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その時扉が控えめにドンドンと叩かれる。
岑の目が獣のように収縮しそちらを見やる。
しかし、
「岑さん、私だ。宇衍だ!」
という声が聞こえるとその瞳は和らぐ。
「なんだよ、宇衍さん。
今食事してたって言うのに」
岑が文句を言いながら戸を開けると宇衍という男はすまないと笑いながら入ってきた。
少しなよっとした男だ。年下の岑にまで腰を折って謝る姿は、どこか頼りなく映る。
宇衍は部屋の椅子に座っていた雲に気づくと微笑む。
「この子が妹さんか。
初めまして。
こんな夜中にすまないね、宇衍と申します。」
弱々しいと思った男だが、その笑顔は妙に安心感がある。
「芙と申します。
兄がいつもお世話になっております。」
「で、なんでこんな時間に来たんだ?」
芙との間を遮るように岑が声をかけると宇衍はハッと表情を固くした。
そして他に人がいない室内なのにどこか警戒するように周りを見渡す。
そして慎重に衣の合わせの間から何かを取り出し机に置いた。
(これは……)
「……鹿人形だな。」
指先で赤い塗料をなぞる。
「しかも、見事に落書きされてる。」
宇衍が持ってきた人形を前に岑は不快そうに眉を寄せた。
「昼過ぎに森の近くで郡都の子供たちが遊んでるのを見たんだ。
何やら一箇所に集まって何かを覗き込んでたんだが、夜になって廟の辺りを散歩していたらこれを見つけたんだ。
おそらくあの子達がやったんだろう。」
「郡都の子供達か……」
「……」
岑は赤い塗料で散々汚された真っ白だったはずの鹿人形を手に取り隅々まで見てみた。
雲はその様子をジーと見つめる。
(せっかく宗斐が隠したのに無駄骨だったな。)
しばらく誰も言葉を発さずにいたが、少しして宇衍が気まずそうに雲に視線を向けた。
「……?
宇衍さん、何か私に言いたいことでも?」
「いや、その決して君を疑ってるわけではないが。
最近君と仲良くしているあの少年は…」
「隆ですか?」
雲は隆の最近の無邪気な顔とかつての生意気小僧を思い出して頭痛がした。
「まぁ、少し前までのあの子の行動は決して褒められたものじゃない、と言いますかかなり酷いものでしたけど。
今は色々あって改心してますよ。
断言します。あの子は関係ない」
「そうか。そうだよね。
ごめんごめん」
雲のはっきりとした言葉に宇衍は申し訳なさそうに笑った。
しかしそれを聞いていた岑はぐるっと宇衍に体を向ける。
「まさか、宇衍さん!
うちの芙を疑って俺のとこに来たのか?!」
「違う違う!断じて違うよ!」
岑の剣幕に宇衍は情けないほどビクッと肩を揺らし、すごい勢いで両手を振る。
「はは。まぁ、わかってるよ。
あんたはそんな人じゃないって」
「最近柳基のあちこちで蒼土の移民と辰京人の争いが起きてる。
それと同時に子供達の行動が一線を越え始めた」
宇衍は悲しそうに汚された人形を見つめる。
「ほら、私には息子がいるだろ?
悲しいんだ。
阿舜は悪いことを当たり前にできてしまう子供達と同じ時を生きていかなくちゃいけない。
それに……郡都の子供達にとっても他者の文化を踏み躙るなんてことしてほしくないんだ」
「……」
「……」
「とにかくこの人形の状態はあまり蒼土人に見つからない方がいい。
君ならこれを見ても他の人みたいに感情的には動かないかな?と思って。
……あとは情けない話なんだが、これを私が持っているというのもこわくて」
宇衍の語りは次世代のことを思う崇高な大人の様子だったが、頭を書きながらへらりと笑って言った最後の言葉が余計だった。
「いや、情けなくはねぇよ。
まぁ、ちょっと情けないけど。
あんたが父ちゃんで阿舜は幸せだな。
きっと誰よりも賢い男に育つよ」
岑の言葉に宇衍は瞬きを2回ほど繰り返したのち嬉しそうに表情を崩す。
「そうだといいな」
「強さの方は期待できそうにないがな。
……これは俺が預かっとくよ」
岑は近くにあった白い木綿の布に鹿人形をささっと包む。
宇衍はありがとうと深く頭を下げて去っていった。
「さてと…」
岑は人形を戸棚の奥の奥に隠して、雲の方を向く。
「知ってたな?」
語尾は疑問系だが、その目は確信しているようで、雲は大人しく頷く。
「太守に聞いたのか」
「うん。聞いたと言うか見せられた。
それは真っ二つに割れてた。
そっちも子供がやったらしい」
雲の答えに岑は大きくため息をついた。
「どうも無関係というわけにはいかないかもな。
……最悪俺は巻き込まれてもいい。
ただ、お前はこれ以上首を突っ込むな」
見据えてくる岑の瞳は切実だった。
「……」
雲は答えに窮して視線を逸らす。
「おい、せめて努力するとかだけでも言ってくれよ」
「……努力する」
雲の言葉に岑は深くため息をついた。




