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【BL】教官は、俺を好きになっちゃだめらしい。  作者: 彩羽やよい


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3/30

命令違反にはお仕置きを。 -1-

【今回のお話】

 任務中、教官を守ろうとして命令違反をしたニコ。

 無事に帰ってはきたものの、どうやら教官はかなり怒っているようです。

 恋人になったあとの二人のお話。

 任務中に降り始めた細い雨が、石畳を黒く濡らしている。

 ニコは、少し前を歩く、ダリオの大きな背中を眺めていた。見慣れているはずなのに、今日は妙に余計に大きく感じる。

 濡れた黒い外套。広い肩。後ろで束ねられた赤い髪。


 いつもなら隣まで追いついて、どうでもいい話のひとつくらいする。

 けれど今日は、なんとなく声をかけられなかった。

 ダリオが、一度も振り返らないからだ。


「…………」


 怒ってるなあ、たぶん。いや、間違いなく。

 ニコは、ぽりぽりと鼻の頭を掻いた。雨に濡れたくすんだ淡金の髪が、額へ鬱陶しく張りついている。


 帰還してからここまで、ダリオは必要なことしか喋っていない。

 負傷者の確認をして、報告をまとめて。装備の損耗を確認して。

 ニコの射撃記録も、もちろん見た。


 その間、一度も叱られなかった。

 だから一瞬だけ、もしかしたら、そこまで怒っていないのかもしれない、なんて思った。

 それでも、彼と長く一緒にいるニコは知っている。

 教官は、本当に怒っているときほど静かになる。


「…………やだなぁ」


 小さく呟いても、前を歩く背中から返事はなかった。


 ◆


 家へ入ると、いつもの匂いがした。木と、紙と、少しだけ残った煙草。

 ニコのカメラや、現像済みの写真が置かれた棚。

 脱ぎっぱなしにしていた上着。この前勝手に使って、そのままにしていたマグカップ。


 見慣れた部屋だった。ニコが勝手知ったる顔で歩き回っても、もう誰も不思議に思わない場所。

 普段なら玄関を入っただけで、身体から力が抜ける。

 今日も、そのはずだったのに。


 背後で、扉が閉じる。かちりと鍵の音がしただけで、妙に空気が変わった気がした。

 ニコは靴を脱ぎながら、ちらりと後ろを見る。

 ダリオはまだ、何も言わない。

 濡れた外套を脱ぎ、いつもの場所へ掛ける。

 一本ずつ指を抜き、やたらゆっくりと手袋を外し、それから、眼鏡を外した。


(…………うわ)


 ニコは、なんとなく目を逸らした。

 眼鏡を外したから、怖いわけではない。

 ただ、考え事をするときや疲れているとき。

 そして、本気で何かを話すとき。

 ダリオはよくそうする。


 外した眼鏡が、テーブルの上へ置かれる。

 小さな音だったのに、妙にはっきり聞こえた。


「ニコ」

「……はい」

「こっち来い」


 やっぱり。

 ニコはソファの端へ腰を下ろしたばかりだった。

 じり、とわずかに身を引き、そこからダリオを見る。


「ここで聞いてる、から」

「こっち来い」

「ここでも聞こえるよ?」

「三度言わせる気か?」


 どうやら、逃げようとしても無駄らしい。

 ニコはしぶしぶ立ち上がると、わざとゆっくり歩いた。

 一歩、二歩と距離が縮まるほど、見上げる角度が大きくなる。

 ニコが目の前まで来ると、ダリオは腕を組んだ。

 黒いシャツの下で胸板が持ち上がり、ただ立っているだけなのに、ニコの視界のかなりの部分を塞いでしまう。


(こういうときばっかりさ。……この身長差、ずるくない?)


 そんなことを考えても、口には出さなかった。

 もし今そんなことを言ったら、余計に怒られるのは目に見えている。


「今日の命令、言ってみろ」


 低い声が、ニコの頭上から落ちてくる。


「……待機。状況が変わるまで撃つな」

「聞こえてたんだな、理解もしてた」

「してた」

「なのに撃ったわけだ」

「…………うん」


 言葉がひとつずつ置かれていく。逃げ道を塞ぐように。

 ニコはいつの間にか、床を見ていた。


「顔上げろ、ニコ」


 ニコは仕方なしに、上を見た。

 怒鳴られているわけでも、睨みつけられているわけでもない。

 むしろダリオの表情は冷静だった。だからこそ、余計に嫌だったのだが。


「何で撃った」

「……だって夜喰いがさ、教官のほう、行ったから」

「それで? 俺が対処できないように見えたのか」

「違うよ」


 ニコはそれだけ、反射的に答えた。声も、さっきまでより大きくなる。


「教官が強いのは知ってるよ」

「なら待てたはずだよな。指示が出るまで」


 教官が正しい。何も言えない。あのときだって、頭ではわかっていた。

 照準の向こうで、建物の隙間を這っていた夜喰いは、まだこちらには気づいていなかった。

 射線は通っていたけれど、撃つなと言われていたから、指は引き金へ添えたまま、じっと待っていた。


 ちゃんと、良い子で待っていたのだ。あれが進路を変えるまでは。

 黒い身体が別の路地へ向いて、その先に見えた赤い髪。

 考えるより早かった。

 照準を合わせて、引き金を引いた。

 命令のことなんて、その瞬間には頭から消えてしまった。

 ニコが唇を尖らせ、ぽつりと零す。


「……やだったんだもん、教官のほう行くの」


 ダリオの眉が、わずかに動いた。

 ニコはその変化に、本当に少しだけ、胸の奥が緩んだ。理由を聞けば、わかってくれると思った。


「だから撃ったんだよ、ちゃんと当てたし」


 その一言で、ダリオの表情が変わった。


「そういう問題じゃねぇ」


 ニコの肩がびくりと動く。

 声量は変わっていないのに、ダリオの声はさっきよりずっと重かった。


「当てたからいい。俺が無事だったからいいって? そういう話をしてるんじゃねぇんだよ」

「……はい」

「あの場にはお前以外の隊員もいた。お前が撃てば、標的の動きが変わる。配置も変わる。お前の発砲を合図だと誤認して動く奴が出る可能性もある」

「…………」

「結果が良かったから正解だった、で済ませるな」

「……はい」


 ニコはもう、笑っていなかった。

 普段なら、このあたりで一度くらい「わかったって」と言ってしまう。あるいは曖昧に笑って、教官の怒りが過ぎるのを待つ。

 それでも今日は、できなかった。ダリオの言っていることが、全部正しいとわかっているからだ。


 索敵と記録を中心としているけれど、ニコだって夜番だ。

 知らなかったわけじゃない。知っていて破った。

 だから、言い訳のしようがない。ニコは耐えきれなくなって、ちろりと唇を舐めた。


「俺が、何に怒ってるかわかるか」

「命令、聞かなかったから? ……みんなを、危なくしたかもしれないから?」

「それから?」


 それ以上は、ニコにはすぐには思いつかなかった。

 視線を落とすと、大きな手が伸びてきて、顎へ指がかかる。

 乱暴な手つきではなかったが、俯くことは許されなかった。


「お前自身もだ。射撃位置を晒しただろ」

「あ」

「あ、じゃねぇよ。反撃されてたらどうするつもりだった」


 ダリオの声に、次第に苛立ちが混じる。


「俺を守るためなら、自分が危険になってもいいと思ったのか」

「そんなこと……」


 言い返そうとして、唇が止まる。違う、と言い切れなかった。

 あの瞬間、自分の位置が割れるかもしれないなんて、考えもしなかった。

 教官のほうへ行かせたくない、それだけだった。


 ニコの口元が緩む。重たくなった空気から逃げるための、これ以上考えなくて済むようにするための、いつもの癖だった。

 笑ってしまえば、少しだけ楽になる。


「ニコ、笑って誤魔化すな」

「誤魔化してないって」

「なら俺を見ろ」


 見てるって、と言おうとした。けれど、いつの間にか視線が横へ逃げていたことに気づいた。

 伏せていた淡い青緑の瞳が持ち上がり、眼鏡のないダリオの目と、真正面からぶつかった。

 間違いなく怒っているが、それだけではないと、ニコはようやく気づいた。


「教官……、もしかして、心配した?」

「した」

「そっか」


 ニコは自分でも馬鹿だと思ったが、嬉しかった。これだけ怒られているのに、それでも、嬉しいものは嬉しい。

 また口元が緩みそうになる。


「お前な、嬉しそうな顔すんな」


 ダリオが眉間を押さえた。いつもの仕草を見た途端、ニコの身体から少しだけ力が抜けた。

 いつもの教官だ、そう思った。だから、次の一言を間違えた。


「反省してるってぇ」

「なら次は、命令を待てるな」

「…………教官のほう行かなかったらね」


 口にした瞬間、空気が死んだ。今度こそ、本当にまずい。

 ダリオはしばらく、何も言わなかった。

 怒鳴られるほうがまだよかった。やがて、ゆっくりと眼鏡をテーブルの奥へ押しやる。


「……そうか、よくわかった」


 全然、よくない声だった。ニコは反射的に一歩後ろへ下がった。


「教官。……待って。もうちょっと話し合お?」

「これ以上か」

「教官、えと、あのさ……。怒ってる?」

「……ニコ」


 ダリオがゆっくり息を吐き出し、腕を取られる。

 そこで初めて、ニコは本格的に(――あ。これ、いつもの説教だけじゃ終わらないやつだ)と理解した。

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