第百九話 その銘は
「おはようございます。お嬢様」
「おはようなのー!」
挨拶のあとは朝食だ。
今朝は昨晩のリゾットに引き続き、お米を使った料理をお出ししてみた。
それは雑炊である。
まずはゴボウやニンジンなどの野菜を細かく刻む。そして刻んだ野菜をウコッケの肉と混ぜ合わせて肉団子を作る。その肉団子に火を通し、スープベースで味を整えたダシに投入。あとはお米と一緒にじっくり煮込めば洋風雑炊の完成だ。
もちろん溶き卵は欠かせない。
お嬢様はこの雑炊も美味しいといってくださった。ディーナさんもお気に入りの様子だ。温かい雑炊は消化もよく、すぐにエネルギーとなるので朝食に向いている。お嬢様は昨晩のリゾットよりもスプーンが進んでおられるようだ。今も夢中になって召し上がられている。
また使用人の朝食にも余った材料で雑炊を用意してみた。こちらも思った以上に好評だった。特に男性魔族からの評価は高い。それというのも使用人の朝はそれなりに慌ただしい。時間に余裕をもって仕事をするべきだが、どうしても時間が足りないときもある。そんなときに消化もよく、すぐに食べることのできる雑炊が最適だった。
のちに男性使用人たちの間で、「雑炊は飲み物」というどこかで聞いたことのあるフレーズが流行ったくらいだ。
残念ながら魔族の食事に対する考え方はすぐに変わるものではない。あくまでも食事は魔力補給のための作業なのだ。実際、雑炊が喜ばれた理由は胃に優しいことや味などではなく、食事による魔力補給の時間が短縮できたことだった。食事を作業と考える魔族らしい光景とはいえ、んぐんぐと飲まれていく雑炊を見ながら複雑な気分になったものだ。
余談だが、メイドなどの女性使用人たちは雑炊を飲むことはなかった。ゆっくり雑炊を楽しむことでダイエットや美容にいいと伝えたのだ。時間をかければ食べる量も減るし、水分が多いため雑炊は同量のご飯と比べ低カロリーなのだ。
「いってらっしゃいなのー!」
朝食後、青空が広がるウスイの街に可愛らしい声が響く。
さんさんと太陽の光が降り注ぐなか、ジョウロを片手に持ったお嬢様が手を振りながら笑顔で見送ってくださった。その隣には日傘を傾けるイーラさんの姿もある。
お嬢様は今日も太陽のように明るくお元気のようだ。
お屋敷を出た僕はギルムさんに会いに酒造所へと向かった。今回、同行するのは水の精霊ディーナさんと妖精のヨヨさんの二人だ。
侯爵様に教えていただいた酒造所の場所は侯爵様のお屋敷がある東地区ではなく西地区だった。目的の場所はその西地区の南東にある城壁近くに建てられていた。
もともとこの場所には別の建物が立っていた。そこを買い取り、ギルムさん監督の元、大幅に改装したらしい。
「ここですね」
酒造所の前に着いた。大幅に改装されたせいか新築にも見える。その酒造所の隣には完成したばかりの宿舎があった。こちらは紛れもなく新築である。宿舎はギルムさんほか、ドワーフの国から来る予定の職人さんたちのために建てられた。
酒造所の一部は石造りとなっており、建物自体かなり頑丈そうだ。天井も高く建物も大きい。また敷地内には作られたばかりの井戸が見えた。
「ここがヤマダくんの晴れ舞台となるんだね」
お米大好きディーナさんの脳内では、すでにヤマダくんは日本酒になっているようだ。これは責任重大である。
僕たちが中に入ろうとすると、酒造所の入り口からギルムさんが顔を出した。見た目は長いヒゲの酒樽だ。彼は僕たちの姿を見ると口元に笑みを浮かべる。
「とうとう来たか! アルクよ!」
「おひさしぶりです。このたびは任せたままにしてしまい、申し訳ございませんでした」
僕はギルムさんに頭を下げた。酒造所のことをすっかり忘れていたことに対する謝罪だ。だがギルムさんは大きな声で笑いながら首を振った。
「どわっはっはっは。なあに気にするな。かえって新しい酒のことをゆっくりと考えられた」
「相変わらずお酒好きねぇ」
「ヨヨ殿。酒こそドワーフの命だからな」
「私もギルムさんの故郷で作っているお酒のおかげで儲けさせてもらっているわ」
「そうか。あの酒の価値をわかる者が増えて、兄も喜んでいるだろう」
「……ふっふっふ」
「……どふふっ」
二人は顔を見合わせ、含み笑い。
なぜだろう。普通の商売をしているだけなのに悪巧みをしているようだ。
魔王国では『命の水』と呼ばれているホワイトラム。これはギルムさんのお兄さんが作っている酒だ。その強い酒精は侯爵様もお気に入りの一品である。またアルティコ伯爵の病を治してからというもの、『命の水』はひそかに森林管理局員の中で人気となっている。
魔王国で販売しているのは『妖精の祝祭』だけだ。独占販売によってヨヨさんは笑いが止まらないらしい。最近ではほかの貴族からの注文も増えているという。彼女も僕の知らないところでちゃんと商売しているようだ。
「そうだ。アルク。今日か明日には応援の職人が来る予定だ」
ギルムさんは含み笑いをやめ、思い出したようにいった。
長いヒゲをなでながら、「本格的な酒造りの始まりだぞ」とほくそ笑む。心なしかほほが紅潮しているように見えた。ドワーフは酒が絡むと気持ちがたかぶるのだろうか。いつもより落ち着きがない。
酒も飲んでいないのに困ったものだ。
……飲んでないよね? まだ朝だし。
「思っていたより来るのが早いですね」
「本国との手紙のやりとりをヨヨ殿にお願いしたんだ」
「ああ、なるほど。妖精界経由なら一瞬ですね」
そのとおりと答えたギルムさんは、「ところで」と腕を組みながら僕に目を合わせた。
「手紙にな。わしを誘ってくれたアルクのことを書いたんだ。すると兄は手紙を読んでえらく慌てたらしい。しかもその日のうちに職人たちを魔王国に向かわせたと返事がきた。返事にはアルク殿によろしくとも書かれていたんだが……なぜ兄がアルクの名を知っている? いったい何をしたんだ?」
「いやぁ、たいしたことはしてませんよ」
とりあえずごまかすために笑っておく。
実際、ドワーフが不利になるようなことはしていない。
「何言ってるのかしら、この魔族」
ヨヨさんが呆れた目で僕をにらむ。
「ガルムさんの一族が秘密にしていたラム酒の製造方法を『僕、知ってまーす』って手紙に書いて送っていたじゃない。しかも売ってくれなきゃ世界中に製法をバラまくっていう言葉を添えて」
「……アルク殿は我が一族秘伝の酒も作れるのか」
「手紙を持っていった私もあとで聞いてびっくりしたわよ。それにお酒の改良方法まで書いたんだっけ?」
「あの酒を改良するじゃと!?」
「味と香りを少しだけ良くする方法を書いただけですよ」
「だけって……いやそうか。製法を知っているからこそ改良もできるわけか。なるほど。兄がすぐに対応した理由がわかった」
「……手に入れる手段として、製法を盾にしたことを怒らないのですか?」
「怒るもなにも作り方はもともと知っておったのだろ?」
「ええ、まあ」
「だったら問題はない。アルクが知っていたおかげで兄貴の酒がうまくなるんだ」
そういって、ニカッと白い歯を見せるギルムさんだった。
ラム酒の造り方を知っていたのも白の賢者様からもらった前世の知識と技能のおかげだ。材料さえそろえば、ほかにもいろいろなお酒が作れる。材料さえそろえば、だが。
「アルクは我々の知らない酒もつまみも知っている。酒の神に愛されているとしか思えん。そんなアルクには怒るどころか感謝したいくらいだわい」
そういって僕に目を向けたギルムさんの目は酒を見る目にそっくりだった。僕のことを酒が無限に湧いてくる泉と間違えていそうな目だ。
念のためいっておくと、白の賢者様は知と智慧を司る神であって、酒の神ではない。お酒の知識もたくさん持っていそうだからあながち間違いではないかもしれないけど。
しかしドワーフのお酒にかける情熱は相当なものだ。
旅の準備をするだけでも数日はかかるのに、その日のうちに職人を出発させている。よほどのお酒好きでも新しい酒を求めて他国に行こうとは思わない。ましてやここは魔王国。ドワーフからすれば、ほぼ交流のない未知の国なのだ。
ドワーフの酒好きはお米大好きディーナさんを彷彿とさせる。酒への対応を誤るととんでもないことになりそうだ。
それこそ種族間戦争の再来となりかねない。戦争の火種なんてものはちょっとしたことで業火に変わるものだ。
「まあ、とりあえずは入ってくれ」
酒造所へ入るよう促すギルムさんはおもちゃを自慢する子供のような顔になっている。早く見せたくて仕方ないらしい。
僕たちが入り口をくぐると新しい木の香りが鼻をくすぐった。
「どうだ。なかなかのものだろう」
酒造所は吹き抜けになっており、広々としていた。また風通しもいいようだ。室内は直射日光が入らないよう設計され、やや薄暗い。中は地面から数段低くなっていて外よりも涼しく感じる。短い階段を降りた先の床はきれいに磨かれた石材が一面に敷かれており、清潔そうだ。
また酒造所の中には麹室もいくつか用意されている。扉が四つあることから麹室は四部屋あるのだろう。すでに麹を育てているようで、扉にドワーフ語で、白、黒、黄を意味する言葉が書いてあった。
リバシールから持ってきた蒸留器や貯蔵用の『かめ』など焼酎造りに必要な道具はすでに設置されている。すでに焼酎の作成に取りかかれる準備は整っているようだ。
ほかにも焼酎に原料となる芋を保管するための倉庫があった。今はまだ空洞が目立つがそのうち芋でいっぱいになるだろう。
その倉庫の横に気になるものを見つけた。
近づいて確かめてみると円柱形の木製タンクだとわかった。数は三つ。いわゆる木槽だろう。それもかなり大きい。直径は一メートル強。高さは二メートルほどだろうか。僕が中に入って隠れられるほどの大きさだ。金具でしっかりと補強されており、丈夫そうだ。調べてみると使った形跡もなくまだ新品のようだ。
リバシールから持ってきた荷物にはなかったが、いったい何に使うのだろうか。あとでギルムさんに聞いてみよう。
ヨヨさんとディーナさんは僕の隣で酒造所の設備を珍しげに見ている。特にキョロキョロしているディーナさんは工場見学に来た幼い子供そのものだ。
建物を見回しているとギルムさんが近づいてきた。
「街についたあと、偶然この建物を見つけてな。侯爵に相談したらすぐに手配してくれた」
「いいところを見つけましたね」
「ひと目見て酒を作るのにいい場所だと感じた。なによりこの街は水がきれいだしな。ここならいい酒が作れるだろう」
「よくそんな建物があったわね」とヨヨさん。
「そういや長い間放置されていた感じだったな」
「アルクん。ここってもともと何の建物だったの?」
「確かここは……ベヒモスの干し肉を作るための加工場だったはずです」
ヨヨさんの質問に、記憶の中にある街の地図を広げながら答える。
昔、街の構造についてセイバスから教えを受けた。街中に出ることはなかったものの、執事修行の一環として道、店、施設などの場所を地図で覚えたのだ。
引き出した記憶によれば、ここが干し肉の加工場だったのは間違いない。
「干し肉を作るための工場だったのか」
「干し肉と酒は熟成させる環境が似てますからね。それで建物の構造も似ていたのでしょう」
酒は直射日光の当たらない冷暗所で仕込み、保存する。
また干し肉も塩につけた生肉を直射日光の当たらない冷暗所で熟成させてから乾燥させる。風通しの良さも重要だ。
「それに使われていなかったのも不思議ではありません」
「どういうことなの? アルクん」
「えっとですね――」
好奇心旺盛なヨヨさんに、僕はベヒモスの干し肉と加工場の関係について説明する。
以前、干し肉の正体がベヒモスだと知ったあと、いろいろ調べたのだ。
加工場は運び込まれたベヒモスの肉を食べやすい大きさに加工し、干し肉にするための場所である。
ところがベヒモスは視界に収まらないほど巨大な魔物だ。一頭狩ることができれば、小さな国なら一年間、肉に困らないほどの量がとれる。しかし、生肉は腐る。よってその大量の肉を腐る前に加工するため、魔王国にある加工場はそれぞれの領地に何十箇所も存在していた。
また出来上がった干し肉は加工場から専用の倉庫に集められる。そのため干し肉が加工場内で保管されることはない。その結果、ベヒモスの干し肉を大量に作ったあと、加工場はしばらく使わなくなるのだ。
本来ならベヒモスだけでなくワイバーンの肉やほかの動物などの肉を加工するために使えばいい。だが、ここは味覚オンチが住まう魔王国である。ベヒモス以外の肉といえばワイバーンだけだ。そうなるとワイバーンを処理するための加工場を数件稼働させておけば間に合ってしまう。
よってたくさんある加工場のひとつがなくなったとしても問題はない。
あとで聞いた話だが、この場所にあった加工場はもともといざというときのための予備施設だったそうだ。前の持ち主も使っていない建物を処分できて喜んでいたらしい。
「へー。もったいない使い方ね」
「魔族ってヤツは食い物に関することになるといい加減というか。まあ、興味がないんだろうな」
酒とつまみにしか興味がなさそうなドワーフにいわれるのもしゃくだが、そのとおりなので否定できない。なにせベヒモスを狩ったあと、干し肉に加工するのは専門職ではなく、臨時で雇われた兵士や傭兵、または一般の主婦だ。刃物さえ使えればいいそうだ。
もともと肉の加工をなりわいとする職人など数えるほどしかない。その加工職人ですら兼業の場合が多いのだ。まあ、魔王国内に食材店や食事処がほとんどない時点でお察しである。
『食品産業? 飲食業? なにそれ?』状態なのだ。
「まあ、アルクとお嬢ちゃんは別だがな」
「そうね。アルクんのおかげで甘いお菓子が食べられるもの」
「だな。アルクのおかげでうまい酒が飲める」
ギルムさんとヨヨさんが互いにうなずきあっていた。
ある意味、両者の胃袋を僕が握ったことになるのだが、体よく使われているだけかもしれない。まあ二人とも工作するまでもなく食材を提供してくれるから文句はない。互助関係というやつだ。
「お嬢様のことを聞かれたのですか?」
「ああ。侯爵様からな。魔族の場合、きっとつらいことなのだろう」
ギルムさんはお嬢様の苦痛を理解されていた。正常な味覚を持つお嬢様の場合、毒のある食材は苦痛となるのだ。
そんなギルムさんにお嬢様がサツマイモをすごく気に入っていたと伝えたところ、彼はほほを緩ませていた。話を聞きながら、「うむうむ」とうれしそうに何度も首を縦に振っている。今も、「ドワーフの子供たちに人気の芋を取り寄せねば」とつぶやいていた。
どうやらお嬢様のファンが一人増えたようだ。
「そういえばヨヨさん。おみやげに渡したお菓子の味はどうでしたか?」
「美味しかったけど! 悲しくなるから聞かないで!」
僕の質問に間髪入れず答えたヨヨさんの目は涙でうるんでいた。
そんな彼女をなぐさめながら話を聞き出すと思っていたとおりのことが起きてしまったようだ。ようはほかの妖精たちにお菓子を持って帰ったことがバレたのだ。結局、仲良く分けたそうだがヨヨさんの取り分はかなり減ってしまったという。まあ独り占めしようとしたバツともいえる。
そのさつまいもを使ったお菓子だが、主食としても申し分ないらしい。あのお菓子に更に砂糖をかけるそうだ。胸焼けしそうな話だが妖精族が喜んでくれたのなら幸いである。
悲しむヨヨさんにまた作ってあげることを約束しておいた。お菓子で恩が売れると思えば安いものだ。
「そういえばギルムさん」
「なんじゃ?」
「一応聞いておきたいのですが、あそこに置いてある木製タンクってギルムさんが用意したものです?」
「いいや。最初からあったな。使わないんで邪魔なんじゃよ。職人たちがきたら解体しようと思っとる」
ギルムさんは首を横に振りながらいった。
恐らく先ほどの木製タンクは干し肉を作るためのものだろう。塩を塗り込んだ生肉を入れ、肉の水分を抜くために使うのだ。
「あのタンクもらってもいいですか?」
「かまわんが何に使うんだ?」
継ぎ目も目立たず、しっかりした作りのタンクだ。大きさもちょうどいいし、強度も十分。
あれなら日本酒の仕込みにも使えるはずだ。
「はい。以前、お約束したとおり、新しいお酒を作るのに使お――」
「「「「新しい酒だと!!」」」
僕とギルムさんの会話に割って入ってきたのは複数の野太い声たち。その声に振り向くと、毛むくじゃらの酒樽たち――おっと訂正。ドワーフたちが酒造所の入り口から顔だけを出して中をのぞいていた。
「おお! 来たか!」
ギルムさんが両手を広げると、扉からこちらをのぞいていた顔が一斉に破顔した。どうやら彼らがドワーフの国から来た職人たちで間違いなさそうだ。全員が立派な長いヒゲをたくわえており、ヒゲの中に顔があるようにも見えた。手入れがいいのがどのドワーフのヒゲもふわふわと柔らかそうだ。
そのヒゲ……じゃない。そのドワーフの数は七人だ。
ドワーフたちは扉をくぐると出迎えたギルムさんを無視して素通りした。そして一直線に僕へと向かって走ってくる。巨大な岩が転げ落ちるかのようにドドドと酒造所の床が揺れた。
「うおぉぉぉ! 酒じゃああぁ!」
「新しい酒はどこだ!」
「原料は? コストは? 生産性は?」
「うまけりゃなんでもいい!」
「どんな芋でも育てるぞ! 友よ。どんな芋でもだ!」
「まて、おまえら落ち着け。俺が先に飲む!」
「酒……どへへっ、酒ぇぇ」
あっという間に囲まれてしまった。
ヒゲの生えた酒樽たちは腹を突き出しながら、一歩一歩僕へと迫ってくる。すでに逃げ場はないようだ。ここまで近いとドワーフに囲まれているのか、ヒゲに囲まれているのか判断に困る。ただ非常にむさくるしいのは確かだ。
「ちょっ!? ちょっと! はーなーれーてー! ギルムさーん!」
ギルムさんに助けを求めるべく姿を探すと、彼は両手を広げたまま固まっていた。広げた腕が微妙に震えている。無視された現実から必死に目をそらしているように見えたのは気のせいではない。
「これはひどい。そして酒臭い!」
彼女は鼻をつまんでいるのか、声が上ずっていた。
まったくもって同感である。すばやく僕の頭の上に避難したヨヨさんのいうとおりだ。まだ朝だというのに職人たちは酒を飲んでいるようだ。そのせいかかなり酒臭い。
まさに暴走列車ならぬ暴走ドワーフだ。
しかも飲酒運転である。
(そうだ! ディーナさんは?)
押し寄せるヒゲの合間からディーナさんを探すがその姿がない。周りを見回しても見つからなかった。
いくら精霊とはいえ、姿は幼女だ。ドワーフとの体格差は体積にして数倍以上。体重にしたら十倍近いかもしれない。そんなドワーフが暴走して突進してきたのだ。直撃したらディーナさんがどうなるのか。
その結果は自ずと想像できてしまう。
最悪の事態が頭をよぎる。
――その瞬間。
「わらわから離れんか! この土塊どもがっ!」
突然、ドンッという音が酒造所に鳴り響いた。
その爆音とともに床から勢いよく水柱が吹き出した。その水柱は七人のドワーフを吹き飛ばす。彼らは水柱の力によって数メートルほどの高さまで浮き上がった。
当然浮いたものは重力によって落下する。次々と床にたたきつけられるドワーフたち。そのたびに重くて固いものがぶつかるような音を立てた。
床石が割れていないか心配だ。
一応、ドワーフたちも心配しておく。
まあ、あれだ。
遅かった。
想像したとおりのことが起きてしまった。
想像した内容はディーナさんの怒りを買ったドワーフたちがひどい目にあう姿だ。
一応、ドワーフは全員生きているみたいだし、酒造所も健在だったので最悪の事態ではない。最悪の自体とは、ドワーフがグチョって、酒造所がグシャとなり、街がグジョーンとなることだった。あいまいな表現の部分は察して欲しい。
先ほどのディーナさんの声は下から聞こえてきた。
どうやら僕の足元でドワーフたちに押しつぶされていたらしい。
彼女は両腕を組み、仁王立ちとなって、地面に落ちているドワーフたちをにらみつける。彼女の周りには無数の水球が浮いており、ドワーフを威嚇するように鋭く回転していた。その速さのせいか、水球が大気を切り裂き、キュィーンと音を発している。
「溶かすぞ。貴様ら」
……ドワーフは溶かせるらしい。
そんな言葉を浴びせられたドワーフたちは顔を青くしている。それに元気もない。ふわふわだったヒゲは水に濡れてべっとりと服に貼り付いていた。
もしかすると元気がないのはディーナさんが原因ではなく、ヒゲが濡れてるからかもしれない。きっと乾かせば元気になるはずだ……たぶん。
「そういえばアルク。一緒に来たその子は誰だ? ただ者じゃないな」
無視されて呆然としていたギルムさんが現実に帰ってきたようだ。いまさらながらディーナさんのことを聞いてくる。酒のことで頭がいっぱいだったのか、まったく目に入っていなかったらしい。
そんな彼らにディーナさんのことを説明する。
「――水の精霊ディーナ様だって!?」
どうやらドワーフ族にも水の精霊ディーナさんの名前は知られているようだ。
ギルムさんと座り込んでいたドワーフたちが一斉に驚きの声をあげた。酒造所の壁が震えるほどの大きな声だ。
「……ほう。知っててわらわをつぶしたのか」
その声と同時に、ディーナさんから強大な魔力が膨れ上がった。その魔力は七人のドワーフへと向けられている。
殺気こそないが大神官様に匹敵するほどの魔力だ。
魔力を当てられたギルムさん以外のドワーフたちはガタガタと震え始めた。しかもすでに四人が気絶している。
こうなったのもドワーフたちの自業自得だ。
僕は心の中で静かに祈る。
僕にとばっちりがきませんように、と。
「――というわけでこれらが新しいお酒の造り方になります。何か質問はありますか?」
ドワーフの国からやってきた職人たちのためにお酒造り講座をひらいた。
今回教えたお酒は、花蜜酒、日本酒、米焼酎、麦焼酎、テキーラ、ウイスキー、の六種類だ。花蜜酒と日本酒は醸造酒だが、ほかの酒は芋焼酎と同じ蒸留酒なのですぐに作れるようになるだろう。米と大麦はあるし、テキーラの材料はリュウゼツから手に入れている。
それに花蜜酒と日本酒の作り方もある程度理解できているようだ。
さすがはドワーフ。酒に関するカンと理解力は想像以上に早いようだ。
今回、説明するのに資料を用意した。昨夜、遅くまで作業していたのはこの資料を作るためだ。
資料にはそれぞれの酒の造り方を事細かに書いておいた。ドワーフたちはそれぞれの資料を回し読みしながら興奮気味だ。
「アルクくん。質問がある」
そういって声を発したのは一人のドワーフだ。
資料を片手に僕を見上げる。
僕はうなずくと話を続けるよう促した。
「……わしらはいつまで正座しとればいいのだろうか」
この問いにほかのドワーフたちが一斉に顔をあげた。
そんな彼らの目は期待に満ちあふれている。
今現在、ギルムさんを除くドワーフ全員が床に正座していた。
かれこれ一時間は正座しているだろう。
何度もいうようだが床の素材は石である。数メートル高い位置からドワーフを落としても割れなかった丈夫で硬い石だ。
「えーと。ディーナさん。そろそろよろしいのではないでしょうか」
「まだじゃ!」
「……だそうです」
ドワーフたちの希望はばっさりと却下された。高さ百メートルはある滝の上から丸太が落ちるかのような勢いだった。
その言葉に絶望の表情を浮かべ、彼らは力なくうなだれている。
彼らの希望を打ち砕いたディーナさんはギルムさんが用意したイスの上でふんぞり返っていた。ドワーフたちからプイっと顔を背けながら足をぷらぷらさせている。
どこからどう見ても拗ねた幼女だ。
ドワーフたちが正座させられているのは罰だ。彼らに押しつぶされたディーナさんの怒りもわかる。むしろ彼らの罰が正座だけですんでよかった。下手をしたら街ごと沈められていたかもしれないのだ。
ギルムさんによると水の精霊であるディーナさんはドワーフからも尊敬されているそうだ。『名水あるところに名酒あり』の言葉通り、酒の味は水で決まるといってもいい。そのため酒を作るドワーフにとって水の精霊であるディーナさんは怒らせていい存在ではないのだ。
事実、ドワーフたちは自分たちの暴走を猛省している。
またこのドワーフたちは魔王国にお酒を造りに来てくれたのだ。ディーナさんもドワーフの職人たちもお嬢様のため僕に協力してくれる者たちだ。いざこざが長引くのもよろしくない。それに水の精霊の怒りを買ったことで萎縮して国に帰られても困る。
「そうだ! ディーナさん。ドワーフの皆さんには日本酒を――お米のヤマダくんを使ったお酒を率先して作ってもらうというのはどうでしょう」
ヤマダくんの名前にディーナさんがピクリと反応した。
「彼らも反省しているようですし、ディーナさんが大好きなお米のお酒を広めることに力を注いでもらうのです。ヤマダくんを活躍させられるのはこのドワーフさんたち以外に考えられません」
「……本当かね?」
「はい。お酒といえばドワーフ。ドワーフといったらお酒です。必ずやディーナさんの満足するお酒を作ってくれるはず。ですよね?」
僕の視線に気づいたドワーフたちは正座したまま激しく首を縦に振っている。その仕草が、美味しいお酒を作れるという自信の表れなのか、正座から解放されたい一心からなのかはわからない。
「もちろん僕も手伝いますから」
「むう」
ディーナさんはまだ悩んでいるようだ。
もうひと押しだ。僕は言葉を続ける。
「ヤマダくんの活躍を見たくありませんか。きっとヤマダくんも自分を作ってくれたディーナさんに恩返しがしたいはずです」
「むむ……」
「世界中のお酒好きがヤマダくんを待っているのです」
その言葉にディーナさんの目が光った。
「わかった! 今回だけはドワーフたちを赦してやろう!」
どうやら、「ヤマダくんを待っている」の一言が彼女の頑なな心を動かしたようだ。
こうしてドワーフさんたちは赦されることになった。
正直、やれやれである。
早速、酒造りに取りかかろう!……と思っていたのだが残念ながらすぐにはできなかった。足がしびれたドワーフたちがその場から一歩も動けなかったのだ。実際に酒造りが始まったのはそれから三十分以上経ったあとである。
ヤマダくんを使った日本酒造りが始まって残すは日本酒を熟成させる作業のみとなった。
ここまでは順調だった。
材料となるお米ヤマダくんと水はディーナさんに用意してもらった。
精米歩合も五十パーセントをきるまで、ヤマダくんを磨きまくった。
醸造するタンクもきれいに洗って乾かした。
麹もギルムさんが育てていた黄麹をもらい、時魔法を使って一気に増やした。
磨いたヤマダくんも蒸し終わった。
事前準備は完璧である。
作業は木製タンクの周りに組んだ足場の上で行っていた。
三回に分けた醪造りも問題なく終わった。一ヶ月ほどかかる作業も時魔法のおかげであっという間だ。
完成した醪をしぼり、出てきた生酒を別のタンクに移す。移したお酒に火入れする作業も済んだ。『しぼり』は酒と酒粕に分離させる作業で、『火入れ』はお酒を腐らせる「火落ち菌」を殺菌するための作業のことだ。
『執事ボックス』に保存しておけば火入れは必要ないが、今回ドワーフたちに教える意味もあって工程に追加した。
ほかの細かい作業もすべて終わっている。
ここまでくればあとは熟成させるだけだ。
熟成は時魔法をかけ続けるだけでいい。
僕は足場の上に立ち、日本酒に時魔法をかけ始めた。
熟成が始まるとディーナさんは足場に寝転び、タンクの中をのぞきこむ。そして、「おいしくなるんだよ」とにこにこしながらお酒となったヤマダくんに声をかけていた。
順調だったのはここまでだった。
「しまった! 魔力が足りません!」
ここでまさかの魔力切れである。
僕の魔力保有量なら二ヶ月分は熟成できたはずだ。
だがまだその半分も進んでいない。
ディーナさんが僕の魔力切れ宣言に反応して勢いよく顔をあげた。
「なんだって! ヤマダくんはどうなる!」
悲痛な声をあげるディーナさんだが、どうもならない。
念のためいっておくが、日本酒を今すぐ完成させる必要はない。もともと何日かに分けて作業を進めるつもりだった。今回は思った以上に作業が進まなかっただけだ。
それに日本酒は時間をかけて作るもの。時魔法を使ってまでお酒を作っていたのはディーナさんとドワーフたちのためだ。多少作業を進めておけばディーナさんも気が済むだろうと考えていた。
実際、彼女はつい先ほどまでご機嫌だったのだ。
よく考えてみれば、麹作りと醪造りのときに時魔法を使っている。さらに木製タンクの洗浄と乾燥にも魔法を使った。お米を蒸したときもそうだ。おまけにディーナさんのせいで元気のなかったドワーフたちに『執事救急箱』をかけた。ほかにもいろいろ魔法を使っている。
どうやら思っていた以上に魔力を消費していたようだ。
正確には多少の余裕はある。
だがお嬢様のためにも魔力を枯渇させ、倒れるわけにはいかない。倒れてお世話ができないなど執事の名折れだ。まだ一日は長い。
お酒よりもお嬢様が優先なのだ。
僕の魔力が尽きてしまった以上、本日の作業は終わりだ。
続きは明日以降にするしかない。
ところがである――。
「むう。しかたがない。わらわが魔力を分けてやろう」
唐突にディーナさんから提案があった。
しかし、魔力は魔族同士でも分けられるものではない。
「え? どうやってですか」
「魔石を知っておるかい?」
「ええ。知ってます」
「なら話は早い」
ディーナさんが空間から取り出したのは水色に光るこぶし大の魔石だ。その魔石は透明度が高く、自ら発光しているかのように輝いていた。
しかもみたことがないほどの大きさだ。ベルゼブブからもらった通信用魔道具についている魔核は小指ほどの大きさだった。そのことからもわかるようにかなり大きな魔石である。
しかも石に蓄えられた魔力はかなりの量だとわかる。
「これは?」
「わらわの魔力を固めたものさね」
「悪魔が作る魔核のようなものでしょうか」
「あの連中のものとは異なるが、でかい魔石という理解でいいよ」
魔石とは魔物が体内に魔力をため込んでできる結晶。
魔核とはベルゼブブなどの悪魔が創り出す魔石の一種だ。
それと同じようなものだとディーナさんはいう。
「精霊が作りだした魔石を精霊石という。これを手に持ち、石から魔力を吸い上げるようなイメージで魔法を使うんだよ。コツさえつかめば魔石や魔核でも可能だ。ただし、あくまで補助にすぎない。自分の中に魔力を移すことはできないからね」
なるほど。
魔法限定の予備タンクみたいなものか。
自分の体に魔力を補給できるならアルティコ伯爵たちも寝込むことはなかったかもしれない。ただ伯爵たちの場合、仮に補給できたとしても寄生していたカビに吸い取られてしまっただろう。
魔力を回復する薬は存在していない。やはり人工的に魔力を補給するのは難しいようだ。同族喰いで捕まったビザー伯爵が魔力回復薬の研究していたことを思い出す。
「精霊石ですか。なるほど。一度やってみますね」
「ちょっ!? ま、まてぃ! アルク!」
「そうよ! なにホイホイ使おうとしているの!」
「「「そうじゃ! そうじゃ!」」」
ギルムさんをはじめ、七人のドワーフ、そしてヨヨさんが慌てた様子で抗議の声をあげた。皆の視線は僕が持つ精霊石に注がれている。しかもその目は信じがたいものを見たという驚きの目でもあった。
「アルクん! 精霊石がどれほどの価値があるか知ってるの!」
「しかも四大精霊と呼ばれている水の精霊様の石だぞ!」
「え? 高いんですか?」
「高いとか安いっていう代物じゃない!」
「値段なんてつけられないわよ! アルクん!」
「伝説もんだぞ! しかもでかすぎる!」
ギルムさんもヨヨさんも大騒ぎだ。
ドワーフのうちの一人が、「コストがー、コストがー」と顔を白くさせている。今にも泡を吹いて倒れそうだ。
「……えっと。ディーナさん。精霊石って高いんですか?」
「さぁのぅ。まあ精霊しか作れないしそのへんで売ってるものじゃないさね」
「へえ」
「「「へえじゃない!」」」
――怒られた。すごい剣幕で。
お怒り気味のヨヨさんたちによると、ディーナさんのいったとおり、精霊石は売ってるようなものではないという。それというのも精霊石は精霊しか作れない。そして上位精霊の精霊石ともなると国宝級のレベルだという。
なんでも伝説の剣に使われているとか、この世を滅ぼす神を封印しているとか、見ただけで結婚できるとか、お金が貯まるとか、いろいろな逸話が残っているらしい。……最後のほうの話は眉唾ものだが。
ただ彼らの抗議もディーナさんの一言によって静かになった。
「わらわがヤマダくんのためにいいと言ってるんだ。文句はあるまい?」
「「「はい! もちろんですとも!」」」
ドワーフたちの声がそろった。
先ほどから息がピッタリでなによりだ。
こうして国宝級の精霊石を使った日本酒が完成した。
ただ完成前にちょっとした事件が起きた。
熟成の途中、立ち昇る酒の匂いに目を回した僕がタンクの中に落ちそうになったのだ。そのとき手に持っていた精霊石をタンクの中に落としてしまった。落とした瞬間、一人のドワーフがタンクへと飛び込もうとしたが周りの仲間に全力で止められていた。
もちろん落ちた精霊石は無事回収されている。これも水を操るディーナさんのおかげだ。酒を操り、精霊石をすくい上げてくれたのだ。酒の成分のほとんどが水だからこそできる芸当だった。
「あいかわらずアルクんはダメねぇ」
ため息まじりにヨヨさんが首を振った。
僕が毒に弱いことをいってるのだろうが、こればかりはどうしようもない。ただ、もう少し耐性があってもいいと思う。匂いだけで倒れそうになるとか勘弁して欲しい。
それよりも今は完成した酒の話だ。
酒造所いっぱいに広がる純米大吟醸の香りはなんともいえないほど深みのある香りだった。単純な米の甘い香りだけではない。まるで咲き乱れる花畑に立っているような清々しい香りだ。かと思うと熟した果実に似た香りも感じとれる。
こうして熟成のため半年ほど時間を進めたわけだが、精霊石にはまだ大量の魔力が残っていた。いったいどれほどの魔力が込められているのだろうか。
日本酒が完成したのはディーナさんのおかげだ。
僕は彼女にお礼を伝え、精霊石を返すため差し出した。
「返さなくていいさね。アルクくんにあげるよ」
「ありがとうございます」
「うぉい! あっさりもらうんじゃない!」
「ちょっとアルクん! 何、角砂糖みたいにもらっているのよ!」
「……コストが。……コストが」
本人があげるといってくれたのだから問題なかろう。
何を騒ぐことがあるのだろうか。
そんなことより試飲会だ。
僕は『執事食器棚』を使い、徳利とおちょこを人数分作った。おちょこは青い二重丸が底に描かれた蛇の目のものを用意する。この二重丸の模様は日本酒の色味などを見るためのものだ。
今回、お酒が飲めない僕とヨヨさんは給仕係に徹する。
まず飲んでもらいたい飲み方は常温だ。
いわゆる『ひや』である。
当然、最初に飲んでもらうのはディーナさんしかいない。
彼女の持つおちょこに徳利から酒を注ぐ。
徳利から流れ出た酒はほのかな香りとともにおちょこへと渡っていく。注がれた勢いで酒の周りの空気が揺れるたび、その豊かな香りを舞い上げる。
出来上がった日本酒はやや山吹色寄りの色味だ。この色は熟成された酒の特徴でもある。どうやら醸造に時魔法を使っても問題はなさそうだ。
「さあ、どうぞ」
「まっておくれ。酒は皆で飲むものだろう?」
にやっと笑ったディーナさんはドワーフたちに目を向けた。彼女につられて目をやると、そこにはおちょこに注がれた酒をじっと見ているギルムさんらドワーフたちの姿があった。彼らの口からはヨダレがこぼれ、立派なヒゲを濡らしている。
僕らの視線に気づいたドワーフたちはバツが悪そうな顔をしたあと、一斉に目をそらす。あわてて口元をぬぐっているが我慢しているのは一目瞭然だった。
そんな彼らの態度に僕とヨヨさんは笑いをこらえつつ、ギルムさんたちのおちょこにも酒を注いでいった。
「ではヤマダくんで作った酒の完成を祝って!」
「「「乾杯!」」」
おちょこを持った全員が同時にその酒を口にする。
そのとき酒造所の中をひとすじの風がゆっくりと流れていった。
こくりと酒がのどを通る音がした。
おちょこに注がれた酒は全員の喉をうるおす。
皆は目を閉じたままだ。
それはまるで時が止まったようであった。
誰ひとりとして言葉を発するものがいない。
静かな時間だけがすぎていく。
酒好きのドワーフならおちょこではなくジョッキでよこせと騒ぎそうなものだ。しかしそのドワーフたちですらピクリとも動かなかった。
思わずヨヨさんと顔を見合わせる。
もしかして失敗していたのだろうか。やはり時魔法では無理があったのだろうか。それとも麹が合わなかったのだろうか。米と水の相性が悪かったのだろうか。
そう不安に思い始めたときだ。
「「「うおぉぉぉ!!」」」
僕の心配を吹き飛ばすような歓声が一斉に上がった。
ディーナさんとドワーフたちが互いに肩をたたき合っている。
「えーっと? どう……でしたか?」
恐る恐る聞くとディーナさんは目に涙を浮かべながら笑顔を見せた。
おちょこを持つ小さな手が震えている。
「すばらしい。すばらしいよ。アルクくん!」
ディーナさんは涙を拭きながら僕の手を握った。「ヤマダくんも立派になって」とつぶやく彼女は本当にうれしそうだ。
そんな彼女の顔を見て、僕はお酒がうまくできたことを確信する。
魔王国初の日本酒造りは成功したようだ。
「アルク! これはすごい酒だ。すごすぎる酒だ!」
ギルムさんも興奮気味だ。
ほかのドワーフも大騒ぎだった。
「「「香り、風味、味、味、味!」」」
味多いな、おい!
「くっ、コストさえ! コストさえ下がれば! くっコスっ!」
また同じドワーフだ。さっきからコスト、コストうるさいよ。
それになんだ? くっコスって。
あれか? 精霊石を使ったからか?
値段がつけられないのならゼロでいいじゃないか。ただでもらったんだし。
「アルク! この酒の名前は日本酒だったな!」
喧騒の中、ギルムさんがにやけた顔で近づいてくる。
しかも軽やかなスキップでだ。
ドワーフがおちょこ一杯で酔うはずもないだろうが、ある意味できあがっているようだ。
「確かにそうですけど、特別な日本酒には銘をつけるんですよ。ここはやはりディーナさんに名前を付けてもらいましょうか」
「わらわが、か?」
「ええ。米も水もディーナさんあってこそです。ギルムさんたちによる酒を作る技術も重要ですが、やはり酒の原料と水が良くないとうまい酒は作れません」
「うーむ。酒の名前か――」
そうつぶやいたディーナさんはじっとしたまま動かなくなった。
その顔は真剣そのものだ。
てっきりヤマダくんという名前をつけるかと思ったが、彼女もちゃんと考えがあるらしい。
「なあ、ギルム。アルクくんは十歳らしいがなぜあんなに酒に詳しいんだ? うちの親方みたいなことを言ってるぞ。実は百十歳じゃないのか?」
一人のドワーフがギルムさんに耳打ちしている。
聞こえてるぞ。誰が百十歳だ。断固抗議する。
「まあ、アルクだしな」とギルムさん。
「そうよ。アルクんだもの」とヨヨさんも同意する。
二人とも困ったものだ。
そんなことでほかのドワーフが納得するはずないだろう。
「「「まあ、アルクくんってことでいいか」」」
……ドワーフたちは声をそろえてうなずき合った。
どうやら納得してしまったようだ。
しかし本当に息がピッタリだな、この職人たち。
「よし! 決めた! 今回できた酒の銘は――」
考えにふけっていたディーナさんが顔をあげ、これ以上ない笑顔で高らかに宣言した。
その銘は――。




