第百一話 ようこそ香りの世界へ
お嬢様を追い、真っ暗な樫の木のうろに飛び込んだ僕。
一瞬、視界が闇に染まったが、それも束の間。すぐにあふれるような白い光が目の前に広がった。
まぶしさに慣れて、最初に目に飛び込んできたのはお嬢様とシュリーのうしろ姿だ。二人と一緒に入ったはずのヨヨさんの姿はそこにはない。
二人は仲良く手をつないでいたが、その場に立ったまま動く様子がなかった。どうしたのかとお嬢様たちの顔をのぞき込む。すると二人の視線はまっすぐ前方に向けられていた。僕は彼女たちの視線の先を追うようにして前を見る。
そして目の先に広がる光景に息を飲んだ。
僕の前に広がっていたのは様々な草花が一面に咲く草原だった。その草原が見渡す限り広がっているのだ。慌てて周りを見回すと僕たちが出てきた樫の木の姿はない。それどころか周りには草原以外何もない。僕たちはこの草原のど真ん中に立っていたのだ。
ときおり吹く風がほほをなで、花と草と土の香りを運んでくる。
「お嬢様! シュリー!」
「ふぁー」
少しばかりの動揺を抑えつつ、急いで二人に駆け寄る。
お嬢様は呼吸を忘れていたかのように力の抜けた声で返事をされた。あまりの出来事にお嬢様も驚いていらっしゃるのだろう。
今回、貴族であるティリアお嬢様にとってご両親が同行しない初めての『おでかけ』となる。通常、お嬢様が外出されるときは必ず侯爵様御夫妻と僕たち使用人が一緒だった。今、目の前に広がるのは子供たちだけで見る初めての『お外』の景色だ。
まだ幼いお嬢様が不安に駆られるのも無理はない。
ここは僕がしっかりしなくてはならない。何があっても二人を守るのだ。
念のため、『執事ゲート』を開き、旧シュリーカー族の村につなげる。いざというとき問題なくつなぐことができるか確認するためだ。
(よし! 問題ない)
『執事ゲート』は間違いなく旧シュリーカー族の村につながった。
これならいざというときに脱出できる。
僕は『執事ゲート』を解除したあと、お嬢様たちに声をかける。
「よろしいですか。二人とも僕から離れないでくだ――」
「わぁーい!」
「……ここはすごいの」
……僕の心配と決意もむなしく、お嬢様とシュリーは歓声をあげて走りだした。それはもう満面の笑みで。二人は不安に駆られるどころか、草原を全速力で駆けていく。スタートダッシュに失敗した『不安』は自信喪失だ。駆ることもなく早々に棄権し控え室に戻っていった。
お嬢様はやや興奮した様子ではしゃいでおられた。
シュリーの手をひき、笑顔で駆ける姿はまるで草原の天使――おおっと見惚れている場合ではない。
「お嬢様! 危ないですから!」
だが、お嬢様は止まらない。もちろんシュリーも止まらない。
まだ二歳半の子供とはいえ、お嬢様は高位魔族だ。その走る速さは並の魔族の子供とは比較にならない。それどころか同じ高位魔族の子供にも負けることはないだろう。
これには魔力が豊富な花蜜をはじめ、毒のない食材のおかげだと確信している。日頃から毒のない食材を食べておられるお嬢様は、ほかの子と比べて保有する魔力の大きさが突出していた。
そのお嬢様に平気な顔でついていくシュリーも大したものだ。以前、僕を担いで森の中を駆けたことがあった。今の彼女はそのときよりも確実に速くなっている。しかも今はキノコ型ではなく高位魔族と同じ容姿のままなのだ。本来の姿ではないのにお嬢様のすぐ後ろを走っていた。
そんな二人を僕は慌てて追いかけた。
気を抜けばあっという間に距離がひらいてしまうだろう。
もちろん速さではお嬢様たちに負けることはない。少し本気を出せば、その差はすぐに縮まっていく。
ところがだ。
ある一定の距離まで追いついたあと、その差はなかなか縮まらなくなった。それというのもお嬢様たちが走る速度を上げたのだ。
追われる側としては追ってくる者から逃げたくなる不思議な力が働くのだろうか。
「きゃあ! アルクんが追いかけてくるのー」
「……ねえさまは私が守る」
うれしそうな声をあげるお嬢様となぜか握りこぶしを固めるシュリー。
今や完全に鬼ごっこである。
それとね、シュリー。
僕はあやしい魔族じゃないから。
事案じゃないから!
草原の広さを活かしてお嬢様たちは縦横無尽の疾走をみせた。
ただ、はしゃぎすぎると……。
「あっ――」
「ねえさま!」
走っていたお嬢様が突然バランスを崩された。
心配していたことが起きてしまった。
僕は走っていた足に力を込め、思いっきり地面を蹴る。そして蹴った感触が消える前に僕はバランスを崩しているお嬢様のもとにたどり着いた。
中腰になり、お嬢様を受け止めるべく手を伸ばす。
「よし間に合った」
だが突如、僕の前に白い物体が現れた。それもひとつやふたつではない。一瞬だったがそれは綿のかたまりに見えた。そのかたまりはお嬢様が転ぶよりも早く、お嬢様へと集まっていった。
僕がお嬢様を受け止めたとき、お嬢様の身体はその白い物体によって包まれていた。よく見ればそれは丸い毛玉のようだ。大きさは直径十五センチほどでモコモコしている。その毛玉のおかげか、お嬢様を受け止めたときの衝撃はまったくなかった。
ぽふっと僕の腕に収まったお嬢様は、白いモコモコの中から顔だけを出し目をパチパチさせている。
「お嬢様、大丈夫ですか」
「……うん。大丈夫なの! ありがとう、アルクん!」
「走るときは気をつけてくださいね。それに転んでも痛くなかったのはモコモコした毛玉のおかげですよ」
「モコモコの毛玉さん?」
お嬢様は顔を動かして自分を包む毛玉を見る。そして、「これはなんだろう」という顔で首を傾けた。それにしても今のお姿は中秋の名月に用意する白玉だんごを身につけてるようだ。そういう着ぐるみだといわれても違和感がない。
しかし、突然現れたこの毛玉たちは何だろう。手に触れている感触からすると、その毛は柔らかく温かい。
ん? ……温かい?
そのときだ。
毛玉たちがもぞもぞと一斉に動きだした。
そしてひとつ、またひとつとお嬢様の身体から離れていく。地面に降り立った毛玉は群れをなすように僕たちの前に集まっていく。ようやく最後のひとつがお嬢様から離れた。しばらく様子を見ていたが毛玉から悪意は感じられない。僕は念のため、毛玉の動きに警戒しながら抱きかかえていたお嬢様を地面にそっと降ろした。
毛玉たちはじっとしたままほとんど動かない。
意を決した僕はそのひとつにそっと手を伸ばす。すると手の気配に気がついたのか、一番近くの毛玉が身もだえするかのように、もぞっと動いた。だがそれ以上動く気配はない。そのまま指で軽くつつく。指先に伝わってきた毛玉の感触は、固すぎず柔らかすぎない絶妙な感触だった。毛玉はくすぐったそうに体を震わす。すると毛玉のてっぺんから二本の突起物がぴょこんと飛び出してきた。その長さは親指ほどしかない。
それはまるで――。
「……耳?」
「あっ! ウサギンさんなのー!」
「えっ? これ……がですか」
「えー、アルクん知らないのー?」
(ごふっ)
使えない執事だと言われたも同然だった。
目に見えない大量の血が口からあふれてくるようだ。
白の賢者様も前世の知識だけでなく、こっちの世界の知識も教えておいて欲しかったと心から思った瞬間である。まったく、気の利かない神もいたものだ。
「この子たちはウサギンさんなの!」
両手を腰に当てて、ふんすと得意気な顔で教えてくれるお嬢様。
執事としてどうかと思うがお嬢様に教えていただくのも悪くない。
ありがとう、白の賢者様。この世界のことはお嬢様に教わります。
「ウサギンさんありがとなのー!」
お嬢様の声に目の前にいるすべての毛玉……ウサギンたちが一斉に耳を立てた。確かによくみればウサギの耳に見える……ような気がする。
ウサギンと聞いて、初めてリンゴ飴を作ったときのことを思い出す。あのときはお嬢様に、「たべちゃだーめなの」と怒られたものだ。
ウサギンは十五センチほどの真っ白な身体で、小さな耳がついている。手足は短いがちゃんとついていた。よーく見ると目らしきものもある。ただ、なぜか今はすべてのウサギンが目をつむっているようだ。前世にいたウサギと比べるとドワーフホトというウサギに近いだろう。だが、どう見てもウサギというよりまん丸の毛玉にしか見えなかった。あー……ウサギではなくウサギンだからいいのか。
「大丈夫? ティリアちゃん」
後ろから聞こえてきたのはヨヨさんの声だ。
振り向けば、そこには心配そうにお嬢様を見るヨヨさんとニーナさんがいた。その後ろにはリアルルさんもいる。彼女たちのそばにいたシュリーの頭には、なぜか一匹のウサギンが乗っていた。シュリーはウサギンを頭に乗せたままお嬢様に駆け寄る。……なぜウサギンを頭に乗せているのだろうか。
そんなシュリーはともかく、彼女たちはいつの間にここに来たのだろう。先ほどまで姿はなかったはずだ。それにヨヨさんはお嬢様たちと一緒に来ていたはずなのだ。
「大丈夫なのー」
皆の心配する声にお嬢様は笑顔で答える。
「……ねえさまが無事でよかったの」
お嬢様の元気な声に駆け寄ったシュリーも一安心のようだ。
「よかったよー。ケガしたら大変だしー」
おや? リアルルさんの雰囲気がずいぶんと変わっている。侯爵様に挨拶していたときとはまったくの別人のようだ。
彼女に元気がないと、以前、ドラゴは言っていた。だが、今の様子を見るかぎり、その心配はなさそうだ。顔色もいいようだし口調もはっきりしている。まあ、ドリアードの顔色なんて正直見てもわからないから判断しようがないが。
念のためじっと彼女の様子を観察する。
さらに、じとーっと彼女を観察する。
「……うっ」
うっ?
なぜか彼女がうめき声をあげた。
「ちょ、ちょっと待って! ティリアちゃんたちを置き去りになんてしてないわよ。ちゃんと見ていたわよ! ヨヨとニーナに話があったから、少しだけ違う場所に行ってただけなのよ。ほ、ほら。ウサギンを連れてきたのも私だし。あっ、でも勝手についてきちゃっただけなんだけど」
僕の視線に耐え切れなくなったのか、彼女は焦った様子で話しだす。聞いてもいないことを話してくれたけど、置き去りにしたなんて思っていない。
「リアルルさん、ありがとうございますなの」
ついてきちゃっただけのウサギンだったが、結果としてリアルルさんがつれてきたと判断されたのだろう。素直で優しいお嬢様は、ちゃんと彼女にお礼を言った。
「ティリアちゃんを助けたのはウサギンよ。それにティリアちゃん。私たちはお友達なんだからリアって呼んでね。ティリアちゃんのリアともおそろいよ」
「ほんとなの! ティリアとリアちゃんはお友達なの」
「もちろんシュリーちゃんも私のお友達よ」
「……おそろいの『リ』なの。お友達なの」
「だ、だから普通にお話ししましょ。ねっ、ねっ?」
彼女の口調は、多少くだけた話し方になっていた。おそらくこれが普段のリアルルさんなのだろう。
その彼女は僕の顔色をうかがっているようだ。ちらちらと僕を見ながら、ねっ? ねっ? と言っていたから間違いない。普段の口調でお嬢様と会話したいとその目が訴えている。
だがそれは僕が判断することではない。
それにわざわざ答えるつもりもない。
貴族であるお嬢様への態度については、お嬢様が許すかぎり自由である。もちろん相手が貴族なら作法や上下関係もあるので話は別だ。
しかし、リアルルさんは魔族でも貴族でもないのだ。友人だとお嬢様がおっしゃるうちは口をはさむ問題ではないし、はさむべきではない。もちろん目に余るような無礼な態度をとったり、お嬢様を悲しませたりする場合は別だ。それにお嬢様の友達であろうと、何かあった場合はお嬢様を優先することに変わりはない。
精霊なのでご自由に。でも調子こいたらわかってますよね? ということだ。
「俺様を友達だと思ってなれなれしくするんじゃねぇ。炒めるぞ!って顔してるぅー」
「していませんし、食べません」
野菜炒め的なことだろうか? ドリアードだけに? 言ってる意味がよくわからない。
しかし、どうしてそんな物騒なことを僕が言わねばならないのか。
先ほどから僕を見る彼女の目と態度がおかしい。
どこか怯えているようなのだ。
侯爵様の庭でも声をかけられることなく、違和感のある笑みを向けられただけだった。今を思えば向けられた笑みもひきつっていたように思える。目を合わせてはいけないものに目を合わせてしまった、という笑みだ。
今も腫れ物に触るかのような態度だし、恐る恐るといった感がビシバシと伝わってくる。
何かしでかしたかなと自問してみるが思い当たるフシはない。少なくとも『まだ』口と態度には出していない。
――そうなると。
「……ヨヨさん、彼女に何を言ったんですか?」
「……ひゅう、ひゅう」
ヨヨさんは僕から顔をそむけ、吹けていない口笛を鳴らしている。
心なしか大量の汗が見えるのは気のせいだろうか。
恐らく彼女はリアルルさんにあることないこと吹聴したのだろう。遠慮のない執事だとか、お嬢様に敵対する者に容赦ない執事とか。
「え? ヨヨ! 昨日言ってた話ってデタラメなの? 血も涙もない極悪非道の執事だとか悪魔を従えてるとか、お嬢様に敵対する者を滅してその魔力をすする執事とか言ってたじゃない!」
「可愛いいたずら?」と泳いだ目で話すヨヨさんであった。
やっぱり、あんたか。
しかも思っていたよりもひどかった。
どうやら昨日から仕込んでいたようだ。『妖精の奇跡』を準備するために一週間ほど留守にしていたヨヨさんは、リアルルさんのところで工作活動もしていたらしい。なんと恐ろしい妖精だろうか。
そんな話を聞かされていたらお屋敷に来たときの緊張した態度も理解できるというものだ。
そもそも僕がそんなひどいことをするわけがない。
まあ、確かに悪魔は従えてる。これは認めよう。それにお嬢様に敵対する対象の抹殺は執事としての基本業務だ。僕が魔力をすする? 冗談じゃない。魔力を吸うのは僕ではなくソウルイーターだ。そのソウルイーターが吸った魔力は僕のものになる。ただそれだけのことだ。
ん? あながち間違っていない?
……あれ?
……あれれ?
場所は変わって、ここはお茶会の席。
イスにちょこんと座ったお嬢様たちは、リアルルさんがブレンドしたハーブティーを楽しんでいる。僕は給仕としてリアルルさんのお手伝いだ。
「ごめんねぇ。ヨヨが変なこと教えたから」
「いえ、いいんですよ。気にしないでください」
「おいしいのー!」
「……うん。おいしい」
「うう。ソースに合うのに。合うはずなのに」
「新作なのに! 新作なのに!」
今、僕たちは彼女の家の前にある緑豊かな庭にいる。
均等に刈られた芝生が一面に敷かれ、周りに咲く草花も美しい。近づかないとわからないがおそらくハーブの一種だろう。
彼女によるとハーブ園そのものは少し離れた家の裏手にあるらしい。彼女が住む家はこじんまりとしていながらも一人で住むのに十分な大きさだった。白い壁が庭の緑によく映えている。家の軒や梁には、乾燥させたハーブがいくつもぶら下がっていた。
お茶会用に用意されたライトブラウンの木製テーブルの上には、ハーブティー以外にもリアルルさんの焼いたハーブクッキーが置かれている。また、僕もお菓子を一品用意していた。今回用意したのはシュークリームだ。カスタードクリームと生クリームがたっぷり入った一品である。
「このシュークリームって美味しい! 生地とたっぷり入った二種類のクリームが絶妙なバランスになってるよ! アルクん、やるわね」
「恐れいります。バニラという植物の香りをつけるとさらに美味しくなりますよ」
「バニラ……バニラ……確かうちにあったはずよ」
リアルルさんは持ってきたシュークリームを気に入ってくれたようだ。それにこのハーブ園にはバニラがあることもわかった。バニラは香りづけに使うハーブの一種だ。彼女は僕が探りを入れたことに気がついてはいないようだ。
樹木の精霊であるリアルルさんは、炎の精霊の大神官様と同じく味を理解できる。味の評価が共有できることでお嬢様もうれしそうだ。
そのお嬢様も気に入ってくれたようで、目を輝かせて食べておられる。両手でシュークリームを持って食べる姿は実に愛らしい。シュリーも気に入ってくれたようで、シュークリーム片手に、「……シュリーとシュークリーム……同じシュ……ふふ」と笑っていた。……嬉しそうでなによりだ。
ちなみにリアルルさんは僕をアルクんと呼ぶことにしたらしい。
妖精の悪影響、恐るべしである。まさかと思うがこれもヨヨさんの工作だろうか。
ニーナさんが例のソースをシュークリームにかけようとしていたが、リアルルさんと僕が阻止した。彼女も危険物の存在を知っていたので話が早い。即時、ハーブ園の主人の権限により、激辛ソース禁止令が出されることになった。特に今はお嬢様とシュリーがいるのだ。二人が真似したら困る。
「ストップ! 劇物。ダメ、絶対」である。
危険物の排除という仕事を終えたあとの僕は、ここに来るまでのことを思い出す。
「そういえば、あの魔法はすごかったですね」
「まあ、一応、私、精霊だし」
草原でお嬢様が転びそうになったあとの話だ。
全員そろったのでリアルルさんの家に向かうことになった。
それはまさに驚きの連続だった。
まずリアルルさんが指をパチンと鳴らすと、草原だった風景は一変し、目の前に巨大な木が現れたのだ。その木には大きなうろがあった。案内されるまま、うろの中に入ると、いつの間にかリアルルさんの家の前に立っていたのだ。
もしやと思い、慌てて後ろを振り返ったが先ほどの木の姿はない。侯爵家の庭から草原へと移動したときと同じだった。
どういう仕組みだろうと考えていると、リアルルさんがドリアードの移動魔法について教えてくれた。彼女は僕に対する評価がヨヨさんの(悪質な)いたずらだと知ってからは気軽に声をかけてくれるようになった。
リアルルさんによると、先ほどの草原は場所と場所をつなぐための媒介、中間地点となる空間だそうだ。しかもその空間は世界の狭間にあり、誰もが入れる場所ではないという。
場所と場所をつなげるドリアード特有の移動魔法。木があれば世界中につなげられるが、リアルルさん以外が利用するにはいろいろ制限があるらしい。草原のあとに現れた巨大な木はこの家に続く扉だそうだ。話によると、どうやら彼女の家は一軒だけではないらしい。
媒介となる空間があるため、悪意をもった者に侵入される恐れはない。そう考えるとこれほど安全な移動魔法はないだろう。悪意を持った者が入り口となる木に飛び込んでも、その先は出口のない草原だ。
「スゴイデスネー」
誰もが入れる場所ではない。
そう豪語する彼女だったが、『執事ゲート』で出入り自由だった。このことを彼女に言ったら騒ぎになりそうなので黙っておく。
「ティリアちゃん、シュリーちゃん。お茶のおかわりはいるかな?」
「もらうのー!」
「……おかわりなの」
「はーい。新しいお茶をいれるねー」
「あっ、リアルルさん。僕がやります」
「あら悪いわね。すっかり任せちゃって」
「いえいえ、執事ですから」
今、お邪魔しているこの家は『モフォグ大森林』の中心部にある家だ。敷地の周りを精霊結界によって保護しているため、大森林に住む凶悪な魔物たちは近づくこともできないという。
ドリアードの精霊結界とは先ほどの移動魔法を応用したもので、結界に入った者を違う場所に飛ばし迷わせるという。行き先のわからないゲートに連続して飛び込むようなものだ。しかも出口はない。なんとも恐ろしい結界である。
ちなみにここでもこっそりと『執事ゲート』を試してみたが、あっさりと結界を抜けてしまった。結界から結界(笑)になってしまった。当然、このことも彼女には黙っておく。
また先ほどのウサギンたちはこのハーブ園に住んでいるそうだ。森でケガをしたウサギンを保護していたらいつの間にか増えてしまったと彼女は笑う。
マンドラゴラのドラゴたちの一族も彼女に助けられたと言っていた。彼女は困った者を助けないと気がすまない性分なのだろう。
僕は彼女にウサギンについて詳しい話を聞いた。
セイバスさんにもらった図鑑にもウサギンのことは書かれてなかった。いや書かれていないというよりも書かれていただろうページが破られていてなかったのだ。おかげでウサギンのことはさっぱりわからないままだった。
リアルルさんによるとウサギンは大陸のどこにでも生息しているそうだ。だが暑さに弱いためか、雪山や森など比較的涼しい場所に住んでいることが多いらしい。
警戒心が強く、めったに出会うことはない。また、あの大きさで大人だという。さらに、「生まれたころのウサギンはこれくらいよ」と彼女は親指と人差し指で丸を作るのだった。
そんな警戒心の強いはずのウサギンだが、お嬢様とシュリーの魅力にはあらがえなかったようだ。二人の膝の上にはウサギンが一匹ずつ丸まっていた。お二人の白いワンピースが仲間だと思わせたのか、ずいぶんとおとなしい。目をつむっているので起きているのか寝ているのかはわからない。
そのウサギンたちは精霊である彼女をいろいろ手伝ってくれるらしい。
まあ、手伝いといっても大したことはできない。せいぜい雑草を食べるくらいだ。ただ不思議なことにハーブを食べることはないという。
丸いだけの白い毛玉と思っていたが思いのほか頭がいいようだ。
だが、ウサギンの言葉は残念ながらわからないとリアルルさんは苦笑する。
そういえばリアルルさんは若いドリアードだとヨヨさんが言っていた。その若さゆえに本来の能力である植物との会話もできないそうだ。そのせいか植物に詳しくなく、植物の気持ちもよくわからないらしい。
ただ、その能力があってもウサギンとは会話できないだろう。だって相手は動物だし。
新しいお茶をいれている間、お嬢様たちはおしゃべりを楽しんでいた。今はハーブの花について話しておられる。文字通り、話に花が咲いている。リアルルさんもハーブの魅力について熱く語っていた。特にお嬢様とシュリーが持っている匂い袋はリアルルさん渾身の一品だという。
お茶を皆に配り終え、あいた食器を片付けようとしたときだ。
「そうそうアルクん。この前はハーブのことで相談に乗ってくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「いえいえ。お役に立てたようでなによりです」
「今ではドラゴたちがハーブ園の世話を手伝ってくれるのよ」
「ドラゴたちも手伝いができて喜んでいるみたいですよ」
これはお茶会のことで何度か連絡を取り合っているときに、彼本人が言っていたことだ。
僕にはドラゴたちの気持ちがよくわかる。
主人に奉仕できることは使用人としての喜びでもあるのだ。
ただ連絡するたびにレンコンを持ってくるのはどういうことだろうか。美味しいからいつももらっているけど、どこで育てているのだろう。
「まさか増えすぎが原因でハーブたちの元気がなくなるなんて思わなかったよ」
「今はもう大丈夫なんですか?」
「うん、おかげさまでね」
「あのぅー、そろそろ私にも新作のお菓子が欲しいなーって」
会話の途中、遠慮がちにかけられた声の方向に目をやると、テーブルの上で正座をしているヨヨさんがいた。上目遣いで交互に僕とリアルルさんを見ている。
彼女が正座をしているのは言うまでもない。
僕のあることないことを吹聴し、リアルルさんをひっかけた罰である。本人としては可愛いいたずらのつもりだったようだが、リアルルさんは僕以上に怒っていた。当然、反省中のヨヨさんにシュークリームは出していない。新作なのに食べられないと嘆いていたが、これも自業自得だ。
「今回の件はヨヨが悪いよ」
「えー、昔は笑ってくれたじゃない。ちょっとした妖精ジョークなのにー」
「冗談でも言っていいことと悪いことがあるっての。アルクんだって傷ついたに違いないよ」
いえ、あながち否定しきれなかったので大丈夫です。
「アルクんなら大丈夫!」
なぜだろう。あっさり断言されるとイラッとする。
「あっ、そうなの」
どうしてだろう。あっさり納得されるとガクッとくる。
「まあ二人ともそこまでにしておきなさいよ。ティリアちゃんとシュリーちゃんも見ているんだから」
この中で、一番の大人であろうニーナさんがやんわりと二人をさとした。……そういえばヨヨさんとリアルルさんの年齢知らないな。聞かないし聞けないけど。
その忠告に顔を見合わせた二人は仲直りすることにしたようだ。ケンカするほど仲が良いっていうしね。まあ、ケンカというよりもヨヨさんの悪乗りが原因である。
「では、仲直りのシュークリームをどうぞ」
僕は『執事ボックス』から出した新しいシュークリームを全員の前に置いた。
「きゃあ! アルクん、ありがとう♪」
ありがとうといいながら抱きつくヨヨさん。抱きついた先はもちろんシュークリームのほうだ。さすがは甘党妖精、ブレることはない。彼女はシュークリームの生地をかきわけ、中のクリームをスプーンですくって食べ始めていた。
ニーナさんははしゃぐヨヨさんに苦笑しながら、飲み物代わりの花蜜を用意している。
今にも胸焼けになりそうな光景だ。
生地も食べなさい! 生地も!
「アルクん、アルクん」
「はい、なんで……しょう」
僕を呼ぶお嬢様の声に振り返る。振り返った拍子にお嬢様の足元で動く白いものが目に入った。ふとお嬢様たちの足元を見ると、そこには二十匹ほどのウサギンが集まっていた。まるで白いじゅうたんだ。先ほどまでいなかったはずなのに、いつの間に集まったのだろうか。そのウサギンたちは膝の上でまどろんでいるウサギンをうらやましそうに見ている。
「アルクん。ウサギンさんたちが遊ぼうって言ってるの!」
「……きっと言ってるの!」
その声に足元のウサギンたちが耳を立て、もぞもぞと動きだす。まるで、「そのとおり」と返事をするような動きだ。
最もウサギンの声はシュリーには聞こえないようだ。
「わかりました。でも近くで遊んでくださいね」
「えっ! ティリアちゃん、ウサギンとお話しできるの!?」
驚いたようにリアルルさんが声をあげた。
だが重要なのはお話しできるかどうかではない。
「お嬢様がおっしゃるのならウサギンはそう言っているのです」
「……え? なに? どゆこと?」
なぜわからないのだろうか。
リアルルさんは目を白黒させながら聞き返してきた。
その間にもウサギンを踏まないようイスからおりたお嬢様とシュリーはテーブルから少し離れた庭の一角に向かっている。そのあとをウサギンたちの群れが跳ねながら我先にとついていった。今にも、「わーい」と聞こえてきそうなくらいの跳ね方だ。
「えっ? えっ?」
目的の場所についたお嬢様がその場でしゃがむ。そしてウサギンを両手で抱き上げると、自分とシュリーの頭にぽんと乗せた。頭に乗せられたウサギンは抵抗することなく為すがままだ。しかも乗せられたウサギンは、二人の頭の上でリラックスしているようにも見えるから不思議なものだ。ほかのウサギンはというと、お嬢様たちの周りでおとなしく待っている。その姿は、「次は私ね」と順番待ちをしているようだ。
さすがはお嬢様。すでにウサギンの心を掌握しておられる。
「え? なんで?」
「リア。深く考えちゃダメ」
「そうそう」
「どうしてあんなになついてるの? 私、あんなふうになつかれたことないんだけど」
ヨヨさんとニーナさんは互いにうなずきあっている。
納得がいってないのはリアルルさんだけだ。
「まってまって。ウサギンの声なんて私でも聞こえないのよ。なぜティリアちゃんは聞こえるのよ!」
「お嬢様だからです」
「アルクんは黙ってて!」
「アッ、ハイ」
ずいぶんと僕にも慣れてくれたようだ。
容赦のない言葉が飛んでくる。
「そういえば前もスノーンとお話ししてたわね」とヨヨさん。
「え? 中位精霊ならともかく下位精霊のスノーンと意思疎通なんてできないでしょ」
「名前まで聞いてましたね」と僕。
「スノーンに個別の名前なんてないはずなんだけど?」
スノーンとは見た目が雪だるまそっくりな雪の精霊だ。お嬢様が使った召喚魔法の呼びかけに答えたのが、王都に迷い込んだスノーンのユキだった。下位精霊であるスノーンは本来、意思疎通などできず、会話もできない。そのため契約を結ぶことすら難しいとされる。
もちろん精霊同士であれば下位精霊ともある程度の意思疎通は可能だ。中位精霊であれば当然、会話もできる。
しかしお嬢様は下位精霊のスノーンと会話し、困難なはずの契約まで結んでいる。スノーンのユキにとってお嬢様の魔力はとても心地良いものだったらしい。今もお嬢様の髪にはスノーンとの契約の証である雪の結晶を模した髪飾りが光っていた。
「精霊召喚が得意なエルフでもスノーンと契約したなんて聞いたことがないわ」とニーナさんがため息をこぼす。
「ほへー。下位精霊と契約まで? よっぽど気に入られちゃったのかな。不思議なこともあるんだね。ティリアちゃんってすごいわぁ」
当然である。
お嬢様はすごいのだ。
「そんなすごいお嬢様のことで、リアルルさんにお話しがあるんですけど」
僕は魔族の味覚のこと、お嬢様の味覚のことを話した。そしてリアルルさんが育てているハーブを取引してもらえないか相談する。お嬢様のために定期的にハーブを分けて欲しい、と。そして少しでもいいからハーブを魔王国で販売させてもらえないか交渉した。
リアルルさんは話を聞き終えたあと、黙ったまま考えにふけっていた。
そして開口一番、「条件があるわ」と彼女は言った。
「その条件とは?」
「それはハーブ園を見てもらいながら話そうか。ティリアちゃんたちも退屈だろうし」
「おおっ!」
案内されたハーブ園はすばらしいものだった。それはもう色と香りがあふれる空間だ。辺りに漂う香りは混ざり合っても不快ではない。しかも驚くことに季節関係なく様々なハーブが存在していた。春に咲く花と秋に実をつけるハーブが仲良く並んでいるのだ。さらに小川まであった。透き通った水が太陽の光を反射している。
またここにあったのはハーブだけではない。
香辛料である。
目に入っただけでもコショウ、シナモン、ナツメグ、トウシキミ(スターアニス、八角とも)の木があった。ローズマリーやマスタード、カルダモンなども見える。
さらにチョコレートの原料となるカカオ豆、小川にはワサビの苗まである。
まさに香辛料の宝庫。
僕が考えていた以上のハーブ園だ。
ここまで一緒に歩いてきたお嬢様とシュリーも見たことのない草木やハーブの花にくぎ付けになっていた。特に、木の幹に直接実がなるカカオの木には興味津々のようだ。赤や黄に熟した実を不思議そうに観察しておられる。
お嬢様たちと遊んでいたウサギンたちもついてきたようだ。見慣れているはずのカカオの木に集まり、お嬢様と一緒にその実を観察していた。
お嬢様が引率の先生のように見えるのは気のせいではない。周りのウサギンは幼稚園児といったところか。
「すばらしいハーブ園ですね」
「すごいでしょ!」
「確かにこれだけたくさんあると大変でしょうね」
ハーブ園ではマンドラゴラが余分な芽を間引きしていた。僕たちに気がつくと軽く手を振ってくれる。会ったころのドラゴと違い、実に愛想がいい。
お嬢様のそばにもいつの間にか何体かのマンドラゴラが近づき、カカオの説明を始めていた。しかも子供でもわかるよう面白おかしく身振り手振りで説明している。どこかのドラゴとは大違いだ。
お嬢様たちもその話を楽しそうに聞いておられる。まさに幼稚園児の遠足や工場見学のようだ。ウサギン幼稚園を魔王国に作ったらはやるかもしれない。
「昔、交流会をひらいていてね。ここにあるハーブたちは参加してくれた種族たちに分けていたのよ。もちろん彼らが持ってきてくれた花もたくさんあるわ」
この話はヨヨさんやニーナ、それにドラゴからも聞いている。
以前、このハーブ園ではリアルルさん主催の交流会が行われていた。交流会には彼女の育てたハーブを求めて多くの種族がやってきたそうだ。そして育てたハーブは無償で分け与えていたという。ハーブは薬として使えるものも多いし、その香りは日々の暮らしと心を豊かにしてくれる。さぞかし多くの種族が集まったことだろう。
だが、その交流会はある日を境に打ち切られてしまう。その理由は誰にも語られることはなかったそうだ。今では特別仲の良かった妖精とエルフの友人、もしくはふたつの種族の紹介状を持った者しかハーブ園に来られなくなった。
僕がリアルルさんやドラゴと知り合えたのも、妖精のヨヨさんとエルフのニーナさんが紹介状を書いてくれたおかげだ。
「今はやってないそうですね。どうして急に交流会をやめられたのですか?」
僕はあえてその理由を彼女に聞いた。
これは仲の良かったニーナさんにも語られなかったことだ。
ドラゴに聞いた話だが、彼女自身、交流会を楽しんでいたという。それなのになぜやめてしまったのだろうか。
「うーん……そう、ね」
言いづらそうな顔でヨヨさんとニーナさんを見る彼女。親友である二人にもその理由を話していないから余計に言いづらいのだろう。きっと皆には何か言えない事情があったはずだ。眉にしわを寄せたまま心苦しそうな顔をしている。
「無理にとはいいませんよ」
「ううん。あなたたち魔族なら大丈夫。それにいい加減ヨヨとニーナにも言わなくちゃ」
魔族なら大丈夫?
「ここにはね、私以外の精霊もいるの」
ポツリポツリと話し始めた彼女の話によると、このハーブ園には植物系の精霊が数多く住んでいるという。『モフォグ大森林』のおかげか植物系の精霊が集まりやすい場所らしい。その精霊たちは高位精霊であるリアルルさんと違い、中位精霊や下位精霊たちだ。
「え? そうなんですか?」
周りを見回してみるがそれらしい姿はない。
「そういえば今日はまったく見ないわね」とニーナさん。
「今は違う場所に行ってもらってるからね」
他種族との交流がまだあったころ、ここには植物系の中位精霊や下位精霊が数多くいたそうだ。特に意思疎通のできる植物系の中位精霊は好奇心が強かった。自分たちとは違う種族に興味津々だったようで積極的に話しかけていたらしい。交流会に参加した者たちも精霊との会話を楽しんでいたようだ。
だが、ある日突然、一体の中位精霊が暴れだした。
精霊の狂化である。
精霊の狂化は無理やり召喚されたり、不当に契約を放棄されたり、精霊本来の属性が失われたりした場合に起きるという。
精霊の狂化が起きたとき、幸いにも皆が帰ったあとだった。
そのおかげで怪我人はいなかったそうだ。
リアルルさんはその精霊をなだめようとしたが、一向に収まることはなかった。必死に話しかけても狂った精霊に彼女の声は届かなかったそうだ。それどころか狂った精霊の言ってることもわからなかったという。
結局、その精霊を精霊結界の中に閉じ込め、眠らせることになった。同じ精霊から自由を奪ったことに心を痛めた彼女は中位精霊が狂った原因を調べた。もちろん狂った精霊を元に戻す方法も必死になって探したそうだ。
原因がわかるまでの間、他種族との交流を中止にしようと思ったそうだ。
いつまた狂化が起きるかわからないし、原因もわからないままだ。前回はたまたま誰もいなかったから良かったが、皆がいるときに狂化が起きたらケガだけでは済まないかもしれない。
だが……結局、交流会は続けられた。
もちろん彼女なりに対策はした。
このハーブ園に来た者たちに近づかないよう精霊たちに言い聞かせたのだ。突然狂化しても精霊が近くにいなければ対処できる。そう彼女は思ったそうだ。
そしてすぐに……二体目の狂った精霊が現れた。
しかも前回と同じく皆が帰ってすぐの出来事だ。
さすがに同じことが二度も続くのはおかしい。
しかし、原因はわからない。
ただほかの精霊たちからの証言でわかったことがひとつだけあった。
今回、狂った精霊は彼女のいうことを聞かなかった。近づくなと言われていたのに、交流会の参加者たちに話しかけていたそうだ。
狂った精霊と話をした参加者は三名だとわかった。そしてそれぞれ別の種族の者であることも判明した。
初めて精霊の狂化が起きたときもこの三名は参加していたそうだ。
「それぞれの種族はわかりますか?」
「獣族、龍族、人族よ。でも彼らだという証拠はないから」
「交流会をやめたあと精霊が狂ったことは?」
「……ないわ」
「なぜその三種族だけ出入り禁止にしなかったんです?」
「何の確証もないのよ? 変に疑うのもよくないし」
「せめてしばらくの間だけでも出入り禁止にすればよかったんですよ」
「犯人と決まったわけじゃないのに、三種族だけを禁止にするのも悪いじゃない」
(……ハァ)
結果としてすべての種族との交流がなくなった。
僕は彼女に聞こえないよう、ため息をついた。
まあ、今は本人に何も言うまい。
彼女は気がついていないのかもしれないが、交流会を中止したことは間違っていた。交流会を中止にしたところで意味はないのだ。
このとき三種族だけを出入り禁止にしておけば、少なくても原因の絞り込みはできたはずだ。三種族を出入り禁止にして精霊が狂わなければ、原因はその三種族の可能性が高くなる。そうなれば、ほかの種族たちとの交流は続けられたはずだ。
逆に三種族がいなくても精霊が狂うのであれば、精霊もしくはハーブ園側に問題があるとはっきりしたはずだ。
そのときこそ交流会を中止にするべきだった。すべてをやめてしまった今では何が原因だったのかわからないままだ。
(おとり捜査とか泳がすとかして尻尾をつかめばよかったんだよなぁ。三種族を一種族ごと別の日に呼んで罠にかけるとかさぁ。まあ、これやったら精霊が何体か犠牲になる可能性もあるけど)
結果として精霊の狂化は止まった。
しかし交流会は中止になったままだ。
三種族に話を聞く機会ももはや失われている。交流会中止前なら泳がすことも追求することもできたはずだ。だが今となっては、「たまたまその二体の精霊が狂っただけでは?」と言われておしまいである。
結局、三種族が怪しい可能性が高まっただけだ。
狂ってしまった精霊は今もリアルルさんの精霊結界の中で眠ったままだ。解決の方法は糸口すら見つかっていないという。
今回の精霊の狂化に関して交流会に参加したことのない種族は疑われなかった。例えば魔族、ドワーフ族、海洋族などだ。
「だから先ほど魔族なら大丈夫と言ったんですね」
そう確認すると彼女は黙ったままうなずいた。
交流会を中止した理由を話してくれたのは、「この件とは関係のない魔族」だったから話せたようだ。
「お嬢様たちを招待した理由も精霊の狂化とは関係のない魔族だからですか?」
「それもあるわ」
「それも?」
「前から一度、魔族に会ってみたかったの。ヨヨとニーナがアルクんを紹介してくれたときには驚いたわ。もちろんお花を大切に育ててくれたティリアちゃんなら魔族じゃなくても招待してたわよ」
会ってみたかったはずの魔族について、いろいろ誤解していたのは誰だっただろうか。まあ、すべてはヨヨさんのせいだけど。
いつの間にかラベンダーが咲いている場所に移動していたお嬢様たち。そんな彼女たちの歓声が聞こえる。ラベンダーに顔を近づけては花の香りを楽しんでいるようだ。
お嬢様たちのはしゃぐ姿を見てリアルルさんは微笑を浮かべる。だが、その顔は決して晴れやかとはいえなかった。
(……魔族に会ってみたかったねぇ)
「ちょっと! 狂った精霊のことをなんで言わなかったのよ!」
これまで黙っていたニーナさんが声を荒らげた。
幸いにもマンドラゴラと仲良く話すお嬢様たちには聞こえなかったようだ。
「精霊の狂化のこと、どうして黙ってたの!」
「ご、ごめんなさい。精霊のことだったから言いづらくて」
リアルルさんは狂った精霊のことを誰にも話していなかった。ハーブ園にいるドラゴたちにも黙ったまま隠していた。すべて自分の中に抱え込んでいたようだ。
かしこまっているリアルルさんにヨヨさんも我慢できなくなったようだ。
「なに一人で抱えてるのよ! 友達なんだから相談くらいしなさいよ!」
「は、はい!」
抗議の声をあげるヨヨさんとニーナさんの二人。だが、その顔は怒りながらもどことなくうれしそうだ。友人として相談して欲しかったという怒り。それにようやく話してくれたという喜びの感情が混ざっていた。
「ご、ごめんなひゃい!」
ヨヨさんからほほを引っ張られ、ニーナさんから説教を受ける彼女。その姿は姉に叱られる妹のようだ。リアルルさんは二人に何度も謝っていた。ただその顔は先ほどまでと違い、ずいぶんと晴れやかだ。
しばらくして二人から開放された彼女は僕へと振り返り、真面目な顔で言った。
「アルクんには私の手伝いをして欲しいのよ。精霊が狂った原因と狂った精霊を元に戻す方法を探しているの。それがハーブを取引するための条件よ」
「僕がですか?」
「そうよ! アルクんは優秀だとヨヨから聞いているわ」
またヨヨさんか!
その言葉にヨヨさんをにらもうとするが、先ほどまで目の前にいた彼女の姿はない。ニーナさんも、「さっきまでいたのに」と首を横に振っている。
彼女の姿を探すため辺りを見回すと、ヨヨさんはいつの間にかお嬢様の頭の上でウサギンと一緒になってくつろいでいた。
なんという逃げ足。
妖精の危機回避能力はずいぶんと高いらしい。どうやら彼女にシュークリームはまだ早かったようだ。
「お願い! 精霊たちを助けて! できれば元に戻してあげたいの」
「……ハアァ」
今度は彼女に聞こえるよう、僕は大きくため息をついた。




