好きなわけあるか -1-
【今回のお話】
ニコのふざけた下着についての回。
一緒にお買い物にも行きます。いつも通り教官は振り回されています。
洗濯機の終了を知らせる電子音が鳴ったとき、ダリオはちょうど、食卓に置きっぱなしになっていた二人分の食器を流しへ運んだところだった。
壁に掛けられた時計の針は、午後一時を少し回っている。
昨夜は本部を出たのが明け方近くになり、帰宅してからも報告書の内容が頭を離れず、結局ベッドへ入ったのは、空がすっかり白んでからだった。
先に部隊での仕事を終え、帰宅して眠っていたニコは、ダリオが寝室へ入ったときに、一度だけ薄く目を開けた。
けれど「帰ってきたの」と寝ぼけた声で尋ねたきり、返事を待つこともなく再び眠りへ落ちてしまった。
ダリオが身体を横たえると、それを待っていたかのように、寝返りを打って寄ってきた。
細い腕が腹のあたりへ回され、額が胸元へ押しつけられる。
そのまま何事もなかったように寝息を立て始めたものだから、ダリオはしばらく天井を睨んでいた。
今では、そういうことも珍しくなくなった。
ニコがこの部屋で眠るようになってから、夜勤明けの生活には、以前にはなかった細かな変化がいくつも生じている。
帰宅してすぐに眠れる日ばかりではないし、二人の勤務が完全に重なるわけでもない。
それでも、どちらかが先に帰っていれば部屋には明かりがついていることがある。冷蔵庫には自分が買った覚えのないものが増え、洗面台には見慣れない歯ブラシが並ぶようになった。
ダリオは水を止め、手についた泡を洗い流すと、流しの脇に掛けてある布巾で指先を拭った。
リビングのソファでは、ニコが膝を抱えて座り、何やら雑誌を眺めている。
起きてからまだ一時間ほどしか経っていないせいか、柔らかな髪には寝癖が残り、着ているTシャツの襟元も片側だけ妙に伸びていた。適当に引っ張り出して着たらしく、肩の位置が合っていないばかりか、裾は膝の少し上まで届いている。
細い脚を座面へ引き上げた格好で、ページをめくるたびに前髪が目元へ落ちるのを、本人はさして気にしていないようだった。
「おい」
「んー?」
「洗濯干すから手貸せ」
「はあい」
返事だけは素直だったが、立ち上がる気配はない。ダリオはそれ以上何も言わず、洗面所へ向かった。
もともとダリオは、洗濯という家事に手間を感じたことはあまりなかった。自分一人の衣類であれば、種類も枚数もほぼ決まっているし、仕事着を除けば、どれも似たような色合いのものばかりだったからだ。
シャツはシャツ、下着は下着、タオルはタオルで、必要なだけの数を揃えておけばよい。洗濯機を回す頻度も、干す場所も、畳んでしまう順番も、長年の習慣として身についていた。
そこへニコが入り込んできてから、いくつかの事情が変わった。
まず、洗濯物の量が増えた。もっとも、ニコの服はどれも小さく薄っぺらいものばかりで、ダリオのシャツ一枚とニコのシャツ二枚とでは、布の量に大した違いがないようにさえ思える。
だが問題は量ではなく、種類だった。
ニコの衣類には、どうにも統一性というものがない。
黒いシャツの隣に妙な色合いの靴下があり、無地の肌着の下から、何を考えて選んだのか理解しがたい柄の下着が出てくる。
本人に尋ねたところで「かわいかったから」「安かったから」「なんとなく」という返事しか返ってこないので、ダリオもとうに追及することをやめていた。
洗濯槽から衣類を取り出し、籠へ移す。まず自分のシャツが二枚。ニコのTシャツが三枚。タオルが数枚と、靴下が何足か。
その下から、白地に赤いいちごが散らばった小さなボクサーパンツが現れた。
ダリオはそれを持ち上げ、濡れた布地を軽く振って皺を伸ばした。
いちごだ。葉まで丁寧に描かれた、妙に写実的ないちごである。
別に、いちごに恨みがあるわけではない。果物として食卓に出てくるぶんには何の問題もないし、ニコが買ってきた菓子の包みに描かれていたところで、わざわざ気に留めることもないだろう。
ただ、それが成人男性の下着に隙間なく印刷されているとなると、話は少し違う。
もっとも、これを初めて見たわけではなかった。
いちごのほかにも、黄色いアヒル、赤いさくらんぼ、やけに大きな花がいくつも咲いたものなど、ニコの下着にはいくつかの種類がある。無地のものも相応に持っているくせに、本人はどういうわけか、そうした妙な柄物を好んで穿いているらしかった。
ダリオはいちごを洗濯籠へ戻し、残りの衣類を取り出した。
次に出てきたのは、黒地に白い細かな模様が入った、見覚えのある一枚だった。
それを見たところで、ふと手が止まる。何かが足りない。ダリオは籠の中を見下ろし、もう一度、洗濯槽へ視線を戻した。底には何も残っていない。
別に、洗濯物の枚数をいちいち数えているわけではない。下着など、必要な数が揃っていて、清潔なものが引き出しに入っていればそれでいい。
だが、最近見かけていないものがあることに、なぜか気づいてしまった。
黒地に、赤や黄色や紫の花が、これでもかというほど大きく描かれた一枚の下着。あれは、どうしたのだったか。
ダリオは眉間へ皺を寄せた。
そもそも、どうしてそんなものの存在を覚えているのか。考えてみれば、最初にあれを見たのは、何ヶ月か前のことだった。
◆
「教官、これ見て」
休日の買い物は、たいてい必要なものを買い揃えたところで終わる。
少なくとも、ダリオにとってはそうだった。
洗剤、石鹸、食料品。切らしているものを確認し、店へ行き、買う。目的のものが揃えば、それ以上店内をうろつく理由はない。
ところがニコと一緒に買い物へ出るようになってから、その簡単な手順が、しばしば予定どおりに進まなくなった。
ニコは物珍しいものを見つけると、すぐに足を止める。
別に何でもかんでも欲しがるわけではない。むしろ、手に取って眺めるだけで満足し、何事もなかったように棚へ戻すことのほうが多い。
だが、そうして一つひとつ寄り道をしているうちに、目的の売り場へ辿り着くまでの時間が、いつの間にか倍ほどになっているのである。
その日も、ニコの下着を買い足すために衣料品売り場へ立ち寄ったところで、早々に足止めを食らった。
「ねえ、これ見てってば」
ニコが差し出してきたのは、派手な花柄のボクサーパンツだった。黒い生地に、赤、橙、紫といった色の花が大きく描かれている。
南国の植物を模したものらしいが、どの花が何という名前なのかまでは、ダリオにはわからなかった。わかったところで、何かの役に立つとも思えない。
「なんだそれは」
「ぱんつ」
「……そりゃそうだろうな。それは俺にもわかる」
「かわいくない?」
ニコはそう言って、包装の上から布地を広げてみせた。
本人はいたって楽しそうだった。
淡い青緑の目を細め、口元に笑みを浮かべながら、もう片方の手に持った無地のボクサーパンツと交互に見比べている。
何か特別なものを選んでいるという緊張も、他人にどう思われるかを気にするような気配もない。ただ、自分が気に入ったものを見つけたので、傍にいる男にも見せてやろうと思っただけのことなのだろう。
「こっちの無地とさ、どっちがいいと思う?」
「どっちでもいいっつんだよ」
「えー、選んでよ。どっちがすき?」
「お前が穿くんだろうが」
「そうだよ?」
だから何だ、とでも言いたげに首を傾げられて、ダリオは小さく息を吐いた。
ニコの手元へ視線を落とす。片方は黒に近い紺色の無地。もう片方は、花が咲き乱れている。
どちらがいいかと問われたところで、実用上の違いなどあるようには見えなかった。素材も形も、少なくとも包装に記載された範囲では大差がない。
「……花のほうでいいだろ」
「あ、ほんと? 教官お花のほうが好きなんだね。へぇー」
「お前がそっちを欲しそうにしてんだろうが」
「ばれた? あはは」
ニコは嬉しそうに笑い、花柄のほうを買い物籠へ入れた。
その横顔を見ながら、ダリオは、最初から決まっていたのならわざわざ聞くな、と言いかけてやめた。
ニコは何かを選ぶとき、しばしばダリオに意見を求める。夕食の献立でも、菓子の味でも、今日着ていくシャツでも、すでに自分の中では答えが決まっているくせに、いちいちこちらへ尋ねてくることがある。
以前は、その理由がよくわからなかった。
自分で決められることなら、自分で決めればいい。そう思っていたし、実際に何度もそう言ってきた。
けれども、ニコはダリオの答えを聞いてから、決まって少し嬉しそうな顔をする。それが自分の望んでいた答えであっても、そうでなくても。
おそらく、選択の結果そのものより、こうして何でもないことを二人で決める時間が、こいつには楽しいのだろう。
そんなことを、ダリオは近頃になってようやく理解し始めていた。
「教官も買う? ぱんつ」
「足りてるからいい」
「買ってく? おそろいにしよっか」
「しねえよ、誰がするか」
「えー」
ニコは残念そうな声を出したが、顔は笑っていた。
ダリオは買い物籠を持ち直し、さっさと会計へ向かった。
それが、あの花柄の下着を買った日のことだった。




