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第百八話 甘くない指導と失敗

 魔族が味覚を取り戻すのに必要なもの。


 僕たちは魔王様の手記により知ることができた。

 作るために必要な材料は五種類あり、妖精族、エルフ族、獣族、海洋族、人族しか作れないものらしい。必要な材料のうち『妖精の奇跡』は偶然にも手に入れているため、残りの材料は四種類。ただ残念ながら『妖精の奇跡』以外、材料の名前まではわからなかった。

 それらの材料をひとつにまとめるためには龍族の力が必要だそうだ。だが、材料を直接飲んでも問題はないらしい。そのかわり『妖精の奇跡』を飲んだときのようなひどい目に合う回数が増えると書かれていた。


 手記には魔王様と親しい『あいつ』と呼ばれる魔族がいたと記されていた。

 その『あいつ』さんがフォメット族であると確信した僕は、自分もフォメット族であることを侯爵様たちに告白。そして同じフォメット族である『あいつ』さんの故郷を探してもらうようお願いしたのだ。


 その理由はもちろん食材を手に入れるため。手記によると『あいつ』さんの故郷にはタマネギやキャベツがあることがわかっている。これはぜひとも手に入れたい食材だった。それにほかにも毒のない食材がある可能性が高い。


 また疑問に思うことも書いてあった。

 例えば、香辛料であるコショウ、ナツメグの名前とロールキャベツという料理名だ。手記には見つからなかったと書いてあったが、『あいつ』さんはまだ発見していないはずの香辛料の名をどこで知ったのだろうか。そしてロールキャベツという料理をどこで知ったのだろうか。しかも名前だけでなく、その味も知っているようだった。


 この疑問に対し、僕は『あいつ』さんは僕と同じ転生者、もしくはほかの転生者と何らかの接触があったと考えている。


 同じフォメット族の転生者なら、魔族として生活してきた知恵や知識があるかもしれない。その知恵や知識が『あいつ』さんの故郷に残っていれば、これまで以上に毒のない食材探しに役立つはずだ。だからこそ『あいつ』さんの故郷を探し出し、行かなければならない。


 今回、僕がフォメット族であることを打ち明けたわけだが、侯爵家の中で知っているのは侯爵様御夫妻やセイバスさんの三人だけだ。侯爵様からもほかの使用人にあえて話す必要はないといわれている。ただ話すか話さないかは僕の判断でかまわないそうだ。

 ただし、操る能力を持っていることは他言無用だと念を押された。特にフォメット族と相手を操る能力を結びつけるような発言はするなと言われている。


 その理由を侯爵様はこう話された。


 「恐らく歴代の魔王様はフォメット族がほかの魔族から恐れられ、迫害されないよう配慮されていた可能性が高い。もしくはほかの魔族に利用されないようにするためかもしれん」


 魔王様はフォメット族の能力について話をするとき、フォメット族の名前を一切出していなかった。魔族を操る魔種族の存在と能力を話しただけだ。フォメット族の能力について詳しいはずの魔王様がフォメット族の名前を知らないとは考えられない。事実、大神官様は魔王様本人からフォメット族のことを聞いているのだ。

 僕は種族と能力の関係について他言しないことを侯爵様に約束し、歴代魔王様の配慮に感謝した。……いざというとき、魔王様自身が操られないようにするための配慮だろうなと邪推しながら。



 さて今日の夜は水の精霊ディーナ様の歓迎会が行われることになっている。


「今夜はディーナ様からいただいたお米を使った料理を出したいと思います」

「楽しみにしているよ。アルクくんの前世は米を主食とする人族だったそうだからね。わらわが食べたことのないものが食べられそうだね」

「気に入ってくださるといいのですが」


 歓迎会が開かれるのは、ディーナさんが侯爵家の客人として迎えられ、しばしの間侯爵家に留まることになったからだ。


 そのことにお嬢様は心から喜ばれた。

 同じく侯爵家に滞在しているクレベリたち中位精霊たちは……うん、まあ頑張れとしかいえなかった。


 もともと東の島にある自宅から通うはずだったディーナさんだが、滞在される理由はいくつかある。

 そのひとつは稲作を中心とした農業指導のためだ。

 そしてほかの理由はというと――。


 ひとつは、お嬢様の存在だ。

 魔族にはありえなかった味覚を持つお嬢様。ディーナさんはそんなお嬢様を心から気にかけてくださると同時に、たいそうお気に召したらしい。お嬢様に接する態度は自分の孫のように子供を可愛がる近所のおばあちゃんだった。

 さすがはお嬢様だ。お嬢様の魅力に抗える精霊などいない。


 ついでといってなんだが、ディーナさんはクレベリたちの指導も行うつもりらしい。精霊魔法を教えているクレベリたちがお嬢様の先生だとすると、ディーナさんは先生の先生ということになる。この話を伝えられたクレベリたちのひきつった顔が忘れられない。唯一、ラベンダーの精霊ラビーだけが、「あらあら」と笑っていたのが印象に残っている。


 理由のふたつめ。

 それはお米が好きになったゴブさんたちゴブリン族たちの情熱だ。


 ディーナさんいわく、ゴブさんとゴブリン族の稲作にかける情熱をたいそう気に入ったそうだ。

 確かにゴブリン族を束ねるゴブさんが動けば、下の者はやらざるをえない。だが、稲作は彼らのためでもある。安定した食料が得られるのだから張り切って当然だろう。その結果、下っ端連中も命令されるまでもなく進んで作業をしているのだ。

 そのおかげか水田の枚数を増やすことが決まった。数の暴力ともいえるゴブリン族にかかれば、数日のうちに作り上げることができるはずだ。侯爵領のあちこちに田園風景が広がる日も近いだろう。


 そのゴブさんに聞き忘れたことがあった気がする。だが、それが何だったのか、さっぱり思い出せなかった。まあ思い出せないということはお嬢様に関連することではないのだろう。


 それはともかく最後の理由だ。

 実は今日の午後から行われたディーナさんとリアルルさんの魔法指導で僕はディーナさんに目をつけられてしまったようだ。


 目をつけられたといっても悪い意味ではない。

 むしろ期待の目を向けられたといったほうが正しい。

 ただその期待のせいでとんでもない目にあっただけだ。


 まずは魔法指導の結果から話そう。

 彼女たち二人の指導のおかげで、僕は時魔法と結界魔法をほぼ完璧に使いこなせるようになった。

 なってしまった。


 ディーナさんは指導狂ということもあってか、指導方法こそ厳しかったものの教え方はとても上手かつ丁寧だった。エルフのニーナさんが彼女の指導のおかげで水の精霊魔法が得意になったといっていた。今ならその言葉もうなずける。またリアルルさんによる結界魔法の指導も得意な魔法のせいか非常にわかりやすかった。


 歓迎会の準備をしながらそのときのことを思い出す。


 畑からディーナさんに引きずられ、侯爵家に戻ってきた僕はディーナさんとリアルルさんの魔法指導を受けた。

 これは侯爵様たちとの話し合いが行われる前の話だ。



――侯爵家の庭



「――はぁ、はぁ、ごほっ、ごほっ」

「いやいや。アルクくんは飲み込みが早いから教えがいがあるねぇ」

「……なんでこんなに早く使いこなせるようになるのかしら」


 地面に倒れ込みながらせきこむ僕。酸素が足りないのか魔力が切れかかっているのか、ぐるぐると目が回っている。


 荒い息をしながら薄目で二人を見上げると、ディーナさんは満面の笑顔、リアルルさんは不思議そうな顔をしていた。今を思えばこのときから目をつけられていたのだろう。

 そんな二人の上位精霊からお褒めの言葉?をいただいたが、正直それどころではなかった。こちらとしては必死に覚えざるを得なかったのだ。


 必死の意味は、「死ぬ覚悟で全力を尽くす」、「死に物狂い」などがあるが、「必ず死ぬ」と書く。意味もそのままを示す場合もある。

 そう思ってしまうほど厳しい指導だった。


 例えば、今しがた行われた『時を進める魔法』を覚えるための課題方法はこうだ。

 ディーナさんが用意した植物の種。これに時魔法をかけて成長させ、花を咲かせなさいという。そして、「わかりました」とうなずく間もなく、ディーナさんが作り出した水球の中に閉じ込められたのだ。もちろん説明などない。息も吸えない。突然のことに慌てているとディーナさんから楽しげな声がかけられた。


「窒息する前に花を咲かせないと死ぬよ」と。


 満面の笑顔で宣告された。

 これはアカハラアカデミックハラスメントさんやパワハラ(パワーハラスメント)くんがハラハラした顔をするレベルの指導方法である。


 だが、こういった指導は初めてではない。

 このような『死ぬ気になればなんでもできる』を実践したのはセイバスさんの修行以来だ。なんとか死ぬ前に魔法を使えるようになったが、もう少しで白の賢者様と再開するところだった。幻覚なのか白の賢者様が手を振っているのが見えた気がする。


 今回、時魔法が使えるようになったきっかけはディーナさんだ。だが、以前からベルゼブブにアドバイスを受け、練習していたことも大きいだろう。ぶっつけ本番でこんな指導を受けていたら確実に死んでいたに違いない。


 方法はともかくこうして時魔法を使えるようになったわけだ。

 生きているってすばらしい。生きていれば可能性は無限大だ。


 また時魔法が使えるようになってからわかったことがある。

 それは魔力の消費がとんでもなく大きいということだ。

 どうやら可能性は無限大でも、限界はあるらしい。


 よく考えてみればベルゼブブですら、「時魔法は魔力をかなり食う」といっていた。魔力の塊である悪魔、それも上級悪魔が、「かなり」といっていたのだ。フラム子爵家の地下で会ったとき、彼自身、存在を維持するために悪魔界から魔力を供給しているといってた。おそらく地下室内の時間を止めていたのも悪魔界から供給した魔力のおかげに違いない。


 僕がベルゼブブに時魔法を望んだ主な理由は、「時を進める魔法」を得るためだ。時魔法を使えば種をまいてからすぐに食材を収穫できると思っていた。そうすれば短期間で大量の食材を得ることができると思ったからだ。


 このことをディーナさんに話すとあっさり無理だといわれた。

 彼女によると僕が持つ魔力量では足りないらしい。食材によるものの収穫できるまで時間を進めることは不可能だという。


 だが僕の魔力量がほかに比べて少ないというわけではないそうだ。

 彼女の話では僕の魔力量は大人の上位魔族に比べてもかなり多いという。そんな僕でさえ先ほど種から花を咲かせたときは、ほとんどの魔力を消費している。


 自然の摂理を捻じ曲げ、楽をして食材を得るためには膨大な魔力が必要なのだとディーナさんはいった。そして、「自然の力は偉大さね」と笑うのだった。


 さらにディーナさんの話では、時を進める魔法の効果は範囲ではなく個別の対象にしか及ばないという。ということは一度の時魔法で種一粒もしくは苗一株にしか効果が出ないことになる。

 これは種から花を咲かせることのできる呪歌以下の性能だった。ヨヨさんやアルティコ家の家令ヒトニスさんが得意とする呪歌の効果は声が届く範囲にある種だ。花を咲かせるまでであれば呪歌のほうが断然効率的だった。


 どうしたものかと悩んでいると、「使い方次第でなんとかできる」とディーナさんが教えてくれた。ディーナさん本人は時魔法を使えないそうだが、そこは長いときを生きてきた上位精霊である。当然のように時魔法のことも詳しいようで、助言をもらうことができた。


 例えば、実のなる植物の場合、花が咲いたあとに時魔法を使えば普通より早く実をつける。また同じ対象に複数回、時魔法を使うことも可能だ。魔力が回復してから同じ対象の時間を進めることで最終的には短期間で実を収穫することができるそうだ。

 使う時期と回数を考えれば僕の考えていたことも可能らしい。

 ただ、とてつもなく効率が悪い方法だ。

 やはり食材の大量収穫は諦めるしかなさそうだ。

 使い道としては数日のうちに食材が必要なときか、短期間で成長させ、種などを得るために使うくらいだろう。


 次に覚えたのは時を戻す魔法。

 ただこれも微妙だった。

 試しに先ほどディーナさんからの課題で咲かせた花に使ってみた。だが、どうやっても花から種に戻せなかったのだ。どうやら時を戻す魔法は生きてるものに効果がないらしい。時を進めることはできたのにどういう理屈なのだろうか。しかもケガを治すことはできないし、失った命も戻らないという。そのかわり生物でなければ時間を戻すことはできた。


 時を進める魔法と時を戻す魔法。

 どちらも個別の対象を指定しないと効果がない。生物に効果があるのは時を進める魔法だけだ。また、ほとんどの魔力を消費しても今のところ二ヶ月ほどの時間を操作するのが限界だった。一ヶ月ほど操作するのであればおよそ半分の魔力ですむ。


 結局、世界の時間を操作するなど夢のまた夢だ。

 ベルゼブブを消滅させたあと、時間を巻き戻して復活させ、もう一度消滅させるという『素敵ループ』は使えそうもない。アレも一応生物扱いのようだし諦めるほかないようだ。


 最後に覚えたのは時を止める時魔法だ。

 これは完璧な時間停止が可能だった。

 ただし、制限がある。


 効果が及ぶ範囲は最大で半径十メートル。この範囲に入っているものは時が止まる。効果範囲内に外から入ったものにも効果があった。

 ただし、生き物の場合、魔法に抵抗されると効果はない。リアルルさんは効果範囲内で止まったままだったが、ディーナさんは平気な顔して動いていた。ニヤリと笑いながら、「まだまだだね」といわれた僕は苦笑するしかなかった。

 また対象は任意で選択でき、効果時間の間、僕は自由に動ける。


 効果時間はたったの五秒だ。

 完全に時間を止めずにゆっくりと遅延させるだけであれば倍以上時間を操作できることもわかった。


 そして例に漏れず、この魔法もまた魔力の消費がとんでもなく大きかった。五秒の効果時間を得るために膨大な魔力を消費してしまう。魔族の力の源は魔力だ。仮に魔力の枯渇状態となり、その状態が長引くと病気だったアルティコ伯爵みたいに動けなくなるので注意が必要だ。

 今の僕が連続で使う場合、数回できるかどうかだろう。


 これもすべては僕の魔力不足が原因だ。

 総合的な結論として、時魔法は連発できる魔法ではないことがわかった。ただ、今より魔力が増えれば使い勝手も変わるはずだ。


 結果として満足できるものではなかったが使い道はある。

 例えば、お嬢様が大切にしているコップが割れてしまったときだ。この場合、時魔法を使ってコップの時間を戻せば割れる前の状態に戻せる。

 また、お嬢様に危険が迫ったときも安心だ。お嬢様を中心に時間を停止させるか遅延させればいい。例えば、お嬢様のファンが周りに殺到した場合でも余裕を持ってお助けできる。もちろんお嬢様を時間停止の対象から外せば、さらに安全だ。

 食材大量生産計画には使えなかったが、これはこれでよしとしよう。


 時魔法をマスターし、ディーナさんの指導も終わった。

 そう思ってほっと息をついたときだ。


「そういえばアルクくんは水の魔法を使えるのかね?」

「え? はい。一応?」


 この答えがまずかった。

 ニカッと白い歯をみせたディーナさんはうれしそうに宣言したのだ。


「なに! 一応ではいかんね! これは指導が必要だ」と。


 あいまいな返事は我が身を滅ぼす。

 時魔法で世界の時間が巻き戻せるのなら、今の発言をなかったことにしたい。なぜ時を戻す時魔法は生物に効かないのだろうか。なぜ世界の時間を巻き戻せないのだろうか。

 後悔先に立たず。口から出た言葉はもう戻らない。


 こうして引き続き、水に関連する執事魔法の強化が行われた。

 水の精霊ディーナさんが得意とする水魔法。その指導は時魔法の指導よりも熱がこもっていた。今後、ディーナさんのことを熱湯の精霊と呼ぶものがいても僕は否定しないだろう。


 その熱い指導の結果。

 水を操作する『執事シャワー』と水を創り出す『執事井戸』が統合され、効率化することができた。これにより二つの魔法を同時展開する必要がなくなったのだ。おかげで操れる水の数や量を増やすことができたうえ、魔力の消費も節約できるようになった。これぞまさに進化といえよう。

 二つを統合した魔法は『執事水道』と名付けておく。


 厳しい指導ではあったが、たびたび休憩がはさまれた。

 それというのも時魔法など難易度の高い魔法は魔力の消費が激しいからだ。魔力が回復するまで体を休める必要がある。体力と違い、魔力は根性でなんとかできるものではないのだ。


 その休憩のたびに僕を癒やしてくれたのは二羽のウサギンだ。

 地面に座り込んでいると、ぴょんぴょんと近寄ってきてくれる。そんなウサギンをなでていると疲れた体がやされていくようだった。


 このウサギンたちはリアルルさんのハーブ園から侯爵家の庭に引っ越してきた子たちだ。ほとんどのウサギンはハーブ園に帰ったが、この二羽だけどうしても帰らなかった。ウサギンと話のできるお嬢様いわく、「ここにいるのー」だそうだ。

 今ではお嬢様のペットとして、また庭師のウルナさんも認める雑草駆除係として活躍中である。ウサギンとしては食事としか思ってないかもしれないが、そこはハーブ園出身のウサギンだ。ちゃんと花と雑草を見分けて食べている。

 お嬢様はこの子たちの名前をつけようと悩んでおられるようだ。


 休憩のあと新たに習得した『執事水道』を基礎とする魔法を教わった。


 最初に教わったのは『貫く村雨(つらぬくむらさめ)』という魔法だ。どことなく十四歳前後の少年心をくすぐる名前である。この魔法はディーナさんがカマキリを穴だらけにした水魔法だ。何度か練習した結果、ディーナさんほどではないが数十本の水の槍が作り出せるようになった。


 加えてウルナさんが使っていた体内の水分を蒸発させる魔法『ディハイドレーション』も教わることができた。以前、生木から水分を抜くとき『執事シャワー』を使ったが完全に水分を抜くことはできなかった。この魔法なら完全に乾燥させられる。


 これでディーナさんの指導は終わり。

 しかし間髪入れずにリアルルさんの指導が始まる。


 先日の『ティリアお嬢様お友達いっぱい記念パーティー』で行われたリアルルさんの結界魔法講座。これにより改めて結界魔法の仕組みを理解することができた。そのおかげで『執事箱』に閉じ込めてからであれば、生き物でも『執事ボックス』に収納できることがわかった。

 今回、結界魔法の仕組みを理解できたのは、ベルゼブブによる献身的な協力によるところが大きい。彼には同意も賛同も許可も承認もまったく得ていなかったが、ちゃんと『執事ボックス』に収納することができた。

 『執事ボックス』から出したあとも生きていたし、あのときの彼は本体ではなく分体である。問題が起きていたとしてもなんら問題はない……はずだ。お礼にプリンを渡しているのでウィンウィンの関係である。例え、その割合が平等でなくともウィンウィンは成り立つから問題はない。


 仕組みを理解したおかげで結界自体も大幅に強化されている。

 以前は、自分自身が使うほかの執事魔法により破壊されたり相殺されたりした『執事箱』。それがほかの執事魔法ではひとつの傷もつかないほど圧倒的な強度を保つことができるようになった。もちろん自分自身の意思で結界を解除することは可能である。


 どれほど強度が増したかというと、巨大カマキリを倒したディーナさんの『貫く村雨(つらぬくむらさめ)』ですら防ぐことができてしまった。

 ただし、本気を出したディーナさんに無残にも素手で破壊されてしまい、またもや、「まだまだだね」と笑われた。……時魔法のときといい、実に大人気ない精霊である。


 なにはともあれ、執事魔法が強化できたのはディーナさんとリアルルさんのおかげだ。頑張って指導についていった甲斐かいがあった。


 早速覚えたばかりの『貫く村雨(つらぬくむらさめ)』を『執事高圧洗浄』、『ディハイドレーション』を『執事乾燥』に改名しておく。


 『執事高圧洗浄』は威力を抑えることにより、お屋敷の外壁や庭石をきれいにすることのできる便利な執事魔法だ。がんこな汚れもこの魔法(これ一本)で落とせる。『執事キッチン』を併用することにより、温水にすることも可能だ。威力を間違えるとカマキリ同様、壁に穴があくので要注意だ。


 『執事乾燥』は洗濯物を乾かしたり、乾物かんぶつを作ったりするのに便利な執事魔法だ。澱粉でんぷんを作ったときのように『執事そよ風』と『執事キッチン』を同時使用しなくてもよくなった。生木から水を抜いて建材を作るのも簡単だ。

 それにお嬢様が水遊びをされたあと服がれていてもすぐに服を乾かせるのだ。干し肉や干し魚作りもあっという間である。ハーブの乾燥もできるし、ドライフルーツも作り放題だ。


 リアルルさんの指導により強度が上がった『執事箱』は『執事コンテナ』に改名。実に丈夫そうな執事魔法だ。これからは魚など生きた食材を運ぶのに役立ってくれるだろう。


 また時魔法の時間を進める魔法は『執事の未来』に、時間を戻す魔法は『執事の過去』に改名。時間を停止もしくは遅延させる魔法は『執事の休息』と名付けた。

 うむ、実にしっくりくる。

 どれも半日程度で使えるようになったすばらしい執事魔法の数々であった。


「――はぁ。すばらしい」


 充実した執事魔法の数々に思わず感嘆の声がもれる。まさにお嬢様をお守りするのにふさわしい執事魔法たち。これは執事としてウットリせざるを得ない。


 それを複雑そうな顔で見るディーナさん、リアルルさん、それにヨヨさんの姿があった。


「……うーん」

「ディーナさん。何か問題でもありましたか?」


 首をひねっているディーナさんに話しかける。

 何やら言いたげな様子だ。


「いやまあ……。アルクくんが使う魔法だからどんな名前でもいいんだけどね」

「お二人のおかげで執事としての仕事がはかどります」

「外敵を排除する魔法もアルクんに関わると掃除とか料理に使われちゃうのね。教えた結界魔法もなぜか食材を運ぶために使われるみたいだし」

「リア。気を落とさないで。アルクんだもの」

「いまさらだが、執事なのに魔法使い以上に魔法を使いこなしていることがおかしいのだがね」


 みんな好き勝手なことをいってるが僕は満足だった。

 こうして侯爵家の庭で行われた僕の魔法指導は終わりを迎えたのだ。


 またこの修行中、あらたな食材が手に入った。


 それはディーナさんが時魔法指導のために用意した花の種だ。

 実はこの種、ヒマワリだった。

 ヒマワリの種からは油がとれるだけでなく種そのものも食べられる。お嬢様の離乳食にも使える立派な食材なのだ。このヒマワリは専用の畑だけでなくレインウォーター川沿いにも植えられることになった。夏になれば太陽のような黄色い花が川沿いいっぱいに咲くだろう。



 さて、話を歓迎会に戻そう。


 準備も終わり、ディーナさんの歓迎会はすでに始まっている。

 前菜、スープと続いたあと、お米を使った料理が運ばれてきた。

 今回、用意したお米料理は離乳食中のお嬢様でも食べることのできる『たっぷり野菜のリゾット』だ。


 作り方はいたって簡単なものだ。

 シメジなどのキノコ類とサツマイモ、ニンジンなどの根野菜に加え、ユリの精霊であるリリィから提供されたユリネをいためる。

 野菜に火が通ったら、ウシドンとウコッケの骨からとったブイヨン、それに生のお米を入れてじっくりと煮込む。お米がある程度煮えたところでウシドンのミルクを投入し、ホウレンソウを追加して弱火でさらに煮込んだ。お皿に盛り付けたあと、『執事乾燥』で作った乾燥パセリをかけて完成である。  

 色とりどりの野菜たちが香りだけでなく見た目も楽しませてくれる逸品だ。

 チーズやタマネギを入れると味に深みが出るのだが、残念ながら手に入れていない。タマネギは『あいつ』さんの故郷に期待しよう。


 お嬢様は目の前に置かれたリゾットに興味津々のご様子だ。そして勢いよくスプーンを手に持ち、リゾットを一口分すくってから、ふぅふぅし始めた。

 ちなみに、お嬢様用の料理は火傷しないよう少し冷ましてからお出ししている。そのため本来は冷ます必要はない。

 だが、あれは港町リバシールに立ち寄ったときだ。侯爵様がジャガバターをお嬢様に、「あーん」したときがあった。そのとき侯爵様がジャガバターを冷ますために、「ふうふう」しておられたのだ。お嬢様はそれ以来、たびたび真似されている。


 そんなお嬢様を誰一人止めることはしない。一生懸命、ふうふうするお姿があまりにも可愛らしいからだ。事実、侯爵様御夫妻だけでなく使用人の誰もがそんなお嬢様の姿(ふうふう)を微笑ましく見守っている。


 満足するまでふうふうされたお嬢様は、パクっとリゾットを口にされた。次の瞬間、お嬢様の目が輝き出す。あのキラキラした目はリゾットを気に入ってくださったに違いない。お嬢様はしっかりと口を動かしてから、こくりと飲み込まれた。


「ふわぁ! お米さん美味しいの!」


 お嬢様の「美味しい」という一言に僕もディーナさんもほっと胸をなでおろした。お嬢様は笑顔を浮かべたまま二口目のリゾットにとりかかっておられる。どうやら、ふうふうする真似はもう満足されたようだ。


「おぉ! これはいいね。ミルクで米を煮たのか。初めて食べる味だよ」

「こ、これは! 食材によって甘味が違うのか!」

「まあ! 香りもいいし、お野菜って甘いのね」


 どうやらディーナさんと侯爵様御夫妻もリゾットを気に入ってくださったようだ。あえて和風ではなく洋風に調理してみたのだがお口に合ったようでなによりである。


 それにしても侯爵様と奥様のお二人の反応が新鮮だった。

 すでにお二人は『妖精の奇跡』を試しておられる。効果が限定的だったステビアと違い、半日ほど経った今でも甘味を理解されたままだった。


 これはロシュロス魔王様の手記に書かれていたとおりだ。お二人が『妖精の奇跡』によって甘みを理解できるようになっているのは間違いない。改めて材料を個別に飲んでも効果があることが証明されたのだ。


 この結果はすでに使用人たちによってわかっていた。

 セイバスさんやイーラさんを始め、選ばれた使用人の皆も『妖精の奇跡』を飲んでいるのだ。その飲んだ全員が甘みを理解できるようになっていた。昼間は寝ている庭師のウルナさんはまだ飲んでいないが、間違いなく理解できるようになるだろう。

 ただ、『妖精の奇跡』を飲んだときの状態については誰しもが口を閉ざしていた。セイバスさんですら、「何かありましたかな?」とおっしゃるくらいだ。少しやつれたような気がしたがあえて口にしなかった。

 ゴブさんに起きた惨状を考えればあえて聞く必要はないだろう。


 さて、ディーナさんの歓迎会もあとはデザートを残すのみ。今回のデザートは、皆が甘味を理解されたこともあって少しぜいたくに作ってみた。


 使ったのはドワーフのギルムさん提供のサツマイモとディーナさんにもらったお米だ。

 これらのデザートは歓迎会に出す前に試作品を作っている。そのときギルムさんの名前に何かひっかかるものがあったのだが、すぐにお菓子作りに没頭してしまった。今も何だったのか思い出せない。


 それはともかく、今回作ったお菓子はスイートポテト、サツマイモ入り蒸しパン、サツマイモを揚げたサツマイモスティック、サツマイモプリン、サツマイモのブリュレである。


 続いて、もち米やうるち米(普通の米)を使ったデザートを用意した。

 エルフの国から取り寄せたアズキを使って、おはぎとつぶあん入りヨモギ餅などの和菓子を作ってみた。また桃とリンゴとバナナを入れたお米のプディング、シナモンとカスタードクリームとウシドンミルクで作ったお米のタルトなど洋風のお菓子も用意してみた。


 レイゴストさんによってテーブルの上に並べられていくお菓子たち。お嬢様はいつもと違ったお菓子とその量の多さに目を大きくされていた。


 うん。ちょっと作りすぎた。

 まあ、『執事ボックス』もあるし、残ったら明日以降にお出しするか、使用人の皆で食べることにすればいいだろう。


 ところがだ。


 そんな心配をよそにお嬢様をはじめ、ディーナさんと奥様の手が止まらない。デザートは別腹という言葉通り、テーブルに用意されたデザートの数々はみるみるうちに減っていった。


 ただ、侯爵様はそれほど甘いものがお好きではないようだ。甘みを理解できたことで味の好みが出てきたのだろう。代わりといってはなんだが、奥様とお嬢様とディーナさんが侯爵様の分まで食べておられる。

 正直、お嬢様の小さな体のどこにデザートの数々が入っていくのか、専属執事(見習い)である僕にもわからない。そんなお嬢様の様子を見ながらレイゴストさんは驚いた顔をしながら喜んでいた。


 ディーナさんは、「米がお菓子になるとは!」と感心した様子で、おはぎとヨモギ餅を交互に口へと運んでいる。口元についたあんこが四大精霊としての威厳を大きく削っているが見なかったことにしよう。


 侯爵様たちに今回のデザートを出す前、皆に試作品の味見をしてもらっている。味見役はセイバスさんやイーラさんなど『妖精の奇跡』を試し、甘味を理解できた使用人たちとリアルルさんを始めとする精霊たちだ。これはセイバスさんたちが甘みを理解できたかどうかのテストも兼ねている。


 試食会の結果、和菓子はセイバスさん、ヤマユリの精霊リリィ、リュウゼツランの精霊リュウゼツ、ラベンダーの精霊ラビー、セイヨウノコギリソウの精霊ヤーローのお気に入りとなった。

 洋菓子を気に入ったのは、イーラさん、ラミさん、プレスコットさん、樹木の精霊リアルルさん、モミジイチゴの精霊クレベリ、カカオの精霊カカ、セイヨウノコギリソウの精霊ヤーローだ。

 ヤーローの名が二回出てきたのは、どちらも大好きだといったからだ。彼女だけは和洋問わず、ほかの妖精の倍以上を食べていた。

 寝ているウルナさんの分も用意してある。彼女が起きたら感想を聞く予定だ。


 お菓子といえば甘党代表のヨヨさんのことを忘れてはいけない。しかし、残念ながら彼女は用事があるということで、試食会の前に帰っている。もちろんすべてのお菓子をおみやげとして渡したので文句は出ないだろう。ただお菓子を持ったまま妖精界に帰って大丈夫なのか心配だった。(甘党)の群れに、羊ならぬヨヨさんが甘味を背負って帰ったのだ。かもネギならぬヨヨ菓子である。彼女の無事を願わずにはいられない。

 リアルルさんもお菓子の試食会のあとハーブ園に戻っていった。彼女にも魔法指導のお礼を兼ねてお菓子をおみやげとして渡しておいた。ぜひドラゴたちと一緒に食べてもらいたい。


「それにしても味がわかるようになったのはいいが、いいことばかりでもないか」


 侯爵様がグラスに入ったお酒を飲みながらつぶやかれた。


「そうですね。味にも好みというものがあります。これは趣味や美的感覚のようなもので個々によって異なるものです。それにまずい料理は苦痛となることでしょう」

「まあ美味いものばかりではないということか。それにほかの味覚も理解できるようになれば、さらに好みが分かれるな」

「左様でございます。ですがそこは料理人として腕の見せどころ。人族の料理人は一人でも多く美味しいと感じてくれる料理を作ることに生涯をかけるのです」

「だがよ、アルク。俺には味を理解することはできないぞ」


 困った顔のレイゴストさんがいった。

 確かに物を食べられない幽霊族のレイゴストさんは、『妖精の奇跡』を試すことができない。

 だが、僕にはひとつ考えがあった。


「それなんですが龍族に相談してみようと思います」

「龍族?」

「はい。手記には龍族によってすべての材料をひとつにするとありました。龍族といえば魔族やエルフに匹敵するほどの実力の持ち主。もしかしたら幽霊族でも試せる薬が作れるかもしれません」

「確かに龍族は医学や薬学に詳しい。だが幽霊族が飲める薬はどうなんだろうな」と侯爵様。

「でも幽霊族って聖水をかけられるのが苦手()ですよね?」

「うん? そのとおりだが」

「それですよ。飲むのではなくて体から吸収させることはできないかなと思いまして」


 幽霊族はその聖水が毒となる。壁すら通り抜けることができる幽霊族に液体である聖水が効くのであれば、そういった薬も作れるのではないか。僕はそう考えている。


「ほう。アルクくんはなかなか目の付け所がいいのぅ(もぐもぐ)。龍族の医術はかなり進んでおる(もぐもご)。幽霊族に効くのかはわからんが、腕や足から直接薬を入れる方法や体に貼ることで効果の出る薬があったはずだ(んぐんぐ)」


 おはぎを口にくわえ、ヨモギ餅を両手に持ったままディーナさんがうなずいた。そのヨモギ餅……じゃなかったディーナさんの話によると龍族の医術はかなり進んでいるようだ。腕や足から直接薬を入れるというのは恐らく点滴のことだろう。幽霊族のレイゴストさんに針を刺すことはできないが、何か方法がないか聞いてみる価値はありそうだ。


「じゃあ、俺にも味がわかるかもしれないってことかい?」

「可能だと思います。でもあまり期待しないでくださいね」

「十分だ! 頼んだぞ、アルク。味がわからない料理人なんてこれから必要なくなっちまうからな」

「おいおい。何を馬鹿なことをいってるんだ、レイゴスト。今でもちゃんと料理を作れているじゃないか。それに味がわからないままだとしてもミストファング侯爵家の厨房監督になってもらうぞ。これはお前しかできん。まだまだ楽になれると思うな」

「ティリアちゃんもレイゴスト料理長の作った食事大好きよね~」

「はいなの! 料理ちょーが作ったお料理はきれいだし、美味しいのー!。大好きなのー!」


 ニカリと笑う侯爵様。侯爵様としてもレイゴスト料理長をやめさせるつもりなどさらさらないようだ。それに料理長は食材や調味料の分量さえわかっていれば僕よりも完璧に料理を仕上げる。まさに熟練の腕前を持っているのだ。なにより奥様もお嬢様もそして僕たちも料理長のことを尊敬している。


「くっ。お嬢まで。あっしは。あっしは。幸――」

「レイゴスト。食事中です。それにお客様がいる前でなんですか。見苦しい。暑苦しい。むさ苦しい」


 目からエクトプラズム的なものが流れそうなレイゴストさんに対し、辛辣な言葉を全力で投げるセイバスさん。だがその顔はかすかに笑っていた。


「おまっ! さすがにそれはひどいだろ」

「くっくっく。ティリアちゃんちの皆は仲が良くていいねぇ」

「みんな仲良しなの!」


 笑うディーナさんに返事をするお嬢様。

 それにつられてか皆の顔にも笑顔がこぼれる。


 侯爵家に仕える使用人の中で最古参の二人。若いころから互いに切磋琢磨せっさたくましてきたと聞いている。会話からも互いを認め合っていることが伝わってくるようだ。


「そういえば侯爵様。先ほどから飲んでおられるのは――芋焼酎ですか?」


 先ほどから芋の甘い香りが僕の鼻をくすぐっている。以前、嗅いだ芋焼酎と違い、これは初めて嗅ぐ匂いだ。僕の調香師パヒューマーとしての技能がそういっている。


「ああ。酒造責任者から秘蔵の酒をもらってな。甘みがわかるようになったおかげでより旨く感じる」

「それはなによりでございます。ところで酒造責任者というのはいったい?」

「ギルム殿のことだが……あー、アルクにはまだ伝えてなかったな。すでに酒造所は完成しているんだ。ほかのドワーフたちが住む予定の宿舎も隣接した場所に用意した。ギルム殿は先週から酒造りに取りかかっており、私が酒造責任者に任命したのだ」

「あっ――」


 思い出した。

 ゴブさんに聞き忘れていたこと。ギルムさんの名前で引っかかっていたこと。それは酒造所の件だ。この件をすっかり忘れていた。


「アルクが忙しそうだったからな。私とギルム殿で進めさせてもらった」

「あなたの場合はお酒が飲みたかっただけじゃないの~」

「うむ。そのとおりだ」


 破顔しながら堂々と宣言した侯爵様に奥様も苦笑している。


 ウスイの街に帰ってきた日、ゴブさんから酒造所は翌日から作ると聞いていた。だが、忙しさのせいかすっかり忘れていたのだ。いや、忙しさを理由にするのは間違いだ。ギルムさんから預かっていた芋や器具などの荷物はすでに本人に渡している。そのときに聞こうと思えば聞くことができたはずだ。

 これは僕の失態だった。


 侯爵様だけでなく、任せっきりにしてしまったギルムさんにも申し訳ない。先週、おつまみの話を持っていったときも昨日のパーティーのときもギルムさんは何もいってなかった。いってくれればよかったのにとも思ったが、悪いのは忘れていた自分である。


「も、申し訳ございませんでした!」

「いや、問題ない。私が勝手に進めただけだ。許せよ、アルク」

「と、とんでもございません」


 責任はすべて僕にある。

 それに執事が予定を忘れるなんてありえない話だ。


「いや、ギルム殿とも話をしたのだ。いくらアルクが酒のことに詳しいとはいえ、子供に酒のことを任せておくのは大人としてどうかと思ってな。だから私とギルム殿で進めたのだ」

「アルクくん。今回の失敗を反省し、今後は忘れないように」

「はい。申し訳ございませんでした」


 セイバスさんの声は僕をとがめるような声ではなかった。

 恐らく気がつかれていたのだろう。パーティーの夜、修行の旅に出るよういわれたときもセイバスさんはこうおっしゃっていた。「でもまだここでもやるべきことが残っていますよね」と。セイバスさんは僕が思い出すよう助言をくれていた。僕はそれに気がつかなかったのだ。


 あまりの情けなさに気落ちしているとセイバスさんから声をかけられた。


「まあ今回は旦那様のご好意に感謝しましょう。例え、お酒が飲みたかったという欲望から生まれた好意だとしても」

「セイバス。その言い方はトゲがないか」

「気のせいでございます。旦那様」

「どこか気のせいなんだ! どこが!」


 食堂が和やかな雰囲気に包まれる。

 どうやら侯爵様とセイバスさんにも気を使わせてしまったようだ。だが、失敗は失敗として反省しなければならない。

 ギルムさんにもちゃんと謝らなければ。明日にでも酒造所に行ってみることにしよう。


 その後、侯爵様から話を聞くと酒造所は僕が予定していた規模よりも大きくなっていた。侯爵様がお好きな『命の水(ホワイトラム)』は残念ながらギルムさんの兄ガルムさんが率いるバタータス一族しか作れない。ドワーフの本国でドワーフの神官による祝福も必要だ。

 だが、それ以上の酒を作るとギルムさんは張り切っていた。その心意気を買った侯爵様がいろいろな酒が作れるよう酒造所の規模を広げたのだ。こうじを造るための部屋(麹室)も複数用意したらしい。


「大規模な酒造所になりましたね」

「うむ。今から楽しみだ。ワインにも甘いものがあると知った。ほかの酒にもいろいろな味があるのだろうな」


 お酒の味を想像している侯爵様は実に楽しげだ。

 奥様もそんな侯爵様の横顔を優しい目で見ておられる。

 いつも仲睦まじいお二人であった。


「あっ。そういえばお米でお酒が作れますね」


 ふと思い出したのは僕の前世で馴染なじみ深かったお酒のことだ。


「米で酒を? わらわは聞いたことがないぞ」


 山盛りになったおはぎを目の前に積んでいるディーナさんが驚いた。

 僕はそのおはぎの山に驚きだ。


「SAKEもしくは日本酒と呼ばれるお酒なんです。ですが少し変わった米が必要なんですよ」

「どんな米が必要かね? お米大好きなわらわにいってみるがいい」


 お米好きと米を持っているかどうかは関係ないと思うが、とりあえず日本酒造りに適した米の特徴を話す。


酒米さかまいもしくは酒造好適米しゅぞうこうてきまいというのですが、粒が普通の米よりも大きく柔らかいです。普通に炊いても食べられますが、味は並といったところでしょうか。半分ほどまで精米しても砕けにくい品種が日本酒には適しています」


 実際には酒米でなくても作れるのだが、あえて聞いてみた。なければ今、用意できる米で作ればいい。


「あー。ヤマダくんのことか」

「ヤマダくん?」


 そうつぶやいたディーナさんは少しだけすっきりしない顔をする。

 それはお米の名前なのだろうか。

 前世で聞いたことのある名字にしか聞こえない。


「ヤマダくんは山に住む部族のために作った最初の品種なんだよ。そこは水田に適した平地がなくてな。山の傾斜地に小さな水田をいくつも作ったんだ。そういった場所でも丈夫に育つよう改良した米なんだが、少々丈夫になりすぎてな。粒がでかすぎるし、味も普通だ。その後、違う品種が完成したことでヤマダくんはそのままお蔵入りとなってねぇ。可哀想なことをしたものだ」


 そういって取り出したのは普通の米よりも粒の大きい米だった。

 見るかぎり十分酒米として使えそうだ。

 一粒口に入れて確かめてみると、むしろ酒米としてふさわしい米だとわかった。しっかりとした硬さを持っており、心白しんぱくと呼ばれるでんぷん質も良質だ。前世でいう山田錦という品種に近い。これならすばらしい日本酒が作れそうだ。


「ヤマダというのは山の水田用の米ということでわらわがつけたナイスな名前だ。食べられることもなくお蔵入りしたからこそ愛着がわいてなぁ。くん付けで呼んでおるのだよ」


 なるほど。

 お米が好きすぎるあまり、不遇になった品種にも愛着を持っておられるようだ。せっかく作ったのに食べられないままお蔵入りともなれば、お米好きとしてはやるせないのだろう。すっきりしない顔をされたのもなんとなくわかる。

 また山を切り開いた水田というのは棚田たなだのことに違いない。この世界にも棚田があることに驚きだ。


 しかし、名字とはまったく関係なかった。

 偶然とはいえ、実に紛らわしい名前である。


「ところで日本酒とやらには使えそうかね?」

「はい! これはいいお酒ができそうです」

「本当かい!? とうとうヤマダくんにも陽の光が当たる日が来たかね! 今日はめでたいね。お米も一際ひときわ美味しく感じるよ」


 そういっておはぎを口に放り込むディーナさんであった。

 すでに軽く十個は食べているんじゃないだろうか。おはぎだけで。


「盛り上がっているところ悪いのだが、日本酒というのはどんな酒なのだ?」

「そうですね。日本酒というのは――」


 日本酒の歴史は長く、古くから飲まれてきたお酒である。主に米、米こうじ、水を原料として作られている。精米する量(精米歩合)や製法によって種類が細分化されているのも特徴だ。その味わいは米の品種や水の質で大きく変わり、辛口から甘口まで、一言では語れない。

 そしてなにより神事との関わりが深い。


 どれほど日本酒の話をしていたのだろうか。

 熱く語る僕の説明に侯爵様はあきれた顔をされていた。

 お嬢様はデザートに満足されたようで、すでにこっくりこっくりと半分目を閉じながら船をこいでおられる。そんな姿も実に可愛らしい。


「も、申し訳ありません。つい話が長引きました」

「いや、そこまでいうのであればよほどの酒なのだろう。ところでその酒は作れるのか?」

「ギルムさんのお力を借りれば可能なはずです。原料となるすばらしいお米もディーナさんにいただきましたから」

「ヤマダくんも立派になって……」


 どこからともなく取り出したハンカチで目頭を押さえるディーナさん。こんなことでしんみりしないでほしい。しかし、この精霊はどこまでお米好きなのだろうか。これはヘタに米を扱うと水の底に沈められてしまうに違いない。


 (あれ? もしかして失敗できない?)


「ではその日本酒とやらの製造も任せた。ただし、時間があいたときでいいぞ」

「か、かしこまりました」

「わらわもヤマダくんのために力を貸すからな」


 時すでに遅し。

 気分は将軍家への献上品を作るよう大名に命じられた酒蔵の杜氏な気分だ。ただし、失敗しても将軍や大名(侯爵様やギルムさん)は怒らない。怒るのは米を提供してくれた農家(ディーナさん)である。



 こうしてディーナさんの歓迎会は大成功で終わりを迎えた。

 テーブルの上にあった大量のデザートたちはその多くが消えていた。どこにいったのか不思議なくらいだ。


 奥様は今日出したお菓子のいくつかを用意するようレイゴストさんに伝えておられる。どうやら明日にでもアルティコ伯爵夫妻へと届けるようだ。伯爵夫妻も『妖精の奇跡』を試されており、すでに甘みを理解できるはずだ。どんな反応をされるのか今から楽しみである。

 もともと味覚のあるヒミカさんも新しいお菓子を喜んでくれるだろうか。


 僕は明日、ギルムさんへの挨拶を兼ね、酒造所に行く予定だ。

 侯爵様よりも日本酒造りに張り切っているディーナさんも一緒である。新しいお酒の話をすればギルムさんも喜んでくれるだろう。


 お嬢様を寝室にお連れし、おやすみの挨拶をしてから自分の部屋に戻った。

 そのまま寝る前の準備をすませ、明日の準備をするため、机に向かう。


 今日も充実した一日だった。

 米作りから始まり、畑への種まきも終わった。あとはゴブさんたちに任せれば大丈夫だ。それに執事魔法の指導も受けた。魔王様の手記によって味覚を取り戻すために必要な材料もわかった。


 セイバスさんから執事修行の旅に出るようにいわれていることだし、材料集めにはちょうどいい。各種族の国を周りながら食材を集め、味覚を取り戻すための材料も集めるのだ。そのための準備をしなくてはならない。


 こうして明日の準備と旅路に必要なものを考えているうち、僕はいつの間にか眠りに落ちるのだった。



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