7話「三十秒」
それから二人は、少し離れた場所にある演習場へ足を運んだ。
演習場には四か所の実戦用のスタジアムがあるが、それとは別に、魔力体による安全な魔法訓練を目的とした、小規模な密室の訓練場も敷き詰められるようにして存在している。各階に八つ、横幅五メートルに縦幅十五メートルと規模は小さいものの、身体を動かすには充分だ。
さて、そんな訓練スペースにて、エリスは魔力体になってアルフレッドと向かい合っていた。
「三十秒」
アルフレッドは唐突に指を三本立てた。小首を傾げるエリス。
「三十秒以内に、俺に少しでも攻撃を当てることができれば――コーチの件を考えよう」
エリスはぴょこんと踵を浮かすと、困惑を交えながら尋ねた。
「い、いいんですの? さっきは教えたくないって……」
勿論、エリスとしては考えるまでもなく二つ返事でお願いしたいところではあるが、彼がエリスの為に自分の信念を曲げるのだとすれば、そこまでしてもらう訳にはいかないし、そこまでしてもらう理由も分からない。それ故の疑問に――アルフレッドはピタリと口を閉じ、開き、懐かしいものを見るような目でエリスを眺めると、ふっと笑う。
「まあ……そうだな。こうすれば潔く諦めやすいだろう?」
煙に巻くような言い方だが、言わないならそれでいい。エリスは不敵に笑う。
「そういうことなら遠慮はしませんわ。勿論、できなかった時は――」
「――さっきの約束通り、軽く口を出す程度だな」
挑戦するだけ得しかないのであれば、エリスに拒む理由は無い。「ふむふむ」と白々しく頷きながら軽い準備運動をしたエリスは、胸にそっと魔力を意識する。そして、腑抜けた顔で隙だらけのアルフレッドをチラリと盗み見ると、ニッと笑って手を向ける。
「それじゃ早速! はい、よーいドン! 《魔法の矢》!」
開幕速攻! エリスはアルフレッドの準備も待たずに《魔法の矢》を放つ。
エリスの頭上少し前方に、〇・一秒間隔で青白く波打つ半透明の矢が装填されていく。そして、それらは半秒の待機時間を終えると、装填された先から亜音速で発射された。
少し前までは考えられないほどの精度で、一・五秒の内に放ち終えた十五発の青白い雨。
直後、甲高い金属音を響かせながら、十五発の《魔法の矢》が砕け散った。
手の甲に魔力の粒子を帯びさせたアルフレッドが、構えるような姿勢で拳を軽く振る。
目にも止まらぬ速さの裏拳で砕いたのだ。少し遅れて、それに気付いた。
「なっ――」
人間業ではない。唖然とするエリスに、アルフレッドはニヒルな笑みを覗かす。
「あのな、本当に奇襲をしたいなら開始の合図すら言うべきじゃあない」
「こ、ここは戦場じゃないのだわ! それじゃズル過ぎるもの!」
「ほら、話してていいのか? 三十秒は数え始めてるからな」
おどけた表情で指折り数えるアルフレッドに、エリスは唇を噛んで憤る。
「ぼっ、《魔法の矢》!」
それなら物量だ。
エリスは再び《魔法の矢》を発動し、今度は魔力を全て使い果たす勢いで大量の矢を装填し、発射していく。約〇・一秒間隔で発射されていく無数の矢の雨。
すると、アルフレッドはポケットに手を突っ込んで溜息混じりに魔法を詠唱した。
「《盾》」
同じく質量付与によって作り出された魔力の盾。
奇怪なのは、その角度。エリスの《魔法の矢》の発射角に対して垂直ではなく、逸らすように大きな角度を付けて構えている。結果、矢は弾かれることなく、次々とアルフレッドの後方へと逸らされていった。飛んでいくということは運動エネルギーが残っている。それはつまり、盾に対して有効なダメージを与えられていないことを意味する訳で。
「ぬぅ――――――!」と、エリスは目から鱗と血涙を流しながら、悔しそうに《魔法の矢》の発射地点を変えるなどをして工夫をするも、アルフレッドの繰り出した無造作な《盾》を超えることすらできず、あっという間に三十秒以上が経過してしまった。
「――そよ風だな。夏場に頼むぜ」
疲れたエリスがどて、と尻餅を突くと、アルフレッドはそう言って欠伸をした。
エリスは身体を動かしていないのに、魔力を大量に消費した疲労感から息を乱す。
「や、やけに長い三十秒に感じましたわ。私が挑戦してるはずなのに……」
「まあ、一分くらいは見積もってやったからな。妥当な時間感覚だ」
ニヤリ、と笑うアルフレッドをエリスは数々の言葉を呑み込んだ半眼で睨む。
しかし、ここまでハンデと条件の緩和を貰った上で一発も当てることができなかったのだから、その軽視に文句を言える立場でもない。しかし、悔しくて唸ってしまう。すると、そんなエリスを見たアルフレッドは、軽く肩眉を上げて笑う。
「そう悔しがらなくていい。確かに、今のところ俺の脅威では無かったが――」
「――それが悔しいのだわ」
「あのな、十何年の戦争を生き抜いてきた相手にお前は何を期待しているんだ。お嬢ちゃんみたいな魔法のまの字も理解していないひよっこに後れを取る人間に、国を任せられるか?」
そう言われるとその通りである「おお」とエリスはポンと手を叩いた。
そして、長々と国を守ってくれた退役軍人に感謝を込めて敬礼をしておく。
やれやれ、と肩を竦めたアルフレッドは話を元に戻して、幾らかの賛辞を瞳に。
「さておき、昨日の射撃場で見たお粗末な攻撃よりは随分とマシだ。昨日、俺が言っていたことをしっかりと反映できていたな」
そうは言うが、ポケットに手を突っ込んで基礎魔法の盾を張るだけ凌がれた人間として、それを素直には喜べない。エリスは複雑な表情で床をドンドンと叩く。
「でも! 同じ条件なのに手も足も出なかったのだわ。これじゃ私が弱いだけで、『基礎魔法しか使えないから勝てなかった』って言い訳もできないのだわ」
すると、アルフレッドは意外そうに眉を上げた後、頬を綻ばして屈む。
子供に目を合わせるようにエリスと視線の高さを揃えると、頷いて言った。
「それを自分の口から言えるだけ、充分だ。それに――成長とは、飛躍じゃない」
意味を理解し損ねたエリスが首を傾げると、アルフレッドはこう続ける。
「進歩だ。多分、お嬢ちゃんは今まで噛み合っていない歯車を回していた。だが、今回、それが繋がった。少なくとも、昨日のこの時間よりは前に居るだろう?」
丁度、昨日のこの時間。エリスはエステラに手も足も出なかった。
だが、今ならもう少しだけは苦戦させられるのではないかという自負もある。
この変化は、暗中を模索していた時代に比べると劇的な進歩と言える。それは、勿論、飛躍的なものではない。だが、階段を上るように、確かな変化をもたらしている。
「平和な世の中だ。時間はある。ゆっくりと前に進めばいい」
アルフレッドは苛烈だった日々を懐かしむように目を細める。
エリスはその目をジッと見た後――再び、敬礼をした。




