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第百六話 指導という名のなにか

 ディーナさんが見たいといった水田は街の郊外にあり、そこまでは徒歩で移動だ。お屋敷を出た僕とヨヨさん、それに水の精霊ディーナさんの三人はウスイの街を見学しながら南門へと向かった。


「街の外まで歩きますが大丈夫ですか?」

「もちろんさね。年寄り扱いするんじゃないよ」


 確かにディーナさんの見た目はお嬢様くらいの幼子だ。だが、言葉遣いは見事なまでにおばあちゃんである。

 それにしても大神官様やディーナさんのような上位精霊はどうして幼子の姿なのだろうか。同じ上位精霊であるリアルルさんの姿は十五歳くらいの女の子だ。もしかして年齢とともに成長していき、ある年齢までいくと幼児化するのだろうか。精霊の謎は深い。


 ゴブさんの作った畑と水田へと向かう途中、ディーナさんはウスイの町並みを見ながら満足げにうなずいていた。特に街中を流れる水路などに興味があるようだ。


「この街は水がきれいだね。ここの水なら米もよく育つだろう」

「ウスイの街はレインウォーター川のおかげで水資源に恵まれております。魔族といえども水は命をつなぐ大切なもの。侯爵様も水の大切さをよく説いておられます」

「うんうん。わかっておるね。水がないと生命は育たない。それに比べ、人族の国はひどいものだよ」

「ディーナさんは人族の国に行かれたことがあるのですか?」

「ああ、あるよ。二度と近寄りたくないけどね。特に――ん? なんだ。この街にはエルフもいるのかい」

「エルフ?」


 言葉を途中で止めたディーナさんが正面を向いたまま立ち止まった。だが、彼女の前にエルフらしき姿はない。それにウスイの街に住むエルフといえばニーナさんしか心当たりがなかった。気になった僕が辺りを見回していると、こちらをうかがっているニーナさんを発見した。彼女は建物の影から顔を半分だけ出し、ジッとこちらをうかがっている。正直、少し怖い。


「何やってるのよ! ニーナ!」


 ヨヨさんが彼女の元へふよふよと飛んでいった。ヨヨさんに声をかけられたニーナさんは、「バレた!」と言わんばかりの顔だ。その後、物陰から出てきた彼女はディーナさんの前に立った。


「ディーナ様。ご無沙汰しております」

「なんだ。さっきの気配はグリバルトのエルフだったか。確かツリーフォードの娘だね。元気そうでなによりだよ」

「はい。ディーナ様も」


 どうやら二人は知り合いらしい。精霊魔法が得意なエルフならば精霊に知り合いがいても不思議ではない。ただ、知り合いにしては少しニーナさんの様子がおかしい。彼女もクレベリたち同様、緊張しているように見える。


「ツリーフォード?」


 僕は聞きなれない言葉に思わず聞き返した。


「あー。私の名前よ。ニーナ=ツリーフォード」

「名字持ちだったんですか?」

「まあね」


 魔王国の貴族は基本的に名字持ちだ。名字は貴族であるか、魔王国に貢献した者だけに与えられる。もしかしたらニーナさんも地位あるエルフ出身なのだろうか。だが、その考えはあっさりと否定された。


「でも魔族や人族と違って、エルフの場合は貴族とかではないわよ」

「そうなんですか。ところでなぜあんなところに?」

「誰から隠れていたんだろうねぇ」


 にっこり笑うディーナさん。

 だが、その深海を思い起こさせる青い目は笑っていなかった。


「そ、それよりも朗報よ! ア、アルクきゅん!」


 ごまかした。今、絶対にごまかしたぞ、このエルフ。

 どうもディーナさんに対し、苦手意識でもあるみたいだ。


「故郷からいっぱい豆が届いたわ。これでひさしぶりに豆料理が――じゃなかった種まきができるわよ!」

「……今、食べる気でしたよね」


 現状、豆を手に入れようと思ったらエルフの国から買うしかない。注文したとしてもいつ入るかわからない。いくら故郷の料理とはいえ食べるのはほどほどにしてもらわないと困るのだ。

 ちなみに今回届いたのは大豆やアズキなど各種豆類のほか、小麦で作った乾麺もいくつかあるそうだ。


「お願いですから畑にまく前に食べないでくださいよ」

「ふっふっふ。安心して! リアルルに頼んでエルフの国とハーブ園をつなげてもらったの。これでいつでもエルフの国にいけるわよ!」

「つなげてもらったって……お屋敷の木から彼女のハーブ園につないでもらったときのアレですか」


 アレとはドリアード特有の魔法で、木と木の空間をつなげることができる『執事ゲート』に似た移動魔法だ。ハーブ園に招待されたお嬢様のため、リアルルさんが用意してくれたのだ。お屋敷にあるかしの木から入り、出た場所が一面の草原だったことに驚いたのは、つい先日の出来事だ。


「そう! 交流会が行われていたころに使っていたものを再接続してもらったの。これならエルフの巫女にもすぐ会いに行けるし、食材の仕入れもいつでも可能よ」


 なんと!

 それはありがたい話だ。ニーナさんに『世界樹の朝露』の話を聞いたとき、「移動に関してはちょっと考えがある」といっていた。どうやらその考えとは、リアルルさんにお願いしてエルフの国とハーブ園をつないでもらうことだったようだ。今のところ、これを使えるのは『妖精の祝祭』のヨヨさん、ニーナさん、それに僕だけらしい。


 先日、侯爵家とハーブ園をつないだかしの木は、今も侯爵家の庭とハーブ園をつないでいる。侯爵様がリアルルさんたち精霊に対し、いつでも侯爵家の庭に出入りできるよう許可を出されたのだ。またこちらからもハーブ園に出入りできるようになっている。ただし、ハーブ園に入れるのは、お嬢様とシュリー、侯爵様御夫妻とごく一部の使用人、ヨヨさん、ニーナさんだけだ。ごく一部の使用人にはセイバスさんと僕、それにイーラさんとレイゴストさんが含まれている。それ以外の者は使えない仕組みになっているそうだ。


「なんだ。アルクくんはドリアードのリアルルとも知り合いかい」

「はい。最近知り合ったばかりですが」

「きみは魔族なのにずいぶんと変わってるね。味覚があるだけでもおかしいのに、水田のことを知り、妖精やエルフ、それにフェニをはじめ、わらわたち精霊の知り合いも多い。きみはいったい何者なんだい?」


 そういって青い瞳を僕に向ける。

 その目を見ていると日の光も満足に届かない海底に体ごと意識を引きずり込まれそうな気分になる。それは僕の心の中すべてを探ろうとしているかのようだった。


「アルクんはアルクんよ」

「そりゃそうだが、少し不思議に思ってねぇ」

「不思議もなにもただの執事ですよ」

「いや、執事が耕作してる時点で不思議だよ?」

「それよりディーナ様。なぜここにいらっしゃるんですか?」


 ニーナさんが尋ねた。どうやら上位精霊であるディーナさんが魔王国にいるのが気になるようだ。

 横槍を入れられたにも関わらず、ディーナさんは彼女の問いに答える。


「あー、フェニに米をアルクくんに届けてやってほしいと頼まれてね。それと農業指導さ」

「農業……指導ですか」


 引きつった顔のニーナさんが勢いよく後ずさりをした。

 その距離およそ二歩である。

 彼女は間違いなく『指導』という言葉に反応していた。


「そんなことより水田を見に行こうじゃないか。さぁさぁ。案内してくれたまえよ。ニーナもついてくるがよい」


 そういうが早いかディーナさんは郊外へ続く道を歩きだす。僕らは苦笑しながら彼女のあとを追った。巻き込まれたと渋い顔をしているニーナさんは僕の隣に並んで小声で話す。


「ディーナ様の指導はね。それはもう過酷なのよ。同じ精霊に対しても厳しいし、水の精霊魔法を習いに行ったエルフの間でも有名な話なの」

「ニーナさんもご経験が?」

「もう二度とごめんだわ。でもそのおかげで水の精霊魔法は得意になったけどね」

「もしかして農業指導もそうなの?」と頭の上のヨヨさんが聞いた。

「覚えが悪かったりさぼったりすると頭を残して土に埋められるらしいわよ」

「うわ~」


 確か大神官さまも神殿にいる神官を鍛えすぎたと聞いている。今では神官長に鍛錬禁止を言い渡されているご身分だ。大神官様の場合は闘いたかっただけだろうが、精霊というのは限度という言葉を知らないのだろうか。


 今回、実際に野菜やお米を育てるのはゴブリン族だ。そのためディーナさんにはゴブさんを中心に指導してもらうべきだろう。うん、それしかない。僕には稲作の知識も技能もあるから、これ以上の指導は必要ない。いやぁ、ディーナさんの指導を受ける必要がないとは残念だ。

 これもすべて知識と技能をくれた白の賢者様の『せい』だ。ありがとう、白の賢者様。数少ない僕の感謝を受け取ってください。


「ほれ! 早くこんかね! お米が皆を待っておるぞ」

「アルクくん、先に行ってて。ついでに届いた豆を持ってくるから」


 そういってニーナさんはそそくさと僕たちから離れた。逃げたわけじゃないと思うが、逃げたら逃げたでどうなるかはニーナさん本人が一番よくわかっているだろう。


 果たして僕が作った水田はどう評価されるのだろうか。少なくても畑で待っているゴブさんの災難が続くのは確定だ。ゴブさんが明日の太陽を拝めるよう祈りながら、僕たちはウスイの街を出るのだった。



 しばらく道を進むと畑のすぐ近くを流れるレインウォーター川が見えてくる。流れる水の音が耳に心地よい。底は深く、水量も豊富なレインウォーター川には今も何隻もの船が行き来していた。


 畑に着くとゴブさんが僕を待っていた。

 僕の姿を見つけたゴブさんが駆け寄ってくる。


「もう! 遅いッスよ。アルクく……ん?」


 呼びかけてきた彼が唐突に止まった。

 その目が僕とディーナさんを見比べている。わなわなと震えだしたゴブさんは僕を指差しながら大きな声をあげた。


「ぎゃああああ! アルクくんが幼い女の子をさらってきたッス! 事案発生ッス! 早く衛兵を呼ぶッス! 誘拐魔族がここにいるッス! あっ、おいら兵士だったッス! え? おいらが捕まえるッスか?」

「誰が誘拐魔族か!」


 畑に到着するなり暴言を吐きまくるゴブさんに軽く脳天チョップをお見舞いする。ゴブさんの頭が陥没したように見えたが、多分気のせいだろう。大きく腕を振りかぶり、全体重をかけながら、軽く頭に振り下ろしただけだ。

 頭を押さえたゴブさんが地面の上で右へ左へと転がっている。それは実に大げさな反応だった。


 (あれ? 動かなくなった?)


 活動を停止するゴブさんを見るのは今日、二回目だ。きっと『妖精の奇跡』の影響が残っていたのだろう。


「「「「ゴブリアーノ様!」」」」

「お腹減ったゴブ」


 おっと。ゴブリンキングチームのゴブレンジャーもこの場にいたようだ。黄色のスカーフを巻いたゴブイエだけは今日もブレていなかった。さすがはゴブイエ。黄色担当のことだけはある。


「なんだい。元気な子たちだね」


 ゴブさんやゴブリンキングたちを見て、元気な子と呼ぶディーナさん。その目は完全に近所のいたずら坊主を見るおばあちゃんの目だった。


 とりあえずゴブさんの介抱はキングたちに任せるとして、まずは完成した工場や畑の確認だ。


 最初に確認したのは食品加工用の工場兼倉庫だ。横長の平屋建てで大きさは畑三枚分くらい。水路も工場に引き込まれている。ここでは出荷する野菜を洗浄したり、加工食品を作ったりする予定だ。倉庫は別で用意するつもりだったが、隣に倉庫があったほうが楽ということでくっつけた。将来的にはマヨネーズなどを生産する予定だが、あいにくと酢がないのですぐに取りかかれない。その証拠に工場内には作業台がいくつか置いてあるだけだ。今しばらくは収穫した作物の倉庫として使うことになる。


 続いて畑に目を向ける。

 視察に来たときには雑草が生い茂り、辺り一面緑だった。そこに現れた十メートル四方の畑は土色だ。その数は指定したとおり、縦に二列でそれぞれ四枚ずつ並んでいる。余分な雑草は刈り取られ、ゴブリン族によって耕された正方形の畑は緑の草地と土色の対比が実にきれいだった。緑のキャンパスに描かれた土色の格子模様といったところか。

 また、丁寧に耕された土はまるで極上のじゅうたんのようにふかふかだった。もちろん雑草の根や小石ひとつ混ざっていない。しっとりした土は適度な水分を含み、かなり肥えていることが感じられる。これなら立派な野菜が育つはずだ。すでに畑にはうねが作られており、いますぐにでも種まきができるだろう。


 畑と畑の間には石で組まれた水路が作られており、レインウォーター川の水が引かれていた。水路をのぞいてみるとすでに小さな魚が群れをなして泳いでいる。これはレインウォーター川の魚影が濃いことである証拠だ。


 最後に水田だ。畑から少し離れた場所にある四枚の水田には、すでに水が張られている。太陽の光がその水に反射して輝いていた。遠目ではあるが水田もまた見事な完成度だ。まわりにはあぜ道も用意されており、僕が参考にと作った水田と遜色そんしょくない出来だった。


 その水田のかたわらには、いつのまにかディーナさん立っていた。すると彼女は一番手前の水田へと飛び込むように足を踏み出す。そのままの勢いで足をつけば、泥に足をとられてしまうだろう。そう心配して駆け出したのだが、どうも様子がおかしい。彼女の足が水面についたとき、水の跳ねる音も波紋も一切なかったのだ。しかも、よく見れば彼女の足は沈むことなく、水田に張られた水の上をまるでスケートのように滑っていた。そして彼女は何かを調べるように水田の中を一周する。その姿はまるで水が流れるがごとく滑らかで優雅だった。

 僕たちが水田に着くと彼女は満足げな表情を浮かべてうなずいた。


「うん。なかなかすばらしい水田だ。ちゃんと水量を調整する水口みずぐちも用意されている。できたばかりでまだ若いが申し分のない水田だよ」


 どうやらお米が大好きな精霊からもお墨付きを得られたようだ。

 出来栄えを褒めてくれた彼女は軽く水面を蹴り、水の上を滑る。そして水田の中央まで進んだ。何をするつもりなのか見ていると、彼女は手のひらを水面に近づけて何やら祈り始めた。それはまるで何かの儀式のようだ。そのまま様子を見ていると、「わぁん」という音とともに大きな波紋が水田に広がった。

 ディーナさんの手のひらを中心に広がった波紋はあぜにぶつかって跳ね返る。跳ね返った波紋は押し寄せる波紋とぶつかり合い、より複雑な紋様を描いていった。それは水田全体に広がっていき、やがてゆっくりと消えていく。

 そして彼女はほかの水田にも同じような儀式を繰り返すのだった。


「ディーナさん。いまのは?」

「水田に祝福を与えておいた。これでしばらくは大豊作が約束されるだろう」


 先ほど彼女が行ったのは豊作祈願だったようだ。前世でも田植え前には豊作祈願の神事が行われていた。それと同じようなものだろう。しかも水の精霊自ら行ってくれた豊作祈願だ。御利益が約束されたのも同然である。お嬢様に美味しいお米を食べていただける日も近い。


「ありがとうございます!」

「かまわんよ。ところでどんな種類の米を育てるつもりだい?」

「え? 何種類もお持ちなんですか!」

「当たり前だろう。わらわを誰だと思っているんだ。お米大好き水の精霊だよ?」


 その自信は堂々たるものだった。ただ、お米好きはともかく水の精霊とお米の種類は関係ないと僕は思う。


「そうですね。水田が四枚あることですし、四種類は欲しいですね」

「ふむふむ。どんな米がいいかね」

「そのまま炊いて食べるために少し粘り気のあるものを一種類。いためたり加工したりするのに最適な粘り気のないものを一種類。あとはもち米があるとうれしいですね。残りはディーナ様おすすめの品種をお願いします」

「なるほど」


 僕の言葉にディーナさんは口元に笑みを浮かべた。


「やはりキミは不思議な子だ。米を見たのは初めてといいながらずいぶんと米の特性に詳しいじゃないか」


 あれ? もしかしてひっかけられたのか?

 米がいくつもあると聞いたことでかなり浮かれてしまったようだ。


「それにもち米まで知っておる。本当にキミは何者なんだろうね」


 前世の記憶を持ったまま白の賢者様に知識と技能を授かって魔族に転生したお米が主食だった国の元人族です、とはさすがにいえない。


「まあいいか。お米好きに悪いやつはいないし」


 僕の心配をよそに軽い口調で流すディーナさん。そんなあっさり流していいのかと僕のほうが心配するほどあっさりとしたものだった。お米で例えるなら、おかゆ並にあっさりしている。


「では、粘り気のある『フォーリンラブ』。粘りの少ない『スパークリング・サン九十七』。もち米の『モチプリンセス』。そしてわらわがおすすめの『ドラゴンアイ』がいいだろう」


 それぞれの名前から米の特性を想像する。どこかでなんとなく聞いたことのある品種ばかりだ。多分、僕が希望したタイプの品種で間違いない。どれも強烈な名前だが、ディーナさんおすすめの品種はドラゴンの名前までついている。本物のドラゴンとはまったく関係ないだろうがインパクトはすごい。


「試食用の米も用意したから味見したあと決めてもいいさね。ほかにもいくつか苗と種籾たねもみを持ってきたよ」

「本当ですか! それはうれしいです! ぜひお嬢様や侯爵様にも食べてもらいたいですね」

「それはかまわんが、キミと違って彼女たちは普通の魔族だろう?」

「仕えるお嬢様方をさしおいて僕だけいただくわけにはいきませんから」


 今はお嬢様の味覚のことは黙っておく。

 お嬢様のことをディーナさんに話すのは侯爵様であるべきだ。


「それもそうか。あとでティリアちゃんにも食べてもらおうかね」

「ぜひお願いします。それと今回は先ほどご紹介いただいた品種を植えたいと思います。ディーナさんがおっしゃられた品種なら間違いないでしょう」

「そういってくれるとうれしいねぇ」


 とりあえずゴブさんが復活してから、早速田植えに入ろうと思う。ニーナさんが取りに行った豆の種も植えなければならない。それまではしばらく休憩だ。


「ディーナさんありがとうございます。それに大神官様にも感謝しなくてはいけませんね」

「んー。フェニに感謝するのはいいが、彼女は相手を選ばず闘いを申し込む。感謝の礼に戦えと言われないよう気をつけてな」

「さすがよくご存知で。すでに目をつけられていますよ」僕は苦笑して答えた。

「ほう。キミはフェニに目をかけられるほどの実力を持っているのか」

「どうなんでしょうね。到底勝てる気はしませんが」

「アルクんは強いわよ」


 ヨヨさんが余計なことをいった。

 もしディーナさんが大神官様と同じ病気(戦闘狂)だったらどうするつもりだろうか。


「誰であろうと実力を認めたものに闘いを挑もうとするのはフェニらしいね」


 そういってディーナさんはニンマリと笑った。

 彼女は大神官様と同じ病気ではないようだ。

 ホッと胸をなでおろす。


 火の精霊でパン派の大神官様と水の精霊で米派のディーナさん。雰囲気などは似ているが、二人の関係は文字通り火と水の関係なのだろうか。

 それとなく大神官様との関係を聞いてみる。


「そうだねぇ。腐れ縁ってやつだよ。一緒に旅をしたこともある」

「仲がいいんですね」

「まあね。あー、そうそう。一緒に人族の国に行ったとき、ゴミだらけの汚い川を見て最初に怒ったのはフェニだった。水の精霊のわらわより怒るのが早かったくらいだ。あのときは人族の街を灰にしようとするフェニを必死に止めたものさ」

「そりゃまたなんで?」とヨヨさん。

「さぁねぇ。わらわが怒ると街から水が枯渇こかつするか、水の底に沈むと思ったのだろう。フェニは泳げないからね」


 物騒な話である。どこの世紀末だろうか。

 川が汚れていたからという理由で街を灰にされたり、街ごと沈められたりしては方舟を用意する暇もない。とりあえず上位精霊を怒らせてはならないと覚えておこう。魔族の僕との約束だ。


「つかぬことをお聞きしますが人族の国の食糧事情ってどうなんでしょうか」


 修行で人族の国に行く予定があるし魔王国にちょっかいを出していた人族の国タイゲンのことも気になる。毒のない食材を探すのであれば、できるだけ情報を得ておきたかった。


 ディーナさんは、人族の国に行ったのは今からだいぶ前だよと前置きしてから話しだした。だが、彼女から返ってきた答えに僕は悩むことになる。


「簡単にいうならよくなかったね。ほかの種族が争いをやめたなか、彼らだけは違った。人族は他国から水と食料を奪うことしか考えていない。百年以上も前から各地で争いごとが続いているんだよ。川は干上がり、水ではなく血が流れている。大地は荒れ、風は腐臭を運び、炎が街と文化を焼き払う」


 なんということだ。

 ふと脳裏に王都にある碑文の内容が浮かんでくる。

 碑文は百年以上前にロシュロス陛下の子孫が残したものだが、その一節にはこう書かれていた。



 ”欲に忠実な人間はにらみ合い、火種を持って天秤てんびんを傾ける。”



 平和という名の天秤を戦火で揺らす人族。百年以上経った今も、彼らは碑文に書かれたとおりの愚行を繰り返していたのだ。


 そのような状態で毒のない食材を探すことはできるだろうか。荒れた土地では食材は育たない。だがそれでも毒のない食材が見つかる可能性は捨てきれない。


「今も争いは続いているのでしょうか」

「最近はどうだろうね。でも人族のことだ。多分変わってないさね」


 これは警戒を持って人族の国に行く必要がありそうだ。


「各地で起きていた争いのせいで食料は不足気味だった。まあ、お偉いさんはそうでもなかったようだが」


 格差はどこの種族にもある。魔族だって例外ではない。

 なにせゴブリン族は木の根を食べているくらいだ。ただ、魔族の場合は食事に関心がなかった。魔力さえ補給できればなんでもよかったのだ。だからこそ毒のある食材も平気で口にしている。食事の内容に無関心で鈍感だったからこそ木の根を食べていられたのだ。そういう意味では人族よりマシだったといえよう。


 その点、味覚を持ち、毒に弱い人族にとって食料不足は深刻な問題となる。味覚は本来、食べても大丈夫なものなのか判断するセンサーともいえる。味がわかるがゆえに、まずいものが食べられない。無理して食べたとしてもそれは苦痛にしかならない。味覚のあるなしも良し悪しなのだ。もちろん毒を無効化できない人族は、魔族と違い、毒のある食材は食べられない。


「大変なのはお偉いさん以外の庶民さね」


 話を聞いて僕は悩む。

 人族から魔族に転生した今、正直、人族が争いで死のうが殺し合おうが魔族の僕には関係ない。それになんとも思わない。元人族だからといって特別な感情はないのだ。

 そんなことより毒のない食材が争いによって犠牲になっているのではないか。お嬢様が食べることのできる食材が減っているのではないか。そっちのほうが気になった。今の僕にとってそのほうが深刻な問題だ。いっそのこと人族の国からすべての食材を回収したほうがいいのではないか。そんな気持ちにもなってくる。


「ところでアルクくん。なぜ人族の食糧事情なんて聞いたんだい?」

「執事修行の一環として様々な種族の国に行く予定があるんですよ」

「はい? 執事の修行をするのに他国へ行く必要はないだろう?」

「いえ、執事たるものお嬢様のために広い見識を持つことが必要です」

「広すぎじゃないかね。第一、魔族が人族の国で生活するのは――アルクくんなら見た目だけは人族に見えるか」


 ディーナさんの言葉通り、高位魔族のひとつ純魔族ともなれば人族の容姿とほとんど変わらない。大きな違いといえば赤い瞳や角だが隠しておけばまずバレないはずだ。それに僕の場合はフォメット族だ。フォメット族の特徴である黒目、黒髪は人族でも珍しくないらしい。しかも角は生えていないし、見た目だけは十歳の子供だ。魔力を抑え、ハーブ園のときみたいに角が出ないよう気をつけておけばバレることはない。十分、人族の子供として通じるだろう。


「ううーん。こ、ここは……」

「「「「「ゴブリアーノ様!」」」」」


 どうやらゴブさんが復活したようだ。ゴブリンキングたちが駆け寄り、ゴブさんを囲う。当の本人はきょろきょろと辺りを見回している。

 そんな彼と目が合った。


「先週まで五分五分(ゴブゴブ)の強さだったはずなのに、一週間ちょっとで抜かれてるッス。この一週間でアルクくんに何が起きたッスか」


 侯爵領内を駆け回って食材を集めたり、商談したり、ハーブ園でブチ切れたりしてましたよ。はい。


「それでも僕たちはズッ友ッス」

「もちろんだよ。――って、ゴブさん! 後ろ!」

「はい?」


 それは突然現れた。

 目を覚ましたゴブさんとゴブリンキングの後ろに、空から緑色の影が降ってきたのだ。気配もなく現れたその影は音もなく着地すると、カマのような腕をゴブさんたちに向かって振り下ろした。空気を裂く音がゴブさんの首に吸い込まれる。


 ギンッ!


「あっぶな!」


 どうやら間に合ったようだ。

 影がゴブさんを狙ったとき、『執事箱』でゴブさんとゴブリンキングたちを囲ったのだ。ただ、少し焦ったせいかサイズが少々小さかった。『執事箱』の中ではゴブさんとキングたちが押し寿司のようになっている。比較的身体の小さいゴブさんは倍以上の体格を持つゴブリンキングに挟まれ、手と足しか見えない。


 突如現れた緑色の影。

 その影の正体は、なんと三メートルを超える巨大なカマキリだった。川の対岸にあるモフォグ大森林からやってきたのだろうか。気配もなく川を飛び越えてくるとは恐ろしい魔物だ。

 最近、街まで流れてくる魔物が増えている。だが、街のすぐ近くに現れるのはめずらしい。魔物もよほどのことがないかぎり、魔族が住む街に近寄ろうとはしないからだ。


「ヨヨさん。ディーナさん。離れててください!」

「アルクんも気をつけて!」僕の声に従い、ヨヨさんが離れる。

「ゴブさんたちは僕が結界を解除したらそいつを逃さないようにしてください」

「ぷはぁっ! わかったッスよー」


 ゴブリンキングたちの間から顔を出したゴブさんが返事をする。それを確認した僕は『執事箱』を解除。ゴブさんたちは寿司詰め状態からすばやく体勢を整え、手近に落ちていた武器となりそうなものを拾う。彼らは半円状に散らばると巨大カマキリに向かって武器を構えた。兵士隊長のゴブさんは腰に下げていた剣を抜いたが、ゴブリンキングたちが持っているのは畑を耕すのに使っただろうクワやスコップなどの農具だ。少々、武器としては物足りない。


 最初に動いたのはクワを持ったゴブリンキングだ。

 首に巻いた赤いスカーフがひるがえる。


「うらぁっ!」


 ゴブリンキングは気合の掛け声とともに巨大カマキリに向かってクワを振り下ろす。巨大カマキリはそれをわずらわしそうに自身のカマで横に払った。振り下ろされたクワがカマキリのカマに当たる。その瞬間、ガキンという音が響き、ゴブリンキングの握るクワがカマキリのカマに跳ね返された。


「なんという硬さゴブ!」


 攻撃をしたゴブリンキングが手をさすっている。カマキリの外骨格は以前戦ったキノコムシ同様かなりの強度を誇るようだ。


「無理に攻撃せず、牽制けんせいに集中。一定の距離をとってください。カマの間合いに注意!」

「おうッス!」


 ゴブさんたちに指示を出し、執事魔法で使えそうな魔法を考える。以前、キノコムシに使った『執事ボイス』が無難だろう。僕が魔法を使おうと思ったそのとき、ディーナさんが気の抜けるような声をかけてきた。


「なんだ? そのカマキリ飼ってるん(ペット)じゃないのか」


 いやいやいやいや。飼わない、飼わない。

 飼えるはずもないし飼いたくない。

 相手はモフォグ大森林に住んでいる魔物だ。


「てっきり懐いているのかと思ったよ。ほら、ペットってご主人様にじゃれるとき飛ぶように走ってくるよね?」


 彼女のいうペットが何をさしているかわからないが、どうやらディーナさんはカマキリの接近に気がついていたようだ。

 一応いっておくが、「飛ぶように」ではなく、まさに、「飛んできた」のだ。それにじゃれあうたびに四肢が飛ぶようなペットはご遠慮願いたい。それに巨大カマキリが真っ先に狙ったのはゴブさんの首である。ペットは飼い主の首を狙ったりはしない。


「てっきり草刈り用に手懐けたと思っていたねぇ」

「確かに便利そうですが、刈るのは草だけじゃないと思います。って、ちょっと! ディーナさん! 危ないですから離れて!」


 ディーナさんが巨大カマキリに向かってぴょこぴょこと歩き始めたのだ。

 僕の心配をよそに彼女はのほほんとした態度だ。


「ここは任せておくさね」


 僕の警告を無視したディーナさんは手を後ろに組んだまま、巨大カマキリへと足を進めた。自分の何倍もある巨大カマキリを相手に無防備すぎる行動だった。歩みもどこか危なっかしい。


 カマキリは近づいてくるディーナさんに首をひねりつつ、大きな複眼を向けている。ディーナさんは獲物を狙うカマキリの目に対し警戒した素振りすらみせない。そしてカマキリの間合いに入ったところで足を止める。


 刹那せつな、カマキリが動いた。

 それは本能めいた反射的な行動だった。

 ディーナさんが間合いに入って停止した瞬間、カマキリはその鋭いカマを彼女に向かって振り下ろしたのだ。


 だが、カマキリの凶刃は彼女には届かなかった。


――チュインィィ。


 突如甲高い音が大気を揺らした。続いて聞こえたのは何か重いものが地面に落ちるドンという鈍い音だ。そこには根元から断ち切られたカマキリの腕があった。まだ神経が生きているのだろうか。カマの部分が獲物を切断しようと地面で動いている。だが、その動きもすぐに止まった。


 一瞬の静寂。


 (なんだ、今のは……)


 何か光るものが空から落ちてくるとともに甲高い音が響いた。そして気づけばカマキリの腕が地面に落ちていたのだ。


 見覚えのある腕が地面に落ちている。カマキリは不思議そうに首をひねった。痛覚が鈍いのかそれ以上の反応はない。

 だが、その腕が自分のものだったことに気がつくと怒ったように残ったほうのカマを振り上げた。同時に体を起こし、大きく羽を広げる。ぶぶぶっと羽を激しく震わせる音が辺りに響く。


 カマキリ自身、なぜ自分の腕が落ちているのかわかっていないだろう。しょせんは虫だ。それでも何者かの攻撃を受けたことは把握していた。その怒りの矛先は目の前にいるディーナさんに向けられ、彼女を激しく威嚇する。


 彼女に矛先を向けたのはたまたま目の前にいたからだ。しかしその矛先を向けた者こそがカマキリの腕を落とした張本人であることは間違いではなかった。そのことをカマキリが理解することはないだろう。


 残ったもう片方のカマを振り下ろしたとき、それがカマキリの最後となったからだ。


 先ほどと違い、光とともに聞こえてきた甲高い音はひとつではなかった。その音は幾十、いや幾百も連続して空から聞こえてきたのだ。


 僕はその正体を知る。

 それらは太陽の光を反射して輝く大きな水滴だった。水滴はその身で空気を切り裂きながら一条の光となり、雨のように、そして槍のようにカマキリへと降り注ぐ。空気をも穿うがちながら、カマキリの体を、羽を、腕を、足を、そして頭を次々に貫いていった。


 しばらくして空気を裂く音が止む。

 巨大カマキリはピクリとも動かない。

 それもそうだろう。僕たちの前にいるカマキリには百を超える無数の穴があいているのだ。手足や羽はバラバラに吹き飛び、頭は半分ほどが消失している。かろうじてバランスを保っていたカマキリの死骸はゆっくりと崩れるように倒れていった。


 しかし、それだけでは終わらなかった。


 ディーナさんが、「ひゅっ」と短く口笛を吹くと、地面が揺れ、近くを流れるレインウォーター川に一本の水柱が上がった。高さ二十メートルを超える巨大な水柱だ。その水柱の最上部には触手のようなものが何十本もうごめいている。それはまるで水でできたイソギンチャクようだ。イソギンチャクは召喚された魔法の生物のようであり、僕が知らない未知の生物のようにも見えた。


 ディーナさんが再度口笛を吹く。

 その音を合図に不規則にうごめいていた触手たちが一斉に僕たちへと向かってきた。その勢いに思わず慌てて身構えたが、触手は僕たちを避けるように素通りした。

 触手が向かった先にあるのは巨大カマキリの死骸だ。それらは争うように死骸へと群がり、狂気乱舞しながら獲物に絡みつく。ある触手はほかの触手がつかんだ残骸をさらに細かく引き千切り、横取りしていった。そして獲物を手にした触手たちは水柱のいただきへと残骸を運んでいく。その光景はカマキリの残骸を水柱にわせているかのようだった。


 まさにあっという間の出来事だった。

 カマキリの残骸は触手たちによってひとつ残らず川へと引きずり込まれた。すでにイソギンチャクのような水柱は消えている。カマキリの死体があった場所には何も残っていなかった。そこには無数の穴があいた地面があるだけだ。その穴の周りは雨が振ったようにしめっていた。


 ディーナさんが使った水の魔法は、魔力が上がり、威力が増した僕の『執事シャワー』によく似ていた。だが、彼女の魔法はその『執事シャワー』よりも数段高い威力だ。そしてなにより何百もの水滴を同時に操作してみせた。


 それだけではない。

 もっと恐ろしいのはレインウォーター川に出現したイソギンチャクのような水柱だ。召喚魔法のように思えるが正体はわからない。口笛ひとつで巨大な水柱を操るディーナさんの実力は計り知れない。少し前の会話で、「人族の街を水の底に沈める」なんて話をしていたが、彼女が本気を出せば十分可能だと確信が持てた。

 それにあの触手たちだ。もし僕たちに矛先が向かっていた場合、カマキリの残骸と同様、川へと引きずり込まれていただろう。あのとき身構えたのは、触手一本一本に強い魔力を感じたためだ。


「とんでもない威力ね」

「さすがは水を司る上位精霊といったところでしょうか」


 ヨヨさんが僕の頭に着地しながらつぶやいた。

 その口調からはずいぶんと余裕が感じられる。たびたび魔物や悪魔とのゴタゴタに巻き込まれているヨヨさんだが、そこにおびえや恐怖はあまりないようだ。


「あー、しんど」


 そうこぼすディーナさんだが彼女の立っている位置はカマキリの間合いに入った位置から少しも変わっていない。本人は最初の攻撃以降、一歩も動いていないのだ。ディーナさんはこきこきと首を左右に振りながら、カマキリの残骸があった場所から少し離れた場所に目をずらす。


 彼女の視線の先には半円状に設置されたゴブさんとゴブリンキングたちの彫像があった。いや、彫像のように固まるゴブさんたち、が正しいか。一応いっておくと、ゴブさんが動かなくなったのは本日三回目だ。

 どうも先ほどの光景がショックだったらしい。ゴブさんが倒れても、「お腹減ったゴブ」といったゴブイエすら固まっている。


 カマキリがみるみる穴だらけになり、無数の触手が残骸に群がるという、お食事中の方々には見せられないグッチョでゲッチョなシーンであったことは間違いない。そんな光景が目の前で繰り広げられればショックのひとつも受けるだろう。あの光景に平然と耐えられるのは歴戦の戦士や肉屋、それに執事くらいだ。


「やれやれ。さっきまでの元気はどこにいったんだい」


 あきれたようにつぶやくディーナさん。


 そこへやってきたのはニーナさんだ。

 先ほどまでの緊張感にそぐわない爽やかな声をかけてくる。


「おまたせー。豆を持ってきたわよー。あとショウガもあったから持ってきたわ」


 その声にゴブさんたちが我に返った。

 豆やショウガがどんなものかわからないだろうが、食材で正気に戻るとかゴブリンも現金なものだ。今はキョロキョロと辺りを見回している。きっと触手がいないかどうか確認しているのだろう。


 袋を地面に降ろしたニーナさんは、「今の時期に植え付けするものを中心に持ってきたわ」と笑顔でいった。袋の中には大豆、アズキ、インゲン、ラッカセイ。それにショウガが入っている。また今回届いた豆などは僕が思っていた以上にあるらしい。お店には各種の豆のほか、ニンニクもあるそうだ。ニンニクの植え付けは秋になってからだが今から楽しみである。


「なにかあったの? みんな表情が固いけど。特にゴブリンさんたちの顔色が悪いわ」

「いえ。特に何も」


 わざわざ話す必要もない。それに説明しようとすると触手の話をしなければならない。そうなるとまたゴブさんたちの精神的な何かが削れてしまう。


「ところでこの畑と水田は誰が面倒をみるんだね?」


 ディーナさんの問いに対し、僕の視線は自然とゴブさんたちに向く。


「そこにいる侯爵様の信頼も厚いゴブさんたちゴブリン族の皆さんです」

「ほほう。根性とともに鍛えがいのある連中さね」


 なぜか首を左右にプルプル震わせるゴブさんたちだったが、侯爵様の信頼が厚いといったのはゴブさん本人だ。その信頼に答えるためにも頑張ってほしい。ディーナさんもゴブさんたちを触手のエサにするようなことはないだろう。何の保証もできないが大丈夫だ。


「なぜ震えておるのかねぇ」

「きっと武者震いかなにかでしょう」

「と、ところでおいらたちは何を育てるッスか?」


 ディーナさんにゴブさんが恐る恐る聞く。

 そういえば彼には何を育てるのか話してなかったか。


「ふむ。まずは自分たちが育てようとしている米がどんなものか知る必要があるね」


 そう言ってディーナさんが『空間』から何かを取り出した。精霊ともなると空間魔法も使えるようだ。彼女が取り出したもの。それは緑の葉っぱに包まれたおにぎりだった。それぞれに二個ずつおにぎりが入っている。彼女はおにぎりお弁当を空間から取り出しては皆に配る。ゴブさんたちゴブリン族は震える手でおにぎりを受け取っていた。


「ほれ。アルクくんもたべてみるさね」

「いただきます」


 僕は受け取ったおにぎりにかぶりついた。ひさしぶりに食べる米の味は昔の記憶と寸分違わずかめばかむほど甘味が口に広がってくる。むしろ前世で食べたものより美味しく感じた。単純な塩にぎりであったがほのかに感じる塩加減がより米の甘さを引き出していた。なにより米の炊き加減が絶妙だ。

 その感動が自然と口から出る。


「うまい! ものすっごく美味しいですよ! ディーナさん」

「そうかい、そうかい」


 ディーナさんは目を細め、うれしそうにうなずいた。


 ただ、甘党種族ヨヨさんの口には合わなかったようだ。彼女のしぶい顔にディーナさんも苦笑いしている。

 そこに響いたのはゴブさんの声だ。


「うおぉぉぉ! なんッスか! これは! かめばかむほど甘くなるッス! それに魔力の吸収も早い気がするッス」


 ゴブさんは僕以上に感動していた。感動のあまり、おにぎり片手に立ち上がっている。米の甘味がわかるのは、今朝試した『妖精の奇跡』のおかげだろう。そんな彼の姿を見て困惑しているのは味のわからないゴブリンキングたちだ。


 またゴブさんのいうように魔力も豊富に含まれていた。花蜜ほどではないが、ほかの食材に比べても魔力が多いようだ。魔力の吸収速度が早いのもうなずける。


 感動するゴブさんを見て怪訝けげんそうな顔をしたのはディーナさんだ。


「おや? アルクくんと同じように味がわかる魔族がほかにもいたのかい?」

「そのあたりの話は侯爵様を交えてあとからご説明したいと思います」

「ふむ。興味があるね。それにいろいろと事情がありそうだ」


 どうやらディーナさんの興味をひけたようだ。

 長い間生きている精霊のこと。食材に関する情報も持っている可能性が高い。お嬢様のためにもぜひ彼女の協力を仰ぎたいところだ。


「お米っていったッスか。これはゴブリン族の総力を結集させて育ててみせるッス」

「おやおや。ずいぶんと気に入ったようだねぇ」

「ご指導よろしくお願いするッス!」


 ゴブさんが頭を下げるとゴブリンキングたちも立ち上がり、頭を下げた。残念ながらゴブリンキングたちは味がわからない。それでもゴブさんが決めたことに異論はないようだ。貧相な食事を続けているゴブリン族にとって、米は彼らの食料事情を改善するすばらしい食材となるだろう。


「食べ終わったら、早速種まきと田植えをしようかね」

「頑張るッス!」



 こうしてディーナさん指導の元、ゴブリンたちによる第一回魔王国田植え祭りが開催された。ゴブさんが新たに呼び出したゴブリンたちが田植えと畑作業を手伝う。


 ディーナさんが前もって苗を用意してくれていたことと熱心な指導(スパルタ)のおかげで、田植えはあっという間に終わった。見た目だけではわからないが水田ごとに違う種類の米の苗が植えられている。

 もちろんゴブさんと『普通』のゴブリンも頑張った。


 ゴブリンキングたちは畑作業のみに集中した。彼らは残念ながら田植えには向かなかったのだ。それというのも彼らが重すぎたせいだ。ゴブリンキングの大きさは僕やゴブさんの倍以上もある。体重はそれ以上だ。そんな彼らは水田に足を踏み入れた途端、泥に足をとられ、かかしとなって使い物にならなかった。ディーナさんに埋められる前に、自ら埋まっていくスタイルとは恐れ入った。

 結果として田植えは体重の軽い普通のゴブリンが選ばれることになった。失敗から学んだ教訓である。


 水田と畑のわきにゴブリンが数十体、首だけを出して生き埋めになっていた。すべてはゴボウをかじりながらさぼっていた彼らが悪い。


 『ゴブリンは水田や畑でとれる』

 そんな噂が出る日も近いだろう。


 ゴブリンキングが担当した畑だが、こちらは様々な作物が植えられた。

 エルフの国から届いた各種豆とギルムさんからもらったジャガイモ、サツマイモ、サトイモなどのイモ類だ。


 腹が減ったとうるさいゴブイエにサツマイモを焼いて食べさせたら、ほかのゴブリンキング以上に働いた。「サツマイモはおいらが育てるゴブ」と張り切っていた。どうやらホクホクする食感にハマったらしい。味がわかるようになればもっと好きになるだろう。


「ところでアルクん。よかったら『歌う』けど?」


 ヨヨさんが、『歌う』といったのは『呪歌』のことだ。彼女たち妖精が使う呪歌は、種がなくても花を咲せられる。またアルティコ伯爵家の執事であるヒトニスさんのように、種をまけば花を咲かせるところまで成長を早める呪歌も使えるのだ。


「ありがとう、ヨヨさん。でも今回は自然に育つかどうか試してみます」


 今回、彼女に頼まなかったのは侯爵領の地で作物が育つかどうか確認する意味もある。それに呪歌を使って育てた場合、デメリットもあった。自然に育った食材に比べると含まれている魔力が少なくなるのだ。また呪歌だけでは、実や種をつけるところまで成長させることができない。実や種を収穫するためには、あくまでも時間と自然の力が必要だった。


 ただし、食材が足りなくなるのであれば話は別だ。お嬢様の離乳食に使う食材だけは確保したい。そのときはヨヨさんに呪歌を使ってもらい、花が咲くところまで時間短縮してもらうつもりである。今のところ、ニーナさんやギルムさんなど様々な縁ができたおかげで、食材の量だけは比較的安定している。しかし、まだまだ食材の種類が少ない。今後も食材集めは急ぐ必要があるだろう。


「――ルクくーん!」


 どこからか僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 僕はその声のするほうへと目を向ける。


「あっ! いたいた! アルクくん!」


 その声は樹木の精霊ドリアードのリアルルさんだった。手を振りながら僕たちのいる畑へと駆け寄ってくる。彼女には午後から結界魔法の修行をつけてもらうよう約束していた。その時間までまた少し時間があるが、わざわざ出向いてくれたらしい。


「そろそろ、魔法の修行をする時……間が――ディ、ディーナ様っ!」


 僕に駆け寄ってきたリアルルさんはディーナさんの姿を二度見してから跳ねるように三歩下がった。ニーナさんより、一歩多い。


「おや。リアルルが外に出てくるなんて珍しいねぇ」

「ごぶごぶごぶさたしてお、おります。ディーナ様」

「なんッスか?」


 ゴブさんをよんだわけではないと思う。

 明らかに緊張した様子のリアルルさんは気をつけの姿勢でディーナさんに挨拶をした。その姿勢は樹木の精霊らしく直立不動だ。


「元気にしてるようだね。アルクくんに知り合いだとは聞いたが、ずいぶんとなついているじゃないか。自分の領域に引きこもったときは、わららも心配したもんさね」

「ご、ご心配をおかけしました」

「まあいいさね。ところで今、魔法の修行と聞こえたんだがリアルルが先生なのかい?」


 あっ。まずい。

 なにか嫌な予感がする。


「はい。アルクくんに結界魔法の修行をつける約束をしていますが」

「ほほう。リアルルも指導できる立場になったかね。ぜひともその成長ぶりをみてやらないといけないさねぇ」


 ディーナさんはなぜか指をワキワキさせながら目を輝かせている。そんな彼女の姿にリアルルさんの顔が若干引きつったのは気のせいではない。


「アルクくんも一緒に魔法指導をしてあげようじゃないか」

「それがいいすッスよ。お嬢様の信頼厚いアルクくんならどんな厳しいご指導でもこなせるはずッス」

「え?」


 ゴブさんが楽しげにいう。さてはさっきの仕返しのつもりか。

 このままではディーナさんに指導されてしまう。


「ディ、ディーナさんはゴブさんたちへの農業指導がありますよね」

「おいらたちは大丈夫ッス。まず今日習ったことをほかのゴブリンたちに教えるッス。おいらたちに遠慮はいらないッス」

「ちょ! ゴブさ――」

「ふむ。確かに田植えと種まきは終わったし、しばらくは教えることもないか」


 この流れはまずい。実にまずい。非常にまずい。

 ディーナさんの顔が徐々に楽しげに、いや、嗜虐的に変わっていく。


「それに教わるだけでなく教えることも勉強になるね。ゴブくん。ほかの子にもしっかり教えておくさね」

「了解ッス! ディーナ先生!」

「よし。早速、リアルルとアルクくんを指導しようじゃないか! 執事の修行は手伝えないが魔法の指導ならまかせてほしいさね」

「あ、いえ。僕はリアルルさんに――」

「え? なんだって。聞こえないねぇ」


 突然、耳が遠くなるディーナさんであった。

 街を出る前、年寄り扱いするんじゃないといっていた彼女はどこにいったのだろうか。見た目は幼子。中身はおばあちゃん。そしてその耳は都合によって聴力が変わるらしい。


「さぁ、いくさね!」


 こうして僕たちとリアルルさんは張り切るディーナさんに引きずられ、侯爵家へと戻った。ちなみにニーナさんは店の準備があるといって途中で逃げ出している。ヨヨさんは面白そうだと笑いながらついてきた。他人事なので気楽なものだ。とりあえずゴブさんにはいつかこのお礼をしようと心のメモに書いておく。


 にこにこ顔のディーナさんに街中を引きずられながらわかったことがある。ディーナさんは大神官様と違い、戦闘狂(バトルジャンキー)ではない。だが、熱血指導タイプの教育者なのだ。指導狂ともいえるだろう。その熱血具合はあまりにも熱く、生徒の体を焼き尽くすほどの熱さである。水の精霊なのに火の精霊と仲がいいのもうなずける。


 『指導』と『死亡』。このふたつの言葉はよく似ている。これから繰り広げられる魔法指導に僕とリアルルさんは耐えられるだろうか。



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