第百十一話 エルフの森
僕たちが立っているのはとある空間。
ここは樹木の精霊リアルルが得意とする移動魔法用の中継地点である。
しばらく待っているとリアルルさんと無数のウサギンたちが姿をみせた。軽い挨拶をしたあと、彼女が軽く指を鳴らすと突如、目の前に一本の木が現れる。それはかなり高さのある木でセコイアという木によく似ていた。
セコイアとは平均樹高が八十メートルを超える常緑針葉樹。赤い樹皮の色からレッドウッドとも呼ばれている。目の前にある木の樹皮も赤みが強い。
その木の根元には大きなうろが口を開けている。
「ここをくぐればエルフの国よ」
「リアルルさん、ありがとうございます」
「いいのよ。アルクくんには助けてもらったもの。それで一方通行でいいのね」
「はい。帰りは執事魔法で帰りますので」
「わかったわ。あとこれ。頼まれていたもの。うまく加工できているかわからないけど」
「おぉ! そろいましたか!」
リアルルさんから受け取ったのは手提げ袋だ。すぐにその中を確認する。袋の中には封をされたビンがいくつも入っていた。そのひとつを手にとり、中身を確認した僕はリアルルさんに改めてお礼を伝える。
「完璧です! ありがとうございます。じゃあこれお礼です」
そういって渡したのは料理のレシピ集。
主にハーブや香辛料を使った料理が中心となっている。
「ありがとう。ハーブ関係ならいつでもいってちょうだい」と彼女は笑みをこぼす。
「ねえ、なにそれ。リアからなにもらったの?」
ヨヨさんが手提げ袋の中をのぞきこもうと近づいてくる。
だがそれよりも早く僕は『執事ボックス』の中に手提げ袋をしまった。
「ないしょです」
「あー! ケチー!」
僕のほほを両手でぐにぐにと押すヨヨさん。
おうふ。貫手はやめてください。刺さる、刺さる。
「あひょでみへまふから」
「本当でしょうね」
「はひ。ひれったひみへまひゅ」
「絶対だからね!」
「……よく会話が成り立つさね。わらわには何を言っているのかさっぱりさね」
ディーナさんが僕の言葉に首をひねりつつ意思疎通できているヨヨさんに感心していた。
それもそうだろう。
ヨヨさんとの付き合いはここにいる誰よりも長い。
多少発音が悪くても以心伝心、ツーカーの仲だ。
彼女との間に言葉の障壁や齟齬はない。
「アルクんがあとでおこずかいくれるって!」
「……言ってません」
うれしそうな顔で断言したヨヨさんの言葉を速攻で否定する。
どうやら障壁は一枚だけではなかったようだ。
しかも残っている壁は鉄の壁だ。到底、破れそうにない。
「あいかわらず仲がいいわねぇ」とニーナさんが笑う。
「言葉が通じればもっと仲良くなれたのですが」
「通じてるよね!?」
談笑の時間はこれで終わり。
いよいよ出発だ。
「ありがとうございました。では行ってきますね」
「ええ。気をつけていってらっしゃい」
リアルルさんに見送られ、僕たち四人は木のうろに入る。
うろの中は真っ暗だ。だが、ほんの数歩進んだところで急に目の前が明るくなった。手をかざしながら顔を上げると、そこは先ほどの草原とはまったく違う光景が広がっていた。
「おぉぉ」
思わず感嘆の声がもれた。
目の前には広がるのは巨大な木が立ち並ぶ森だ。それも魔王国にある巨木とは比較にならないほどの大きさだった。どれも天に向かってまっすぐ伸びており、樹高は百メートル近くあるだろうか。直径は五メートル以上もあり、かなり太い。これらもセコイアの木によく似ている。樹齢を考えると千年は軽く超えているだろう。
シュリーカー族の村があった王都近くの森と違い、これら巨木が立ち並ぶ森は決して薄暗いわけではなかった。森の中は、差し込む木漏れ日によって比較的明るいのだ。下から見上げると光に当たった緑の葉が輝いてみえた。
また生き物も多く住んでいるのだろう。あちこちから鳥や動物の鳴き声が聞こえてくる。
またこの地域全体から程よい魔力を感じとることができた。魔王国より濃度は低いようだが間違いない。それに周囲の森からも魔力が感じられる。
振り返ると僕たちの後ろにも森があった。前方にある巨木の森と違い、三十メートルほどの木々が並ぶ森である。この大きさでも魔王国では十分、巨木の類だ。しかし、百メートル近い巨木を見てしまうと太鼓のバチと割りばしくらいの差があるように感じられる。
今、立っているのは巨木の森と普通の森の間にある少し開けた場所だ。
先ほどリアルルさんのところからくぐってきた木の姿はすでにない。
代わりに僕の腰の位置あたりで切られた直径八メートルほどの大きな切り株があるだけだ。その断面はまるでテーブルのように滑らかで平らだった。
この切り株を目印にして『執事ゲート』のポイントを設定しておく。
「んー。やっぱり故郷の空気はいいわね」
大きく深呼吸して伸びをするニーナさんはどこか懐かしそうな目で木々を見ている。そんな彼女が一息つくのを待ってから声をかけた。
「大きな木ですね」
「ああ、これ? ソサウィーの木ね」
「ソサウィーですか」
「そう。これでもまだ若いほうの木だから奥のほうへ行けばもっと大きな木があるわよ」
「へー! それはすごいですね」
「あら、世界樹はもっと大きいわよ。これくらいで驚いてちゃダメ」
そういうとニーナさんはクスリと笑った。
「森はエルフの生活に深く結びついているわ」と彼女は付け加える。
やはりエルフと森の関係は深いようだ。エルフ豆こそなかったが、きっとエルフたちは木の上で暮らしているのだろう。これはエルフの集落に行くのが楽しみになってきた。
「ところで周りは森しかありませんが、ここはもうエルフの国なんですか?」
「そうねぇ。ある意味、いま立っているこの場所が入り口に当たるかしら。私の故郷グリバルトの集落に一番近い場所よ」
ニーナさんはそういうが周りは木と先ほどの切り株くらいしかない。集落に一番近いというがそれらしい雰囲気はまったく感じられなかった。
「ところでこの場所は魔王国から見てどの辺りにあるんです?」
「位置的には……魔王国の南、海を超えたところにある別の大陸よ」
「えっ! ニーナさんの故郷ってそんなに離れた場所だったんですか!」
「あれ? いってなかったっけ?」
「初耳ですよ。てっきり魔王国の東にある人族の国に近い場所かと」
「多分その辺りにもエルフの集落はあると思うけどね」
まさか大陸が違うとは思わなかった。
これでは魔族の情報もテキトーになるはずだ。毒のある食材がほとんどだったとか魔族の血が青いとか誤解だらけなのも納得がいく。まあ、その誤解のもとになったのは人族の書いたいい加減な本のせいだけど。
「あと便宜上エルフの国といってるけど実際は違うわ。この森のあちこちに各部族の集落があって決められた国境があるわけじゃないの。まあ、しいていえば森の境が国境になるのかな。それに魔族のように王がいるわけじゃないのよ」
「王がいない、ですか?」
「そう。巫女を中心に各部族の長が集まって物事を決めるの」
「へぇ。でも何か決めるたびにもめそうですね」
「まあね。でも一度決まったら団結力はすごいわよ。どんな困難でも全員で対処し、打ち勝ってみせる。それがエルフよ」
「なるほど。さすがは魔族と並び、実力を持つ種族だけのことはありますね」
「そうよ。精霊魔法と弓の実力だけはどの種族にも負けないんだから」
エルフの実力が魔族に認められているのはこの精霊魔法と弓の技量だ。特に精霊魔法は中位精霊を召喚して支援させたり戦わせたりできる。能力次第では一人のエルフが複数の精霊を使役することもできるのだ。エルフを一人見かけたら精霊が何体か抱き合わせで付いてくると思えばいい。その抱き合わせが売れ残りや在庫処分扱いの精霊でないからたちが悪い。
弓の腕前は多く語る必要もないだろう。熟達したエルフが射た弓は、味方からすれば面白いほど、敵からすれば悪夢のように当たる。
正面から射られた矢を避けたら後頭部に刺さっていた。何を言っているかわからないだろうが風の精霊と組むと、そういった芸当すら可能にするのがエルフの弓だ。
風の中位精霊の、「あっ。軌道修正しときましたんで」という声が戦場でたびたび聞かれるのは気のせいではないらしい。
「あとはそうね。アルクくん、後ろにある切り株の向こうからこっちを見てみて」
ニーナさんの言っている意味がさっぱりわからない。
とりあえず言われたとおり、切り株を超えてから彼女のほうへと振り返る。すると先ほどまでそこにあったはずの巨木の森が消えていた。森があったはずの場所には、後ろの森と同様、三十メートルほどの高さの木が立ち並ぶ普通の森が広がっている。
これでは巨木を目印にすることはできないだろう。ということは外からこの場に来るためには、あらかじめ道を知っているか偶然でしかたどり着けないということになる。しかもこの場所も森の深い場所にあるらしく、それすら容易なことではないだろう。
どうやらこの切り株を境として何らかの力が働いているようだ。
「幻覚魔法? いや、リアルルさんが使うような結界に近いかな」
「……もう少し悩みなさいよ。そして驚きなさいよ」
悔しそうに話すニーナさんだが、どうやら正解だったらしい。
ただ、これでも僕は驚いている。
規模がどれほどのものかわからないが、百メートルもの木が立ち並ぶ森をまるごと隠しているのだ。巨木が見えていたのは僕たちが到着した場所はその魔法の内側だったからだ。
先ほどから感じていた魔力はこの結界の魔力かもしれない。だが、存在を知った今でも結界の魔力なのか周りをただよう魔力なのか区別がつかない。これなら魔力感知しても簡単にはわからないはずだ。さすがはエルフ族といったところか。
「確かに結界に似たようなものさね。ここのエルフ族は精霊魔法によって森を守っておる。切り株の外側を境に張られた魔法は侵入者を知らせるためのもの。もう少し奥に行けばリアルルのところと同じように侵入者を防ぐ迷いの精霊魔法も張ってあるよ。種族間戦争に比較的巻き込まれずにすんだのもこの精霊魔法のおかげさね」
この場に張られている結界に似た精霊魔法についてディーナさんが詳しく説明してくれた。
だけど……僕に教えてよかったのだろうか。ニーナさんは気にしてないようだし、僕からも指摘しないけど結構重要な機密な気がする。
とりあえず話を変えよう。
「なるほど。それでひきこもりに……」
「ひきこもってないから! エルフ族は世界中を旅しているから」
「まあ、ひきこもりさね。国を出るのはニーナのように少し変わったエルフだけさね」
「……ディーナ様ぁ」
ニーナさんが泣きそうになっているが、やはりエルフ族はひきこもり体質のようだ。いくら彼女がエルフ族をかばおうともディーナさんが証言してしまった。むしろ国を出るニーナさんこそが変わり者であると断言したのだ。
以前、エルフ族のことを『準ひきこもり』といったが晴れて『準』の文字を外そう。
今ここに宣言する。
おめでとう、エルフ族。あなた方は真性のひきこもり種族に認定されました。
「まあ、いいじゃないか。ニーナは美味しいものを広めるために国を出た。別に悪いことじゃないさね」
「それはそうですけど」
変わり者と呼ばれたニーナさんは美味しい食材を扱う商人になりたいとエルフの国を出た。そんな彼女が修業先に選んだのは味覚オンチが住まう魔王国だ。この時点ですでに選択を間違えているのだが、これも情報不足ゆえの行動である。
だが、今では侯爵家お抱えの商人かつ隊商『妖精の祝祭』が展開する店の店長だ。まだ店は開店してないが名前をそろそろ正式に決める時期だ。エルフの八百屋もいいが少し安直すぎるだろう。
そのエルフ族は辛いものが大好きである。むしろ中毒といってもいい。また、彼女たちエルフ族の美味しいは辛いと同意語であった。
適度な辛さは魔族だけでなくどの種族にも受け入れられるだろう。だがエルフが好む辛さとは、僕だけでなく屈強な肉体を誇るミノタウロス族のミノスさんですら涙する刺激物だった。これはエルフ族のソウルフードでもあるモルスソースですでに体験しているので間違いない。
そんなエルフが美味しいものを扱う商人を目指した場合、店頭に何が並ぶか想像に難くない。モルスソースはもちろんのこと、アカトウガラシのアオトウガラシ漬けなどがずらりと並ぶのは確実だ。
ただニーナさんが店長を務める店の場合、僕とヨヨさんも商品を管理している。もし並べてあってもこっそり撤去すればいいのだ。間違ってエルフ以外のお客さんが買っていったら傷害事件になりかねない。
エルフのお客さんが来たら、「だんな。いいものありまっせ」と声をかければいい。いっておくが決して怪しい店ではない。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
「ん? どこへですか?」
「集落に私たちが来たことを知らせてくるのよ。ディーナ様とヨヨは何度か来てくれたことがあるから問題ないけど、アルクくんは子供とはいえ魔族でしょ。きっと皆、警戒しちゃうと思うの。だから先に話をつけてくるわ」
なるほど。
道理でヨヨさんもディーナさんも巨木を見て驚かなかったわけだ。
それにしてもわざわざ報告とは大変だ。
ひきこもりは他人への警戒感が強いという。その他人である魔族がやってきたと報告するのは、エルフは家族や知り合い以外とのコミュニケーションが苦手といってるようなもの。やはり『準』をはずしてよかった。今後、ひきこもりと書いてエルフと訳すことにしよう。
いずれにせよ彼らに怖がられてもいけないので、「ぼく、悪い魔族じゃないよ」とぜひお伝えください。
「わかりました。しばらく待ってます」
「ごめんね。ディーナ様たちはどうされますか?」
「わらわも一緒にいくよ。少し長老たちと話がしたいさね」
「私はアルクんといるわ」
「わかった。じゃあ、すぐに戻ってくるわね」
そういうとニーナさんとディーナさんは巨木の森へと入っていった。ひさしぶりの帰郷にニーナさんの足取りは軽やかだ。二人の姿はあっという間に見えなくなる。
「さてと。少しの間、ここを離れますよ」
「え? どこにいくつもりよ。アルクん」
「せっかくエルフの国の森に来たんです。食材を探そうかなと」
「はぁ。相変わらず真面目ねぇ。まあ、付き合ってあげるわ」
環境が変われば見つかる食材も変わるはずだ。
巨木のある森はエルフたちの管轄らしいので許可が下りてから探すとして、今は結界の外にある普通の森を探すことにする。
まずは結界を抜ける。
後ろを確認してみたが、やはり巨木の森の姿はない。
「ほんとよくできた魔法ですね」
「私たちには意味ないけどね」
「妖精界経由で出入りされると結界も意味を持ちませんからね」
「ふふー。妖精のすごさがようやくわかったかしら」
僕がいいたかったのは妖精のすごさではなく防犯上の問題である。鍵がかかっている家も妖精界経由なら侵入し放題だからだ。
ヨヨさんは気がついていない。でも得意気な顔をしているのを見ると何もいえない。今は黙っておこう。これも優しさである。
ただ世界を股にかけて商人しているヨヨさんたち妖精族の行動力には驚きである。大陸を超えてまで商売をしに来ているのだ。これだけはすごいと素直にいえる。
だが口には出さない。これは褒めると調子に乗ると思ったからだ。これも優しさである。決して褒めたくなかったわけじゃない。
「そのかわいそうな子を見るような目はなに?」
「やだなぁ。気のせいですよ」
おっと。危ない、危ない。
「さてと。インプ!」
「はっ」
少しばかり森の奥へと進んだところで立ち止まり、僕はインプを呼び出した。瞬時に現れたインプは背筋を伸ばしたあと僕に一礼する。
「インプの使い魔のインプに頼んだ村や王都の様子に変わりはないかい?」
「はい。私の使い魔に命じたインプからは異常なしとの報告を受けております」
「ここはエルフの国がある大陸らしいんだ。今、魔王国内で食材を探しているインプの使い魔のインプを――って、言いにくいな」
僕の使い魔であるインプにも手足となるインプの使い魔がいる。執事服を着ているのが僕の使い魔であるインプなのだが、インプの使い魔のインプという呼び方もわずらわしい。
「インプのインプとか言いづらいから、これからキミのことを『セルヴァ』と呼ぶけどいい?」
セルヴァという名前はフランス語のセルヴァンからとった。
英語だとサーヴァント、召使いという意味に相当する。
深い意味はない。
「な、名前をいただけるのですかっ!」
「うん。いやじゃなければね」
「光栄にございます。謹んで頂戴いたします!」
なんでここまで仰々(ぎょうぎょう)しく食いつくのだろうか。
たかが名前くらいで。
「う、うん。じゃあ今日から――え?」
消えた。
突然、僕の前からインプの姿が消えてしまった。インプが立っていた場所には黒い煙のようなものを残っているだけだ。
思わずヨヨさんを見る。
僕と目を合わせた彼女は間髪入れずこういった。
「……よほどアルクんの使い魔が嫌だったのね」
「いやいやいや。何いってるんですか! さっきまで元気よくウキウキランランって態度だったでしょ!」
「から元気って本当……悲しいわ」
「何、悲しげな顔で空を見上げてるんですか! 僕は彼に名前を付けただけです。彼も喜んでいたじゃないですか」
「はい。アルク様のおっしゃるとおりです」
「ほーら。ちゃんと証人だっているんです」
「使い魔が主人に逆らえるとでも? きっと何もいわずに消えたのはささやかな抵抗よ。きっと今ごろ紙いっぱいに『絶対に許さない』とか書いてるわ」
「「なにそれ怖い」」
ヨヨさんの言葉に僕たちの声が重なった。
「もしくは自分の血でアルクくんの肖像画を描いたあと、そこにナイフを何本も突き立てているかも。それも激しく!」
「……この妖精こわっ!」
「ヨヨ殿の黒い部分が全開ですね」
「本当、砂糖は白いのに売ってる妖精はなぜこんなに黒いのか」
「アルク様と似たり寄ったりですな」
「「誰が似たり寄ったり――って誰?」」
先ほどから僕たちの会話に入ってきた者に目をやると、そこには執事服を着た何かがいた。
「先ほどセルヴァと名前をつけていただいたインプでございますが?」
「はぁ? 姿が全然違うんだけど?」
「大きさも倍くらいになってるじゃない」
「突然席を外しまして申し訳ございませんでした。私、名前をいただいたことで正式に中級悪魔として認められました。しかも中級悪魔の中でも十のうち五ほどの力でございます。容姿が変わったのはそのせいかと。あっ、それと正式にベルゼブブ様直属の部署に異動しております。転属手続きも済ませてまいりました。栄転でございます」
「え? 部署の異動とかあるの! それに栄転? ベルゼブブなんかのとこが? 左遷じゃないの?」
元インプだと名乗った悪魔だが、よく観察すると確かにインプっぽい部分もある。執事服もきちんと着こなしていた。だが、その容姿はまるで変わっているのだ。
まず見た目はほぼ人型になっている。身長も六十センチほどとインプ時代の倍はある。さらに髪の毛が伸びていた。僕と同じ黒い髪をなでつけるようにして後ろに流している。髪の間からはのぞく角は以前より太くヤギのようだ。コウモリのようだった羽は以前よりひとまわりは大きい。
変わっていないのは尖った耳と黒い目と赤黒い瞳、それに先端が鉤状になった尻尾くらいだろうか。
感じとしては中位精霊のクレベリやリリィに似ている。侯爵家に居候中の中位精霊の中でもその二人は特に力が強い。それに三十センチほどしかないカカやヤーローに比べ、クレベリとリリッィの大きさは今のセルヴァと同じくらいだ。
精霊と悪魔の場合、もしかしたら大きさと能力は比例しているのだろうか。だとしたら幼女体型の大神官とディーナさんの立場がない。
「ちなみにセルヴァってどんな悪魔なの?」
「インプから派生しておりますが、私は私でございます」
「え? 一体しかいないってこと?」
「はい。悪魔にとって名前は特別なものとなります。個体名を持つ悪魔はわずかしかおりません」
ニコッと笑みをこぼすセルヴァ。
彼は笑っているけど、本当に良かったのだろうか。
軽い気持ちで名前をつけたのだが、まさか新しい悪魔が誕生するとは思いもよらなかった。もう少し真面目に考えたほうがよかったかもしれない。
「まっ、いいか」
「軽っ! またそんなあっさりと」
「執事服も似合ってるし」
「そんなことで納得していいの!?」
「問題ございません」
本人もそういってるからいいんです!
「ところで僕の使い魔のままでいいのかい?」
「もちろんでございます。アルク様。今の私にとってアルク様は名前をつけていただいた親のようなもの。これまで以上に誠心誠意お仕え申し上げます」
「よかったわねぇ。お父さん」
「誰がお父さんですか! 僕はまだ十歳です」
「ところでご命令の途中だったのでは?」
「あっ、そうだった。セルヴァが使役しているインプをこっちに何匹か連れてきて欲しいんだ。この大陸でも食材探しをするためにね」
「かしこまりました。ではこちらの大陸でも探すよう指示しておきます。あと先ほど何かしらの動物が木に生えていたものを口にしていたのでご報告申し上げます」
「食べてた? 木に生えていたものを?」
「恐らく木の種子もしくは実であろうと愚考します」
「セルヴァ! すぐ案内して!」
「はっ。かしこまりました」
元インプのセルヴァに案内され、しばらく木々の間をすり抜けていく。しばらく進むと開けた場所に出た。そこには十メートルほどの木が生えている。樹高に比べ、幹がかなり太い。まわりの雑草はきれいに刈り取られ、太陽の光が当たるよう周りの木々が間伐されている。どうみても人の手が入っているようだ。
「はぁっ!?」
その木をよく観察してみて驚いた。
なんとその気には様々な種類の木の実がなっていたのだ。
「あれはピスタチオ、クルミ、カシューナッツ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、マカダミアナッツ……」
「アルクん! どうしたの。急に頭を抱えて!」
「……妖精の羽、魔族の角、エルフの耳、ドワーフのヒゲ、シュリーカー族の短い足を持ち、ソーサさんと同じ話し方をする人族を想像してみてください」
「うわぁ……なにそれ」
僕の例えにヨヨさんはのけぞるような姿勢を見せた。恐らく姿を想像したのだろう。その眉間にはシワが寄っている。彼女も目の前にある木の異常さに気がついたようだ。
「それがあの木ですよ。ナッツの木と呼ぶべきでしょうか」
「ソーサ殿は関係ないのでは?」
セルヴァのフォローは無視するとして、この木にはいわゆるナッツが複数実っている。普通、自然にこのような木が生えることはあり得ない。まさに合成樹、キメラと呼ぶべき存在だ。
「これは異常なことなのよね?」
「確かに異常です。ただ実際に作ることは可能なんですよ」
「えっ! こんな木を作り出すことができるの!」
「はい。すべては接ぎ木の技術によって可能でございます」
近づいて調べてみると接ぎ木したあとがあちこちにある。もしかしたらこの世界特有の品種かもしれないと思ったが、調べてみれば一目瞭然だった。
このナッツの木が誰かの手によって作り出されたのは間違いない。
実際、このような木は前世でも存在している。
ある大学教授が接ぎ木によって作り出した木で、『四十果実の木』、『奇跡の木』と呼ばれているのだ。四十種類もの果実がなるこの木は、接ぎ木に接ぎ木を重ね、完成まで五年以上かかったという。
「問題なのは誰がこんなことを考え、実行したかです」
「見たところ、この接ぎ木の技術は完成されております。独学だとしたらインプだったころの私も驚きですな」
「実のつく時期が異なる種類が、同時に実をつけてるのが一番の不思議だけどね」
前世ではアーモンドやヘーゼルナッツの収穫は九月ごろだし、クルミは十月、カシューナッツは春ごろとまったく違う。
「ところであの実って食べられるの?」
「ええ。主に種子を食べます。食材としても非常に優秀ですね。これもセルヴァのお手柄だよ」
「お褒めに預かり、恐悦至極に存じます」
うやうやしく礼をする彼は、インプだったころよりも洗練された動きを見せた。徐々に執事としての能力も上がっているようだ。
「ではアルク様。私は引き続き魔王国の探索に戻ります」
「うん。ありがとう」
「ですからアルク様。使い魔に礼など不要と前から何度も」
「いいから。いいから。セルヴァ。何かあったらまた連絡するよ」
「……はっ。いつでもお呼びください」
そういってセルヴァは姿を消した。
さて問題は目の前のナッツなのだが……。
「誰かが育てているみたいだし勝手にとるのはまずいだろうな。ナッツ類が存在していることはわかったし、ニーナさんが戻ってきたら聞いてみましょう」
「食べても大丈夫なの?」
「あー。さっきの例えが悪かったかな」
さすがに各種族の特徴となる部位を選んだのは間違いだったか。一本の木になっているとはいえ、それぞれの木の実に問題はないのだ。
切り株のあった場所に戻りながら、少し考える。
「花蜜たっぷりのパンケーキ、ふわふわの綿菓子、とろけるようなシュークリーム、蜜たっぷりのスイートポテト、優しい甘さのべっこう飴が乗ったプリン・ア・ラ・モードみたいな木です」
「素敵!」
どうやらナッツの木の印象は変わったようだ。
ものはいいようである。
ほほに手を当ててうっとりとした表情を見せる甘党妖精の意識はすでに夢の世界に旅立っている。そのせいか自分で飛ぶこともなく僕の右肩に腰かけていた。それはそれでかまわないのだが、たまに耳元で、「ぐふっ」と笑うのだけは勘弁してほしい。本気で怖い。
さて、切り株のある場所まで戻ってきたときのことだ。
僕はそのまま結界の中に入った。結界に入ったことで巨木の森も見えるようになる。
「――ヨヨさん。気配を消してください」
「え? なになに?」
ヨヨさんに声をかけたあと、その場で立ち止まる。
彼女は一瞬驚いたものの、すぐに肩の上で気配を消した。
(一、ニ、三……五人か)
気づいていないふりをしつつ、僕は切り株に登り、中央に立つ。
ここなら向こうからも僕の姿がよく見えるだろうし、なにより視線が集中する分、相手の位置も探りやすくなる。
気配は目の前にある巨木の森から放たれていた。
声をかけず、姿も見せないことから僕たちを警戒しているようだ。そして、その気配にはわずかながら殺気も混じっている。
……いや、とっさに気配を消したヨヨさんには気がついていないようだ。殺気を向けられ、警戒されているのは僕だけらしい。
僕は連中が隠れているだろうそれぞれの巨木に目だけを向ける。今なお姿は見えない。一箇所に固まらず、互いに距離をとって扇状に展開しているあたり、素人の動きではない。巨大カマキリと対峙したゴブさんたちのように慣れた動きだ。
(エルフの国の境……ということは彼らの国の警備員か)
適当にあたりをつけたが、もしエルフだとしたらこちらから手を出すのはまずい。
そう。こちらからは、だ。
それにしても以前と比べ、魔力や気配を探るのにもずいぶんと慣れてきた。これも魔法制御などを指導してくれたディーナさんのおかげだろうか。
僕はこっそりとある執事魔法を自分の周りに展開した。もちろん肩の上のヨヨさんも範囲に入れる。
その後、わざとらしくならないよう周囲を探るように首を動かす。
「動くな! そこの魔族! 何しに来た!」
すると巨木の影から声がかけられた。
声は力強く、ハリのある男の声だ。
だが緊張しているのかその声はわずかに震えていた。
僕は声が聞こえてきたほうへと迷わず顔を向ける。声は正面にある一本の巨木から聞こえてきた。先ほど気配を探ったとき、五人の真ん中にあった気配だ。声の主はその木から出ている枝の後ろに隠れている。
僕は顔を上げ、その枝の向こうにいる気配に声をかける。
「動くなというのは心臓もですかぁ? 心臓止めたら死んじゃいますぅ。それとも肺? もしかして今、しゃべってるこの口でしょうかぁ?」
得意の執事ジョークを披露する。
ここはやはり和やかな雰囲気を作り出さなければならない。
これは執事ジョークの中でも軽めのものだ。
「ちょ、ちょっと! アルクん。何、煽ってるのよ!」
「……え~」
気配を消したまま、焦ったように僕のもみあげを引っ張るヨヨさん。小声で話しかけてきた彼女に目を向けると非難めいた目で僕を見ている。重苦しい場の雰囲気を変えようとしただけなのになぜだろうか。非難されるいわれはないはずだ。
僕はやれやれと思いつつ、軽くため息をつく。
まあ、ここは相手の言葉を待つとしよう。
「……」
まさかの無言である。
少し待ってみたが言葉が返ってこなかった。
ただ不思議なことに枝の後ろから放たれる殺気がより鋭くなっていた。
チクチクと実にわずらわしい。左右から向けられていた警戒心と殺気はかなり薄れているというのに。
もしかしたら中央の彼がお気に召す執事ジョークではなかったのかもしれない。
こういうときお嬢様なら首をコテンと傾けるだけで世界平和協定が結ばれるだろう。僕もぜひ見習いたいものだ。
「ふざけているのかっ! 魔族の子供め!」
おっ、しゃべった。
なるほど。鋭くなったのは殺気だけではない。
放たれる声も鋭くなった。百人中九十七人は怒っていると判断するだろう声だ。
今ごろ、彼が隠れている木には、つばが飛びまくっているに違いない。
お笑いの趣味が合わないだけで怒り出すとか困ったエルフだ。
それとも何か?
エルフといえば辛いもの好きだ。もしかして辛いものが好きだと短気になるのだろうか。だとしたら激辛好きのエルフが短気であっても仕方がない。
もともと僕から手を出すつもりも争う気もなかった。
表面上、そう見えるよう心がけている。
僕はお嬢様を見習い、黙ったまま首をコテンと傾げた。
「きっさまぁ!」
間髪入れず、怒気を含んだ声が返ってくる。
……お嬢様と何が違うのか。
首を倒す方向は、左ではなく右のほうがよかったのだろうか。しかし右肩にはヨヨさんがいる。
やはり表面上では伝わらなかったようだ。
上辺だけの態度ではダメらしい。
いや! 待て! そうではない!
足りなかったのは魅力だ。
お嬢様からあふれ出る魅力こそが世界を平和にさせるのだ。
これは誰にもマネできない。
さすがは僕自慢のお嬢様。
僕ごときではその足下にも及ばない魅力をお持ちなのだ。
改めてお嬢様のすばらしさを感じた僕は、この思いを伝えようとヨヨさんに顔を向ける。しかしヨヨさんは渋いものでも食べたような顔を返してきた。渋柿でも食べたのだろうか。
「さらに煽った挙げ句、なんでしたり顔してんのよ!」
「え? 魅力あふれるお嬢様のすばらしさを分かち合いたいと思っただけですが」
「この状況で何をいっとるかー!」
あくまでも小声での会話である。
向こうからはブツブツとしか聞こえないだろう。
「貴様! まさか魔法を使うつもりか!」
何を言っているのか理解に苦しむ。
僕はヨヨさんとお嬢様の魅力について話をしているだけだ。そもそも魔法を使うのに詠唱など必要ない。
お嬢様のすばらしさが理解できないとは、なんて悲しい種族だろうか。
丁寧な会話を心がけてきたがこちらにも限界がある。思い返すと彼とは一言だけしか喋っていない気もするが、まあいい。
とりあえず拘束でもしようと執事魔法を使おうとした、そのときだ。
巨木の森の奥から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「エルフの同胞たちよ、聞いて! 私はニーナ。ツリーフォードの者よ。そこにいる魔族の子は侵入者じゃないわ! 私の友達だから!」
「なに!?」
ニーナさんの声に反応してか、巨木の枝の影から男が姿を現した。
色白の男は紛れもなくエルフだ。彼らの特徴でもある長い耳が金色に光る髪の間から見えた。その長い髪を後ろで縛り、ニーナさんと同じような青い目を大きく見開いている。見た目は人族換算で十代後半から二十代前半といったところか。深緑色を基調とした服に革鎧を身に着けている。手には弓を構えており、矢先はまっすぐ僕に向けられている。
ニーナさんが僕の近くまでやってくる。
急いで戻ってきたのだろう。少し息がきれているようだ。
服の胸元をパタパタさせながら息を整えている。
「ずいぶんと早かったですね」
「ハァ。侵入者が現れたって聞いたの。まさかと思って急いで戻ってきたのよ」
「もう! ニーナ。もっと早く戻ってきなさいよ。アルクんのせいでこっちは気が気じゃなかったわ」
「え? 何があったの?」
ヨヨさんが気配を消すのをやめ、ニーナさんに愚痴をこぼす。姿を見せないエルフからも、「おい、妖精がいるぞ」という声が聞こえてきた。
不機嫌そうなヨヨさんに自分の名前を呼ばれた気がしたのだが、何かあったのだろうか。身に覚えがない。
走ってきたニーナさんには申し訳ないが、侵入者が現れたのも当然だ。ニーナさんに言われるがまま、侵入者を知らせる結界を出入りしたんだから探知されてもおかしくない。自分でやらせておいて何を言っているのだろうか。
そう指摘すると彼女は、ハッとした顔をしたあと気まずそうに笑みを浮かべた。胸元をパタパタするスピードも早くなっている。よほど暑いのかそれとも恥ずかしかったのか。まあどちらかだろう。
ふと視線を感じた僕は顔を上げる。すると先ほどのエルフの男が枝の上に立ち、にらむような目で僕を見下ろしていた。そのエルフは僕に警戒の目を向けたまま、走ってきたニーナさんの顔を確認するように何度も横目でチラチラと見ている。
「胸元をあおぐ若い女性を上からチラチラのぞき込むとか……いやらしい」
「ええ!」悲鳴めいた声を出すニーナさん。
「ぬなっ」
「あっ。すいません。聞こえてしまいましたか」
上にいる男エルフから聞こえてきたのはナメクジが潰れたような声だった。
この一言のおかげか、僕に向けられていた殺気は彼以外、完全に霧散した。またあちこちから小さな笑い声がいくつか耳に入った。
ニーナさんは服の胸元を押さえている。少しだけ彼女の耳の先が赤くなっていた。まあ胸元のあいた大胆な服ではないので大丈夫だろうが、そこは心理的なものだろう。
「お、おのれ! バカにしやがって!」
「おい! まて!」
声を荒げるエルフの男が顔を真っ赤にしている。
色白だと顔色の変化も実にわかりやすい。照れているのか怒っているのか判断に苦しむところだが、恐らく後者だろう。
頭に血がのぼるとはまさにこのこと。いや、エルフのことだ。頭にのぼったのはトウガラシエキスかもしれない。思わず激辛のウルスソースが頭をよぎった。
男の反応から利用しやすいとは思っていたが、ここまで簡単だとは思わなかった。ニーナさんや周りのエルフに比べると、少しばかり気性が荒いようだ。
仲間の静止の声にも耳を傾けず、エルフの男は手に持った弓を引き絞った。そして間髪入れずに僕めがけて矢を放つ。ギンという甲高い弦音とともに矢は風を切りながら、僕を目がけてまっすぐ飛んでくる。
念のため、僕から距離を離すべく、そばにいたニーナさんをトンっと軽く押しのける。
「アルクん!」
最初に声を上げたのはヨヨさんだった。
気配を一瞬で消したときといい、なんだかんだで反応のいい妖精さんだ。
だが僕は飛んでくる矢を避けることなくその場で待った。
さすがは弓を得意とするだけあって、矢は額の真ん中めがけて向かってくる。しかもよほど強い弓なのだろう。距離が短めとはいえその軌道はほぼ一直線だ。
それは威嚇ではなく、まさに相手を殺すための一矢だ。
――カァン。
「はぁ!?」
鋭く甲高い音が鳴った。続いて間の抜けた声が耳に入る。
僕の額めがけて飛んできた矢は、当たる少し手前で弾かれたように地面に落ちた。勢いがあったせいか真ん中からポキリと二つに折れている。
矢が弾かれたのは、前もって用意しておいた執事魔法『執事箱』に当たったからだ。
今の僕は箱入り執事状態である。矢と魔法を通さないようにした『執事箱』の中にいれば例えエルフの矢であってもただの棒にすぎない。
僕は『執事箱』を解除すると、二つに折れた矢をそれぞれの手で拾う。そして左右の手に握られた折れた矢を呆然とするエルフに見えるようゆっくりと掲げる。そして彼の目を見ながら口元だけで笑みを作った。
見上げながらニタリと笑う僕に、ビクっと体を震わす男エルフ。自分の矢がなぜ弾かれたかわかっていないだろう。それでも、もう一度矢をつがえようと彼は矢筒に手を伸ばす。だが僕は威圧を込めた視線でそれを牽制した。その視線にエルフの男はピタリと腕を止める。
命のやり取りで二の矢を用意しようとはなんとも甘い警備員だ。射つなら一の矢のすぐあとでなければ意味はない。
「へぇ。エルフさんはずいぶんと好戦的なんですね。これは僕への挑戦と受け取っていいのだろうか」
「先にケンカを売ってきたのは貴様だ!」
エルフの男はすっかり冷静さを失っている。
「死んじゃいますぅ」の一言がどうしてケンカを売ったことになるのだろうか。
ほかのエルフもまさか本気で矢を放つとは思ってもみなかったのだろう。隠れていた木の陰から飛び出し、困ったような顔している。すでに敵意は見受けられない。ニーナさんの友達発言のおかげもあるだろう。
(出てきたのは男二人、女二人か)
姿を見せたエルフたちは枝の上の彼と同じくらいの年令に見える。ただ、長命なエルフのことだ。魔族同様、見た目だけでは性格な年齢はわからない。
僕は二つに折った矢をそれぞれの手に握ったまま、血がのぼっている男だけに話しかけた。
「己の感情でいきなり他種族の頭を矢で射るのが、エルフの望むケンカとは恐れ入った。よくそれで種族間戦争にならなかったものだ。エルフと魔族の全面戦争とはおっかないねぇ。あー怖い」
そういうと男は二の句が告げなくなったようで押し黙った。構えていた弓もおろしている。
思っていたよりも冷静さを失ってはいないようだ。
(うーん。もうひと押しするべきか悩むところだな)
「あー! もう! 何があったかわかったわ。アルクくんもそんなケンカ腰にならないでよ」
「えー! 先に殺気を向けてきたのはエルフの皆さんですよ。いくら魔族とはいえ、僕みたいな『か弱い』子供に殺気を向けたり、矢を射ったりするなんて大人気ないと思いませんか?」
「そ、それはそうだけど……か弱いって部分は断固認めません!」
「え~……」
「ところで大丈夫だった? 怖くなかった?」
「心配するなら先にしてくださいよ、まったく」
それにしても『執事箱』を準備しておいてよかった。完璧に気配を消し、不意打ちでもされていたら、ケガくらいしていたはずだ。種族間戦争中じゃあるまいし、問答無用で一発目から殺しにくるとか、どこの暗殺者だろうか。気が短いにも程がある。
僕はそれぞれの手に握っている折れた矢を見てからふぅと息を吐いた。
「耳元で、ぐふっと笑う妖精に比べれば矢ごとき怖くありません」
「……それ誰のことかしら?」
「大丈夫ならよかった」とニーナさんは笑みはこぼす。
「いえ、大丈夫とは言ってませんが」
「え?」
ジトッとした目で僕をにらむヨヨさんはあえて無視。
不思議そうな顔をするニーナさんを一瞥したあと、僕はゆっくりと手を動かした。
まず左手に持っている鋭い矢尻のついた側を後頭部に、矢羽の側を額に当てる。
そして――。
「やーらーれーたー」
エルフたちに聞こえるよう棒読み気味に大声をあげる。
わざわざ横を向きながら、男エルフの狙い通りに僕の頭を矢が刺さっているように見せるのがポイントだ。若干矢の長くなっているが、手を離さないかぎり、頭を貫通しているように見えるはず。もちろん矢の角度にも気をつけなければならない。あくまで額からまっすぐ後頭部に抜けていなければ完璧とはいえないのだ。
誰一人声をあげるものはいない。
矢を射た男エルフは何度もまばたきをしながら、言葉を失っている。あまりのすごさに声も出ないのだろう。一本の矢が頭を貫いていても生きているのだ。
さぁ、恐れろ。そして悔め! 己の犯した罪に押しつぶされるがいい。
……まあ、子供だましなんだけどね。
(さすがにこんな挑発には乗ってこないか。まあいい。とりあえず交渉カード一枚目ゲット、と)
「ふわっはっはっは。元気よく、やーらーれーたーはないさね」
唐突に笑い声が森の中に響き渡った。
僕は矢が頭に刺さった風のポーズをしたまま、その姿を探す。あの笑い声は間違いなくディーナさんだ。
頭に当てていた手を下ろし、折れた矢を片手で握る。
ディーナさんは僕たちから少し離れた場所にある巨木をペチペチたたきながら大笑いしていた。それも目尻に涙を浮かべている。どうも笑いが止まらないらしい。しかも、「ふふふ。はふ。ふひゅ。はぁ。はぁ。ふぃー」と過呼吸気味だ。
少し笑いすぎではないだろうか。
ここまで笑われると逆に恥ずかしい。
「あれ? ディーナ先生?」
「なんだって? おぉ本当だ」
「先生! ご無沙汰してます」
口々にディーナさんのもとへ駆け寄るエルフたち。
僕に矢を射た男も地面に降り、彼女の元に向かっている。途中、こちらを気にするように何度も振り向いていたが、僕は気づかないふりをした。
「おひさしぶりです。ディーナ様」
そのエルフの男が声をかけた。
「あいかわらず短気さね。ウッドストライクの息子よ」
「……申し訳ありません」
「自らの心を押さえ、行動せよと指導したはずだがね」
「言葉もございません」
「皆も少したるんでないかい? これはまた指導が必要かねぇ」
「「「「「!?」」」」」
どうやら彼ら全員ディーナさんの指導を受けた生徒のようだ。
彼女を先生と呼び、指導という言葉に反応している。一瞬とはいえ、エルフたちの体が硬直するのを僕は見逃さなかった。
今ならわかる。彼女の指導は命がけなのだ。
「それに相手を見かけで判断するなと指導したはずだよ。見かけは子供でもアルクくんはわらわの指導『豪雨』に耐えた優秀な生徒さね」
「『豪雨』を! 魔族とはいえ、あの子供がですか!」
矢を放った男を含め、エルフたちが一斉に僕へと振り返った。
皆、一様に驚いているようだ。
ディーナさんがいった『豪雨』ってなんだろうか。言葉とエルフたちの反応を見るかぎり、指導方法のランクだと思うのだが。それも普通じゃないランクっぽい。うん、絶対に普通じゃない。
その後、エルフたちと二言三言会話を交わしたディーナさんは僕の元へと近づいてくる。
「やれやれ。アルクくんも何か考えがあったんだろうが、あまり初対面の者をからかうものじゃないよ」と苦笑いを浮かべながらいった。
どうやらバレているようだ。
僕が今後の交渉を有利に進めるため、わざとエルフを煽ったことを。
この場にいなかったはずなのに察しのいい精霊である。
「以後、気をつけたいと思います」
「思うだけなら誰でもできるさね。ん?」
これもバレた。
やれやれ仕方ない。思うだけでなく自重しよう。
ディーナさんに、「エルフの国ではもうしません」と約束しておく。その言葉に彼女は笑ったが、エルフの国でなければ別にかまわないということだろう。
「まあ、ほどほどにしておき。ところでアルクくんや」
「はい。なんでしょうか」
「『世界樹の朝露』もらってきたよ」
「ありがとうご――はい?」
差し出されたディーナさんの手には、一リットルほど入るだろう大きなガラスのビンが握られていた。厳重にフタがされたビンの中には濃い茶色の液体が入っている。ディーナさんが軽くビンを振ると、中の液体がドプンドプンとした粘り気のある音を立てた。
「はい?」
そのビンの中身とディーナさんを見つめつつ、僕は二度目の返事をするのだった。




