第百十九話 食は偉大なり
昨晩、魔力不足で倒れた僕。
目を覚ますといつの間にか一晩過ぎていた。時間はすでにお昼近く。お見舞いがてら僕の部屋に集まってくれたのはディーナさん、ニーナさん、ヨヨさん、そして魔力不足の原因となったサキの四人。
ディーナさんから王樹の精霊イルミンの魔力を補う方法について聞かれた僕は龍族なら魔力を回復できる薬を作っているかもしれないと考えた。魔力回復薬がないとしても医学や薬学に詳しい龍族であれば魔力を補う方法を知っているかもしれない。その答えを求めるため、僕は龍族の国に行くとディーナさんに買って出たのだ。
「アルクくんに任せるさね。ところで今から巫女たちにアルクくんが龍族の国に行ってくれる件を話しておきたいさね。体調が万全ではないところをすまんが付き合ってもらえるさね?」
ディーナさんは申し訳なさそうにいった。
もちろん僕に異論はない。
魔力の補充は王樹の精霊イルミンだけでなく悪魔であるサキのためでもある。
二人は異なる事情で魔力を補充する必要があった。
イルミンの場合、成長の遅れを取り戻すためにより多くの魔力が必要だ。ただ長い時間をかけて必要な魔力を摂取し続ければ事足りるそうだ。だが、それまでリアルルさんに預けっぱなしというわけにもいかない。エルフたちにとっても信仰の対象である世界樹。しかも王樹という特別な世界樹の精霊をいつまでもエルフの森から離れた地に置いておけないのだろう。
サキの場合は深刻だ。契約者のいない悪魔であるサキは常に魔力を消費し続ける。魔力の塊である悪魔にとってそれは死活問題だ。僕の魔力を吸ったためか、今すぐどうなるわけではないが近いうちに必要となる。誰かの使い魔になれば、その契約者から魔力をもらうことができる。
ニーナさんが契約者になると名乗り出たが僕は却下した。揉めごとを起こした彼女を使い魔にするのはお嬢様の執事である僕の立場上認めるわけにはいかない。侯爵様がお認めになるのであればともかく彼女の処遇は保留中である。
悪魔が契約以外で魔力を補うのに最も手っ取り早い方法がある。
それは動物や誰かに取り憑くことなのだが……。
「取り憑きたくない?」
「できません! あんなお下品なこと」
お下品ときた。
目をそらした顔はなぜか真っ赤だ。
そして顔を背けたまま恥ずかしそうに僕をちらちらと見る。
詳しく話を聞いてみると、サキはサキュバスと種族名で呼ばれることに抵抗はあるものの、夢魔としての誇りはあるらしい。夢を見させてから魔力を吸うという誇りだ。魔族である僕にはよくわからない誇りだが彼女がそう言うのならそうなのだろう。まあ、夢を見せるまでもなく僕の指に食いついた時点でたいした誇りではない。
サキは動物に取り憑くくらいなら消滅寸前まで我慢すると断言した。取り憑くことの何が恥ずかしいのかは聞かなかったが、彼女にとってかなり恥ずかしい行為らしい。
たださすがに消滅はしたくないようだ。絶対にダメではないが最終手段ということだろう。
そしてひとつ驚いたことがある。
彼女は相手の記憶を消すことができるそうだ。
恥ずかしがる彼女との会話で知ったサキの能力だが、彼女は夢を見させるだけではなかった。
この能力は姿を見られた場合などに使うそうだ。サキのことや魔力を吸った形跡が残らないようにするためだという。ただし完全ではないらしい。なんでも夢と中途半端に残った記憶が夢うつつの状態をより深くさせ、サキの存在をあいまいにするという。
この彼女の能力に興味がわいた。
催眠術や暗示をかける執事魔法『執事おとぎ話』や他者を操る能力を持つフォメット族の僕がいうのもなんだが、精神系魔法というのは非常に高度な魔法で扱いが難しい。
セルヴァがインプだったころ、マインドコントロールという魔法を僕にかけてきたことがあったが、精神魔法は悪魔にとって得意分野なのだろう。
さすがは悪魔。実にいやらしい魔法を使いこなす。
なかなか面白い能力を持つサキだが先行きは不透明だ。
イーラさんの研修次第では侯爵様が使い魔としての契約を認めてくれる可能性はある。そうなれば魔力の問題はない。だが研修の結果、不合格だった場合は魔王国滞在をあきらめてもらうしかないだろう。できる限りのことはするつもりだが、最低でも魔王国から離れてもらうことになる。悪魔を使役し、悪魔の怖さをより深く知っている魔族だからこそ野良悪魔は放置されず、見つけ次第、必ず駆除されることになるからだ。
それはさておき。
僕が龍族の国に行くのには理由があった。決してイルミンやサキだけのためではないのだ。どうしても行かなければならない大事な用だ。その大事な用とは魔族が味覚を取り戻すための材料を知るためだ。各種族に伝わる秘薬を材料にして作られる魔族に味覚を取り戻す薬。その薬をひとつにまとめ、調合できる龍族なら必要となる材料に詳しいはず。
必要となる薬はあと残り三種類。
それぞれ獣族、海洋族、人族が持つという秘薬だ。
味覚を取り戻す薬に必要な材料のうち、妖精族からは『妖精の奇跡』、エルフ族からは『世界樹の朝露』をすでに手に入れた。入手できたのはたまたま種族に伝わる秘薬を知っていたヨヨさん、ニーナさんという仲間がいたおかげだ。しかし残念ながらほかの三種族に知り合いはいない。
またほかの種族が秘薬の存在を隠していることも想定している。そうなると必要となる秘薬の名前を知っておかなければ取引に持って行くことすらできないだろう。
その秘薬を知るためにも龍族の国に行かねばならない。
そしてもうひとつ。
ディーナさんには言っていないが、侯爵家料理長レイゴストさんの味覚を取り戻す方法を聞くためでもある。味覚を取り戻す秘薬も材料となる各種族の秘薬も幽霊族のレイゴストさんでは口にすることができない。そのため代わりの方法がないか聞くためでもあった。味覚を取り戻せる薬を作ることのできる龍族なら幽霊族にも効く方法を知っている可能性が高い。
「もちろんお付き合いしますとも。そうそう。お昼も近いことですし、報告のあとは食事にしましょう。僕、朝食を食べていませんし。それにクセニアさんにお菓子を作る約束もしていますからね」
「どうやら体調は万全みたいさね」
食欲を隠すことのない僕にディーナさんは半分呆れたようにいった。そんな彼女に胸を張って答える。
「執事たるものご飯を食べなくてどうするのですか」
「いや、それはさすがに執事とは関係ないと思うわよ、アルクん」
心底呆れたようにヨヨさんが大きく息を吐いた。
そしてニーナさんとサキも苦笑しながら僕を見るのだった。
「報告は僕とディーナさんだけでいいでしょう。とりあえずヨヨさんたちはここで待っていてください」
軽く返事をする三人を残し、僕とディーナさんは精霊の間へと向かった。
「なるほど。アルクさんが龍族の国に行ってくださると」
「わらわたちはその間にイルミンをリアルルのところで受け入れる準備をするさね」
「そうですね」
「ん!」
リアルルさんとイルミンがそろって返事をし、うなずき合った。
僕が龍族の国に行っている間、イルミンの引っ越し作業を行うようだ。まあ引っ越しといってもイルミンに必要なものはそれほど多くないだろう。そのイルミンはメリッサさんに抱っこされ、ごきげんである。
「今日の午後には魔王国に帰ろうと思います。急ぎではないようですが龍族の国に行くのは早いほうがいいでしょう」と僕。
「よろしいのですか?」
「もちろん。それに僕もかの国には用事がありますから」
「何から何まで……。本当にありがとうございます」
「んー」
申し訳ないと頭を下げるメリッサさんにイルミンもまたぺこりと頭を下げた。顔を上げたイルミンは、「んー!」と一言、「気をつけて」と僕を心配してくれる。僕はもちろんとイルミンに答えた。
「早くいきたいのなら龍族の国への道。私が開いてあげるわ」
そう得意気に言ったのはリアルルさんだ。
普段ならリアルルさん以外が使うには制限のあるドリアード特有の移動魔法。だが、ほかの者が使えるよう調整してある木が龍族の国にも残っているそうだ。彼女がいうにはそれを再接続すればエルフの国と同様、一瞬で移動できるという。これもまた昔、龍族が交流会に来ていたころの名残だという。
「それはありがたい。ぜひお願いできますか?」
「ええ。もちろんよ」
「こちらでも引き続きイルミンのために魔力を補う方法を考えておきます」とメリッサと氏族代表たちが決意を新たにする。
こうして龍族の国に行く手立ては整った。
しかもリアルルさんの移動魔法が使えるということもあって到着はあっという間だろう。
ただ龍族の国は魔王国の北にある『ドラゴンフォール山脈』にある。昔、セイバスさんに聞いた話によると、標高の高いこの地域は極寒の地だそうだ。防寒対策の準備をするためにも一度お嬢様の待つお屋敷に戻らねばなるまい。
決してお嬢様にお会いするためだけに戻るのではない。これは必要なことなのだ。お嬢様に会いたいとかお話したいからとかでは決してない。もちろん食事を用意したいとかお菓子を振る舞いたいからでもないのだ。
ただ頭の中で何かひっかかることがあった。
魔力を補う方法がほかにもあった気がするのだ。
それもごく身近な方法で。
しかし精霊であるイルミンや悪魔のサキの魔力を回復させる方法に思い当たる節はない。なんとか思い出そうとしたが、求める答えはまったく浮かんでこない。当然、前世の記憶にもそんな知識や技能は存在していなかった。そもそも前世には精霊も悪魔も存在していないのだ。少なくても僕は前世で見たことがない。
だが、そのひっかかりがとれる前に袖を引く小さな手が僕を知識の世界から現実へと引き戻した。
「んー♪」
「……お菓子」
僕の袖を引っ張ったのはイルミンだった。いつの間にかメリッサさんの抱っこから飛び出してきたようだ。
話が終わったと思ったのか、ヘキサバオム代表クセニアさんとイルミンからお菓子を要求されている。イルミン本人のために話し合いをしているというのに、自らお菓子食べたいアピールとはなんとも食いしん坊な精霊である。
そんな二人の様子を見たメリッサさんは苦笑しながら昼休憩にしましょうと宣言した。だが誰一人、精霊の間から出て行く者はいない。それどころか代表らが僕に注目している。
「皆さん、アルクさんの作ったお菓子に興味があるようでして――」
メリッサさんは少し照れたような顔をしながら僕に聞いてくる。
「もちろんかまいませんよ。ご迷惑をおかけしたお詫びも兼ねてぜひ皆さんの分も用意しますね」
「……お菓子作る」
「え? クセニアさん、手伝ってくれるんですか?」
「……手伝う。でもその前に昼食の時間」
「昼食の時間?」
「……お菓子はデザート」
「ぐっ。まさかお昼も僕が全員分作るんですか?」
「……だから手伝う」
「あ、ありがとうございます?」
「も、申し訳ありません。お菓子以外にも魔族の方が食べるものに興味があるんです。私もお手伝いしますのでお願いできませんか」と本当に申し訳なさそうな顔で話すメリッサさん。
どうやらお菓子だけでなく昼食も作るはめになったようだ。
当然、ディーナ様たちの分も用意しなくてはならない。
「魔族の料理。楽しみにしていますぞ、アルクくん」
ラケシスさんが笑うとほかの氏族たちも一斉にうなずいた。代表たちの仲が良くなったのはいいけど、そのせいで面倒臭いことになってしまったようだ。
これは逃げられそうにない。
「仕方ありませんね。ところで三賢樹の皆さんの姿がありませんけど?」
「実は三賢樹様たちはアルクさんがお菓子を作るということでお手伝いをすべく、すでに厨房でお待ちになっておられます」
三賢樹様も興味があるようで、と困った顔をするメリッサさん。三賢樹の三人も僕の作った昼食とお菓子を食べる気でいたのだろう。
僕はそんなメリッサさんに苦笑しか返すことができなかった。
ヨヨさんたち三人を呼びに行ったあと、僕たち四人は厨房へと向かった。ディーナさんとリアルルさんは少し話があるそうで精霊の間に残っている。
どんな料理を作ろうか考えながら歩いている途中、不意に思い出した。だが思い出したのは魔力を補う方法ではない。
「ああ! しまった!」
「どうしたの。アルクん?」
「エルフの国に来てからというもの、お嬢様が食べられるような食材をほとんど見つけてないじゃないですか! ヤダー!」
「そういえばリンゴのお酒とカモカモ、それにナッツくらいだっけ?」
「そうなんです。カモカモくらいしかお嬢様にお出しできません」
「ふーん。大変ねー」
気の抜けたような返事が妖精から返ってくる。
甘い食材がないので興味がわかないのだろう。
そんなヨヨさんが思い出したように声を上げる。
「あっ、タンキールさんとの商談、無事終わったからね。頼まれていた食材も注文済み。ほかにもいくつか仕入れておいたわよ」
「商談お疲れ様です。ボス」
「うむ。苦しゅうない」
手を腰にやり、胸を張ったヨヨさんは得意げだ。よほどうまく商談がまとまったのだろう。腰に当てた左右の手が、オッケーのサインになっているのを僕は見逃さなかった。
そんなことよりもお嬢様のための食材だ。
ヨヨさんが例に挙げた食材以外だと川魚の干したものと『ズィーベンシュテルン』という名のお米しか見つけていない。先日の食事会でモルスペーストという豆板醤に似た危険物を見つけたが、当然離乳食には使えない。
ナッツもまた、離乳食に用いるには微妙な食材だった。そのままだと食べていただくには少々固く、誤嚥の可能性があるためお出しできない。使えるとしたら薄く切るかペーストにしてナッツバターにするくらいだろう。
さすがにこれだけではわざわざエルフの国に来た意味がない。だがお嬢様成分が枯渇しているためか、これ以上エルフの森を探し回るための元気が出なかった。それに時間も残されていない。
仕方がない。あまり期待はできないが、とりあえずここの厨房で食材となるものを探してみることにしよう。
そんなことを考えていると、精霊の間から抜け出してきたタンキールさんに呼び止められた。なんでも息子であるエストを助けたことに対するお礼を伝えたかったらしい。
またサキュバスに操られていたエスト本人とその仲間も連れてきていた。エストからは今までの謝罪と助けた礼を、四人の仲間からはお礼をいわれた。僕はエストの謝罪を受諾。またこちらからも謝っておく。ワザととはいえこちらも無礼な発言をしているのだ。そのことを告げるとエストは、「それはこちらもだよ」と苦笑していた。
また彼らを操り、魔力を吸ったサキも彼らに謝罪させる。だがエストたちは全く思い出せないようだ。話はタンキールさんから聞いているそうだが、なにせ出会ったときの記憶はサキによって消されているのだ。すでに吸われた魔力は回復しているし、身体に異常もないため、問題なしと本人たちは納得していた。
その後、互いに握手して魔族とエルフの友好を誓い合った。
「これを機にタンキールさんは応じてくれるはず。『妖精の祝祭』との取引は超激安価格でいいと」
「いやいや。それはさすがに父でも無理だろ。アルク」
呆れたような顔をするエスト。
「やっぱりダメか」
「やはり魔族っていうのは怖いねぇ」と引きつった笑いを見せた。
「いやぁ。エルフの皆さんも十分怖いですよ」と激辛大食魔神のニーナさんを見ながら答えた。
「なんで私を見るのかしら?」
知らないふりをしていると、「こら。無視しないでよ」と怒られた。だが惜しい。たまたま聞こえていなかった。聞こえていても聞こえなかった。こればかりは仕方ない。
その後、「その取引のことだが」とタンキールさんが口を開く。
ほら、ニーナさん。お仕事の話ですよ。
「『妖精の祝祭』や魔族との取引が今以上に活発になればエルフの集落も栄えるだろう。我々にもより多くのメリットがあれば、超激安価格は別として値引きも考えさせてもらうつもりだよ」
「それは楽しみですね」
「腹の内を明かすことになるが、最近では人族との取引がうまくいってなくてね。だからアルク殿たちとの取引が増えるのはこちらとしてもありがたい話なんだ」
「エルフは人族とも交易を?」
「もちろん。森の北にある海沿いの集落から船が出ており、そこから魔王国のある大陸と航路が結ばれている。その港から魔王国、ひいてはモフォグ大森林の西にある『スミール王国』という人族の国と交易を行っている。まあ、ほかの種族とも取引があるけどね」
引きこもりばかりではないとアピールしているのだろうか。
ただ人族との取引はそれほど活発ではなさそうだ。
「へえ。スミールと。ちなみにその国の隣にあるタイゲンとは交易を結ばないのですか?」
話に出たスミール王国は小さな国だ。そのスミール王国の西隣にあるのがちょくちょく悪魔を使って、あちこちにちょっかいを出してくる『タイゲン王国』という大国。
今回、グレムリンを召還してエルフの巫女を害そうとした国でもある。
どちらも人族の国だが、交易を行う関係でスミール王国にはこの森出身のエルフが多く住んでいるそうだ。タイゲンは人族至上主義の国のせいか人族以外の姿はほとんど見られないという。
「タイゲンは奴隷制度を設けている国でね。その奴隷の中には我々の同胞もいる。それが解消されない限り、取引をすることはない。それに今回の件もある。我らが巫女を狙うなど言語道断。今後、エルフがタイゲンの味方をすることはないだろうな」
腹立たしそうにいうタンキールさんはエルフ族の発展を心から願い、奴隷となった同族への怒りをあらわにした。どういう理由でエルフが奴隷になったかはわからないが、魔王国では奴隷の売買、所持は法で禁じられている。僕自身、前世の記憶があるからか奴隷を認めているという事実に憤りを覚える。その反面、この世界における奴隷の必要性もわかっているため、余計に気分が悪い。
「アルクん。みんなが待っているわよ」
「おっと。そうだった」
どうやら少し考え込んでしまったようだ。
そのことに気がついたヨヨさんが僕の肩を叩いて知らせてくれた。彼女にお礼を伝えたあと、エストたち警備隊のメンバーを昼食に誘う。だが、残念ながら彼らはこれから警備の仕事があるそうだ。
残念がる彼らともう一度固い握手を交わしてから僕たちは厨房へと向かった。
さて厨房へとやってきた。
そのままタンキールさんと並んで厨房に入ると、そこには――。
「おー。待っておったぞ! アルク殿」
そこには先日と同じピンクのフリル付きエプロンを着た三賢樹の姿があった。女性のヨトゥンさんはともかくアースガル老やガルズさんのエプロン姿は違和感がある。いや違和感しかない。昨日も見たがやはり慣れない。
厨房には巫女のメリッサさんとイルミンだけでなく、ヘキサバオム代表クセニアさんとその精霊ヴァリーがすでに待っていた。
「今日は美味しいものを作ってくれるそうじゃのう」
「お口に合えばいいのですが」
ピンクのエプロンをひらりとゆらしながらアースガル老がスキップでもしそうな勢いで近づいてきた。見た目は老人でもさすがは精霊である。老人とは思えぬほどフットワークが非常に軽い。
「手伝うわよ。アルクくん」とアースガル老を押しのけながらヨトゥンさんが名乗り出る。押しのけられたアースガル老は、「年寄りは敬うものじゃ」とつぶやいていたが僕以外、誰も聞いてない。
「ではさっそく作りましょうか」
成り行きとはいえ、皆の昼食を作ることになった。
とりあえずお嬢様の離乳食に使える食材がないか探す『ついで』に、何が作れるか食料庫をのぞいてみる。薄暗い庫内には野菜が整然と並べられていた。だがその野菜の多くが魔王国でも売っているようなものばかりだった。ほかにはエルフの主食である麺類と豆類、それに激辛系の唐辛子やショウガ、ニンニクなどが目に入る。
決して多いとは言えないが、魔族と比べれば保管されている食材は豊富かつ毒のない食材ばかりだった。
それでもいくつか新しい食材を見つけることができた。
例えばナス、ピーマンだ。そういえばニーナさんにエルフの食材を取り寄せてもらうときに、これらの食材について一言も話がなかった。そのことを尋ねるとニーナさんは胸を張っていった。
「だって私嫌いだもん」
「……はい?」
――嫌いだもん――嫌いだもん――嫌いだもん。
自分が食べられない食材を嫌いという理由で店頭に並べない食材店の商人がいるだろうか。まあ実際、僕の目の前にいるのだが、好き嫌いで選ばれては商売にならない。世の中にはナスとピーマンが好きな者もいるのだ。味覚オンチの魔族ゆえに味に関して好き嫌いをいう者がいないとしても用意する意味はある。少なくともピーマンの鮮やかな緑は魔族向きだ。
「……ヨヨさん。申し訳ないですがタンキールさんと再交渉をお願いします」
「大丈夫。購入済みよ。すでにタンキールさんとの取引品目に入っているわ。ほかのものもあとで一覧にして渡すわね」
「おぉ」
その手際の良さに感心してしまった。さすがはヨヨさんだ。金のためならなんでも売るその根性。抜け目のない貪欲な嗅覚に脱帽だ。悪食も真っ青に違いない。いつか僕たちも奴隷として売られてしまうかもしれない。
「なんか私を褒めながら失礼なことを考えてない?」
「やだなぁ。気のせいですよ」
気を抜いていたせいで心を読まれてしまったようだ。気をつけないと本当に売られてしまう。この紙に名前を書いてと言われたら要注意だ。
「あれ? これってもしかして」
食料庫から出たあと、独特の匂いにつられ、厨房の隅で発見したのは大きな樽に入った液体だった。ふたを開けて匂いを嗅ぐとツンとした香りが鼻につく。
「こ、これはもしかして、お酢!?」
「おや。アルク殿はこれが何か知っているのかい」
「これもリストに載ってなかったわね」
「この酢は、タバスコという調味料を作るために仕入れているもので、エルフが作っているものではないのだよ」
「そうなんですか(タバスコも作っているのか)。ところでこの酢を少し飲ませてもらうことはできますか?」
「かまわないけど、むせないようにね」
用意してもらったコップに注がれた酢を口に含む。
鼻をつく匂いとともに口いっぱいに広がる酸味が心地よい。しかも酸っぱいだけでなくちゃんとした味の深みもある。
これはなかなか上等な穀物酢だ。原料は恐らく米だろう。
「この酢を取引にのせることはできないのですか?」
「可能だよ。少し時間がかかるがいいかな。なにぶんこちらも仕入れる必要がある」
「酢を作っている方を紹介していただくわけにはいきませんか?」
「そうしたいところだが……実は少々混み合った取引でね。作り手の情報を明かさないよう本人たちに言われているのだよ」
「訳ありってやつですか(本人たちってことは複数だな。そして作っているのはエルフではない、と)」
「信用を得るまで何年かかったことか」と苦笑いするタンキールさん。
「なら仕方ありませんね。とりあえず十樽ほどお願いします」
樽の大きさからして一樽当たり百五十リットルは入っているだろう。それを十樽。この酢があればいつでもマヨネーズを作ることができる。マヨネーズはお嬢様お気に入りの調味料でもある。恐らくあっという間になくなるはずだ。ほかにもドレッシングなど酢の使い道は多い。
「なんと。そんなにたくさん必要なのか」
「それでもすぐに追加することになると思いますよ。また定期的に購入することになるでしょう。先方にもそのようにお伝えください」
「……生産を増やすよう相談しておこう。在庫は問題なく持っているはずだ」
「龍族の国から帰ってくるころには用意できていますかね」
「二日もあれば十分だろう」
「わかりました。お願いします(グリバルトの集落から二日程度の距離に作っている場所、もしくは保管場所があると)」
エルフ族を介することで直接取引するよりは高くなるだろうが仕方がない。酢も酒と同じで作るには時間がかかる。手に入るなら買った方が安くすむだろう。
酢を作っている場所は下手につつかないほうがいいだろう。相手を挑発して取引できなくなるのは避けたい。とりあえずセルヴァに念話で連絡して場所だけ探し出すよう指示しておく。匂いもあるから割と早く見つかるはずだ。
「そういえばこの酢を作っているところでは、こんなものも育てていたな。最近は我々エルフも食べるようになった」
そういってタンキールさんが袋から取り出したのはトウモロコシだった。しかも収穫したてなのか瑞々(みずみず)しさが損なわれていない。恐らくトウモロコシを取り出した袋はアイテムボックスか何かの魔道具なのだろう。
「おお。トウモロコシですか」
「……先ほどから気になっていたのだが、アルク殿はなぜそんなに食材に詳しいのかね? いくら味のわかる魔族とはいえ詳しすぎないかい?」
半分呆れたような口調でタンキールさんが尋ねてくる。当然、前世の知識ですとも言えず、ごまかすしかない。
「食いしん坊だからでしょうか」
「……訳ありということか。まあ、いいだろう。トウモロコシも仕入れが可能だがどうする?」
これ以上聞いても僕が答えないことを察したのか彼は話を変えた。
「ぜひ! できれば収穫したてがうれしいです」
「先方も採れたてが一番だといっていたよ」と彼は苦笑した。
こうしてエルフの食料庫で発見したのはナス、ピーマン、酢、タバスコ、トウモロコシのほか、ラー油とオレンジを見つけることができた。
ラー油はモルス油という名前だったがごく普通のラー油である。
オレンジの味はネーブルオレンジに近く、甘みと酸味のバランスがいい。
ラー油もオレンジもナス、ピーマン同様、ヨヨさんがしっかり取引品目に入れて購入していた。
優秀すぎる彼女が怖い。これでは紙に名前を書く前に売られてしまいそうだ。
今回、注文した食材については酢と同じく龍族の国から戻ってきたときにまとめて引き渡してもらうようお願いしておいた。ニーナさんのお店の準備がもう少しかかるし、トウモロコシや酢を仕入れてもらうための時間も必要だ。
「追加の商談も終わったことですし、作る料理も決まりました。さて作りますか!」
三賢樹をはじめ、クセニアさんやメリッサさんには細かい作業を手伝ってもらった。おかげで思った以上に早く仕上げることができた。イルミンは味見係として大活躍だった。
普段から料理をしているという三賢樹はともかく、クセニアさんとメリッサさんの料理の手際がいいことには驚いた。
勇気の精霊ヴァリーも手伝ってくれたのだが、残念ながら彼女の勇気は料理には通用しなかった。開始五分で洗いもの係となっており、彼女の寂しげな背中が涙を誘う。「串焼きなら、串焼きなら」という彼女のつぶやきが、「串刺しなら」に聞こえてくるのは気のせいだろう。
今にもジャベリンを投げそうだが、食器は今のところ無事である。
ところで……精霊に皿洗いさせていいんですかね、クセニアさん。
こうして皆の協力を得て、複数の料理が完成する。
テーブルに並べられた料理の数々。
だがエルフの皆さんは少々戸惑っているように見受けられる。
今回作ったのは、『ウコッケ肉とピーマンのカシューナッツ炒め』、『麻婆ナス』、『ホウレンソウのクルミソース和え』、『カモカモ肉のカルボナーラ』だ。
魔王国から持ってきた食材もいくつか使わせてもらった。
またデザートにはナッツを使ったお菓子として『フロランタン(クッキー生地に薄切りアーモンドを乗せて焼き上げたもの)』と『アーモンドプードルを使ったクッキー』を用意した。それに各種ナッツをカラメルで固めた『カラメルナッツバー』も作った。もちろんローストしただけのナッツも各種用意してある。
ホウレンソウの和え物に使ったクルミソースはクルミをすりつぶしてペースト状になったものにウシドンのミルクとニンニク、オリーブオイルをまぜ、塩で味付けしたものだ。
ただ残念ながら全体的に調味料のたぐいが足りず、若干ではあるが物足りなさを感じてしまう。特に麻婆ナスは醤油や味噌がないため、辛さだけが目立ち気味だ。今回はカモカモから取ったダシとウシドンの挽肉で味を整えたが、やはり調味料のたぐいはもっと充実させる必要があるだろう。
それでも全体的には人様に出しても問題のない仕上がりとなった。
「どうぞ召し上がれ!」
そう宣言したものの氏族代表たちの手は動かない。
どうやら料理に使われているナッツが気になっているようだ。ニーナさんが言っていたがエルフたちの間ではナッツは動物や鳥のエサという認識があるそうだ。料理を手伝ってくれていたメリッサさんもナッツ入りの料理やお菓子を見て眉をひそめていたくらいである。
そんなエルフたちを差し置いて、最初に料理に口をつけたのは三賢樹の一人アースガル老だった。彼はホウレンソウのクルミソース和えに手を伸ばす。
「――ほほう! これはうまいのう」
その言葉を聞いたヨトゥンさんとガルズさんが先を争うように料理を口にする。エルフたちよりも三賢樹たちのほうが料理に対して柔軟らしい。
「あら。このウコッケとやらの肉とナッツの組み合わせはいいですわね。カモカモの肉もいいけど、これも美味しいわ」
「お。ピリッとするな。この麻婆ナスとやらはエルフたちが好みそうな味だ」
「ん!」
いつの間にかイルミンとクセニアさんも料理へと手を伸ばしていた。
イルミンの両手にはウコッケの肉が刺さったフォークが握られており、彼女は交互に口へと運んでいる。行儀こそ悪いが、料理を味わうその顔は幸せそのものだった。
クセニアさんも自分が育てたナッツの味を確かめていた。まさかと思うが研究結果として味を確認しているのだろうか。もし味が研究の一環だとしたら、「美味しいですか?」と安易に聞くことすらできない。聞いたが最後、また長話が始まってしまうだろう。
彼女たちに続いて手を伸ばしたのはクセニアさんの精霊であるヴァリーだ。ウコッケとカシューナッツの炒め物を口の前に持ってくる。そして高々と宣言した。
「魔族の作ったものを食べる勇気! 私よ! 勇気を示せ! ――お? うおぉぉぉ。うまいぞー! 私は勝ったのだ! はーっはっはっは」
……あの精霊。ケンカを売っているのだろうか。
その大げさな様子を見たメリッサさんやニーナさん、それにほかのエルフの長たちも料理に手をつけ始めた。一度口にしてしまえばナッツのことなど関係ないようだ。
ディーナさんとリアルルさんはそんなエルフたちよりも先に食べ始めていた。二人の笑顔を見る限り、お口に合ったようでなによりだ。
ヨヨさんは残念ながら甘くない料理が食べられないため、彼女専用に作ったメレンゲクッキーをほおばっている。彼女の顔が隠れるほどのメレンゲクッキーがあっという間に小さくなっていくスピードは恐ろしさすら感じる。
今回、料理には使っていないもののエルフの皆さんにはモルスソースを解禁してある。彼らとは味覚が異なるため、個別でご自由にお使いくださいとお願いした。こればかりは彼らの食文化ゆえに致し方ない。ただし風の精霊にお願いしてもらって換気だけはしっかり行ってもらった。換気してもらわないと僕たちエルフ以外の者が同席できないからだ。呼吸的な意味と眼球への激痛的な意味で。
もちろんエルフ以外はモルスソースを使わない。特にモルスソースを見るヴァリーの目は怯えているように感じた。どうやらヴァリーはモルスソースを食す勇気を持ちあわせていないらしい。彼女の名誉のためにいっておくと僕も食べる勇気は持ち合わせていない。絶対に無理だ。断固拒否する。ウルスソースは罰ゲームで使うパーティグッズである。異論は許さない。
料理を食べる代表たちの反応をしばらく見ていたが、料理の反応は上々のようだ。料理に対する評価が賑やかに交わされるなか、大皿に盛られた料理がみるみるうちに減っていく。
「ちょっと失礼させてもらうよ」
食事中、アースガル老が席を立った。
僕は軽く会釈を返して部屋から出て行くアースガル老を黙ったまま見送る。
また今回の昼食会には悪魔のサキも参加している。僕たちが魔王国に連れていくことになったため、彼女も客人扱いとなった。同族に危害を与えた悪魔に対して破格の待遇である。エルフ側も余計な敵対を望んでいないのだろうと予測する。
そんな彼女は戸惑いながらカルボナーラを口にした。そして一瞬動きを止めたあと、すごい勢いで食べ始めた。ふとイルミンを見ると彼女もまたサキと同じようにカルボナーラを口に押し込んでいる。二人ともものすごい早さでくるくるとフォークにパスタを絡め、口へと運んでいく。もしパスタを巻いて口に運ぶ仕事があるとすれば、確実に責任者になれるほどの早さである。日給銀貨一枚は狙えるだろう。
しかし二人とも口の周りがソースでべたべただ。イルミンはともかくサキには基本的マナーの指導が不可欠のようだ。
……何を察したのかディーナさんが立ち上がり、キョロキョロしだした。とりあえずおとなしく座っていてください。
さて、このカモカモ肉のカルボナーラだが、バターをふんだんに使い、隠し味に花蜜を入れて味に深みを出した。ウコッケの卵は濃厚な黄身をたっぷり使っており、食べる者を魅了する。ベーコンの代わりに入れたカモカモの肉はやや濃い味付けにしてあり、それがほどよいアクセントとなっている。
ちなみに卵の白身はヨヨさんのメレンゲクッキーの材料となった。
ある程度食事が進み、デザートを食べる姿が目に入るようになった。
僕はお茶を皆に配りながら、クセニアさんに声をかける。
「いかがですか? クセニアさん」
味も研究の一環かもしれないが感想を聞かずにはいられなかった。ナッツの提供者であり生産者でもある彼女の意見は貴重かつ重要だ。
だがこれは賭けでもある。この賭けに負けるとまた長い研究話に付き合うことになるのだ。
僕の声にクセニアさんが顔をあげた。
彼女はフロランタンを自分の目の前に城壁のごとく高く積み上げ、まるでリスのようにひとつずつ両手で持ってかりかりと食べていた。まあ目の前に積まれた大量のお菓子を見る限り、気に入ってくれたのだろう。
フロランタンの城壁の隣にはアーモンドプードルで作ったクッキーが小高い丘を作っていた。
……お菓子でジオラマでも作っているのだろうか。それにしても一人で食べるには欲張りすぎである。
「…………最っ高っ!」
「そ、それはなによりです」
実に力強いお褒めの言葉をもらうことができた。いつもより言葉を溜める時間が長いように感じたほどだ。彼女は返事をしたあと、またかりかりとお菓子を食べるのに夢中になっている。
どうやら味については研究の対象ではなかったらしい。
僕は賭けに勝ったようだ。一安心である。
「ちょっと! クセニア。私のクッキーがないわよ! 少しちょうだい!」
聞こえてきた声に振り向くと、数枚のフロランタンを確保済みのニーナさんが、「ない」と騒いでいた。多分、「足りない」と言いたかったのだろう。それとも数枚では数のうちに入らないとでもいいたいのか。自分の故郷だからといって氏族代表に対して、食い物をたかる暴食のエルフの姿がそこにあった。魔王国にいる間、毒で食べられない食材に相当苦労したと聞いているが、その反動が出ているのだろうか。まあ彼女の場合、ただの大食らいだと思う。
「……ナッツは私が育てた。育てたものが一番多く食べる権利がある。――ふう」
研究とは関係ないはずなのに比較的饒舌である。最後はしゃべり疲れたらしく深いため息をついていた。だが、そこまで権利を主張するということはナッツのお菓子を相当気に入ってくれたということだ。
その積み上げたフロランタンをニーナさん以外にも見つめる姿があった。イルミンである。物欲しそうなかわいい口からは、だらりとよだれが流れ落ちようとしている。そんなイルミンに気がついた彼女は口元のよだれを拭いてやり、フロランタンを何枚か渡していた。そしてイルミンの頭を無言のまま優しく撫でるのだった。
さすがは世界樹を信仰しているエルフだけのことはある。ニーナさんに対する態度とは大違いだ。山ほど確保しているのに数枚程度で信仰が示せるのか疑問だがあえて指摘しない。
「ん!」
イルミンは枚数にこだわっていないようで、にぱっと笑ったあと、うれしそうに受け取った。そのままクセニアさんの隣で彼女と同じようにお菓子を両手で持ってカシカシと食べ始める。
そんな二人の姿に思わずほっこりとした気持ちになる。
「むう。そうだ! アルクくん! おかわり作って!」
だが僕のほっこりはなぎ払われた。短い生涯だった。
とあるエルフの欲望がぶつけられたせいである。
「おかわりなんてありませんよ。ナッツも味をみてもらうだけの量しか収穫していませんし。そもそも動物とか鳥のエサとか言っていたのは誰なんですか」
ニーナさんにはもうないと伝えたが本当はまだ残っている。フロランタンもアーモンドプードルのクッキーも確保済みだ。だがこれはお嬢様や侯爵様たちの分なので黙っておいた。
「ローストしただけのナッツもうまいさねぇ。これでわらわも鳥さね。いうなれば水鳥さね」
ディーナさんがぽりぽりとナッツをつまみながら、珍しく冗談を口にした。
「う、うぐっ。ディーナ様まで。だってこんなに美味しいとは思わなかったし」
「ニーナの好き嫌いって結構あるのよね」とリアルルさんがいうと、「そのくせ食べる量はすごいのよ」と返すヨヨさん。ニーナさんの友人二人は彼女の引き出しをかたっぱしから開けては中に入っていた個人情報を周囲にばらまいている。
「好き嫌いが多いのも困ったものです。お菓子ではなくナスとピーマンも食べて――おや? すでに食べておられたんですね」
嫌いという理由でナスとピーマンの存在を黙殺していた彼女だが、すでに自分の分の麻婆ナスは完食していた。「美味しかったし」とほほを染めている。気に入ってもらえてなによりだ。
「お菓子が食べたかったら、ナッツを売ってくれるようクセニアさんと交渉してください。ニーナさんは商人なんですから」
「クセニア。私のお菓子のためにナッツを売ってちょうだい!」
実に直球だった。交渉とはいったい何だろうか。
もはや商人としての交渉も話術も関係ない。
それも完全に自分の欲望のためだ。お願いだから商売して欲しい。
「……どれだけ?」
「……どれだけ??」僕に振り返りながらニーナさんが尋ねてくる。
「なんで僕に聞くんですか」
「魔族の国でどれだけ売れるか見当もつかないもの」
一応、商人としての立場は忘れていないようだ。
どれだけあれば何人前作れるの? とか聞いてきたら頭を抱えるところだった。
「まあ確かに。とりあえず様子見として一種類につき最低十キロは欲しいですね。ですが、あの木だけだとさすがに足りませんし。どうしましょうかね」
「アルクくんがいうナッツの木ならほかにもたくさんあるわよ。なんていっても実験するのに一本だけじゃ参考にならないもの。そうね。ざっと三百本くらいは作って植えてあるかしら。あと今日収穫してきた木は若い木だからそうでもないけど、最初のころに作った木はかなりの量の収穫が見込まれるわ。ちょうど今ごろわっさわっさと木の実がなっているはずよ。わっさわっさよ? 見に行く? 私の研究結果を見に行っちゃう? それに以前、収穫したナッツも保存してあるから量は心配しなくてもいいわ。大丈夫よ。私ったら用意がいいと思わない? そう思うわよね? あ、そうだ。今度は果物でもやってみようかしら。これもたぶんできるはずよ。ねえ、どう思う?」
「……はい。できると思います」
――しまった。
収穫量を聞くこと=研究の成果を聞くことだと判断されたらしい。味には無頓着だったせいで油断していた。あれほど研究者に得意分野の話題をふってはいけないと自分に言い聞かせていたというのになんたることだ。
ただ今回は比較的短くて済んだのが幸いだった。すでに言いたいことを言ったようで、クセニアさんの興味はお菓子に移っている。
人は「美味しいものを食べると無口になる」と聞いたことがある。どうやらその話は本当だったようだ。カニでなくても証明された瞬間である。
「そういえばナッツの取引もタンキールさんを通したほうがいいですか?」
エルフの氏族の中で貿易を担当しているタンキールさんに声をかける。だが彼は静かに首を横に振った。
彼曰く、あれはクセニアさんの研究結果の産物であるという。あくまで個人的なもので関与はしないとのことだ。ただし規模が大きくなってくれば別であると彼は言った。人気が出て、もうけが出そうなら口を出すといったところか。
とりあえず今は彼女と直接金銭のやりとりを行うことになる。
「代金は魔王国の金貨でもいいですか?」
「……魔石はない?」
「魔石ですか。少しならありますけど」
「……見せて」
僕は『執事ボックス』の中から小指の先ほどの魔石をいくつか取り出した。この魔石はお嬢様の妹分シュリーの父親シュパさんからもらったものだ。初めて会ったとき、迷惑をかけたということでお詫びとしてもらったのだ。この魔石はシイタケ探索中に出会った昆虫系の魔物が持っていたものだという。
魔物と化した巨大昆虫の外骨格は農具に適している。その昆虫を中心に狙うシュリーカー族がウスイの街で売る魔石の量は日々増えているそうだ。昆虫を狩るたびに農具と現金が増えていくとジュロウさんが話してくれたことを思い出す。
取り出した魔石をクセニアさんに見せると彼女はフロランタンを食べるのを一時やめ、濁りのない透明感の強い魔石を手にとってつぶやいた。
「……わお……すごい」
すごい? のだろうか。
彼女の特徴的な話し方だと本当にすごいのかわかりづらい。
「魔石なんてどうするんです?」
「……研究に魔石が必要。これ純度が高くて最適」
「どれどれ」タンキールさんも興味を示したようだ。
「ほう。小さいが確かに質はいいな。さすがは魔王国産だ。これひとつで金貨一枚の価値はあるだろう」
「かなりの高額ですね」
銀貨で百枚。家持ちの四人家族なら五ヶ月は暮らしていける金額だ。それだけの価値がこの魔石にあるという。
「人族の国に持っていくともっと高額になるかな……恐らくは倍以上の値がつくと思う」
「それはまた……」
「人族の国では純度の高い質のいい魔石は少ないからね。特にヴィギンティクトル大陸にある人族の国では大気中の魔力は希薄だからなかなか手に入らない」
ヴィギンティクトル大陸は魔王国や人族の国がある大陸だ。魔王国は魔力が豊富だが北と西にある人族の国では魔力が希薄だという。地域によって魔石の大きさや純度も変わるとタンキールさんが教えてくれた。
「……このレベルの魔石一個と六種類のナッツと交換。ただし量は四倍の各四十キロ出す」
「五倍の五十キロ」
「……四十キロ。皮むきとローストして提供」
ただで手に入った魔石一個でナッツ六種類各四十キロならお値打ちだろう。しかも皮むきとローストの手間が省けるなら安いものだ。第一、精霊使いなら皮むきもローストも簡単にできる。実際、今日彼女に手伝ってもらったときも風の精霊が風の刃で皮をむき、火の精霊が己の炎で絶妙なローストをしてくれたのだ。
四人家族五ヶ月分の生活費だけで考えると高額かもしれないが、彼女の研究に対する評価込みで考えている。
お伺いを立てる意味でヨヨさんとニーナさんに目を向ける。ヨヨさんは、「妥当な価格ね」とにっこり笑い、ニーナさんは、「わかんない」とにっこり笑った。
……店長ェ。
「はい。それで結構です。次回からは種類ごとに取引しましょう」
「……わかった。……これで研究が捗る」
「そんなに魔石が必要なら魔王国に来て魔物狩りをするという手もありますけどね。多少危険ですけど」
「……それは名案」
「何! 勇気の時間か!」とヴァリーが騒ぎ出した。
なんだよ。勇気の時間って。
幼稚園のお遊戯じゃないぞ。
こうしてヘキサバオム代表クセニアさんと『妖精の祝祭』の間にナッツ類に関する取引が無事決まった。これでピスタチオ、クルミ、カシューナッツ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、マカダミアナッツがウスイの街の店頭に並ぶことになる。
ただお願いされたことがひとつあった。
味の感想や食べたときの身体の変化をレポートにまとめて欲しいそうだ。魔族を被験者扱いとはいい度胸である。まあほとんどの毒を無効化する魔族だし、ナッツを食べ続けても身体に影響はない。
問題は研究項目に、「味」が追加されたことだ。当然、魔族で味がわかる者は限られている。そして彼女に報告するのはこの僕だ。今から考えるだけでも気が重い。
「あの。アルク様。ご報告したいことが」
うっ。報告という言葉に胃がキリッとなった。
とりあえず深呼吸して笑顔を作る。
「なんだい。サキ」
「実は食事をしてからなのですが、なぜか魔力が少し回復しているのです」
「んふー!」
「……え? なんだって?」
サキの報告に忘れていた何かを思い出しそうになったが、それよりも気になることが起きた。
イルミンから発せられた聞き慣れない言葉に、この場にいないアースガル老を除くヨトゥンさんとガルズさん三賢樹とエルフの代表たちが一斉にイルミンに顔を向ける。もちろん僕たちも彼女に注目した。
「今、イルミンちゃんって『ん』以外の言葉、言いませんでした?」
巫女のメリッサさんに聞くと、その場にいる全員が首を縦に振る。僕の勘違いというわけではなさそうだ。僕はそっとイルミンに話しかける。
「もしかしてイルミンちゃんも魔力が回復しているの?」
「んふー♪」
両手を腰に当て胸を張るイルミン。同時に彼女が話す内容は、「そうだよー。美味しかった」と言っている。そして今彼女が発した声は明らかに『ん』だけではなかった。『ふ』が増えた。
「イ、イルミン様がシャベッタァァァ」
「ギャアアアア! シャベッチャッタァァァ」
「ふー!」
当の本人は、「失礼な」と怒っているが代表たちはそれどころではないようだ。
……こうして昼食会は喧噪の中、なし崩しに終わりを迎えたのだった。ちなみにイルミンは決してしゃべってはいない。ほんの一文字、話す言葉が増えただけである。
結局、昼食会を中座したアースガル老は戻ってこなかった。
いったいどこに行ったのだろうか。
「あまりに普通のことでしたので思いもしませんでしたよ」
「恥ずかしながらわらわもさね。ヤマダくんに申し訳ないさね」
ディーナさん。お米は関係ないと思います。
「なんで思い出せなかったのよ」とヨヨさんが苦笑する。
「魔力を補うために特別な方法が必要だと思い込んでいたのでしょうね」
ヨヨさんの疑問ももっともだ。
僕やディーナさんだけでなく三賢樹たちですら忘れていた。
「魔族だけでなく、精霊も悪魔も食事で魔力が回復できるのですね」とメリッサさんがイルミンを撫でながら話す。
僕が失念していたのは、メリッサがいったとおりだ。
もともと魔族は大気中の魔力を吸収する。そして足りない魔力を補助として食事から吸収するのだ。そして食事から魔力を吸収するのは魔族だけではない。精霊も悪魔も同様なのだ。
「自然回復した可能性はないのかね?」
ラケシスさんが尋ねてくる。
だが僕は首を横に振って否定する。
「いえ、食事をとることによって自然回復より早く回復しているのは間違いありません。実際、今も少しずつですが回復しているとサキとイルミンちゃんは言っています」
「はい。アルク様のおっしゃるとおりです」
「んふふー♪」
僕の言葉を肯定する二人は現在、花蜜を美味しそうになめていた。特にイルミンの食欲はものすごい。昼食会であれだけカルボナーラとクッキーを食べていたのにまだ食べられるという。小さな身体のどこに入るのか誰か教えて欲しい。
花蜜をなめてもらっているのは魔力たっぷりの食材だからだ。効果を確認するにもちょうどいい。
気になるのは食事によってイルミンとサキの魔力を補えるかどうかだ。今日のような昼食を食べ続けた場合、どれだけ補えるのかも気になる。僕たちは二人に話を聞きながら協議を重ねた。
その結果。
残念ながらイルミンには効果が薄いことがわかった。
三十年もの長い間、魔力が不足気味だったせいか、僕やディーナさんに比べると魔力を吸収する効率が非常に悪いようだ。もちろん多少は回復するので効果はゼロではない。
あくまで例え話だが、今日の昼食のような食事を魔王国滞在中に毎日三食、食べ続けたとする。その場合、仮にイルミンの魔王国滞在が百日だとすると、九十八日に短縮するくらいだ。ないよりはマシという程度である。効率よく吸収できていれば八十日をきるだろう。
もちろん料理をたくさん食べれば、それだけ魔力も補える。しかし精霊も悪魔も腹はふくれるのだ。一度に食べられる量には限度がある。それに食べ過ぎて横に成長したらそれはそれで困ることになるだろう。
もともとイルミンの魔力を補う目的は成長の遅れを取り戻すためだ。だからこそ多めの魔力を必要としている。ドーピングといってもいいだろう。ただそれができなくても時間さえかければ成長の遅れは取り戻せるため、焦る必要はない。焦っているのはエルフだけだ。
それに魔王国でたっぷりの魔力を吸収し、ちゃんとした食事を食べ続けていれば今より吸収する効率がよくなる可能性もある。
サキの場合だが、食事を食べることにより消滅という事態は避けることができそうだ。ただし食事だけの魔力では、いずれ動けなくなるのは確実だ。取り憑くよりかはマシと彼女はいうが早く契約者を探したほうがいいだろう。
二人とも食事による魔力回復の効果は限定的だが、補助の補助程度にはなりそうだ。
「食事って本当、大切だなぁ」
「そうよ! ただの砂糖だけでは飽きるのよ!」
ヨヨさんが僕の肩に乗りながら力説する。
完全に論点がズレているが、なんとなく彼女のいいたいこともわかるので同意しておいた。決して面倒くさかったわけではない。
「魔王国にいたら気がつきませんでしたよ」
「そうかもね」
「食事からの魔力を気にする必要のないほど、魔王国の魔力がそれだけ濃いということじゃな」
唐突に聞こえてきたその声は部屋の入り口付近から聞こえてきた。
目を向けると、そこに立っていたのは昼食会の途中で抜けたまま不在だったアースガル老だ。アースガル老は部屋に入ってくると、「よっこらしょい」という声とともに席についた。
その姿を見届けてから先ほどの言葉を思い出す。
確かにアースガル老のいうとおりだった。
魔族は魔力吸収の補助である食事を気にもとめていない。それどころか甘くみている。いや、実際にはみてもいないだろう。
僕自身、お嬢様のために毒のない食材を集めているにも関わらず、食事の必要性や大切さを失念していたようだ。
そもそも濃密な魔力漂う魔王国で生活するだけなら、食事は補助の位置づけでよかった。
だが、魔王国よりも魔力が少ない地域、いうなれば魔力過疎地では、補助であるはずの食事が魔力を補うための有効な手段となる。魔力過疎地ではこの食事が魔族にとって死活問題になりかねない。これから龍族の国や人族の国に行くことを考えると、僕自身も魔力を回復する手段が必要となるし、その手段の一つとして食事のことを真剣に考える必要だあるだろう。
この地で魔力が枯渇しかけ、倒れたからこそ気づくことができた。
きっかけとなったのはイルミンやサキとの出会いだ。むしろサキにはとどめをさされたといってもいい。
魔王国から離れたことで食事の大切さを再認識できたことは、とてもいい経験となった。これも修行の一環なのだろう。改めてこの機会を与えてくれたお嬢様とセイバスさんに感謝しなければなるまい。
「遅くなってしまってすみませんな。話は聞かせてもらいましたぞ」
「やれやれ。どこにいっていたさね」
「申し訳ございませぬ。ディーナ様。アルク殿に渡したいものがありましてな」
「渡したいものですか?」
「これですじゃ」
アースガル老が部屋の外に声をかけると衛兵らが紋様の書かれた大きな木箱を四つ運んできた。テーブルの上にのせられた箱のふたをアースガル老が開けていく。するとそこには見たことのある野菜たちが箱いっぱいに納められていた。
「こ、これはキャベツにトマト、それにタマネギじゃないですか。しかも苗まである!」
「やはり見ただけでわかりますか」
「これって先日、話に出てきた例の……」
「アカリという魔族がお礼にと置いていきましてな。ロールキャベツに使った食材の苗じゃよ」
「じゃあ、この野菜たちを育てたのは……もしかしてアースガル老ですか」
思いついた疑問を投げかける。
するとアースガル老は優しげな目でほほえんだ。
「そうですな。もう何百年も作っておりませんがアルク殿と知り合えたのも何かの縁でしょう。どうぞ箱ごとお持ちください」
「箱ごと? ということはその箱は」
「長い間生きておると『アイテムボックス』を手に入れることもありましてな」
なるほど。やはりこれらの箱は『アイテムボックス』だったようだ。
何百年も作っていないとアースガル老は言ったが、目の前の野菜は収穫したてそのものだった。朝露がついているほど艶やかな色合いは食材が新鮮であることを証明している。アイテムボックスなら野菜を採れたてのまま保存しておくことも可能だ。
「それでひとつお願いがあるのじゃが」
「ええ。ロールキャベツですよね。ただ少し時間をいただけますか。トマトを使ったソースを作るのに少々時間がかかるのです」
アースガル老はロールキャベツをご所望だ。
千数百年ほど前に食べたロールキャベツ。アカリという名の『あいつ』さんが作ったというロールキャベツを今度は僕が作るのだ。
ただそれにはトマトケチャップを作る必要があった。ケチャップを作るのに数時間煮込む必要がある。
「ふぉふぉふぉ。なつかしい。魔族の娘も同じことをいっておった」
「はい。おっしゃるとおりです」
「厨房で商談していたときの話を聞いておったが持ってきて正解じゃった。アルク殿は食材について非常に詳しい。夢にまで見たあのロールキャベツがまた食べられそうだわい」
「ちょっと! それは私も食べさせてもらえるんでしょうね」
「アースガル老。まさかと思いますが、また独り占めするつもりでは」
「んんー!」
ヨトゥンさんとガルズさんとイルミンがアースガル老に詰め寄った。
だがアースガル老は耳を小指でほじりながら平然とした顔だ。
「……千数百年も前のことを昨日のことのようにいうでない。二人ともお里が知れるぞ。あとイルミン。何度もいうが、当時おぬしは生まれておらんからの」
「我ら二人だけでなく、エルフともどもアースガル老と同じお里ですな」
「ん!」
ガルズさんが鼻で笑った。
「ぐぬぬ」
「あのぅ。ケンカなんてしなくても今日のように皆さんの分もお作りしますよ。龍族の国から帰ってきてからでもいいですか」
「ああ。それでかまわんよ」
「んふっ!」
「そのときはちゃんとイルミンもリアルルさんも呼ぶから安心してよ」
「んふふー♪」
「あら。私も食べさせてもらえるのね。すっごく楽しみだわ」
「リアルルさんにはいくつか香辛料を用意してもらいたいので」
「もちろんいいわよ」
イルミンとリアルルさんが笑顔でハイタッチを交わす。二人ともずいぶんと仲良くなったようだ。見ようによっては年の離れた姉妹にも見える。リアルルさんも見た目だけは十五歳くらいの女の子なのだ。
しゃがんでイルミンの背丈に視線を合わすリアルルさんとイルミンは仲良く手をつなぎながら、「んふーふんふふ♪」と口ずさんでいる。
そんな二人の様子を見ていたディーナさんがぽつりとつぶやいた。
「食事によってわずかながら魔力が補えるのはわかったさね。ところでリアルルのところにイルミンがいる間、誰がイルミンの食事を作るさね?」
そのディーナさんの一言にリアルルさんの動きが止まった。両手をつないだまま、イルミンが不思議そうに彼女の顔をのぞき込む。しかし、リアルルさんは動かない。「食事のこと忘れてたー」と焦った顔のまま、微動だにしなかった。動いているのは彼女の額を流れるひとすじの汗だけだ。
「い、い、言っておくけど私はそんな難しい料理できないわよ」
おっ。復活した。
「リアルルよ。そんなにあせらなくてもいいさね」
はぁとため息をつきながらディーナさんが声をかける。
「……す、すいません。ディーナ様」
「そんなに難しく考えなくてもいいと思いますよ」
「特別な料理は必要ないさね」
「問題は誰が作るかですけど――」
そういいながらリアルルさんを横目で見ると、彼女は明らかに動揺していた。小声で、「小さな世界樹の精霊って何を食べるのかしら? 葉っぱ? 樹液?」と意味不明なことを一人つぶやいている。蝶の幼虫やカブトムシじゃないんだからさすがに葉っぱや樹液なわけがない。そもそも料理ですらない。
先ほど昼食をともにし、二人してロールキャベツを喜んでいたのを忘れているのではないだろうか。さすがに動揺しすぎだ。
「僕が作ってあげられたらいいのですが、あいにくとそれは不可能です。でもリアルルさんだけに任せるのは彼女の負担を考えると難しいでしょう」
「お菓子なら得意なんだけど」
リアルルさんは申し訳なさそうにいうが、お菓子と聞いたイルミンは目を輝かせていた。ハーブ園にお邪魔したとき食べさせてもらったが、彼女の作るハーブクッキーは絶品だった。そんなリアルルさんなら料理に慣れれば、すぐに上達するだろう。素直にそう伝えると彼女は少し照れながら、「うまくできるようになったらごちそうするわ」と照れたように笑った。
「それなら私たちエルフが用意しますわ。食事はこちらで作って運ぶだけでもいいのですよね」と巫女のメリッサさんが話す。
「ええ。かまいませんよ」
食事の時間前にイルミンに届けてもらえば問題はない。
もちろんリアルルさんの家で作る必要もない。
「もちろんリアルル様の分も用意させてもらいますわ」
「えっ! いいの! ありがとう!」
リアルルさんは素直に喜んでいる。
エルフ側としても彼女のご機嫌をとっておいて損はない。少しずつ信頼を勝ち取ることができればハーブ園の入場許可も緩和されるだろう。まあそれが狙いなのかもしれないけどね。
「精霊も我々も食べるものは基本的に変わらないようですし、レシピなら僕が用意できます。またリアルルさんのハーブ園に通うことになりますから、リアルルさんとディーナさんに信用されている人物が絶対条件です」
とりあえずリアルルさんが食事につられて入場条件を緩和しないよう釘をさしておいた。ディーナさんの許可を得ずにハーブ園に入るには、彼女を師と仰ぐエルフたちにとって難しいだろう。
「そうね。そのほうが助かるわ」とリアルルさんもうなずく。
「あともうひとつ。料理はモルスソースを使わなくても作れるかた限定でお願いします。モルスソースを使わん料理など料理と呼べん! という頑固な料理人はお断りですよ」
「「「……」」」
僕の忠告にエルフ全員が一斉に黙る。
……多分いるんだな。そういう料理人。
余計なことかもしれないが、モルスソースはまずい。味的なまずいではなくイルミンとリアルルさんの健康がまずいことになる。何度もいうがエルフ以外にとって、モルスソースは危険物なのだ。そこはなんとか配慮してもらいたい。
「信用という点では代表たちが一番さね」とディーナさん。
「ちなみに作るのは別として皆さんの中で料理ができるのは……」
僕の質問に、まず手を挙げたのは昼食会の手伝いをしてくれた三賢樹の三人と巫女のメリッサさん、それにヘキサバオム代表のクセニアさんだ。その五人に加え、キワン代表のヘレナさんも続く。そして最後にウッドストライク代表のタンキールさんが手を挙げた。
手を挙げた彼に視線が集まる。
「タンキールさんが!?」
「趣味ということもあるが、自ら仕入れた食材の味を調べる必要もあってね。……いや、だからそんなキラキラした目で見られても困るのだが」
僕はさらにタンキールさんを見直した。
自ら仕入れたものを自分で料理する。なんてすばらしい。彼には執事としての資質があるのかもしれない。
そんな彼に触発されたのか女性エルフ三人が張り合うように声を上げた。
「イルミンには何度か食事を作ったこともありますし」
「……料理は実験と同じ。余裕」
「だてに長生きはしていないわ」
メリッサさん、クセニアさん、ヘレナさんが口をそろえていった。作るのは本職の料理人でもいいのだが、彼女たちは自分たちでも作りそうな勢いだ。
「とりあえずこの七名にリアルルのハーブ園に入る許可を与えるとするさね」
こうしてイルミンとリアルルさん、二人の新しい生活の準備が着々と整っていった。




