1話「基礎魔法しか使えないお嬢様」
聖暦一九六〇年――戦争が終結して間もなく、『競技魔法』というスポーツが生まれた。
仮想の肉体に意識を宿し、疑似的な肉体で魔法を用いた殺し合いをするというものだ。
当然、致命的な痛覚は上限を以て遮断され、グロテスクな臓器の類は露出しないように肉体が構築されている。また、対戦相手が負傷した際にはその痛覚が不快感となって共有され、『魔法を人に向けない』という子供向けの教育としての有効性も確立していた。
そんな、殺し合いの為に研究されてきた魔法の健全な行く末を求めた国際社会が結託して生み出したスポーツは、ものの十数年で瞬く間に競技人口を増やし、今や世界中の人々を巻き込む熱狂の渦を作りだしていた。
ある休日の昼下がり、一人の少女は鼻息荒く、意気揚々と石畳を踏んで歩いていた。
髪は背中まで無造作に伸ばされ、その色は僅かな青い光沢を帯びる艶やかな黒。名高い彫刻家が彫ったのだと思わせるほど端整な顔に嵌められる双眸は冬の夜空を思わせる紺色。平均的な背丈かつやや痩せ型な身体には、地元の魔法科を併設する高校の制服。スカートはくるぶし辺りまで伸びており、そこから更に視線を下げると、足には革靴。
少女の名前はエリス・ウィンター。魔法都市ディリオンの公立高校に通う十六歳の女学生だ。
向かう先はディリオン第三演習場。競技魔法の訓練をする為の公共施設だ。
積み重ねられた煉瓦造りの三階建て。敷地面積はこの辺りでは一番広い。出入りする利用者は競技魔法の人口を物語っているように多く、エリスはその人混みを縫って中に入る。
演習場は北東、北西、南東、南西の四区画に分けられており、各区画には一階から三階まで吹き抜けの構造になっているスタジアムがある。そして、利用者はラウンジも兼ねた待機スペースからスタジアムで繰り広げられる他者の演習場利用を眺めつつ、自分の番を待つのだ。
そして群衆の隙間をするすると歩いて、辿り着いたのは北東スタジアム。
利用受付の前に着くと、そこには既に待ち合わせ相手が腰に手を置いて立っていた。
「遅かったわね、エリス・ウィンター! 負け飽きて来ないかと思ったわ」
その少女はエリスと同じ制服を身に纏っていた。学年は一つ上。
髪はウェーブがかった焦げ茶色の長髪で、絶世の美貌には不敵な笑みが宿っている。
エリスは大袈裟に腕を組んで鼻を鳴らすと、目を細めて少女――エステラを睨み返す。
「敗北とは、いつか来る勝利への積み重ねに過ぎないのだわ。エステラ!」
するとエステラは頬をにやりと歪め、鼻で笑う。
「積み重ねぇ? 口先だけは達者だけどね、知的ぶって難しそうな本を買ったものの一冊も読まずに部屋の隅に積み重ねている自称頭が良い学生くらい負けを積み重ねてないかしら?」
「ぐぬっ……や、やけに身に覚えがありそうな具体性ですわね」
何やら身に覚えがありそうなくらいやけに具体的なエステラの嘲笑だが、生憎とエリスにはクリーンヒットだ。エリスは両拳をぎゅっと握り、唸りながら奥歯を噛み締めて目を細める。
何を隠そう、エリスとエステラは今年に入ってから既に六回ほど演習をしているが、結果はエリスの全敗。全敗だ。何故こんなにも仲が悪いのに二人で演習をしているのか、どうして勝てない相手に何度も挑んでいるのか。色々と疑問はあるだろうが、今は置いておく。
「で、準備はできてんの? もう予約時間の三分前だけど」
エステラが前哨戦も程々に視線を受付に投げるので、エリスは大きく頷く。
「当然なのだわ、先輩。そっちこそ、負けた時の言い訳は用意していまして?」
「『敗北とはぁ、いつか来る勝利への積み重ねに過ぎないのだわぁ』」
目を丸くして唇を尖らせながら間抜けな声でエリスを模倣するエステラに、エリスは怒りで頬を赤くしながらそれを膨らませる。学年一つしか離れていないのに彼女の煽りはどうしてこうも卓越しているのだろう。三年生の授業にそんな教科があるのか。
目の前で繰り広げられるそんな二人の話をコロコロと笑いながら聞いていた受付の女性は、話の切れ目を察すると、カウンターの跳ね上げ扉を持ち上げ、名簿にチェックを入れた。
「一回戦目の舌戦はエステラさんの勝ちですね。では、二回戦目をどうぞ」
言いながらカウンター奥に続く扉を示すので、エリスとエステラはバチ、と視線で火花を散らす。それから促されるままに扉の中に入ると、奥には質素な部屋があった。絨毯が敷かれた無機質な空間で、置いてあるのは幾つかの一人掛けのソファだけだ。
部屋には魔力体をスタジアムに転送してくれるスタッフが一名。それから、万が一の事故に備えて医療系の魔法を扱えるスタッフが一名。最後に、無防備になる肉体を監視してくれるスタッフが一名。法律により定められた合計三名のスタッフが二人を笑顔で迎えてくれた。
二人は黙々とソファに腰掛け、目を瞑り、そして鼓膜にスタッフの魔法詠唱を聞く。
「《魔力体構築》」という魔法名と共に、肉体と意識が切り離された。
ざわざわ、と北東スタジアムの方に何人かが集まっていくのを見て、誰かが呟く。
「何この騒ぎ、何かやるの? 有名人でも来てるとか?」
ふらっと足をそちらに向けると、顔見知りが好奇心に満ちた目でスタジアムの方を指す。
「ほら、例の。基礎魔法しか使えない人、今日も演習やるみたい」
競技魔法のスタジアムは場所によって構造が異なるが、基本的には障害物の無い平坦な正方形のリングの内側を、半球状の透明結界が覆う形で作られている。
第三演習場の北東スタジアムは半球の直径が五十メートル。
そこに敷き詰められた石タイルの上に、エリスとエステラが現れた。
途端、それを眺めていた群衆達に興奮のどよめきが上がる。
当然、外部からの音や妨害が尽くカットされているスタジアムの内側は静寂に支配されている。そして、スタジアムの内側には色彩が無い。全ての物事から彩度が消え失せている。これは魔力体生成のラグによる有利不利を消すため、試合開始を魔力体生成から一定時間後に設けるという目的の下、選手がそれを視覚的に理解しやすいように設計されたものだ。
白黒のエステラを睨みながら、エリスはグッグッと両腕を伸ばす。
「今日こそは勝たせてもらうのだわ」
「その台詞を聞くのも何回目かしら。あのね、貴女は普通科の人間だから知らないかもしれないけれど、世の中には二種類の魔法があるの。基礎魔法と専門魔法」
エステラはやれやれと肩を竦めながら呆れ顔で吐き捨てる。
二人は同じ高校だが、エリスは普通科で彼女は魔法科。学科は違う。
しかし、彼女の語っている内容は普通科でも魔法授業で押さえる常識だ。
エリスは悔しそうに拳を握り、地団太を踏みながら言い返す。
「ばっ、馬鹿にしないでくださいまし! それくらい知ってますのよ!」
「そぉ? じゃあこれも知ってる? 基礎魔法は基本的に二種類に大別される。一つは、魔力そのものを実体化させる『質量付与』。そしてもう一つは、この世の全てを魔法的要素で分解した際に区別される『五大元素』。これが、基礎魔法。これだけ」
彼女の言いたいことを察したエリスは、心底、悔しそうに唇を噛んで押し黙る。
――こ、この女。口を開けば嫌味しか出てこない。
だが、そんなエリスの胸中の恨み節も知らずか、エステラは鼻で笑って得意げに続ける。
「対する専門魔法は比べるまでもなく種類が多い。先ずは『五大元素の組み合わせ』。二種類、三種類、四種類。それから後の研究で判明した、魔法的観点でのみ解釈できる様々な魔法体系。『呪術』に『仙術』、『魔眼』、『特殊制御』に『因果術』」
指折り数えながら嘲笑の目を向けてくるエステラに、エリスは目を細めて吐き捨てる。
「馬鹿は話が長いのですわ。要点を言ってくださいまし」
「馬鹿は長い話が聞けないのよね。要は、基礎魔法しか使えないアンタじゃ私に勝てない」
――刹那、スタジアムが色を思い出す。エステラの焦げ茶の髪を見て、或いはエリスの紺碧の艶を帯びた黒髪を見て。両者が一斉に魔法を構えた。
「《創造》――《射出》!」
エリスは右手をエステラへ構え、魔法を短縮詠唱。物質を司る地属性の《創造》によって右手の前方に二発の鉛玉を生成、エネルギーを司る火属性の《射出》で運動エネルギーを付与。
まさしく弾丸のような速度で発射される二発の鉛玉へ、エステラは不敵な笑みを返す。
「《盾》」
彼女は腰に両手を置いたまま、悠然と魔法を発動。
直後、エステラを守るように青白い光が波打つガラスの如き障壁が眼前に生成される。
そして、それらは甲高い音を響かせながらエリスの放った弾丸を易々と弾き返した。魔力に直接的に質量を与える、基礎魔法の質量付与だ。「ぐぬ」と呻き声を上げたエリスは、「《創造》!」と、今度は先程よりも時間をかけて十発ほどの弾丸を生成するが――
「《最高に可愛い私》」
エリスの不慣れな魔法を悠長に待つ義理もないエステラは、嫌味な笑みを浮かべて詠唱。
直後、彼女の頭上に真っ赤なハートが大量に浮上した。一つ一つのサイズは三十センチほどで、総数は約二十発。エリスは、およそ戦いに相応しくない外観のそれが何か、身に染みて知っている。それが、一つ一つが建物の解体にも使えてしまいそうな爆弾であると。それを見た途端、派手で見栄えの良いエステラの魔法に、観戦していた群衆から歓声が上がる。
声は聞こえずとも観衆の高揚が伝わったエリスは、上機嫌のスタジアムの外に手を振る。その傍ら、エリスは「うぅ」と喉奥から戦慄の呻き声を上げ、冷や汗を流しながら活路を探す。
――しっかりしろ! 何度も同じ魔法に負けるつもりはないだろう!
エリスは気合を入れ直す。前回は質量付与による壁を作って爆散。前々回は避けようとして爆撃に巻き込まれて爆散。ならば今回は――エリスは右手をハート爆弾へ翳す。
「《射出》!」
瞬間、エリスの構えていた十数発の鉛玉は爆弾へと一斉に飛び出す。
風切り音と共に十数発の鉛玉がそれぞれを一つずつ爆弾へと直撃。直後、轟音と共に凄絶な爆風がスタジアムに響き、震動と共に石タイルが何枚か捲れ、罅が入る。
確かな手応えと共に「やったっ!」とエリスが顔を上げると、そこには――
「――今日も、ちゃんとアプローチを変えてきたのね。でも残念」
約二十発の爆弾に十数発の弾丸。当然、全弾命中しても数は足りていない。
しかし、誘爆して全部吹き飛んでくれるものだと思っていた。そんなエリスの期待と興奮に満ちた目は、爛々と、赤々と残って輝くハートの爆弾に、絶望を滲ませた。
「この爆弾、誘爆しないように作ってるのよね」
困った、と白々しくエステラは頬に手を添えて嫌らしく笑う。
冷や汗を浮かべた顔を強張らせてそれを眺めていたエリスは、再び右手をエステラへ翳す。勿論、鉛玉を作って発射させるほどの猶予は与えない。エステラは同時にエリスへ手を返す。
一触即発の空気。エステラは何を思ってか、エリスの言葉を待っている。
詠唱をすれば容赦なく彼女は爆弾を投げるだろう。故に、エリスは堂々と叫んだ。
「タンマですわ!」
「だーめ♪」
「《創造》――」と、エリスが差し違える覚悟で鉛玉を作るのも束の間、容赦なく降り注いだ数発の爆弾が、エリスの視界を煌々とした橙に染める。そして、衝撃が身体を爆発四散させた。
痛覚が痛覚に満たない段階で神経情報がカットされる魔力体で、エリスは自分の四肢があらぬ方向に飛んでいくのを感じながら、「くそぅ」と泣きごとを呻くのだった。
そもそも、自分が物を作り出して相手へと発射する際には基礎魔法の《創造》《射出》の工程を踏まざるを得ないのに対して、専門魔法は生成・発射・制御のプロセスを初回起動の詠唱一つで完結できるのだから、手数で勝てる道理も無いのだった。




