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「殿下、我々(林麗)はあの逆賊が支配する宮廷なんて認めておりません。
みな、正当な王たるあなた様が帰ってらっしゃるのをお待ちしています」
しかし女の言葉に雲は冷笑を浮かべる。
「正当な王か」
女は雲を見つけた歓喜に気を取られ、その呟きが低く沈んでいることに気づかなかった。
「私と一緒に参りましょう。
当主に会ってください。
そこからどうするか考えましょう」
「君は私の顔を知っているということは宮廷勤めを、それもかなり奥の区域で働いていたのか?」
「ええ。三の妃様にお仕えしておりました。
殿下のお顔は遠くから三度ほどお見かけした程度ですが、これだけ綺麗なお顔なのですから見間違えるわけがございません」
雲はいまだに雲の手を優しく包んでいる女の両手に視線を落とす。
「……それではあの時は相当な危険を味わったのだろうね」
女は小さく被りを振った。
「いいえ、お妃様や姫君たちが味あわれた恐怖に比べたら私のものなんて…」
「みんな死んだと言うのは本当なのか?」
雲の言葉に女は小さく息を呑んだ。
「……ええ。側妃様とそのお子様方は皆殺されました」
女の言葉に雲はパッと顔を上げた。
「側妃様は?
それでは母上は、瑛も生きているのか?」
女は静かに首を振った。
「分かりません。
ただ私はお二人が亡くなられるところは見ておりませんし、亡くなられたという話も聞いたことはありません」
その言葉に雲はゆっくりと僅かに浮かした腰を落ち着けた。
「すまない。
君たちに苦労をかけたのは全て我々蘇乂家の至らなさが原因だ」
雲が小さく頭を下げると女は慌てた。
雲はゆっくりと自身の手の上にある女の両手を一つずつ外した。
「だが、すまない。
私はもう戻る気はない」
「……殿下?
殿下!」
一瞬呆気に取られた女はすぐに雲を追いかけたがその姿はすでに花見の人並みの中に消えていた。
雲は行く当てもなく大通りを進む。
始めは女から離れたい一心で歩みを進めていたが、ふと顔を上げると視界が酷く濁っており、急に気分が悪くなる。
このまま進むとかつての蒼土移民居住区に着く。
今もそこが変わらないのか雲は知らなかったが、どちらにせよあの惨劇と向き合う勇気はまだなかった。
くるりと踵を返し、横道に逸れる。
そのままどうにか大通りをさけ、郡都の入り口の大門まで戻った。
大門の付近はもっとも梅花が見事にその花を咲かせており、多くの人々が夢中になって珍しい梅花を眺めている。
人が多いのに変わりはないが、まだ花が視界を埋めてくれるだけマシだった。
ここで宗斐か岑が帰って来るのを待とうと思っていたその時、雲の耳が低い懐かしい音を捉えた。
それはかつて何よりも身近で、安心感を雲に与えてくれていた音色だ。
急に喉を強く締め付けられたような感覚に襲われる。
うまく息ができないまま視線を彷徨わせると一人の楽士が梅の木の下で悠然と楽器を奏でている。
花びらの舞う中、美しい音色が流れる景色は幻想的で観光客はその音と絵に陶酔していたが、雲の目は楽士の楽器に縫い付けられた。
それは普通の二胡ではなくより低音弦の張られた特殊な形だった。
かつては眠り歌だった音が今は記憶を掘り起こす杭となり、仕舞い込んだはずの光景が濁流のように溢れ出す。
頭が狂ったように痛みだした。
あまりの激痛に耐えられなくなった時、
「雲!」
と叫ぶ宗斐の声が遠くに聞こえる。
鈴のかすかな音色が聞こえる。
雲は意識を手放した。




