2話「友人」
「今日も私の引き立て役、ご苦労様」
エリスが目を覚ますと、先に目覚めていたらしいエステラが嫌な笑みを眼前に見せる。
エリスは頬を膨らませながらそれを睨み付けるも、反論の言葉は出ずに鼻を鳴らして腕を組み、視線を逸らす。「あら、反論しないのね」とエステラが意外そうに呟くので、言い返す。
「まあ……仮にも、演習に付き合ってくれる相手なのだわ」
素直に認めるのが癪なので、その言葉尻は消え入るように掠れていたが。
エリスが基礎魔法しか使えないことは、この辺りで精力的に競技魔法に取り組んでいる人間なら半数以上は知っているだろう。悪い意味で有名人だ。そして演習とは、本番の大会に向けて実戦経験を積むためのモノ。つまり、取るに足らない相手と戦う理由はない。そんなことをするのは、雑魚を倒して知名度を稼ぎたい人間か、お人好しか。
さておき、腹立たしい先輩ではあるものの、嫌いになれる理由は意外にも見当たらないので、あんまり嫌な気持ちにもなれない。結果、その感情が素直ではない言葉で出力された。
片足の先端くらいは善人に浸かっているエステラは、鼻で笑ってエリスの頭をポンと叩く。
「ま、無能なりに成長してんじゃない? 牛歩だけど」
やっぱり、悪い人ではないよなぁ。エリスは素直になれずに言い返す。
「うっさいですのよ! これから、これから強くなるのだわ! それこそ、今日――」
スタッフ三名が温かく見守る中、そんないがみ合いをしていると。
コンコン、と入り口扉がノックして開けられる。すると、そこから顔を覗かせたのは焼けるような太陽を彷彿とさせる、赤髪の少女だった。深紅とも呼ぶべき艶のある赤髪はロングボブに切られており、背丈はエリスより四センチほど低い。体付きは同じくらい華奢で、顔立ちは美形に分類されるが、やや幼さが残るか。その顔には人当たりの良い人畜無害で穏やかな笑みが浮かべられており、彼女はエリスを見ると、笑みを深くした。
「お疲れ様、見てたよ。エリス、先輩」
「イヴリン!」
イヴリン・ナイトウォーカー。エリスやエステラと同じ高校に通う二年生だ。
中学時代から続くエリスの唯一の大親友であり、同学年ではあるものの学科は違う。
彼女は魔法科で、つまりエステラの後輩に当たる。
そして、その先輩であるエステラは「うげ」と苦い顔で挨拶もせずに視線を逸らした。
すると、目敏くそれを見付けたイヴリンは唇に弧を描いて目を細める。
「先輩。挨拶は? せんぱーい。後輩が挨拶してるんですよ?」
「ああ、はいはい。おはようございます、こんにちは。こんばんは。さよなら」
「はい、さよなら。お出口はあっちですよ~」
――お前が帰れ。とイヴリンが笑顔で扉を指すので、エステラはエリスの座るソファの肘掛けにドッサリと腰を据え、中指を突き立てる。するとイヴリンは無造作に首を親指でピッと撥ねる仕草をした後、容赦なくそれを床に向け、もう片方の手で中指を立てた。
「先輩、エリスの訓練にならないので多少は手を抜くことを覚えてください」
「友達になんて酷いことを言うのかしら! 手を抜かないと訓練にもならないって⁉」
「揚げ足を取ろうとしても無駄ですよ。この足は害虫を踏むためにあるので」
そう言うとイヴリンは「えい」と、エステラの靴を踏みつけ「おい!」とエステラはイヴリンの脛を蹴り返す。「け、喧嘩はやめるのだわ!」とエリスは慌てて二人の足を押さえる。
この二人、どちらもエリスの友人の友人とも呼び合うべき間柄なのだが、どうにも馬が合わないらしい。度々こうして衝突するので、エリスが仲裁に入っている。
さて、イヴリンはエリスの仲裁で即座に溜飲を下げ、腰に手を置いてエステラを見る。
「あのね、先輩。国内ランク。知ってますよね」
「何だっけ、最下位は全裸で逆立ちしながら国を一周しないといけないんだったかしら?」
イヴリンはあふれ出る悪態を一生懸命に飲み込み、額を押さえて目を瞑る。
「……競技魔法の世界大会に出るためには、まず国内最大の大会で一定以上の順位を取る必要がある。で、その大会への出場権は、年間で開催される小規模大会の成績に応じて加算されるスコアの上位五十名から百名だけが貰える! ――先輩、今、何位ですか?」
「一万位くらいだった気がするわね」
「国内競技人口百万人中の一万位なんですよ、貴女は! で、参加賞だけ貰ってるエリスは今、六十万位。実力どうこう以前に、客観的に見て貴女は後輩の訓練に胸を貸すべきだって主張をしてるんです、私は。伝わります? もう一回説明しましょうか?」
イヴリンは明らかにエリスを庇っているのだが、しかし、彼女は気休めを言わない。客観的事実を用いて理詰めでエステラを説き伏せようとしているから、必然、己の無力を突き付けられているエリスはしょぼしょぼと顔を萎れさせながら胸を押さえる。
「い、いいのだわ……イヴリン。弱い私が悪いのだわ」
「え⁉ あ、ご、ごめん! そんなつもりじゃなくて!」
「あーあ、泣かせた! 可愛そうに! 大丈夫? 私は味方だからね」
図々しくも味方面をしてエリスの頭を撫でるエステラに、イヴリンは青筋を浮かべる。
「ちょっと、あんまりエリスにベタベタ触らないでもらえますか?」
「あら、別にアンタのモノじゃないでしょ?」
「別にエステラのモノでもないのだわ」
エリスが淡々とツッコミを入れると、「ふぅん?」とエステラは嫌な笑みを見せる。
「基礎魔法しか使えない後輩と演習してあげてる先輩は誰だっけ?」
「…………私はエステラのモノなのだわ」
「よーし、よし。良い子ね、賢い子は嫌いじゃないわよ」
エステラは満足げにエリスの頭を撫で、エリスは諸々を天秤に乗せてエステラに頭髪を差し出すことを選んだ。ここで彼女に頭を撫でさせるだけで今後の練習相手が確保できるなら安いものだ。そう思ってされるままでいると、ぐい、とイヴリンがエステラを押し退け、代わりに肘掛けに座った。まるでエステラとの間に割り込むように。
「ちょっと」と半眼のエステラに、イヴリンは何も言わない。だが、その表情は、どうしても譲れないものに意地を張るような一生懸命さが滲み出ており、切実で、エステラはそんな生意気な後輩の表情を見ると、やれやれと肩を竦めて引き下がってやることにした。
「ふ、二人とも、もしかして喧嘩でもされまして?」
自分を奪い合うようなやり取りを見て、相手を蹴落とすことが本旨だと解釈したエリスが心配そうに顔を覗き込むも、エリスもエステラも飄々と「違うよ」「元々仲が悪いわね」と否定を口にした。それを黙って聞いていたスタッフ達がとても物言いたげな顔だった。
「――で、どうする? まだ予約の時間はあるけど、もう一戦やる?」
エステラは話を切り替えるようにエリスを見るので、エリスは腕組みして時計を見る。
時刻は既に十六時。「予定までは、まだ時間がありますけれども」とエリスが悩ましそうに口を押さえると、それで何かを察したらしいスタッフの女性が、高揚した声を上げた。
「あ、もしかして皆さんも――」
原則として利用者の私語への介入は禁止だが、知った顔同士だ。
三人はそれを咎めることもせず頷き返し、代表してエリスが答えた。
「――ええ、元世界王者アンジェラ・エルワーズの門下生募集! 当然、応募しますの」
一昨年、そして去年、競技魔法の世界大会で優勝を果たしたエレリカ共和国代表、そして国内最強の競技魔法選手、アンジェラ。彼女の引退宣言が報道関係者を慌ただしく残業させたのも記憶に新しい昨今、先日、門下生を募集する旨が彼女から発表された。
『一緒に、競技魔法で世界を取りませんか?』
当然、国内競技人口百万人のスポーツだ。応募者が殺到することは目に見えていたため、彼女は入門試験を設ける旨を告知していた。それが、今日の夕方からだった。
そして当然、エリス、イヴリン、エステラの三名もそれに応募する。
エリスは基礎魔法しか使えない。だが、それでも、世界王者のノウハウを賜ることができれば、或いは何かが変わるのではないかという希望を抱いていた。
「だけど、もう少し時間に余裕はありそうですわね」
そんな門下生募集の試験会場はこの第三演習場から比較的近い位置にあるため、そう急ぐ必要は無いが、気が急いてしまうのは避けられない。残り僅かな時間の処遇に三人が頭を悩ませていると、エリスは不意に妙案を思い浮かべて手を叩いた。
「そうだ! 私、久しぶりにイヴリンの戦いが見たいのだわ!」
「私?」と穏やかな顔で自分を指すイヴリンと、嫌な予感に顔を歪めるエステラ。
「そう。ほら、貴女、最近あんまり演習してないじゃない? 私、イヴリンの使う魔法が好きなんですの。洗練されていて、格好良くて、憧れる」
イヴリンとは中学からの関係だが、度々目にする彼女の魔法は、エリスとは比較するのも失礼なほどに卓越している。実際、魔法科でも主席の成績を誇っており、この数年の付き合いで、彼女が魔法関連のあらゆる競い合いで誰かに負けた姿は見たことがない。大人も含めて。
当然、どれだけ欲しても届かない魔法に嫉妬の念はある。
だが、それ以上に強い憧れの念をエリスはイヴリンとその魔法に抱いていた。
ほんのりと頬を紅潮させながら黙ってエリスの言葉を聞いた後、イヴリンは「そっかぁ」と満更でもなさそうに頬を緩めて視線を泳がせる。そうして腕を組んだかと思うと、
「私は別に構わないけれど、私と演習したいってこと?」
気配を消そうとしていたエステラが、ピク、と眉を動かして冷や汗を浮かべる。
そんなエステラの様子には気付かぬまま、エリスは興奮した様子で両手に拳を握る。
「私じゃ役者不足なのだわ! うってつけがいるじゃない!」
満を持して二人の視線が向いたエステラは、心底、苦々しい顔だった。
「だ――そうですよ、先輩。一戦、どうです?」
白羽の矢をゆっくりと刺されたエステラは、苦々しい顔で腕組みして冷や汗を流しながら虚空に言葉を探す。どうやら、相当、嫌らしい。
「アンタ、強すぎて嫌なんだけど」
絞り出されたエステラの本心に、イヴリンは肘掛けの上で足を組んでニヤニヤと顔を覗き込み返す。「ふぅん? 逃げるんだ」と嘲笑を向けると、エステラの額に青筋。しかし、衝動に突き動かされて愚かな決断をするような人間ではなかったらしい。エステラは葛藤するように目を瞑って唇を閉じ、黙考。やがて、逡巡の末に中指を突き立てて目を見開いた。
「やってやろうじゃないの」




