6話「専属コーチ」
翌日の放課後、エリスが終業の号令を終えてからいそいそと帰り支度を済ませていると。
帰っていくクラスメイト達の間を縫うようにして教室に入ってきたのは、魔法科の優等生。イヴリン・ナイトウォーカーだ。彼女はチラチラと向けられる視線を無視してエリスの傍に歩み寄る。少し遅れてその気配に気付いたエリスは顔を上げ、昨夜ぶりの再会に笑みをこぼす。
「イヴリン!」
「エリス。その……」
イヴリンは何かバツが悪そうな顔で、片腕の肘をもう片手で抱き締めている。
だが、彼女の気まずさを理解しつつも、エリスはそれに囚われてぎこちなくなることをよしとはせず、少し大袈裟に笑みを浮かべて彼女の顔を覗き込んだ。
「試験はどうでしたの? 合格した?」
エリスは様々な協議魔法選手を見てきたが、イヴリン以上の実力差を知らない。
試験内容にも依るだろうが、真っ当な試験方法であれば――
「――うん、一応。合格とは言われた。三人の内の一人」
エリスはその事実に、今度は作り物ではない笑みを浮かべる。
しかし、イヴリンはどうしても浮かない顔だ。一緒に受験するはずだったエリスが門前払いをされたというのに、どう喜んでいいのか分からないのだろう。眉尻を下がっている。
「折角の合格なのに、そんな顔してちゃ台無しなのだわ。笑って、イヴリン」
エリスは手を伸ばしてイヴリンの頬をぐにょんと伸ばすが、イヴリンは悲しそうな目を虚空に流すだけ。抵抗することも否定することも、納得することも無く黙る。
彼女自身、どう割り切ればいいのか分からないから会いに来たのだろう。
故に、エリスは励ます意を込めて、生意気に、不敵な笑みで頬を引っ張る。
「いつまでも私に甘えてるようでは駄目なのだわ」
実態が寧ろ逆に近いことはお互いに重々承知していることではあるが、だからこそ、その言葉には重みがあったのかもしれない。イヴリンは仄かに相好を崩して物思いに耽る。エリスがポンと手を離すと、少し赤くなった頬を撫でながら、徐に目を開けて頷いた。
「うん……そうだね」
「これからはライバル!」
エリスもエリスで、自分がどのように腕を磨いていくかの光明が見え始めてきたところだ。
そんな決意の眼差しを向けると、昨日の別れ際から何かあったことを感じ取ったのだろう。イヴリンが好奇心に満ちた目を向けてくるので、エリスは腰に手を置く。
「ようやく、私も進むべき道が見え始めてきたところなのだわ」
「あ、いたいた。今日も来てましたのね、アルフレッドさん」
アンジェラの下で早速指導があるというイヴリンと別れたエリスが、そのまま昨日と同じ射撃場へと向かい、一階から順繰りに中を覗いていくと、四階のベンチで知った顔が新聞を読んでいた。アッシュグレーの短髪に、シャツの上からでも分かるほど屈強な肉体。窪んだ、少し虚無感のある顔立ち。彼は昨日、自らをアルフレッド・バーネルと名乗った。
こちらに気付いたアルフレッドは、ふっと笑って新聞を折り畳む。
「なんだよ、また来たのか。お嬢ちゃん」
「貴方を探していたのですわ。まさか本当に居るとは思っていませんでしたけれども」
「この辺りの娯楽施設を探し回ればどこかには居るよ」
「もしかして、暇なんですの?」
「軍を退役する時に相当な額を貰ったからな。もう働く必要が無いんだ」
アルフレッドは脚を組んで欠伸を一つ。エリスは満面の笑みで何度か頷いた。
「でしたら都合が良いのだわ。今日は折り入って頼みがありましてよ」
エリスが腰に手を置くと、アルフレッドは眉を上げながら唇を尖らせて意外を表明。
エリスは彼を真っ直ぐに見詰めると、その瞳の向こうに昨晩の出来事を思い出す。
「――私の専属コーチになってほしいのだわ。競技魔法の」
アルフレッドはその言葉があんまりにも予想外だったのか、暫し呆けた顔で硬直した後、溜息にも似た吐息を笑って吐き出し、「コーチか」と呟く。エリスからすれば、昨晩の実戦経験に裏打ちされた、あまりに効率的な魔法指導は他では得られない貴重な経験だった。だが、このエリスの提案を予想していなかったということは、昨日の指導は彼にとって何でもない、単なる知識の伝授に過ぎなかったということでもある。まだ、彼には奥があるのだ。
エリスは――人に頼って生きることを、あまり好ましいとは思わない。
だが、自分の力でできないことに意地を張り続けることにも懐疑的だ。
エリスは天才ではない。そして、その言い訳の下に怠けてきたつもりもない。けれども、例えば凝り固まってしまった観念は第三者の言葉でないと解けないし、例えば専門知識の習得には知識人の意見が欲しい。分からないことは調べられるが、知らないことは調べようが無いのだ。何故なら、存在すら認知していないものを調べるなど、できる道理も無いから。
故に、彼を頼るべきだと思った。そして、アルフレッドの回答は――
「――悪いな、それは遠慮させてくれ」
今度はエリスが目を丸くする番だった。「どうして」と反射的に訊いてしまう。
アルフレッドはベンチの背もたれに頬杖を突き、遠い目で曖昧な笑みを浮かべる。
その、どこか虚無的で達観した笑みは、地獄のような戦場と平和な日常の温度差によって生じている、燃え尽き症候群のようなものに見えた。
「俺にとって魔法は人殺しの道具だ。俺は魔法で何人も殺した。戦友も魔法で殺された。戦争が落ち着いて国際社会が魔法の捌け口に作った競技魔法。人殺しの道具がどのように興行に変遷したのかは元軍人として興味があるが、俺自身が関与したいとは思えない」
そうやって戦争を引き合いに出されては、食い下がるのも難しい。
エリスが物心付いた頃には、戦争は既に小康状態だった。悲惨な殺し合いを伝聞では知っているが、骨身に染みているのはもう少し年上の人々だけだろう。人を殺して殺されて。上手く実感が掴めないその言葉に、どのように返していいのか分からず、情けない返答をする。
「でも、昨夜は少し教えてくれたのだわ」
「そうだなぁ。それはまあ――気まぐれと、後は庇ってくれたお礼だと思ってくれ」
もう反論の糸口は完全に潰され、エリスはぶすっと唇を尖らせて不貞腐れる。
そんな幼稚な反抗の意を見たアルフレッドは声を上げて笑った。
「……まあ、バッタリ出くわすことがあれば、多少、口を出すくらいはしてやろう」
言質を得たエリスは、ポンと頭の中で豆電球が光った。
「その言葉を待っていたのだわ! ――あら偶然! こんなところで出会うなんて! 早速! 私に足りないものを聞かせてほしいのだわ!」
全く遠慮のないエリスに、アルフレッドは可笑しそうにクックッと笑って、即答。
「取り敢えず、足りないのは遠慮かね」
「分かった! 一番足りないものは遠慮するのだわ。二番目に足りないものを聞かせて!」
「オーケー、俺の負けだ。その口の上手さに免じて答えるよ」
「そうだなあ」と口元を掴むように覆ったアルフレッドは、昨夜を思い出す。
「実際に見てみないと分からないが……余計な憧れが成長を妨げている印象がある。まずは、実戦を見て非効率的な部分を作り変えていくべきだろう」
エリスはその言葉をしっかりと聞き入れ、腕組みして思い当たる節を頭で洗う。
そして、徐に腕を解くと、神妙な顔で頷いてこう言った。
「全然わからないのだわ。具体的に教えてくださいまし」
「……借りは作るもんじゃないな」
やれやれ、と苦笑をして頭を掻くアルフレッド。
エリスは腰に手を置いて堂々と立ち、指で輪っかを作って得意げに返した。
「授業料はお支払いしますのよ! 些少だけれども」
「子供からお金を貰うほど生活に困っちゃいないよ」




