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峪安郡都、柳基から馬で走らせて半時辰ほどの距離に采歌という小さな街がある。
街といってもその実態は城下町だ。
もともとは近隣の小さな農村とそこで暮らす人々のための市が立っている程度の場所だった。
だが、3年前に太守睿伯遥がこの地を気に入り私邸を立てたのでそれ以降街は大きくなり今に至る。
太守のお膝元とはいえ、元が小さな農村なので派手に栄えてはいないが、適度に往来も多くにぎやかな街だった。
反物を売る店の店主が一人の青年を見かけ声をかける。
「あ、若様!
今朝入ったこの布どうです?美しいでしょ」
声をかけられた青年は17、18歳程度に見える。
艶やかな黒髪は長く、いつも一つ括りか、耳から上で半分括って適当に流している。
白い額は形がよく、店主はいつも青年を見るたびそこに綺麗な飾りをつけてやりたくなる。
しかし、本人は着飾ることにあまり興味がないようで、仕立てはいいが簡素な服装をしており、装飾品を身につけているのは見たことがない。
それでも店主はこの完璧な美青年を見かけるたびもっと磨き上げたくて声をかけるのだ。
青年は付き合いが良くその声かけに応えなかったことはない。
今日もすぐに近づいてきて店主の勧める布に目をやった。
「やぁ、老板(店主の呼び方)。
相変わらず繁盛しているようだね」
「おかげさまでね。
それより若様この布!どうです?
今回こそ美意識が刺激されるのでは?」
青年は「んー」と眉を寄せて布をじっくり見る。
店主は期待してその表情をじっくりと観察していたが、次の瞬間青年はいつものようにヘラッと笑う。
「うん。美しいと思うよ」
「はぁー今回もダメか」
店主は大げさに肩を落とすともう行っていいですよと青年に向かって手を動かす。
そのおざなりな態度に青年は爽やかに笑うと去っていく。
帯に飾られた小さな鈴が涼やかに鳴った。
「今のとんでもない美人だな。
若様ってどこの若様なんだ?」
店主の横で荷を運んでいた男は去っていく背中を見つめながらいう。
この男は出入りの行商で青年を見るのは初めてだった。
店主は笑いながら大通りの先にある大きな屋敷を指す。
「あそこだよ。嫌赤館」
嫌赤館というのは街の人々の間での通称だ。
理由はその邸宅が建てられたときに遡る。
内装を決めるにあたって主人の出自に気を遣い、商人たちは競って赤い品々を持っていった。
しかしそれを見て主はどんどん不機嫌になっていく。
そしてしまいには赤いものを全部持ち帰らせた。
だから人々はその屋敷を嫌赤館と呼んでいる。
行商の男は驚いて目を丸くする。
「嫌赤館って、じゃあさっきの彼は太守の息子なのか?」
その言葉に店主は大笑いする。
「息子って、うちの太守様はまだ23だぞ。
あんな大きな息子がいるわけない」
「じゃあ若様ってなに者なんだ?」
行商の問いに店主は胸を張って答えた。
「分からない」
行商はポカンと口を開ける。
「誰も知らないんだ。
なぜかは知らないが嫌赤館に住んでる若い公子だから、みんな若様って呼んでる」
「……前から思ってたんだが、ここ(采歌)の連中はお気楽だよな」
「はは、それはそうかもしれない。
若様は特になにをするでもなく、貸本屋から書物を大量に借りて読み漁ったり、
時おりここを出ていろんなとこを見て回ってるらしい」
店主の言葉に行商は呆れたと言わんばかりに肩をすくめた。
「あ、あと6歳くらいの男の子を育ててる」
「……ほんとになんなんだ、そりゃ」
行商の疲れた顔に店主は豪快な笑い声をあげた。
*****
両手に書物を抱えた雲は屋敷に帰ると大声で「阿舜」と名前を呼ぶ。
しかし一向に声が返ってこないので仕方なく近くの棚に本を置くと広い邸内を一部屋一部屋見ていく。
広いと言っても一般的な太守の屋敷よりは控えめだろう。
どうせ大きく作っても使わない部屋ばかりになると宗斐が言って小規模に造らせたのだ。
そのため一部屋ずつ見てまわってもさほど時間はかからない。
が、宗斐の書斎を開けるとそこではちょうど侍女が掃除をしていた最中で彼女は一切の遠慮なく迷惑そうに顔をしてたので静かに扉を閉じる。
この屋敷には召使もほとんど置いておらず、二人の侍女と料理人と厩番が一人ずついるだけだ。
家主の宗斐とその護衛として働いている岑は忙しいと月の半分しか帰ってこない。
ずっとここで好きに過ごしている雲と共にいるのは彼らだ。
そして彼らもこの自由気ままな青年の扱いは十分心得ているため、忙しい時は話しかけられないように全力で迷惑ですと圧を送るようにしている。
料理人の冷たい視線も浴びたのち、自身の部屋でようやく目的の幼子を見つけた。
彼は雲の寝台の上で小さく丸まりすやすやと寝息を立てている。
「阿舜、君まで構ってくれないの?」
雲は舜が眠る横の空間に無理やり体を捩じ込ませ転がった。
まだ7歳の子供の柔らかい頬を人差し指でつつく。
舜はどんな夢を見ているのか幸せそうに口元をひくつかせるとまた深い眠りに落ちていく。
3年前、父を亡くした舜を岑が引き取った。
当初は父親を探して毎晩泣いていたが、その記憶も今は消えてしまったようで彼は自身の出自を知らなかった。
無垢で暖かい幼子を抱き寄せる。
その寝顔を眺めているうちに雲も自然と眠りに落ちていた。




