1-12
「なぁ、姉ちゃん。
俺しばらくここ来ないほうがいい?」
隆は弓の弦をバチンと引っ張りながら言った。
「なんか最近変なんだ。
みんな蒼土の悪口ばっかり。
父ちゃんも帰ってくると『今日はあそこの店で蒼土人が問題を起こしてた』とか母ちゃんも『お金が蒼土に使われる』とかそういう話ばっかりするんだ」
ここ数日元気がなかった隆は不貞腐れたように語り出す。
「それに俺知ってるんだ。
変な遊び流行ってんだろ?」
隆の声はどこか泣きそうだった。
雲はしゃがみ込み隆に視線を合わせる。
「俺の周りもやりたがってんだ。
俺、必死に止めてんだけど。
それでも他の奴らがやっちゃうんだ」
雲はまっすぐ隆を見ていたが視線は合わない。
さらにだんだんと隆の顔は下に傾いていく。
「分かってる。
俺だってそう変わらないことを姉ちゃんにしてたんだって。
でも、でも」
ついにその言葉は途切れ小さな呻き声に変わる。
膝の上で重ねた両腕は今彼の涙で濡れているのだろう。
雲はゆっくりとその小さな体を抱きしめる。
「大丈夫。分かってる。
隆がやってないってことも、反省してるってことも」
雲はしばらく嗚咽し震える背中を撫でてやっていたがしばらくして身体を離す。
そしてその柔らかいほっぺたに手を当てぐいっと顔を上げさせた。
涙に濡れた少年はポカンとしていたがその額を容赦なく指で弾いた。
痛みに目をギュッと閉じ、慌てて額を抑える姿に雲は声を出して笑う。
「君は悪いことしてないのになんで泣いてるの。
むしろ隆は偉いんだよ。
子供は大人の言うことがちょっと間違ってても普通は気づけないの。
でも隆はそれがなんかおかしいなて気付けてる。
それに自分のした悪いことと向き合うのだって簡単じゃない。
泣いてる暇があったらもっと自分を褒めてあげな」
仕上げに頭を思いっきり撫でてやると隆は余計泣き出した。
「ねえちゃーん」
一向に泣き止まない隆の背中を雲はバンと叩く。
「ほら、もう立ちな。
帰るんでしょ」
「う〜痛いよ姉ちゃん」
ようやく少し泣き止んだ隆は大きく鼻を啜って立ち上がる。
そして赤くなった情けない瞳で雲を見た。
「俺、やっぱり当分ここにくるのやめるよ。
姉ちゃんに迷惑かけちゃ悪いし。
でもいいものあげるから最後に明日くるから」
胸を張って勝手に宣言すると隆は走って帰ってしまった。
*****
次の日、雲は激しい罵声に目を覚ました。
飛び起きると、家の中に岑の姿はない。
外へ出ると、近所の家々の戸口に女子供が立ち、蒼土の集落の奥――廟の方を不安げに見つめていた。
雲は早足でそちらへ向かう。
そして、目に飛び込んできた光景に息を失った。
急ごしらえの岩壁で作られた廟は無惨に壊され、内側に描かれていた鮮やかな山河の絵が露わになっている。
(これは……)
廟の前には男たちが半月形に集まり、中心を囲んでいた。
「どけ! そいつがやったに決まってる!」
「庇うならお前も同罪だぞ!」
怒声が飛び交う。
雲は人垣の隙間から中を覗こうとするが、密集していて見えない。
その時、聞き覚えのある声が響いた。
「一旦落ち着いてくれ! 証拠もないんだ。こんなこと、子供ひとりでできるはずがない!」
宇衍だ。
続いて震えた声が上がる。
「俺、やってない! 知らない、こんなの!」
――隆。
雲は思わず人の間を押し分けようとした。
だが耳元で低い声がする。
「呼ぶな」
岑だった。
雲は小さく頷く。
最前列に辿り着くと、壊れた廟を背に震える隆と、その前に立ち両腕を広げる宇衍の姿があった。
以前の弱々しさは消えている。
「俺たちは知ってるぞ! そいつはいつも悪戯ばかりしてる!」
「畑を荒らしたのもそいつだ!」
「護符を外して回ってたのも!」
一ヶ月前までの隆の所業が次々に挙げられる。
隆の顔がみるみる青ざめる。
その視線が一瞬、雲を捉えた。
「姉ちゃん」と言いかけ、唇を噛んで閉ざす。
(変に気遣ってんじゃない!)
足を踏み出しかけた雲の袖を岑が掴む。
「ここ最近、この子に何かをされたやつはいるか?」
宇衍が男たちを見渡す。
「いないだろう! この子はもう反省してる!」
一瞬の沈黙が場に満ちる。
だがすぐ別の声が上がった。
「改心なんてするわけない!」
「俺の息子は散々やられた!」
罵声は止まらない。
そのとき、ひとりの男が前に出た。
「いつまでくだらねぇこと言ってんだ!」
小石が投げられる。
隆は身を固くし、抱えていたものを落とした。
転がったのは――まっさらな鹿人形だった。
「ほら見ろ!」
「やっぱりあいつだ!」
ざわめきが膨れ上がる。
「違う……これは……」
隆は言葉を失う。
そこへ、ふらついた足取りの男が輪の中から進み出た。
青白い顔に虚ろな目をしている。
手には鹿の形ではなく少女の形をした小さな人形があった。
純白だったはずのそれは黒く汚れている。
「蒼土ではな、生まれた子に災いが降りかからぬよう、身代わりの人形を作る。」
男の声は平坦だった。
「これは俺の娘のだ。」
場の空気が凍る。
「娘は死んだ。ここへ来てから体が弱って……」
隆の瞳が怯えに染まる。
「お前がこんなことをしなければ――」
宇衍がすぐに前へ出る。
「待て! 君の娘さんが亡くなったのは半年前だ!」
「関係ない!」
男の目が濁る。
「全部、そいつのせいだ!」
次の瞬間、男は駆け出した。
雲の視界で何かが光る。
「やめろ!」
宇衍の体が揺れた。
彼は何かを言おうとしたが、声にならない。
胸元に突き立った刃の柄が、微かに震えていた。
男の手が離れる。
「ちがう……俺は……」
宇衍の体が崩れ落ちる。
雲は駆け寄り、その体を抱きとめた。
もう岑はそれを止めなかった。
自身も続き男の両手を拘束した。
雲は分かっていても首に触れる。
脈は、感じられない。
隆がその場に崩れた。
「おっちゃん……起きてよ……」
震えた声が空気を裂く。
辺りは異様な静寂に包まれた。




