花を贈る日 -1-
【今回のお話】
ニコが教官にお花をあげようとするお話。
当のダリオは、花よりもよほど、気になることがあるらしい。
花屋というのは、用事がなくても入っていい場所なのだと、ニコは思っている。
実際、これまでに何度もそうしてきた。街の一角にあるその店は、通りに面した大きな窓の内側まで緑が溢れていて、季節ごとに店先の色が変わる。
春には淡い花が増え、夏には葉の大きな植物が涼しげな影を落とし、秋が深まれば、赤や紫、褐色を帯びた花が目立つようになる。
切り花の入った水桶が軒先に並ぶ日もあれば、背の低い鉢植えが所狭しと置かれている日もあった。何かを買うつもりのない日でも、眺めているだけで結構楽しい。
それに、この店の主人はニコが何度同じことを聞いても、たいてい答えてくれる。
「シル、これなに?」
店へ入るなり、ニコは入口近くに置かれた水桶を覗き込んだ。
青紫の、細長い蕾をたくさんつけた花だった。花弁の先が小さく開いていて、覗き込むと、中のほうは少しだけ淡い色をしている。
「リンドウ」
奥で花の茎を切り揃えていたシルヴァンが、顔を上げずに答えた。この花屋の店主だ。
仕事が長引き、明け方に街をフラフラしていたニコが、たまたま見つけた花屋。そこで開店の準備をしていたところに出会って以来の仲だった。
「へえ。かわいいね」
「前にも聞いたろ?」
「そうだっけ」
「先週も、その前にも」
「あは。じゃあ、また聞くかも」
シルヴァンは、小さく笑った。背の高い男だった。店の奥にある作業台は、その長身に合わせて少し高めに作られているらしく、ニコが隣へ立つと、天板が随分上のほうに感じられる。
服の上から作業用の前掛けをつけ、袖を捲った腕には、植物を扱う仕事でついたらしい細かな傷がいくつもあった。
初めて会ったころは、もっと丁寧な口調で話していた気がする。
花の名前を聞けば「リンドウです」と答え、愛称で呼んでもいいかと聞けば、少し戸惑ったあとで「別に良いですよ」と答えた。
今では「前にも言ったろ」と呆れられることもあるが、だからといって質問を無視されたことはない。ニコは、シルヴァンのそういうところが気に入っている。
「ねえ、シル。今日さ、花束作ってほしいんだけど」
「珍しいな。誰かにやるのか?」
「うん。大事なひと」
「へえ」
シルヴァンの手が止まった。
短い相槌を打って、ようやく顔を上げる。
「贈り物か。何か祝い事でも?」
「んー、別になんもないんだけどさ? あげたいなって思っただけ」
「そういうのもいいな」
「でしょ」
ニコは笑って、作業台の脇へ移動した。店内には、切りたての茎の青い匂いと、湿った土の匂いが満ちていた。
花の香りもするが、どれかひとつが強く主張はしない。いろいろな匂いが少しずつ重なって、この店特有の、澄んだ空気を作っている。
シルヴァンは手元の花を一度脇へ置き、前掛けのポケットから小さな紙片を取り出した。
「どんな花が好きなんだ?」
「ん?」
「贈る相手。好みがわかれば、花も選びやすいだろ」
「ああ、なるほどね」
ニコは小首を傾げて考えてみたが、教官の好きな花、そんなものは聞いたことがなかった。
教官の部屋には、観葉植物なら置かれているが、そもそも花を飾っているところを見た覚えもない。
花を買って帰ろうという発想は、あの男にはあまりなさそうだった。
「好きな花は、わかんないや」
「じゃあ、どんな人?」
「でっかい」
「……なるほど?」
「あと、怖い顔してる」
「ほう」
「すぐ怒るし、口も悪い。煙草もいっぱい吸う」
シルヴァンが、紙片に何かを書きつけようとしていた手を止めた。
「なあ、ニコ。……大事な人なんだよな?」
「うん」
「今のところ、あんまりいいところが聞こえてこないんだが」
「あはは。そう?」
ニコは、別に悪口を言っているつもりはなかった。実際、教官はでかいし、怖い顔をしているし、口が悪い。すぐ怒るのだって本当だ。
だからといって嫌いなわけではないし、むしろそういうところまで含めて、あの男のことが好きだ。
「でもね、優しいよ」
「へえ」
「いっつも面倒見てくれる。ごはん作ってくれるし、俺が適当なことすると怒るけど、結局なんでもしてくれるんだよね」
話しているうちに、少しおかしくなった。
ダリオに聞かせたら、なんでもしてやってるわけじゃねえ、と怒られそうだった。
「……ずいぶん、甘やかされてるんだな」
「そうかも」
「年上?」
「うん。三十三歳」
「ふうん、結構離れてるな」
「十二こ。あとね、髪が赤い」
「赤?」
「うん。暗めの赤。すっごい綺麗なんだよ」
ニコは自分の髪を指先で摘まみ、それを少し持ち上げた。
「ここ、刈っててさ。上のほうは長いから、後ろで結んでる。眼鏡もかけてるよ」
「具体的だな」
「だって、いつも見てるし」
シルヴァンは、そこで少し笑った。
ニコには何がおかしいのかわからなかったが、別に聞き返すほどでもない。並べられた花を眺めながら、教官に似合いそうなものを探す。
「赤い花がいいかなあ」
「赤でもいろいろあるぞ。明るい赤、暗い赤、紫に近い赤。どういう色が好きなんだ?」
「んー、暗いほう。真っ赤なのもいいけど、あんまり派手すぎないやつ」
「なるほど」
「あと、かわいすぎないほうがいいかな。かわいい花束もらったら困りそう」
「そうなのか? 案外、喜ぶかも」
「どうだろなぁ」
ニコは、ちょっと想像してみた。教官が桃色の小さな花を、たくさん抱えているところ。
悪くはない。むしろ、あのでかい男が小さな花束を持っていたら、ちょっと、だいぶ、面白いかもしれない。
けれど、今日贈りたいのは、そういうものではなかった。
「面白いかもだけど、今日はやっぱり、かっこいいのがいい」
「わかった。じゃあ、いくつか選んでみよう」
最初にシルヴァンが取り出したのは、深い赤色の薔薇だった。
大輪というほどではないが、花弁が幾重にも重なった、よく整った形をしている。外側の花弁は暗い臙脂色で、中心へ近づくにつれて赤が濃く、深くなる。
光の当たらないところでは黒に近く見えるのに、窓辺へ持っていくと、花弁の縁に葡萄酒のような赤が透けた。
「これ、綺麗だね」
「ブラックバッカラって品種で……、黒薔薇として扱われることもある」
「へえ、俺これがいいな。それっぽい」
「じゃあ、まずこれを中心にしようか」
シルヴァンは薔薇を三本選び、茎の長さを見比べた。
「でも、これだけだと少し重たすぎるな。相手が背の高い人なら、縦に流れのある花を入れたほうが似合いそうだ」
「縦?」
「こういうのとか」
次に取り出されたのは、細長い穂のように咲く、紫色の花だ。小さな花が房状についている。
「これはベロニカ。花穂が上へ伸びるから、花束に高さを出せる」
「ん、かっこいい」
「だろ。薔薇の丸い形と合わせると、少し硬い印象になる」
それから、シルヴァンは青紫のリンドウを数本持ってきた。
「あ、それさっきの」
「そう。これは花の形がきっちりしてるから、甘くなりすぎない。濃い赤とも相性がいい」
「いいねえ」
「それから、これ」
作業台に置かれたのは、黒紫に近い、小さな丸い実のついた枝だった。
「ビバーナムの実。花じゃないけど、こういう実ものを入れると、全体が少し落ち着く」
「へえ。食べられる?」
「……食べないほうがいいな」
「そっか」
ニコは素直に頷いた。
シルヴァンはそれを見て苦笑し、さらに銀緑色の葉物を持ってきた。
「ユーカリ。葉の色が少し白っぽいだろ。赤と紫ばかりだと重たくなるから、こういう色を挟むといい」
「これ、いい匂いするね」
「葉を触ると香るんだ。強すぎないし、いいと思う」
ニコは、作業台に丁寧に並べられた花を眺めた。
深い赤、紫、青紫。それから、黒っぽい実と、白みを帯びた緑。
明るい色はほとんどないが、不思議と寂しい感じはしなかった。
むしろ、ひとつひとつの色がよく見える。
「うん。これ好き」
「よかった。じゃあ、まとめよう」
シルヴァンは薔薇を中心に据え、その周囲へリンドウを添えた。花の高さを揃えすぎず、ベロニカの細長い穂がところどころ上へ伸びるように配置していく。黒紫の実が薔薇の隙間を埋め、銀緑のユーカリが外側へ柔らかく広がった。
花を組む手つきは、驚くほど迷いがない。一本加えるたびに、花束を少し回して全体を確かめる。気に入らなければ位置を変え、葉の重なりを整え、不要な部分だけを切り落とす。
ニコはその様子を、作業台に肘をついて眺めていた。
「すごいねえ」
「そりゃ、仕事だからな」
「俺がやったら、絶対ぐちゃぐちゃになる」
「練習すれば、ニコにもできるさ」
「んー、でもシルに頼んだほうが早いじゃん」
「まあ、それはそうだな」
シルヴァンは笑いながら、最後の一本を差し込んだ。
できあがった花束は、ニコが最初に想像していたものより、ずっと立派だった。
中心には、暗い赤の薔薇が三輪。花弁の重なりが深い影を作り、その周りを青紫のリンドウが囲んでいる。背の高いベロニカが数本、少し不揃いな高さで上へ伸び、黒紫の実が花と花の間に小さな陰影を添えていた。
ユーカリの葉は外側へ大きく広がらず、花束の輪郭をなぞるように添えられている。銀緑色が深い赤を引き立て、全体をまとめていた。
丸く可愛らしい花束ではなく、どちらかといえば縦長で、少し無骨な形をしている。明るい場所よりも、落ち着いた室内に似合いそうだった。
シルヴァンは茎を切り揃えると、墨色の薄紙で、花束の根元を包んだ。
さらに、その外側へ、少しだけ光沢のある濃い灰色の包装紙を重ねる。紙の端はきっちりと折り込まず、花の輪郭に合わせて緩やかに立ち上がるように整えられた。
「リボンはどうする?」
「んー、どうしよっかなあ」
「赤でもいいけど、少しうるさくなるかもな。こういうのは?」
差し出されたのは、幅の細い黒いサテンのリボンだった。
光に当たると、表面がほんのわずかに艶めく。
「あ、それいい」
「わかった、じゃあこれで」
黒いリボンが、花束の根元で結ばれた。
大きな蝶結びにはしない。結び目を小さく整え、両端を少し長めに垂らす。それだけで、花束の印象がすっと引き締まった。
「はい。どう?」
ニコは受け取った花束を、しばらく眺めた。
思ったより重い。けれど、腕に抱えたときの収まりがよく、顔を近づけると、ユーカリのすっきりした匂いがした。
薔薇は、あまり香らない種類のようだ。やたらと甘い香りがするより、ダリオは喜ぶかもしれない。
教官に似合う、そう思った。
少し怖い顔をしていて、でかくて、口が悪くて、いつも眉間に皺を寄せている男。けれど、こういう綺麗なものだって、似合うはずだ。
「うん。すっごくいい。ありがと」
「どういたしまして」
「教官、喜んでくれるといいんだけど」
シルヴァンは、少し首を傾げた。切りそろえられた黒髪が、さらりと額を流れる。
「教官?」
「うん。俺の好きなひと」
「……なるほどね」
それ以上、シルヴァンは何も聞かなかった。花束が傷まないように持ち方を教え、水に挿すときの注意を簡単に説明してくれた。
ニコは一応最後まで聞いたが、全部覚えていられるかは怪しかったので、紙に書いてもらうことにした。
「また、忘れたら聞きに来てもいい?」
「もちろん」
「ありがと。またね」
花束を抱え、ニコは店を出た。腕の中の花は、思っていたよりもずっと綺麗で、ニコは歩きながら何度も顔を近づけて眺めた。
教官、なんて言うかな。そんなことを考えているうちに、自然と足早になる。




