第百十六話 離々たる精霊たち(後編)
夕方、巫女の家に戻るとディーナさんとリアルルさん、それにヨヨさんがすでに精霊の間の外で待っていた。その後、我々に用意された来客用の大部屋に集まった。
打ち合わせの結果を聞くと、イルミンをリアルルさんの元に預けることは決まったそうだ。ただ細かい内容が決まっておらず、明日も朝から打ち合わせをすることになったそうだ。またヨヨさんもタンキールさんとの商談が長引き、続きは明日に持ち越しになったという。
「疲れたわー。ああいう堅苦しい話し合いってすっごく苦手」
ぐったりしながらぼやいたのはリアルルさんだ。
もともとハーブ園で精霊たちと暮らしていた彼女にとっては大勢の前で話をするのは緊張するだろう。そんな彼女に無理をさせていることを詫び、お礼を伝える。そんな彼女たちにねぎらいの意味をこめて、お茶を用意する。
ふとある疑問が頭をよぎった。水の精霊であるディーナさんがお茶などを飲む場合、それは共食いになるのだろうかと。ディーナさんはそんなこと関係ないといわんばかりに僕のいれたお茶を飲んでいる。まあ、どうでもいいか。
「ん。ありがと」
ソファーに座りながら、ぐったりとしているリアルルさんがカップを手に微笑んだ。彼女がいれてくれたハーブティーほどではないが、部屋に用意された茶葉もなかなかの品だった。部屋にお茶の香りが広がり、彼女らの疲れを癒していく。
「どうしよう。アルクんが執事みたいなことをしてるわ」
「……執事ですけど、何か?」
失礼な妖精である。執事をなんだと思っているのだろうか。
「それにしても急にお願いした挙げ句、任せっきりにして申し訳ありません」
「いいのよ。そもそも私たち精霊のことでもあるしね。それにイルミンちゃん可愛いし」
「ん!」
リアルルさんの隣に寄り添うように座っているのはイルミンだ。小さな手でリアルルさんの服をつかんでいる。イルミンはリアルルさんを見上げて、ニカッと笑った。
「……イルミンちゃん。メリッサさんから離れて大丈夫なんですか」
「ん!」許可は得たと彼女は言う。
「ならいいんですけどね」
「うーん。やっぱり私には何を言ってるのかわからないわ」とヨヨさんが肩を落とした。
「まあ魔力さえあればすぐに話せるようになるさね。そうさね、イルミン」
「ん!」
ディーナさんはイルミンを見て笑い、イルミンもまたディーナさんに微笑むのだった。
その後、宿泊用に用意された個室に入った僕はお嬢様に連絡をとった。
ベルゼブブからもらった通信用魔道具はちゃんと通じるだろうか。なにせここは魔王国のある大陸とは別の大陸だ。祈るような気持ちで青い魔核に魔力を込め、お嬢様に呼びかける。
「――お嬢様。ティリアお嬢様」
「――ルクん! アルクんなの?」
聞こえてきたお嬢様の声にホッとする。
どうやらちゃんと通じたようだ。
まずは一安心。
「はい。お嬢様。アルクでございます」
「きゃー♪ イーラぁ。アルクんなのー!」
パタパタとお嬢様が走る音と少し離れた場所からイーラさんの、「ふふ。良かったですわね」という声が聞こえた。どうやら今はお部屋にいらっしゃるようだ。
「連絡が遅れて申し訳ありません」
「アルクんはがんばっているからいいのー!」
くっ。お嬢様のなんとお優しいことか。
そのお言葉の一言一言が身に染みるようだ。
お嬢様は今日起きた出来事をうれしそうにお話ししてくださった。
新しいお花が咲いた。イーラさんと追いかけっこをした。プレスさんがまた変な生き物を連れてきたなどだ。お嬢様の弾むような声から、とても楽しかったことが伝わってくる。
(……プレスさん。今度は何を捕まえてきたんだよ)
少し不安に思いながらも、エルフの森のことをお話しする。どこまでも伸びる大きなソサウィーの木のこと。いろいろな木の実がなる不思議な木のこと。エルフの巫女のこと。十人の代表者のこと。世界樹の精霊のこと。そしてイルミンのことなどだ。
「イルミンちゃんとお友だちになりたいの!」
「ええ。仲良くしてあげてくださいね。きっと喜んでくれるはずですよ。リアルルさんのハーブ園でしばらく一緒に暮らすそうなのですぐに会えると思います」
「リアちゃんのおうちに住むの? わぁ! とってもとっても楽しみなの」
たわいもない話だが楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
通信魔導具から専属侍女イーラさんの、「お嬢様。そろそろ――」という声が聞こえた。
「わかったのー。アルクん。お仕事がんばってなの!」
「はい。お嬢様。お任せください」
「おやすみなさいなの」
「おやすみなさいませ。お嬢様。何かありましたらいつでもお呼びください。すぐに駆けつけますからね」
「はいなの!」
こうして短い間ではあったがお嬢様とお話しすることができた。
うん。イーラさんたちのおかげでお嬢様も元気そうだ。
僕も早く用事を済ませてお嬢様のもとに帰ろう。
あー、帰りたい。
その日の夜、僕たちは食事会に招待されることになった。食事会といっても貴族のような格式ばったものではなく、大勢でわいわいしよう的な食事会だ。今回の食事会も歓迎会や忘年会のようなもののようだ。
他人と交流を深めるには一緒に食事をするのが一番である。唐揚げにレモンをかけるかどうかで新たな火種が生まれることもあるが、それもまたご一興である。本気にならなければいい。
参加しているのは巫女のメリッサさんやイルミンのほか、各氏族の代表たち。それに僕たちだ。見たところ三賢樹の姿はない。
この食事会にはお酒も用意されていた。ワインのほかにエルフが作ったというお酒があった。このお酒はリンゴから作っているそうで、いわゆるシードル(リンゴ酒)だ。前世で飲んだものより、香りもよく色も非常に美しい。お酒に弱い今の僕は残念ながら飲むことはできないが、あとでおみやげとして買っていこうと心に決めた。奥様や女性使用人の皆さんに喜んでもらえるだろう。
簡単な挨拶のあと、食事会が始まり、思い思いに料理を食べる。テーブルの上に並べられた料理だがエルフ特有の『激辛』料理は控えられていた。控えられていただけで何品かはテーブルの上に鎮座している。
激辛料理が控えられたのはイルミンやディーナさん、リアルルさんのような精霊に加え、魔族の僕に配慮してくれたのだろう。精霊はエルフと違い、激辛嗜好ではない。例えこのエルフの森に住む精霊であっても辛いものが好きというわけではない。やはりおかしいのはエルフだけである。
その配慮のおかげだろうか。真っ赤な煮込み料理を食べても、少しピリッとするくらいだった。それどころか非常に美味しかった。むしろわずかな刺激が食欲をそそる。
一応、どうしてもというエルフたちのためにウルスソースが用意されている。まあ、ニーナさんを含むエルフ全員が片手にウルスソースを持っているわけだが気にしたら負けだ。年配のエルフの中にはオリジナルらしきウルスソースを手に持つ代表もいた。あれが噂の長老秘伝のウルスソースだろう。ただでさえ辛いのに更に刺激的とニーナさんに言わしめた超危険物である。
この長老秘伝のソースだが『世界樹の朝露』を知る前は味覚を取り戻すのに使えると思っていた。結果的に関係ないことがわかったのだが、僕の『執事ボックス』には彼らが持っているものと同じ、長老秘伝のウルスソースが数本入っている。以前、ニーナさんに頼んだものだが断るのが遅くなったせいですでに渡されてしまったのだ。とりあえず永久に封印するつもりで受け取っておいた。
イルミンと妖精のヨヨさんは仲良く甘く煮た豆を食べている。甘く煮た豆は表面にうっすらと砂糖の結晶が浮いており、きらきらと光っていた。砂糖でコーティングされているような感じの豆だ。
二人はその甘く煮た豆が気に入ったらしい。ヨヨさんは自分の口よりも大きい豆を両手で持ってリスのようにかじっている。イルミンも負けじと口の中に豆を運ぶ。どうやら精霊であるイルミンには離乳食は必要ないらしい。
豆ばかりほおばるイルミンのために飲み物を用意してやる。リンゴジュースにヨヨさんに出してもらった花蜜をたっぷり入れた特製リンゴジュースである。イルミンはジュースを受け取ると、一口飲んだ。その途端、イルミンの目がカッと大きく開かれる。そして喉を鳴らしながら勢い良く飲みはじめた。ジュースを飲み終わったイルミンはコップを置いて、ぷはぁと息を吐いた。さすがは生を受けて三十年のイルミンさんだ。人族換算すればおっさんである。
そんな彼女と目が合うと、イルミンはニカッと笑った。どうやら花蜜入りジュースを気に入ったようだ。まだ飲みたそうな顔をしていたのでおかわりを用意してあげた。今度のジュースには少し多めに花蜜を注いでおいた。
「どうしよう。一日に二度も執事の真似をしているアルクんを見ちゃった」
「……真似じゃなくて執事ですけど?」
豆の食べ過ぎで幻覚でも見てるのだろうか。
僕はもともとお嬢様の執事なのだ。正確には見習いだけど。
ディーナさん、リアルルさん、ニーナさんらも用意された料理に舌鼓を打っている。ニーナさんにとってはひさしぶりの故郷の料理だ。彼女の顔からは笑顔が絶えなかった。
並べられた料理はエルフの主食ともいえる豆料理と麺類が中心だ。しかも魔族の国では見たこともない料理ばかり。見たこともないといったものの、「では魔族の国にちゃんとした料理があるんですか?」と問われると正直答えに困る。毒入りの料理は料理の中に入れてもいいのだろうか。実際、貴族の食事を除けば、まともな料理というのはまだまだ魔王国では珍しい。
出された料理だが、野菜と豆をじっくり煮た煮物、豆のスープ、豆のサラダ、鳥肉のグリルなどが並べられている。それぞれ異なる豆が使われており、味も深みがあってどれもおいしい。もちろん毒のある食材はひとつもない。
麺を使った料理も様々な種類があった。鳥ダシと塩で味をつけた焼きうどんのようなものやベトナムのフォーのようにスープ仕立ての麺料理もある。
面白いのはパスタに似た麺だろうか。麺にソースをからめて食べるのではなく、鳥からとったダシと少量のモルスペースト(豆板醤に似た調味料)を合わせたピリ辛ダレにつけて食べていた。まるでつけ麺のような食べ方である。
(似た食べ方も多いけど、世界変われば食べ方も変わるか)
前世との違いに思いを馳せながら、僕は鳥肉のグリルに夢中になっていた。しょせんは過去の話。今は過去より食い気である。
鳥の肉はウコッケよりも肉汁がたっぷりで脂ものっている。しかし、くどいわけではない。皮はパリっとしており、香ばしい香りが口にいっぱいに広がる。
なんという名前の鳥だろうか。
あまりの美味しさに二つ目を手に取ったところでメリッサさんに話しかけられた。
「お気に召しまして?」
「はい。この鳥はとても美味しいですね。なんという鳥なんです?」
「それはよかったわ。それはカモカモの肉なの」
「カモかも?」
メリッサさんが赤いスープの入った器から手を離し、微笑みながら答えてくれた。そんな彼女の左手にはモルスソースが握られており、中身をスープの中に注いでいる。だが彼女の視線はこちらに向けられており、スープ皿は見ていない。彼女に目で、「お皿! お皿!」とサインを送るが気がついてもらえない。赤く染まった豆のスープがまるで夕日のように濃い赤に染まっていく。やがてビンの中のモルスソースはすべてスープの中へと消えていった。ビンの大きさは十センチほどとはいえ、かなりの量が入ったと思われる。スープの色はメリッサさんの瞳のようにそれはもうどこから見ても真っ赤であった。よく見ればスープ皿の隣にもう一本、空になったウルスソースのビンが転がっていた。
思わず口元がひきつってしまったが、なんとか彼女に笑みを返す。
「どんな鳥なんですか」
「カモカモはね――」
メリッサさんの話によるとどうやら前世にもいた鴨かもしれない。特徴が非常によく似ているのだ。エルフはこのカモカモを人工的に増やし、育てているという。養鴨ならぬ養カモカモだ。なんでもこのカモカモ、エサを食べ過ぎるとその場でひっくり返るらしく、つかまえるのも簡単だそうだ。
また肉だけでなく、わざとエサを大量に与えることによって肝臓を肥大化させ、その肝臓を食べるという。これはまさにフォアグラである。ほかにもカモカモのパリっとした皮だけを野菜などと一緒に食べる料理もあるらしい。北京ダック……いやエルフカモカモと呼ぶべきか。
ちょうどその説明を聞いていると、厨房からフォアグラと皮がこんがり焼かれたカモカモが給仕のエルフたちによって運ばれてきた。その料理に若い代表らが歓声を上げる。
中には、「これを食べるために代表になったようなものよ」なんて声も聞こえてくる。代表になった理由がそんな不純な動機でいいのだろうか。聞いてるのか、そこのツリーフォード代表! と心の中でツッコんでおく。もちろん彼女とは目を合わせない。おそらくフォアグラもエルフカモカモもお高いお料理なのだろう。
それはともかくフォアグラやエルフカモカモは若い代表らに人気だった。彼ら彼女らの前に置かれたフォラグラがみるみる減っていき、カモカモのこんがり焼けた皮がどんどん剥がされていく。
「ぐふふ。よいではないか。よいではないか」
ツリーフォード代表がカモカモの皮を切り取りながら何か言っていたが聞こえないふりをしておいた。まさに肉食系女子というべきか。この場合は皮だけど。
こちらもさっそくフォアグラの味をみる。
ソースは鳥からとったダシをベースに赤ワインを煮詰めたもの。その中に花蜜と酸味のある果物が合わせてあるようだ。さっぱりとした酸味と花蜜の甘味を感じるソースが濃厚なフォアグラにぴったり合っている。少ない材料でこれだけのソースを作るとはエルフの料理人もかなりの腕前のようだ。妖精の花蜜を使う辺り、こだわりがあるようだ。なにせ花蜜は非常に優秀な食材だ。それをソースに使うとは、さすが妖精と取引をしているグリバルトといったところか。
「ヨヨさん。カモカモの仕入れをお願いしたいかも」
「……どっちよ?」
「カモカモを仕入れて欲しいかもかもかもーん」
「はいはい。気に入ったのね」
「お嬢様も間違いなく気に入ってくれるでしょう。それにこのフォアグラは高級食材ですし貴族の食事にふさわしい」
「あら。よくご存知ですね。魔族にもフォアグラがあるのですか?」
「いえ。たまたま知っていただけです。魔王国で食べたことのある魔族はまずいないでしょうね」
「そう……なのですか?」
瞳と同じ真っ赤なスープを美味しそうに口にしたあと、首をかしげるメリッサさん。魔族が食べたことがない料理をなぜ僕が知っているのか不思議なのだろう。だが前世のことをいうわけにはいかない。
「どうじゃ。口に合ったかな?」
声の主は恐らく今日の食事会を担当した料理人だろう。
これはぜひとも挨拶をしなければ。
味の感想を求められた僕は声の主に振り向きながら答えた。
「ええ。とっても美味し――ぶっ! ごほっ! ぶっほ!」
不意打ちだった。
鼻からフォアグラが出そうになる。
「ふぉふぉ。そんなに焦って食べんでもまだあるぞ」
「あらあら。アルクさん。大丈夫ですか?」
「おい。大丈夫か」
振り向いた先に立っていたのは三賢樹と呼ばれた世界樹の精霊たちだった。僕に話しかけてきたのはその中の一人、アースガル老。わざわざ口調を変えて声をかけてきたのだ。
なぜか三人ともピンクのフリル付きエプロンをしており、頭には花柄の三角巾を巻いている。その姿に吹いてしまったのだ。いや、吹くだろ。こんなの。
特にアースガル老の破壊力は強烈だった。
「ふぉふぉふぉ。驚いた。驚いた」
「大成功ですわね」
「客人を驚かすのが数少ない我々の楽しみですな」
三賢樹の三人はうれしそうにハイタッチしている。
「ゴホッゴホッ。ま、まさかと思いますが、今までの料理は皆さんが?」
「ふふーんじゃ」
アースガル老が得意気な顔で胸を張った。
うざったい。実にうざったい。
「すいません。アルクさん」
申し訳なさそうに謝ってきたのはメリッサさんだった。
その顔は中間管理職のようで彼女の微妙な立ち位置が感じられる。
「実はアルクさんが魔族というだけでなく、エルフ以外のお客様がここに来られるのはひさびさなんです」
「はぁ」
「三賢樹の御方らは訪問されたお客様をもてなすのがご趣味でございまして……私ども代表の一部は前もって聞いていたのですが、それで、あの、その――」
「ようは三賢樹の皆さんは、訪問客に対し、自ら料理を作って驚かすのが趣味なんですね」
「え、ええ。わかりやすくおっしゃるとそのような意味に……」
「ん? ということは皆さんこのことを――」
ハッとしてディーナさんたちを見る。
「昔やられたから知っておるさね」
「あらアルクん。私はディーナさんから聞いたわ」
「私もディーナ様から。実際に見て驚いたわ。三賢樹様が本当に作ってるなんてね」
「ん!」
身内の全員がグルだった。
いたずら経験者のディーナさんはともかく、ヨヨさんもニーナさんもそのディーナさんから聞いたという。しかもイルミンまでが知っていると返事をしている。
氏族の代表らに目を向けると中年以上の代表らはあえてこちらを見ないようにしていた。その数は五人。代表らの半分だ。ヘレナさんやラケシスさんの肩は小刻みに揺れていた。あれはどう見えても笑いをこらえている姿に違いない。
(ん? 代表の一部は聞いていた? じゃあ、ほかは?)
巫女を含め、顔を背けている代表らは三賢樹のいたずら? を前もって聞いていた。
だが残り五人の若い代表たちは聞かされていなかったらしい。
というのもタンキールさんら若い代表たちは三賢樹の姿を見て、唖然としていた。そんな彼ら彼女らから、「え? 今までの料理も?」、「信じられない」といった戸惑いの声が聞こえてくる。まあ目の前にしても信じられないだろう。いつもは威厳を持って、「不甲斐なし、不甲斐なし」と接してくる三賢樹がピンクのフリル付きエプロンを着て料理を振る舞っているのだ。
特に午前中、アースガル老に不敬を働いたと思っているツリーフォード代表の動転ぶりはわかりやすかった。彼女の目がアースガル老とエルフカモカモを何度も往復している。二度見どころの話ではない。
若い代表らの反応を見る限り、三賢樹のいたずらに付き合わされたのは初めてに違いない。おそらくは僕と一緒で驚かされる側の対象に入っていたのだ。メリッサさんが久しぶりのお客と言っていたから、新人代表への洗礼とか通過儀礼的なものなのだろう。
ふと視線を戻すとメリッサさんが、「やばいかなー、まずいかなー」といった表情でこちらを見ていることに気づく。三賢樹らはそんなメリッサさんの気持ちを察することなく楽しげだった。どうやら騒ぐのは嫌いではないらしい。
(誰も来ない……か)
ふと今日の午前中のことを思い出し、思わずため息をついた。
許可を得ず発言したツリーフォード代表にアースガル老が声をかけたときの話だ。
アースガル老たちは威厳を持って信仰の対象を担っている。だがその威厳が一部の代表に恐れられている理由でもあった。これは三賢樹にとっても本意ではないだろう。長く代表を務めており、三賢樹とも何度か話をしたことのあるヘレナさんやラケシスさんら老エルフたちはまだいい。だが若い代表ほど三賢樹との間に『壁』を作っているように思える。その壁は崇められる対象と崇め敬う者との間にできた高く強固な壁だ。そしてこの壁を作ったのは若い代表だけでなく、三賢樹もまた協力しているのだ。
(三賢樹も皆と騒ぐのが好きなら自分から歩み寄ればいいんだよ。不甲斐ないのはどっちなんだか)
上に立つ者としてミストファング侯爵様を例にあげよう。
侯爵様は若くして魔王国の重職についており、威厳を持って職務にあたられている。局員からの人望も厚く、厳しくも優しい頼りがいのある上司だと聞いている。
またお屋敷の中では良き夫であり、良き父であり、使用人にとって良き主人でもあった。そんな侯爵様はよく使用人たちへと声をかけられる。それこそ友人のように、親のように、兄弟のようにだ。侯爵様とセイバスさんの関係を見ているとそれがよくわかる。これは局員に対しても同じだという。
三賢樹たちに侯爵様と同じ気配りをしろとは言わないが、彼らならそれくらいできるはずだ。そもそも三賢樹のほうが侯爵様よりもずっと長い間生きているのだから。威厳だけでは真意は伝わらないと気がつくべきだ。
そんなことを考えていると、ふと余計なお節介を思いついてしまった。少しばかり悩んだあと、僕は思いついてしまったお節介を実行することにした。
(やれやれ、まったく)
心配そうな顔をするメリッサさんに笑顔を向け、問題ないと返す。そして喜んでいる三賢樹に声をかけた。
「いやぁ。驚きました。三賢樹の皆さんが作った料理なんてそうそう食べられるものじゃありませんね。心からのおもてなしありがとうございます」
「むぅ。冷静な対応すぎて面白くないのぅ」
「お料理とても美味しかったですよ。むしろその腕前に驚きました」
「うれしいことをいってくれるのね。喜んでもらえてなによりだわ」とヨトゥンさん。
「しかも驚かされても礼を忘れないとは殊勝な心がけだ。その若さで大したものよ」とガルズさんが大きくうなずいた。
礼を忘れないとガルズさんがいったがそのとおりだ。当然、お礼は忘れない。そう絶対にだ。何が何でもお礼をしようと思う。元は三賢樹のいたずらが原因なのだ。僕が驚いた以上に驚いてもらわなければお礼じゃない。
先人が残した言葉でぴったりの言葉があった。
確か……『お礼参り』とか言ったっけ?
「せっかくですし三賢樹の皆さんも一緒に食べませんか?」
「おう? だがいいのじゃろうか」
アースガル老は代表らを気にするように見た。
「もちろんですよ。不敬でなければですけど」
「不敬だなんて思っとりゃせんとも」
「だったらぜひ。みんなも一緒に食事したいと思ってますから」
「「「ぇ!」」」
僕の誘いに小さな声を上げたのは今回のいたずらを知らされていなかった若い代表たちだ。そのとまどいの声は幸いにも三賢樹たちには聞こえていない。
(歩み寄るのは三賢樹だけじゃない。若い代表らにも歩み寄ってもらわないとね)
巫女のメリッサさんや年配の代表は三賢樹の三人が参加しても気にしないだろう。もちろん部外者である僕たちも気にしていない。しかし信仰の対象である三賢樹が参加することで緊張する者もいる。特に若い代表らはそうだ。声を上げたのはまさにそういった者たちだった。
しかしまあこれは慣れだ。
二十人程度の人数の中、会長、社長、副社長の三人と一緒に忘年会をする堅苦しさをじっくりと味わってもらいたい。
ちなみにディーナさんはエルフコーポレーションの非常勤取締役なので三人の中には入っていない。それに彼女は信仰対象ではなく恐怖の対象だ。
代表らに顔を向けると彼らの顔はこわばっていた。フォアグラが出てきたときのはしゃぎっぷりとは大違いだ。まさにお通夜。緊張の中の緊張といった表情をしている。
(まあ、ある意味興ざめだろうね)
ディーナさんやリアルルさんのような彼らよりも上の精霊が同席していても平気な顔で騒いでいたことを考えると、やはり信仰対象への壁は厚いようだ。
緊張してしまうこともあってか、上司、先輩の参加は時と場合によっては疎まれてしまうこともある。これはどこでも同じようだ。だが結局は慣れだ。長い付き合いのある上司や先輩となると話は変わる。
今回、三賢樹を参加させたのは若い代表らに慣れてもらうためでもあった。「ほーら。怖くない」と言えたら上々である。
まあいらぬお節介だろうけどね。
すると突然ヘレナさんが立ち上がった。
「三賢樹様。せっかくの食事会ですもの。ぜひ参加してくださいな」
ヘレナさんはチラッと僕に顔を向けると、あとで理由を聞かせてくれるのでしょうねと言いたげな笑みを残してすぐに座った。どうやら僕の意図を汲んでくれたに違いない。それに僕が何をやろうとしているのか楽しみにしているようだ。僕は彼女の後押しに軽く目礼で答える。
「うーむ」と悩んでいるアースガル老(会長)。
「ほら。せっかく誘っていただけたことですし、ご一緒させてもらいましょうよ」
「そうですな。参加させてもらいますか」
ヨトゥンさん(社長)とガルズさん(副社長)は満面の笑みだ。エプロンを脱ぐと、ささっとあいていた席に座る。誘われたことが本当にうれしかったのだろう。まるで子供のようにはしゃいでいる。「やれやれ」とつぶやくアースガル老も彼らに続いて、席に座った。
さて獲物が罠に入ってきた。
三賢樹が座ったところを見計らって、『執事ボックス』から取り出したのは侯爵領ウスイの街が誇る銘酒『川霧の都』だ。その酒を三賢樹に見せながら説明する。
「これは魔王国の侯爵領を流れる美しい水とディーナ様からいただいたお米を使い、ドワーフの職人の手によって作られた日本酒という種類のお酒です。ディーナ様により『川霧の都』という銘をいただきました。ある国ではこの日本酒を神への捧げ物として献上したそうです」
「ほほう! ディーナ様がお酒を」
「これぞまさに三賢樹の皆さんにぴったりのお酒だと思いませんか? ぜひ飲んでみてください。お近づきの印にまずは一献」
彼らにワイングラスをもたせ、酒を注いでいく。
グラスに注がれた日本酒は芳醇な香りを辺りに漂わせながら広がっていった。その香りは三賢樹たちの鼻をくすぐり、日本酒への期待をよりいっそう高めていく。
「ささっ。どうぞどうぞ。お口に合えば幸いです」
彼らはゆっくりと香りを楽しんだあと、『川霧の都』を口に含む。そして一口飲んだあとはその余韻を味わうかのように、「ほぅ」と息を吐いた。
「これは……すばらしい酒じゃ」
「――なんという芳醇な香りのお酒でしょうか」
「ぐう。声を出すのがもったいないくらいだ」
「そうじゃろう! うまかろう! ヤマダくんだしな」
『川霧の都』は三賢樹からも高評価をいただけた。彼らの言葉にディーナさんも満足気な表情である。可愛がっていたお米『ヤマダくん』を使った酒だけに彼女の思い入れも強い。
「ところでわらわたちが作った酒を飲むんだ。まさか酔っ払わないようにしてはおらぬよな?」
「え? ですが――」
「酒は酔ってこそ酒。いいさね?」
「アッハイ」
ディーナさんと三賢樹たちの意味不明な会話に首をかしげる。
精霊に毒は効かない。これは大神官様から教えてもらったことなので間違いはない。毒が効かなければ酔うこともできないはずだ。
僕は近くにいたリアルルさんに声を抑えて話しかける。
「リアルルさん。精霊って酔いませんよね」
「ううん。魔族はどうだかわからないけど精霊は酔う酔わないが選べるわよ」
「はぁ!? 選べるってどういうことです?」
「あら? 知らなかった? この世界にはお酒の精霊が存在しているの。その精霊のおかげで私たちほかの精霊も酔うことができるといわれているわ。それもディーナ様や私と同じ『格』の精霊だと聞いたことがあるわね」
(お酒の精霊ねぇ)
僕は精霊について詳しいわけではない。だが酒の精霊なんて見たことも聞いたこともない。そもそも人工的に作られたお酒に精霊が宿るのだろうか。
ただ魔族と精霊は身体の構造が違うのは確かだ。ただ自ら酔う酔わないの切り替えができること自体、不思議としかいいようがない。だが精霊であるリアルルさんがいうのだから、この話も間違いではないのだろう。
そういえば大神官様も『川霧の都』を渡したときうれしそうだった。ということはやはり精霊は酔うことができるのだろう。
(でも、それなら好都合……だよな。よし、予定変更だ)
「さぁ飲むさね! 飲んでたまには酔うさね!」
見事なまでのパワハラとアルハラである。
「ほれ。アルクくんや。あとはわしがヤろう。巫女や代表らにも飲ませてやってくれ」
ディーナさんはそういってウインクをひとつ僕に投げかけてくる。微妙に言葉のイントネーションがおかしかった。さらに彼女の口元には悪い笑みが浮かんでいる。どうやら彼女はヘレナさん同様、僕のやろうとしている『お節介』に気がついていたらしい。三賢樹に酒を勧めたのも、酔うように言ったのも協力の一環なのだろう。あの悪い笑みはそういう意味に違いない。
僕も悪い笑みを返しながら、「あとはお願いします」と伝える。そして手に持っていた『川霧の都』を彼女に渡してその場を離れた。
僕は『執事ボックス』から新しい『川霧の都』を取り出すとエルフのみんなにお酌してまわった。ただし三賢樹のときと違い、「想像以上に強いお酒ですから」と付け加える。タンキールさんには世話になったのでなみなみと注いでおいた。続いて、ラケシスさん、ヘレナさんへとお酒を注いで回る。
「あら。すごく飲みやすくて美味しいわ。でもそんなに強いお酒なの?」
ヘレナさんがグラスに注がれた『川霧の都』を一口飲んでから、グラスの中の酒をまじまじとのぞき込んだ。
「ええ。シードルに比べて倍以上強いお酒ですから気をつけてください。飲みやすいですが、あとから足にきます」
「じゃあ三賢樹様たちのあの飲み方は……」
二人そろって顔を向けるとそこにはカパカパと水のように『川霧の都』を飲む三賢樹の姿があった。空になったグラスにはディーナさんが速攻で酒を注いでいる。そのせいかグラスが空になる気配はない。
ディーナさんにお酌され、恐縮気味な三賢樹たちは勧められるがまま酒を飲んでいった。彼らの顔はすでに赤く、ふらりふらりと身体が揺れ始めている。
(本当に精霊が酔ってるよ)
「で、アルクくん。今度は何を企んじゃったりしているのかしら。教えてくれるんでしょ?」
私、わかっているのよとヘレナさんが空になったグラスを差し出してきた。先ほど後押ししてくれたこともある。僕はそのグラスにお酒を注ぎながら周りに聞こえないよう声を小さくして説明する。
「最初と計画が違いますが……おっしゃるとおり企んでいますよ」
「あら。途中で予定変更?」
「精霊でも酔えることがわかりましたからね。こちらのほうが好都合です。……というかもっとゆっくり飲んだほうがいいですよ。ヘレナさん」
「大丈夫よ。これくらいじゃ酔わないから。それで?」
彼女のグラスにさらに『川霧の都』を注いでから話を続ける。
最初はつまみの中にでも長老秘伝の激辛モルスソースをたっぷり混ぜるつもりだった。だがお酒で酔っ払うことがわかった今、その計画を変更している。
「辛いものを食べてのたうちまわる三賢樹さんたちの姿も見たかったですけどね」
「あら? 驚くほど辛いものなんてここにあったかしら?」
「……」
エルフの常識で語らないでいただきたい。
特に長老秘伝の激辛ソースの空き瓶が何本も目の前に転がっているようなヘレナさんには言われたくない。……たぶん自家製だろうなぁ。
「ごほん。今の計画はこうです。誰しも酔うと普段と違う姿を見せます。それは精霊であっても変わらないはず」
「ははーん。なるほどね」
「たまには三賢樹の皆さんも皆の前で羽目をはずしてもいいと思いませんか? 特に若い代表たちの前で」
「確かにそっちのほうが楽しそうね。この場に三賢樹様を誘った理由もわかったわ。せっかくの食事会ですものね」
彼女も年齢を重ねているだけあって、食事会の意味をよくわかっている。
「余計なお節介ですけどね。それに信仰の対象である三賢者さんたちの地位を汚すことになるかもしれません」
「大丈夫。そうならないようこっちでなんとかするわ。本当は私たちがなんとかすべきだったのよ。今の若い子たちは三賢樹様に対し、畏敬の念というより、畏怖に近い思いを抱いているわ」
「尊敬よりも怖いという感情が前に出てますものね」
午前中のツリーフォード代表がそうだった。
「ええ。しかも必要以上に緊張しているのよ。適度な緊張はいいけど、過度な緊張は自らの意見を封じ、考える力を奪うことになるわ」
「おっしゃるとおりだと思います」
「それに信仰すべき御方とはいえ、彼らも精霊。時と場合によっては肩の力を抜いてもいいと思うわ。いえ、違うわね。三賢樹様たちこそ肩の力を抜いた姿を我々に見せるべきね」
どうやらヘレナさんも僕と同じこと感じていたらしい。ただ彼女もエルフである以上、自ら率先して動けなかったのだろう。下手に提案などしていたら一般のエルフから不敬だと突き上げを食らいかねない。
「ヘレナさんたちがそう思っていらっしゃるなら大丈夫でしょう。ですが三賢樹を恐れるあまり、彼らの意見はすべて是という代表ばかりになると危険ですよ」
宗教戦争。そんな言葉が頭をよぎる。
畏怖するあまり自分たちで物事を考えなくなる。そうなったときが一番怖い。
「まあそうじゃな」
そういって近づいてきたのはラケシスさんだ。
どうやら僕とヘレナさんが話していることを聞いていたらしい。そういえば耳が遠くなったのを風の精霊にお願いして声を届けてもらっているんだっけか。
話を聞いて声をかけてきたということは、ラケシスさんも少なからずヘレナさんと同じ思いだったのだろう。
「あら。男女の内緒話に聞き耳を立てるなんて失礼ね」
「男女ってお主……。ひい婆様と孫以上にうん十倍も年齢差があって――ごはっ」
「あらら。ラケシスったら。お酒に弱かったのね」
何が起きたかわからない。
突然、倒れたラケシスさんをヘレナさんは優しく気づかう。皺の刻まれた顔には太母にふさわしい優しい微笑みを浮かべていた。
その目は――ひっ……。
み、見てません。僕は何も見ていませんよ。
さ、さて。
見殺しにしたラケシスさんに心の中で謝りつつ、今回の目的である『お節介』の最終段階に移行しよう。今後の内容をヘレナさんに改めて説明する。
今回の目的は、彼らの『親睦』を深めることだ。
当然、彼らとは若い代表らを含むすべてのエルフと三賢樹のこと。
森の奥にあり、三賢樹らの住まいでもある世界樹。いくら世界樹や世界樹の精霊が信仰の対象とはいえ、三賢樹らも意志ある精霊なのだ。強大な力を持つ上位精霊だとしても喜怒哀楽の感情がある。
アースガル老はその世界樹に誰も来ないと寂しそうにつぶやいていた。これは信仰の壁が邪魔をしていると考えた僕はその壁を取り払うことにした。
その方法はいたって簡単。
信仰対象である三賢樹たちが普通の精霊と何ら変わらないことを証明してやればいい。もっと単純にいうと、三賢樹の恥ずかしいところを若いエルフたちに見せるのだ。幻滅する可能性もあるが、確実に壁はなくなるだろう。
誰も三賢樹らの元に来ないのであれば彼らの元に大勢のエルフがやってくるよう仕向ける。そうすれば三賢樹たちも驚くに違いない。
これこそが僕が計画している『お節介』であり『お礼』でもある。……いや、『お礼参り』だったか?
もちろんうまくいくかどうかはわからない。
正直、うまくいかなくてもいいのだ。頼まれたわけでもないし、僕が勝手にやっているただのお節介なのだ。
ヘレナさんはグラスを傾けながら楽しげに笑った。
「うまくいくよう私たちも協力するわ」
「お願いします。ただ僕のことはどうか内密に……結果次第では逆効果の可能性だってありますから」
「大丈夫。心配しないで」
「ですが魔族が計画したと思われないほうがいいでしょう。今更ですが他種族が口を出すと、これはこれで問題になるかと」
「そうね。わかったわ。でも成功したら閉鎖的だった私たちエルフの世界に新しい風がもたらされるでしょうね。ふふ。そもそも信仰している精霊様と一緒に食事だなんてすでにありえないことよ? 面白いことを考えるのね。魔族って」
少し前に悪魔と一緒に食卓を囲んだことがあると教えたら、ヘレナさんはどう反応するだろうか。
「これまでの信仰具合を考えるとすぐに結果は出ないでしょうね」
「結果が出たら手紙で知らせるわ」
「ええ。お願いします」
そういうとヘレナさんはまた空になったグラスを差し出してくる。僕はそんなヘレナさんに苦笑しながら、空になった彼女のグラスにお酒を注ぐのだった。
一時間後、食事会の会場には不思議な光景が広がっていた。
個人の名誉のため、あえて名前は伏せておく。
一人の老人は、「わしが若いころはなぁ――って聞いとるのか!」と言いながら誰もいない壁に向かって延々と怒りながら説教をしていた。「姿勢だけはいいのぅ」と垂直の壁を褒めている。
一人の女性は、「ふふ……くふふ……あは……えへへへ」とイルミンを見て大笑いをしていた。イルミンはそんな女性を見て、「んー!」と迷惑そうに叫んでいた。
一人の青年は、「どうしてですか! なぜですか! そうなんですか!」と四つん這いになって一人床を叩いていた。その目からは大量の涙が流れている。
怒り上戸、笑い上戸、そして泣き上戸。
僕が思っていた以上の乱れっぷりである。少しばかり普段と違う姿を見せて、普通の精霊やエルフたちと変わらないねと両者にある邪魔な壁を取り除くつもりだった。ただここまでひどいと信仰心がごっそりと削られかねない。
恐る恐る若い代表たちを見ると、彼ら彼女らは普段では絶対に見られない三賢樹の姿に苦笑していた。そしてこらえきれなくなったのか声を殺して大笑いし始めた。それでも彼ら彼女の笑みには尊敬とともに親愛の情が浮かんでいる。これなら悪い方向にはいかないだろう。特に三賢樹が参加することでお通夜状態だった代表ほど優しい目を三賢樹たちに向けているのが印象的だった。
食事会や飲み会には意味がある。参加した仲間の知られざる一面が見えることもあるし、隠れていた性格がわかる場合もあるだろう。もちろん食事会や飲み会でなくともかまわない。わずかな時間一緒に過ごしたり、一緒にお茶を飲んだりするだけでも十分だ。互いの間にある壁を取り除き、親睦を深めるためのきっかけがあれば何でもいいのだから。
そしてここにも同族と親睦を深めている者がいる。
「んふ!」
イルミンは部屋のすみでここにいない『誰かたち』と一緒になって笑っていた。恐らく明日には『ある話』がこの森に住むすべての精霊たちに広まっているはずだ。『ある話』とは今、彼女たちが盛り上がっている『酔っ払った三賢樹が面白い件』についてである。
また三賢樹たちが強烈すぎたのだろう。
精霊情報網に話題を提供し続けているイルミンに目を向ける者はいない。そのせいでイルミンが、『ん』以外の言葉を発したことに気づくものは誰一人いなかった。彼女はアルクが作った花蜜入りリンゴジュースを飲みながら、さらに詳しい内容を楽しそうに報告し続けるのだった。
「んふふー♪」
後日談。
これはエルフ以外の種族がグリバルトの集落からいなくなってしばらくしてからの話。
魔族御一行がいなくなり、今までと同じようにエルフと精霊だけの平穏な時間が流れるだろう。誰もがそう思っていた。ところがある日、こんな噂があちこちで聞かれるようになった。それはグリバルトの集落だけでなくすべてのエルフの集落に広がった。
普通、噂というのは集落から集落へと徐々に広がっていく。離れた場所で同時に同じ噂が現れることなどありえない。
だが今回の噂は普通ではなかった。それは広がり方だけでなく、その内容そのものが普通ではなかった。
噂の内容はこうだ。
『偉大なる三賢樹の方々も我々と同じように酒に酔って怒り、笑い、泣き、喜ぶ』と。
最初は誰も信じなかった。
信仰の対象たる三賢樹は厳格であり、尊き存在なのだ。そんな彼らが酒に酔うだけでなく、感情を表に出して『怒り』、『笑い』、『喜ぶ』などありえない。ましてや『泣く』など考えられることではない。若い代表ですら少し前までそう思っていたのだ。普段、三賢樹をあまり目にすることのない一般エルフなどまったく信じようとしなかった。
だが三賢樹が各地の集落をたびたび訪れるようになり、若い代表らと談笑する姿が何度も見られるようになった。
その後、三賢樹とエルフたちの距離が急速に縮まった。信仰の対象かつ彼らを敬う気持ちは変わらないが、三賢樹に積極的に声をかけるエルフが増えたのだ。今までのエルフは三賢樹に出会った際、黙ったまま頭を下げ、敬意を示し、ただ彼らが通り過ぎるのを待つだけだった。それを考えれば、より身近に、より親密になったというべきだろう。
この変化に三賢樹らはたいそう驚いたそうだ。
アースガル老に至っては、初めてエルフの子供に話しかけられたとき、驚きすぎて腰を抜かしたという噂もある。
三賢樹たちはなぜエルフたちが急に話しかけてくれるようになったのかわからなかった。真相を調べようとしたものの噂の出処すらわからなかったそうだ。噂の内容は召喚した精霊から聞いたという者、氏族の代表から聞いたという者が多かった。しかし中には悪魔が囁いていたなんて話もあった。
また巫女や氏族代表らに何があったのか聞いても、「わからない」とそろって首を振るそうだ。ただその顔には笑みが浮かんでいたという。
時間はかかったが、ある魔族が計画した『お節介』という名の仕返し、『お礼参り』は成功した。
驚かされた以上に三賢樹を驚かせたのだからその魔族も満足だろう。だがその種族、そして名前が表に出ることは一切なかった。
その後、一人の代表が魔族の国の執事見習いに手紙を送ったそうだ。だがエルフたちの心境変化と噂との関わりは否定している。彼女曰く、「お酒のお礼」とのことだ。
これまでは神聖なものとして誰も近づかなかった世界樹。
森の奥深くにあり、ひっそりと存在していた世界樹。
だが最近では多くのエルフが訪れるという。なんでも世界樹の精霊らが彼らの悩みを聞いてくれるのだそうだ。長い間、エルフたちを見守ってきた三賢樹の言葉は厳しくも的確で相談に訪れる者が絶えないという。中には遊びにきた子供たちの姿もあるそうだ。
そんな彼らに対し、三賢樹たちはうれしそうに話を聞いているという。
三賢樹はお礼を求めない。
『今までと違い』皆が来てくれて話をするだけで楽しいと笑うのだ。
だが相談に乗ってもらい悩みが解決したエルフたちは自発的にお礼を持ってくるようになった。これもまたお礼参りと言えるだろう。
ただしお礼としてお酒を持っていくのは避けたほうがいいそうだ。一時期、神様にはお酒をささげるものという話がまことしやかにエルフの間に広まった。だが三賢樹たちは酒だけは頑なに拒むそうだ。
酒を見るとなぜか頭が痛くなるという。その理由は明かされることなく、三賢樹たち本人も思い出せないのかわからないそうだ。巫女と氏族の代表だけがその理由を知るという話も出たが定かではない。
今日も世界樹の周りでは精霊とエルフたちの楽しげな声が聞こえてくる。




