第百五話 奇跡は起こるか
「アルクん、いなくなっちゃうの!」
朝、お嬢様をお迎えに行くと早速『アルク登り』を成功させたお嬢様。今ではものの数秒とかからないほど早く登られる。僕はそんなお嬢様を肩車しながら、昨晩、セイバスさんにいわれた修行内容についてご説明した。修行と食材探しを兼ねて各種族の国などを旅するよういわれた件だ。
僕が旅に出るという話にお嬢様は驚かれた。驚きのあまり肩車の体勢から肩の上で膝立ちとなり、僕の頭を左右の手でがっしりとつかんでおられる。そして前に倒れるようにして僕の顔をのぞき込まれた。お嬢様の柔らかいお腹が僕の頭に乗っている。いくら鳥の羽根のように軽いお嬢様とはいえ、全体重が僕の首にかかっているのだ。僕が執事でなければ確実に首を痛めていたかもしれない。真上から僕の顔をのぞき込むお嬢様の顔は当然逆さまだ。
「少しの間、旅に出るだけですよ。それに、ちょくちょく帰ってきますから」
そう伝えながら全体重を僕の首にかけているお嬢様をそっと床に降ろす。不安げな顔をされているお嬢様は僕の目を見ながらおっしゃった。
「ほんと? すぐに帰ってきてくれる?」
「もちろんです。最低でも一週間に一度は戻ってきます。おみやげも持ってきますからね」
「大丈夫ですよ。アルクくんはお嬢様との約束は必ず守ってくれますから。ねっ?」
「……うん」
イーラさんの援護もあってお嬢様はうなずかれた。だが、完全に納得されたわけではないようだ。どことなく寂しそうな顔をされている。これはなんとかしなければならない。
「そうだ。少々お待ち下さいね」
僕はお嬢様の部屋を退室したあと、魔核を使った通信用ペンダントを取り出し、魔力をこめる。
「ベルゼブブさん。おはようございます」
「やあやあ。おはよう! アルクくん! そっちはもう朝なんだね。あっ、そういえばおみやげにもらった料理、美味しかったよ! プリンも最高だった。今度、作り方教えてよね」
朝からよくしゃべる悪魔だ。
よほど話し相手がいないのか、誰かと話すのが楽しくて仕方ないようだ。そんなことを考えていたら思わず涙が出そうになった。
「ええ、ええ。いいですよ。それでベルゼブブさんが喜んでくれるなら。ところで、早速で悪いんですが昨日の貸しを返してもらえませんか」
「アルクくん、なんで涙声なん? それに貸しを返すのはいいんだけど、まさか人族の国を滅ぼしてこいとか魔法の実験台になれって話じゃないよね」
「やだなぁ。ベルゼブブさんにそんなひどいこといいませんよ」
「う、うん。そうだね」
煮えきらない返事をするベルゼブブ。
いつ僕がそんなひどいことを彼にしたというのだ。ぼっちだと被害妄想が激しくなるのだろうか。
「実はお願いがあるんです。ベルゼブブさんの魔核を使った通信用魔道具をもうひとつもらうことはできませんか?」
「え? そんなものでいいの?」
「はい。少し旅に出ることになりまして。その間、離れていてもお嬢様と会話できるような魔道具が欲しいんです」
「ティリアちゃん用なんだね。わかった。すぐにインプくん経由で届けさせるよ」
「あっ。お嬢様用のものは僕と通信できればいいですから。ベルゼブブさんと繋がらないよう調整しといてください。邪魔です」
「さっき、僕にはひどいこといわないって……」
「ハア?」
「う、ううん。なんでもない。なんでもないよ。じゃあ、送っておくね」
慌てた様子のベルゼブブは通信を切った。
さすがは持つべきものは悪魔の友だちである。
さっそくお嬢様の部屋に戻り、報告する。
「お嬢様。離れていてもお話しできる魔道具が用意できそうです。それがあればいつでもお話しできますよ」
「アルクんがおでかけしててもお話しできるの!?」
「はい。お話しできますよ」
「ふわぁ! すごいの!」
お嬢様は先ほどのまでの寂しそうな顔から一転、朝の太陽に負けないほどまぶしい笑顔でおっしゃられた。この笑顔のためにも早く修行を終わらせようと心に誓うのだった。
その後、侯爵様御夫妻がお嬢様を迎えにこられる。
そして朝食後、執務室に来るよう命じられた。
朝食も終わり、お嬢様はイーラさんとともに日課となっている水やりに向かわれた。お屋敷に滞在しているクレベリら精霊たちも一緒だ。お嬢様の午前中の予定は、水やり、イーラ先生とメイドによる基本学習、そしてお昼寝である。午後からはクレベリとリリィによる精霊魔法講座も予定されている。
前もってどのような講座なのか確認すると、精霊たちと心を通わせることから始めるという。だが、すでに六体の精霊と心を通わせ、上位精霊であるリアルルさんと友誼を結ぶお嬢様に必要なのか疑問だった。そのことを指摘すると、ただ単にお嬢様とお話ししたり、遊んだりしたいと口をそろえていった。そんな精霊たちに少しあきれてしまったが、その気持ちはよくわかる。
お嬢様を守るよう精霊に伝えた僕は侯爵様の執務室へと向かった。
侯爵様の執務室には侯爵様御夫妻をはじめ、セイバスさん、それにヨヨさんがそろっていた。そしてもう一人。今回の主役ゴブさんもいる。
イスに座る侯爵様の前には執務机があり、黒い布がかけられた円柱状のものが置いてあった。形状からして二十センチほどのビンのようだ。もちろん中身は見えない。
今日、ゴブさんが呼ばれたのはほかでもない。
ヨヨさん提供の『妖精の奇跡』を試すためだ。実験といってもいい。もちろんこれは強制ではなくゴブさんの志願によるものだ。侯爵様からの命令では断じてない。ゴブさんが最初に試すことになるだろうなと皆が思ったのは偶然ではなく必然だ。彼の立ち位置ともいう。
「ゴブリアーノ。ゴブリン族の侯爵家に対する貢献は決して忘れない。そしてゴブリアーノの勇気と忠誠は末代まで語られるだろう」
侯爵様からゴブさんに仰々(ぎょうぎょう)しい言葉をかけられた。戦時であれば殿を務める将にかけるような言葉だ。
「不思議ッス。執事長の手がおいらの肩をがっしりとつかんでいるッス」
もう一度言おう。今日の実験は強制ではない。
あくまでゴブさんの志願によるものだ。
ゴブさんに声をかけた侯爵様にセイバスさんから指摘が入る。
「旦那様。『妖精の奇跡』は毒ではないとヨヨさんも保証しておられます」
むしろ毒であっても普通の魔族なら問題ない。
「しかしだな。セイバス。これを見てなんと声をかければいいのだ」
侯爵様は机の上に置いてあったビンに目をやり、かけてあった黒い布をはずした。そこにあらわになったのは思ったとおりフタがされた透明のビンだった。ビンの中では十粒の黒い丸薬が転がっている。
ヨヨさんによると、異常なほど黒光りしているその丸薬こそが『妖精の奇跡』だそうだ。匂いは無臭。大きさは二センチほどでビー玉のようだ。甘党の妖精ですら激甘で苦手という『妖精の奇跡』は、生命の樹の実から抽出した液体を乾燥させて作られる。しかも妖精の女王様の祝福付きだ。
「あれ? ヨヨさん。以前、粉薬って言ってませんでした?」
「以前、話したように薬として魔族に適した量を考慮したの。その結果、こうなりました。言っておくけど色が黒いのは粉の状態でも一緒だからね。あっ、飲むときは必ずかみ砕いて。そのまま丸飲みするとお腹の中で暴れるから」
何いってんだ? この妖精。
いつもの僕なら、そうツッコミをいれたはずだ。しかし、ヨヨさんの言葉に僕は素直にうなずいた。というのも『妖精の奇跡』は先ほど言ったとおり、ビンの中で『転がっている』のだ。侯爵様が布をとった瞬間、目を覚ましたかのように動きだしている。今もビンの内壁に沿って、ギュインギュインとまるでジェットコースターのように転げ回っていた。十個の塊が衝突もせず、意思を持っているかのように動くさまは不気味である。
『妖精の奇跡』の原料となるのは生命の樹から採れる実から抽出した液体だ。生命の樹は名前のとおり生命力にあふれているらしく、その実は芽を出す地を求めて妖精界を旅するそうだ。たとえ粉にしてもすり鉢の中で這いずり回るという。それは丸薬にしても同じだったようだ。むしろ丸薬にしたほうが勢いもでて活きがいいとヨヨさんは笑った。
いやな生命力である。
さて、それはそうと実験開始だ。ここまできたらゴブさんは絶対に逃げないし、セイバスさんが逃がさない。
言葉にするのは三度目だが、誰がなんといおうと今回の実験は彼の志願によるものだ。これは大事なことなので念には念を入れておく。
「ヒーヒッヒ。まずはコレを食べるのじゃ」
「アルクくん。なぜ笑ったッスか。あとその言い方やめて欲しいッス」
僕が差し出したのはコンペイトウだ。
笑ったのは場を盛り上げるためで特に意味はない。ゴブさんがどうなるのか。どうなってしまうのか。どうしようもなくなってしまうのか。結果が少し楽しみなだけで知的好奇心が口からあふれただけにすぎない。
ゴブさんがカリカリとコンペイトウを食べているが、当然、なんの反応もなかった。甘味を理解できていない証拠だ。ステビアですら甘味を感じることのなかったゴブさんが『妖精の奇跡』を試したあと、甘味が理解できるようになっていればひとまず成功となる。
「アルクくん。短い間だったけどキミと友達でよかったッス」
「……ゴブさん」
「僕に何かあってもずっと忘れないで欲しいッス。僕たち、ズッ友ッス」
「ゴブさんの勇気は忘れないよ」
「だーかーら! 毒じゃないっていってるでしょ!」
ヨヨさんがほほをふくらませ、すねた声をあげた。
そのままの勢いでヨヨさんが円を描くように腕を回すと、円を描いた場所に小さな穴が現れた。白い光を放つその穴は妖精界に続く扉にそっくりだ。それと同時にビンの中にも同じくらいの大きさの穴が現れる。恐らくビンの中と空間を繋げたのだろう。その証拠に、ヨヨさんが穴に手を入れた途端、ビンの中の穴から彼女の小さな手がひょいと出てくる。
ヨヨさんはビンの中で動き回る『妖精の奇跡』を見事な反射神経で捕まえると一気に手を引き抜いた。それと同時に二つの穴はすっと消える。捕まえた『妖精の奇跡』は二センチほどとはいえ、妖精族のヨヨさんにとってはそれなりの大きさだ。だが、彼女はその丸薬を片手でがっちりと持って構えている。そして間髪入れずゴブさんの口めがけて勢いよく放り投げた。『妖精の奇跡』は黒い弾道となり、ゴブさんの口にまっすぐ吸い込まれていった。ハンドボール選手であれば世界が狙えるほどのナイスシュートである。
「もごっ!?」
焦ったのはゴブさんだ。突然、『妖精の奇跡』が口の中に飛び込んできたのだから驚きもするだろう。セイバスさんはすでにゴブさんから離れ、侯爵様をかばうように立っている。
ゴブさんは反射的にその口を手で押さえていた。よく見ると彼のほほがブニブニといびつに動いている。想像したくないが『妖精の奇跡』が口の中で暴れてるようだ。『妖精の奇跡』を口から逃すまいと必死になっている彼は涙目だ。それと同時にうろたえていた。「ど、どうしたらいいッスか」と焦る彼の目は僕とヨヨさんを何度も往復している。
そんな彼に僕は覚悟を決めるよう促した。
「ゴブさん、かみ砕くんだ! それしか手はない」
「んっ!? んーんー! ん? ――ガリッ」
イヤイヤと首を振って僕の提案を拒絶するゴブさん。その彼が何かを言いかけたとき、執務室に嫌な音が鳴り響いた。
――ボリッ、バリッ、ゴリッ、ボギッ、ガリッ、グジャ、ギチュ、ブチュ、ぐっちゃ、ぐっちゃ……
「「……うわぁ~」」
思わず僕とヨヨさんの口から変な声がもれた。
心配になってゴブさんの顔をのぞきこむと彼の目からすべての光が消えていた。そして口以外ピクリとも動かない。確か『妖精の奇跡』は激甘大好きの妖精ですら身震いするほど甘いと聞いている。例え、魔族に味覚がないとしても体が拒否反応を起こし、筋肉が硬直しているのかもしれない。
正面を向いたまま微動だにしないゴブさんだが、彼の口は本能的に動いたままだ。そのたびに、「ぐっちゃ、ぎっちゃ」と粘り気を帯びた不快な咀嚼音が執務室に広がっていく。その場にいた全員が眉をひそめたのはいうまでもない。
ゴブさんの口の中でかみ砕かれる『妖精の奇跡』。彼はまるで機械のように口を動かし続けていた。だが、そこに変化が表れる。硬直していた体が小刻みに痙攣し始めたのだ。口を押さえている手の指は何かを耐えるかのように顔へと食い込んでいく。指が食い込んだ顔からはすっかり血の気が引いていた。
いや、血の気が引いたわけじゃない。
肌の色そのものが白く変化しているのだ。よく見ればそれは体全体に広がっている。彼の緑がかった黒い肌からどんどん色が抜けていくのだ。白くなった肌はまるで砂糖のような白さだった。
目の前で起きた現象は『妖精の奇跡』ならぬ『妖精の呪い』と呼ぶほうがふさわしい。僕は思わずヨヨさんに視線を向けた。彼女は僕の視線を受けとめると安心させるようにうなずき、そして微笑んだ。
「大丈夫。慌てる時間じゃないわ。私たち妖精でもこんな感じになるから」
「本当ですか」
「んー、まー、あー。大丈夫」
お、おう。
どうみても大丈夫ではなさそうだ。普通、肌の色が変わることなどあり得ない。ゴブさんがカメレオン的な魔族なら普通かもしれないが、残念ながら彼はゴブリンなのだ。
それに僕は覚えている。彼女は『妖精の奇跡』を教えてくれたとき、『魔族にどんな影響を及ぼすのかわからないわ』と言ったことを。
そのときだった。
口を動かしていたゴブさんがその動きを止めた。続いて彼の喉がゴクンと鳴る。どうやら無事、飲み込むことができたらしい。だが、そこで力尽きたのだろう。手で口を押さえているゴブさんはそのままの姿勢で僕のほうへと倒れこんできた。それはまるで伐採された木が倒れるかのようにゆっくりだった。その彼を僕は慌てて受け止める。受け止めた彼の体は硬直しており、立ったままの体勢で固まっていた。砂糖のように白くなった顔は安らかな表情を浮かべている。彼はやり遂げたのだ。僕は彼の健闘を称え、『執事診療所』を唱えるべく手をかざす。
だが……手遅れ……だった。
「ゴブさん? ゴブさん?」
何度、声をかけても返事は返ってこなかった。色が抜けたように白く変化した肌はまるで彼のすべてが抜けてしまったように白かった。……このままにしてはおけない。
数時間後、違う力に目覚めた彼は目につく者すべてに襲いかかるだろう。そうなったときは鍛冶屋に飛び込み、バールか斧を用意しなくてはならない。かまれたら感染して彼の仲間入りになるのは確実だ。
一刻も早く処置しなければならない。友人とも呼べる彼に僕はあまりも無力だった。
「くっ……ゴブさ……ん。ゴブさぁぁん!」
「それ前にもやったッス」
なんだ。生きてた。
抱きかかえたとき、心臓が動いていたので無事だと確信していたがどうやらソンビ化することもなさそうだ。
彼は生ける屍化するのを回避したのだ。体の色も少しずつではあるが元の色に戻りつつあった。目の焦点もはっきりしており、彼は自ら体を起こす。
そう! 彼は勝ったのだ!
体の中を駆け巡る『妖精の奇跡』に!
生の奪還! 死からの復活である。
「何かおいらで遊んでいるような顔ッスね」
「気のせいだよ。ところで大丈夫なの?」
「大丈夫ッス」
「ゾンビ化しない?」
「誰がゾンビッスか!? 生きてるッスよ!」
「だから毒じゃないってば!」
ヨヨさんのいうとおり、毒ではなかった。
ただ毒以上に恐ろしいものを見てしまっただけだ。
「どうだ? 何か変化はあったか? ゴブリアーノ」
皆がゴブさんに集中するなか、侯爵様が興味深そうに尋ねた。
「口の中に膜のようなものが張った感じッス。かみ砕いたとき、中からドロリとしたものが口の中を這い回った感触があったッスね。あっ、今、何かがお腹の中で動いたような気が……」
しんと静まり返る室内。
僕の頭にふと浮かんだものがある。それは前世で見たある映画だ。宇宙に行った人々が謎の生物の幼生にお腹をモグモグされる作品だった。キシャァという奇声とともにお腹を食い破って出てくるシーンが何度も頭の中で再生される。エイがリーしてアンするアレだ。
「ヒヒヒ。ゴブさん。早速試してみようか」
「だから、なぜ笑うッスか。あと言い方!」
復活したばかりのゴブさんに差し出したのは先ほど同じコンペイトウだ。せっかく復活したのだ。すぐに効果を確かめなくてはなるまい。『妖精の奇跡』によって魔族が甘味という味覚を取り戻せたかもしれないのだ。一刻も早く甘味が感じられるか結果が知りたい。
僕はゴブさんの手に数粒のコンペイトウを乗せる。
手に乗せてすぐ、彼はコンペイトウを一気に口の中へと入れた。
そこに躊躇はない。動く『妖精の奇跡』に比べたら大したことではないのだろう。まさに勝者の貫禄であった。何に勝ったのかわからないが間違いない。
「おや? さっきと同じものッスよね? なんだか口の中が変な感じッス」
「口の中がふわぁっとしたり、優しい気持ちになったりする?」
「あー、なるほどッス。確かに心が落ち着くような感じがするッス」
「じゃあ、今度はこれを食べてみてよ」
そういって取り出したのはモミジイチゴだ。クレベリからもらったものだが、あっさりとした甘味が特徴だ。甘さ控えめの果物である。
「おー、不思議な感覚ッス。これがアルクんの言ってた『味』ってやつッスか」
「今、ゴブさんが感じているのは甘味っていう味覚のひとつだね。じゃあ、今度はこれ」
続いて僕は花蜜をひとさじすくい、ゴブさんになめさせる。
「おぉ! これはまた『甘い』ッスね。魔力はたっぷりだし、コンペイトウやモミジイチゴよりホッとする感じが強いッス。おいらこの『味』好きッス」
「ふむ、どうやら味覚が理解できているようだな」と侯爵様。
実験はひとまず大成功だ。
だが懸念していることがあった。
「あとはこの味覚が永久に続けば成功なんですが」
問題は効果が続く時間である。
せっかく『妖精の奇跡』を試してもらったが、ステビアみたいに時間が経つと味がわからなくなる可能性もあるのだ。
「え? 元に戻ったらまたアレを食べる必要があるッスか!」
緑がかった黒い肌にすっかり戻ったゴブさんはビンの中で動く『妖精の奇跡』に目をやった。残った丸薬は今も元気にビンの中でぐるんぐるんと動き回っている。侯爵様たちもそのビンに目を向けていた。少なくてもステビア同様、『妖精の奇跡』に甘味を理解させる効果があることはわかった。
「でもゴブさんだけじゃほかの魔族に効果があるのかわからないわね」
そこにとんでもない爆弾を投げたのはヨヨさんだ。
今回の実験にゴブさんが選ばれたのは立ち位置という名の必然だった。それに彼はゴブリンの中でもゴブリンカイザーと呼ばれる高位魔族だ。ゴブさんの見た目や態度からは誰も信じないだろうが紛れもない事実である。高位魔族同士でもその実力は千差万別だが、一応、侯爵様たちと同じ高位魔族だった。高位魔族のゴブさんに効果があれば同じ高位魔族である侯爵様たちにも『妖精の奇跡』は効くはずである。
そう思っていた。思い込んでいた。
そこにヨヨさんの一言である。
『ほかの魔族に効果があるかわからない』
言われてみればそのとおりだ。同じ高位魔族でも魔種族によって結果が変わっては意味がない。効果のない魔種族がいても不思議ではなかった。
『妖精の奇跡』の数は残り九粒。毒ではないことが証明されたが、ほかに誰がこれを試すのか。当然、口に入れたらゴブさんのようになる可能性が高い。
「こ、これは皆の意見も聞いたほうがいいな」
「あら~。私は試すわよ」
そうおっしゃったのはエリス奥様だった。
侯爵様は奥様の言葉に驚いておられる。
「エリス! ゴブリアーノを見てなかったのか! 今みたいになるんだぞ!」
「でも、甘味を理解できるようになったらティリアちゃんと一緒に甘いものが楽しめるのよ?」
「奥様。数日ほど間をあけてはいかがでしょう。数日後、ゴブリアーノが無事かどうか確かめてから、お試しになられるという手もございます」とセイバスさん。
「……侯爵様も執事長もかなりひどいこと言ってるッス」
「どんまい」僕はゴブさんの肩に手を置いてなぐさめる。
「だーかーらー! 毒じゃないですぅ!」
しかし、侯爵様とセイバスさんの言葉に奥様は一歩も引かなかった。
「かまいません。娘と同じものを食べ、味を共有し、語り合う。なんて素晴らしいことなんでしょう。あなたも覚悟をお決めなさい!」
「お、おう。わかった」
「奥様がそうおっしゃるのであればこれ以上は申しません」
奥様の断固たる口調に侯爵様もセイバスさんも引き止めることはしなかった。さすがは侯爵家を支える奥様である。
「セイバス。あなたも試すのですよ」
「かしこまりました。奥様」
奥様の言葉にうやうやしく頭を下げるセイバスさん。執事長の口調はいつもと変わらなかった。うっすらと額に汗が浮かんでいるよう見えたのは気のせいだろう。
「あとはそうね――」
――こうして第一回妖精の奇跡試食会のメンバーが奥様によって選ばれた。
奥様を筆頭に選ばれたのは侯爵様、セイバスさんのほか、お嬢様大好き四天王のお嬢様専属侍女のイーラさん、メイドのラミさん、プレスコット副隊長、庭師のウルナさんだ。このメンバーを選んだ理由はわからないが、もしかしたら侯爵様御夫妻は使用人の魔種族を把握しているのかもしれない。
以上のメンバーに加え、アルティコ夫妻にもお話ししたらどうかという意見が奥様から出た。その言葉に真っ先に賛同したのは侯爵様である。
「本人たちに聞いてからだが、いい提案だな」
この話はアルティコ伯爵夫妻も乗るだろう。甘味だけとはいえ、娘のヒミカさんと同じ味を共有できる可能性があるのだ。ヒミカさんを愛する伯爵夫妻なら例え、効果がないとしても試すはずだ。
選考からもれたほかの使用人たちも問題ない。
今後、侯爵様御一家と侯爵家に仕える使用人たちの『妖精の奇跡』は、ヨヨさんから無償提供されることが決まっている。用意出来次第、順次届くはずだ。
「では各自、手があいたときに試すとしようか」
「旦那様。こんなこともあろうかと午後からの予定はあけております。幸い、飲まれてもすぐに動けるようです。本日、旦那様が試されたあとアルティコ伯爵様にお会いになられてはいかがでしょうか」
「……う、うむ」
セイバスさんの用意周到さに侯爵様が渋い顔をした。俗にいう、「ちょ、おまっ」的な顔である。セイバスさんは侯爵様に飲ませる気満々だ。予定のあいた侯爵様と奥様は、早速午後一番で試されるとのことだ。
「ヨヨ殿、『妖精の奇跡』感謝いたします」
「お役に立てれば光栄ですわ」
「ゴブリアーノも大義であった。アルクももういいぞ。そうだ。イーラに『妖精の奇跡』のことを伝えておいてくれ」
「わかりました。では失礼します」
僕たちはそろって執務室を出る。
「これでひとまずは様子見ね」
「ずっと甘味を感じられるようになっていればいいんですが」
「さすがに二回目はかんべんしてほしいッス」
思い思いの感想をいいながら、廊下を歩いていると使い魔のインプが現れた。彼は、「例のものです」と小さな箱を僕に手渡してくる。念のため、中を確認した僕は思わずその中身のものに苦笑してしまった。わざわざ説明書まで入っている。とりあえずお願いしたものは届いた。
持ってきてくれたインプに礼を言うと、彼は仰々しく一礼してから姿を消した。
「ところで今はインプに何をさせているの?」とヨヨさんが尋ねてくる。
インプには王都からウルナさん用の聖水を運んでもらったあと、ある仕事をさせている。あまりこき使うのもどうかと思い、しばらく休ませていたら、「使い魔を使わずしてどうするんですか」とすねられたからだ。
「今は侯爵領にいる生き物たちの調査ですよ」
「生き物の調査? 何のために?」
「動物や昆虫などが食べているものの中に毒のない食材があるかもしれません。それにその生き物たちそのものが食材となる可能性もあります」
「彼一人でやってるの!?」
「いえ、なんでも僕の魔力が増えたことで従えられる配下が増えたとか。インプなのに今では大量の同族を使役してますよ」
もともと僕と使い魔契約をしたインプは、魔力を注ぎすぎたせいで普通のインプより優秀だった。そのおかげか、彼は同族のインプを何匹も従えていたのだ。以前、フラム子爵を見張っていたときに彼が使役していたインプは六十六匹だ。それが今では六百六十六匹まで増えていた。わずかな期間でここまで使役できるようになったのは、僕のおかげだとインプは言っていた。しかも使い魔の彼自身が賢いおかげか、六百六十六匹のインプもそこそこ賢かった。ゲッゲッゲ言わないし、『調査』ができる賢さがあったのだ。
「ちょっと増えすぎじゃない?」
「その分、調査は楽みたいですよ。それに今の数より増やすつもりはないそうです。なんでも今の数が落ち着くんだとか」
六六六が落ち着くとは実に悪魔らしい感覚だ。
ちなみにもう一体の使い魔ウコバクは、今もユリアナ嬢の警護にあたらせている。たまに入る報告によれば彼女の様子に変化はなく、ほかの悪魔が近づいてくることもないという。
最近では献身的に彼女の身辺を守っていると、ウコバクを見張らせているインプから報告を受けている。使い魔となったウコバクは僕の命令に逆らえない。だが一度、ユリアナ嬢に取り憑いたウコバクだ。まだ心から信用しているわけではない。そのための見張りだ。
「そうだ。アルクくん。畑が完成してるッスよ」
「さすが早いね。じゃあ、お嬢様に挨拶してから見に行くよ」
「ゴブさん。甘いものが欲しかったらぜひ私に言ってね。安くしておくわ」
「わかったッス! そのときはよろしくッス。じゃあ、先に畑に行ってるッス」
そういうとゴブさんは走ってお屋敷を出ていった。
甘味が理解できたわりにはあっさりとした態度だ。もともと食事に関心のなかった魔族だとこんなものかもしれない。
だが、『味』の魅力というのはあとからわかるものだ。同じ料理でも、より美味しいものを食べた場合、それ以下の味では満足できなくなるのが『味』なのだ。木の根をかじっていたゴブさんが、初めてゴボウを食べた日以来、ゴボウばかり食べているのを僕は知っている。一度食べたら抜けられない食の道にゴブさんはすでに入り込んでいるのだ。
目を閉じれば、「た、頼むッス! 白い粉をくれッス。あれがないとおいらは――」と泣き叫びながら懇願するゴブさんの姿が目に浮かぶようだ。
砂糖の食べ過ぎには十分気をつけてほしい。
残された僕とヨヨさんはお嬢様の元へと向かった。外出許可を得るためだが、同時にお嬢様へと渡すものがある。
庭に向かうと先にイーラさんが僕たちに気がついた。精霊たちに囲まれているお嬢様は夢中になって花に水をあげておられる。
イーラさんに『妖精の奇跡』のことを話すと彼女は喜んだ。だが、ゴブさんに起きたことを話すと眉をひそめる。
「それって乙女の尊厳とか大丈夫かしら」
「ラミさんたちと一緒に試したほうがいいかもしれませんね」
「イーラにもいっておくけど毒じゃないからね」
確かにイーラさんたちが白目を向いて痙攣するような姿は見たくないし見てはいけないだろう。
「あっ、アルクん。お話し終わったの?」
お花にジョウロでお水をあげていたお嬢様と精霊たちが振り返った。
「はい。終わりました。それとお嬢様に僕とベルゼブブさんからプレゼントがございます」
お嬢様はジョウロを地面に置き、僕が差し出した箱を受け取る。いそいそと箱を開けたお嬢様は、わぁっとうれしそうな顔で中身を見ている。そして大事そうにそっと取り出すと、「きれいなのー」とその場でくるりと回るのだった。スカートの裾がきれいな円を描く。
ベルゼブブが送ってきたのは青いバラを中心とした可愛らしいコサージュだった。このコサージュは通信用の魔道具だ。青バラの中央には魔核が縫い付けてある。僕が執事修行の旅に出ている間、お嬢様が寂しくならないよう、ベルゼブブに作ってくれと頼んだものだ。これさえあれば修行の旅に出てもお嬢様とお話しができる。
まずはお嬢様に使い方を説明する。この通信用魔道具は僕のものと違い、魔力を流さなくても使えるよう改良してあった。まるで充電池のように前もって起動に必要な魔力をためておけるらしい。ためておいた魔力がなくなるまで使える。さらに魔力がなくなっても補充すれば何度も使えると説明書に書いてあった。僕がいない間、補充はイーラさんにお願いすればいいだろう。
使い方は簡単だ。僕に連絡する場合、お嬢様が青い魔核を二回つつき、僕の名前を呼べば起動する。ただそれだけだ。受ける場合も二回つつけばいい。まさにお嬢様が使いやすいように改良された魔道具だった。
生意気なベルゼブブめ。今度会ったら八つ当たりしよう。
僕は少し離れた場所に移動してから、自分の通信用魔道具に魔力を流す。するとお嬢様が持っているコサージュがうっすらと青く光りだした。お嬢様は僕が説明したとおり、コサージュの魔核をつんつんしている。その仕草は思わずガッツポーズしたくなるほどの可愛らしさだ。イーラさんも僕に向かってサムズアップしている。
よくやったベルゼブブ。今度会ったらご褒美付きで褒めてやろう。
(お嬢様、聞こえますか?)
(ふわぁ! すごいの! アルクんの声がすぐ近くで聞こえるの!)
(これでいつでもお話しできますからね)
(うん! アルクん、ありがとうなの!)
(今度、ベルゼブブさんにもお礼をいってあげてくださいね)
(もちろんなのー)
通信を切り、お嬢様のもとに戻る。
イーラさんはお嬢様の服に魔道具であるコサージュを飾りつけていた。どうやら服に留めるピンがついていたようだ。
胸元に飾られたコサージュはお嬢様の可愛らしさをより引き立てていた。僕は『執事の氷面鏡』を使い、お嬢様の姿を映す。お嬢様も『執事の氷面鏡』に向かって何度も角度を変えながらコサージュの位置を確かめておられる。お嬢様も立派な淑女なのだ。おしゃれには敏感である。
それにしてもネコニャンのぬいぐるみといい、青いバラのコサージュといいベルゼブブのくせに女子力が高い。見た目は黒髪をオールバックにした派手なおっさんにも関わらずだ。しかも頼んでから数時間しか経っておらず、仕事も早かった。そのセンス、その実力は認めなければならないだろう。
これだけ器用にも関わらず、なんであの悪魔ボッチなんだろうか。
「ティリアちゃん、すごく似合ってるわ!」
ヨヨさんは何を言ってるのだろうか。
お嬢様に似合わないものなどないのだ。
「ほんにめんこいのぅ」
「ええ。本当にめんこいです」
「ベルゼブブのくせに生意気さね」
「生意気ですねぇ」
(ん?)
反射的に言葉を返したが気のせいだろうか。
ものすごく違和感のある声が聞こえた。
ふと隣に目を向けると、見覚えのない小さな女の子が立っていた。年齢と身長はお嬢様と同じくらい。薄い水色のローブを羽織っており、足元まで伸びた藍色の髪は丁寧に編み込まれ、光に反射して輝いていた。どういう仕組みなのかわからないが、片方の手から出した水をお嬢様のジョウロに注いでいる。彼女はコサージュをつけたお嬢様をみつめながら、「うんうん」とうなずいていた。
「あのぅ、どちらさまでしょうか」
「え!? アルクくんが知ってる精霊さんじゃなかったの!」
慌てた様子でイーラさんが言った。
その言葉に僕はお嬢様を後ろにかばうようにして前に立つ。
「どういうことです?」
「アルクくんを訪ねてきたと紹介されたのよ。侯爵様とお話し中ということで待ってもらったんだけど」
僕を訪ねてきた? しかも精霊が?
僕の名前を知っているようだが、あいにくと僕には心当たりがない。それにどこから入ってきたのだろうか。不審者だとしたらセイバスさんが気づいているはずだ。
それに先ほどからクレベリたちがずいぶんと静かだった。彼女たちにはお嬢様を守るよういってある。ということは目の前の精霊はお嬢様に危害を与えようとするような精霊ではないのだろう。怪しい精霊であれば多少なりとも騒ぐはずだ。だが少し静かすぎる。いつも元気いっぱいのヤーローですら人形のようにおとなしい。
女の子の精霊はジョウロを地面に置いたあと、首を傾けながら僕を見る。僕を見つめる女の子の目は吸い込まれそうなほど深い青だ。人差し指をあごに当てながら何かを考えている。しばらくして手のひらをぽんと打つと、納得したように首を縦に振った。
「さてはフェニのやつ。わらわのことを伝えてないさね」
フェニ?
フェニといえば大神官様の名前だ。ほかにフェニという名前に心当たりはない。ということはこの子は大神官様の知り合いなのか。
「ディーナちゃんはとっても優しい精霊さんなの!」
後ろにいらっしゃるお嬢様は僕を横に押しのけ、すぐ隣に立たれた。その顔に怯えた様子はなく、目の前の女の子に笑顔を向けている。お嬢様の話だとこの精霊はディーナという名前のようだ。
「あのぅ、ティリアお嬢さん。ディーナちゃんではなくディーナ様、せめてディーナさんとお呼びくだされ」
お嬢様に向かって遠慮がちに声をかけたのはリュウゼツだ。どうやらディーナという精霊を知っているらしい。そしてその態度から彼ら中位精霊よりも力が強く、立場が上の精霊のようだ。ということはリアルルと同じ上位精霊なのだろう。だが、あいにくとリアルル以外の上位精霊が僕を訪ねてくる理由がわからない。
「大神官様やベルゼブブさんのお知り合いでしたか?」
「ああ。そうさ。キミがアルクくんだね。わらわはウンディーネのディーナ。水を司る精霊だよ。わらわのことはディーナ『ちゃん』と呼んでくれたまえ」
自己紹介をしながら、青い目をリュウゼツに向ける。その目でにらまれたリュウゼツは、「ひっ」と短い声をあげた。吸い込まれそうなほど深い青色をした目はリュウゼツをにらんだまま微動だにしない。まるで本当に吸い込もうとしているかのようだ。
「ディーナちゃん! リュウゼツくんをいじめちゃ、だーめなの!」
「おうおう。そうだねぇ。ごめんねぇ。ティリアちゃん。リュウゼツもすまないねぇ」
微妙におばあちゃんっぽくお嬢様に謝るディーナさん。逆に謝られたリュウゼツはより一層緊張した顔で何度もうなずいていた。そのせいでかぶっていたメキシカンハットがずり落ちている。どう見ても、「このワシが頭下げたんやで? これで手打ちや。ええな?」という脅しにしか見えない。
まずはあらためて自己紹介をする。
突然、お屋敷に現れたのは水の精霊ウンディーネのディーナさん。本名はディーナ=ベイダというそうだ。
彼女は火を司る大神官様と同様、四大精霊の一角を成す存在だ。予想通り彼女も上位精霊だった。水の精霊といえば、癒しや生命の流れ的なイメージがあるが、今のところまったく癒やされそうにない。というのも中位精霊たちの緊張がこちらに伝わってくるのだ。仲のいいリアルルと違い、相手が四大精霊に名を連ねる上位精霊ともなればクレベリたちも緊張するのだろう。感じ取れる魔力から彼女自身、大神官様並の強さがあると考えたほうがよさそうだ。
「まあ、同じ精霊のフェニはともかく、悪魔のベルゼブブとは何度か会ったくらいだけどね」
「そうでしたか。ところでディーナ様。今日はどういったご用件でしょうか」
「ディーナちゃんでかまわないのだが?」
「では、ディーナさんと」
「まあ、いいか。しかし、フェニのヤツめ。本当に彼女から何も聞いてないかい? わらわはここにお米を届けに来たさね」
「おこめ?」
お米と聞いたお嬢様が可愛く首をかしげている。
その姿を見たディーナさんと僕、それにイーラさんは互いに目を合わせ、うなずきあった。首をかしげるお嬢様の魅力がわかるとは、この精霊、ただ者ではない。
「ティリアちゃんやアルクくんはお米を見たことはあるかい?」
「ないのー!」
お嬢様が元気よく答えた。知らないものは知らないとはっきりいえる素直なお嬢様。実にご立派にございます。
僕も、「見たことありません」と答えておいた。本来であれば、「この世界では」という言葉がつくのだが、お嬢様やディーナさんの前でいう必要はないだろう。知っているけど知らないと答える僕は素直とは無縁の転生者である。
「ふむふむ。お米とはこういう食材さね」
そういって差し出した彼女の手のひらには精米されたお米が乗っていた。形は円形で短粒。半透明に近いその品種はジャポニカ種のようだ。水分が多く粘り気があり、よくかむと甘みが増す品種が多い。
粒の大きさも揃っており一級品と呼べる品質の高い米のようだ。
わくわくする気持ちを押さえつつ、とりあえず知らないふりを通しておく。
「このお米っていうのは甘いの?」とヨヨさんが首をかしげる。
「おや? 妖精までいるとは珍しいさね。妖精が好むほど甘くはないさね。ところでキミとはどこかで会ったことはないかい?」
「多分、妖精違いだよ。私はヨヨ。よろしくね、ディーナさん」
「そうか。どこかで見た覚えがあるんだがねぇ」
おっと。
ヨヨさんとディーナさんの会話を聞いてる場合じゃなかった。
以前、大神官様がパンを焼いているとき、紹介された食材があった。それがお米である。大神官様のもふもふパンには米粉が使われていたのだ。僕はそのお米を手配してもらうよう大神官様にお願いしていた。お米は大神官様の知り合いである水の精霊が作っていると確かに聞いている。
「失礼いたしました。おっしゃるとおり大神官様にお願いしてお米を手配してもらっています。まさか水の精霊ご本人がわざわざ届けてくださるとは思いもよりませんでした」
「手配しておく、だけでは伝わりきらないさね。フェニはいつも何かが足りないさね」
「こちらこそ、わざわざご足労いただいたのに申し訳ございません」
「いいんだよ。わらわが自分で運んできたのは理由があるさね」
「といいますと?」
「わらわは米が好きだ。むしろ大好きといってもよいさね」
「はい?」
突然の告白である。
そりゃまぁ自ら米を作っているくらいだから好きなんだろう。
「素人にはわからぬかもしれないが、米は水田という特殊な栽培方法が必要となるさね。もちろん畑でもかまわんが収穫量や品種が違うさね。わらわとしては陸稲より、水耕米がおすすめさね」
「はい。おっしゃるとおりですね。僕もそう思います」
「うむ。そこで大好きなお米を正しく育ててもらうために水の精霊であるわらわ自ら栽培指導に来たというわけじゃ」
「おお。それはありがとうございます!」
「水の精霊だけに自らな!」
「はい、感謝いたします」絶対にツッコまないぞ。
「……そ、そこでだな。まずは水田から……ん? アルクくん。もしかして水田のことを知っておるのかね? 米を見たことがないのに?」
しまった。
余計なことを言ったようだ。
ここはなんとかしてごまかそう。
「すでに水田を用意してございます。まだ十メートル四方のものが四枚しかありませんがいつでも苗を植えることが可能です」
「ほう? 米は見たことがない。だが水田は知っていると?」
「何かの本で米という食材は水田で育てると書いてあったのをたまたま読みました。そのため前もって準備しておいた次第にございます」
ウソである。
そんな本などない。
「ふむ。フェニに執事だと聞いていたが稲作農家をめざしておったか」
「いえ? まだ見習いですが執事をめざしておりますよ」
「アルクんはずっとティリアのそばにいてくれる執事さんになるのー」
「はぁ?」
得意気な顔でお嬢様が胸をはって宣言された。
今のお嬢様のお言葉だけでどんぶり飯が何杯も食べられそうだ。
「なぜ執事のくせに農業を勉強しておるのかね」
「執事たるものお嬢様がお召し上がりにある食材くらい用意できなくてどうしますか」
「どうもしないさね! それ執事の仕事じゃないさね!」
「それに耕作って楽しいですから」
「そういえばフェニが言っていたよ。なんでもキミは味がわかる珍しい魔族だって。そんな魔族なら農業や耕作に興味を持っても不思議ではないか」
「ええ。まあ」
納得してくれたようなので、テキトーに相槌を打っておく。
「今、思い出した。ここは魔族の国だったね。フェニ以外、米を欲しがる者なんてしばらくいなかったから浮かれていたようだ。おかげですっかり忘れていたさね。歳は取りたくないねぇ」
歳を取りたくないというが見た目の年齢はお嬢様と変わらないディーナさん。だが話し方はすっかりおばあちゃんである。
また、僕の味覚のことは前もって大神官様から話を聞いているらしい。ただし、僕が前世の記憶持ちであることは知らされてないようだ。僕が前世の記憶を持っていることはお屋敷のみんなは知っている。知らないのはお嬢様くらいだ。だから知られてもかまわない。
ただ、白の賢者様からもらった技能や知識のことを知っているのは大神官様、それに妖精族の女王、巫女、ヨヨさんの四人だけだ。こちらは知られるといろいろと面倒なことになりかねない。
「精霊たちがたくさんいたから、つい地元と勘違いしていたさね。失敬、失敬」
「ディーナちゃんはどこから来たの?」とお嬢様。
「そうだねぇ。ここからずっと東……東ってわかるかい?」
「あっちなの」
迷いもなく正確に東の空を指さすお嬢様。
さすがはお嬢様。地理のお勉強もバッチリです。
「そうだね。ティリアちゃんは賢いねぇ。わらわはずっと東のほうから来たんだよ」
「魔王国内ですか?」
「いや、魔王国の東端を越えて海を進むと小さな島国がある。わらわはそこで暮らしているんだよ」
その言葉に疑問を感じた。
だが、大神官様と同レベルの精霊ならば、ということで納得しておく。
納得したうえで計算するのだが、今、僕たちがいる場所は魔王国の西端にある侯爵領だ。ここから魔王国を横断し、東端まではかなりの距離がある。普通に馬車で旅をした場合、少なくても一ヶ月以上かかる距離だ。
さらに魔王国の北側から東端にかけてはドラゴンフォール山脈がそびえている。そのため山脈の一部を越えなければならない。そしてそこから海を超えたところにある島国ともなると、何日かかるかわからない。
少なくても大神官様にお米をお願いしてから二週間少々で届くような距離ではない。どう考えても早すぎるのだ。
「おうちが遠いと大変なの! ゆっくりしていって欲しいの!」
「ティリアちゃんは優しい子だね。わらわの場合、ある程度の量の水があればどこでもパパッっと移動できるからね」
なるほど。僕の疑問は解消された。
水を使って移動できるのか。多分『執事ゲート』のようなものだろう。ゲートなら距離や時間は大幅に短縮できる。魔王様より強い戦闘狂の大神官様や精霊結界が得意なリアルルさんなど、上位精霊の能力には驚かされるばかりだ。
「ところでアルクくん。その水田を一度見てみたいのだがいいだろうか」
「もちろんですとも。ご案内します」
「ティリアちゃんも一緒に行くかい?」
「……ティリアはきんしんちゅうなのでだーめなの」
少し寂しそうにお嬢様がつぶやいた。侯爵様から言いつけられたことをちゃんと守っておられるお嬢様は実に健気である。
「それにお花さんにお水をあげるおしごとが残っているの。だからティリアは残らないとだーめなの」
お嬢様は気丈に振る舞っておられた。お嬢様のその気丈な態度に僕とイーラさんは思わず目頭を抑える。クレベリは見るからに落ち込んでおり、ほかの精霊たちが気まずそうな顔でなぐさめていた。ディーナさんも僕たちや精霊の態度を見てなんとなく察したのか、それ以上何があったのかは聞かなかった。
「ふーむ。そういうことなら仕方ないさね。きっとお花も喜ぶだろうさね」
「うん! ティリアはお留守番しているの!」
「いい子だ。じゃあ、ちょっと出かけてくるからね。いいかい、お前たち。ティリアちゃんを悲しませるんじゃないよ!」
「「「おまかせください、ディーナ様!」」」
クレベリを始め、植物系の精霊たちは一斉に背筋を伸ばし、返事をする。水は植物にとって不可欠なものだ。その水を司る精霊ディーナさんは、絶対に逆らえない上司もしくは支配者といったところか。リアルルさんに対する友人のような態度とはあからさまに違っている。四大精霊という言葉があるように同じ上位精霊でも多少の上下関係があるのだろう。精霊の世界もずいぶんと世知辛いようだ。
「いってらっしゃいなのー」
「うん、うん。行ってくるからねぇ」
可愛く手を振るお嬢様。そのお嬢様にうれしそうな顔で手を振り返すディーナさん。本当の年齢はわからない。だが、その目は孫を見るおばあちゃんそのものだった。
何はともあれ精霊と心を通わせるだけでなく上位精霊まで魅了するお嬢様であった。




