5話「貴方、何者なんですの?」
エリスはどうにか悲嘆から復活すると、振り返り、疲れた目で男性を見る。
「お怪我はありませんこと?」
男性は窪んだ虚無的な眼に一抹の優しさを滲ませながら頷く。
「ああ、お嬢ちゃんには迷惑を掛けたな」
「人として当然のことをしたまでなのだわ。でも、あんまり不躾に見るものではなくてよ」
「反省するよ。今度からは新聞でも持ってきて、それを読むフリをする」
「それがいいのだわ。そこまでする意味は分からないけれど」
エリスは大きく頷いて、それから「では」と訓練に戻ろうとする。
すると、その背中に同情と思慮を含んだ男性の声が掛かる。
「しかし、門前払いとは中々酷なことをするな」
足を止めたエリスは、自嘲気味な微笑を浮かべて振り返る。
「ふふ……同情はよしてくださいまし。私が悪いのだわ」
しかし、男性の表情には特段の気遣いの色はなく、真顔に近い。どうやら本心からそう思っているのだと言いたげで、エリスは眉を顰めながら立ち止まり、離れた位置で男性を見た。
男性は顎を擦り、虚空を細めた目で見詰める。
「基礎魔法しか使えない、だったか?」
エリスは嘆息の後に頷き、お腹の辺りを擦る。
「ええ、先天的に……脾臓を動かす五つの不随意筋の内、二つが動きませんの。世界一位を目指す上で、そのハンデは看過できないということ。その客観的な事実を棚に上げて、合理的な判断を身勝手に糾弾することなんてできませんわ。私が悪いんでしてよ」
そう納得するのが合理的で賢明だから、エリスは自分に言い聞かせるように言った。しかし、
「それはどうだろうな?」
男性はベンチで足を組み、窪んだ眼を細めてアッシュグレーの短髪を撫でる。
「突き詰めると専門魔法というのは強力だ。だが、基礎魔法が競技魔法というスポーツにおいて致命的に劣っているかと尋ねられると、俺はそうではないと考える」
彼は先程、『最近競技魔法に興味を持ってね』と語っていた。
何も知らないくせに、というモヤっとした苛立ちが芽生えそうになってしまい、エリスはそんな自分に嫌気が差して、一度両頬をパチンと叩く。そして、不思議そうにこちらを眺める男性に、射撃場の射撃エリア最上部にある電光掲示板の『143』を指した。
「競技魔法の国内ランク上位者の試合を見たことありませんの? この射撃場であれくらいのスコアを取れるような人達がバンバン派手な魔法で戦ってるのだわ!」
男性は飄々とした態度で指の先の数字を眺め、ふむ、と唸る。
「一分間に倒した的の数、だったか?」
「ええ。基礎魔法というのは――五大元素である火、水、地、風、空の内のどれか一つを単一行使するものなのだわ。そして、遠距離射撃なら、地属性で物質を作ったとすれば、その後に火属性で運動エネルギーを付与しなければいけない。でも、基礎魔法が二工程で二回詠唱するところを、専門魔法は火と地を併せた詠唱一回で済ませられるのだわ! 基礎魔法だとどれだけ頑張っても、早口で詠唱を繰り返すしかないんでしてよ!」
ドドン、とエリスが堂々と指を一本立てると、それを眺めた男性は可笑しそうに肩を揺する。「何が可笑しいんですの!」「いやぁ、よく勉強してると思ってな」と、男性は立ち上がる。
そして、怪訝に眉を顰めるエリスに、彼は射撃エリアの扉を指す。
入れということだろう。エリスは反骨精神を瞳に乗せながらも中に入る。すると、男性もぬるりと中に入ってきて、エリスに「構えな」と的を示す。その前に、「鍵を掛けるのがルールなのだわ」とエリスは施錠。それから、言われた通りに脾臓の辺りの魔力を意識する。
「さっきのお嬢ちゃんの説明には間違いが幾つかある」
面と向かって高説を否定され、エリスはムッとなって言い返す。
「そ、それは……! 分かりやすくするために例外を省いただけなのだわ!」
「そうか、それなら――先ず、基礎魔法について。正確には五大元素だけじゃないよな?」
彼はエリスの幼稚な反論を笑わず、その真偽を確かめるように問いを投げる。
エリスは唇を尖らせて一瞬考えた後、頷く。
「『五大元素』と、それから魔力そのものを物質化する『質量付与』に大別される。はず」
「概ね正解だ。だったらもう一つの間違いにも気付けるはずだ、魔法の基礎中の基礎。競技魔法を目指す子供が最初に習得する、最も簡単で一般的な基礎魔法。何か分かるか?」
攻撃的であることを理由に、最初に覚えるかは怪しいものの、競技魔法を目指すのであれば、避けては通れない攻撃魔法。そして、基礎魔法。エリスは当然、知っている。
「《魔法の矢》、ですわね? でも、それが何だって言うんですの?」
男性はポケットに手を突っ込み、まだ分からないかと言いたげに飄々と笑う。
「厳密には、質量付与は『魔力を物質化させる魔法体系』じゃない」
「……そ、そうなん、ですの? いえ、でも、教科書にはそう書いて……」
「正しくは、『質量を付与した魔力に特定の指示を与える魔法体系』だ」
カチ、と。頭の中で音がした。噛み合っていなかった歯車が噛み合った音だ。
質量付与の魔法体系は、魔力を物質化することが前提。そこに詠唱は不要。
そして、一つのパズルが埋まって、それが連鎖的に異なるピースを招くように、頭の中の歯車が一斉に噛み合い始め、グルグル、と思考が巡る。そして、答えが口から出た。
「《魔法の矢》は、生成と射出を一回の詠唱で済ませられる。のだわ」
男性は満足そうに笑って頷き、目を瞑って何かを懐かしむ。
「基礎中の基礎で使う人間が滅多に居ない。忘れるよな。でも、俺に言わせれば攻撃魔法なんてのは相手を殺せれば何だっていい。わざわざ鉛玉を作って飛ばすより、誰も使わないくらい地味で基礎的な魔法でも、物質化した魔力を投げる方が効率的だ」
確かに、競技魔法で相手を倒すにおいて、《魔法の矢》に見栄えが地味という以外の短所は存在しない。――否、一つの詠唱で全てが完結するというのは、それ以上の長所がある。
エリスの気付きを補足するように、男性が淡々と説明をする。
「魔法の工程をおさらいしよう。人間は脾臓に魔力を蓄積させる。そして、不随意筋を所定の順番で動かすことで魔力を捏ね、そこにイメージを投影することで魔法が発動する。だが、不随意筋とは自分の意思では動かせない筋肉だ。そこで用いられるのが暗示。つまり、」
「詠唱。そして、それを繰り返して習得した魔法は、短縮して名称だけで済ませられる」
「その通り。要するに――魔力とは生地。詠唱とは型抜きであり、魔法はクッキーだ」
男性は空中の生地を型抜きするように、ジェスチャーをポンポンと繰り返す。
そして、その手に持っていたエア型抜きを。ぐしゃ、と握りつぶした。
「ところが、この型抜きは繊細だ。他の型抜きを用意した瞬間、完全に壊れてしまう。意識を魔法から引き剥がしても同様に。だから、二つの魔法を繰り返す場合、その都度詠唱が要る。だが、もしもそれらを一つの魔法に集約できる場合――」
「――詠唱は一回。そして、型抜きを使い回すことができる。の、だわ」
男性は「正解」と優しく頷いて、どこか寂しそうにエリスを見下ろす。
「基礎魔法しか使えないなら、専門魔法で戦う人間を参考にするべきじゃない。連中と同じことを基礎魔法で再現しようとすると、工程が増える分だけ不利になる」
男性が、その骨太な指でそっと的の方を指す。エリスは――今だけ、先刻植え付けられた悔しさも悲しさも忘れ、目の前にある人生の分帰路を見るように、的を見詰めた。
「憧れを捨てた方がいい。《魔法の矢》を発動してみろ」
エリスは様々な疑問を振り払い、言われるまま、的を凝視した。
「《魔法の矢》」
エリスの斜め上前方に、青白い光が輝く半透明の杭が出現した。長さは十五センチ、直径は五センチ。激しいジャイロ回転をしながら待機して、エリスのイメージの到着を待っている。エリスはジッと的を見詰めると、力強く押し込むように「えい!」と発射。
狙いは僅かに逸れて的の側面を掠り、「あぅ」とエリスの喉から恥ずかしそうな悲鳴。
だが、誤魔化す言葉を並べるよりも早く、それを見ていた男性がエリスの両肩にチョップを落とした。「ふぉっ?」と間抜けな声を上げたエリスに、男性は再び的を指す。
「力を入れ過ぎだ。もっと脱力すれば簡単に中る」
「脱力……脱力!」
エリスは全身から力を抜いて目も半分ほど閉じ、四肢をだらんと放り出す。
「脱力とは一般的に不必要な力を除くことを指す。嬢ちゃんのそれは必要な力も消えてる」
「そっ……そんなこと言ったって仕方が無いじゃないですの! コツをくださいまし!」
エリスだって全力で指導を反映しようとしているのだから、もう少し寄り添ってほしいものだ。ムキー、と言い返すと、男性は「そうだなぁ」と笑いながら顎を擦る。
「紙飛行機を折ったことは有るか?」
「ふふ……小学校では飛ばすのが一番上手だったんですのよ!」
「なら話は早い、要領はそれと同じだ。お嬢ちゃんは――そうだな、今。線を引いている感覚だ。だが、それは操作の領分でな。お嬢ちゃんは操作できない物体を操作系魔法の要領で動かしているんだ。だから、その精度は、ちぐはぐさから来るものだ」
――また、頭の中の歯車が噛み合っていく感覚。間違え続けていた訓練が、ようやく意味を得るような。この先に進めば何かが見えるような、そんな期待以上の確信。
「空気に紙飛行機を乗せる感覚だ。方向を指示して運動エネルギーを乗せればいい。後は、勝手に中る。コントロールするのは一瞬、発射の直前。それだけでいい」
男性の指が的を指す。エリスは黙って頷き、今度こそ、正しく脱力した。
「《魔法の矢》」
再び作り出した魔法の矢。数秒後、エリスは力まずに目的地だけを指示して、後は推進力となる運動エネルギーを、そっとそこに乗せた。
瞬間、風切り音を立てた魔法の矢が、人型の的の顔面中央を貫いた。
カァン、と向こう側の壁面に当たった矢が消失するのを見送りながら、エリスは――静かに見開いていた目を、少しだけ細めて、この感覚をモノにする為に、もう一度。詠唱はしない。型抜きを再利用して、四発の魔法の矢を作り出し、それらを順番に発射する。
タン、タン、タン、タン。驚くほど呆気なく、四つの的が撃ち抜かれた。
「見事。言われてすぐにできるなら、それは嬢ちゃんが訓練を続けてきた証拠だ」
男性は噛み締めるように呟き、エリスは彼に礼も言えずにその光景を眺め続ける。
男性はエリスの横顔をチラリと見ると、満足そうに微笑んでパン、と拍手をした。ビクッと我に返って肩を震わせたエリスは、目を剥いて噛み付かん勢いで男性に怒鳴る。
「な、なんですの、急に! 驚かすのはやめてほしいのだわ!」
「最後のレッスンだ。この拍手のタイミングに合わせて《魔法の矢》を出せるか?」
パパパン、と男性が拍手をするので、「ぼ――《魔法の矢》」と、言われるままエリスは魔法を発動。そして、拍手のタイミングに合わせて危なげなく矢を出しては発射して。
コツを掴んだからだろう、その全ては狙いを違わずに的を穿つ。
満足そうに頷いた男性は、怪訝そうなエリスにこう語った。
「今の拍手が、概ね一秒に三回だ。つまり、一分間に百八十回」
エリスは彼の言わんとしていることを理解して、思わず目を丸くする。
そして、いつの間にか――自分は見上げていた雲の上まで階段を上っていたことに気付く。
男性はエリスのその表情で、意思疎通ができたことを確信して扉前に歩み寄る。そして、エリスが見守る中、「やってみろ」と言ってタイムアタックの赤ボタンを軽く押した。
ピ、ピ、と電子音が五回。エリスは振り返って的に向き直る。
「一秒間隔で手拍子を打つ」
メトロノームに代わる男性の言葉を聞きながら、エリスは集中を深めるべく左手を的に向ける。そして、右手を、弓を引くように頬の傍へ。魔法はその中間に。
そして、開始を告げる長い電子音が鳴り響いた。
エリスは男性の手拍子に合わせ、一秒間に三発の《魔法の矢》を黙々と放ち続ける。
そして――六十秒後。記録が塗り替えられたことを示すブザー音が各階に響く。
祝福するようにクラッカーを模した音が、エリスの射撃エリアのスピーカーから聞こえた。
電光掲示板が書き換わる。新しい数字は――『180』。
エリスは呆然とした表情でその数字に背を向け、不敵な顔で腕を組む男性を見詰めた。
「――貴方、何者ですの?」
男性は相変わらず食えない顔で、飄々と顎を擦って、そっと薄笑いを浮かべた。
「しがない退役軍人だよ」




