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倒れた宇衍を見て、彼は一瞬きつく瞼を閉じる。
そして、隆の母親へ向き直った。
「あなたの怒りは、もっともだ」
静かに言う。
「だがその前に、あなたの子供を見てあげてほしい」
母親は、はっとして隆を見る。
隆は動かない。
この混乱の中でも、目を逸らさず、二度と開くことのない宇衍の瞳を見つめている。
その手は、なおも強く握られていた。
「どうか……」
宗斐は深く頭を下げる。
「そんな言葉を、あの子に聞かせないであげてほしい」
宗斐は両手を強く握りしめると、民衆へ向き直った。
その場の空気が、わずかに変わる。
「今回の件は――」
一瞬、言葉を探すように息を吸う。
「すべて、私の責任だ」
小さくざわめきが走った。
「辰京の人々は、突然権利を侵され、蒼土の人々は、無理解のまま文化を踏みにじられた」
彼は視線を上げる。
「そのどちらの思いも、受け止めきれなかった。
峪安郡太守、睿伯遥として――詫びる」
深く、頭を下げる。
民衆が息を呑む。
太守が、庶民に頭を下げている。
それがどういう意味を持つのか、誰もが分かっていた。
宗斐は唇を噛む。
「それでも、私はこの郡を信じたい」
静かな声だった。
「受け入れろとは言わない。
だが、理解しようとしてほしい」
視線が、泣き崩れる隆へ落ちる。
「辰京と蒼土は、混じり合わなくてもいい。
それでも併存できるはずだ。
……数年後、この郡をそういう場所にしたい。
そのために――今を耐えてほしい」
頼む声は掠れている。
「子供たちに渡す世界を、綺麗な世界を作りたいんだ。
どうか、正しい大人であってほしい」
沈黙が流れ、誰も言葉を発さない。
やがて一人、また一人と人々は踵を返す。
太守に頭を下げられたからではない。
自分たちが、はるかに年若い青年に頭を下げさせたことが、ただただ堪え難かったのだ。
宗斐は去っていく背中を見送り続けた。
人影が消え、静寂だけが残る。
残ったのは岑と雲、そして動かぬ宇衍だった。
宗斐の膝が折れる。
音もなく、その場にしゃがみ込んだ。
岑は宇衍に近づく。
胸に突き立った刃を、静かに引き抜く。
そして、先ほどまで隆が握っていた手を、両手で包んだ。
「……宇衍さん。あんた、馬鹿だよ」
唇が歪む。
「なんで最後まで情けないままでいねぇんだよ」
岑は宇衍を抱き上げ、
「雲、先に帰る」
とだけ言い、背を向けた。
宗斐は自身の膝を強く一回叩くと立ち上がり雲に手を伸ばす。
「ほら、立て」
雲は逆らうことなくその手を掴んで引っ張り上げられた。
雲は崩れ落ちた廟の中に入る。
崩れた岩壁の破片で危険だったが、宗斐はそれを止めなかった。
雲はひび割れてしまった壁画に手を触れる。
もう戻れない故郷の自然がそこには描かれていた。
「宗斐さん、私は国とは何かわからない」
声は独白のようだ。
「王には向いていないと言われて育った。
それでも私は太子だった」
壁画を撫でていた手を離し、腰の鈴に触れる。
「これは妹の形見だ。
芙ていうのも妹の名前で。
彼女はいつも私のことばかりで、年下なのに姉みたいだった。
私が悪く言われると代わりに彼女が怒ってしまうから、私は怒れなかった」
雲は慈しむように鈴を鳴らした。
「素敵な妹さんだね」
「うん。
優しくて明るくて、太陽みたいな子だった。
その子が最後に私に言ったんだ。
国なんて本当はどうでもいい。
私に幸せになってほしいって。
……だからもう国に戻る気はなかったんだ。
それなのに結局ここでも蒼土の人が気になって、加えて郡都の人まで気になってた」
雲は自嘲するように微かに笑う。
「でもその結果がこれだ」
雲は宗斐と向かい合ったまま顔を伏せる。
その肩が小さく震えた。
「私は蒼土を、民を好きでいたかった」
押さえ込むような嗚咽が聞こえる。
宗斐はゆっくりとその背を抱き寄せた。
「雲太子、どうか貴方の時間をくれないか」
彼は雲の肩越しに崩れた壁画を見る。
「必ず私がこの郡を辰京人や蒼土人なんて括りが意味を持たない場所にする。
こんな居住の区域なんてなくして見せる。
貴方に、貴方の愛する蒼土を返してみせるから」
抱きしめる手に力が籠る。
「どうかそれまで待っていてくれ」
宗斐の声は優しかった。
雲はしばらく動かなかった。
やがて小さく頷く。
鈴の音が小さく鳴った。




