↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【BL】教官は、俺を好きになっちゃだめらしい。  作者: 彩羽やよい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/28

名前のない写真 -2-

 それから、しばらくして。

 部屋の灯りが落ちるころには、二人の間に残っていた仕事の気配も、とうに消えていた。

 制服も、隊監と隊員という肩書きも、明日の予定も。

 少なくとも今だけは、ずっと遠いところにある。


 ダリオの腕が、ニコの背中へ回る。抱き込むように、少し強く。

 視線が合った瞬間には、もう唇が重なっていた。

 珍しいことではない。何度目かも数えていない。唇の感触も吐息の熱も、すっかり身体が覚えてしまって、身体の力がふっと抜ける。

 ニコは自分から、少しだけ口を開いた。舌が絡んで、離れる。息を継ぐ合間に、ニコは笑った。


「する気だったんだ?」

「お前が離れないからだろうが」

「離れたら、しないの?」

「……いや」


 正直な返事に、ニコはまた笑った。

 こうなること自体は、もう珍しくない。いつからだったか、最初がどんな夜だったか。

 それを今ここで思い出そうとも、ニコは思わなかった。どちらからだったのかも、大して重要ではない。

 近くにいて、触れたくなって、教官も拒まないなら、それで十分だ。

 やがて部屋が静けさを取り戻しても、ニコはダリオから離れなかった。


「……おい、いつまでくっついてる」

「もうちょっと」


 呆れた声が、すぐ近くから身体へ響く。

 ニコは気にせず、腕を回したまま頬を寄せた。教官が近くにいてくれて、温かい。

 耳を澄ませば、身体の奥で鳴っている鼓動まで聞こえそうだった。

 首筋へ鼻先を寄せると、肌の匂いに混じって、まだわずかに甘い煙草の残り香がした。

 もうずっと嗅いでいる、教官の匂い。


「離れろ、ニコ」

「やだ」

「お前な……」

「だって」


 何が、だって、なのだろう。自分でもわからなくて、ニコは少し笑った。

 眠くなれば勝手に寝るし、帰りたければ帰る。誰かと一緒にいたって、もういいと思えば離れる。

 そういうことを惜しいと思ったことは、あまりない。明日になれば忘れるかもしれないものへ、わざわざしがみつく必要もない。


 なのに今夜は、この体温から身体を離すことだけが、妙に嫌だった。

 理由を探すほどのことでもない気がしたから、思いついたままを口にする。


「さみしーじゃん?」


 返事はなかったが、ダリオはほんの少し顔を上げる。

 眼鏡を外した顔は、普段より表情が読み取りやすいはずなのに。そのときだけは、何を考えているのかよくわからなかった。


「なぁに? 変なの」

「誰のせいだと思ってんだ」

「え、俺?」

「……もう寝ろ」

「はーい」


 素直に目を閉じると、暗くなった視界の代わりに、触れている場所だけが妙に鮮明になる。

 頬の下の熱、回した腕の中にある身体。呼吸に合わせて、ゆっくり上下する胸。

 煙草の甘い残り香。

 それでも明日の朝になれば、今夜のことだって、どこまで残っているかわからない。


 ◆


 翌朝目を開けたニコは、しばらくぼんやりと天井を見ていた。自室の天井ではないのに、見覚えがある。

 白い天井の端に、細いひびがある。窓から差し込む朝の光が、見覚えのある角度で壁へ落ちている。

 何度も、見たことがある。


「……んー」


 ニコは身体を起こすと、少し重たい頭を振って、周囲を見回した。

 ベッド、脇へ置かれた椅子。脱ぎ散らかされた服。自分のものではない上着。

 そして、サイドテーブルへ置かれた眼鏡。

 そこでようやく、ひとつの答えへ辿り着いた。


「あぁ、教官ちだ」


 わかってしまえば、それ以上考えることもない。床へ落ちていた服を拾い、適当に身につける。


(昨日、どうしてここへ来たんだっけ?)


 任務だった。一緒に帰ってきて、それから、何か食べさせてもらった気もする。

 その先は、ところどころ曖昧だった。

 まあいいかと、ニコはぺたぺたと裸足のままでリビングへ出た。朝の光の中で見る部屋は、夜とは少し違って見えた。


 テーブルの上には、昨夜のまま写真が散らばっている。

 ニコは一枚を拾った。机へ向かっている男。余白には、自分の字で『教官。仕事してる』とだけ書かれている。


「……こんなの撮ったんだ」


 撮った瞬間のことは、もう思い出せなかった。

 次の一枚には、またダリオが写っている。もう一枚にも、やっぱり教官。


「すごいいっぱい教官いるじゃん」

「誰が撮ったと思ってんだ」


 声がして顔を上げると、キッチンには写真の男がいた。

 昨夜と同じ顔と、昨夜と同じはずの声。けれど、その昨夜が、もう少しだけ遠くなっている。

 ニコは、写真とダリオを見比べた。写真には、名前がない。

 どこにも『ダリオ』とは書かれていない。

 それでも、今朝は覚えている。この人が誰なのか。この人の名前が、なんなのか。


「おはよ、教官」

「ああ。顔洗ってこい」

「朝ごはんある?」

「ある」

「やった」


 それだけで、ニコは機嫌よく写真をテーブルへ戻した。

 洗面所へ向かおうと数歩進んだところで、ふと思いついて振り返った。


「ねぇ、今日も泊まっていい?」

「たまには自分ちにも帰れよ」

「じゃあいっかい帰ってから、もっかい来るね」

「そういう意味じゃねぇ」


 深い溜息を背に聞きながら、ニコは笑って、今度こそ洗面所へ向かう。

 扉へ手をかける直前、何となく、もう一度だけ振り返った。

 朝の光が差し込む部屋に、湯気の立つ朝食。テーブルに散らばった、昨日の写真。

 その向こうに、教官がいる。

 昨夜のことは、もう、少しだけ零れてしまった。

 何を話したのか、何を思ったのか。どんな顔をして、何を撮ったのか。

 今夜にはもっと、曖昧になるかもしれない。それでも写真には残っている。

 

 どの写真にも、男の名前はない。どうして書かないのかも、ニコはもう知らない。

 けれど少なくとも今朝は、誰なのかをちゃんと知っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。