第百十八話 ごちそうの誘惑
「(捕まえました)」
「(早いよ。セルヴァ)」
セルヴァからの念話はサキュバスを捕まえたという連絡だった。
なんて優秀な使い魔だろうか。
すでに外は真っ暗だった。
それでも僕は月明かりを頼りに集落を出て、ナッツの木がある場所へと向かった。木のある場所まで来ると、セルヴァがいつものように恭しく僕を出迎える。
そのセルヴァの後ろには直径三メートルほどの大きな穴とロープで全身が巻かれたみの虫のような何かが転がっている。そしてその隣にはふんすと鼻息を荒くするグレムリンの姿。彼は実に得意げな顔で立っていた。
僕は視線を落とし、みの虫と化した塊に目を向ける。
「これ何?」
「例のサキュバスにございます。アルク様」
「もぎゅー!」
(もぎゅー?)
雲一つない夜空に月の光が辺りを照らす。ぼんやりとしたやわらかい光が降り注ぐ雰囲気に森はより幻想的な様相を呈していた。ナッツの木の様々な実がその光を浴びて輝いている。
いつかこの作られた木にも精霊が宿るのだろう。「もぎゅー」とよくわからない声は精霊が誕生する声なのだろうか。
「――ルク様! アルク様! 帰ってきてくださいませ」
「あっ? ごめん。変な声が聞こえたもんで。でも、さすがにこれはないんじゃないかな」
「もぎゅぎゅ」
僕の目の前にあるのはみの虫だ。それが変な声をあげながらもがいている。もぎゅいている。しかもよく見ればロープの隙間からは先端が逆スペード型の尻尾らしきものが生えていた。こんなのを目にしたら現実逃避くらいしてもいいと思う。
「アルク様?」
「セルヴァからも聞いているし、尻尾で悪魔だとわかる。問題はなぜここまで巻いたか、かな?」
「もぎゅ」
このロープでぐるぐる巻きにされたのはサキュバスで間違いない。そのぐるぐる巻き具合は肌の色すらわからないくらいみっちり巻かれている。そのわずかな隙間から飛び出した尻尾はこちらに救いの手? を求めるかのように揺らめいていた。その尻尾の先端がこちらを誘うように艶めかしく動いている。
「ほどいてあげてよ」
「えぇ! 本気ですか! アルクの旦那」
不服そうな声をあげたのはグレムリンだ。
よく見れば彼は泥まみれになっていた。
「次、アルクの旦那っていったら口にキュウリ突っ込んで川に流す」
遠き川沿いに住むとある話し方が面倒くさい魔種族の村長を思い出す。彼もまた僕のことを旦那と呼ぶのだ。十歳の僕を捕まえて、さすがに旦那はないと思う。村長は言っても改めてくれなかったが、目の前のグレムリンは何度もうなずいてくれた。わかってくれてなによりだ。彼の顔が白くなった気がするのは気のせいだろう。
「ところでなぜそんなに泥だらけになっているのさ?」
「アルクの旦……様。いたずらの基本は『落とし穴』ですぜ!」
グレムリンは大きな声で自信満々といった様子で言い放った。
どうやらサキュバスを捕まえたのは彼の作った落とし穴のようだ。一生懸命掘ったのだろう。だからこそ泥だらけになったのだ。
彼は泥のついた顔でいやらしく誇らしく笑っている。そんな彼の泥をハンカチで拭いてやると呆気にとられたような顔で驚いていた。グレムリンは目だけを動かし、ハンカチと僕の顔を交互に見る。そして最後にセルヴァにも目をやった。そのセルヴァは、ふっと何かを悟ったように優しく笑っている。
「いいんですよ。その優しさもアルク様です。グレムリン。あなたはいい主人に仕えました」
「は、はい」
なんのこっちゃよくわからない。
二人ともなぜか納得した顔をしている。
とりあえずグレムリンの顔はきれいになったのでよしとしよう。
落とし穴に目をやると……夜ということもあってか底が見えない。少し深すぎないだろうか。いたずらの範疇を超えているのは間違いない。完全に殺る気だ。さすが自信満々で言いきるだけのことはある。
自身満々ということは、落とし穴の中に油を入れて火をつけたり、槍とか何十本も立てたりしたのだろう。まさに命を落とす穴である。
そう指摘してやると、グレムリンは小さな声で答えた。
「……そんな恐ろしいこと思いつきもしませんでした」
「さすがはアクマ様」
あっれぇ?
あとセルヴァ。
しれっと名前を改変するんじゃない!
「それで、縄をほどくとまずいの?」
「アルク様がおっしゃるならかまいませんが、ほどいた瞬間暴れられそうで。特に自分弱いですから抑えられるかどうか」
「なるほど。セルヴァ、サキュバスが少しでもおかしな行動をした場合――処分しろ」
「はっ。かしこまりました」
サキュバスにも聞こえるようセルヴァへと命令した。その命令の内容に今までこちらを誘うように動いていた尻尾がぴたりと動かなくなる。そして尻尾は力が抜けたように地面に落ちた。
グレムリンによってロープがほどかれていく。
徐々に中身が見えてくるが、見えてきたのはまたしてもロープだった。なんとサキュバスは二重に巻かれていることになる。もはや厳重というより完全な嫌がらせだ。
ロープが解かれ、その隙間から青みがかかった黒髪が見え始めてきた。そして、ようやくサキュバスの顔全体が解放されたときだ。その大きくて黒い瞳がじっと僕のほうを見て……。
「……じゅるる」
「じゅるる?」
つばを鳴らすような不穏な音が聞こえてきた。
そんなサキュバスと目を合わせたまま、しばらく無言が続く。
だがそれもすぐに打ち破られた。
「もひゃぁぁぁ」
サキュバスが吠えた。変な声で。
その大きな声に思わず耳をふさぐ。
するとサキュバスは地上に釣り上げられた魚のようにビチビチと暴れ始めた。そのたびに彼女に巻かれたロープがまるで生きているように跳ね回る。
「こ、こら。ほどけぬではないか」
手から逃げたロープの端をあわててつかもうとしたグレムリン。だが、なかなかつかむことができない。今ここに跳ね回るロープとグレムリンの追いかけっこが始まった。つかみ損ねたロープが彼の顔にビシバシと当たっている。
「……十分おかしな行動と判断しますが、処分しますか?」
「んー、あれはいいや」
こうしてロープで二重巻きにされたサキュバスが無事解放されたのは、それから十五分してからのことだった。
解放されたサキュバスは落とし穴に落ちたせいで泥まみれだった。その原因となったグレムリンを鋭い目でにらんでいる。にらまれたグレムリンはセルヴァの後ろに隠れ、からかうように長い舌を出す。そんな彼の顔はところどころ赤くなり、ミミズ腫れになっていた。
二人に巻き込まれることになったセルヴァは珍しく困った顔をしていた。
だが僕はそれどころではなかった。
捕まえたサキュバスをまじまじと観察して驚いていたからだ。
「子供?」
つい思ったことが口に出た。
そのサキュバスの見た目は人族換算で十二歳くらいだ。身長は僕より少し高く百五十センチくらい。
青みがかった黒い髪に対し、肌の色は絹のような白。瞳は僕と同じで黒い。潤いのある唇はキッと引き締められている。その顔立ちは十人中七人が振り返るほどだ。お嬢様とヒミカさんの次の次くらいの美少女である。
細身の身体はしなやかで引き締まっており、その身体を覆うのはレザーのタイトワンピース。彼女の身体の線をこれでもかと強調している。短いスカートの中から地面に向かって、すらりと伸びた白い足は太ももの途中までニーソックスによって包まれていた。女性らしさを強調したこれらの装いはサキュバスとしての彼女をより引き立てている。
――が、僕が思っている以上に小さかった。何が小さいかというと全体的に小さいとだけいっておこう。僕が想像していたのは、「ドーンギュインデーン(エコー)」としたお姉様タイプのサキュバスなのだが、目の前にいるちんちくりんはお姉様的重要部位が欠けている。
おっと、語弊があった。欠けてはいない。欠けるほどないのだ。
「あんたに言われたくないわよ!」
どうやら子供扱いしたつぶやきが聞こえてしまったようだ。サキュバスは矛先をグレムリンから変えたようで、顔を赤くしながら僕をにらむ。
だが彼女は僕に向かって怒鳴ったあと、すぐに赤くした顔を背けてしまった。黒髪の間からのぞく耳も少し赤い。どうも本気で怒っているわけではなさそうだ。
身体についていたロープの痕は、みずみずしい肌のおかげか跡形もなく消えている。これが若さだろうか。今でこそ僕の身体は十歳だが、そのうち肌についた布団のあとが消えなくなるだろう。
顔を背けたサキュバスはなぜかちらちらと僕を伺うようにこちらを見ている。彼女は僕より少し背が高いため、僕からはほんの少し見上げることとなる。そんな僕と目が合うと彼女はまた赤くなった顔を背けるのだった。
その様子を見るかぎり、これ以上暴れるつもりはないらしい。
「なあ、グレムリン。サキュバスって子供なの?」
「え? サキュバスって子供なんですか?」
「……僕が聞いているんだけど」
「すいません。私、サキュバスに会うのは初めてだったもんで」
「アルク様。サキュバスは悪魔の中でも珍しく、魔族などと同じように成長します。アルク様の見立て通り、このサキュバスはまだ子供のようですね」
「へえ。悪魔が肉体的に成長するなんて珍しい」
「そこはサキュバスですからね。あらゆる嗜好の持ち主向けを含む全年齢対応です」
嗜好って? とは追求しないことにした。
ちなみに悪魔であるサキュバスだが、魔族やエルフ族など多くの種族の男と子を為すことが可能だ。混血は存在せず生まれた子供が男児の場合は男側の種族となり、女児の場合は悪魔サキュバスとなる。
「ところでサキュバスに聞きたいことがあるんだけど」
「な、なによ。私にはサキって名前があるの。種族名でひとくくりにしないで」
「え? 名前があるの?」
「アルク様。サキュバスはその生まれの性質上、親と呼ばれる存在がいます。女児の場合、その親に名付けられる者も少なくありません」
「男児は?」
「用が済めば男など必要なし。これがサキュバスでございます。男親に引き取られる場合もありますが、それ以外はお察しください」
「おうふ」
さすがは悪魔である。
「サキさんね」
「よ、呼び捨てで結構よ」
サキュバスを見つめながら名前を呼ぶと、今まで以上に落ち着きがなくなった。先ほど以上に僕の顔を見たり、目を背けたりを繰り返し始めた。いったいなんだろう。怯えているのだろうか。
悪魔といえども女性である。多少は優しくするつもりだ。怖がらせるつもりはない。ただロープでぐるぐる巻きにされたことだし、なかなか信用できないだろう。
「ではサキ。教えて欲しい。グレムリンを利用したのはエルフを狙うつもりだったから?」
「そうよ」
「エルフを操ったのもあなただよね」
「な、何か文句あるの? お腹が減っていたのよ! 空腹のときに目の前にごちそうが歩いてきたら我慢できる?」
「うーん。それは我慢できないな」
「どうせそういうと思ったわ。しょせん魔族と悪魔は違――え? 我慢しないの? ちょっとくらい我慢しなさいよ」
どっちだよ。
そもそも本人からは我慢する気がまったく感じられない。
「いや。空腹はなかなか我慢できないよ。我慢できるなら夜中にラーメンを食べるようなメタボ予備軍が増えるわけがない」
「ラー? ちょっと何を言っているのかわからない。あと、お願いだからこっちを見ないで。目を合わさないで」
「なんで?」
さっと目をそらした彼女だが、ちらりちらりと目だけをこちらに向けてくる。そんな彼女に近づき、うつむく顔を下からのぞき込むようにして目を合わせた。見るなと言われると見たくなるのが魔族というものだ。
「ひゃぁああああぁ」
その途端、サキュバスは変な声をあげて僕から離れた。あわてていたのか、なぜかセルヴァの後ろへと隠れている。セルヴァとサキュバスの間にはグレムリンがいるので、正確にはグレムリンの後ろだ。そのあわてようはおおげさともいえるもので、そこまで露骨に嫌がられるとこちらも対処に困ってしまう。
だが、その顔は先ほどよりも真っ赤に染まっていた。
「えーと。キミを捕まえさせたのは僕だ。その僕を怖がる気持ちもわかるんだけど、少しでいいから話を聞かせてもらえないかな」
「……」
「捕まえて何かしようってわけじゃない。ここに住むエルフには知り合いが多いし、できればほかのところに行ってもらいたいんだよ」
「……」
「それにここのエルフはかなりの強者だよ。悪魔を怖がるどころか食べちゃうぞーっていうエルフでいっぱいだ」
「誰が悪魔を食べるのよ!」
気配を消してきたのだろう。
その声には聞き覚えがあった。
商人のくせにエストよりも気配を隠すのがうまい。
「……おや。ニーナさん。どうしたんですか。こんな夜に。それにタンキールさんまで」
声に振り向くと、そこには光の精霊を伴ったニーナさんとタンキールさんがいた。ふわふわとニーナさんの隣に浮かぶ光の精霊はニーナさんの、「お願い」の一言で身体全体を光らせ、周りを照らし始めた。
「アルクくんが出ていったと衛兵から聞いたの。気になったから様子を見に来たのよ」
「それはご心配をおかけしました」
「私の知らないところで、またエルフにケンカ売られても困るし」
「……それはご心配をおかけしました」
「ところでアルク殿。そこの悪魔がエストを?」
自分の息子であるエストを操っていたのは紛れもなくサキだ。怒声を含んだタンキールさんの声がサキに投げかけられる。しかし、彼も戸惑っているようだ。それもそのはず。悪魔とはいえ、サキの姿はどう見ても子供。そんな子供にエストは操られていたのだ。
「ええ。お腹がすいたからだそうですけど」
「お腹がすいた? 悪魔が食事をするというのか」
この場合、悪魔の食事とは魔力のことだ。サキュバスの場合は精気もまた食事の意味となる。
例外としてはベルゼブブがいる。彼は美食家を気取っているかのように美味しい食事が大好きだった。
「そういえばサキみたいな子供のサキュバスってどうやってお腹をふくらせるんだろう?」
「「サキュバス!」」
タンキールさんが驚くように言った。
そういえば、もう一匹悪魔がいるとは説明したが、悪魔の正体については話していなかった。二人ともサキュバスのお食事方法についてはご存じのようだ。
なおサキュバスのお食事方法については説明するまでもないだろう。むしろ具体的かつ、事細やかにじっくりねっとり説明すると大変なことになる。この世界が崩壊することにもなりかねない。
ニーナさんは少し顔を赤くしながら、「夜空がきれいだわー」と露骨に目をそらし始めた。同時に、両手で光の精霊の耳をふさいでいる。彼女の光の精霊は新しい遊びだと思ったようだ。自分の耳をふさぐニーナさんの手の甲に小さな自分の手を乗せている。
「ま、まさかエストはこのような子供と――」
サキを見ながら、わなわなと身体を震わせるタンキールさん。悪魔であることは忘れているかのようだ。
何を考えているかは想像に難くない。
「いやいや。さすがにソレはないでしょう」
「だがサキュバスだぞ。ソレ以外に何がある!」
「まあ、確かにサキュバスの場合、ソレが一番可能性として高いでけど」
「もしサキュバスとのソレが本当ならエストは……」
「ちょっと! 私にはサキって名前があるって言ったでしょ! それにさっきからソレ、ソレってなんのことよ!」
セルヴァに隠れていたサキが僕たちに指を突きつけながら言った。
僕は彼女に近づき、彼女にだけ聞こえるよう声を極力抑えて耳打ちする。
「(ソレっていうのはですね。○○○のことで――)」
「!?」
「(そして――です。しかも□□□を△□△□に――)」
「ぴょ!」
「(しかも【自主規制】して、【事前検閲】な感じで、【削除済み】しちゃったりします)」
「にゃ! にゃ! にゃんてことを乙女に教えりゅにょよ!」
僕が覚えているここまで。
最後に見たのは、僕の顔を目がけて飛んできた鞭のようにしなる彼女の尻尾だった。
「――というわけで息子さんは無実です。ただ指から勝手に魔力を吸わせてもらったことは謝ります。ごめんなさい」
「いや。詫びるのはこちらのほうだ。大変言いづらいことを訪ねてしまい、申し訳ない。息子もあなたに負けたことを恥じ、これからより一層修行に励んでくれることでしょう」
聞こえてきた声のほうを向くと、サキとタンキールさんが向かい合って互いに頭を下げていた。
(なんだこりゃ)
「あっ。気がついたのね」
頭の上から聞こえてきた声に目をやると、ニーナさんが僕の顔をのぞき込んでいた。彼女の顔が上下逆さまだ。しかも後頭部に柔らかくて温かい感触がある。どういう状況だろうか。少し目をつぶって考えてみる。
うん。どうやら僕はニーナさんに膝枕されているようだ。
「アルク様。目を覚まされましたか」
「アルク様! 大丈夫ですかい!」
聞こえてきたセイヴァとグレムリンの声にゆっくりと身体を起こす。
そして膝枕してくれたニーナさんに少し照れながらお礼をいう。
「いいのよ。十歳らしいアルクくんのかわいい寝顔を見られたもの」
そう言ってにっこりと笑うニーナさんは実に楽しげだ。その笑いが、「ぐへへ」でなかったらなお良かった。口元をぬぐったあとがあるのはなぜだろうか。
(やれやれ)
僕は大きくため息をつく。
どうやらサキからもらった尻尾の一撃で気絶してしまったようだ。この程度の攻撃で気絶するとは執事失格である。まだまだ修行が足りない。お屋敷に戻ったら、お茶くみからやり直ししよう。
それにしてもやはり身体が重い。
昼間、ヴァリーに向けて放った『執事ビリビリ』の魔力が回復しきれていないのか、それとも昨日からの魔力すら回復していないのか。いずれにせよ魔王国と違っていつもの調子とはいかないようだ。
「ところでアルク様。あのサキュバス。ご命令さえいただければいつでも処分いたしますが」
「ちょっと! セルヴァさん! なんてこというの!」
ニーナさんがサキをかばうような声を上げる。
いつの間にサキと仲良くなったのだろうか。操られた様子はないし、もともとサキ自体がかわいい部類に入る。悪魔とはいえ、そんな彼女を処分するという話に戸惑っているに違いない。だが彼女は悪魔だ。それを忘れてはいけない。
「ニーナ様。アルク様に無礼を働いた者を処分するのは当たり前。それにそこの悪魔は放置しておくと御身の里に迷惑をかけるのは必至。今、ここで処分しておいたほうが里のため、アルク様のためにございます」
サキに顔を向けると、彼女は緊張した顔でこちらの様子をうかがっていた。
渋い顔をするタンキールさんも処分には反対のようだ。
もともと僕が殴られたのは馬鹿正直に彼女に余計なことを言ったからだ。それに相手は子供、しかも女の子である。先ほどの状況から考えてタンキールさんとも和解していたし、誤解も解けているようだ。
そうなると今ここで処分を下すのは二人の心情的にも良くないか。
「いや。今はやめておこう。これからのサキの態度次第で判断する」
「態度も何も殴られたのは乙女に変なことをいった罰でしょ!」
「変なことって何でしたっけ?」
「うぐぐぐ。うるさい!」
サキは顔を赤くして押し黙った。
黙っていればいいのに、と心の中で思う。
「ところで、ひとつお願いがあるんだけど?」
黙ることを知らないようだ。
「サキュバス風情がずうずうしいぞ?」
いらっとした様子でセルヴァが僕の代わりに答える。彼としてはサキのことが気に入らないらしい。
サキはそんなセルヴァを見て、やれやれと首を振った。
そして僕に近づいてくるとすぐ隣に座る。
「あら。セルヴァ先輩に嫌われたかしら。でもお願いを聞いてくれないと倒れそう……なんだけど」
そういって座っている僕にしなだれかかってくる。不意の出来事だったが、なんとか彼女の身体を受け止めることができた。彼女の顔が僕の顔のすぐ近くにある。そんな彼女と目が合った。彼女の赤い瞳は潤み、やや苦しげな息づかいが艶やかな唇から漏れる。彼女の身体からはほんのりと甘い香りが漂い、僕の鼻をくすぐっていく。
「お願い。――もう我慢できないわ」
「な、何が我慢できないのですか?」
吐息混じりに紡がれる彼女の声は切なさを感じるような甘い声だった。
僕は身体をのけぞりながら、間近にある彼女から少し離れようとした。だが僕の身体を彼女はがっしりとつかんで離そうとしない。
「あなたも我慢できないんでしょ?」
「はいぃ?」
「あなたの――アルク様の……魔力をちょーだい!」
「はあ!?」
「ごちそういただきます!」
「ちょっ! 待った! ごちそう? ――いってぇ!!」
サキが僕の人差し指にかみついた。
そういえばエストからも指から吸い取ったとタンキールさんに言っていた。
サキは夢中になって僕の人差し指を吸い始めていた。聞いた覚えのある、「じゅるる」という音が彼女の口から漏れてくる。その音とともに指から自分の魔力が抜けていくのがわかった。
彼女の唇の柔らかさと暖かさが指に心地よい。だが、激しい痛みが僕を襲う。なんといっても口の中では思いっきりかみつかれているのだ。痛いに決まっている。
夢中になって僕の魔力を吸い続ける彼女を見て思い出した。
『ごちそうが歩いてきたら我慢できる?』という彼女の言葉だ。
僕を見て赤くなったり、ちらちらと盗み見したりしたのも僕をごちそうだと認識していたからに違いない。本当の意味での『つまみぐい』を狙っていたのだろう。
(ええい。誰がごちそうだ!)
執事であっても我慢の限界というものがある。「執事の顔も三度まで」、「執事の手袋を踏む」である。それは相手が淑女だろうと子供だろうと例外ではない。
「――いい加減にしろ!!」
僕はサキの頭に手刀をたたき込んだ。
「ぶっへっ」
女の子とは思えない声が聞こえてきたが、その隙になんとか指を引き抜くことができた。慌てて自分の指を見る。どうやら血は出てないし、骨にも異常はないようだ。だが指にはくっきりと歯形が残っている。
問題は魔力のほうだ。
短い時間だったにもかかわらず、結構な魔力を吸われていた。そのせいか猛烈な気だるさを感じている。
手刀を落とされたサキは仰向けになって気絶中だ。白目をむいている顔は、十人中九人が目をそらすだろう。
だがその顔はどことなく満ち足りたような顔をしていた。気絶していても余裕があるのか、舌なめずりをしながら、「ごちそうさま」と寝言を言っている。
もう一発入れといたほうがいいだろうか。
「ちょっと! アルクくん! 女の子になんてことするのよ」
せーの、ともう一度振りかぶったところでニーナさんに止められた。
「なんてことされたからですよ。見てください、この指」
「うっわ。歯の形に青あざになっているわね」
ニーナさんが眉をひそめた。
言われて気がついたが、僕の指に青あざが歯形の形に残っていた。それどころか徐々にけだるさが増してきている。どことなく身体が重い。
変な病気とかじゃなければいいのだが。
「わかっていただけましたか。まあすぐに治せますけど」
僕は『執事診療所』を唱え、指にかける。
すぐに青あざは消え、痛みもすぐになくなった。
だが――身体のだるさは消えない。それどころか急激にひどくなった。
「アルクくん……なんだか急に顔色が悪くなったんだけど……」
「アルク様!」
セルヴァのあわてたような声が遠くのほうで聞こえてくる。
彼は目の前にいるというのに。
しかも周りが暗いせいか森や地面がぐるぐると回っている。
「ハア。ええ。ちょっと身体が――ハアハア」
息苦しさのせいで、呼吸が荒い。
そういえばこの身体の重さに覚えがあった。
セイバスさんとの修業時代にも同じようなことがあったような……。
だけど、なかなか思い出せそうにない。
自分でも頭が働いていないのがわかる。
(あー、なんだったっけ――えーと……)
「……ああ! そうか! 思い出した」
「どうかしたの? アルクくん」
心配そうなニーナさんが僕に声をかける。
だがその声もほとんど耳に入ってこない。
身体の震えが止まらない。
これは魔力が枯渇間近になっている証拠だ。
魔王国なら魔力が枯渇しそうになる前に少し休めば回復していた。魔王国のある土地の魔力が濃密だったからだ。
だがここは異なる大陸、別の土地。
魔王国と比べると存在している魔力が少ない。
「変に魔力を吸われたせいか魔力が足り……ない。こ、これは――ちょっと……まず……いかな」
「アルクくん! ちょっと!」
突然襲ってきためまいとともに、自分がどこを向いているのかわからなくなった。そして、ふと目に入ったのはナッツの木。なぜかその木が横に倒れている。いや倒れているのは自分のようだ。ほほに当たる冷たい感触はどうやら地面のようだ。
薄れる意識の中、ここに来てから初めて身体がだるくなったときのことを思い出す。それは十氏族の代表と言い争ったとき、彼らを威圧するために魔力を開放したあとのことだ。つい昨日の出来事である。
イルミンの成長が遅いのも魔力不足だった。
魔力を開放した僕が身体のだるさを覚えたのは経験していた。それを忘れて魔力を使えばこうなることは少し考えればわかっていたはずだ。魔力を吸い取る悪魔サキという要因はあったものの、今回の件は魔力の回復速度と土地にある魔力量を失念していた自業自得である。
こうして僕はわずかな時間で二度も気絶することになった。
僕が目を覚ましたのは次の日だった。
寝たまま窓を見ると外は明るく、すでに昼近くになっていることがわかる。大きく深呼吸したあと、僕を見つめる視線を感じた。ふとベッドの横に目をやるとそこには見知った顔が並んでいた。
ディーナさんとニーナさんが目を覚ました僕を見てほほえんでいる。ヨヨさんは僕の布団の上で仰向けになって寝転んでいた。
「よかった。目を覚ましたのね。私のプリン」
ヨヨさんはあいかわらずだ。
僕のことをプリン製造機か何かだと思っている。
これを恋人同士が呼び合うような甘い言葉だと思ったら大間違いだ。プリンは甘いが、甘党狂いの妖精をなめてはいけない。
「心配かけたお詫びにまた作りますよ」
「よし! 言質とった!」
よほどうれしかったのだろう。
ヨヨさんが布団から飛び上がり、ガッツポーズを決めた。
やっぱりだ。
ほぼ辛いものしかないエルフの国。ヨヨさんは妖精界に戻らず、僕たちに付き合っている。そのせいかここに来てまだ三日目だというのに花蜜と砂糖だけでは満足できなくなったようだ。
魔王国ではお嬢様用のおやつ用としてお菓子を作っていた。ほぼ毎日、ヨヨさんにも作ったお菓子を食べてもらっていたのだ。そんな手作りお菓子が恋しくなってきたに違いない。いわゆる餌付けである。
妖精といえども、胃袋を押さえられてはひとたまりもなかったようだ。
「――計画通り」
ヨヨさんから右側に顔をそむけ、実在しない先輩に習って口角を上げる。
「起きたばかりで悪い顔しているところ申し訳ないんだけど、アルクくんに相談があるのよ」
ニーナさんが申し訳なさそうに声をかけてくる。
そんな彼女に僕が倒れたあとのことを聞いた。話によると昨日、僕をここに連れてきてくれたのはタンキールさんだそうだ。彼にはあとでお礼を言わねばなるまい。僕は迷惑をかけたことをニーナさんにも謝り、あわせてお礼を伝えた。
ちなみに相談というのはサキのことらしい。
「サキですか。彼女は今どこに?」
「彼女なら別室でおとなしくしているわ」
「おや。エルフの里に入れたのですか? あれでも悪魔ですよ」
「大丈夫。アルクくんが寝ている間に巫女と十氏族の許可は得たわ」
なんでもニーナさんは昨夜のうちに巫女へと事情を説明していた。
そして僕よりも数時間前に目を覚ましたサキと一緒に今回の件を改めて十氏族代表に報告し、サキの行った行為の赦しを得たそうだ。
代表数人から反対意見も出たそうだが、悪魔である彼女を擁護したのはタンキールさんだったという。大人のサキュバスと違い、悪意はなく邪悪さは感じない。監督さえしっかりしていれば問題ないと言いきったそうだ。
なおも渋る一部の代表に対し、彼はさらに付け加えた。
サキュバスにとって魔力は生命の証。我々が愛してやまないモルスソースのようなものだ、と。
普通なら、「それがなにか?」で終わる話なのだが、なんとその一言で全氏族代表の説得に成功した。ソウルフード恐るべしである。
「セルヴァとグレムリンはどうしました?」
「彼らもアルクくんのそばにいるよう誘ったんだけど、丁重に断られたわ」
セルヴァとグレムリンはエルフの里に入ることを固辞したそうだ。心配そうな顔で倒れた僕をタンキールさんとニーナさんに任せるといったらしい。
ついてこない理由をセルヴァはこう答えたという。
魔族ならともかく、ほかの種族が認識している悪魔という存在は絶対悪である。そんな存在を使い魔にしていると一般のエルフたちに知られれば僕の立場が悪くなる、と断言したそうだ。未知なるものは恐怖ですからと。
さすがは優秀な使い魔である。
それだけを伝えると、「すぐに戻ってくるわ」とニーナさんは部屋を出ていった。
「アルクくんの使い魔は変わった悪魔さね」
「悪魔にもいろいろいますからね」
二人にはあとで礼を言っておこう。
「もう一人変わった悪魔を連れてきたわよ」
部屋に戻ってきたニーナさんが連れてきたのは、サキュバスのサキだった。うつむいたまま、彼女は何かに祈るように胸の前で手を組んでいる。そして彼女は顔を上げ、勇気を振り絞るかのように口を開いた。
「ごめんなさい。傷ん――弱っているなんてわからなくて」
今、僕のことを食材のように傷んでいると言いかけた!?
「話を聞く前に聞いておきたいんだけど、僕を見て『ごちそう』っていってなかった?」
その真意を聞いておきたい。そう思って尋ねたのだが聞くまでもなかった。彼女にとって僕の魔力は巨大かつ生命力に溢れ、純粋でとても美味しそうだったそうだ。
彼女曰く、「これは褒め言葉」らしい。
彼女の感覚を例えるなら、新鮮な食材を使い、素材の味を生かした大量の料理がテーブルいっぱい並んでいた、という感じらしい。それも高級料理だそうだ。
まったく褒められた気がしない。
ただ納得できる部分もある。確かに空腹のときなら我慢できない気がする。自分も一度は彼女に同意しているので反論しようがない。
「やっぱり、ごちそうってそういう意味ね」
なんとなく察していた答えにため息が出る。
「とりあえず僕の魔力を吸ったこと行為に関しては不問でいいよ」
「本当! よかった!」
安心したような顔を見せるサキ。
その輝くような笑顔のまま、上目遣いで僕を見た。
「そこでお願いがあるの!」
「まさか、また魔力をくれっていうんじゃないでしょうね」
「その話はあとでね」
(あとがあるのか……)
「あのね。私を魔王国に連れていって欲しいの!」
「はあ?」
「聞いたんだけどニーナがお店を開くんでしょ? それを手伝いたいのよ。魔王国なら悪魔も街に出入りできるんでしょ。ねっ、どうかな?」
ニーナさんのお店を手伝うとは。
それはまたずいぶんとなついたものだ。
確かにウスイの街に限らず、魔王国では悪魔は使い魔として使役されているため出入りは比較的自由だ。だがひとつ問題があった。
「今のままでは非常に難しいですね」
「え? 何か問題があった?」
サキに余計なことを教えたのはニーナさんのようだ。
すでに連れていく気でいる。
「一番の問題はサキが野良悪魔だということです。もし野良悪魔が見つかった場合、魔王国では排除の対象となります」
「ええぇ!!」
サキがニーナさんの後ろに隠れたが、排除するのは僕の役目ではない。
野良悪魔は見つけ次第、見敵必殺。逆にいえば見つからなければいいということでもある。
「それにもしサキが誰かと契約できたとしても、犯罪行為をすれば契約者ともども処分されます」
「私が彼女と契約するから大丈夫。それに今のサキなら問題ないわ」とニーナさんが胸を叩いた。
しかし……。
「それは僕が許しません」
「ちょっと! なんでよ!」抗議の声を上げたのはニーナさんではなくサキだ。
「まあ、アルクくんの話もちゃんと聞くさね」
そういって怒るサキをなだめたのはディーナさんだ。
この中で桁が違う強さと魔力を誇る彼女の一言に、さすがのサキもおとなしくうなずいた。
余談だが、ディーナさんの魔力は神の食事という感じだそうで、決して手を出してはいけないものらしい。ニーナさんの魔力は変に身体が熱くなるためかサキの身体に合わなそうだという。エルフ一倍食べるニーナさんの魔力は、ほかのエルフ以上に激辛な魔力でも流れているのだろう。
「認められない理由はこうです。ニーナさんは『妖精の祝祭』における店舗責任者。なによりミストファング侯爵家と関わりが深い。許されたとはいえ、すでに二度、僕を含めて六人も襲ったサキと契約を結ぶなど認められません。何かあった場合、侯爵様御夫妻やお嬢様に迷惑がかかります。もちろん僕も契約を結ぶつもりはありません」
「じゃ、じゃあどうしたらいいの。もしかして魔王国にはいけない? 魔王国は美味しい国だって聞いたのに」
まあ確かに。
魔王国は濃密な魔力であふれている。そりゃもう彼女的には天国のようなところだ。例えるなら、うなぎ好きがうなぎ屋さんの店に行くようなものだろう。調理場から流れてくるうなぎを焼く煙やタレの香りに包まれる的な意味で。匂いだけでご飯が食べられる人もいるくらいだ。
「ねえ。お願いよ。絶対に悪いことなんてしないわ。黙って魔力を吸ったりもしない。悪魔として、サキュバスとして誓うから連れてって!」
悪魔の誓いは契約と同じで絶対だ。それだけ彼女は覚悟しているのだろう。なんとかしてあげたいが……。
「手がないわけじゃありませんけど、まずは研修を受けてもらってからの判断でしょうか」
※ガタッ!※
「お♪ なんさね? 指導をお望みかい? 指導しちゃうさね?」
ディーナさんが手をワキワキさせながら、イスから立ち上がった。その顔はすでに指導者としての顔だ。
「大丈夫ですから座っていてください」
「ディーナさんって本当に指導が好きなのね」
気に入ったのか布団でごろごろしているヨヨさんがつぶやいた。
見ちゃいけません。あれは病気です。
渋々といった様子でディーナさんはイスに戻る。
「少し待っていてくださいね」
僕はベッドから起きると、お嬢様専用通信具を取り出し、魔力を込める。よし、魔力も問題ない。全快とまではいかないが一晩休んだおかげでそれなりに魔力が回復しているようだ。
「アルクんなのー!」
元気よくお嬢様のかわいい声が聞こえてきた。あー、癒やされる。少しだけ雑談を交わしたあと、イーラさんに変わってもらう。そのイーラさんに事情を説明し、侯爵様とセイバスさんに許可を得られないか相談した。
「わかったわ。少しだけ待っていてね」
しばらくのち、サキを連れてくるようイーラさんから返事があった。後ろではお嬢様の、「アルクん。いつ帰ってくるのー」という声が聞こえる。なんと慈愛に満ちた言葉だろうか。
よーし。サキとかどうでもいいからすぐに帰ろう。
早速帰ろうとした僕だったが、残念ながらニーナさんに阻止されてしまった。だがサキを連れていき、研修を受けさせる許可は得ることができた。
「とりあえずサキが研修を受けられることになりました。あとはサキ次第でしょうか」
「きゃあ。アルク様ありがとう! ――ぐべ」
そういって抱きつこうとするサキの顔を押さえ、彼女の抱擁を丁重にお断りしておく。隙を見せて、またかまれてはたまらない。
「ありがとう。アルクくん」
「いえいえ、ニーナさん。これもご迷惑をおかけしたお詫びですよ」
「ところでアルク様。研修って何なの?」
「……サキは僕の使い魔じゃないから様をつけなくていいんだけど」
「いいのよ。やっぱり高級なかたには敬意を払わないとね」
「それって料理的な意味ですよね」
「てへ♪」
「やっぱり連れていくのやめましょう」
「あっ、うそだから。ね? 冗談だから。悪魔ジョークよ! そう! 悪魔ジョーク」
「はいはい。研修はお嬢様の専属侍女であるイーラという女性が担当します。その研修の結果次第では魔王国に住むこともできるでしょう」
「わかったわ。誓いがウソじゃないって証明してみせる。死ぬ気で頑張るわ」
サキの言葉が現実のものとならなければいい。
せっかく助かった命。魔王国に来なければ、という結果になっても後味が悪い。
「……死なないでくださいね」
「……どういう意味?」
「言ったとおりですよ。僕の自称お姉ちゃんを甘くみては困ります」
「自称なの?」
サキはよくわかっていない様子だが僕も正直、なぜイーラさんがお姉ちゃんと呼ばせるのかよくわかっていない。僕は孤児だし、彼女は貴族令嬢なのだ。
まあ姉弟扱いしてくれるのは嫌ではない。少し照れくさいだけだ。
「自称です」
「え? イーラで大丈夫なの? 彼女、お嬢様のお世話と妖精が好きな普通の魔族よね。アルクんと違って」とヨヨさんが首をかしげた。
「イーラちゃんって、いつもティリアちゃんのそばにいる女の子よね。今のサキなら変なことはしないだろうけど、あのおとなしそうな子で本当に大丈夫なの?」
ニーナさんの言葉は侍女であるイーラさんに、悪魔であるサキを指導できるのかという意味を含んでいるのだろう。
だがそれはイーラさんに対して失礼極まりない。
「ヨヨさんもニーナさんも何を言っているんですか。いいですか。僕はお嬢様の専属執事。ですが、まだ『見習い』の身なのはご存じですよね」
「「ええ、そうね」」
「イーラさんはお嬢様の『専属侍女』です」
「――え? それってどういう意味?」
「僕が一度でもイーラさんのことを弱いなどといいましたか?」
「えっ、ウソ。アルク様よりも強いの?」
「彼女は体術の達人ですよ? 体術勝負ならセイバスさんにすら何度か勝っています。僕なんてまだまだですね」
「はぁ? あの無茶執事長よりも!?」
無手の勝負なら彼女は強い。
得意な武器と魔法を使わせたらセイバスさんの圧勝でしょうけどね。
僕の場合は微妙だけど。
「はい。それにお嬢様の生活に関するすべての補佐を行うのが専属侍女であるイーラさんの仕事です。お嬢様のお召し物のお世話などは当たり前。それに加え、十桁程度の暗算はもちろんのこと、ほかの種族の言語を多数扱うことができる多言語話者。マナーや作法だけでなく、ダンスや楽器の演奏すらこなします。彼女は完璧を誇る( )専属侍女なのですから」
僕が昔、付け加えた、『残念な』というカッコ内の言葉は今だけ外しておく。
僕が説明したあと、急に二人が静かになった。
なぜか目が点になっている。
「「ええええええ!!!」」
三秒ほどの沈黙が続いたあと部屋には二人の驚く声が響いたのだった。
僕は耳を押さえながら、顔を青くしているサキに伝える。
「そういうわけでサキ。頑張ってください」
「い、生きるために頑張れっていう意味よね」
腰が引けているようだが、今更逃げようと思っても逃げられないし逃がさない。研修をしっかりと受けてもらい、立派な悪魔として侯爵家のために働いてもらおう。
「おっと。大事なことを忘れておったさね。イルミンのことさね」
「そういえば会議はどうなったんですか?」
「ああ。無事終わったさね。ただイルミンの魔力をどう補うか、何かいいアイディアはないかね」
「あれ? しばらく魔王国に来れば問題解決なのでは?」
「成長の遅れを取り戻すため、少し多めに魔力を補う必要があるという結論になったさね」
「なるほど。うん? その魔力を補う方法ってサキにも使えそうですね」
「あー、なるほど。確かにそうさね」
ディーナさんの話に僕は飛びついた。
サキも指からではなく別の方法で魔力が摂取できるなら、他人から魔力を無理矢理奪う必要もなくなるだろう。
これは少しまじめに考えなければならない。
そういえば数日前にも同じことを議論していたけど、あのときは三賢樹が出てきたことで議論が止まっていた。
「アルク様、やっさしー。私のために魔力を吸わせてくれ……る――」
サキが話している途中で、僕は無言のまま『執事ボックス』からソウルイーターを取り出した。それを見たサキはまたもやニーナさんの後ろに隠れる。「悪魔ジョーク!」と言い訳しているが別に気にしていない。僕は苦笑しながら、「わかっているよ」と首を横に振った。
「ソウルイーターなら吸収した魔力を自分のものにできますけどね」
僕はソウルイーターを見ながら誰にいうわけでもなくつぶやいた。
両刃の刀身も鞘も真っ黒なこの短剣型ソウルイーターは侯爵様より賜った品だ。
様々な魔力を吸ったおかげか、黒さの中にもしっとりとした艶やかさが見てとれる。吸い込まれそうなほど美しい刀身は僕のお嬢様に対する忠誠心を示しているかのように輝いていた。その輝きはまるで短剣が生きているかのように感じるほどである。
気のせいだろうか。
どこからともなくもっと多くの魔力を欲する声が聞こえてくるようだ。
「くふふっ」
「うわぁ。アルク様の顔……」
サキがまた何か言っているが気にしない。
「……刃物を見て不気味に笑う執事とか。ティリアちゃん、平気なのかしら」
「ヨヨさん! 何を言っているんですか! 僕の忠誠はこのソウルイーターの刀身のように清らかで純粋なものです」
「真っ黒じゃないの! あと魂喰らいの刃先をこっちに向けないで!」
「確かにその短剣なら魔力を補うことができるだろうが、さすがにイルミンに刃物は持たせられないさね」
「そりゃそうですよね。失礼しました」と僕は短剣をしまう。
「非常時には使わせてもらうさね」と苦笑するディーナさん。
「ねー。前も言ったけど魔石はダメなの? たくさんあればいいんでしょ」
ヨヨさんの質問にディーナさんは首を横に振った。
残念ながら魔石では難しい。
というのも魔石の持つ魔力は直接、自分の魔力にすることができないからだ。
一応、方法はある。
その方法とは魔石を砕き、中に蓄えられた魔力を開放する。その開放された魔力を自然吸収するのだ。ただし魔石を砕くと、その魔力の大部分が霧散して消えてしまう。確かにヨヨさんがいうように大量の魔石を用意して、イルミンの周りで砕けば、多少の効果はあるだろう。だが毎日大量の魔石を安定的に入手するのはほぼ不可能だ。手に入れることができたとしても非常に効率が悪い。
先ほど幼子に刃物は持たせられないという至極まっとうな正論で却下されたソウルイーターだが、これを魔石に使うと多少効率が良かった。
ソウルイーターを魔石に突き刺し、魔力を吸収させたあと、さらに自分に魔力を移すのだ。
ただし、効率がいいといっても知れている。
一度試してみたが、やはり魔石に突き刺したときに魔石が保有する魔力の多くが霧散して消えてしまった。ソウルイーターを使っても三割以下の魔力しか吸収できなかったのだ。結局、魔石は魔石のまま使うのが最も効果的かつ合理という証明にしかならなかった。
魔石に変わり、個人の魔力を放出する案もあった。
僕やディーナさんが魔力を放出し、イルミンに吸収させるという方法だ。だがこれもまた魔力が霧散して消えてしまい、非常に効率が悪かった。それにエルフの中に僕やディーナさんほどの魔力の持ち主がいなかったため、却下されている。
結果として魔力は直接譲り渡すことはできないし、自分や魔石から放出すればそのほとんどが霧散して消えてしまう。
「やっぱり難しいですね。魔力を回復させる薬があると便利なんですけど」
「わらわも長生きしているが、そんな薬、聞いたことはないさね」
「龍族あたりが作ってそうですけどね」
誘拐の現行犯で捕まったビザー伯爵のことを思い出す。彼は魔力をうまく吸収できないせいで、魔力の枯渇に苦しみ、悪食となった。その悪食の影響を少しでも緩和するため、魔力回復薬の研究をしていた。
その魔族より医学や薬学に詳しい龍族のことだ。もしかしたら魔力回復薬について何か研究している可能性がある。
「なるほど。龍族か。一度、確認してみる必要があるさね。ただ、わらわはイルミンのことがあるから離れられないさね」
「でしたら僕が行ってきましょうか。もともと獣族、海洋族、人族が持つという秘薬の名前を教えてもらいに行くつもりですし」
魔族が味覚を取り戻すために必要な秘薬は残り三つ。五種類の秘薬を調合できる龍族なら残りの秘薬の名前を知っているはずだ。
「いいのかね? もともとアルクくんには関係のある話ではないさね」
「乗りかかった船です。それにイルミンちゃんはお嬢様のいい友だちになってくれそうですから。ついでにサキもいますし」
「ついでってひどい!」あー、聞こえない。
「わらわはついていけんがかまわぬか?」
「大丈夫です。残り三つの材料と魔力回復の手段がないか確認したらすぐに戻ります」
ディーナさんは、「頼んださね」とうなずいた。
「そういえば龍族の国ってどこにあるの?」
首をかしげるニーナさんの問いに答える。
「龍族の国は魔王国の北。『ドラゴンフォール山脈』にあります」
「じゃあ、次の目的地はそこね」とヨヨさん。
「行く前にひとつ、とても重要なことがあります」
「え? 何があるの」
ヨヨさんが、ごくりと息を飲んだ。
部屋の中に言い知れぬ緊張が満ちていく。
「龍族の国に行く前に!」
「行く前に!?」
「お嬢様に会わないと! 今の僕は魔力以上にお嬢様成分が枯渇しています。早く帰って補充しなければなりません!」
「……誰かアルクんの病気を治す薬を持っていないかしら」
「龍族ならあるかもしれんさね」
ディーナさんとニーナさん、それにヨヨさんが楽しそうに笑った。
サキだけはなんのことかわかっていないようだ。笑う三人を見比べている。
よし、決まった。
研修中にお嬢様の魅力について教えるようイーラさんにお願いしておこう。
こうしてサキの研修内容にまたひとつ新しい項目が増えるのだった。




