⑧
部屋の前でアステルとすれ違う時、「お嬢さん、ノックは静かにするものだし、職場で無闇に大声を出すものではないわ」と苦言を呈した。
颯爽と去っていくジャナディアを睨んだルキアンは、視線をアステルに戻す。
「ごめん、ルキアン。迷惑だったね」
ジャナディアの言葉にしょんぼりしたアステルが謝った。
「別に。おまえが騒がしいのはいつもの事じゃないか」
「うっ、でもあの綺麗な人と……まだ話の途中だったんじゃないの?」
「仕事の話じゃなかったし、どうでもいい」
「えっ!? 仕事じゃないのに密室に二人きりでいたの? それってまずいんじゃない!?」
「俺の仕事じゃないのに押し付けられそうになった」
ジャナディアに部屋に押し入られたのは不本意だったから、少しくらい話を盛ってもいいだろう。
密室になるのは研究室の結界仕様上、仕方がない。
それにしても、アステルは若い男女が二人で密室に居るのが他の人に知られたら問題になるという、常識的な心配をしているだけで、自分の婚約者に『浮気!?』と疑念を抱いているわけではない。おおらかと言うか……。少しは不安視するものではないのか。
学生時代の女生徒たちを思い出せば、恋人が他の女と話しているだけで嫌がったり、授業で異性とペアになっただけの不可抗力でさえ、不実だと泣く令嬢もいた。……一部の女だろうが、理不尽すぎて恐ろしかった。そんな鬱陶しい展開にならないのは、幸運だとルキアンは思う事にした。
「でも綺麗な人だったねえ。ログなんとかさん」
「ログノーメンな。魔法伯爵家の次期当主だ。一応覚えておけ」
「へえっ、何その血統書付き! 家柄良し容姿良し才能ありの恵まれた人って実在するんだねえ」
アステルの調子が戻ってきた。
「で、何の用? まだ学校の時間じゃないのか」
「あ、ごめんごめん、今日までに提出しなきゃならない書類があったの忘れててさあ。ルキアンのサインがいるの」
アステルが鞄からゴソゴソと取り出した一枚の紙にルキアンは目を通す。
「ああ、三学年合同オリエンテーション参加申込書か。そう言えばあったな、こんな行事。って、これいつ貰ったんだよ」
「なんか入学してすぐくらいに渡された気がする。まだ期限があるなーと思ってたら忘れてた。用紙も無くしちゃって予備を貰ったの。今日中に提出しろって怒られちゃった」
「保護者のサインがいるものはかなり前に渡されるんだよ。実家が遠い者もいるからな」
特に寮暮らしは王都に親戚がいない者もいるから、地方から来ている生徒たちの事情を考慮して猶予が設けられているのだ。
学院でのアステルの保護者は、成人している同居中の“魔法爵”ルキアン・グラキエスになっている。〈婚約者〉だと学校側には申告してあるが、当然それは秘匿事項だ。
「ほんとおまえ、ズボラだよなあ。今後気をつけろよ」
「了解であります!」
ぴしりと敬礼をするアステルを尻目にデスクに戻ると、ルキアンはちゃっちゃと保護者欄にサインをする。それを恭しく受け取ったアステルが鞄に仕舞う。
「で、馬車で学校に戻るか?」
この辺りは中央省庁区域だから、すぐに動かせる馬車がいくつも待機している乗り場が近くにある。
「歩いて戻るけど?」
ルキアンは眉をひそめる。アステルの生活圏は治安がいいけれど、学院や魔法士養成所から徒歩で帰宅するのだって本当は反対なのだ。通学に馬車を使うほどでもない距離に住んでいるのが歯痒い。自分の在学中は便利だと思っていたが、アステルが一人で通うとなれば話は別である。
魔力を大量に喰うため、基本急ぎ以外でアステルは転移魔法は使わない。魔力に余裕のあるルキアンが朝学院に送ってもいいのだが、「過保護すぎるし、人目につくのは嫌!」とアステルに却下されている。
しかし今、歩くとなればここから学院までは距離がある。尤も普通に往復時間を考えれば、アステルが空間移動をしてやってきた分、時間的には余裕なのだろう。
「仕方ないな。校門まで送る」
そう言ってアステルの返事を待たずに、彼女の腕を掴むとルキアンは口の中で呪文を唱えた。
あっという間に校門に移動する。急に現れた二人に周囲の人々がギョッとしていたが、ローブ姿のルキアンを見て、ああ魔法士か、と納得した。だが紫紺色のローブが魔法士の最高位の“魔法爵”と知る者はいないようだ。
「有難う、ルキアン! また後でね!」
手を振りながらアステルが校門を潜った。と、すぐに駆け出す。
貴族の子供ばかりの学校だから、魔道具で結界を張り巡らせており、転移魔法で直接敷地内に移動できない仕様になっている。
「全く、あいつは淑女とはほど遠いな」
走り去るアステルの姿に苦笑した。彼女は幼い頃から走り回っている気がする。しかし年下の活発な彼女に手を引かれて、遊びに振り回されるのは不快ではなかった。
『魔法に頼りすぎて魔力が切れたらどうするのよ。そんな弱っちい体じゃすぐ敵にやられちゃうじゃない』
そう笑われて悔しくて剣技も頑張ったし体力作りは今も続けている。今思えば、敵ってなんだ?と疑問だが、いつだって自分の近くには明るく笑うアステルがいた。
少しばかり感傷に浸ってるうちに、あちこちから生徒たちの視線を感じる。
卒業したばかりだ。ルキアンの顔を知っている者もいるだろう。“魔法爵”だと知れ渡ったかもしれない。声をかけられる前に退散だ。すぐにルキアンは研究室に帰還したのだった。
「今日友達と話してたんだけどさぁ」
夕食を共にしていると、アステルは脈絡もなく唐突に話題を変えることがある。今まで領地のオレンジが豊作な上、味も良いなんて話していたのに、いきなりだ。
「誰と? ジュリネス嬢? ノーマ嬢? ナテラ嬢?」
「ルキアン、どうして私の交友関係を把握してるの?」
「その三人の名前が、おまえの口から出る頻度が高いからだ」
「うわっ、さすが無駄に記憶力がいいね」
無駄とは何だ、無駄とは。人生に於いて記憶が無駄になる事などない。
「おまえとは頭の出来が違うからな」
少し揶揄ってやるとすぐに「腹立つわー」とか言いながらも、別に怒ってはいないのがアステルである。
「まあ、その三人とお昼を食べてた時に話したんだけど、あ、今日の日替わりランチは魚のポワレだったの。美味しかったあ」
「好物だもんな」
脱線するのも常だ。彼女は思いついた事をぽんぽん言う。会話の軌道修正をせず苛つかず、そこは軽く相槌を打って流すのが吉である。アステルはルキアンと楽しく話したいだけだし、自分は婚約者と情報共有をしていると考えれば良いのだ。情報が有用かどうかは度外視である。
「そうそう、それでね。ナテラにデートはどんなとこ行くのかって聞かれたの」
アステルの友人たちは彼女の婚約者がルキアンだとは知らない。しかし恋バナには問題ないそうだ。年上で王都住みである情報くらいでいいらしい。
「そう言や私たちってデートした事ないなぁって」
それは聞き捨てならない。
「湖でボート遊びしたり展覧会行ったり、花祭りだって一緒に行ったじゃないか」
「それは婚約前に領地で遊んでた時じゃない」
「それは含まれないのか?」
「当然でしょ。ただの幼馴染みだったんだから」
「おまえが引っ越してきてから、城下町に一緒に行ったのは?」
「あれは文具とか参考書を買いに行っただけでしょ」
ふむ。男女二人で出かけるのがデートだと思っていたが違うのか。買い物の帰りに女性に人気のカフェで食事もしたのに。アステルのデートの定義とは?
ルキアンが考えていれば、「だからね、今度どこかに行こうよ!」とアステルは身を乗り出す。
「俺が目立つから、街に一緒に出かけるのは嫌なんじゃなかったか?」
「そうなのよねえ、ルキアンって“魔法爵”って身分だけじゃなくて無駄に美形だし。でも婚約者らしい事をしてみたいの!」
美形が無駄とは意味が分からん。ルキアンは体験上、自分が他人から好まれる容姿をしている自覚はある。つまり最初から好印象を持たれるのだから、見掛けがいいに越したことはないはずだ。
「で、俺のお姫様はどんなデートをご所望ですか」
「……ルキアンのくせに……」
昔はアステルより美少女然とした小柄な少年だったのに、いつの間にやら背の高い美青年になってしまった。そして婚約後はアステルが顔を赤らめて戸惑うのが面白いらしく、たまにさらりとこんな口振りで揶揄う。
「何だよ。おまえの希望を言えよ」
いつもの口調にホッとしたアステルはすかさず「観劇!」と叫ぶ。




