#9
「幸せじゃなかったら、こんな必死こいて捜してないだろ」
「そ、それはそうなんですけど。……分からないですよ。俺はアホだから、言葉にしてくれないと」
そこで初めて、都築は苦しそうに胸を押さえた。
「景さんは、俺とは全然違う、遙か遠い男のひとに見えたんです。昔の辛い記憶なんて捨てて、素敵なひとと新しい人生を歩まないといけないひとなんだ、って」
「買い被り過ぎだな」
景は苦笑し、都築の隣に座った。自分の望みとは逆行していると話し、冷蔵庫から水を取り出す。
しぶとく残るアルコールを飛ばすように、ひと息で半分近く飲み干した。
「……俺だって。お前に新しい恋人ができて、今を謳歌してたらどうしようと思ったよ。もちろん幸せでいてくれないと困るんだが」
彼の隣に、もう自分が座る席がないとしたら。
大人なのだから、その可能性は十二分にあった。けれどその不安と恐怖だけで、今の人生を閉じてしまえる気がした。本当は再会してすぐに恋愛事情について訊きたかったが、彼に恋人がいた場合を思うと、自分から地雷を踏みに行くことはできなかった。
大恩ある主を捜しながら、実際は関係ないことばかり考えている。なんて知ったら、彼はどう思うだろう。
幻滅待ったなしだと思った。けど、都築は心配になるほど頬を紅潮させていた。
「景さん、ほんとクールだから全然分かりませんよ」
「大人だから、そりゃ必死に隠すよ。……生まれ変わりってのも、中々に厄介だな」
「ええ。……でも、感謝してます。景さんに逢えただけで、俺の未練と無念は報われたから」
都築は目を泳がせた後、こちらを向いた。
多分抱き着きたいんだろうと思い、両手を広げる。すると彼は迷いなく飛び込んできた。
本当に、可愛い。
青年になっても、生まれ変わってもこんな可愛いなんて……彼こそ自分を象る“世界”だ。
柔らかい髪に触れ、強く抱き締めた。
「景さん、良い香りする」
「お前もな」
ここにいることを確かめる。何があっても離れない。
景は改めて胸に誓い、自分より一回り小さい手のひらを握った。
◇
「わ~! 今日は晴れだ!」
翌朝。珈琲を入れてカーテンを開けると、燦々と部屋に光が射し込んできた。
「景さん、ホテルの前にビーチありましたよね? 散歩行きましょう!」
「そうだな」
早朝の為か、ビーチを歩いている人は少なかった。都築はサンダルに履き替え、波打ち際を歩く。
「あははっ! 冷たい」
「遊ぶ準備は万端だな」
景は微笑み、傍の白いデッキに上がった。
そこでは一組の男女が写真を撮って、楽しそうにはしゃいでいた。なにかと思って見ると、白のアーチに付けられた鐘だった。
「あ。見たことあります、これ。幸せの鐘でしたっけ」
確か、鳴らすとその二人は永遠に幸せでいられるというもの。
ちょうどカップルがいなくなったので、景さんの後に続いてデッキに上がった。
「揺らしてみます? って、もうやってる」
こちらが提案するまでもなく、景さんはロープを握って揺らしていた。ところが音は鳴らない。錆びてしまってるようだ。
「だからさっきの人達も鳴らさなかったんですね」
「ま、ジンクスみたいなもんだろうからな」
景さんはロープを離し、軽やかにデッキから飛び降りた。
「それより、もっと効果ありそうな場所へ行こう」
「?」
チェックアウトし、景さんの案内のもと海沿いを運転する。途中に現れた海上の大橋は眺望が素晴らしく、思わず叫んでしまった。
「すっごい綺麗!」
離れ小島の架け橋。橋の右側はコバルトブルーで、左側はエメラルドグリーンに見える。同じ海なのに色が違って見えて、ひたすら不思議だった。
橋は徒歩でも移動できる為、撮影を楽しんでる人達も見えた。
景さんが窓を開けた為、風が吹き込んでくる。風の音がうるさいから、大きな声で話した。
「こんな気持ちいい場所走るの、初めてです!」
「山もいいけど、やっぱり海もいいな」
橋を抜け、坂道を上っていく。小さな駐車場に車を停めて訪れたのは、やっぱりビーチだった。けどそこはただのビーチじゃない。聖地は聖地でも、いわゆるカップルの為の場所だった。
「見て見て、景さん。あの岩、ハートの形に見える!」
「そう。カップルだらけだろ」
再び坂を下ると、透き通った海の上に、何とも可愛らしいハート型の岩が顔を出していた。
周りは写真を撮ったり、カップルは楽しそうに腕を組んでいる。家族連れはいるけど、今は男二人組は見当たらなかった。
「景さんすごい。良い場所見つけましたね!」
「……いや」
景さんはサングラスを外し、俺のサコッシュを指差す。自撮り棒を出すように言ってるんだと分かり、ごそごそと手を入れていたが。
「良かったら写真撮りましょうか?」
近くにいた二人組の女性が声を掛けてくれた為、慌ててスマホを手渡した。
「ありがとうございます。お願いします!」
「はーい。じゃ、撮りまーす」
自撮りだといまいち良い距離感が掴めないから、本当に良かった。撮ってもらった写真を確認し、女性達にお礼を言ってビーチを後にした。
「すごく綺麗でした。恋愛運向上しましたかね?」
「これ以上上げるもんもないんだが……ま、最高値だろうな」
珍しく景さんも満足しきった様子で、車の冷房を入れた。
周りの人達には分からないかもしれないけど、初めてデートしている。それだけで嬉しくて、はしゃいでしまう。
「主様に申し訳ないです。こんな風に遊び呆けて、景さんとはイチャついて……あ、あそこで売ってる紅芋パフェ食べましょう!」
「申し訳なさ微塵もないな」
その後は海を眺めながらドライブした。道も混む為夕方には市内へ戻り、最後に泊まるホテルでチェックインした。
観光スポットの大通りに行きたかった為、一泊目と異なり、今夜はシティホテルに泊まった。部屋も昨日と比べ半分以下の広さだが、寝るだけだし充分だ。
「よし! 景さん、荷物置いて夜ご飯食べに行きましょー!」
「あぁ。食べたいもの決まってるのか?」
「もちろん今夜も郷土料理です。スマホで調べてたんですけど、ライブやってるお店がいっぱいあるんですよ。せっかくだし行ってみませんか?」
笑いかけると、彼は快諾してくれた。早速賑わうメインストリートに出て、席が空いてるお店に入る。
店内は主に観光客で、皆お酒を飲みながらライブを楽しんでいた。
「沖縄の楽器って良いですよね。俺も今度やってみようかなぁ」
「お前、三味線も弾けるんだろ?」
「はい、ちょっとだけ」
泡盛ロックを飲みながら、演奏者の手元を見る。
「俺も主に民謡の為の演奏だったので、中棹の三味線でした」
「今は全くやらないのか」
「気まずくて実家に帰れませんからね。楽器もひとつも持ってないし……」
こちらでは珍しいが、都築の家系は代々和楽器奏者を生業としている。小さな教室も開いている為、子どもの頃から技術を磨く為に猛特訓していた。
しかし一つの楽器に留まらず複数の楽器をマスターしないといけなかったことが、都築にとってはかなりの試練とストレスだった。最終的に父からは素質がないと叩き出された。
本来はひとり息子として家業を継ぐべきだろうが、どう考えても現実的ではない。
楽器は好きだが人に教える技量はないから、無縁の職種でやっていく方が良いと思った。
「俺は、一度聴いてみたいけどな。お前の演奏」
「……!」
景さんの綺麗な瞳に、明るい光が反射した。思わずグラスを落としかけ、息を飲む。
「昔、草笛は得意だったし」
「ふざけてやったら何かできたんですっけ」
「そうそう。それに味をしめて夜中もやってた」
「その節は申し訳ありません……」
ウン百年越しに謝罪すると、彼は心底可笑しそうに肩を揺らした。
「忘れてたけど、ちょっとずつ思い出していくもんだな」
「ええ。……本当に」
ステージを照らすライトに目を眇め、音楽に合わせて手拍子する。新しい曲に変わった時、始めは皆バラバラだけど、段々リズムがとれていく。
人の暮らしも、社会もこんなもんかもしれない。いつだって最初は何も分からなくて、戸惑う。
景さんはステージに視線を向けながら、静かに瞼を伏せた。
「良いな」
陽気な音楽。明るい声。弾ける光。
人がいる。時代は移り、俺達は偉大な“今”に身を置いてる。
それはなんて素敵なことだろう。
テーブルに視線を落とし、密かに目元を擦った。
こんな当たり前の光景が、何気ない瞬間が、本当に幸せだ。
「都築? どうした、気持ち悪いのか?」
「違……逆です。感動しちゃって。演奏に」
実際唄も演奏も素晴らしかった。一通りの演奏終了後、店内の観客は拍手喝采した。
「本当に来て良かった。連れてきてくれてありがとうございます、景さん」
「こちらこそ。……来てくれてありがとう」
密かに、指先が触れる。ほんの小さな悪戯に笑い合い、俺達は手を合わせた。




