう。意味はわからないけど、とにかくすごい自信だ)


 何はともあれ、ドラゴンたちが実力で王を決めているということは、今のバスケイさんはドラゴンの中で一番強いということになる。ただの筋肉ドラゴンではないということだ。


「手を結んだ龍とドラゴンはこうして一つにまとまった。他国との外交と内政は龍族が、魔物の駆除と防衛は主にドラゴンが担っている。ようはこの国には頭でっかちと脳筋の王がいるということだ」


 自らを頭でっかちと呼び、ドラゴンを脳筋という。

 龍王のちょっとした軽口に衛兵たち数人から笑いの声が漏れた。龍王もその反応を楽しんでいるのか、にやりとした笑みを浮かべている。リンガー龍王によると衛兵らの多くがドラゴンだそうだ。


 しかし王の後ろに控えている護衛は別の感情を露わにしていた。ヘルム越しにしか見えないが、彼女の目は実に不機嫌そうだ。

 仕える王を笑うとはさすがに不届き千万、とでも言いたげだった。威圧的な目で笑っている衛兵らをにらんだまま、腰に下げた両手剣へと手を伸ばす。そして剣を固定している留め具に左手をそえると、わざとらしくガチャリと鳴らした。


 ザッ。


 一瞬だ。

 その音を聞いた衛兵らは何もなかったように姿勢を正していた。誰一人、彫像のようになってうごかない。その顔は職務を果たそうとする王の配下にふさわしい顔つきだ。また護衛も剣から手を離し、直立不動の姿勢をとっている。


 (ドラゴンは自分よりも強いものに従う……ねぇ)


 そんな衛兵らを見た龍王は、なぜか軽くため息をついていた。


「ひとつお聞きしたいのですが」

「なんだ?」

「皆さん、なぜわざわざ姿を変えていらっしゃるんです?」


 僕は二人の王だけでなく、衛兵らにも目を向けた。

 皆、人族や我々と変わらない姿をしているのだ。そしてそれぞれが造られた武器を持っている。本来の姿であるドラゴンの歯や爪は造られた武器よりも強力なはずだった。いうなればわざわざ弱い格好で過ごしているのだ。

 だが龍王は軽く首を振り、少し自嘲気味じちょうぎみに笑った。


「そりゃそうだろう。冬眠で寝たままならともかく、我々のばかでかい身体に合う街を作ろうと思ったら大変なことになるぞ。龍族が繁栄したのはこの人化のおかげだ」


 言われてみればそうだ。

 侯爵家に仕えるメイド、ラミさんも同じように人化している。

 ラミさんはブルガー男爵の令嬢でラミア族。ラミア族といえば艶めかしい曲線を描く蛇のような下半身が特徴だ。そんな彼女も仕事をするのに不便という理由で足を人化させている。彼女の場合は魔法を使っているそうだが、話を聞くと龍もドラゴンも同じようなものらしい。


「なるほど」

「それにな。龍の姿のままでは他種族の書いた本は文字が小さすぎて読めないし、薬を混ぜようにも手がでかすぎて混ぜる前に容器が壊れる。人化の利便性に気がついたおかげで我々龍族は薬ばっかり作るようになっちまった。いやぁ、混ぜるのがはかどる、はかどる」


 そういって龍王は両手で何かを混ぜるような仕草をした。

 龍王の冗談とも思えない冗談にまたもや衛兵から笑い声が漏れる。それに合わせ龍王も大きな声で笑っていた。王の後ろに立つ護衛の女性も今度ばかりは顔を若干背け、全身鎧をカチャカチャと揺らしていた。鎧の中ではなんとか笑うのを我慢しているようだ。

 何が面白いのかはわからない。

 だけど皆の笑い声に囲まれていては自然と笑顔にならざるをえない。


「それにしてもドラゴンの皆さんも人化できたんですね」

「若い連中には無理じゃ。まあ若くても優秀なドラゴンか成年を迎えたドラゴンなら人化できるようになるのう」


 ようやく手紙を読み終えたらしいバスケイさんが答えてくれた。


「なるほど」

「ところで使者殿。手紙によると、おぬしブルガー男爵が仕える侯爵殿の執事じゃったか」

「はい。左様でございます」

「ブルガー殿には同胞の子供たちが世話になっておる。彼に育てられたドラゴンは聞き分けもよく、頭のいい子が多くて助かるわい」

「そういっていただけると男爵も喜ぶかと」

「そんな男爵の知り合いと気づかず、悪ふざけに付き合ってもらって悪かったのう」


 バスケイさんは軽く頭を下げたが、王たるものが簡単に頭を下げないももらいたいものだ。向けられたこちらが気まずくなる。


「と、とんでもございません」


 ブルガー男爵は親のいない幼竜や事情のある幼竜の世話をドラゴンの長エルダードラゴンから任されていた。そのドラゴンの長がバスケイさんだと知ったのは、エルダードラゴンだと聞いた、つい先ほどである。侯爵家と関係があったことに気がついていなかったのはこちらも同じだった。

 しかもそのエルダードラゴンがまさか人化して龍族の国のもう一人の王をやっているとは想像もしていなかった。ドラゴンフォール山脈の山奥でごろごろしている年をとった大きいドラゴンだと思っていました、などとはさすがに言えない。


「それと、先日はドラゴンによる輸送便へのご理解とご了承をいただき、誠にありがとうございました」

「なんじゃ。もしかしてあの件にも使者殿が絡んでおったのか。ブルガー殿にしては珍しい提案だと驚いておったものじゃ」

「はい。僭越せんえつではございましたが……」

「まあ少しくらい我々の飛行能力を利用してもいいじゃろう。男爵も金は必要じゃしのぅ。それにしても幼竜たちの飛行訓練とはよくいったものじゃ」

「おお。あれな。よく考えたもんだ。短距離から長距離まで個々のドラゴンの能力に合わせて配送ルートを振り分けるってヤツな。訓練メニューとしてもよく考えられている。飛ぶ練習には最適だぞ」

「しかも荷物を運ばせるとか、まさに訓練だな。もともと飛ぶのが得意な同胞のことじゃ。限界まで乗せて鍛えてやって欲しいものじゃな」


 そういってリンガーさんとバスケイさんは声を出して笑った。


 以前、ドラゴンを使った輸送をエルダードラゴンに打診してもらうようブルガー男爵にお願いした。もちろんドラゴンを『妖精の祝祭』の輸送に使うためだ。ブルガー男爵に輸送料を払うことで、ウコッケの管理やドラゴンを育てる足しにしてもらうつもりだった。

 その結果、色よい返事がもらえたと先日、男爵から返事があった。

 ドラゴンを利用することになるため、一応、幼竜の飛行訓練と名目をつけておいたのだが、交渉相手だったバスケイさんはすっかりお見通しだったようだ。

 もともと断られることを考えて、直接訪問するつもりだったが、ブルガー男爵がうまくまとめてくれたのだ。そのため僕の出番はなくエルダードラゴンであるバスケイさんのことを今日まで知らないままだった。

 まあ今日一日で十分知ることができたし、これ以上はお腹いっぱいである。


「おー、そうじゃ。使者殿、名前は?」

「申し遅れました。アルクと申します」

「アルク殿か。もし若いドラゴンが襲ってきたら痛い目に合わせてもかまわんからな。向こうが殺すつもりできたら、返り討ちにしてもかまわん」

「はい? い、いいんですか?」

「かまわん、かまわん」


 バスケイさんは手を振りながら高らかに笑った。

 その笑いにつられて衛兵らは含み笑いしている。先ほどから感じていることだが龍とドラゴンはよく笑う。

 種族的に笑い上戸なのだろうか。


「若いドラゴンは本能が強い。そういう連中にいうことを聞かせるには殴ってやるのが一番なんじゃよ。それに相手の実力も測れない愚か者はどのみち長生きできん。いくらドラゴンの数が少ないとはいえ、愚か者の血はいらぬ」


 やはり魔物の血が強いのか、あっさりした表情でバスケイさんは言った。

 正直、この手の御仁とは戦いたくない。確実に己の命と引き替えにしてでも勝利を望むタイプである。まさに脳筋種族の長だ。愚か者の血はいらぬと言い切るだけのことはある。


 第一、ドラゴンと戦うのは得策ではない。

 それが若いドラゴンであっても例外ではないのだ。

 なにせ魔物最強と名高いドラゴンである。その辺に湧いて出てくるトカゲの魔物とは違うのだ。炎の息吹(ファイアブレス)氷の息吹(アイスブレス)などを吐き、魔法すら使うものもいる。

 それこそ侯爵家庭師ウルナさんのようにはいかないだろう。彼女は庭園の肥料としてドラゴンを狩りたがる。


「は、はあ」


 とりあえずあいまいに返事をしておいた。


「ところで使者殿。手紙には何か聞きたいことがあると書かれていたが」

「遠慮せず聞くがいい。答えられることは答えよう」


 わざわざ二人の王が聞いてくださるようだ。

 いろいろ驚くことが多すぎて本来の目的を忘れるところだった。

 二人の配慮に感謝しつつ、僕は質問をぶつけた。


 質問は以下の三点である。


 ・魔族が味覚を取り戻す薬を作るのに必要な材料の名前。

 ・その薬を幽霊族に飲ませる方法。

 ・魔力回復液があるかないか。


 質問し終わると、二人の王は黙ったまま顔を見合わせた。

 二人ともどう答えようかと考えているようだ。

 するとバスケイさんが口を開く。


「すまんが衛兵らは席を外してくれるかの」


 真剣な顔つきになったバスケイさんは、謁見の間にいた衛兵らに出て行くよういった。衛兵らはバスケイさんの言葉に敬礼で応える。


「メリジーナは悪いがもう少し付き合ってもらうからのぅ」

「二人の王を守るのは私の役目にございますゆえ、お気遣いなく」


 護衛の女性はメリジーナというらしい。

 彼女はさも当然といった口調で淡々と答えている。


「まあそうなんだがよ。もう少し気楽ーな気持ちでいいぞ」と龍王。

「そうじゃ、そうじゃ。まだ若いんじゃから肩の力をぬくとええ。その若さで人化できるんじゃから将来は安泰じゃぞ」

「そうだぜ? それに薬学も龍族の歴史にも精通しているらしいじゃないか」

「おお。それはすごいのぅ。ますます将来が楽しみじゃのぅ」

「過分な評価恐れ入ります。ですがどうぞおかまいなく」

「「……う、うむ」」


 二人の王はそんな彼女の態度に苦笑交じりのため息をつくのだった。

 どうやら護衛である彼女はかなりの堅物のようだ。

 いや。今回の場合、彼女がまじめというか、普通の態度だというべきだろう。二人の王がテキトー、フランク、おふざけがすぎるだけだ。


 それに……なんだろう。

 なんというか、メリジーナさんに対する二人の王からの期待が重い。正直暑苦しいほどだ。まるでお嬢様と話すセイバスさんそっくりである。いや、もちろんお嬢様と話すセイバスさんが暑苦しいという話ではない。断じてない。


 衛兵らが退出したことを確認すると、バスケイさんが僕の名を呼んだ。


「アルク殿や。すまんがひとつ聞いておきたい……アルク殿が欲している魔族が味覚を取り戻す薬に関係することじゃ」

「なんでしょうか?」

「まさか、おぬしも味がわかるのか?」


 (ん? なぜそんなことを聞くんだ?)


 バスケイさんの問いに首をひねる。

 なぜ僕が味を理解していると思ったのだろうか。単純に考えるなら、味覚がないからこそ、味覚を取り戻す薬が欲しいと思うはずだ。


 それに……おぬし『も』?

 確かに僕以外に味覚を理解できる魔族はいる。お嬢様とヒミカさんだ。だが、バスケイさんが二人を知っているとは思えない。侯爵様からの手紙にお嬢様のことが書かれていたのかもしれないが、侯爵様がわざわざ他国の王に知らせるとも思えない。


 だがいくら考えてもバスケイさんの真意がわからない。

 悩んでいても仕方がない。ここは正直にいうべきだろう。


「ええ。おっしゃるとおり僕は味がわかりますよ」

「やはり……」

「なんと!」

「なんですって!」


 僕が答えると龍王とメリジーナさんからも驚きの声があがった。

 三人とも僕を食い入るように見ている。それは珍しいものを見る目であると同時に、信じられないといった表情だった。確かに味のわかる魔族なんて、魔族=味覚オンチと知っている者からすれば信じられないだろう。


 (あ、あれ? もしかして味のわかる魔族が何かの薬の材料になるとかじゃないよね?)


 嫌なことを考えてしまった。

 それと同時に昔、ニーナさんが言ったことを思い出す。



 ”味覚があることをほかの魔族が知ったら、味覚とは何か調べるために体中を切り刻まれて、青い血がドバーッよ。実験動物ならぬ実験魔族の誕生だわ。もしかしたら一生、飼育ゲージのなかで飼われることになるかも”



 なぜだろう。目の前にいるのは魔族ではないが、だんだん胡散臭く見えてきた。よく見ると彼らの目が異常なほど輝いているような気がする。

 なんだろう。マッドな(危険な)お医者様の香りを感じずにはいられない。医学の進歩には犠牲がつきものだと口癖のように連呼しそうだ。


 じりじりと後退しながら三人を警戒していると、龍王がハッとした顔になり、何かをごまかすように苦笑いした。


「いや。すまんアルク殿。いやあ、驚いた。それほど味のわかる魔族というのは珍しいのだ」

「それはわかりますけど……」


 とりあえず警戒は解かないでおこう。

 まだ何か隠しているような感じがする。

 油断したところを眠り薬入りの注射でプスーってことになりかねない。


「まあ隠しても仕方がないじゃろ。アルク殿で二人目なんじゃよ。龍族の歴史の中で味覚を取り戻す薬のことを聞いてきた魔族は。ずいぶん昔の話じゃが、一人目は魔族なのに味がわかるといっておった。だからもしやと思ってのぅ」


 僕が二人目?

 あー、そういうことか。

 バスケイさんが僕に味がわかるのかと聞いたのは、ずっと昔に今回と同じようなことがあったからだ。以前、味覚を取り戻す薬のことを聞いてきた魔族は味を理解していた。だからこそ僕に、『おぬしも』と聞いてきたのだ。


 (昔、龍族に味覚を取り戻す薬のことを聞いてきて、味を理解していた魔族っていったら、アカリさんくらいだよなぁ)


「その魔族の名前とかわかります?」

「王家だけに伝わっている歴史書に、その魔族の名はアカリと記されています。今から千数百年ほど前の出来事だと記録がありました」

「うむ。懐かしい名じゃのう」


 (ですよねー)


 思ったとおりの名前だった。

 やはりアカリさんは味覚を取り戻す薬を手に入れるため、龍族の国に来ていたのだ。

 それにバスケイさんの話しぶりからすると、彼は当時、アカリさんと実際に会っているのだろう。ということは、バスケイさんは千数百歳ということになる。


「そのアカリという魔族は我々、龍族との関連も深くてな。この話は龍族の王たちにしか伝えられていない真実の歴史ってヤツだ」


 なるほど。

 味覚を取り戻す薬の話をするとき衛兵さんらを退出させたのは、この話をする可能性があったからか。そういった裏の歴史というのはどこの国にもあると聞く。

 それにしてもメリジーナさんはずいぶんと優秀だ。さすがは二人の王がベタ褒めするだけのことはある。

 龍族の歴史にも精通していると龍王に褒められて……いたし――。


「あの? 王たちにしか伝えられていない歴史をなぜメリジーナさんが知っているんですか?」

「「「あっ……」」」


 全員と目を合わせる程度の時間が静かに流れていく。

 誰もが無言で僕と視線を合わせていった。


「あっ! じゃありません。あれでしょう! メリジーナさんは王族か何かで、お二人のうち、どちらかのお子さんとかお孫さんとかいうんでしょ! まさかメリジーナさんが龍王でしたー、ぷぷーってことはないでしょうね!」


 僕の指摘に三人はどうしたものかと顔をつきあわせながら、小声で話をしている。残念ながらその相談の内容は聞こえない。


「やれやれ。仕方ない。同じ一族だというのは正解だ……ところで、ぷぷーってなんだ?」

「も、申し訳ございません。私が余計な口を挟んだばかりに他国の者に龍族の秘密が……」


 あっさり認めた龍王に対し、メリジーナさんは鎧をガチャガチャさせながらあわてていた。その狼狽ろうばいっぷりはすさまじい。まるで出来損ないの音楽のように鎧の各部位が不協和音を奏でている。


「なあ、アルク殿。これはまだほかの者にも話してはおらんことじゃ。どうか内密にしてくれんの?」


 バスケイさんはその場で立ち上がると、頭を下げてお願いしてきた。その顔は王ではなく彼女の身内としての優しい顔だ。先ほど、お嬢様と話すセイバスさんのような雰囲気を二人の王に感じた理由がなんとなくわかった気がした。


 だがそれはそれ。これはこれである。


 くっくっく。あーっはっはっは。

 これは、これはいいことを聞いた。

 メリジーナさんのことは重大な秘密のようだ。

 思いがけず龍族の弱みを手に入れることができたようだ。

 メリジーナさんの出自をなぜ秘密にしているのかわからないが、これを盾にすれば思うがまま二人の王を利用できるかもしれない。


「見てください! 伯父様おじさま! おじいさま! 使者殿のあの悪い顔を! 絶対に何かを企んでいる顔です。 しかも相手は魔族。実力至上主義の種族です。どんな卑怯な手を使ってくるかわかりませんよ! か、かくなる上は、私が!」

「ま、待つのじゃ!」


 バスケイさんが止めるのもかまわず、いうが早いかメリジーナさんは腰に下げていた両手剣をすばやく構えた。そして次の瞬間には僕に向かって一直線に駆け出していた。その早い反応は魔族でもなかなかお目にかかれないだろう。


 彼女は証拠隠滅(お口ないない)する気満々である。

 メリジーナさんが大きく振りかぶる両手剣は美しい弧を描き、僕の頭へと振り下ろされ――途中で何かが割れる音とともにピタリと止まる。


「えっ!」

「うわ~。あっぶなぁ。――しかし……結界壊すほどの威力ってどれだけなんだろう」


 彼女がこちらに向かっている途中、僕の正面に展開させた『執事コンテナ』は両手剣を飲み込んだまま、途中まで粉々になっていた。そして役目を終えたことを確認したかのように、こぼれるように消滅していく。


 開放された両手剣は呆然とするメリジーナさんの気持ちを代弁するかのように絨毯じゅうたんの敷かれた床へと力なくその刃をおろした。


「誰にもいいませんよ? お嬢様に誓ってもいいです」

「え? えーー! すごく悪い顔をしていたのに」

「そんなに驚かなくても。おちゃめな魔族ジョークじゃないですか」

「はいー?」

「はあ。だから待てと」


 僕の冗談だとわかっていらしたのだろう。

 バスケイさんはため息交じりにつぶやいていた。


「アルク殿。その子はちょいとまじめなんだ。まじめをまじめで包んで、まじめさで煮込んだくらいまじめなんだよ。もう少し力を抜けというんだが、なかなか……な」

「おっしゃりたいことはわかります。メリジーナさん、ごめんなさい」

「え? え? あっはい。私こそ? ごめんなさい?」


 メリジーナさんは首をかしげながら謝罪の言葉を口にする。

 それにしても大した剣技だった。種族特有の力かもしれないが僕の魔法を突き破るくらいなのだ。セイバスさんもおっしゃっていたが、あまり魔力や魔法に頼りすぎるのもよくないようだ。

 メリジーナさんはそのまま王たちの後ろに戻っていった。やや首が傾いているのはまだ悩んでいるからだろう。本当にまじめな性格のようだ。実にからかいがいがある。


 それにしても彼女は龍なのだろうか、ドラゴンなのだろうか。戦闘能力が高そうだからドラゴンともいえるし、薬学、歴史に詳しいとなると龍なのかもしれない。いずれにせよ、これ以上詮索しないほうがいいだろう。黙っていると誓った秘密にはあまり近づかないほうが賢明だ。


「それにしても結界魔法とはたいしたものだ。アカリ殿も使っておったのぅ」

「いえ。僕の魔法は執事魔法ですよ」

「……それは魔族ジョークか何かかの?」

「いたってまじめな魔法学の話ですけど」

「ま、まあいいじゃろ。それにしても本当にアカリ殿とよく似ておる」

「彼女のこと。よくご存じなんですね」

「そうだのう」


 バスケイさんはなつかしそうに顔をほころばせた。


「そのアカリさんですが、龍族との関連が深いと――」

「まあ待て」


 アカリさんと龍族の関係を聞こうとしたとき、龍王がそれを途中で遮った。


「その昔話は長くなるからあとでしてやろう」

「わかりました」


 その言葉に僕は恭しく礼をする。


 龍王に言われては仕方がない。

 アカリさんのことについていろいろ聞きたかったが、少し待つとしよう。彼女に会ったことがあるだろうバスケイさんなら、アカリさんの故郷を知っているかもしれないのだ。


「まずは先ほどの質問に答えておきたい」

「そうじゃな。今はアルク殿から聞かれた質問のほうが先じゃな」

「まず結論から言おう」


 龍王が真剣な表情で僕を見る。


「アルク殿から尋ねられた質問だが――」


 バスケイさんも真剣な顔で僕を見ている。


 僕は呼吸することも忘れ、王からの答えを待った。

 四人しかいない謁見の間に静寂が広がる。どことなく緊張感ただよう空間に二人の王の声が響いた。


「残念だが、今となってはすべて不可能なんだ」

「せっかく来てくれたのにすまんのぅ」



 ――――え?


 二人の王から告げられた答えに僕の頭は真っ白になった。

 味覚を取り戻す薬が作れない?

 レイゴストさんに薬を飲んでもらうこともできない?

 魔力回復薬も作れない?


 不可能。

 その言葉を聞いた僕は最初、何を言われたのかわからなかった。

 何かを発するわけでもなく、ただただ『不可能』という言葉の意味を考えていた。

 そんな僕を見かねてか二人の王が話しかけてくる。


「ちょ、ちょっと待ってください!」

「まあ待て。まずは話を聞いて欲しい。――味覚を取り戻す薬は確かにあった」

「――あった?」

「そうだ。あった。過去の話だ。今はもう作れない」

「作れない?」

「作り方はわかっているが作るのは不可能なんだ」

「ど、どうしてですか! 作り方がわかっているなら――」

「薬に必要な材料がもうこの世界に存在していないんじゃよ」


 昔はあった。

 作り方はわかっているが必要な材料がない。

 しかもその材料はすでにこの世界に存在していないという。

 もともと薬自体がなかったのではなく、材料が手に入らないから二度と手に入らない。もう二度と……。


「ちょっとまってください! 僕より前に味覚を取り戻す薬のことを聞いたアカリさんはどうしたんですか? 材料がなければ作れないですよね」


 僕の問いに答えてくれたのはバスケイさんだ。


「アカリ殿からは材料がそろったら薬を作ってくれと頼まれた。だが結局、薬は作っていないのじゃよ」

「作っていない?」

「ああ。そうだ。最後の材料を集めてくるといったきりだったそうだ。その後、人族の国で死んだと伝えられている」

「あの元気いっぱいだったアカリ殿が死んだと聞いたのはロシュロス魔王が人族の国に攻め込んだあとじゃった」


 バスケイさんは遠い目をして寂しげにいった。


「その材料じゃが、当時はこの世界に存在していたのじゃ。それは間違いない。まあ限られた者しか手に入れられなかったそうじゃ。だが千年ほど前のこと。突然、一切手に入らなくなった。まるで消えてしまったかのようにのう」

「そ、そんな……」


 昔はあったのに、今はもうない。

 最初から薬が存在していなければあきらめもついただろう。

 だがそうではないのだ。


 約千年前。

 それまでは薬は存在していたし、作ることもできた。

 だが今はもう作れないし、手に入らない。

 たったひとつの材料がないだけで。

 そう。たったひとつないだけなのだ。


 あまりの結末に僕はその場で立ち尽くしていた。

 だが呆然ぼうぜんとしていたわけではない。

 同時に僕は頭の中でいろいろと考えを巡らせているのだった。



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