3話「門前払い」
「《超新星爆発・軽量版》」
スタジアムでエステラと対峙するイヴリンが、試合開始早々にエステラへと伸ばした手の指をパチンと鳴らす。刹那、両者の中間で暴風が吹き荒れながら一点に収束し始める。
何かを詠唱しようとしたエステラの言葉を乗せた空気が中央に集約され、一瞬の静寂。
バクン、と心臓が跳ねるようにスタジアムの結界が震えた次の瞬間。
スタジアムの半球を凄絶な爆炎が埋め尽くした。空気と炎は境界線を失い、スタジアムの石タイルは全てが融解して、魔法のルールとして絶対に壊れないと分かっていても、その信頼性を疑いそうになるほどの暴力的な爆発が半球を覆い尽くした。
十数秒後、爆炎が徐々に消えていくと、ボロボロになったイヴリンがそこから現れる。防御用の魔法を使った痕跡は各所に見られたが、それでも負傷は免れなかったらしい。スタジアムの制約によって衣類は端が千切れる程度だが、皮膚からは幾つかの出血が。
「これ駄目だ、自分でも防ぎきれない……けほっ、先輩、生きてます?」
咳き込みながらイヴリンが黙々と揺れる黒煙の中にエステラの姿を探すも――そこにあるのは、誰かが爆発を抵抗しようと障壁を展開した痕跡だけ。僅かに地面の融解量が少ない。裏を返すと、それしか残っていないということは「――ああ」と、イヴリンは勝利を知る。
特に感動は無いまま、わざわざ自害も面倒だったのでスタッフによる魔法解除を待っていると、凄絶な威力の魔法に興奮が収まらない観衆の中、満面の笑みでぶんぶんと手を振ってくるエリスの姿を、スタジアムの外に見かけた。自然と、イヴリンの相好が崩れる。
そうして軽く手を振り返すと、軽い浮遊感。その後、魔力体が消えて意識が戻った。
――目を覚ますと、一足先に意識が戻っていたエステラが露骨に不機嫌そうだった。ので、イヴリンが上機嫌に頬を綻ばせて「どうしました?」と白々しく訊いてみる。
「あのねぇ! あんなのまともに食らったら普通は死ぬのよ、馬鹿!」
「いやあ、良い実験体だと思って。すみませんね」
てへ、と舌を出すと、ちっ、と舌が鳴る。
そしてエステラは、これからエリスが来るだろう扉の方を一瞥すると、少し声を潜める。
「……門下生募集の試験。アンタみたいなのが合格するんでしょうね」
どうしてその声を潜めたのかは、訊くまでもなかったし、訊きたくもなかった。
イヴリンが曖昧な笑みで視線を逸らして口を噤むと、エステラは立ち上がりながら言う。
「アンタさ、そんだけ強いんだからそろそろ大会とか出なさいよ。そりゃ、いきなり世界を取れるとは言わないけど、私なんかよりずっと良い成績取れるでしょ」
イヴリンが無表情に返答を避けていると、エステラは最後にちらりとその表情を見ると、「まあ、色々とあるんだろうけどさ」と理解を示し、「私はもう行くから」と扉を指す。
「私達も後から行きますんで。席取っておいてください」
「アンタ本当に先輩を顎で使うのに躊躇も抵抗も無いわよね」
「冗談です、手合わせありがとうございました。私も、エリスも」
流石にこの感謝は茶化す訳にもいかないので、イヴリンは腰を浮かせ、代わりに頭を下げる。
エステラは照れ隠しに鼻を鳴らすと、そのままズカズカと選手控室を出る。すると、入れ違いにエリスが駆け込んできて、二、三、エステラと言葉を交わしてイヴリンの下へ。
「イヴリン! 相変わらず格好良かったのだわ!」
キラキラと憧れを秘めた眼差しに、イヴリンは「そぉ?」と満更でもない笑みを返す。
そろそろ出発しよう、という意を含んだ手がエリスから差し伸べられるので、イヴリンはそれを掴んでソファを立ち上がり、二人でスタッフ達に一礼をして控室を出る。
試合自体はものの数分も経たずに終わったが、時間はさておき気分は満足した。
二人でチラチラと集まる視線を感じながら演習場の出口へと歩き出す。
歩いている最中、エリスは先程の光景を忘れられない様子だった。
「いいなぁ、私もああいう魔法が使えたらなぁ。こう、ばごーんって片っ端から対戦相手を吹っ飛ばすのだわ!」
うっとりと先ほどの暴力的な魔法を思い出したエリスは呟き、そんな親友の横顔を、イヴリンは微笑と共に見詰める。しかし、目は笑わない。笑えない。
寂しげな双眸はエリスを見ているようで、その実、過去を遡るように遠くを見ている。
とても難易度が高いということは前提で、それでも、イヴリンの用いる魔法は多くの人に使える可能性がある。しかし、エリスに限っては、それはできない。
努力の話ではなく、先天的に不可能なのだ。
やるせない気持ちになったイヴリンが思わず唇を結んで眉尻を落とすと、「あ」とエリスが呟く。「どうしたの?」と笑みを取り戻したイヴリンに、エリスはスカートのポケットをパンパンと叩き、制服であるベストのポケットも確かめてから、北東スタジアムに足を向けた。
「ハンカチを落としちゃったみたいなのだわ! 先に行っててくださいまし!」
そう言ってエリスがパタパタと駆け出す。『一緒に』という言葉を、その背中の遠さに飲み込んで、「転ばないようにね!」と声を張り上げたイヴリンは、当然、先に行くなどという選択肢が無かったので、近くの柱に近付いて、徐に背中を預けた。
「あれ、さっき試合してた人じゃない?」
「あ、ほんとだ。滅茶苦茶強かったね」
ひそひそ、と、通りすがりの同年代らしき少女たちがイヴリンを指して噂する。
ひっそりと得意げになっていると、続く言葉に眉根が少しだけ寄った。
「でも大会とかには出てないんでしょ? なんでだろうね、勿体なくない?」
「まあ色んな理由があるから……あ、ほら。基礎魔法しか使えない人! あの人とよく一緒に見かけるし、あれじゃない? 出ないでほしいって言われてるみたいな」
「えー……? それ、酷くない?」
根拠も無いのに確定事項のように噂するのとどっちが酷いのだろうか。
イヴリンが噂する少女二人をチラリと一瞥すると、視線がバチっと弾ける。すると何を思ったか、少女たちはふらふらと光に惹かれる羽虫のように近付いてくるので、イヴリンはゆっくりと柱から背中を剥がすと、
「私の意思で大会には出てないの。あんまり好き勝手に噂しないでね」
ぴしゃりと釘を刺す。すると、まさか甘い言葉でも貰えると思っていたのか、目を白黒させた二人組は「はい!」「すみません!」と背筋を伸ばしてバツが悪そうに小走りで去る。
そして、それから十秒程度で奥の方からエリスが戻ってくるのが見えた。
彼女はイヴリンを見付けると、眉を上げて少し歩調を早める。近付くと、
「わざわざ待ってなくても!」
と、申し訳なさそうな顔で水臭いことを言うので、イヴリンは黙って色々な感情を飲み込む。
そして、歩いてきたエリスの手を拾うように握ると「行こ」と、返事をせずに話を進めた。
エリスは自分の手を握って、ゆっくりとした歩調で歩き出す親友の横顔を、丸い目で、何度か首を傾げながら見詰める。何か意図があるのかもしれないが、それが何かは分からない。
「こ、子供じゃないのだわ」
手を引かれている様をジロジロと見られて恥ずかしいエリスが、そう渋って手を離そうとする。しかし、イヴリンはぎゅっと手を握り返すばかり。「私の方が身長も高いのだわ!」と続けると、ようやく、「別に子ども扱いをしてる訳じゃないよ」とイヴリンが苦笑する。
――じゃあこの手は何で握られているんだろうか?
指先から伝わるイヴリンの平均より少し高い体温にエリスが思考を巡らせていると、エリスは仄かに目を細めて、視線を虚空に投げた。
「私、歩くの早いから。君を置いていかないように、ね」
やっぱり子ども扱いされている気がして仕方が無かった。
第三演習場を出て、表通りを線路に沿って北に三十分。最近では電車に席を奪われて滅多に見なくなった蒸気機関車のモクモクとした煙を見送りながら、二人で談笑して歩く。
そして辿り着いた第四演習場。外観は第三演習場と殆ど変わらない。
今日一日、この公共施設は一人の元世界一位による門下生募集の為だけに貸し切られるらしく、周辺には競技魔法の選手らしき人の影で溢れ返っていた。「おお」「わあ」と圧巻の光景に二人で声を上げながら、人の隙間を縫って演習場の中に入る。
演習場の入り口周辺には、仮説の受付が三列用意されていた。
応募者は、そこで事前に持ってくるように指示されていた申込書類を手渡し、代わりに受験番号が付いたネックストラップを渡される、という流れらしい。
二人でその最後尾に並んで、手際よく処理されていく受験者に胸を高鳴らせる。
「さ、流石に緊張してきたかもしれない」
心地よい程度の喧騒の中、普段は飄々と振る舞うイヴリンも胸を押さえて苦い顔だ。
対するエリスは緊張をしつつも、それを上回る期待と高揚に目を輝かせている。
「緊張するなんて勿体ない! 今日、ここは競技魔法選手の人生が変わる場所でしてよ」
「だから緊張するんじゃんか。ふぅ――いや、流石に元世界一位の名前は重たいよ。寧ろ、エリスはよくそこまで平然としていられるね?」
イヴリンが尊敬と呆れを交ぜて瞳を覗き込むので、エリスはふふんと笑う。
「元世界一位なんて臆するような肩書ではないのだわ。『元』が『現』に。そして持ち主が未来の私に変わるだけなんだもの」
胸に手を当てて言い切ってるエリスに「おお」とイヴリン、それから聞き耳を立てていた周囲の人物が感心の声を上げる。分不相応な大言壮語を恥ずかしく思う人間も居るかもしれないが、今の自分の実力を弁えた上で、それでも将来は腕を磨いて玉座を取る。
それは、口に出さないだけで競技に出る誰もが深層心理で抱く夢だと言える。
エリス自身、今の自分がその言葉に見合うほどの人間だとは思っていない。加えて、基礎魔法しか使えないというハンデもある。だが、飛び抜けて派手で凄まじい魔法が使えなくても、競技魔法の世界で戦い抜く方法が、或いは元世界一位にはあるのではないか。
今日、ここで、人生が変わる。人生を変える。
エリスが期待に胸を膨らませていると、気付けば列はあっという間に処理されて二人の番が来た。先ずはイヴリンが浅い呼吸と共に会釈しながら申込書を手渡し。列を外れた彼女に続いて、「よろしくお願いします」とエリスはお辞儀しながら受付の女性に書類を渡した。
「はい、よろしくお願いします」と女性は笑顔で受験番号『87』が付いたネックストラップを返してくる。遠い未来、もしも自分が競技魔法で活躍することがあれば、この番号が分岐点であったとインタビューに答えよう、だとか。そんなことを考えながら期待に彩られた笑みを浮かべ、微笑んで迎えてくれるイヴリンの下へと歩いていき、
「――あ、ちょっと!」
と、エリスの申込書を流し読みした受付の女性に呼び止められた。
エリス、イヴリン。それから待機していた他の受験者達の驚きの視線を一身に浴びながら、女性は申し訳なさそうに頬を引き攣らせつつ、「あの、ちょっと」とエリスを手招きした。
高鳴っていた心臓が、ぎこちなく動き始めた。
ようやく噛み合った歯車が途端に錆びて欠けたような、そんな感覚。
淡い笑みと浅い呼吸で首を傾げながら、他の受験者から少し距離を置いた場所で、エリスとイヴリンは、他の人に聞こえないように潜められた女性の声に耳を傾ける。イヴリンも何やら嫌な予感がしていたのだろうか、眉尻を下げ、縋るように女性を見ている。
「すみません、大変申し上げにくいのですが――」
心底申し訳なさそうな顔と声でそう前置きをした女性は、申込書の一文を示す。
「――この、基礎魔法しか使えない、というのは。文字通りの意味でしょうか」
ぶわ、と汗腺から汗が湧き出る。エリスの目が泳いで、引き攣った笑みが浮かんだ。
イヴリンはその顔から全ての表情を消して、それから、痛ましそうに目を細める。
隠していた訳ではない。だから、発覚すること自体は何ら問題ない。
だが、わざわざ呼び止めて確かめるということは――そんな風に思考が巡る。
乾いて震える喉が上手に言葉を紡げない。えっと、と、間を繋ぐように何かを呟いたつもりだったが、無音を囁いた口が無様に開閉するだけ。競技魔法の選手として、致命的な欠点。
それを覆せる何かを求めて、新しい道に踏み出す覚悟を決めたはずだった。
「……先天性の、疾患で。専門魔法の発動に必要な不随意筋が二つ、動きません」
何も言えないエリスに代わって、全ての事情を熟知しているイヴリンが、或いはエリス以上に沈痛な面持ちで、声を絞り出して回答する。
魔法とは、人間が生命活動をするに伴って滲出する『魔力』を用いた奇跡の総称だ。
そして、その魔力を魔法に変換する手段が、魔力を蓄積する脾臓を、取り囲む五種類の不随意筋によって、定められた順番で動かすというもの。
その不随意筋を意のままに動かす為に用いられるのが、自己暗示。つまり詠唱や印。
そして――エリス・ウィンターは先天的に、その内の二つが上手に動かない。
結果、ここに居るのは基礎魔法しか使えない、自称競技魔法選手の素人だった。
イヴリンの回答を聞いた女性は、沈痛な面持ちで目を瞑ると、申込書をそっとエリスに差し出す。そして、何かを求めるように手を差し伸べ、視線をエリスの手のネックストラップへ。
「大変、申し上げにくいのですが――今回は、ご縁が無かったということで」
エリスは目を見張り、けれども、顔には強張った笑みを貼り付けたまま硬直する。
汗が引いて、顔面は蒼白だった。上手に笑えない口が「あの、えっと」と言い訳の言葉を探す。見ていられず、イヴリンはネックストラップを掴むエリスの震える手を、上から覆う。
「あの、確かに不利な疾患ですけど……でも、それを篩いにかけるための試験なんじゃないですか? そんな、試験を受ける前に門前払いなんて……それが、元世界一位の、アンジェラさんの意向なんですか? 望んだ体質でもないのに……チャンスも無いのは、おかしいです」
イヴリンがエリスの前に立ち塞がって、女性へと噛み付く。
それが自分の試験を不利にするかもしれないと知った上で、それでも親友が自分を庇ってくれているという事実に、エリスは感動し、そして、それを大きく上回る罪悪感を抱く。唇を噛んで、希望の消え失せた目で、手元のネックストラップ、その番号を見下ろす。
女性は食い下がるイヴリンに、申し訳なさそうに、毅然と答えた。
「仰る通りです。大変申し訳ございません。ですが、私達が想定していたよりずっと多くの応募があって、一人一人をより公平、公正に審査するためにも、前提条件として書類選考をさせていただいている、と何卒ご理解ください」
イヴリンの顔が歪み、彼女は首に掛けていたネックストラップを外そうとする。
エリスが駄目なら、自分も。そう言いたげだった。だから、エリスは反射的にその手を掴む。そして、弾かれたように振り返るイヴリンに、エリスは強張った笑みを向ける。
「情けは無用なのだわ。イヴリン、いつか言ったじゃない。競技魔法で世界一位になるって」
普段よりもずっとぎこちない笑みで、震えを押さえるのに精一杯な声は場違いに明るい。
「この道はその最短。私はそこを歩く権利が無かった。ただ、それだけなのだわ」
イヴリンはエリスの虚勢を即座に見抜いて、けれどもここで食い下がるほどエリスの恥を上塗りさせるものは無いと理解して、だらりと手を下ろす。そしてエリスは、誰かに涙を見られないよう、一刻も早くこの空間から出ていくためにも、素早くネックストラップを返した。
「お騒がせしてごめんなさい。選考、頑張ってください」
エリスが女性に伝えると、彼女は程々に申し訳なさそうに会釈して、受付に戻った。
待機列から向けられる不躾で好奇の眼差しを横顔に感じながら、エリスは、やるせない表情のイヴリンに虚勢の笑みを向けた。腰に手を置いて、不遜に言ってやる。
「まったく、私を門前払いだなんて、見る目が無いのだわ」
ふふん、と得意げに言うと、ネックストラップを握るイヴリンの手に力が入る。
気を抜くと極まった感情が双眸から涙を滴らせそうだったので、エリスは一度唇を噛むと、どうにか再び笑みを浮かべて、イヴリンのその手を両手で掴み、真っ直ぐに目を見詰めた。
「――応援してる、頑張って」




