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第百十話 旅の前に

 日本酒が完成した日の夜、早速侯爵様に飲んでいただいた。


「これが日本酒、純米大吟醸『川霧の都』か」


 ワイングラスに注がれたひやの日本酒を一口飲んだ侯爵様は、ほぅと息をついてから酒の銘をつぶやかれる。


「良き銘であろう?」


 恐らく魔王国初となる日本酒はディーナさんによって『川霧の都』と名付けられた。ミストファング侯爵家と縁の深い(ミスト)に加え、街の中心を川が流れるウスイの街をイメージしたとディーナさんは得意気に胸を張った。

 個人的にもすばらしい名前だと思う。だが、大好きなお米の名前は取って付けたような名前なのだろうか。


「すばらしい銘ですな。それにしてもよろしかったのですか? ディーナ様。我が領の街にちなんだ銘ですが」

「なあに。ヤマダくんの晴れ舞台を用意してくれたのはこの街だからね。侯爵には感謝しておるよ」

「ありがたきお言葉でございます。今後、『川霧の都』は領をあげて作ることをお約束します」

「それは楽しみだねぇ。頼んだよ」

「それにしてもこの酒。甘味といい、香りといい、何十年も寝かせたワイン以上のものを感じますな」

「花や果物のような香りは王都の女性も気に入るはずですわ~」


 普段はあまりお酒を召し上がらない奥様も気に入ってくださった。比較的甘口に仕上がった『川霧の都』は女性にも飲みやすいようだ。


「そうだろ? そうだろ?」


 手放しに褒める御夫妻に、ディーナさんも満足げだ。


 今更だが、侯爵様御夫妻やセイバスさんはディーナさんのことをディーナ様と呼ばれる。僕はディーナさん、お嬢様はディーナちゃんだ。侯爵様たちを見習い、ディーナ様と改めてお呼びしたら、ものすごく嫌な顔をされた。結局、ディーナさんの希望もあってそのままにしている。



 時は少しばかりさかのぼる。

 これは日本酒が完成したすぐあとの話だ。


 魔王国にやってきたドワーフの職人たちは焼酎の原料となる芋を運んできていた。それも大量に。芋の種類もサツマイモだけでなくジャガイモやサトイモなど様々だ。

 運ばれてきた芋には『妖精の祝祭』で売るための商品も含まれていた。おかげで酒造所の倉庫と『妖精の祝祭』店舗の倉庫はすでにいっぱいだ。僕の『執事ボックス』にも倉庫に入り切らなかった大量の芋がしまってある。


 また彼らは焼酎を保存するための『かめ』も用意していた。そのうちのいくつかをもらい、僕とディーナさんとドワーフたちで日本酒を分け合った。


 その日本酒『川霧の都』の原料となるヤマダくんは、魔王国で育てることが決定。ほかのうるち米同様、今から田植えをすれば秋には収穫できるだろう。


 これに歓喜したのはディーナさんだ。陽の目が当たらなかったヤマダくんが魔王国で育てられることになったのだ。ヤマダくんの水田デビューである。

 早速、ディーナさんはヤマダくんの水田(初ステージ)を作るべく、ゴブさんのもとへと走っていった。

 ディーナさんは夕方になってようやく侯爵家に帰ってくる。帰ってくるなり、「ヤマダくんの水田を二十枚用意してきた」と得意気に笑っていた。時間にして五時間も経っていない。これは一枚あたり約十五分で作ったことになる。きっとゴブさんたちが頑張ったのだろう。この『頑張った』には過労死という意味が多分に含まれている。



 さて今夜の晩餐ばんさん会には日本酒を造り上げた功労者である八人のドワーフが招かれていた。それに加え、エルフのニーナとヨヨさんも一緒だ。ディーナさんはちゃっかりお嬢様の隣に座っている。クレベリたち中位精霊はディーナさんに遠慮してか避難……リアルルに会うためハーブ園に戻っている。食事が終わったころにこっそり戻ってくるはずだ。


 ギルムさんを含む八人のドワーフは、思い思いに『川霧の都』を飲み、命の水を飲み、魔王国産のワインをチェイサー()代わりに飲んでいた。

 飲みっぱなしである。

 料理はドワーフたちのために酒に合うものを中心に用意した。唐揚げ、ジャガバター、フライドポテト、ダイコンおろしをたっぷり乗せた卵焼き、ウシドンのハンバーグとステーキなどだ。


 おかげで今日の侯爵家の晩餐会ばんさんかいは完璧に居酒屋の様相をていしている。だがそこは魔族の貴族料理だ。毒があろうとなかろうと、やはり見た目と色は重視される。

 よって居酒屋のおつまみたちは美しく飾られ、上品かつ豪華に見える料理へと変貌へんぼうした。


 例えば、ウコッケの唐揚げだ。

 敷き詰められた食用の花(エディブルフラワー)の上に一口大の唐揚げが乗っている。ただし、その唐揚げたちは複雑な模様を描きながらも、躍動感あふれるよう盛り付けられていた。ニンジンやダイコンなど色とりどりの野菜がふんだんに使われており、まさに花畑や森で遊ぶ(ウコッケ)たちを彷彿ほうふつとさせる盛り付けだ。

 また長さがそろえられたフライドポテトは一本一本に飾り切りがされている。飾り切り以外にもバラなどの花に加工されたフライドポテトもあった。まさに貴族の庭園をイメージした美しさであった。

 見た目にこだわる魔族らしい『おつまみ』である。

 もちろんこれらを作ったのは料理長レイゴストさんをはじめとする料理人たちだ。


 このような居酒屋メニューであったが侯爵様御一家には評判がよかった。なにしろお嬢様が楽しそうに食事されているのだ。特にフォークに刺したフライドポテトをはむはむされている姿は実に可愛らしい。これには専属侍女のイーラさんもクネクネが止まらない。


 ちなみに今回、お嬢様用の唐揚げとフライドポテトはディーナさんにお願いして水蒸気で揚げてもらった。離乳食後期とはいえ、油の取り過ぎは好ましくないはずだ。魔族なので問題ないと思うが念のためである。


 水の精霊、指導狂、熱湯の精霊と数々の異名を誇るディーナさんだが、ここにスチームオーブンの精霊という異名が加わったことを報告しておく。水の温度を自由自在に操れるディーナさんにふさわしい名前だ。

 そしてIHクッキングヒーターの大神官様に続く家電精霊の誕生であった。


 ドワーフたちは出されたつまみを食べながら酒を飲む。いや、酒を飲みながら酒を飲み、思い出したようにつまみを食べるといったほうが正しいか。八割は酒を飲んでいるのだから。


 どんどんお酒が減っていく様子にお嬢様は目を丸くしておられた。

 そのお嬢様の視線に気がついたドワーフたちはそろって杯を掲げ、満面の笑顔をお嬢様に向ける。そんな彼らに対し、うれしそうな顔をされたお嬢様は手に持ったフライドポテトを高々と掲げ、満面の笑みを返すのだった。

 あまりお行儀のよい行為ではないが可愛いので見ていません。ただ、あとでドワーフたちとお話をしたいと思う。


 このようにお嬢様はドワーフたちとあっという間に打ち解けておられた。ヒゲの生えた酒樽さかだるに物怖じされないとはさすがはお嬢様だ。

 紹介したときもヒゲの柔らかさに喜んでいたし、「すごくさらさらなの!」と心から彼らのヒゲを褒めておられた。

 お嬢様に自慢のヒゲを褒められたドワーフたちのデレデレ顔は思い出すことがないよう記憶の隅に封印してある。誰かに聞かれてもご想像にお任せしますと答えることにするつもりだ。実にだらしない顔だったのは間違いない。


 また彼らは地下でしか咲かない『キャヴンスノー』という花の鉢をお嬢様におみやげとして用意していた。直訳すると『洞窟の雪』といったところか。

 『キャヴンスノー』はスノードロップという花にそっくりだ。ただスノードロップより花の大きさが倍ほどもある。また半透明の白い花びらは硬く、まるで水晶でできているようだった。

 なんでも特別な花らしく、日中、明るい場所に置いておくとその光を花に蓄えるそうだ。夜に光源として使えるそうで地下にあるドワーフの国にしか咲かない珍しい花らしい。

 お花好きのお嬢様にぴったりだ。ヒゲなのにすばらしいプレゼントである。



 料理と酒が進む中、日本酒『川霧の都』を楽しむ侯爵様に声をかける。


「侯爵様。実はこの『川霧の都』ですが、もっと美味しくなるかもしれません」

「ほほう!」

「「「なに!? この酒以上だとっ!」」」


 僕の声が聞こえたのだろう。

 ガタッというイスを引く音と同時にドワーフたちから驚きの声が上がった。見るとドワーフ全員が一斉に立ち上がっている。僕は苦笑しつつ、やんわりと席につくよううながす。


「その話を聞いたときはわらわも驚いたよ」


 こう話すのはディーナさんだ。


「今でも最高級品といえる『川霧の都』ですが、若干の雑味を感じました」

「アルク! 酒を……飲んだのか?」

「夕食前にめる程度ですが」

「アルクちゃん! 大丈夫なの?」


 侯爵様と奥様は毒に弱い僕を心配してくださった。お二人は僕がお酒を飲んで倒れたことをご存知なのだ。

 そんなお二人にご心配をかけたことをおびし、大丈夫だと伝える。


 以前も効果を知るために命の水(ホワイトラム)を飲んで死にそうになった。どうも毒に弱いフォメット族は急性アルコール中毒になりやすいらしい。

 侯爵様御夫妻が心配してくださったのは、このときのことをヨヨさんから聞いているからだ。


 毒に弱い僕がわざわざ酒をめたのはちゃんとした理由がある。

 いくら美味しいといわれても自分の舌で確認しなければ味の良し悪しが判断できないからだ。


「すぐにわらわが解毒魔法をかけたから問題はないよ」


 ディーナさんが御夫妻に安心するよう声をかける。

 実はお酒をめたとき、ディーナさんにそばにいてもらった。僕が試飲したあと、解毒魔法をかけてもらうようディーナさんにお願いしたのだ。

 める程度の量だったが、軽くふらついた。すぐに解毒魔法が飛んできたので体に影響はなかったが、解毒魔法がなければどうなっていたのかわからない。ディーナさんに解毒をお願いして本当に良かったと思う。


 その試飲で感じたのが酸味や苦味などの雑味だった。わずかに感じる程度だが、もっと美味しく作れるはずだ。

 そう確信した。


「今回、より日本酒を楽しんでいただくためにちょっとした趣向をご用意しました」


 そういって用意したのは三つの酒盃。

 どれも『川霧の都』が入っている。ただし、すべてお燗して(温めて)あるのだ。その温度は人肌(三十五度)ぬる燗(四十度)上燗(四十五度)だ。

 このようにおかんする温度によっていろいろな呼び方がある。これがなるほどとうなずけるものが多い。

 最近はあまり聞かれないが、「大吟醸をかんにするなんて」という否定的な意見が前世ではあった。個人的には好きに飲めばいいと思うし、ここは魔王国なので気にしない。


「日本酒は飲む温度によっても味が変わるんです」

「ほう! 確かに香りも変わっている。甘みも変化しているようだ。この酒はぬるいほうが香りも甘みも引き立つようだな」


 一口ずつ確かめるように飲まれた侯爵様が納得したように首を振る。

 酒の味の変化に驚いたのかドワーフたちも騒がしい。ただ、以前ホットワインを飲んだことのあるギルムさんだけが感慨深そうにうなっていた。


「うーむ。この前教えてもらった暖かいワインも驚いたが、日本酒の味の変化はワインの比ではないな」

「芋焼酎もお湯で割ると味も香りも変わりますよ? 酒盃しゅはいに注ぐ順番もお湯を先にするか、焼酎を先にするかで変わります。もちろんお湯の温度によってもね」

「そうだったか。……やはり酒は奥が深い」


 そういってしみじみとぬる燗をあおるギルムさんであった。

 ドワーフのように焼酎をストレートで飲むのもいいが、酒の飲み方はひとつではない。飲み手によっていろいろな楽しみ方があるのだ。


「飲む温度で味が変わるように、日本酒は繊細なお酒です。作る環境、お米や水の質によっても味が変わってしまいます」

「作るのが大変な酒だな」と侯爵様。

「はい。ですが、そこはドワーフの職人さんたちの腕次第です。僕が魔法を使って作るよりもきっと美味しいお酒を作ってくださるでしょう」


 酒の味はドワーフの職人たちの腕次第だとあえて話す。

 これも彼らに発破をかけるためだ。


「なるほど。それは――楽しみだな」


 僕の意図をんでくださった侯爵様は真剣な顔でドワーフ一人一人と目を合わせる。そして職人たちに満足のいく報酬を約束された。

 侯爵様は領をあげて、『川霧の都』を作ることをディーナさんに約束されたのだ。作る酒が侯爵様や領の名を汚すような出来では困る。

 高額な報酬は職人たちへの期待の表れであり、責任の重さを示すものだ。


 ドワーフたちにもこの酒に期待する侯爵様の気持ちが伝わったことだろう。

 侯爵様に目を向けられたドワーフの職人たちも当然と言わんばかりに力強くうなずいていた。酒に対する情熱と責任感はどの種族にも負けていないのだ。

 そして彼らは口をそろえていうのだった。


「「「我らドワーフにお任せあれ!」」」と。



 こうして侯爵様とドワーフの職人たちの間にきずなが結ばれた。そのきっかけとなったのは『うまい酒』である。ただそれだけではない。この関係は魔王国通商貿易局とドワーフ国との関係にもつながるのだ。『うまい酒』によって、今後、ドワーフの国と通商条約が結ばれる可能性もあるのだ。

 ドワーフは酒を愛する。うまい酒があるところドワーフあり。酒をきっかけに生まれた信頼関係は崩れることはないだろう。


 ギルムさんとの話し合いの結果、日本酒の製法は公開することに決めた。魔王国に来て修行すれば誰でも日本酒の製法を学べるのだ。恐らく日本酒の味や製法を求めて、様々な種族がウスイの街にやってくるだろう。

 時間はかかるだろうが製法を公開することで日本酒の種類は増えるはずだ。これもまた楽しみのひとつだとギルムさんは笑っていた。


 そのギルムさんから、いつかドワーフの国に来てくれというお誘いを受けた。なんでもギルムさんのお兄さんであるガルムさんに紹介したいそうだ。

 ロシュロス魔王の手記によれば、ドワーフの国に味覚を取り戻すための薬の材料はない。だが、芋以外に毒のない食材がある可能性は高い。

 僕はギルムさんのお誘いに喜んで乗ることにした。


 またディーナさんにもお酒の原料となるお米がほかにないか相談している。お米を普及させるためにも協力して欲しいと伝えたのだ。この話にお米大好きディーナさんは快諾してくれた。今ではディーナさんのほうが乗り気になっている。


 こうしてドワーフと水の精霊の協力を得られることになった。

 妖精族に続く、魔王国とのきずなである。


 これも魔王国に美味しい料理文化を広めるための第一歩だ。

 しかし、これはまだわずかな変化にすぎない。

 なにせ魔族は味覚オンチだ。まだまだ魔族の料理に対する認識は低い。味が理解できないから美味しい料理文化を広めるのは並大抵のことではないのだ。


 だがあまりゆっくりもしていられない。

 残り半年をきった離乳食期の食材集めはもちろんのこと、お嬢様が社交界デビューをされる前には美味しい料理文化を広めておかなければならないのだ。せめて貴族の間だけでも確実に毒のない美味しい料理文化を広めておく必要がある。

 お嬢様が侯爵家でお食事をされる場合はなんら問題ない。しかし、お茶会や食事会へと招かれることが増える社交界デビュー後となると話は別だ。

 招かれるたびに毒だらけの料理をお嬢様に出されてはたまらない。そのためには毒のない食材を魔王国に広めなくてはならない。それに伴い、毒のない食材を扱う『妖精の祝祭』の役割は重要だった。


 ……最悪、毒料理を出すような味覚オンチの貴族を『物理的にないない』する手も考えておくべきか。一般に社交界デビューするのは十二歳。お嬢様の場合、残り九年しかない。味覚オンチの貴族らが味覚を理解できるのが早いか、ないないするのが早いか難しいところだ。


 少しばかり黒い考えを思い浮かべたとき、侯爵様から声がかかった。


「ところでアルクよ。この『川霧の都』だが含まれている魔力が尋常ではないほど多いな」

「侯爵様のおっしゃるとおりだわ。なぜかディーナ様の魔力を感じるし」


 日本酒を飲みながら侯爵様とニーナさんが口をそろえた。

 ニーナさんも大人のエルフだ。お酒くらいは飲む。ドワーフと違い、数口飲んだだけでほほがほんのりと染まり、髪からのぞく耳の先が赤くなっている。

 二人が話すその理由だが、僕には心当たりがあった。


「実はお酒を作っているとき、ディーナさんからいただいた精霊石をタンクの中に落としてしまいまして――」

「ごはっ」


 途端にき込む侯爵様。

 その侯爵様の背中を奥様がやさしく叩いている。お嬢様も、「父様、だいじょうぶ?」と心配しておられた。侯爵様は咳き込みながら、お嬢様に手を振っておられる。


「あっ。ちゃんと取り出しましたよ?」

「……アルクくん。精霊石と聞こえましたが」


 き込む侯爵様に代わって問いかけてきたのはセイバスさんだ。その問いに僕は事の成り行きを説明する。

 説明するにつれ、精霊石の名前を聞いた侯爵様たちは少々焦った様子になった。


「ディーナ様。そんな貴重なものを使わせてしまってよかったのですか」

「問題ないさね。ヤマダくんのためだし」

「そ、そうですか」と侯爵様は苦笑い。


 ふと静かになったニーナさんに目を向けると、彼女は固まっていた。目の前に手をかざしてもピクリとも動かない。エルフの動力である激辛ソース(ソウルフード)成分が切れたのだろうか。


「アルクくん。いただいた精霊石の扱いは慎重に。決して街中で取り出さないようにしなさい。持ってることも他言無用です」


 珍しいことにセイバスさんがこわばった顔でおっしゃった。


 サツマイモのお菓子をご飯代わりにほおばるヨヨさんが、「価値がわかってないのはアルクんだけよ」と小さな声であきれていたが、そんなことはない。


 ここにきてようやく精霊石の希少さが認識できた。

 なにせ貴族である侯爵様と執事長のセイバスさんの顔が引きつっているのだ。

 これはとんでもないものをもらってしまったようだ。早いところお酒造りに使ってしまったほうがいいかもしれない。


「それはそうとアルクくんや。修行の旅で最初に行くのはエルフの国だったね」

「はい。リアルルさんのおかげですぐにでも出発できそうです」


 ディーナさんがいうように修行の旅となる記念すべき最初の目的地はエルフの国を選んだ。それというのもリアルルさんがハーブ園とエルフの国をつないでくれたからだ。木と木の間を移動できる彼女の魔法により、エルフの国まで大幅な時間短縮となった。


 これにはニーナさんにも感謝しなくてはならない。

 彼女がリアルルさんに頼んでくれたからだ。

 そのニーナさんは先ほどから固まったまま動かない。いや、なにやらブツブツといってるようだ。耳をすますと、「精霊石を漬けたお酒……いったいいくらなの……」と聞こえてくる。商人をめざすだけあってお値段が気になるのだろうか。

 まあ、しばらくほかっておこう。


 リアルルさんの魔法によりほぼ瞬間的にエルフの国に行けるため、修行になるかどうかは疑問だった。だが、セイバスさんは特に何もおっしゃらなかった。多くの国を見て、その文化に触れ、見識を増やすことも修行だと考えておられるのだろう。


 それに主な目的はお嬢様のための食材探しだ。

 ニーナさんが取り寄せてくれたおかげで豆類やトウガラシなどの香辛料、それに小麦を加工した麺類は手に入った。ただドワーフの国と同じく、彼女たちエルフが知らない食材があるかもしれないのだ。

 やはり自分の目で確認しておきたい。

 なにせ辛いものを主食とするエルフ族も魔族と同様に十分偏食なのだ。辛いもの以外、見向きもしていない可能性が高い。


 ちなみに今回の旅はヨヨさんとニーナさんが同行する。

 同行する理由はエルフの国と隊商『妖精の祝祭』の商談をまとめるためだ。それにニーナさんにとっては久々の里帰りとなる。


 また今回の旅は食材探し同様、もうひとつ大切な目的がある。

 それはエルフ族しか作れないというある薬の材料を手に入れることだ。


 ロシュロス魔王様の手記にあった魔族が味覚を理解できるようになる薬。旅の目的はその薬を作るために五種類の材料を探し、手に入れることだ。その材料は妖精族、エルフ、獣族、海洋族、人族が作れるという。そしてそのうちのひとつ『妖精の奇跡』はすでに手に入れている。


 残すは四種類。

 手記によればエルフ族の国にそのうちのひとつがあるはずだ。これについてニーナさんから耳寄りな情報を得ている。なんでもエルフの国には、エルフ族の巫女が祝福を与えているという『世界樹の朝露』というものがあるそうだ。なんでも小瓶一本で二十四時間闘えるそうで、栄養剤的なものだろう。


 その話を聞いた僕は『世界樹の朝露』が材料のひとつだと考えている。『妖精の奇跡』と同様、魔族が味覚を取り戻すことができるかもしれないのだ。

 ぜひエルフの巫女にお会いして詳しい話を聞いてみたかった。


「ふむ。そのエルフの国への旅。わらわもついていこう」

「え? よろしいのですか?」

「はぁいぃっ?」


 おっと。ニーナさんが動きだした。

 どうやら、「ついていこう」という言葉に反応したようだ。

 再起動に成功した彼女は落ち着きなく腕を上下に振り回している。実に挙動不審だ。まるで飛べない鳥が必死に翼を動かしている、もしくは水の中で溺れているかのようだ。この場合、水の精霊ディーナさんが関係しているので溺れているという表現のほうがあってるだろう。


 そんなニーナさんのおかしな動きをお嬢様が真似されないか心配になった。ドワーフの例もある。慌てて確認するとお嬢様はウシドンハンバーグに夢中になっておられた。

 一安心である。


「なんだい? 不服か。ツリーフォードの娘よ」

「いぃぃえぇぇー。とんでもないですぅ。ご一緒できて光栄ですぅ」


 そういうニーナさんの顔は心なしか引きつって見えた。


「――アルクん。もう旅に出ちゃうの?」


 フォークをお皿に置いたお嬢様が不安げにポツリといった。

 どうやら僕たちの会話を聞いておられないようで聞いておられたらしい。


 お嬢様の服につけられた青いバラのコサージュがキラリと光る。このコサージュはベルゼブブからもらった通信用の魔道具だ。旅先からいつでもお話しできるようベルゼブブからもらったものだ。


 この魔道具をお渡ししたとき、お嬢様は笑顔を見せて喜んでくださった。だが内心ではまだ不安に思われていたのだろう。お嬢様のお気持ちを察することもできないとは執事としてなんとも情けない話だ。

 僕がしばらくいなくなることをお嬢様は寂しく思ってくださっている。それは僕からすれば身に余るほど光栄なことだ。しかし、お嬢様を悲しませてまで喜べるはずもない。やはりお嬢様にはいつも笑っていてほしいからだ。


 寂しそうな顔をされるお嬢様。どのように声をおかけしようか迷っていると、ディーナさんが先に声をかけた。


「なあに。ティリアちゃん。心配しなくていいさね。そのためにわらわが一緒に行くのだから。さっさと帰ってくるさね」

「ほんと?」

「本当だとも。それにティリアちゃんもご両親と一緒ならエルフの国に遊びに行くことだってできるんじゃないかね。アルクくんが出かけるのは、将来ティリアちゃんたちが遊びに行く前の下調べみたいなものさね」

「え?」


 ディーナさんの提案に驚いた。

 侯爵様御一家が家族で他国に遊びに行くという発想はなかったからだ。この世界は前世と違い、気軽に旅行することはまずない。しかも他国などもってのほかだ。その理由は街道や旅の足が整ってないことと道中の安全が保証されないからだ。だからこそ修行にもなる。


 しかし、一部の魔法の使い手なら、安全の確保は可能だ。

 そう。その魔法とは『執事ゲート』が使える執事魔法である。


 え? 空間魔法? 『ゲート』の魔法?

 いやいや。一緒にされては困る。


 空間魔法では旅先で肉も焼けないし、食器を作ることすらできない。掃除や洗濯なんてもってほか。水を出すこともできなければ、服を乾燥させることもできないのだ。ましてや時間を止めることなどできるはずがない。


 そんな空間魔法と『執事魔法』を一緒にされてはかなわない。

 抱腹絶倒ほうふくぜっとう腹筋崩壊ふっきんほうかい呵々大笑(かかたいしょう)草不可避くさふかひである。

 やはり『執事魔法』こそ万能なのだ。


「なんかアルクんが悪い顔してるわー。ひくわー」

「あの顔は複数属性を使える自分スゲーって顔ね」


 ヨヨさんとニーナさんが何かいってるけど聞こえない。

 あー、聞こえない。


 ディーナさんの提案を聞いた侯爵様御夫妻はすでに乗り気のようだ。


「そうだな。アルクには旅先の安全を調べておいてもらうか」

「それに~、ティリアちゃんが喜ぶようなお料理も探してもらわなきゃ~」

「それはいい案です。アルクくん。執事ゲートのポイントをいくつか確保してきなさい」


 僕の修行の旅は一転して侯爵様の家族旅行の下調べを兼ねることになった。あれよあれよと話が進む中、お嬢様の目は輝き始めていた。


「いつかティリアもエルフさんの国に遊びに行けるの!? アルクんも一緒なの!?」

「はい。すぐにとはいきませんがお嬢様がご旅行に行かれるときは案内役を勤めさせていただきます」

「ティリアのお嬢ちゃん。エルフの国に遊びに行ったあとはわしらドワーフの国にも遊びに来てくれ。歓迎するぞ!」


 ギルムさんに誘われたお嬢様は首を縦に何度も振っている。

 僕も誘われていることだし、ちょうどいいか。でもドワーフの国って確か地下のはずだ。見る場所あるのだろうか。


「行くのー! ドワーフさんのところにもおでかけするの!」

「あらあら~。遊びにいくところがいっぱいね~」

「今から楽しみなの!」


 そうおっしゃるお嬢様の目はすでに遠い異国の地を見ているようだ。「むふー」とこぼれる笑みは好奇心にあふれている。


 ディーナさんの機転のおかげで沈みがちだったお嬢様の気も晴れたようだ。

 修行で不在するのではなく、お嬢様とご両親で出かける旅先の下調べ。これなら待つのも楽しみになることだろう。

 そうそう。おみやげも用意しなくちゃね。


「で? アルクくんや。出発はいつにする?」

「そうですね。もう少し準備もありますし、出発は三日後としましょう。お嬢様にはご不便をおかけしますが、より立派な執事となれるよう精進してまいります」

「わかったのー! アルクんの帰りを楽しみにまってるの!」


 こうして『川霧の都』の試飲会を兼ねた晩餐会ばんさんかいは終わった。

 ディーナさんの配慮には感謝してもしきれない。




 次の日以降、旅の準備を進めながらあちこちに出かけた。


 シュリーカー族、ミノタウロス族、河童族の村を回り、しばらく不在することを伝えておく。

 そのついでに彼らが育てている食材の様子も見ておいた。

 シイタケの養殖も進んでいるし、ウシドン牧場にはヒツジンの姿もある。キュウリなどの野菜も順調に育っているようだ。


 『妖精の祝祭』店舗の開店準備は順調のようだ。まだ販売するための食材がそろいきっていないため、開店はもう少し先になるだろう。開店準備を進めるグレイたちにも留守にすることを伝えておいた。


 もちろんウスイの街郊外に作った畑の様子も確認している。

 街の郊外にある畑の近くにはゴブリンの小さな集落が出来上がっていた。ここに住むのは畑や水田の世話をする農業をなりわいとするゴブリンたちだ。


 その集落の代表に一人のドワーフを紹介しておいた。彼は七人の職人のうち、イモ類の育て方を指導してくれるドワーフだ。彼は、「ゴブリンの友よ。どんな芋でも育てるぞ! どんな芋でもだ!」と張り切っている。


 そのドワーフさんの話によると今後、職人たちが増えるかもしれないという。なんでも新しい酒が六種類もあるとは思わなかったそうで、すでに手が足りないそうだ。そこでギルムさんが応援の職人を本国に要請したらしい。

 恐らくギルムさんのお兄さんのことだ。すぐに応援を送ってくるだろう。まあ宿舎にもまだまだ余裕があるし、問題はない。


 ドワーフさんを紹介した帰り、たまたま会ったゴブさんに畑や田んぼのことをお願いしておいた。ゴブさんは、「ズッ友であるおいらに任せるッス」と自信満々に胸をたたき……むせていた。――彼に任せて本当によかったのだろうか。


 また王都にも行き、大神官様にお会いしてきた。

 フォメット族のことで話をする必要があったからだ。

 ついでにエルフの国へ旅に出ることも知らせておく。


「うむ。無事ディーナに会えたかね」

「おかげさまで美味しいお米が食べられます」


 お会いしたついでといっては何だが、ヒミカさんのためにこれまで見つけた食材を持ってきた。

 ただ残念ながら彼女は不在だった。仕方がないのでフラム子爵からもらった背負袋型アイテムボックスごと大神官様に預けておく。中には米をはじめ、リバシールでとれた海の幸や、エルフ、ドワーフの国から取り寄せた食材が入っている。一応、それら食材を使ったレシピも入れておいた。ヒミカさんは料理も得意なのでレシピさえあれば自分で作れるだろう。


 大神官様にはディーナさんから預かったパン用の米粉とできたばかりの日本酒『川霧の都』をおみやげとして持参した。

 見た目は幼女のディーナさんといい、大神官様といい、思った以上に酒がお好きなようだ。「でへでへ」と日本酒の入ったカメをなでまわしている大神官様をみるとそうとしか思えない。正直、その態度は若干ひくレベルだ。


「せっかく来てくれたのにヒミカがいなくて寂しかろう」

「いえ? 別に」

「そうか。寂しいかぁ。ちゃんとヒミカには伝えておくし」

「ところで大神官様」

「……なぜ無視するし。まあいい。なんだし?」

「僕がフォメット族であることを侯爵様たちに話しました。魔族を操る能力のこともです」

「ふむ。それがアルクくんの判断ならかまわないし」


 少し考えるような仕草を見せた大神官様。

 もちろんヒミカさんのことは話していないと伝えておく。


「それと魔族が味覚を理解できるようになる薬を発見しました」

「ほほう?」

「その方法を知っていたのは、大神官様の著書にもあったフォメット族です。またロシュロス魔王もその薬によって味覚を理解できていたようです」

「なに! それをどこで知ったし!」

「禁書となっていたロシュロス魔王様の手記に書かれてました。『あいつ』と呼ばれていたことからロシュロス魔王の配下というよりも親しい友人のようでした。外交官というのも薬の材料を得るために便宜上つけられた役職のようです」


 そう話したあと、「これは独り言ですが」と前置きしてから自分なりにまとめた内容をつぶやく。

 大神官様も、「独り言」と言った僕の意図がわかったのだろう。僕の独り言を聞き逃すまいと紙に一生懸命書き残している。

 書き終わったあと大神官様はほほをふくらませていた。


「禁書なんてものがあったのか。おのれ! 魔王め。そんなものがあるならなぜ教えなかったし!」


 広めたくないから禁書なのだろうし、大神官に見せたらまずいと思ったから教えなかったのでは? とは口が裂けてもいえない。


 以前、セイバスさんが忠告してくれたように僕は禁書を書き写していない。メモ程度ならいいとおっしゃっていたが、僕は一字一句記憶した内容をまとめ、独り言としてつぶやいただけ。僕自身、メモすらとっていないのだ。

 何かあっても、「読んだわー」、「覚えちゃったわー」、「独り言聞かれちゃったわー」、「で、何か問題が?」と王室管理局には言い訳できるはず。

 念のため、王室管理局ともめたら仲介してもらうようお願いしておく。大神官様も情報の対価として乗り気で約束してくれた。「全力で助けるし」と言ってくれたが、全力だと王都が火の海になりかねないため、ほどほどでお願いしておいた。魔王様が住む王宮リモワール・ノイシュ城が灰になる程度で十分だ。


 ほかにもフォメット族の能力、他者を操る能力についてわかったことを話しておく。また領地を持つ貴族に伝えられるという操る能力の対処方法についても伝えておいた。もちろん侯爵様の許可は得ている。

 大神官様がヒミカさんを守るための助けになれば幸いだ。


「ここからが本題なのですが」

「ん? まだ何かあるし?」

「大神官様は僕が前世の知識をもっていることはご存知でしたよね」

「うむ。白の賢者様からの啓示を受けて知っておる。それがどうかしたし?」

「どうもこの『あいつ』さんも僕と同じ転生者のようなのです。しかも前世の記憶持ちの」

「なんだって?」


 驚く大神官様に『ロールキャベツ』と『見つけていない香辛料』のことについて話す。この話を聞いた彼女は、少し考えごとをするような仕草を見せた。


「アルクくんのような転生者が二人も。それも魔族であるフォメット族にだ。これは偶然かね」

「そこまではなんとも。白の賢者様によれば僕のような転生者は少数ながら存在しているようですし。まあ僕や『あいつ』さんのように前世の記憶を持っている者はほとんどいないようですが」

「ますますフォメット族のことがわからなくなったし」


 はい。フォメット族である僕もわかりません。

 むしろ大神官様のほうが詳しいくらいです。


「それでですね。大神官様は『あいつ』さんの故郷、フォメット族の集落に行ったことってありますか。もしくはそういった集落の話をご存知でしょうか」

「まったく知らんし」

「……ですよねー」


 即答だった。

 もともと大神官様の著書にも住んでる場所や生活の様子がわからないと書かれていたし、望みは薄かったのだ。


「ただ、心当たりのありそうな連中ならわかるし」

「え? それは誰なんです?」

「魔王と王室管理局だし」


 魔王様はフォメット族の能力のこともご存知だった。

 それに大神官様がフォメット族のことを調べている最中、幾度となく調査を妨害、ないしは調べないよう忠告してきたのが王室管理局なのだ。


「やっぱりそうですか」


 これも予想していたことだ。

 そうなると『あいつ』さんの故郷を調べるのは非常に難しそうだ。

 魔王様に会うことができるのは基本的に貴族だけ。侯爵様にお願いすることもできるが、王室管理局の横やりが入る可能性が高い。そのせいで侯爵様のお立場が悪くなるのは非常にまずい。

 また魔王様の命を救ったというアルティコ伯爵に頼ることも難しい。ヒミカさんも僕と同じフォメット族である以上、下手に巻き込めない。


 そう懸念していると、大神官様から声がかかる。


「今回アルクくんが話してくれた手記のおかげで少し安心したし」

「はい? 安心ですか?」

「ああ。手記の内容やミストファング侯爵の話を聞くかぎり、魔王や王室管理局の連中はフォメット族と敵対することは考えていないみたいだし。ヒミカも安心して暮らせるし」

「そうだといいのですが本心がわからない以上、下手にやぶをつつきたくないですね」

「ふむ。確かにそうだし」


 魔族の王とはいえ、そこまで信用していいものか悩ましい。元が人族だったせいか魔王様には忠誠のかけらも感じないのだ。

 やはり執事の僕が忠誠を誓うのはお嬢様であり侯爵家なのだ。


「ところで、味覚がわかる薬が完成したらどうするつもりだし?」

「まずは侯爵家の皆さんに味を理解してもらって、そのあと希望者に売るなり、配るなりするつもりですけど?」

「魔王はどうするし?」

「魔王様に、ですか」

「ロシュロスが飲んだという薬が欲しければフォメット族の情報をよこせといえばいいし」


 大神官様の口調は完璧に恐喝だが、内容はうなずけるものがある。

 問題は今の魔王様がその薬を欲しがるかどうかだ。ロシュロス魔王様はもともと料理に関心があったからこそ、『あいつ』さんからもらった薬を飲んだ。

 ただ今の魔王様が味覚や料理に関心があるかわからない。関心がなければ意味がないのだ。


 だがひとつだけ魔王様の興味を引くだろうことがある。

 それは毒のない料理を食べ続けると魔力が上がるという効果だ。

 魔王の中の魔王と呼ばれたロシュロス魔王様。手記に書いてあったように、『あいつ』さんが魔王の料理を作るようになってから魔王の魔力が上がっている。


 これは毒のない料理を食べたからに違いない。

 今までの経験上、間違いないはずだ。

 実際には侯爵様御夫妻や使用人のように味覚オンチのままでも、毒のない料理を食べれば魔力は増えるようだ。ただし、個人差はあるようだし、絶対に魔力が増えるとも限らない。

 だが、そこは黙っておけばいい。魔王様の手記に書いてあるとおりのことだけをそのまま伝えればいいのだ。大事なのは、『薬を飲んだロシュロス魔王様は毒のない料理を食べたことにより魔力が増えた』という事実だ。『薬を飲んだ』ことが重要である。例え、今の魔王に効果がなくても知ったことではない。


 この話をすると大神官様もうなずかれた。


「魔力が増えるなら今の魔王も喜んで飛びつくと思うし」

「いい手だと思います。ただひとつ気になることが」

「なんだし?」

「力を手に入れた魔王様、もしくは魔族が暴走しないかなぁと」


 僕が懸念しているのはこれだ。

 同族、種族間の戦争などを経て、魔王国にはここ百年以上、平和が保たれている。だが、実力主義の魔王国のことだ。魔王様たちが調子こいてほかの種族に戦争をしかける可能性もある。そこまで愚かではないと思いたいが会ったこともない魔王様のことなどわかるわけがない。

 いくら王族が碑文を残そうともいつの世もバカはいる。ただの文章に戦争を止める力などない。文字で平和が保たれるなど堕落した平和主義者の妄想にすぎないのだ。


「え? 大丈夫だと思うし。それにそうなったら止めればいいし。いっそのことアルクくんが能力を使って魔王を操ってしまえばいいし」


 著書同様、反旗を翻す気満々の大神官様が真顔で言った。確かに大神官様は魔王様よりも強い。それに僕も魔王様に絶対的な忠誠を誓っているわけではない。だからといって魔王を操れとはなんとも恐ろしい発言をする精霊である。


「うちはアルクくんの味方をするし、ディーナもそうだろうし。修行とか指導とか言って誘い出し、『えい!』しちゃえばいいし。ほかの二人も争いは好まないだろうが、魔王の七代先くらいまでなら呪ってくれるだろうし」


 逃げてー! 魔王様、逃げてー!

 大神官様の『えい!』には殺気しか含まれてません! それに『えい!』されたり、七代先まで呪われたりしたら魔王様の血筋が途絶えてしまいます。

 なんだが魔王様が不憫ふびんに思えてきた。


 大神官様のいったほかの二人とは四大精霊のうち風と土の精霊のことだろう。争いを好まないようだけど魔王様を呪ってる暇があるなら、最も争いを好んでいる火の精霊を止めに来てほしい。


「まあ、冗談はここまでとして、薬が完成したら魔王に話を持っていくといいし。なんならうちもついていくし」


 え? 僕の目の前で『えい!』するつもりだろうか。そんなことされると僕まで共犯者になってしまう。そもそも冗談に聞こえなかった。


「まあ、そこまで心配することないし。エルフの国には気をつけていくし」


 冗談、冗談と楽しそうに笑う大神官様に見送られ、僕は神殿をあとにした。エルフの国から帰ってきたら魔王様が変わっていたらどうしようか。

 ……よし。知らんぷりしよう。


 神殿を出た僕は商業ギルドに立ち寄った。

 ギルド長は相変わらず忙しそうだったが、そろそろ調査の第一報が入るだろうと教えてくれた。その報告を楽しみにしてると伝え、僕は商業ギルドをあとにする。

 帰り際、おみやげとして『川霧の都』を渡しておいた。ギルド長が気に入ってくれれば王都の酒場でも出回ることだろう。

 言っておくが賄賂ではない。あくまで個人的なおみやげである。もちろん注文先である『妖精の祝祭』の宣伝だけはしておいた。


 『川霧の都』を渡すため、アルティコ伯爵家にも顔を出した。

 伯爵家には先日も大量のお菓子を持った奥様が訪問している。甘みを理解できるようになったアルティコ伯爵夫妻はサツマイモで作ったお菓子や和菓子の数々をたいそう気に入ってくださったようだ。

 あいにくと伯爵夫妻は不在だった。特にお約束をしていないので仕方がない。代わりに家令のヒトニスさんにお酒を渡しておく。そのヒトニスさんと軽く雑談を交わしたあと、僕はウスイの街に戻った。


 最後に万が一のことを考えて対処しておく。

 僕が旅に出ている間、各村などに問題が発生するかもしれないのだ。

 そう考えた僕はインプを呼び出し、各村と畑、それに王都の各所に見張りを置くよう指示しておいた。何事もないと思うがいざというときのためだ。



 こうしてるうちに出発の日がやってくる。

 二日間など、あっという間だ。ほかにもいろいろ準備していたが、気がついたら当日になっていた。


 一応、旅の準備は終わっている。

 始めは何を用意すべきなのかわからなかった。

 なにしろ初めての旅だ。

 だが周りの方々がいろいろとサポートしてくださった。


 例えば、着ていく服だ。

 僕としては執事服のまま行くつもりだった。やはり着慣れた分しっくりくるし、動きやすい。

 そう思っていたら旅服が用意された。ゆったりとしたデザインで生地も丈夫かつ肌触りがよいものが使われている。それに動きを阻害しないよう工夫されているようだ。

 この服を用意してくださったのは奥様だった。なんでもお嬢様の服を仕立てる服屋に注文してくださったという。

 奥様の暖かい心遣こころづかいに感謝の言葉もない。


 執事長のセイバスさんからは『執事の旅グッズ』一式を渡された。

 なんでも昔、セイバスさんが旅をしているときに愛用していた道具などをわざわざ僕用に新調してくださったらしい。旅に必要なものが入っているという。


 グッズの中には手袋、バール、ピッキングツール(鍵開け道具)、それに鉤爪かぎづめ付きのロープが入っていた。旅に鍵開け道具が必要なのか疑問に思ったが、あまり気にしないことにした。旅慣れているセイバスさんのことだ。これも必要なものに違いない。


 ほかにも小さな小瓶がいくつも入っている薬品箱をいただいた。これもグッズのひとつらしい。小瓶に貼られたラベルには、しびれ薬、自白剤という文字が見える。それに小さな毒針まで入っていた。箱の裏には小さな文字で、「魔族対応」と書いてあった。これは魔族にも効く薬ということだろうか。これも旅に必要なのだろう……たぶん。

 うん。まあ、き、気にしないことにした。


 さらに妙に丈夫な布製の黒装束と目の部分だけが開いた黒い仮面があった。装着してみると僕にサイズが合わせてある。仮面は完全に顔が隠れるものの視界を阻害しない作りになっていた。黒装束と合わせれば闇夜に紛れることも可能だ。傍目はためから見れば、僕とわかるものはいないはずだ。

 ……こ、これは旅にいるのだろうか。旅先で顔を隠す? いやセイバスさんが用意してくださったものだ。きっと使うこともあるのだろう。ただ、いつ、何に使うのかさっぱりわからない。

 気になって仕方がない。



 さて出発する時間となった。

 今日も見事なまでの快晴だ。


 今、僕たちは侯爵家の庭にあるかしの木の前に立っている。

 この木はお嬢様たちとリアルルさんのハーブ園へ遊びに行ったとき、移動魔法の門として使った木だ。エルフの国に向かうには、まずはリアルルさんの作ったこの門に入り、中間地点を経由することになる。その木のそばではディーナさん、ヨヨさん、ニーナさんが雑談していた。


 旅用の服に着替えた僕を見て、奥様は、「よく似合うわー」と笑みを浮かべておられる。お褒めの言葉に少し照れながら、周りに目をやると、そこには奥様をはじめ、お嬢様、侯爵様、セイバスさん、イーラさんの姿があった。僕の旅立ちを前に皆が見送りに来てくださったのだ。


「お嬢様。いってまいります」


 お嬢様に目線を合わせながら、出発の挨拶をする。もう落ち込んだ様子は見られない。もう大丈夫のようだ。


「アルクん! 気をつけていってらっしゃいなの!」

「はい。お嬢様も風邪などをひかれませんよう」

「それでね。それでね。少しでも早くティリアのところに帰ってきてほしいの!」

「あらあら~」


 手を後ろで組み、体を軽く左右に揺らしながら、やや上目遣いでおっしゃるお嬢様。少し照れたようなお姿は、まるで恥ずかしがる天使のようだ。

 そんなお嬢様に微笑ましそうな顔を向ける奥様だが、隣に立つ侯爵様は複雑そうな顔をされている。

 イーラさんはお嬢様のその仕草にクネクネしまくりで、まるで体中の骨が溶けてしまったかのようだ。このお嬢様の仕草を再現するために、「侍女向けの修行の旅はないのかしら」と本気で考えてそうで怖い。


 お嬢様のために一刻も早く帰らなくてはならない。

 いや帰るべきだ。むしろ行く前に帰ってきたい。


「もちろんです! 着いたらすぐ帰って――」

「……アルクくん。執事修行の旅であることを忘れないように」


 ため息まじりのセイバスさんの言葉に慌ててうなずく。

 動揺する僕に皆から笑い声が漏れた。

 お嬢様も楽しそうに笑っておられる。やはりお嬢様には笑顔が似合う。

 立ち上がった僕は最後にもう一言だけお嬢様に声をかける。


「お嬢様のためにも頑張ってきますね」

「うん。わかったの! 頑張ってなの!」


 手を振りながら笑顔を見せるお嬢様と別れ、僕とディーナさん、ヨヨさん、ニーナさんの四人はかしの木にあいたうろをくぐるのだった。


 うろから出るとそこはすでにリアルルさんの作った中間地点だ。様々な草花が一面に咲く草原は前来たときと何ら変わっていない。

 風が運ぶ花の香りを感じながらこれからの旅を思う。


 お嬢様のために毒のない食材を探す旅。

 魔族が味覚を取り戻すための材料を得る旅。

 エルフの国と『妖精の祝祭』の取引をまとめる旅。

 そしてお嬢様とご両親の旅行先の下調べをする旅。

 そしてなにより執事修行の旅だ。


 出発前のお嬢様の笑顔を思い出し、心に誓う。

 お嬢様にふさわしい執事になれるよう修行してまいります、と。


「――あのね、アルクん」

「なんです? ヨヨさん」

「すっごい長旅をするみたいな顔してるところ申し訳ないんだけどさ。わたしら、数日で帰ってくるわよ?」

「……そ、そうでしたね」


 確かに移動する時間を必要としていないのだ。

 ヨヨさんのあきれた声にディーナさんとニーナさんは笑いをこらえている。二人ともわかっていたなら教えてくれればいいものを。


 こうして僕の執事修行の旅が始まるのだった。

 ――数日だけだけど。



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